高等学校古文/漢詩/兵車行

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

ここでは杜甫の「兵車行」(現代語訳:戦車の歌)を解説する。

背景[編集]

当時は唐の皇帝の玄宗(げんそう)は領土拡大政策をとったため、唐の領土は最大となり、中央アジアまで領土を拡大させた。しかし、それは徴兵される側である農民たちにとっては華やかなものではなく、いつまでたっても終わらない兵役と重い税に苦しめられるものでしかなかった。

白文と書き下し文[編集]

車轔轔 馬蕭蕭

行人弓箭各在腰

耶嬢妻子走相送

塵埃不見咸陽橋

牽衣頓足攔道哭

哭声直上干雲霄

道旁過者問行人

行人但云点行頻

或従十五北防河

便至四十西営田

去時里正与裹頭

帰来頭白還戍邊

辺庭流血成海水

武皇開辺意未已

君不聞漢家山東二百州

千村万落生荊杞

縦有健婦把鋤犁

禾生隴畝無東西

況復秦兵耐苦戦

被駆不異犬与鶏

長者雖有問

役夫敢申恨

且如今年冬

未休関西卒

県官急索租

租税従何出

信知生男悪

反是生女好

生女猶得嫁比鄰

生男埋沒随百草

君不見 青海頭

古来白骨無人収

新鬼煩冤旧鬼哭

天陰雨湿声啾啾

轔轔(りんりん)[※ 1] 馬蕭蕭(せうせう)[※ 2]

行人[※ 3]の弓箭[※ 4] (おのおの)腰に在り

()[※ 5]妻子走りて相送る

塵埃(ぢんあい)に見えず 咸陽橋[※ 6]

衣を()き足を(とん)[※ 7] 道を(さへぎ)りて(こく)

哭声直上して 雲霄(うんせう)(おか)[※ 8]

道旁の過る者[※ 9] 行人に問へば

行人但だ云ふ「点行[※ 10](しき)りなり」と

或は十五より 北のかた河を防ぎ

便(すなは)[※ 11]四十に至るも西のかた田を営む[※ 12]

去く時 里正(りせい)[※ 13] (ため)に頭を(つつ)[※ 14]

帰り来たれば頭白くして()た辺を(まも)

辺庭[※ 15]の流血 海水を成すも

武皇[※ 16] 辺を開く意未だ已まず

君聞かずや漢家[※ 17]山東の二百州

千村万落 荊杞(けいき)[※ 18]を生ずるを

(たと)ひ健婦の鋤犁(じより)[※ 19]()る有りとも

(くわ)[※ 20]隴畝(ろうほ)[※ 21]に生じて東西無し

(いは)んや復た秦兵[※ 22]苦戦に耐ふとて

駆らるること犬と鶏とに異ならず

長者[※ 23] 問ふ有りと(いへど)

役夫[※ 24] 敢へて恨みを()べんや

且つ[※ 25]今年の冬の如きは

未だ関西の卒[※ 26]を休めざるに

県官急に租を索む

租税 (いづ)くより出でん

(まこと)に知る 男を生むは悪しく

反って是れ 女を生むは()きを

女を生まば ()ほ比鄰に嫁するを得るも

男を生まば 埋沒して百草に随はん

君見ずや 青海[※ 27](ほとり)

古来 白骨 人の収むる無く

新鬼[※ 28]煩冤(はんゑん)[※ 29]し 旧鬼は哭し

(くも)り雨湿(うるほ)ふとき声啾啾(しうしう)[※ 30]たるを

  1. ^ 車輪の音の形容。がらがら・ごろごろ。
  2. ^ 馬のいななきの形容。ひひん。
  3. ^ 戦場に向かう兵士。
  4. ^ 弓と矢。
  5. ^ 父母を表す当時の俗語。「耶」は「爺」と同じで父。「嬢」は母親のことで、娘の意味になるのは後世。
  6. ^ 長安の北を流れる川に架けた橋。長安から出征する兵士たちの家族はここまで見送りを許された。
  7. ^ 足をじたばたさせる。
  8. ^ 「霄」は空の意味。したがって、「干雲霄」は「空まで届く」という意味。
  9. ^ 道端を通り過ぎる人。ここでは作者の杜甫のこと。
  10. ^ 「点」は名簿に印をつけることで、「行」は兵士に行かせること。このことから徴兵の意味。
  11. ^ そのまま。
  12. ^ 屯田のこと。
  13. ^ 村長。
  14. ^ 頭を黒い布で包むこと。当時は15歳になると成人してこの儀式を行った。
  15. ^ 「辺」は辺境。「庭」はそのあたり。
  16. ^ 直接は漢の武帝。暗に当時の皇帝玄宗を指している。唐の時代の人物である杜甫は彼を直接名指しするのを避けたのである。白居易の「長恨歌」にも同様の配慮がある。
  17. ^ 直接は漢の国家。これも暗に唐を示している。
  18. ^ イバラとクコ。どちらも雑木。
  19. ^ 「鋤」も「犁」も「すき」という農具。
  20. ^ 穀物。またはその苗。
  21. ^ 田畑の あぜ。 または田畑。
  22. ^ 秦地方(現在の陝西省)の兵士。
  23. ^ 年上の人に対する敬称。
  24. ^ 働く人のこと。ここでは話者である兵士自身のことをさす。
  25. ^ さしあたり。まず。
  26. ^ 「関」は函谷関のことで、それより西の地方で現在の陝西省。「卒」は兵士のこと。したがって、「関西地方の徴兵」の意味。
  27. ^ 現在の青海省の東部にあるココノール湖のこと。当時、この地域は吐蕃の領土であり、唐としばしば軍事衝突していた。
  28. ^ 「鬼」は死者・またはその魂のこと。
  29. ^ もだえ苦しむ・うらむ。
  30. ^ むせび泣くこと。泣く声の様子。

現代語訳[編集]

車はゴロゴロ(と音を立て)、馬はヒヒン(と悲しげにいななく)

出征する兵士はそれぞれ弓矢を腰につけている

父母や妻子は走りながら彼らを見送る

その土煙で咸陽橋も見えない

見送る人は兵士の衣を引き、足をじたばたさせ、道をさえぎって泣く

その泣き声がまっすぐに立ち上り雲に達する

道端を通り過ぎる者が道を行く兵士に聞いたところ

行く兵士はただ「徴兵がたびたび行われているのです」と応える

ある者は十五歳にして北に送られ北方黄河を防衛し、

そのまま四十歳になった今は西に送られ屯田兵として出征する

出発に際しては村長が成人のはちまきをしてくれたが

帰ってきたときには頭は真っ白で、また国境に送られる

国境では戦いで流された血が海水のようにあふれているのに

武帝の国境を拡大するお考えはまだ止まらない

君たちは聞いていないか、いや聞いているだろう。漢の山東地方の二百州では

どの村もどの里もイバラやクコのような雑草ばかりが生い茂っていることを

たとえけなげな婦人がスキをとって耕したとしても

穀物が田畑に生えても、秩序も何もない

その上、秦の兵士たちは苦しい戦いにもに耐えるというので

どんどん駆り立てられるのは犬や鶏と変わらない

(兵士は言う)「あなたさまがお尋ねになっても
私はうらむ心を十分に言い尽くせましょうか
さしあたって今年の冬のように
関西地方の徴兵を中止にしないのに
県の役人は厳しく租税を取り立てています
租税なんていったいどこから出るのでしょう
よくわかりました、男を産むのは悪いことで
反対に女を産むことのほうがよいのです」

なるほど、女ならまだとなり近所に嫁にやることもできるが

男は(戦死して)雑草の茂みに倒れて埋もれてしまうだけだ

君たちは見ないか。あの青海のあたりでは

昔から白骨を片付ける人もなく

新しく死んだ者の魂はもだえうらみ、古く死んだ者の魂は嘆き叫び

天が曇り、雨で湿っぽくなったときに、むせび泣いているのを

形式[編集]

七言古詩に分類される。ただし、一部に五言・六言・十言の句が混じっている。

押韻[編集]

  • 「蕭」「腰」「橋」「霄」
  • 「人」「頻」
  • 「田」「辺」
  • 「水」「已」「杞」
  • 「犁」「西」「鶏」
  • 「問」「恨」
  • 「卒」「出」
  • 「好」「草」
  • 「頭」「収」「啾」

重要表現[編集]

  • 武皇開辺意未已:武皇辺を開く意未だ已まず
「未」は再読文字で、「いまダ~ず」と書き下す。「まだ~しない」の意味。
  • 縦有健婦把鋤犁:縦ひ健婦の鋤犁を把る有りとも
「縦」は譲歩した仮定「たとヒ~トモ」。「とも」の直前の活用語は終止形とする。意味は「もし・仮に~であったとしても」。
  • 況復秦兵耐苦戦:況んや復た秦兵苦戦に耐ふとて
「況」は抑揚形で用いることが多いが、ここでは「加えて」という追加の意味。「復」も反復などではなく、「況」を強調する役割だけをもつ。
  • 被駆不異犬与鶏:駆らるること犬と鶏とに異ならず
「被」は受身で、「る・らる」と書き下す。「~される」の意味。
  • 役夫敢申恨:役夫敢へて恨みを申べんや
「敢」は反語表現を作る助字で「あへテ~ヤ」と読む。したがって反語表現「どうして~だろうか、いや~ではない」と訳す。

解説[編集]

構成[編集]

この作品は9回換韻しているため、9つに分けて解釈してもよいが、内容的には5つに分けられる。どちらでも間違いではないが、ここではわかりやすくするために5つに分けて考えたい。

  • 第一解
一~六句目。出征する兵士と大声で泣いて彼らを見送る家族たちの様子。
  • 第二解
七~十二句目。兵士の恨み言で、人生の大半を戦場で過ごしているという嘆き。
  • 第三解
十三~二十句目。恨み言の続き。長く続く遠征で人手が足りなくなり、農村は荒れ果ててしまっている。
  • 第四解
二十一~二十八句目。恨み言の三番目。ここだけは五言の句が続くのが特徴。徴兵は終わらず、租税は厳しい。女はまだ生きていられるが、男は戦場で死ぬだけだという嘆き。
  • 第五解
二十九~三十四句目。場面は一転して、青海のほとりに移る。ここでは遺骨はうち捨てられたままで、その魂はさまよって嘆き悲しんでいる。

鑑賞[編集]

戦争の苦しみを歌った作品は少なくないが、本作品はその中でも特にインパクトの強いものである。その印象強さはこの詩が当時の社会情勢を生々しく描いていることによるだろう。しかし、それでいて、感情をむき出しにするのではなく、対話の形式をとったり、「君不聞」「君不見」と書くことで読者へ呼びかけたりすることで、話を客観化させようとしている。それによって、この詩にリアリティと普遍性を持たせているのが特徴である。

特に第四・第五解に注目しよう。古来から中国では男子の誕生のほうが喜ばれ、尊ばれたのだが、その常識とは逆に女子の誕生のほうが戦争に行かなくてすむ分まだマシだというのは皮肉な表現であるとともに当時の政治を痛烈に批判したものである。または、常識が通用しない世の中になったことへの批判ともとれる。そして第五解はココノール湖のほとりに散らばる白骨と、亡霊たちがむせび泣くという鬼気迫る情景が描かれる。戦争の悲惨さを訴えるものとしても、純粋に詩としても見事なまとめになっている。

なお、本作品は杜甫が40歳のときの作品である。このころから彼は当時の社会の様子を描いた作品を作りはじめ、後に「三吏三別」とよばれる社会批判の作品が作られることとなる。

ちなみにアッバース朝と中央アジアでの覇権をめぐって戦った タラス河畔の戦い はこの作品ができる一年前の出来事であり、唐の国力を大きく減退させた 安史の乱 は杜甫がこの作品を作った三年後に起きる。

成語[編集]

  • 鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)
    • 意味は「ものすごい気配が漂い迫りくるさま。」
    • 本文の「新鬼は煩冤し旧鬼は哭し 天陰り雨湿ふとき声啾啾たるを(新鬼煩冤旧鬼哭 天陰雨湿声啾啾)」から採られた成語である。