有機化学/有機化学の化学結合

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酢酸イオンの共鳴


酢酸イオンが、なぜ、CH3COO で安定になるかというと、上記の図のように共鳴(きょうめい、resonance)してるから。 図の左側の構造か右の構造かのどちらかではなく、どちらでもなく、下図のように、重ね合わせたような構造になっている。

酢酸が水溶液中では、メチル基(CH3)の水素は電離せずに、カルボキシ基COOHのほうの水素が電離するのは、このような理由による。


酢酸イオンの共鳴
非局在

つまり、けして、どちらか片方の酸素イオンの周囲にだけに電子は局在していない。つまり、両方の酸素原子の周囲にわたって電子は存在している。このような状態を非局在化(delocalize)という。

なお、非局在化をあらわす矢印は、双頭の矢印 である。可逆反応ではないため、 は用いない。

酢酸イオンのほか、ベンゼンでも共鳴構造が見られる。(※ ベンゼンの共鳴については、高校化学でも習う。)


本ページでは例として酢酸について記述したが、もちろん酢酸以外のカルボン酸でも同様に、共鳴の原理は成り立つ。


古典的な共鳴理論の限界[編集]

4員環や5員環など[編集]

上述のように、共鳴理論はベンゼンの六員環を説明できる。


しかし、四員環も五員環も八員環も説明できない。

シクロブタジエンの構造。不安定である。
シクロオクラテトラエンの構造。不安定である。

結論から言うと、共役二重結合を含む種類の四員環は不安定であり、合成しても、すぐに壊れてしまう。


八員環も同様であり、共役二重結合を含む種類の八員環は不安定であり、合成しても、すぐに壊れてしまう。

チオフェンの構造

いっぽう、五員環およぼその化合物は、チオフェン等が安定的に存在する。


結局、単に共有結合と単結合のあいだの共役二重結合のメカニズムだけでは、実際の六員環の安定性は説明しきれない。このように、共役理論には、限界があるる。

共役だけにかぎらず、一般に実験科学における理論には適用限界があるので、けっして杓子定規(しゃくしじょうぎ)に理論を実用に適用してはならず、実例を把握したうえで吟味する必要がある。



フェナントレンやアントラセンなど[編集]

アントラセン
フェナントレン (※ 書式は従来のロビンソン構造式)

ベンゼン環どうしが結合した分子を見ると、そのなかに、反応性の高い部分と、低い部分が、ひとつの分子に混在している場合もある。

たとえば、アントラセンという分子は、ベンゼン環どうしが3つ直線状に結合した形なのに、中央の分子だけが反応しやすい(図の9位と10位)。

また、フェナントレンという分子は、まがりかどの部分が(図の9位と10位)、反応しやすい。


このように、高校で習うような、古典的に解釈した場合のケクレの理論だけでは、説明しづらい現実の現象も、いろいろと知られている。


クラール構造で書いたアントラセンの例
(記法がまだ化学界で定まりきっておらず、文献によって記法が若干違う)
クラール構造で書いたフェナントレンの例

このため、学者の中には、不安定な環には、「ベンゼン環どうしの結合の化合物の構造式で、機械的に環の内部には「〇」を書かないようにすべきである」という主張をしている者もおり、安定な環にだけ「〇」を環内部に書くようにすべきである 、というような主張をする学者(たとえばスコットランドの化学者 E.クラール など)もいる。(※ クラールについての参考文献 細矢 治夫『化学 × 数学 「ベンゼンの亀の甲をあばく」』 )(※ 環内の「〇」の書き方の参考文献: 細矢治夫『はじめての構造化学』、オーム社、平成25年 6月25日 第1版 第1刷、184ページ)


ちなみに、従来通りの、ベンゼン環の内部に「〇」を書く方式での構造式の書き方のことを「ロビンソン構造式」という。

いっぽう、クラールの記法および、クラールから派生した記法のことは、「クラール構造」という。(※ 参考文献: 化学同人の『大学院 有機化学』(野依良治ほか編著)にクラール構造について書いてあった。(未購入なので、版やページの出典は未紹介。書店で立ち読みしただけ。値段が高い。)

※ 野依らによると、クラール構造は隣り合わないらしい(野依らは、それを定義の一部しにている)。
なお野依らの この定義のため、野依らの文献では、ナフタレンのようにベンゼン環が2個しかない場合は、片方だけ〇を書かれている。
なお、野依らの著書『大学院 有機化学』では、クラール構造の丸印の記法は、破線による青色の丸印である。(おそらく、ロビンソン構造との区別のためだろうか(著者に聞いたわけではないので未確認の単なる推測)。)


クラールの仮説の矢印

なお、細矢治夫の著書『はじめての構造化学』を読むと、野依らの著書には書かれてないクラール独自の記法が書いてある。

クラールは、相対的に安定している甲に丸を描いた(上記の図では、破線部で丸を描かれた甲に相当)他に、加えて周囲の破線部の無い甲(相対的に不安定な甲)への矢印を描いている。安定甲から不安定甲への矢印が、クラール独自の記法では、描かれているらしい。


どうやら、クラールは、複数ベンゼン化合物の隣接した安定甲と不安定甲との間に相互作用を考えているらしい。


しかし、野依らは、クラールの名前は紹介し(て、おそらくは敬意を払い)つつも、この矢印は紹介してない。つまり野依らは、この矢印の学説を切り捨てている(もしくは、クラール以外の欧米の学者が矢印の学説を切り捨てており、野依らはそれらの国際評価に従って、そのまま紹介しただけか)。べつに野依らへの批判ではなくて、化学の理論構築はこのくらい慎重に学会内での相互検証をしなければならない、という事である。


ベンゼン環の理論とはやや別の分野だが、東京化学同人『有機反応論』(奥山格 著)には、下記のように書かれている[1]

反応機構はいかに合理的にみえても、それはひとつの仮説にすぎない.』(原文が太字)
一つの予測が実証されたとしても、その反応機構が証明されたとはいえない。もっと別の予測をたてれば否定される可能性も残っている.
実験科学における仮説は、否定することはできても、証明することはできない.
実験で実証可能な予測がすべて実証できれば、反応機構は確立されたといえる.
(※ 以上、東京化学同人『有機反応論』(奥山格 著)より抜粋。)


さて、ベンゼン環の理論のハナシに戻る。

細矢治夫は離散数学の組み合わせ論を化学に導入しようと目指している、この分野の日本でのパイオニア的な人物である。だが、たといそのような立派な人の紹介するクラールの学説であってすら、けっして学説を鵜呑みにしてはいけない、というほどまで慎重であるべきが有機化学の取るべき態度であろう。

2010年以降の今でこそ、離散数学は大学1~2年で多くの理系の学科で教育するようになったが、1990年は違っており、あまり重視されなかったし、それどころか、「あんなの、大学で教える価値は無い。」「高校レベルの稚拙な数学だ。」「数学でなくて単なるパズルの類だ」みたいな批判すら、されている時代もあった(数学者の秋山仁の自伝などで、こういう過去の状況がよく紹介されている)。

さて、化学に戻ると、つまち細谷はこのような時代に、偏見にとらわれずに離散数学の化学での活用の開拓を目指した先駆的な人物であるという事である。しかし、たとえそのような立派な人物の紹介する学説ですら、「証明しきれてない」と認識されている矢印の学説を野依らは切り捨てている、という事である。

ここまで(野依らのように)慎重に考えつつ、それでもあえて(細谷のように)新しいことに挑戦していくのが有機化学の理論構築のあり方である。


なお、野依らの教科書を見ても、細谷の提唱する(離散数学的な有機化学の)学説は書かれていない。

幸か不幸か2010年代~2020年代の現代では、まだ離散数学の化学での活用は時期尚早(じきしょうそう)である、とされているようだ。(おそらく「離散数学を導入しなくても従来の理論のほうが簡単にかつ正確に説明できる。」、「離散数学の公式を覚える手間がかえって増える。」、「導入に手間が増える割に、例外的な事例も見受けられる。」、などなどの相互批判が学会内で色々とあるのだろう。)



  1. ^ 奥山格『有機反応論』、東京化学同人、第1版 第1刷 2013年1月15日 発行、7ページ