中学校国語/現代文/感想文

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読書感想文と、それ以外の、学校行事などの感想文とでは、同じ「感想文」と言っても、書き手に求められる能力が違います。

読書感想文は、「感想文」というより、あなたの感想をもとにした、分析レポート・報告書に近いです。

準備のための時間が多くある場合と無い場合とで、書き方が異なります。

このページでは、基本的に、宿題などとして、数週間ほどの時間が与えられている場合について、述べます。

学校行事の感想文の場合、極端な場合、行事の数日後〜翌週あたりに、抜き打ちで、用紙1枚ていどの感想文を書かされる場合も、あります。

行事などの感想文[編集]

まず読者に、どの行事なのか、どんな行事なのかを、完結に説明したほうが良いでしょう。運動会なのか、クラス対抗の音楽コンクールなのか、修学旅行なのか・・・、そして、とにかく感想を書いてください。

いきなり書く内容を整理できない場合は、まず、下書きを書き始めてください。十行か二十行ほど下書きが書けたら、そろそろ、いったん清書したほうが良いでしょう。

  • 他人のプライバシーについて

あと、他人のプライバシー(個人的な秘密など)とかは、当然、書いてはいけません。同級生のプライバシーはもちろん書いていけませんし、その他の人のプライバシーも書いてはいけません。 なにも学校での感想文だけに限らず、そもそも文書(ぶんしょ)で、他人のプライバシーを勝手に公表してはいけません。


感想文の必要に応じて、一緒に行事に参加した同級生の行動についても書く必要があるかもしれませんが、プライバシーを侵害しないように注意してください。他人のプライバシーについては、たとえ相手を褒める(ほめる)内容であっても、書かれた本人はプライバシーを気にする場合もあります。

「○○くんは僕にしか見せてないけど、○○くんが△△で頑張っていた。」みたいな事は、ほめる内容ですが、しかし当事者しか知らないプライバシーなので、書かないほうが良いのです。

同級生や同学年・同学校の生徒などについて、感想文で紹介する場合は、あくまでも公表されている情報を紹介します。たとえば、クラスのみんなの前で、あるいは学校生徒のみんなの前で公表されている情報であるなら、紹介できるかもしれません。

読書感想文[編集]

読書感想文とは[編集]

  • 読解レポートではないし、文学史レポートでもない。

感想文は、べつに読解のレポートでもなければ、文学史のレポートではありません。あくまでもテーマは「感想」です。なので、あまり参考書とか資料集とかを読んでも、評価されません。参考書を何ページも読む時間があるなら、感想文課題に選んだ作品を何度か読み返したほうが良いです。


日本の感想文教育の問題点[編集]

字数・枚数などの条件[編集]

あまり望ましいことではないのですが、日本の感想文の宿題では、長すぎる作文を書かせる場合がよくあります。

たとえば、読書感想文では残念ながら、読書教育と作文との教育が混同されており、教育者側が多くの文章を読ませたいためか、多くの原稿用紙を使わせる作文での感想文を宿題にすることがよくあります。

(※ 実社会で要求される書評では、要求されるのは文章の長さではなく、分析の高度さが要求される。)


このため、読書感想文を書くために読む本があまり短すぎると、原稿用紙の規定の枚数(たとえば原稿用紙で3枚以上とかの条件がある)の条件を満たすことが、難しくなりがちです。

なので、短編集などは、読書感想文を書くのが難しくなります。

なので、読む本には小説などを選びましょう。

「読書感想文」は大人社会とズレている。
※ そもそも社会では、例外的に小学校の低学年のための作文教育を除いて、多くの企業などでは、あまり長い感想は求められていません。企業などで仕事として求められている「作文」とは、「感想」ではなく「分析」です。それも、分析の文章に長さは不要で、必要なのは、高度な分析、または論点の整理された分析、あるいは正確な分析、または分かりやすい分析など、読者の役に立つ分析です。なお、実社会でいう「高度な分析」というのは、けっして頭で考えただけのアイデアのことではなく、あるていど実際に実験したりして手を動かしたりして確かめた上での、それでも実験しきれない不足分を補うためにする必要のある「分析」のことです。けっして、単に小難しい文学用語とか学術用語を使っただけの説を並べる「分析」とやらは、高度ではなく、単なる文学マニアなどの娯楽の芸能の一種です。)
※ 企業などでは、長いだけの感想なんて、むしろダメな文章として嫌われる場合すらあります。むしろ、企業の新人研修などでは、時間の節約のためもあり、けっして長いだけの作文をしないように、新人が教育される場合すらあります。残念ながら、日本の学校現場は、こういう実社会についていけていない状況です。)
※ 日本の小中の学校教育では、あたかも、「長い文章を作文するのは、マジメなので、良いことだ」と錯覚するような教育がされています。しかし、実社会では、物語の作家ですら、まず新人作家に数百ページもの長い文章をいきなり任せるなんて、出版社にとってのリスクが高すぎるので、出版社はそんな依頼をしません。新人の作家は、まず短編の物語を書かされたりします。物語ですら、長く書くことよりも、むしろ短く整理して伝えることのほうが、社会では重要なのです。
※ マンガでも、新人マンガ家は短編の読みきりを書かされるでしょう。それと同じです。
※ こういうふうに、「読書感想文」は大人社会でのさまざまな実務とズレているので、あまり「読書感想文」の意義とやらを鵜呑みにせず、深入りしないほうが良い。
※ 大人社会どころか、下手したら大学受験の「小論文」とも、読書感想文はズレています。大学受験の「小論文」では、字数の制限は、テスト時間の内に終わるように、読書感想文の字数よりも少なめに(小論文の規定の字数が)設定されているのが普通です。

図書の条件[編集]

また、日本語で本来「読書」といった場合、ソレは別に小説などの物語には限定されないハズで、画集や理工書を読んでも本来は「読書」です。しかし残念ながら日本の小中学校での「読書感想文」教育では、「読書感想文」は物語の読書に限定されてしまっています。

どうやら、生徒の文字を読める能力の高低も、教育者たちは測定したいらしいです。


また、読書感想文の教育は、情操教育とも混同されています。


そのためか、大学入試に出そうな古文・漢文の作品とかは、「読書感想文」の図書として認められない場合が普通です。

明治時代の以降、つまり日本の近代以降の小説でないと、「読書感想文」の図書として認められない場合が普通です。


どうやら、大学入試に出そうな作品以外にも、教育業界などは物語を読ませたいらしいです。(なのに、画集などは「読書感想文」を認められないのだから、情操教育としても意味不明である。)

美術評論や音楽評論でもダメです。近代明治の以降の、物語の小説でないと、「読書感想文」の図書として認められない場合がよくあります。


また、中学生・小学校の高学年なのに、小学校の低学年むけ児童の本を読んでも、あまり良い評価を得ないか、そもそも認められずに作文を書き直しになる場合があります。


手順[編集]

学校側の条件に従う[編集]

まず、読む本を決めます。学校で課題図書が指定されている場合は、それを読みます。また、読書感想文にしてよい本の条件を学校側が決めていますので(たとえば恋愛小説や推理小説は禁止だとか)、その条件にしたがってください。


「物語文であること」が、感想文を書くための条件として指定されている場合が、よくあります。

本を選ぶコツ[編集]

読んだことのない本を選ぶ[編集]

さきほどの「問題点」の節で述べたように、日本の「読書感想文」教育の宿題では、長い作文をさせたがります。

すでに何度も読んだことのある本は、新鮮味が無いので、また読んだところで、とくに感じることがなく、なので、感想を規定枚数の以上に書くことが大変です。

(すでに何度も読んだことのある作品を読むことで、高度な分析ができるかもしれませんが、しかし規定の枚数・字数を満たしづらくなります。この「読書感想文」の宿題で要求される能力は、ある程度の長さの感想文を書く能力ですので、残念ながら分析の高度さは要求されてないのです。)


なので、読む本として本を選ぶさいには、まだきちんと読んだことのない本で、読み終えられる本を、選んでください。


読み終えられる本を選ぶ[編集]

読む作品を選ぶさい、あまり厚すぎる本を選ぶと、読み終わらないので、読み終えられる作品を選んでください。

また、難解すぎても、理解できず、感想が「難しかった」「よく分からない」以外に思いつきません。なので、そこそこ理解できる本を選んでください。課題図書などで指定されている本と、同じくらいの読者対象と厚さの本を選べば、とくに問題ないでしょう。


どうしても、高度な本を読みたいなら、感想文の宿題を終わらせてから、自分の趣味でしましょう。

いったん本を決めたら、変えない[編集]

いったん本を選んだら、よほど自分にあってないかぎり、次の手順で最後まで感想を書きすすめます。 あれもこれもと本を変えていると、いつまでたっても、感想文が完成しません。


どのみち、学校の宿題の感想文のための本を選ぶセンスなんて、実社会はあなたに求めていません。


読みながら、ときどきノートにメモ書き[編集]

そして、読みながら、ノートなどに、感動した事項とかをメモに取ると良いでしょう。読後に思い出すのは、けっこう大変です。全ての文章でメモを取るのは大変なので、書籍全体の文量の5%〜10%くらいを読むたびにメモを取れば、充分(じゅうぶん)です。

物語文を読んでいる場合、読書中の予想した展開が、どんでん返しで間違える場合もありますが、気にせずノートにメモを取ります。「どんでん返しに、ダマされた!」ってのも、立派な感想です。

メモ書きに時間を掛け過ぎても読み終わらないので、本当に最小限のメモでも充分です。そもそも、ほとんどの人は、たぶん、メモすらも取りません。

下書きを書く[編集]

そしてまず、読み終えたら、下書きで感想を書いてください。ペース配分のため、いったん最後まで読む終えるまでは、まだ感想の(下書き ではなく)清書は書き始めないほうが良いでしょう。

とにかく、「どこがどう、面白かったのか」などを書き始めます。単に「面白かった」とかだけなら、読者にとって不要な情報ですし、その後に書く文章も続きません。

※ 宿題の名前は「感想文」だが、実際は「書評」(しょひょう)と混同されている。「書評」とは、書物の内容についての評論文のことです。


清書では書籍タイトルなどの記載。[編集]

読書感想文の清書の場合、そもそも何の本を読んだのかを、冒頭のほうで、明確に記載する。少なくともタイトルと著者名と出版社名をきちんと書く。たとえば夏目漱石の『吾輩は猫である』を読んだのなら、それと、感想文に選んだ本の出版社名も記載する。出版社を書く理由は、教員が必要に応じて、その出版物を確認するためです。感想文の題名に、作品名を書く場合もあります。たとえば、『 夏目漱石『我輩は猫である』の感想文 』などのような感想文タイトルを書く場合があります。

近代小説などの教科書などで紹介されている有名作品であっても、出版社によって、文中の漢字が変わっていたりする場合があるので、念のため出版社名も書きくのも良いかもしれません。


清書では、図書名などを紹介したら、さっさと感想を書き始める[編集]

書籍の題名、著者名、出版社名を紹介したら、さっさと感想を書き始めます。あらすじの記述は、後回しで良いのです。宿題はけっして「あらすじ紹介文」ではなく、「感想文」が宿題なのですから。

「あらすじ」の紹介は、最小限が理想的です。(しかし残念ながら、日本の教育では、感想文教育と読書教育が混同されており、しばしば、あらすじを長々と紹介しないと規定枚数を満たしづらい場合がよくある。)


理想的には「あらすじ」よりも、感想を優先して書くべきです(実社会の書評では、そうなのです)。

とりあえず理想的には、感想の根拠を説明するために、必要最低限の「あらすじ」を文章で紹介すれば、充分です。


参考書は最小限に。しかし必要ならば利用せよ。[編集]

書いていてネタ切れをして、選んだ図書を読み返してみても、どうしても書くネタが思いつかない場合、時間があれば、国語の参考書などを読んだりして、ネタを仕入れてもよいです。たとえば夏目漱石の『我輩は猫である』の感想文を書く場合、どうしてもネタが思いつかないなら、参考書などで夏目漱石についての解説を読んだり、その時代の文学史の解説を読んだりします。あらたな知識を仕入れて視点が変わりますので、書けるネタが増えるでしょう。ただし、参考書を読むにも時間が掛かりますので、どうしてもネタが思いつかない場合にだけ、参考書でネタを仕入れてください。

どっちみち、仕入れたネタをそのまま書いても、採点は0点です。感想文は、べつに文学史のレポートではありません。あくまでもテーマは「感想」です。

そのまま文学史を書くのはダメだが、感想の発想の参考にするだけなら、構わないということです。

このように、読書感想文は、学校行事の感想文とは、やや違います。「読書感想文」の宿題には、その名に反して、物語文を読むための勉強結果についてのレポートの宿題みたいな所があります。


現代ではパソコンを使った下書きが便利[編集]

このように、日本の小中学校での「読書感想文」の宿題は、問題点をかかえており、それが改善されていない状況が続いています。


なので、この宿題をする場合は、下書きで、まずパソコンで下書きを書くのが良いでしょう。(ワープロソフトなどを使うと、自分が読みやすいでしょう。)

そして、字数が規定枚数を満たすように、パソコンで編集していきます。

たとえば、原稿用紙1枚が400字詰めの用紙の場合、「原稿用紙で3枚以上」という条件なら、つまり3×400 = 1200 で1200字ですので、「1200字以」という条件を満たすように、パソコン上で下書きをチェックします。

パソコンの無料フトで、「文字数カウンター」などというような名前のソフトがあるので、そういうのを使うとラクでしょう(実務では、そういうのを使います)。


そして、下書きが字数などの規定条件を満たしたら、そこで文章の言い回しなどを整えたりしてみて、最後に手書きで原稿用紙に書き写します。


このような方法は、学校側が想定しているような勉強法とは違うかもしれません。ですが、悪いのは学校です。残念ながら、日本の学校教育は、時代おくれなのです。