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過失犯

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過失犯の処罰根拠

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刑法第38条1項は「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」とする。つまり、刑法では故意犯の処罰が前提であり、過失犯が処罰されるのは法律に特に規定された場合に限るとされる。

故意犯が過失犯よりも重く処罰されるのは、故意犯においては犯罪事実を表象・認容した結果、行為者は規範の問題に直面しており、あえて規範を乗り越えて実行行為に至っている点が非難に値するからである。これに対し過失犯の処罰根拠は、もっぱら法益侵害結果の発生に求められる。ただし、不可抗力によるものまで処罰することはできないから、何らかの行為者の主観的要素が介在することが過失犯の処罰には不可欠となる。

過失論の変遷

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旧過失論(伝統的過失論)

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法益が侵害されたことにより可罰性は生じる。ただし、近代意思主義の観点から、行為者に対して何らかの主観的な非難可能性は求められ、それが、心理的な空白状態である過失とされた。
過失は構成要件から一貫する責任形式であり、精神を緊張して結果の発生を予見すべき注意を書いた心理状態を言う。
当罰性の根拠理由は、精神を緊張すれば結果の発生を予見できたのに注意を怠ったため予見できず結果を発生させてしまったところ、すなわち結果の発生の予見できるように精神を集中させるべき注意を欠いた内心の心理状態(注意義務違反・予見義務違反)が過失の核になる。したがって、行為と結果の間の因果関係が肯定され(構成要件該当性・違法性)、かつ行為時に精神を緊張させれば、結果発生を予見できることが期待できる(責任)場合であれば、過失犯が成立することとなる。
本論によると、過失犯を成立させるには、行為当時の主観を証明する必要があり、立証が比較的難しい傾向があった。

新過失論

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昭和30年代頃から、伝統的過失論は理論・実務の両面から批判されることとなり、現在においては本論が通説の位置にある。。

誕生の経緯

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  1. 理論的な進展は、1930年代から1950年代のドイツ刑法学の影響がある。
    1. カール・エンギッシュは注意義務違反を以下の構成に分析した。
      • 外部的注意義務
        以下の3種の義務から構成される。
        1. 危険な事態に立ち入らないようにする不作為の義務(結果発生回避義務)
        2. 危険な事態のもとで結果の発生を防止するために適切に処置を取る作為の義務(結果発生防止義務)
        3. 危険であるかどうかを判断するための資料を集める義務(情報収集義務)
      • 内部的注意義務
        結果の発生の有無に関心を持つ義務
      過失犯が、発生した場合、その各々の義務を果たすのに、行為者がいかに行動したかが非難の基準となる。
    2. ハンス・ヴェルツェルは、これをさらに目的的行為論との関係で発展させた。
      目的的行為論においては、人間の行為は全て目的的だとするのであるが、これに対しては過失行為は目的的ではないのではないかと言う批判が加えられた。ベルツェルは、この批判に対して確かに、速度規制を破り自動車事故で故意なく人を死に至らしめた場合、その行為は「人の死」を目的等はしていないが、例えば「制限速度内で走行する」と言う事は意識内容になっており、その意味でこの行為も目的的だと言えるとする。そして過失犯の場合も、この目的的な行為(制限速度を遵守しない)が反規範的であるところに、その構成要件該当性及び違法性があるのであって、「死」と言う結果の発生の有無は、過失犯の本質的な要素ではなく、ただ処罰の範囲を明確にするために、「死」の発生を条件として処罰に過ぎないとする。すなわち過失は行為無価値を処罰するものであって、結果無価値を処罰するものではないと言うことになる[1]
      すなわち、行為無価値論から、過失犯の違法性は法益侵害に尽きるものではなく、客観的注意義務に違反した法益侵害である、すなわち構成要件要素ないし、違法要素としての過失であるとする。
    どのような行為が過失の構成要件に該当する行為であるかが論点となりうる。端的には、注意深い人ならば、その状況の下でするであろう行為(基準行為)をしないことである。それが具体的にどのような行為であるかは、個々の事件について、判断するほかは無い。交通事件では、交通法規に違反したかどうかが、重要な判断資料になるが、決定的なものではない。交通放棄に違反してはいないが、基準行為に違反していると言う場合もあるし、交通法規には反しているが、基準行為には反していないと言うこともある。このように、何が過失犯の構成要件的行為であるかは、刑法に明文で規定されていないので、過失犯は「記述されざる構成要件要素」「開かれた構成要件要素」であると言うことになる[1]
  2. これらの、ドイツ発の刑法学上の理論が広く展開された背景に、昭和30年代に入って、モータリゼーションの急拡大を受けた交通事犯の急増があり、従来の伝統的過失理論では処理しきれなくなってきたということがある。

内容

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新過失論は通説化したので詳細は「過失の要件」の節に譲るが、新過失論における、過失犯の要件は、「故意の不存在」と「客観的注意義務違反(具体的な結果、回避義務違反、予見義務違反)」であり、特に後者が強調される。さらに、責任要素として「主観的注意義務違反(結果の発生に対する関心の低さ)」により成立する。

新々過失論

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その後、公害訴訟事件などを契機に、結果の予見を求めるのが困難な事例が見られ出した。それに呼応して、藤木英雄が、新々過失論(危惧感説)を提唱した。
すなわち、新過失論においても結果予見義務と結果、回避義務とのどちらを重視すべきかという問題はあり、結果回避勤務に主眼を置く立場が有力となりつつはあったが、藤木はその極端なものとして注意義務の前提としての予見可能性としては、単に結果発生についての危惧感が認められれば足りるとしたものである。このような考え方は、公害事件や薬害事件のような未知の分野について、広く過失犯の責任を問うべきであるという動きとともに提唱されたものであるが、これは、結果的に予見可能性の要件を否定することになり、責任主義に反するとの批判があり、現在では支持されていない。

過失の要件

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結果発生の表象・認容の不存在

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過失犯が故意犯と区別されるのは、結果発生の表象・認容の有無による。
結果発生を表象・認容していれば故意犯が成立しており過失犯を論ずる要はなく、表象・認容を欠いている場合が過失犯となる。なお、犯罪事実の表象はあるが、認容を欠如している場合は、やはり過失犯であって、これを認識ある過失と呼ぶ。

予見可能性

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過失犯の前提として少なくとも予見可能性を要求する点で争いはない。ただ、予見可能性の点で、具体的な予見可能性までを要求するか、漠然とした危惧感・不安感で足りるか(危惧感説)は争いがある。
また、予見可能性の位置づけは旧過失論と新過失論で大きく異なる。旧過失論においては、予見義務こそが過失犯の中心概念である。これに対し新過失論は、過失犯の実行行為は結果回避義務違反であり、その前提として予見可能性を要求する。

予見の対象と程度

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判例

監督過失

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判例

許された危険

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今日の文明社会にとって、交通、生産活動、医療等といった生活を維持していく上で不可欠な行為は、それが法益侵害の危険を伴うものでも、一定範囲では危険を犯すことが法的に許されるとする原則。
このような社会的に有益不可欠である行為から生じた事故についての過失責任の不存在を特に行為無価値性を欠くことから、違法性がない旨を論証する根拠として登場した。
信頼の原則
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許された危険の法理の具体的な一応用場面と理解される。行為者がある行為をする際、他人の適切な行動を信頼するのが相当であれば、たとえその他人の不適切な行動により結果が発生したとしても、それに対しては責任を問われない原則を言う。
一方で、製薬会社に対する消費者のように、相手方に十分に適切な行動を望むのが困難な場合もあり、適用が回避される局面もある。
判例
適用例
  • 最高裁判決昭和41年6月14日
  • 最高裁判決昭和41年12月20日
    自動車運転者に交通法規を無視して自車の前面を突破しようとする車両のありうることまで予想すべき注意義務がないとされた事例
    交通整理の行なわれていない交差点において、右折の途中に車道中央付近で一時エンジンの停止を起こした自動車が、再び始動して時速約5kmの低速で発車進行しようとする際、自動車運転者としては、特別な事情のないかぎり、右側方からくる他の車両が交通法規を守り自車との衝突を回避するため適切な行動に出ることを信頼して運転すれば足り、あえて交通法規に違反し、自車の前面を突破しようとする車両のありうることまでも予想して右側方に対する安全を確認し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である。
  • 最高裁決定昭和45年7月28日
行為者の法令違反と信頼の原則

結果回避義務違反

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旧過失論によれば、過失犯は不作為犯であると位置づけられる。
新過失論では、過失犯は作為犯であり、その実行行為の内容は結果回避義務違反であると捉える。

その他論点

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重過失・業務上過失

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過失犯の共犯

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脚注

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  1. ^ 1.0 1.1 平野龍一 『刑法 総論I』 有斐閣、1972年、192-193頁。ISBN 9784641040182
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