賽は投げられた alea iacta est

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古代ローマ時代に用いられていたサイコロ(賽、骰子)

ガイウス・ユリウス・カエサルの著作

alea iacta est 賽は投げられた[編集]

  • 名言(1):ālea iacta est 
  • 名言(2):iacta ālea est  (原文では(2)だが、(1)の語順で引用されることが多い。)
    • ālea 女性・第1変化名詞 「サイコロ」  > 単数・主格 「サイコロ(は)」
    • iaciō 動詞 第3活用 「投げる」 = jaciō(別形)
      • > iactus 完了受動分詞 ⇒ iacta 女性・単数・主格 (主語である ālea に性・数・格を合わせる)
        • > iacta est 3人称・単数・完了受動・直説法
  • 意味さい は投げられた  (賽は、骰子さい とも表記され、サイコロのこと。) (英訳 the die is cast
         カエサルがルビコン川を渡るときに言ったと伝えられる言葉。
         事を始めてしまった今となっては、もう断固として実行するのみである、というような意味で用いられる。
  • 出典: 2世紀の伝記作家 スエトニウスGaius Suetonius Tranquillus, 英 Suetonius ; AD69年頃~122以後?[没年諸説あり]) の
        『ローマ皇帝伝』 (De vita Caesarum カエサルたちの生涯について) の
       「カエサル伝」(Divus Iulius 神君ユリウス伝) の32節で述べられている。
ガリアとイタリア本土の境であったルビコン川の位置。
  • 背景: カエサルがガリアで輝かしい戦功を上げると(『ガリア戦記』を参照)、元老院を牛耳る 門閥派オプティマテス (閥族派、元老院派とも) と呼ばれる寡頭政主義者たちは、対立する 民衆派オプティマテスの領袖であるカエサルが名声を高めていることを非常に警戒し、軍隊を持つカエサルが首都ローマに不在のまま翌年の執政官に立候補しようとすることを阻み、カエサルが立候補したいならガリア総督を辞し軍隊を解散して首都に来るように通告した。カエサルが部隊を連れずに首都に来ようとすれば、元老院派によって捕らわれてしまうことは明白だった。当時、ガリアとイタリア本土の境に定められていた小川であるルビコン川を軍隊を連れたまま越えることは国法により禁じられていたが、カエサルはあえて部隊をルビコン川のたもとに進めた。

スエトニウスの記述[編集]

スエトニウスの「カエサル伝」32節の記述によれば、カエサルがルビコン川を渡ってイタリア本土に侵攻するべきか迷っていると、不思議な男が現われてアシの笛を吹き、集まって来たカエサルの兵士たちの一人ががラッパで応じると、男はラッパを兵士から取り上げてルビコン川の岸辺でラッパを吹き鳴らしながら、川の対岸へ渡って行ったという (この不思議なエピソードは他の史家は伝えていない)。

スエトニウスは、次のように続けている。

ラテン語(原文) Tunc Caesar : 'eātur,' inquit, 'quō deōrum ostenta et inimīcōrum inīquitās vocat. Iacta ālea est,' inquit.
和訳 そのとき、カエサルは、「進もう」と言い、「神々の前兆と政敵たちの敵意が呼び寄せるところへ。 サイコロは投げられたのだ」と言った。



(編集中)

プルタルコスによる言及①[編集]

帝制ローマ期のギリシア人史家 プルタルコスΠλούταρχος, Ploútarkhos [plǔːtarkʰos], 英 Plutarch ; AD46年頃~120年頃) が著した伝記文学
『対比列伝』 (Βίοι Παράλληλοι, 英 Parallel Lives ; いわゆる 『プルターク英雄伝』) の2か所で言及されている。

『対比列伝』の「カエサル伝」(Καίσαρ ; 英訳 Caesar)の32節では、次のように述べられている。

原文 ὡς ἦλθεν ἐπὶ τὸν διορίζοντα τὴν ἐντὸς Ἄλπεων Γαλατίαν ἀπὸ τῆς ἄλλης Ἰταλίας ποταμὸν Ῥουβίκων καλεῖται, (中略) 
[5] ἔσχετο δρόμου καὶ τὴν πορείαν ἐπιστήσας πολλὰ μὲν αὐτὸς ἐν ἑαυτῷ διήνεγκε σιγῇ τὴν γνώμην ἐπ᾽ ἀμφότερα μεταλαμβάνων, καὶ τροπὰς ἔσχεν αὐτῷ τότε τὸ βούλευμα πλείστας πολλὰ δὲ καὶ τῶν φίλων τοῖς παροῦσιν, ὧν ἦν καὶ Πολλίων Ἀσίννιος, συνδιηπόρησεν, ἀναλογιζόμενος ἡλίκων κακῶν ἄρξει πᾶσιν ἀνθρώποις ἡ διάβασις, ὅσον τε λόγον αὐτῆς τοῖς αὖθις ἀπολείψουσι.  [6] τέλος δὲ μετὰ θυμοῦ τινος ὥσπερ ἀφεὶς ἑαυτὸν ἐκ τοῦ λογισμοῦ πρὸς τὸ μέλλον, καὶ τοῦτο δὴ τὸ κοινὸν τοῖς εἰς τύχας ἐμβαίνουσιν ἀπόρους καὶ τόλμας προοίμιον ὑπειπὼν, ‘Ἀνερρίφθω κύβος,’ ὥρμησε πρὸς τὴν διάβασιν [1]
英訳 When he came to the river which separates Cisalpine Gaul from the rest of Italy (it is called the Rubicon), and began to reflect, now that he drew nearer to the fearful step and was agitated by the magnitude of his ventures, he checked his speed.   [5] Then, halting in his course, he communed with himself a long time in silence as his resolution wavered back and forth, and his purpose then suffered change after change. For a long time, too, he discussed his perplexities with his friends who were present, among whom was Asinius Pollio, estimating the great evils for all mankind which would follow their passage of the river, and the wide fame of it which they would leave to posterity.   [6] But finally, with a sort of passion, as if abandoning calculation and casting himself upon the future, and uttering the phrase with which men usually prelude their plunge into desperate and daring fortunes, ‘Let the die be cast,’ he hastened to cross the river; [2]
和訳 彼(カエサル)が アルプスの内側のガリアとイタリアの残りの地方を分かつルビコン川にやって来たときに、(中略) ついに、一種の熱情の中で、打算をのけて、来るかも知れないことに自分自身を投げ出して、危険や大胆な企てに入る者たちがしばしば口にすることわざ「サイコロは、投げてしまおう」を使って、渡河した。

プルタルコスが記したカエサルの言葉は、ギリシア語で Ἀνερρίφθω κύβος

英訳では Let the die be cast、和訳では「賽は投げてしまおう」[3]骰子さいは高く投げらるべし」[4] などと訳されている。

  • Ἀνερρίφθω κύβος (anerrhī́phthō kúbos)
    • ἀναρρίπτω (anarrhī́ptō‎) 動詞 「投げる」
      • ἀνερρίφθω 3人称・単数・完了・中-受動相・命令法 「投げられるべし」「投げてしまえ」
    • κύβος 名詞 「サイコロ」

また、カエサルがルビコン川を渡るかどうか協議した側近たちの中には、ガイウス・アシニウス・ポッリオGaius Asinius Pollio; BC75~AD4年) がいたことも記されている。彼は、内戦に際してカエサルに従い、後に執政官も務め、さらには同時代史を著した人物である。彼の著作は残っていないが、プルタルコスらの引用によって知られている。すなわち、カエサルが発したこの言葉は、側近だったアシニウス・ポッリオ自身によって著作に記され、プルタルコスに伝えられたと考えられるのである。

プルタルコスによる言及②[編集]

プルタルコスの『対比列伝』の「ポンペイウス伝」(Πομπήιος ; 英訳 Pompey)の60節では、次のように述べられている。

原文 [2] καὶ γὰρ ἐπὶ τὸν Ῥουβίκωνα ποταμὸν ἐλθών, ὃς ἀφώριζεν αὐτῷ τὴν δεδομένην ἐπαρχίαν, ἔστη σιωπῇ καὶ διεμέλλησεν, αὐτὸς ἄρα πρὸς ἑαυτὸν συλλογιζόμενος τὸ μέγεθος τοῦ τολμήματος, εἶτα, ὥσπερ οἱ πρὸς βάθος ἀφιέντες ἀχανὲς ἀπὸ κρημνοῦ τινος ἑαυτούς, μύσας τῷ λογισμῷ καὶ παρακαλυψάμενος πρὸς τὸ δεινόν, καὶ τοσοῦτον μόνον Ἑλληνιστὶ πρὸς τοὺς παρόντας ἐκβοήσας, ‘ἀνερρίφθω κύβος,’ διεβίβαζε τὸν στρατόν. [5]
英訳 [2] And so, when he was come to the river Rubicon, which was the boundary of the province allotted to him, he stood in silence and delayed to cross, reasoning with himself, of course, upon the magnitude of his adventure.  Then, like one who casts himself from a precipice into a yawning abyss, he closed the eyes of reason and put a veil between them and his peril, and calling out in Greek to the bystanders these words only, ‘Let the die be cast,’ he set his army across. [6]
和訳 彼(カエサル)は、彼に割り当てられた属州の境界であったルビコン川にやって来たときに、彼は沈黙したまま立ち尽くして、渡河を遅らせ、自らを説得していた。もちろん、彼の冒険の大きさを思ってのことである。 それから、絶壁から口を開けた深淵に身を投じる者のごとく、理性の見地を閉じ、彼らと彼の危険の間に覆いをして、居合わせたものたちに、ギリシア語でただ「サイコロは、投げてしまおう」という言葉を叫んで、彼の軍隊を渡河させたのだ。

プルタルコスは、ここでも、カエサルの言葉をギリシア語の Ἀνερρίφθω κύβος ‎(anerrhíphthō kúbos‎) 「サイコロは、投げてしまおう」と記し、しかも「ギリシア語で」とはっきり述べている。



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アッピアノスによる言及[編集]

プルタルコスより少し後の世代の2世紀のギリシア人史家 アレクサンドリアのアッピアノスἈππιανὸς Ἀλεξανδρεύς, Appianós Alexandréus, 羅 Appianus Alexandrinus, 英 Appian of Alexandria ;  AD95頃~165年頃) が著した全24巻の大著 『ローマ史』Ῥωμαϊκά, Romaiká, 羅 Historia Romana) の現存する部分のうち、ローマ内戦を描写した 『内乱記』 (英 The Civil Wars ) の 第2巻5章35節 (Book 2, chapter 5, section 35) には、次のように言及されている。


原文 [35] τοὺς οὖν λοχαγοὺς αὐτῶν σὺν ὀλίγοις τοῖς μάλιστα εὐτολμοτάτοις, εἰρηνικῶς ἐσταλμένοις, προύπεμπεν ἐσελθεῖν ἐς Ἀρίμινον καὶ τὴν πόλιν ἄφνω καταλαβεῖν: ἡ δ᾽ ἐστὶν Ἰταλίας πρώτη μετὰ τὴν Γαλατίαν.   αὐτὸς δὲ περὶ ἑσπέραν, ὡς δὴ τὸ σῶμα ἐνοχλούμενος, ὑπεχώρησε τοῦ συμποσίου, τοὺς φίλους ἀπολιπὼν ἔτι ἑστιᾶσθαι καὶ ζεύγους ἐπιβὰς ἤλαυνεν ἐς τὸ Ἀρίμινον, ἑπομένων οἱ τῶν ἱππέων ἐκ διαστήματος.   δρόμῳ δ᾽ ἐλθὼν ἐπὶ τὸν Ῥουβίκωνα ποταμόν, ὃς ὁρίζει τὴν Ἰταλίαν, ἔστη τοῦ δρόμου καὶ ἐς τὸ ῥεῦμα ἀφορῶν περιεφέρετο τῇ γνώμῃ, λογιζόμενος ἕκαστα τῶν ἐσομένων κακῶν, εἰ τόνδε τὸν ποταμὸν σὺν ὅπλοις περάσειε. καὶ πρὸς τοὺς παρόντας εἶπεν ἀνενεγκών: ‘ἡ μὲν ἐπίσχεσις, ὦ φίλοι, τῆσδε τῆς διαβάσεως ἐμοὶ κακῶν ἄρξει, ἡ δὲ διάβασις πᾶσιν ἀνθρώποις.’ καὶ εἰπὼν οἷά τις ἔνθους ἐπέρα σὺν ὁρμῇ, τὸ κοινὸν τόδε ἐπειπών: ‘ὁ κύβος ἀνερρίφθω.’ [7]
英訳 [35] Accordingly, he sent forward some centurions with a few of his bravest troops in peaceful garb to go inside the walls of Ariminum and take it by surprise. This was the first town in Italy after leaving Cisalpine Gaul.   Toward evening Cæsar himself rose from a banquet on a plea of indisposition, leaving some friends who were still feasting.   He mounted his chariot and drove toward Ariminum, his cavalry following at a short distance.   When his course brought him to the river Rubicon, which forms the boundary line of Italy, he stopped and, while gazing at the stream, revolved in his mind the evils that might result from his crossing it with arms.   Recovering himself he said to those who were present, "My friends, stopping here will be the beginning of sorrows for me; crossing over will be such for all mankind."   Thereupon, he crossed with a rush like one inspired, uttering the common phrase, "Let the die be cast."[8]
和訳 (前略)  彼(カエサル)の進路が、彼をイタリアの境界線を形づくるルビコン川に連れて行ったときに、彼は立ち止まり、流れを眺めている間に、軍隊とともに彼が渡河することが招くであろう不運に想いをめぐらせた。  我に帰ると、彼は眼前にいる者たちに告げた: 「我が友らよ、ここに留まることは、私にとっての悲嘆の始まりとなるであろう; 渡河することは、全人類にとってそのようになるであろう。」  そこで直ちに、鼓舞された者であるかのように、一般的な(よく使われる)決まり文句 「サイコロは、投げてしまおう」を発して、猛烈な勢いで渡河した。

アッピアノスが伝えたカエサルの言葉は、 ‘ὁ κύβος ἀνερρίφθω だが、語順が異なるだけで、プルタルコスが伝えたものと意味は同じである。 アッピアノスも、プルタルコスと同様に、アシニウス・ポッリオの史書から引用をしていると考えられる。

プルタルコスとアッピアノスの2人の史家が伝えていることから、カエサルがこのような言葉を発したことは、信憑性が高いとされている。

メナンドロスの喜劇 (アテナイオス『食卓の賢人たち』 より)[編集]

二人のギリシア人史家 プルタルコスとアッピアノスがカエサルの発言について言及したことを見て来たが、ところでカエサルはなぜギリシア語で「サイコロは、投げてしまおう」と言ったのであろうか。

実は、カエサルは、ギリシアの喜劇作家 メナンドロスΜένανδρος, Ménandros /mé.nan.dros/, 英 Menander ; BC 342/41年頃~290年頃) の作品を愛好していて、その台詞を口にしたと考えられている[9]。 メナンドロスの数多くの喜劇のほとんどは、失われて残っていない。

2~3世紀のエジプトに、ナウクラティスアテナイオスἈθήναιος Nαυκρατίτης , Athếnaios Naukratitês, /a.tʰɛː.nái̯.os/ → /a.θiˈnɛ.os/,/ˌæθəˈniːəs/, 英 Athenaeus, 仏 Athénée de Naucratis ; 生没年不詳) というギリシア人の著述家がいた。

このアテナイオスの 『食卓の賢人たち』 (Δειπνοσοφισταί, Deipnosophistaí, (デイプノソフィスタイ), 英 Deipnosophistae, 仏 Deipnosophistes) という風変わりな著作は、約800人もの多数の作家のギリシア語の著作から引用をしており、その中にメナンドロスの喜劇も引用されているのだ。 下の表に、該当する箇所のギリシア語・英訳・和訳を示す。

原文 英訳 和訳
Μένανδρος δ᾽ ἐν Ἀρρηφόρῳ ἢ Αὐλητρίδι: And Menander,
in his Woman carrying the Sacred Vessel of Minerva,
or the Female Flute-player, says—
メナンドロスは『アレポロス』(または『笛吹き女』)で、
   οὐ γαμεῖς, ἂν νοῦν ἔχῃς,
τοῦτον καταλείπων τὸν βίον.
γεγάμηκα γὰρ αὐτός::
διὰ τοῦτό σοι παραινῶ μὴ γαμεῖν.
A. You will not marry if you're in your senses
When you have left this life.
For I myself Did marry;
so I recommend you not to.
  もし正気なら、今のその生活を捨てて、結婚なんかするな。
俺自身が結婚していて、その俺が言うのだ。結婚するなってな。
β. δεδογμένον τὸ πρᾶγμ᾽  ἀνερρίφθω κύβος. B. The matter is decided—the die is cast.  もう話は決まっちまってるんだ。ま、賽を投げろ、だな。
α. πέραινε, σωθείης δέ: νῦν ἀληθινὸν
εἰς πέλαγος αὑτὸν ἐμβαλεῖς γὰρ πραγμάτων, οὐ Λιβυκὸν οὐδ᾽ Αἰγαῖον ... ,
οὗ τῶν τριάκοντ᾽ οὐκ ἀπόλλυται τρία πλοιάρια: γήμας δ᾽ οὐδὲ εἷς σέσωσθ᾽ ὅλως.
[10]
A. Go on then. I do wish you then well over it;
But you are taking arms, with no good reason,
Against a sea of troubles.
In the waves Of the deep Libyan or Aegean sea Scarce three of thirty ships are lost or wreck'd;
But scarcely one poor husband 'scapes at all.
[11]
 そうか。まあ、やってみろ。無事を祈るぞ。それにしてもな、おまえは今、正真正銘のごたごたの海に身を投じようとしているのだ。
十隻難破した船のうち、一隻は助かるという、リビュアの海やエーゲ海じゃない。結婚したやつは、まったく、一人も、助かってないんだぞ。


  (日本語訳は、
『食卓の賢人たち 5』 柳沼重剛訳、
  京都大学学術出版会 より引用。)

アテナイオスの引用によれば、肝心の部分は、次のようになっている。

  • β. δεδογμένον τὸ πρᾶγμ᾽  ἀνερρίφθω κύβος.
    • B. The matter is decided—the die is cast.
      •  もう話は決まっちまってるんだ。ま、賽を投げろ、だな。

※あるいは、「もう決めてしまったのだ。サイコロは投げてしまおう、と。[12] などと、訳されている。

メナンドロスはラテン文学の形成に大きな影響を与えた作家であり、このギリシア語の台詞の半句がローマ人たちの間で流行り言葉となっていたとも考えられる。 ルビコン川を渡るに際して、カエサルはその流行り言葉を言い放ったのであろう。

スエトニウスのラテン語訳[編集]

以上、見て来たことをまとめる。

  • カエサルは、元老院派と武力で対決するために 国法に違反してルビコン川を渡ることを決意して、彼自身が愛好していたメナンドロス (前4~3世紀) の喜劇の流行っていたと思われる台詞の半句
   Ἀνερρίφθω κύβος  「サイコロは、投げてしまおう」
を唱えながら、ルビコン川を渡った。 
  • カエサルの発言を、友人・側近だったアシニウス・ポッリオ (BC75~AD4年) が、後に著書の中に記したと考えられる。ポッリオの著書(現存せず)を参照している二人のギリシア人史家 プルタルコス (AD46年頃~120年頃) と アッピアノス (AD95頃~165年頃) が、カエサルの言葉に言及していることから判る。 彼らの言及は、アテナイオス (2~3世紀) が引用しているメナンドロスの喜劇の台詞とも合致する。


スエトニウスSuetonius ) の 『ローマ皇帝伝』 の 「カエサル伝」 32節(写本)では、ルビコン川を渡るときのカエサルの言葉は、ラテン語で
iacta ālea est   「サイコロは、投げられた」 

と伝えられている。これは誤訳されたラテン語(the mis-translated Latinであり、
動詞 sumの3人称・単数・現在・能動・直説法 est の代わりに、3人称・単数・未来・能動・命令法 estō を用いて

iacta ālea estō   「サイコロは、投げてしまえ」 

と訳す方が正しいという文法的な解釈もある [13]


スエトニウス [14] は、トラヤヌス帝やハドリアヌス帝に仕え、特に後者のもとでは皇帝側近の文書係(117~122年)の要職を務めていた。彼の著書 『ローマ皇帝伝』 は、この文書係のときに閲覧していた帝室文書類からの豊富な知識をもとにして書かれたといわれている。
スエトニウスは、帝室文書類から得ていた知識により、歴代皇帝についてスキャンダルや風説の類いも事細かく書き残している。 だが、スエトニウスは軍人や官吏であった割には 政治や軍事への理解が乏しく、該博な知識を持っていた割には 彼の『ローマ皇帝伝』は些末なエピソードの羅列に過ぎない、とも思われる。 スエトニウスは、同じ時代のタキトゥスやプルタルコスに比べて、歴史家としての資質を欠いていたという低い評価もある。

しかしながら、スエトニウスには伝記文学の書き手としてある種の才能があり ──特にゴシップ記事的な語り口は鋭く──、ギリシア・ローマの文化が衰退した古代末期から中世ヨーロッパ文化の形成においては、同時代の伝記作家プルタルコスよりもむしろ大きな影響を与えたことも確かなことである。 スエトニウスは、カエサルの「賽は投げられた」のほか、以下のような多くの名言をラテン語でヨーロッパに広めている。

  • カエサル
    • 「お前もか、息子よ」 (καὶ σὺ, τέκνον
  • アウグストゥス



(編集中)

脚注[編集]

  1. ^ プルタルコス「カエサル伝」のギリシア語テキストは、Plutarch, Caesar, chapter 32, section 6 による。
  2. ^ プルタルコス「カエサル伝」の英訳テキストは、Plutarch, Caesar, chapter 32, section 6 による。
  3. ^ ちくま学芸文庫 『プルタルコス英雄伝 下』 より、長谷川博隆訳「カエサル」33(p.219)を参照。
  4. ^ マティアス・ゲルツァー 『ローマ政治家伝 Ⅰ カエサル』 長谷川博隆訳、名古屋大学出版会 のp.160-161を参照。
  5. ^ プルタルコス「ポンペイウス伝」のギリシア語テキストは、Plutarch, Pompey, chapter 60, section 2 による。
  6. ^ プルタルコス「ポンペイウス伝」の英訳テキストは、Plutarch, Pompey, chapter 60, section 2 による。
  7. ^ アッピアノス「内乱記」のギリシア語テキストは、 Appian, The Civil Wars, Book 2, chapter 5, section 35 による。
  8. ^ アッピアノス「内乱記」の英訳テキストは、 Appian, The Civil Wars, BOOK II, CHAPTER V, section 35 による。
  9. ^ マティアス・ゲルツァー 『ローマ政治家伝 Ⅰ カエサル』 長谷川博隆訳、名古屋大学出版会 のp.160-161などを参照。
  10. ^ アテナイオス「食卓の賢人たち」のギリシア語訳は、 Athenaeus, The Deipnosophists, book 13, chapter 8 による。
  11. ^ アテナイオス「食卓の賢人たち」の英訳は、 Athenaeus, The Deipnosophists, Book XIII., chapter 8 による。
  12. ^ マティアス・ゲルツァー 『ローマ政治家伝 Ⅰ カエサル』 長谷川博隆訳、名古屋大学出版会 のp.330-331などを参照。
  13. ^ w:en:Menander#Famous quotations などを参照
  14. ^ スエトニウスについては、『増補改訂 新潮世界文学辞典』(新潮社)の「スエートーニウス」の項などを参照した。

参考文献[編集]

関連記事[編集]

外部リンク[編集]

ギリシア語・英訳テキスト[編集]