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高校生活ガイド/推薦入試や総合型選抜などに向けて

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

推薦入試の時代変化[編集]

特化型が有利[編集]

大学受験への総合型選抜によくあるシステムは、高校受験とは違います。

要求されるのは教科の高さではなく、英検などの保有資格です。たとえ難関高校で通知表が5段階中で全教科5であっても、英検準1級を取ってないと難関大学へは出願そのものが出来ません。

さらに、保有資格の合計点は要求されません。たとえば「英検準2級、ドイツ語検定4級、理系」みたいな子よりも、「英検だけ準1級」という子が評価されるのが日本の私大への推薦システムです。「英検準2級、ドイツ語検定4級」みたいな子は、そもそも難関大学の推薦には出願できないシステムです。

英検などの保有資格で特定言語に特化した級の高さの上、さらに通知表が平均4.0以上などが要求されます。

このため、たとえば意欲的な高校生が、取得しなくても高校卒業できる科目(例えば一部の私立の進学高校の第二外国語)などで低い成績を取ると、かえって推薦が不利になります(最悪、出願できなくなる)。推薦に要求されるのは合計単位数ではなく評定の平均値なのです。


1990年代の大学改革での各種の新型の推薦の導入当初、どうも高校受験のようなものだと高校生が誤解したようで、90年代の当時は一部の意欲的な高校生が、学業と併行(へいこう)して色々な課外活動を頑張りましたが、しかし2020年代の令和の推薦システムは全くそういうシステムではありません。


1999年『分数ができない大学生』シリーズで、合計値ではなく平均値で見ると、かえって上述のように不公平になると既に指摘されていたにもかかわらず、一向に平均値順に評価するのを日本の難関私大は辞めていません。

美術とか音楽とかの才能に秀でた人を評価したいなら、べつに美術の一芸入試とかじゃなくって、3教科とか5教科の入試教科に美術や音楽の実技試験などを加えればいいじゃないかと1999年ごろにもう指摘されているにもかかわらず、そういう合計点を見るような改革は、日本の早慶マーチ的な大学受験では何も行われていません。

高校入試ですら、もうちょっと合計的な能力を見ていますが、日本の大学はそれ未満です。

あるいは、もし「合計点を見る方式が間違っている」とすると、その難関私大の指定校や付属校の高校への入試の選抜システムも間違っていることになるので、私大はもう言い逃れが出来ません。

日本の私大の受験システムは完全に矛盾しており、論理が破綻(はたん)しています。そういう矛盾を気にしない人が私大の総長をしているのです。

模試の確約システムは無い[編集]

高校入試だと、模試の「確約」(かくやく)というシステムが私立受験でありますが、しかし大学入試の場合、私大受験にも模試の「確約」システムは無いのです。なお高校入試の「確約」システムとは、たとえば埼玉県の「北辰テスト」(ほくしんテスト)とか神奈川県・東京の「W模擬」や千葉・東京「V模擬」などの地域模試で高い偏差値を取った人を、私立高校の受験のさいに加点するシステムです。

英検やTOEICなど英語の資格以外に、外部テストは使えません。英語1教科だけです。たとえば駿台模試とか河合模試とかは、出願の要件に入っていません。 高校受験の地域模試よりも教科数が減っており、選抜方法が大学では劣化しています。

「模試が民間テストに過ぎず公的ではないので、不適切」だとすると(1990年代、自民党がこういう論調で高校受験の模試を批判しました)、その私大の指定校の多くも不適切な高校入試を行っていることになり、私大は論理破綻しており支離滅裂です。1990年代、私立高校入試の「確約」を自民党議員は批判したのに、彼らの主導する大学入試の推薦システムは、まさに、まるで英検による「確約」システムのようなものです。

「総合型選抜」の英検重視の変化に注意[編集]

総合型選抜についての、よくある勘違いとして、まるで高校入試の内申点のようなものだと勘違いする人が、後を絶ちません。しかし両者はまったく違うシステムです。(1990年代に高校入試で内申点を導入した時代が、ちょうど慶應大学でAO入試を始めた時期なので、おそらくお茶の間の人たちが両者を混同したのだろう。さらに、早慶の付属高校の入試では、その競争の厳しさゆえに内申点も受験生にとっては重要視されることが拍車をかけ、大学のAO入試との勘違いが広がったのだろう。)

大学にもよりますが、英検で一定以上の級(たとえば2級以上)を持っていないと(またはTOEICで同等のスコア以上)、難関大学へは総合型選抜の出願そのものが不可能だったりする場合もあります。

たとえ部活と学業を頑張ろうが、総合型選抜の出願条件のクリアには、なりません。部活で全国大会にまで勝ち進めばスポーツ推薦などの入試に出願する要件はクリアできるでしょうが、しかしそこまで勝ち進めないかぎり、どんなに偏差値の高い高校で、部活と学業の両立をがんばろうが、そもそもの出願条件をクリアできません。

難関大学の総合型選抜の出願条件はたいてい、英検2級以上またはTOEICのハイスコアです。部活は出願条件ではないのです。

「総合型選抜」の英検重視の変化に注意

なお総合型選抜などの推薦の要件として、多くの私立大学で2020年代以降、高校での履修科目だけでなく英検2級以上やTOEICのハイスコアなどを要求している私大もあります。ほか、履修科目全部の評定平均がたとえば4.0以上[1]など要求する例もあります。英文科だけではなく歴史学科や経済学部[2]などですら要求されます。

大学によっては「英検2級以上」などの試験名の表現ではなく「CEFR B1以上」と表現している場合もあります。英語の資格は多々ありますので、共通した評価基準として CEFR (セファール)という国際基準があります。なお、CEFR という試験は無く、英検で上位の級に合格したりTOEICなどでハイスコアを取ると、CEFRでのランクが与えられる仕組みです。なお、CEFR B2が英検準1級、CEFR C1 が英検1級の合格に相当です。

難関私大だと総合型選抜で要求する水準が英検準1級 相当以上になる場合もあります[3][4]。総合型選抜や自己推薦などによる入試方式をねらっている人は、履修科目だけに目をとらわれず、英検などの資格取得も必要な場合もあります。

大学の英語の授業の実態

なお、これらの難関私大で英検準1を総合型選抜に要求する理由の元ネタのひとつは、それらの大学の教養課程の英語の授業内容が、英検準1級の英語長文のレベルだからでしょう。大学によっては高校レベルの英検2級の英語しか授業で要求しない場合もあるのですが(なぜなら学部専攻の科目(たとえば経済学部なら経済学が専攻)で忙しい。ほか、第二外国語(ドイツ語やフランス語など)が始まるので)、しかしそれでも大学によっては英語の授業で英検準1級を要求する大学もいくつかあるようです。

余談ですが、大学では専攻や第二外国語が忙しいので、実は大学では一般的な英語力は、直接的には それほど向上しません(例外として、英文科や国際系学科の以外は)。経済学などの専門用語とかの英語は専攻が経済学なら覚えますが。私大のパンフレットとかにある、やれ「留学」「海外姉妹校」だの「充実した語学教育」だのなんだのは、まあ宣伝です。誇大広告ですが、まあ大学側からすれば「努力目標」とでも言い訳できます。

ともかく大学の推薦入試について、親世代・昭和後半の生まれ世代での大学推薦入試の常識とは少し変わっていますので、注意しましょう。

ただし履修科目の高度性と英語資格とを両方を要求するのは、よほどの難関大学の難関学部以外では基本的には無いので、直接的には生徒個人にとっては両立をめざす必要性は低いのですが、しかし高校全体での大学合格実績に関わってきます。高校の大学合格実績が将来的に高くなれば、そのぶん卒業後の出身校の指定校推薦の枠も増えるので、出身高校の評判が上がっていき将来の自分の評判も上がるわけです。

ほか、基本的に探求学習は求められていないのが私大の総合型選抜の実態です(国公立大は別です)。よほど探究論文などで日本有数の成果を出せないかぎり(そしてそれを大会などに出場して高評価を得たこと客観的に証明できないかぎり)、英検準1級や2級やTOEICハイスコアを持ってなければ英検・TOEICなどの足切りにかかってしまい、出願そのものが不可能になってしまうからです。よって、少なくとも、探求学習の業績は二の次です。そういう出願基準になっています。

文科省は建前としては探求学習と総合型選抜を関連づけて喧伝しているかもしれませんが、その建前は実際の大学入試では崩壊しています。少なくとも、私大人気の高い首都圏では、文科省の、総合型選抜の普及の目論見(もくろみ)は破綻(はたん)して崩壊しています。つまり、文科省の行政は失敗しました。また、「高大接続改革」についても必然的に、例外として志望校そのものと提携している高校に在学でもしてない限りは、あまり総合型選抜には関係ないのが実態です。少なくとも、英検など英語資格で足切りしている大学では、その級以上を保有してないかぎり、高大連携の授業をどんなに頑張ろうが、出願そのものが足切りのせいで不可能です。


さて、総合型選抜では、「事前課題」として小論のテーマが大学側から与えられます(事前課題方式の総合型選抜の場合)。よって、自分でテーマを選ぶことは基本、総合型選抜では、無いです。作成する書類の呼び方は「小論」ではなく「レポート」と言われるかもしれませんが、基本的に400文字~1200文字ていどであり、採点の都合があり、少し長めの小論文くらいの長さなのが実態です。

また、記入用紙のデータは大学側が用意または指定するのが一般的です。なので、プリンタが無いと、受験不可能です。

指定校推薦でも、英検など資格試験の重視[編集]

指定校推薦でも、英検など資格試験の重視になっています[5][6][7]。昭和の常識とは違います。

落ち目の高校からの指定校で学力不足の子が進学したら大学側は困るので、大学によっては英検などの条件を追加し始めています。

フンボルト理念とは違う「総合型」選抜[編集]

フンボルト理念に違反する英語特化型の総合型選抜

私大の総合型選抜は、けっして総合力を要求していません。

たとえば英検準1級以上を出願の要件にしている大学は、どんなに英語以外の数学とか物理も勉強していても、英検も2級に合格して高校レベルの英語力を証明できていても、なのに英検準1級以上でないかぎりは出願の時点で不可能であり、足切りされてしまうのです。英語しか勉強してないヤツの英検準1級よりも、理系生徒の英検2級が格下として足切りされるのが、私大の「総合型選抜」です。

つまり私大の「総合型選抜」は単に、既存の一芸入試などの選抜方法やら数学オリンピックとかの、ともかく大学で使えそうな一芸入試を併合(へいごう)しただけです。英語一芸入試とか数学一芸入試を併合しただけです。「人種のサラダボウル」みたいに、まじりあってないものを併合・混合しただけです。けっして「人種のるつぼ」のように混合して化学変化を起こしているわけではありません。

このため、英語特化とか数学特化みたいに、一点特化型の選抜になっているのが「総合型選抜」です。つまり総合型選抜はサラダボウル型入試です。

学問的に重要なこととして、難関私大の教育学における総合型選抜は、教育学でいうフンボルト理念に違反している選抜方法になっています。フンボルト理念とは、初等中等教育あたり(小学校入学 ~ 高校卒業まで)において、どういうわけか国数英理社の5教科をぜんぶ教えると、教育成果が高い、という経験則にもとづいて、なるべく5教科全科目を教えようとする教育方針のことです。

※ 小中校の教育についての「フンボルト理念」と、大学教育についての「フンボルト理念」とは違います。このページでは高校教育の話をしているので、小中高の教育のほうのフンボルト理念です。この小中高の教育については「フンボルトの人格形成の理論」とか「フンボルトの陶冶(とうや)の理論」みたいにも言います。Bildungstheorie が元の語であり[8]、英語だかドイツ語だかでビルドゥングスとも言います。
※ なお、大学教育のほうのフンボルト理念については、ドイツの教育学者フンボルトの名を冠した1810年ごろからの理念ですが、しかし2001年のドイツの教育学者シルヴィア・パレチェクの教育史の研究によると、実際はアメリカで発祥した教育理念の可能性が高いとのことです[9]。なお、その発祥元のアメリカすら、ドイツのフンボルト理念の権威を信じて、ドイツにエリートを留学して、教育学をドイツからアメリカに持ち帰ったとのことです。
※ 大学のほうの「フンボルト理念」は、教育と研究を一体とするものです。つまり、フンボルトよりもずっと前の時代は、学生は基本的に研究をせず、したがって学生参加のゼミなども無かったのが当時の大学の実態でした。それを改革して学生にも研究させようぜっていうのが、上述のようにドイツとかアメリカとかの大学です。

簡単そうに英検2級とか言いますが、しかし実際の現役高校生は数学とか理科とかも勉強した上で英検も取るわけです。理系志望の高校生なんか、数学IIIと専門「物理」・「化学」・「生物」とかを勉強した上で、その上で英検2級をとるのは、かなりの負担です。

その英検2級ですら負担なのに、英語しか勉強してないヤツの英検準1級よりも理系生徒の英検2級が格下として足切りされるのが私大の「総合型選抜」です。

もちろん、こんなのが「総合」でないことはもう2001年くらいに教育界隈では分かっており、ヒットした書籍『分数の出来ない大学生』シリーズで、慶応大教員の数学者の戸瀬信之(とせのぶゆき)などによって(なお、戸瀬本人の学は東大の数学科出身)、当時の「総合学習」型重視の大学入試の形骸化を批判して、おおむね発言内容「数学も見ないのに、何が総合だ」みたいに批判していました。それから20年以上たっても、何も改善出来てないのが日本の私大です。

戸瀬は当時から「英会話とかができるよりも、(数学なども含む)5教科の学力を国際的なレベルにまで高めるほうが重要だ」みたいな事を言っていました。英語ができるだけの人なら、米英に行けば無職でも出来ます。

べつに2001年に戸瀬が発見したわけではなく、芸人のビートたけしの中高生の時代、母の 北野さき さんは、たけしの兄w:北野大(きたの まさる、1942年生まれ)が高校時代で大学受験のとき、「英文科に行きたいか、理系に行きたいかで迷ってる」みたいなことを言った時、「英語は米英ならルンペン(遊民。今でいう無職みたいなの)でも出来る」と諭して(さとして)理系の学部に進学させたほどです。

べつに、「私大の英語特化型の入試が悪い」とは言ってませんが、しかし少なくともフンボルト理念には明確に違反しています。英語だけではフンボルト理念の理想でないことは、上述のたけしの兄のエピソードからも分かるように昭和の時代から分かっていることです。平成の時代も、戸瀬信之の例からも分かるように、英語だけではフンボルト理念ではありません。

フンボルト理念そのものに学問的な疑いがあるなら大学人はそういえばいいと思いますが、しかしそういう話を早慶マーチからは聞きません。その早慶マーチの私立大学に教育学部もあったりするのですが、なんとも思わないのでしょうか。

対策・考え方など[編集]

脚注[編集]

  1. ^ たとえば東洋大(各学部の条件の側で英検2級相当 以上を要求)
  2. ^ たとえば東洋大(各学部の条件の側で英検2級相当 以上を要求)
  3. ^ たとえば立教(英検 準1級相当 以上)
  4. ^ 中央大の2種類ある方式のうち片方は外国語型で、英検 準1級相当 以上
  5. ^ 『指定校推薦の校内選考とは?いつ?落ちる?校内選考を解説』2023/12/21
  6. ^ 『指定校推薦にも英検が影響します。』
  7. ^ 『指定校の出願に英検が必要な大学 2021版/評定平均以外の出願条件まとめ 』 2021.10.17
  8. ^ 宮本 勇一 著『教育課程改革に対するフンボルトの陶冶理論の今日的意義』
  9. ^ 潮木 守一 (桜美林大学大学院招聘教授)『「フンボルト理念」とは神話だったのか?-自己理解の“進歩”と“後退”』