高等学校化学I/炭化水素/有機化合物/異性体

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炭化水素 有機化合物 鎖式炭化水素 環式炭化水素
  有機化合物とその構造 異性体 元素分析    

多くの有機化合物は、分子式が同じでも異なる構造をもつことがある。たとえば、分子式C4H10となる有機化合物の構造には、次の2つがある。

ブタン 2-メチルプロパン
ブタン 2-メチルプロパン

これらは、互いに(たがいに)異なった性質を持つ。このように、分子式が同じでも構造が異なる物質を、「たがいに異性体(いせいたい、isomer)である」などという。分子を作る炭素原子の数が増加するにしたがって、異性体の数は激しく増加する。

構造異性体[編集]

同じ分子式でも、原子の結合のしかたや構造が異なることによる異性体を構造異性体(こうぞう いせいたい、stractural isomer)という。たとえば、分子式が C5H12 となる炭化水素の炭素骨格は、次の3つが考えられる。

ペンタン 2-メチルブタン 2,2-ジメチルプロパン
ペンタン 2-メチルブタン 2,2-ジメチルプロパン

このように炭素骨格が異なる構造異性体の他に、結合の仕方が異なる異性体も存在する。たとえば、分子式がC2H6Oとなる有機化合物は、次の2つがある。

エタノール ジメチルエーテル
エタノール ジメチルエーテル

この2つでは、たとえば水への溶けやすさや沸点といった化学的性質が大きく異なる。これは、この2つの有機化合物の官能基(かんのうき、functional group)と呼ばれる、性質を決める構造が異なるからである。官能基については次の章で詳しく学ぶことにする。

また、分子式を書くとき、たとえばエタノールを C2H6O という書き方ではなく、 C2H5OH みたいに官能基を取り出して明記する書きかたを示性式(しせいしき、rational formula)という。

炭素骨格や結合の仕方が同じであっても、その結合の位置が異なる異性体も存在する。

1-プロパノール 2-プロパノール
1-プロパノール 2-プロパノール

幾何異性体[編集]

炭素原子間の単結合は、それを軸にして原子を回転させることができる。そのため、次のような2つの構造式で示される有機化合物は、異性体とはいえない。

エタノールの2つの構造式
エタノールの2つの構造式
どちらも同じエタノールである。

一方、炭素原子間の二重結合は、それを軸にして原子を回転させることができない。そのため、二重結合を含む化合物の中には、二重結合の両側での置換基の結合の仕方により、下のような2種類の異性体が存在するものがある。

シス-2-ブテン   トランス-2-ブテン
シス-2-ブテン   トランス-2-ブテン

左側の図のように置換基が同じ側にあるものをシス型(cis-)といい、右側の図のように反対側にあるものをトランス型(trans-)という。このような二重結合による異性体を幾何異性体(きか いせいたい、geometrical isomer)と言う、あるいはシス・トランス異性体(cis-trans isomer)と言う。

上で用いたトランス-2-ブテンの分子模型の写真を次に示す。これを見ると、二重結合を軸にして原子が回転できないことが分かるだろう。

trans-2-ブテンの分子模型
trans-2-ブテンの分子模型

光学異性体[編集]

乳酸の光学異性体

乳酸(にゅうさん、lactic acid)は、ヨーグルトなどに含まれているヒドロキシ酸であるが、この乳酸は炭素原子に結合している4つの原子や原子団が、4つとも異なる。このように、4本のうでにそれぞれ異なる置換基が結合した炭素原子を、不斉炭素原子(ふせい たんそげんし,asymmetric carbon atom)という。たとえば、乳酸(CH3CH(OH)COOH)には不斉炭素原子が1個存在する。

乳酸の不斉炭素原子
乳酸の不斉炭素原子

上図を見ると分かるように、*印をつけた炭素原子の周りに、それぞれ色分けされた4つの異なる置換基が結合しているのが分かる。この*印がついた炭素原子が不斉炭素原子である。

ここで上の構造式は平面上に書かれているが、現実にはこの分子は立体として存在する。不斉炭素原子を中心とした正四面体の各頂点に、結合軸が配置しているのである。すると、構造式が上のように同一であっても、立体的にはどう動かしても重ね合わせることのできないものが存在する。これらは、たがいに鏡に写した関係にある。

このように、構造式が同一であるにもかかわらず立体的には重ね合わせることのできない異性体を光学異性体(こうがく いせいたい、optical isomer)といったり、あるいは鏡像異性体(きょうぞう いせいたい、enantiomer)とよぶ。

光学異性体の一方をL体といい、もう一方をD体という。

L体とD体との関係のたとえとして、よく、右手と左手との関係にたとえられる(検定教科書でも、そういう例えが多い)。

光学異性体は、L体とD体とで、融点や密度などほとんどの物理的性質は同じだし、化学反応に対する化学的性質も同じである。しかし、偏光に対する性質や、また、味や におい などの生理作用が異なる。 偏光については、L体とD体とで、偏光をする向きが逆方向である。

乳酸のほかにも、アミノ酸の一種であるアラニンにも不斉炭素原子が存在し、よって光学異性体が存在する。

なお、乳酸は、近年では、生分解性樹脂(せいぶんかいせい じゅし)の原料としても、活用されている。

  • ラセミ体

香料などに使われるメントールはアルコールの一種であるが、メントールにはL体とD体とがあり、このうち香料としての作用があるのはL体のみである。光学異性体をもつ化合物を、通常の方法で化学合成して作ろうとすると、L体とD体との等量混合物(「ラセミ体」という)が、できてしまう。


しかし近年、特別な触媒を用いた合成によって、さまざまな光学異性体の化合物のL体とD体とを区別して、そのうちの一方のほうだけを選択的に合成できる手法が確立した(不斉合成、「ふせい ごうせい」)。日本の野依(のより)などは、そのような触媒であるBINAP(バイナップ)触媒の開発によって、ノーベル賞を2001年に受賞した。