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高校英語の文法/助動詞

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

May I と Can I

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May には「許可」を意味する用法もある。

「May I ~?」(~してもいいですか?) は、目上の人に対して許可を求めるために用いられる。

「Can I ~?」は口語でよく使われ、とくに目上という関係は無い。

なお、

「You may ~. 」(あなたは~してもよい)は、目下の人間に対して使うので(桐原ファクト)、使用の際には注意が必要。

たとえば

You may use your dictionary for this test. 「このテスト中は辞書を使ってもよろしい」(ジーニアス、桐原ファクト に似た例文)

のように使う。このように、権威・権力にもとづく可能性を表す表現でもある(ジーニアス)。だから、けっして「may = 丁寧」と機械的に覚えないほうが良いだろう。

なお、Could を使えば、丁寧な表現になる。とりあえず、Could を使うのが無難であろう。


must

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勧誘 must

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must には、強い勧誘を意味する用法もある(インスパイア、桐原ファクトブック、ジーニアス)。

You must ~. 「ぜひ~してください」「ぜひ~したほうがいい」

のような意味。

※ もともと、古代~中世の英語で、must に当たる語は、今のmayのような「許可」の意味があった(may より must のほうが古い )。一説には、許可は上司が部下に与えるものなので、そこから上司からの命令のような意味が生じてきて、しだいに義務の意味が強まったとみられる。つまり古代の must は許可の意味。この歴史を知っていると、今の「勧誘」の意味は、もともとの許可にニュアンスに近く、覚えやすいだろう。ゆりもどしである。


青チャートには書いていない。(あまり重要視してないのだろう。)

欧米人は、この手の、外国人には分かりづらい、やや飛躍気味の表現をすることもよくある。

※ 飛躍気味とは、たとえば最近の俗語の例では、英米人の近年の若者などの用法で、すばらしい絵や文芸を見たときに、「その絵を消してくれ」なんていう表現も最近の英語では良く使われるという。どうやら「素晴らしすぎて、魅了されて、頭がおかしくなってしまいそうだ」→「だから消してくれ」という意味らしいのだが、しかし事情が知らない外国人が聞くと、単にその絵や文芸に不満があるかと誤解されかねない。しかし、英語は世界の覇権言語なので、外国人からの誤解を気にする必要も無い。日本人からすれば、まったく、英米人はうらやましい限りである。


この 勧誘の must を紹介しているインスパイア、ジーニアスも、コラム的に紹介しているだけである。(桐原ファクトのみ、本文で紹介。)

※ 昔から教育評論でよく言われる、英語教育の隠れた目的のひとつとして、誤解の恐れの少ない論理的な文章の書き方の教育を教える、という目的がある。文科省や国立大学などは、中立性などの理由で、「論理的な日本語の書き方はこうあるべきし」とは宣言できないので、仕方なく英文法など外国語を使って論理的な文章の書き方を教えようとしている、などとは昔はよく評論されたものである(もっとも、最近の英語教育では会話重視などで、そういう論理性の教育目的は雲散霧消してしまったが)。そういう論理的な文章の書き方の教育としては、勧誘 must やら上記例の「消してくれ」のような飛躍気味の用法は、嫌われるだろうから、大学入試などに勧誘の must などが出る可能性は低いかもしれない。

確信「ちがいない」 must の否定

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「~にちがいない」という強い確認の意味での must の否定は、 cannot 「~はずがない」である(ジーニアス、インスパイア、青チャート)。

なぜそうかといわれても、そうだと決まってる。英米人がそういう使い方をしているので、合わせるしかない。

※ これまた、あまり論理的でないので、おそらく入試では問われづらいだろう。たとえば桐原ファクトでは、must の項目では、確信の否定 cannot を無視しており、非紹介である。なお、桐原でも can の側で cannot「~はずがない」を説明しており、可能性 can の否定として cannot「~はずがない」 という用法を説明するというのが桐原ファクトの理論構成である。

cannot や can't と言った場合、単に「~できない」という可能性を否定するだけの用法もあるが(インスパイア can側)、それとは別に「~のはずがない」という強めの感情的色彩をおびた「否定の確信」な意味の用法の場合もある(桐原ファクト、ジーニアス)。

Can you ?

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英語では、相手に能力を直接聞くのは、失礼に当たると見なされている場合もある。

たとえば、

Can you speak Japanese?

は、背景として、「あなたは日本語を話せないといけない」と思われることもある(インスパイア、ジーニアス)。このため、canを使わずに

Do you speak Japanese?

と聞くのが良いとされている(ジーニアス)。


一方、話し手が自分の語学の能力を「私は~できます」と言う場合は、なるべく be able to よりも canを使うほうが謙遜気味で礼儀正しいとされており、つまり I can のほうが良いとされている(ジーニアス)。I のあとに be able to を使うと、英米では能力自慢のように聞こえるらしい(ジーニアス)。

can youが無礼なのに I can が礼儀正しいのは意味不明だが、しかし覇権国家の英米人がそう使い分けているので、英語学ではそう合わせるしかない。うらやましい。所詮、語学は暗記科目であり、「理屈と膏薬はどこにでもつく」(日本のことわざ)である。


また、派生的にか、可能性のcanは疑問文では、強めの疑いや、おどろきや当惑などの意味をもつこともよくある(青チャート、インスパイア)。参考書によくある典型的な例文だが

Can the rumor be true? 「そのウワサは本当だろうか?」

という疑問文では、そのような、強めの疑いや、おどろきなどの意味がある。・


さて、can は、今後も通用する能力や可能性について言うので、単に一回だけのことに「昨日は~できた」みたいに言う場合には can や could を使わない(ジーニアス、青チャート)。

1回だけ「~できた」場合には、 be able to や 「managed to不定詞」 や succeed in ~ing などを使う(青チャート、インスパイア)。

また、とくに能力などを強調するのでなければ、単に過去形だけを使って1回だけできたことを表現してもいい(ジーニアス)。

なお、否定文や疑問文の場合は could を使っても良く、つまり couldn't や wasn't(または weren't) able to でもいい(インスパイア)。



ただし、こういう細かい使い分けよりも、入試に出るのは、構文

cannot help ~ing 「~せざるを得ない」

cannot help but +動詞の原型 「~せざるを得ない」

cannot but +動詞の原型

などだろう(インスパイア、桐原ファクトブック)。

90年代、こういう二重否定的な構文が(中学範囲ではなく)高校範囲だった過去がある。

cannot ~ too ○○ 「いくら~しすぎても○○しすぎることはない」

という反語的な表現も、90年代の典型的な高校英文法の範囲であった。


そのほか、「ときに ~することがある」と好ましくない事を言う場合に can を使うことがある。ジーニアスいわく「風邪は時に重い病気につながることがある」とか、青チャートいわく「そういう事故はときどき起こりうるものだ」で can を使っている。

だが、これとは逆に思える用法もインスパイアにあり、「can はもともと備わっている能力を表す」として「be able to は一時的な能力を表す」などという用法もある。


※ このように、助動詞まわりは、あまり規則的ではなく、またやや口語的であり、あまり日本の大学入試対策としては深入りする必要が無いだろう。上述したが cannot help ~ ing のような構文を覚えることを優先すべきである。

助動詞 need

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本動詞 need とは別に、助動詞 need というのがあり、 「need +動詞の原型」の形で使う。

助動詞 need は主にイギリス英語である。

参考書では平叙文に助動詞 need が使われることもあるが(ジーニアス)、しかし実際の英米では疑問文と否定文でのみ助動詞 need が使われるのが一般的である(青チャート、桐原ファクト、インスパイア)。

つまり、平叙文、肯定文では、助動詞ではなく本動詞 need が使われるのが実際(インスパイア)。


このような制限が助動詞 need にあるため、実のところ、あまり信用頻度は高くない、・・・というのが桐原ファクトの見解。

助動詞 need の否定形は need not または needn't であり(青チャ-ト)、つまり「 need not +動詞の原型」のような形になる。

また、助動詞 need に過去形は無い(青チャ、インスパ)。また、主語が三人称単数でも、助動詞 need には sはつかず、needのまま(青チャ)。

もし、過去の必要性について言いたい場合、単に、本動詞 「need to不定詞」を使えばいい(ジーニアス、青チャ、インスパイア)。

なお、本動詞 need の否定文や疑問文は、単に中学英文法と同様に(たとえば過去形の場合なら)

I didn't need to 不定詞

Did you need to 不定詞 ?

を使えばいいだけである。


なお、完了形との組み合わせ「 need not have +過去分詞」だと、「~する必要はなかったのに」(+「しかし実際は~してしまった」)という後悔や非難などの意味になる(ジーニアス、インスパイア、桐原ファクト)。 ※ インスパイア・桐原ファクトに「実際は~してしまった」の説明あり。インスパイアに「非難」の意味あり。桐原は「後悔」のみ。ジーニアスは二次熟語では表現せず。

dare

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助動詞としては、2つの慣用文がある。

How dare say ~? 「よくも~できたものだね」

という苛立ち(いらだち)をあらわす。


I dare say ~. 「たぶん~だろう」「おそらく~だろう」 (インスパイア、ジーニアス、ブレイクスルー)

sayのあとに接続詞 that は続かない(インスパイア)。

I daresay ~

という一語でdareとsayを縮めた言い回しもある(インスパイア、ブレイクスルー)。

dare の用法は、あまり論理的ではない。ほか、助動詞 dareに過去形 dared もあるとされているが、現代ではマレ(青チャート)。


そのほか、

Bod dare not propose to her. 「ボブは彼女にプロポーズする勇気がない」

のように、否定文や疑問文で dare が使われることがある。

だが、この場合の dare は「勇気のある」の意味なので、助動詞を使わずとも courage や brave などをつかった言い表すこともできて、むしろ英米では口語には courage などの言い回しのほうが多いのが実態とのこと(エバーグリーン)。

さて、助動詞以外にも、本動詞としての dare の用法があり、上記2つの「How dare」「I dare say(または daresay)」慣用表現以外の場合では、本動詞としてdareをつかうことのほうが一般的であり(ジーニアス)、

He dares(または dared) to ~ 「彼はずうずうしくも~する(した)」

のように使うこともある(青チャ)。

ought to

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ought to は、助動詞 should と同じような意味として紹介されることもある。だが、実際には should よりも、やや意味が強い。

ought to には、「~すべきである」という義務・当然の意味や、「~するはずだ」「~にちがいない」という強い推定・見込みの意味(インスパイア、青チャ)がある。

義務の強さは、

must > ought to > should

である(ジーニアス)。

ought は助動詞であるが、to不定詞とともに使われる。


なお、ought to の否定形は ought not to ~ である(エバー、青、インスパ)。 oughtn't to ~ という短縮形の否定もある(青、インスパ)。


疑問文は、たとえば「私は~すべきでしょうか?」なら

Ought I to 不定詞 ~?

の語順になる(青、ファクト、インスパ)。

つまり、

Ought 主語 to 不定詞 ~?

の語順。

had better

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had better 「~したほうがいい」は、字面だけなら「推奨」の意味だが、文脈によっては「命令」や「脅し」の意味に受け取られる場合がある。

had better には「そうしないと(or)、困った事になるぞ」という含みがあると感じられる場合があるから、である(桐原ファクト、)。

とくに、主語が you の場合、命令などの意味に受け取られやすいので、注意が必要(エバー)。

このため、

I think you had better ~ のように「I think 」や maybe などをつけて、意味をやわらげる場合もよくある。


had better の否定は 「had better not 動詞の原型」である(エバ、ジーニ)。

※ 完了形と混同してか、had better なのに had の後ろに not を置くミスが学生に多い(エバ)。

「It would be better for you to 不定詞」でも、意味をやわらげられる(青チャート、インスパ、ブレイク)ので、目上の人にはこの言い回しが良いとされる(青チャ)。

青チャートいわく、「 It might be better for you to 不定詞」や「I would suggest (that)」 などでも「~するのが良いでしょう」の意味で言い換えできる、とのこと(青チャ)。

言い換え表現のほうでは、動詞の前にtoがついてto不定詞になっているのに注意。

なお、口語では You'd better や I'd better のように、よくhad を 'd と省略する(青チャ、ブレイク)。


疑問文の語順については、インスパイアと青チャート以外、言及していない。説明の簡単のため主語を I とすると、「~したほうが良いですか?」は

Had I better ~?

または

Hadn't I better ~?

とのこと(インスパイア)。

いっぽう、

Han I better not ~? 「~しないほうが良いですか?」

とのこと(インスパイア)。


青チャートいわく、英語では実際によく使われるのは、

Hadn't I better ~? 「~しないほうが良いですか?」

という言い回しとのこと(青チャ)。

その他

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助動詞には、ニュアンス的に、話し手・書き手の判断や気持ちが含まれている(インスパイア、桐原ファクト)。

なので、will→be going to や can→be able to などの言い換え表現をすると、じつはbe going to などのほうは話し手の判断や気持ちものニュアンスが薄まるので、客観的なニュアンスが強くなるので、参考書などでは「言い換え」とはいうが厳密には完全には同じ意味とは言えない場合もある。

ただし、日本人としては、そこまで考える必要は無い。

used to

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助動詞used to の「 used to 動詞の原型」(よく~したものだ)は過去の習慣を表す(青チャ、ジーニアス)。通例、「(過去はよく~したが、)今は違う」というニュアンスを含むことも多い(インスパ、青チャ、ブレイク、ジーニアス)。

なお、現代との違いをとくに強調したくない場合は(used to ではなく) would を使えばいい(インスパ、青チャ、ブレイク、ジーニアス)。

かつて、過去の高校英語では、used to を単に「過去の習慣」として習い、「今は違う」というニュアンスについてはあまり教えられなかったが、現代の高校教育では違う。

なお、used to のtoは不定詞だと解釈されている(ジーニアス、青チャート)。

またなお、「be used to 名詞」の「~に慣れている」とは違うので注意せよ。


また、would は、あとに続く動詞が動作を表す動詞(いわゆる「動作動詞」)の場合にしか使えない(インスパイア、青チャート、ジーニアス)。ジ-ニアスおよびブレイクスルーが「動作動詞」だと明言。

いっぽう、used to は、あとに続く動詞が状態を表す動詞(状態動詞)でも構わないし、動作をあらわす動詞(動作動詞)でも構わない。ジーニアスおよびブレイクスルーが「状態動詞」と「動作動詞」だと明言している。

このように、used to にも would にも両方とも、制限がそれぞれある。なので、過去の高校教育では、状態動詞でも動作動詞でも使える used to を中心に教えたのも一理ある。このように昔の英語教育は、文法の覚えやすさを優先するために、細かいニュアンスや意味などは実は犠牲にしている面もある。


なお、前提として、will には「習慣」を表す意味がある。別の単元でも述べたが、willは未来専用の表現ではない。

こう考えれば、would で過去の習慣を表すのも、一応は体系的ではあるが、しかし実際には上述したようにwouldによる習慣の表現は状態動詞に限られるという制約もあるように、あまり文法としては一貫性が無く、論理的ではない。

もとの英語の使用状況がこういう、あまり論理的でない状況なので、おそらく大学入試では、あまり細かいニュアンスの違いは問われないだろう。

will

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will については 高校英語の文法/時制 で扱う。