高等学校古文/歴史書/史記/大風起兮雲飛揚

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ここでは『史記』の高祖本紀の終盤であり、「大風起こりて雲飛揚す(大風起兮雲飛揚)」と呼ばれる箇所を解説する。

白文と書き下し文[編集]

高祖還帰、過沛、留置酒沛宮。悉召故人父老子弟縦酒。発沛中児、得百二十人。教之歌。酒酣高祖撃筑、自為歌詩曰、

大風起兮雲飛揚
威加海内兮帰故郷
安得猛士兮守四方

令児皆和習之。高祖乃起舞、慷慨傷懐、泣数行下。謂沛父兄曰、「游子悲故郷。吾雖都関中万歳後、吾魂魄猶楽思沛。且朕自沛公以誅暴逆、遂有天下。其以沛為朕湯沐邑、復其民、世世無有所与。」沛父兄・諸母・故人、日楽飲極驩道旧故、為笑楽十余日。高祖欲去。沛父兄固請留高祖。高祖曰、「吾人衆多。父兄不能給。」乃去。

高祖還帰[※ 1]し、沛によぎ[※ 2]、留まりて沛の宮に置酒[※ 3]す。ことごとく故人の父老[※ 4]子弟を召して酒をほしいまま[※ 5]にせしむ。沛中の児を発し[※ 6]て、百二十人を得たり。之をして歌はしむ。酒たけなはにして高祖ちく[※ 7]を撃ち、自ら歌詩をつくりて曰はく、

「大風起こりて雲飛揚す[※ 8]
[※ 9]海内[※ 10]に加はりて故郷に帰る
安くんぞ猛士[※ 11]を得て四方を守らしめん」と。

児をして皆之を和習[※ 12]せしむ。高祖乃ち起ちて舞ひ、慷慨かうがい傷懐[※ 13]して、なみだ数行下る。沛の父兄に謂ひて曰はく、「游子[※ 14]故郷を悲しむ。吾関中に都すと雖も、万歳の後[※ 15]、吾が魂魄こんぱく猶ほ沛を楽思がうしせん。且つ朕沛公自り以つて暴逆をちゆうし、遂に天下を有てり。其れ沛を以つて朕が湯沐ゆもくの邑[※ 16]と為し、其の民を復し[※ 17]、世世あづかる所有る無からしめん[※ 18]」と。沛の父兄諸母故人、日に楽飲してくわん[※ 19]を極め旧故を[※ 20]て、笑楽を為すこと十余日なり。高祖去らんと欲す。沛の父兄固く請ひて高祖を留めんとす。高祖曰はく、「吾が人衆多し。父兄給すること能はず」と。乃ち去る。

  1. ^ 還帰:漢の12年(紀元前195年)、淮南(わいなん)王黥布の謀反を鎮圧して凱旋したこと。
  2. ^ 過:立ち寄る。読みにも注意。
  3. ^ 置酒:酒宴。
  4. ^ 父老:年寄り。老人。
  5. ^ 縦酒:酒を思いのままに飲ませる。
  6. ^ 発:徴発する。召す。集める。
  7. ^ 筑:楽器の一種。に似た楽器で、竹で打ち鳴らす。
  8. ^ 大風起兮雲飛揚:直訳すれば「大風が吹き起こり、雲が舞い上がる」となる。「大風」は末の動乱をさす。「雲」の解釈には、この動乱期に登場した群雄や悪人を指すという説、皇帝にまで登りつめた高祖自身を指すという説などがある。
  9. ^ 威:威力。
  10. ^ 海内:海の内、国内。天下。
  11. ^ 猛士:勇敢な兵士。武士。
  12. ^ 和習:一緒に歌い習う。
  13. ^ 慷慨傷懐:いきどおり嘆き、心を痛める。
  14. ^ 游子:故郷を離れて旅する者。ここでは高祖自身。
  15. ^ 万歳後:死後。「死」という言葉を避けて縁起の良い言い方に変えたものである。
  16. ^ 湯沐邑:ここでは天子が祭りのときに、その土地からの租税を、身を清めるための費用に当てた土地。
  17. ^ 復:租税や労役の免除。
  18. ^ 無有所与:租税や労役のことと無関係にする。
  19. ^ 驩:「歓」に同じ。よろこび。
  20. ^ 道旧故:昔話をする。

現代語訳[編集]

高祖は帰還して、沛に立ち寄り、留まって沛の(臨時の)宮殿で酒宴を開いた。ことごとく昔なじみの老人や若者を招いて思いのままに酒を飲ませた。沛の子どもたちを呼んで百二十人集まった。子どもたちに歌を歌わせた。酒宴の最中に高祖は筑を打ち鳴らし、自ら歌詞を作って歌った。

大風が吹き起こり、雲が舞い上がる
私の威力は天下に加わって、今故郷に帰ってきた
なんとかして勇敢な者を得て四方の守りを固めたいものだ

子どもたちにこれを一緒に習い歌わせた。高祖は立ち上がって舞い、いきどおり、嘆き、いくすじかの涙を流した。沛の父兄たちに向かって言った。「旅にある者は故郷を慕う。わしは関中に都をおいているが、万歳の後(死後)、わしの魂はこの沛を恋い慕うだろう。さらにわしは沛公から身を起こし、暴虐なる者を倒し、ついに天下を取った。沛の地を朕の湯沐の邑とし、その民の労役や租税を免除し、代々これらと無関係のこととしてやろう。」と。沛の父兄・諸婦人、昔なじみは毎日楽しく飲み、歓楽を極め、昔話にふけって笑い楽しむこと十数日に達した。高祖は立ち去ろうとした。沛の父兄は強く請うて高祖を引きとめようとした。高祖は言った。「わしの従者は多い。父兄たちはわれわれの飲食をまかなうことはできない。」と。そして去って行った。

重要表現[編集]

  • 之ヲ歌:之をして歌はしむ
使役表現「しム」。意味は「~させる」。
  • クンゾ猛士兮守ラシメン四方:安くんぞ猛士を得て四方を守らしめん
直接には反語表現「いずクンゾ~セン」だが、ここでは反語の形をとった詠嘆である。したがって訳は「どうやって~しようか」「どうにかして~しよう」とするのが良い。

解説[編集]

注にも述べたとおり、ここは淮南王黥布の謀反を鎮圧して、都に帰る途中に高祖の故郷である沛に立ち寄ったときの話である。「吾の天下を有ちし所以の者は何ぞや」で述べたが、天下統一後の高祖は猛烈な猜疑心にとらわれ、功績ある部下を次々と処分していった。これにおそれをなしたのが黥布であり、「殺されるぐらいならばいっそ」とばかりに謀反を起こした。この反乱は鎮圧されるが、高祖はこのときに負傷して、その傷がもとでこの年に死去する。そのため、この部分は高祖最後の「輝き」である。

さて、ここでもライバルである項羽との比較が可能であろう。ここでは四面楚歌と比較できる。それは、二人の死を目前とした場面であると共に、即興で歌を作った場面でもあるからだ。

「四面楚歌」での項羽の歌は勇猛な力がありながらも滅びる運命を嘆くものであったが、ここでの高祖の歌は自分の建てた国を守ろうという自信に満ち溢れたものである。この二つは両者の結末の違いだけでなく、性格の違いも見えてくる。項羽の歌は自らの運命だけでなく、愛馬の騅、愛人である虞美人といった愛するものを題材としているのに対して、高祖の歌は故郷ひいては天下・国家が題材である。歌の優劣を論じても仕方のないことだが、こうして比較するもの面白いだろう。