高等学校古文/歴史書/史記/大丈夫当如此也
ここでは『史記』の高祖本紀の冒頭で、「大丈夫当に此くの如くなるべきなり(大丈夫当如此也)」とタイトルをつけられることもある部分を解説する。
白文と書き下し文
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高祖、沛豊邑中陽里人。姓劉氏、字季。父曰太公、母曰劉媼。其先、劉媼嘗息大沢之陂、夢与神遇。是時雷電晦冥。太公往視、則見蛟竜於其上。已而有身。遂産高祖。 高祖為人、隆準而竜顔、美須髯。左股有七十二黒子。仁而愛人喜施、意豁如也。常有大度。不事家人生産作業。及壮、試為吏、為泗水亭長。廷中吏、無所不狎侮。好酒及色常従王媼・武負貰酒。酔臥、武負・王媼、見其上常有竜、怪之。高祖酤毎留飲、酒讎数倍。及見怪、歳竟、此両家常折券弃責。 高祖常繇咸陽。縦観、観秦皇帝。喟然太息曰、「嗟乎、大丈夫当如此也。」 |
高祖は、沛の 高祖人と為り、隆準にして竜顔[※ 7]、 高祖 |
- ^ 沛豊邑中陽里:現在の江蘇省豊県。
- ^ 太公:「じいさん」「親父」の意味。
- ^ 媼:「おうな」すなわち老婦人・老母・ばあさんの意味。
- ^ 陂:土手・堤。
- ^ 晦冥:まっくら・くらやみ。
- ^ 蛟竜:龍の一種。みずち。水中にすむといわれる空想上の生物。
- ^ 竜顔:龍のように眉の骨が丸く突き出している顔立ち。天子となる人相を持っていたことを示す。
- ^ 須髯:あごひげとほほひげ。
- ^ 豁如:広く大きい様子。
- ^ 大度:大きな度量。
- ^ 泗水亭長:泗水は地名で、現在の江蘇省沛県の東。亭長は宿駅の長。
- ^ 狎侮:軽んじあなどる。この主語は高祖。
- ^ 王媼・武負:「媼」は先の説明に同じ。「負」も同じ意味の語。
- ^ 貰:現金払いではなく、つけにすること。
- ^ 酤:酒を買うこと。
- ^ 繇:夫役に従事する。当時、税の一種として公共の労役に徴用されることがあった。
- ^ 縦観:自由に見ること。ここの「縦」は「勝手に・気ままに」の意味。当時、皇帝の行列を見物することは禁止されていた。
- ^ 喟然:ため息をつく様子。
現代語訳
[編集]高祖は、沛県豊邑中陽里の人である。姓は劉氏、字は季。父は太公といい、母は劉媼といった。そのむかし、劉媼は大きな沢で休息し、夢で神と出会った。この時、雷が鳴り、まっくらになった。太公が行ってみると、蛟竜がその上にいた。しばらくして(彼女は)妊娠した。こうして高祖を生んだ。
高祖の人となりは、鼻すじが高くて龍に似た顔つきをしており、美しいあごひげとほおひげがあった。左の股に七十二のほくろがあった。おもいやりがあって、人を愛し、(恩恵を)施すのが好きで、度量が広かった。いつも大きな度量をもち、家族のする生産作業などの仕事をしようとしなかった。三十歳ごろになって、試しに採用されて役人になり、泗水の亭長になった。高祖は役所の役人たちを軽んじて侮らないものは無かった。酒と女色が好きで、いつも王ばあさんと武ばあさんの店で、酒をツケで買っていた。酔いつぶれて横になると、武ばあさんと王ばあさんはその上にいつも龍がいるのを見て、不思議に思った。高祖が酒を買い、居すわって飲むごとに、店の売上が数倍に上がった。この不思議なことを見てから、この両家は、年の暮れにいつも、借用書を破って酒代を帳消しにしていた。
高祖は以前、咸陽で夫役に従事し、自由に(勝手に)秦の皇帝である始皇帝(の行列)を見て、ため息をついて、「ああ、一人前の男たるもの、まさにこうなるべきだ。」と言った。
重要表現
[編集]- 大丈夫当如此也:大丈夫当に此くの如くなるべきなり
- 「当」は再読文字。「まさニ~ベシ」と書き下す。「当然~すべきだ」「~しなければならない」の意味。
解説
[編集]漢を建国した高祖・劉邦の生涯を述べた高祖本紀の初めの部分で、まだ庶民だったころのエピソードである。
高祖の両親は「劉太公」「劉媼」とあるが、注にあるとおりこれは本名ではない(ついでにいうと、劉邦の字「季」も「末っ子」という意味しかない)。両親の本名すら伝わらないような身分でしかなかった彼が天子となったのはなぜか、というのがここでは描かれている。「母親が妊娠したとき龍がいた」「顔つきが龍のようだった」「酒を買いにいくとその店の売り上げが跳ね上がった。しかも酔っ払った劉邦のうえに龍がいた」とある。龍は中国では、天子の象徴とされており、このことから高祖が天子となるのは定められていたというストーリーである。
『史記』ではあまり超自然的な出来事は語られないのだが、見てきたように高祖の生い立ちについてずいぶんと不思議なことが描かれている。これは司馬遷にとって現在の王朝の創始者である高祖に対する配慮から民間伝承の類も取り入れていると考えられている。
さて、ここの最後の部分は、後のライバルとなる項羽が「彼取りて代はるべきなり」といったこととよく比較される部分である。項羽本紀の当該箇所を読んで、比較・考察するのも面白いだろう。