コンテンツにスキップ

量子力学/量子力学の発展

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
メインページ > 自然科学 > 物理学 > 量子力学 > 量子力学/量子力学の発展

量子論に関わる歴史的な事柄について整理しましょう(一般の物理学や自然科学の歴史については物理学自然科学を参照)。

1843年からジェームズ・プレスコット・ジュールらによって断続的に熱の仕事当量の測定が行われ、特に1849年に発表された実験結果は信頼できる測定と見なされ、熱力学におけるエネルギー保存の法則の実験的な基礎が確立されました。1850年から1865年にかけて、ルドルフ・クラウジウスによって熱力学の理論体系が作られ、熱力学の第一法則および第二法則が完全な形で示されました。1864年にジェームズ・クラーク・マクスウェルによって電磁気学が完成しました(マクスウェルの理論はマイケル・ファラデーらが示した (field) を定式化するものであり、場の古典論 (classical field theory) の一つとして知られています)。同じ頃、ルートヴィッヒ・ボルツマンによって古典力学に基づいた統計力学に関する基礎的な仕事がなされ、1872年には有名なボルツマンの公式が示されました。1887年頃にはハインリッヒ・ヘルツによってマクスウェルの理論の正当性が実験的に示され、光が電磁波の一種であることが明らかとなりました。これらの19世紀における発見によって、古典物理学の理論的基礎が完成しました。

19世紀においてはハインリッヒ・ヘルツによって発見された光電効果や、低温の物質に対するデュロン=プティの法則の破れについてそれらの原因は明らかではありませんでした。それでも何かしらの古典論的なメカニズムによってそれらの現象が説明できると素朴に思われていました。事情が異なりはじめたのは1900年12月のころ、マックス・プランク自身の導いた放射公式量子仮説 (quantum postulate) を導入することで再導出したことによると考えてよいでしょう。この時点で、プランク自身によっては量子仮説の考えは発展させられず、古典論的解釈をするに留められましたが、1905年に示されたアルベルト・アインシュタイン光量子仮説 (light quantum hypothesis) や、1913年にニールス・ボーアによって示されたボーアの原子モデル (Bohr's atomic model) はその後の量子論の進展に大きく寄与しました。特に、ボーアの理論はアルノルト・ゾンマーフェルトによって発展され、角運動量の量子化とパウリの排他原理、そしてスピン角運動量の発見に繋がりました。

アインシュタインの光量子仮説と特殊相対論から発展して、1924年にルイ・ド・ブロイ物質波の概念に到達し、それを発展させる形でエルヴィン・シュレーディンガーは1926年にシュレーディンガー方程式を導きました。 一方、ボーアの定常状態を基礎に置く理論はヴェルナー・ハイゼンベルクによって発展され、1925年には行列形式の量子力学が完成しました。ハイゼンベルクの理論は物理量を非可換な行列に置き換えるもので、この物理量の非可換性によって、物理量は必ずしも同時決定可能ではなく、同時決定可能でない物理量の間にはそれらの交換関係によって決まる不確定性関係 (uncertainty relation) が生じることが次第に認識されるようになりました。物理量の非可換性はシュレーディンガーの理論においても同様に成り立ち、両者の理論は等価です(このことはシュレーディンガー自身よって最初に明らかにされました)。この不確定性は被測定系に対する測定器系の相互作用が量子力学において無視できないことを示しています。

前期量子論の意義

[編集]
図1. 電磁波は波動である

先に述べた通り、古典的な電磁気理論はマクスウェルによって完成されました。古典電磁気学の基本方程式はマクスウェル方程式と呼ばれる一組の方程式であり、この方程式から、電磁場の源となる電荷や電流が存在しない空間において、マクスウェル方程式は電場磁場に関する波動方程式となり、電磁場の変形が横波として伝播していくことが導かれます。この空間を伝わる電磁場の振動は電磁波と呼ばれます。ハインリヒ・ヘルツによる電磁波の発見は無線通信への道を拓き、グリエルモ・マルコーニらによって無線通信技術が確立されて行きました。

光学現象を電磁気現象として説明することが可能となるなど、マクスウェルの電磁気理論は多くの成功を収めましたが、一方でその理論形式がニュートン力学で成り立つガリレイ変換に対する不変性を持たないことが問題となりました。マクスウェルの理論と整合する力学理論の追求は19世紀末からジョージ・フィッツジェラルドヘンドリック・ローレンツらによってなされ、最終的な物理的解釈とその基礎付けは1905年にアインシュタインによってなされ、今日この理論は特殊相対性理論としてして知られています。

また、古典電磁気学において、電磁場は流体に喩えられるように時間的・空間的に連続に存在するものと考えられていますが、そのように考えるとうまく説明できないような現象が次第に認識されるようになってきました。最も有名なものとして、黒体放射光電効果が挙げられます。これらの現象は、電磁場を量子化する、つまり離散的な対象として捉え直すことで説明されます。電磁場を量子化するという最初のアイデアは1905年にアインシュタインによって得られました。アインシュタインは同時に、光電効果が量子化された電磁場を導入することによって説明できることを示しています。 このように熱放射と光電効果に関する発見は基礎理論の発展に大きな影響を及ぼしたのですが、応用面でも、黒体放射の理論は熱放射の色から物体の温度を推定することなどに利用され、光電効果の理論は、物質の構成元素の分析や、太陽電池のような光起電力効果を利用した装置などに利用されるなどの点で大きな役割を果たしています。

  • 黒体放射の発見(キルヒホッフによる溶鉱炉の研究から)
  • 光電効果の発見(ヘルツによる電磁波の観測実験から)
  • 荷電粒子によって原子が構成されているという発見(原子モデルの議論)
  • 物質波の発見(光電効果におけるアインシュタインの考察に発想を得てド・ブロイが考案)

物理学者はいかにしてこれらの発見を説明しようとしたのか? 説明の過程で何が古典力学と矛盾したのか? それらを吟味し、あるいは新たな観点に立って説明を与えることによって、量子力学の重要な概念が浮かび上がります。 以上に挙げた例は、ボーアやハイゼンベルク、ジョン・フォン・ノイマンポール・ディラックらによって理論的・数学的に整備される以前の量子論で主に取り扱われたものであり、以下に述べることは理論形成の過渡期における量子論が主となります。この過渡期の理論は前期量子論 (old quantum theory) と呼ばれています。読者によっては、古い不完全な理論を扱うことに興味が持てないということもあるでしょうが、量子力学の理論がどのように古典論と繋がっているかを考える上で、前期量子論の時代やそれ以前に提起された問題とその解決法を学ぶことは大いに重要であり、また量子力学的な直感を作る上でこれらの概念が非常に大切であることを強調しておきます。

黒体放射

[編集]
図2. 19世紀の製鉄の様子と、高炉の図(高炉は空洞放射と近似できる)

黒体 (black body) とは、外部から入射する熱放射をあらゆる波長に渡って完全に吸収し、また放出できる物体を理想化したものです。現実の物体で黒体として振る舞うものは存在しませんが、ブラックホールのように近似的に黒体と見なせるものは存在します。

黒体のような物体をそっくり用意することは容易ではありませんが、擬似的に黒体と見なせる装置を作ることは可能です。十分な大きさの空洞を持つ箱に、空洞の大きさより遥かに小さな穴を開けたものを用意します。空洞を囲む壁は光を含む一切の電磁波を遮断し、空洞の穴の有無によって空洞内部の熱力学的な状態は変化しないものとすれば、外部から穴を通して入った電磁波が、空洞内部を反射し再び穴を通って外部へ出てくることは、穴が十分に小さければ無視することができるので、この空洞は、外部から入射する電磁波を(ほぼ)完全に吸収する黒体とみなすことができます。

理想的な黒体放射を現実にもっとも再現するとされる空洞放射が温度のみに依存するという法則は、グスタフ・キルヒホフにより1859年に発見されました。実際には、キルヒホフは鉄を精製するための高炉の研究を行っていました(図2)。以来、空洞放射のスペクトルを説明する理論が研究されました。当初の研究のモチベーションは、単に放射の色から高炉内の温度を検知したいというものでしたが、19世紀も終わりに近づくと、電磁波がどのように伝達するのか、それが微視的にみればどのような現象に相当するのかという統計力学的な問題に発展しました。熱放射に関する完全な法則が見出されたのは1899年から1900年にかけてのことで、この頃にマックス・プランクによってプランクの法則が発見されています。プランクの法則が発見されて以来、プランクの法則の理論的基礎付けが様々に試みられ、特に電磁場の量子論に関する発展に寄与しました。

各温度における黒体輻射のエネルギー密度の波長ごとのスペクトル

プランク以前の状況について、まず、1893年ヴィルヘルム・ヴィーンによってヴィーンの変位則が発見されました。ヴィーンは熱放射のエネルギーを測定するためにボロメータを用いました。ボロメータは天文学者のサミュエル・ラングレーが発明した放射温度計で、熱放射のエネルギーを受ける吸収体と吸収体に対する温度計部分で構成され、熱放射による吸収体の温度変化を測温抵抗体の抵抗値の変化として検知する機構を持ちます。ラングレーの用いたタイプのボロメータでは、抵抗値の変化を測定するためにホイートストンブリッジが用いられ、ホイートストンブリッジの可変抵抗として用いる測温抵抗体には、白金が用いられました。この当時のボロメーターの精度の例として、温度が 10−5 [K] 上昇すると、抵抗値の変化率の 3×10−8 を読み取れるという高精度であったと言います[1]

また、光の波長測定には回折格子が用いられました。当時、回折格子はヘンリー・ローランドによって開発されて間もないもので、高精度の測定に用いられました。そして温度の測定にはヴィーンは熱電対を用いて、測定を行いました。ヴィーンが用いた熱電対の材質は、白金-白金ロジウム合金の熱電対であるといいます。[2]

ヴィーンはまず、空洞放射のエネルギースペクトルのピーク波長が温度に反比例することを実験によって確かめ、その後、熱力学的な考察によって得られた法則が黒体放射について普遍的に成り立つことを示しました。

ここで は黒体のケルビン温度の値、 はピーク波長です。 同じく1893年にヴィーンは黒体放射のエネルギー密度のスペクトル が満たすべき関数形を求め、

その条件を満たすものとして1896年にヴィーンの放射法則を導きました。ここで は光の振動数です。

このヴィーンの放射法則は、振動数の大きい領域、言い換えれば波長が短い領域では実験と良く一致しますが、振動数が小さく波長が長い領域では実験結果とズレが生じるという問題がありました。

一方、レイリー=ジーンズの法則が、レイリー卿によって1900年に最初に発表されました。その後、1905年にジェームズ・ジーンズが係数に誤りがあることを指摘しています。それとは独立に、1905年にアインシュタインによっても同様の法則が示されています。レイリー=ジーンズの法則は、黒体から放射される電磁波のうち、波長が から の間にある電磁波のエネルギー密度を とすると、

と表されます。ここで 熱力学温度ボルツマン定数です。

レイリー=ジーンズの法則は、

という2つの古典物理学的な仮定から導出されます。上式は波長が長い領域では実験と良く一致しますが、波長が短くなればなるほど実験結果とズレが大きくなり、放射の全エネルギー密度

が発散してしまうという問題がありました。このことは、黒体放射の問題に対して古典物理学が破綻することを端的に示しています。

レイリー卿の報告と同時期に、プランクは放射の波長領域で実験結果に合致する分布則を導き出しました。プランクはヴィーンの放射法則を元に、長波長領域で実験結果に合うような関数形を模索し、次のプランクの公式

を得ました。ここで はプランク定数、 は真空中の光速です。この式は、長波長の領域と高温領域においてレイリー=ジーンズの式に漸近し、放射の全エネルギー密度も有限の値になります。

プランクは黒体放射におけるプランク分布について、黒体が電磁波を放出する際に黒体に含まれる振動子のエネルギーが量子化されていることを仮定すれば、プランク分布が得られることを示しました。プランクの法則が成り立つためには、振動子が持つエネルギー は振動子の振動数 の整数倍に比例しなければならないという量子条件が要求されます。

この比例定数 は、後にプランク定数 (Planck constant) と呼ばれ、物理学における基本定数と見なされるようになりました。


プランクの法則 と 光電効果 との関係

プランクがこの式を導いた段階では、プランク定数 の値は熱放射の実験などの実験データによって値を決定できることに注目してください。けっしてプランクは光電効果の理論によって値を導いたのではないのです。(光電効果について知らなければ、次の節『光電効果』を先にお読みください。)

高校では光電効果の式でプランク定数にならいますが、実際の歴史では順序が逆で、次の節で後述するように、アインシュタインが、プランクの考えを参考にして、光電効果にアインシュタイン流の量子仮説を適用し、アインシュタインのアイデアを参考にミリカンが実験式にある比例係数を確かめ、光電効果の比例係数がプランク定数に近い値であることを確かめたのです。


光電効果

[編集]

ハインリヒ・ヘルツはすでに述べた電磁波を発生させる実験の中で、紫外線を照射することで帯電した物体が電荷を容易に失う現象を発見しました。これは後に光電効果 (photoelectric effect) と呼ばれた現象です。ヘルツの発見から直ぐに光電効果に関する様々な実験が行われ、1902年にはフィリップ・レーナルトによって、光の振動数と強度に関する振る舞いが報告されました。 レーナルトの実験から、実際には電子の速度は変わらず、物体から放出される電子の数が多くなることや、個々の電子の速度を左右するのは光の振動数であり、振動数の大きな光ほど飛び出す電子の速度は大きく、逆にある振動数を下回る光に対しては電子が飛び出さないこと、また光電効果が観測される振動数の光に対しては強度が弱い場合でも電子の放出が起こることも分かりました。 これらの現象を従来の光の波動論によって説明することには困難が伴います。光を波として考えた場合、物質中の電子が連続的な光のエネルギーを吸収して物質の外へ飛び出るためのエネルギーを得るためには、ある程度の時間を要すると考えられますが、レーナルトの結果によれば、微弱な光に対しても光電効果は即座に観測されます。また、光電効果で放出される電子の速度は光の振動数のみに依存することも、照射する光の強度が大きいほど電子に与えられるエネルギーが大きく、飛び出る電子の速度も大きくなるという直感的な予想に反するものです。

光電効果の理論的説明は、1905年にアインシュタインが光量子仮説によって提唱しました。光が光子の集まりであることを仮定すれば、光と電子の相互作用は光子という単位で行われることになり、光子 1 個が持つエネルギー はプランク定数と光の振動数の積 に等しい

ことから、電子が得る運動エネルギーが光の振動数に依存することが理解できます。一定の振動数に満たない光について、電子が放出されないことについては、物質の内部と外部との間に物質表面を境にして、ポテンシャルエネルギーによる壁が存在することから説明できます。物質中の電子がこの壁を乗り越えるには、ある一定のエネルギーを得なければならないのですが、そのエネルギーを与えるために必要な振動数は、物質内外のポテンシャルエネルギーの差をプランク定数で割ったものでなければならないと、光量子仮説はしています。つまり、光電効果によって放出される電子のエネルギー と光の振動数 との間には以下の様な関係が成り立ちます。

ここで 仕事関数 (work function) と呼ばれ、電子の放出に必要な最低限のエネルギーを表します。この関係を グラフに表せば、直線の傾きからプランク定数を、直線が の軸と交わる点から電子の放出が起こる振動数を得られることになります。

そして、ロバート・ミリカンにより、ナトリウム板にさまざまな波長の光を当てる実験により、実際に実験値がこの式によく合うことが確認され、また、プランク定数の値も、熱放射とは無関係に、値が求まりました。

こうして、熱放射の実験と、光電効果の実験という、別々の実験で、同じプランク定数の値が実験結果をもとに求まりました。

ミリカンの実験によって直接的に証明されたことは、光電効果のエネルギーと波長の関係式の比例係数がプランク定数であるということです。物理学では、ついでに、アインシュタインの光量子仮説も正しいと証明されたとしており、アインシュタインの光量子仮説が定説になっています。

原子モデルと放射スペクトル

[編集]

ここで再び1900年代初頭に戻ると、その時期には既に分子や原子の存在が理論的に予想され、分子はいくつかの原子の組み合わせで出来ていて、また原子も何らかの素粒子の組み合わせで出来ていると考えられていました。アーネスト・ラザフォードの指示の下、ハンス・ガイガーアーネスト・マースデンらによって行われたアルファ粒子の散乱実験の結果を得て、ラザフォードはアルファ粒子の散乱モデルを考え、正の電荷を持つ小さな核が原子質量の大部分を担い、負の電荷を持つ電子原子核の周りを運動するというラザフォードの原子モデルを提案しました。この発表の後に原子核が正の電荷を持ち、電子が負の電荷を持つことが実験的に明らかにされ、また水素やヘリウムが持つ電子の個数がボーアによって実験的に推定されています。ラザフォードの原子モデルの提案により、元素周期表原子番号と原子核の電荷との関連性が追求されるようになり、このことはボーアの原子モデルの発見のモチベーションの一つとなりました。

上述のラザフォードの原子モデルは、散乱実験の結果に支持されるものでしたが、理論的には 2 つの大きな難点を持っていました。 1 つは電磁力学的に非常に不安定なことです。運動する電子は電荷を持っているため周りの電磁場と相互作用をし、電子の運動に加速度が生じると、電子は電磁波を放出してそのエネルギーと運動量を失います。ラザフォードのモデルにこの電磁気学と力学の理論を適用するなら、電子は自身が持つエネルギーを次第に失って最終的に原子核へ衝突してしまうことになります(電磁気学III、および双極放射を参照)。この不安定性の問題はラザフォードのモデルに限ったものではなく、ラザフォードが原子モデルを得る以前からよく知られていましたが、ラザフォードの原子モデルの場合にはその不安定さが特に厳しく、明らかに現実的なものではありませんでした(ラザフォードのモデルにおいて電子が原子核にぶつかるまでの時間は 10−10 秒程度であり、現実の原子の寿命とは比較にならないほど短い時間であることが知られています)。

2つ目は運動の自由度の問題です。古典力学において、電子が取り得る運動エネルギーには連続的な自由度があり、エネルギー保存則の他には何の制約も加えられません(古典力学を参照)。したがって、適当なラザフォードの原子をいくつか取り出したとき、それらを構成する電子はそれぞれ勝手な速度で運動していることになります。 しかし、実験的には電子のエネルギーは離散的な定まった値しか取れないことが知られていました。これはある原子に対して電気的なエネルギーを与え、電子に より高いエネルギーを与えて、その際に電子が放射する光のエネルギーを測定することで行なわれました(実験の詳細についてはバルマー系列ライマン系列などを参照)。

実験によって得られる様々なスペクトルの系列について、いくつかの経験的な法則が与えられ、それらは最終的にヨハネス・リュードベリヴァルター・リッツによって一般的な法則にまとめられました。リュードベリ=リッツの結合原理として知られるその法則は、原子から放射される光の振動数 について、ある正の整数の組 と整数に対する関数 を用いて以下のような関係が成り立つことを示します。

この関係が結合原理と呼ばれることは、上の式を異なる振動数の間の関係に置き換えることで明らかとなります。

特に、水素原子のスペクトルについては振動数は、

という関係が成り立ち、このとき関数

という簡単な形になります。ここで比例係数 および はそれぞれ真空中の光速リュードベリ定数 (Rydberg constant) と呼ばれる物理定数です。光の振動数は、光が持つエネルギーと関係があり、プランク定数 を用いることで、振動数の方程式はエネルギーに関する方程式に置き換えられます。アインシュタインの光量子仮説によれば、光子 1 つが持つエネルギーは

となるので、結合法則は

と書き直すことができます。原子に束縛された電子が高いエネルギー状態から低いエネルギー状態へ遷移する際に、電子が失うエネルギーに等しいエネルギーを持つ光子が 1 個だけ放出されることを仮定すれば、結合原理から関数 は、束縛電子が持つエネルギーに対応することが分かります。

従って、水素原子核の周りを運動する束縛電子が持つエネルギーは、

と表されることになります。 は正の整数に限られるため、このことは原子核に束縛された電子が持ち得るエネルギーが離散的になることを示します。また、特に電子のエネルギーは最小値を持つため、古典力学的なラザフォード・モデルと異なり、この原子が安定に存在し得ることを示しています。

同様の関係は、古典論における振動の問題に見出すことができます。両端が固定された細い弦の振動、たとえばギターの弦やピアノ線のようなものの振動を考えると、弦の振動として安定に存在できるものは、弦の固定点に節をつくり弦の長さを等分割するような波長のものに限られます。弦の 2 つの固定点の間を結ぶ弦の長さを とすれば、定常的に振動できる波長は

であることが分かります。このとき、それぞれの振動モード に対応する定常波が持つエネルギー分布もまた離散的になり 、 倍振動の全エネルギー に比例することが知られています[3]。後述する話題になりますが、量子力学でも「井戸型ポテンシャル」という境界条件を当たえられた場合のエネルギーは に比例します。このように、何らかの境界条件に束縛された電子のエネルギー状態について、ある種の境界条件に従う波動や振動との類似性を見出すことができます。

原子の束縛電子のエネルギーが離散的でなければならないことについて、大きく2つが考えられます。1つは先に述べたように古典的な波動の定常状態からの類推によって、何らかの場が作る波として解釈する方法で、もう1つの方法は、離散的な振る舞いを本質的なものとして受け入れ、可能な定常状態の系列とそれらの状態間の遷移則を主として扱う方法です。前者は初めに述べたように、シュレーディンガーの波動力学へと向かう考えで、後者はボーアやハイゼンベルクらが扱った前期量子論や行列力学へと向かう考えです。

[例題]
(a)

質量 、電荷 の電子が電荷 の原子核の周りを円運動している(ただし 電気素量であり、原子核の質量は電子質量 に比べて充分大きく、静止していると見なせるものとする。水素原子核の質量は電子質量のおよそ 1800 倍だから、この仮定はもっともらしい)。この運動する電子が持つ全エネルギーを求めよ。

[解]

2 つの電荷の間に働くクーロン力の大きさは電荷の距離 に対して

と書ける。円運動する電子に対しては、このクーロン力に等しい遠心力が加わっていると考えることができるので、

という関係が成り立つ。両辺に電子軌道の半径 を掛ければ、電子の運動エネルギー であることと組み合わせて、

という関係が得られる。ここで はクーロン力に関するポテンシャルエネルギーである。従って、電子が持つ全エネルギーは、

または

となる。これらの関係はビリアル定理 (virial theorem) の特別な場合に当たる。

(b)

前問で求めた電子のエネルギーと電子の角運動量の大きさ の間に成り立つ関係を導け。

[解]

全エネルギーとポテンシャルエネルギーの関係より、

また全エネルギーとポテンシャルエネルギーの関係より、半径 をエネルギー で置き換えれば、

となる。これを整理すれば以下の関係を得る。

(c)

先に述べた水素原子に束縛された電子のエネルギースペクトル から、それぞれのエネルギー準位に対応する角運動量 を求めよ。また、ほとんど束縛されていない電子について、電子の公転周期が電磁波の振動周期と一致することを要請し、リュードベリ定数 を求めよ。

[解]

電子のエネルギーは、

となる必要があるから、(b) の結果を使えば、角運動量は

という関係を満たす。一方で、ポテンシャルエネルギーと全エネルギーの関係から電子の公転軌道の半径は、

また、速度は

となる。これらの関係について、充分大きな整数 に対して古典力学の結果に一致することを要求すれば、このとき電子の公転周期と放射される電磁波の振動周期が一致する(このような古典論との対応に関する要請を対応原理という)。従って、電子の公転周期

および、電磁波の振動周期

が等しいことから、 の係数を比較すれば、

を得る。この関係を角運動量の式に適用すれば、

という角運動量に関する量子条件が得られる。またこのときリュードベリ定数 は、

となる。

(d)

のエネルギー準位に対応する電子の軌道半径 ボーア半径 (Bohr radius) と呼ばれる。リュードベリ定数 を含まない形でボーア半径を表わせ。

[解]

および

から以下の関係を得る。

ボーア半径は水素原子核に束縛された電子軌道の中で最も原子核に近い軌道の半径に対応し、原子のスケールを特徴づける定数である。

波動力学

[編集]

この節は書きかけです。この節を編集してくれる方を心からお待ちしています。

ボーアによって導入されたラザフォード原子の量子力学的なモデルは、原子核近傍の電子の様子をよく記述できることが分かりました。しかし、束縛電子のエネルギー準位および角運動量に対して導入された整数 が何を表しているかは明らかではありませんでしたし、定常状態における電子が異なる半径の軌道へ「跳躍」する過程についても、ボーアの理論は対応原理を除けば満足の行く説明もできませんでした。

ボーア理論における量子条件の物理的な意味は、やがて別の研究から明らかにされることとなります。ド・ブロイやシュレーディンガーらは光の粒子性と波動性を通常の物質について適用することを考え、物質の運動を物質場の波として記述する方法に辿り着きました。この物質波によって、量子論における離散性は物質波が定常状態になることによって引き出されるという物理的解釈が与えられ、明らかに定常状態でないような状態についても同じ形式で取り扱うことが可能となりました。シュレーディンガーによって与えられた、物質波の運動方程式をシュレーディンガー方程式 (Schrödinger equation) といいます。またシュレーディンガー方程式の解として与えられる複素関数波動関数 (wave function) と呼びます。波動関数は元々、物質の分布そのものを表すと考えられていましたが、後に測定に関する系の統計的・情報理論的な性質を表すものと読み替えられるようになりました。

脚注

[編集]
  1. ^ なお、現在でも白金は電気抵抗式の測温素子としてよく用いられています。また、ホイートストンブリッジもアナログ電気式の測定器で精度を得るための手法として用いられています。ホイートストーンブリッジと測温素子の組み合わせた温度測定器や放射エネルギー測定器などもまた、現在でもよく利用されています。
  2. ^ 『20世紀の物理学』, p.25, 第1章『1900年当時の物理学』。
  3. ^ 後藤憲一ほか『基礎物理学演習』共立出版、1998年発行、初版、p.64の類題 54.1 およびp.196での解答。

参考文献

[編集]

量子力学の歴史に関する記述は以下を参考にした。

ローゼンフェルト, L.; 江沢, 洋. 日本評論社,『ボーア革命』, (2015-1-25).

ボーアが自身の原子モデルを発見する過程が詳しく解説されている。

高林, 武彦. 筑摩書房,『量子論の発展史』, (2010-10-10).

量子論の黎明期から場の量子論が形成されるまでの全体的な歴史が描かれている。

江沢, 洋. 裳華房,『量子力学 I』, (2002-4-15).

量子力学の入門的な教科書。少ない紙数の中で量子力学の歴史や実験の設定に関する記述について多く語られている。前半は前期量子論について、後半は量子力学の一般論とシュレーディンガー方程式が厳密に解ける例を扱っている。前期量子論の理論的な展開については必要最小限にまとめられているため、たとえばゾンマーフェルトによるボーア理論の拡張などについては触れていない。

「20世紀の物理学」編集委員会 (編集); ピパード, ブライアン (原著); 牧, 二郎 (翻訳); 神吉, 健 (翻訳). 丸善,『20世紀の物理学』, (平成11).


メインページ > 自然科学 > 物理学 > 量子力学 > 量子力学/量子力学の発展