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高等学校政治経済/大日本帝国憲法と日本国憲法

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

明治憲法

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大日本帝国憲法(明治憲法)は、当時のドイツの憲法を手本に作られた。 今でいうドイツにあたるプロイセン(当時)の憲法は、君主に強い権利を与えていた。そのプロイセン憲法を手本に、大日本帝国憲法は作られた。

明治憲法で定められた日本の主権者は天皇であり、日本国民ではない。そのいっぽうで天皇にも憲法を遵守するべきという立憲制のような義務を明治憲法では定めてある。

そして明治憲法は、主権者である天皇が、国民に対して憲法を授けるという欽定憲法(きんてい けんぽう)というものであった。

(欽定憲法とは、君主主権の憲法のこと。いっぽう、民衆が制定し、民衆の主権の憲法を民定憲法(みんてい けんぽう)という。)

また、人民の基本的人権については、「法律ノ範囲内」とするというものであり「法律の留保」という条件が付いていた。今日の日本国憲法での、人権基本的人権は永久・不可侵という権利という考え方とは、違っている。

また、政治による軍隊の指揮権に関しては、明治憲法では天皇が軍を統治するというものであり、議会による軍の統治ではなかった。 このように明治憲法では、軍隊の指揮権が議会から独立しているので、これを統帥権の独立といい、統帥権は天皇大権(てんのう たいけん)とされた。

しかし日清戦争や日露戦争では、実質的には、議会と関わりの深い内閣の総理大臣が最終的には軍を指揮していたので、実態は明治憲法の名目とは異なる。しかし、満州事変の以降、軍部は、議会の国際協調路線に反発し、議会が軍部を抑えようとすると、軍部は天皇大権である統帥権の独立を根拠にして、議会による制御は統帥権を侵害するものだと主張して、軍部は議会に反発し、軍部は議会に従わずに暴走していった。


内閣については、名目上は内閣は天皇の補助にすぎなかった。このことを、内閣は天皇の「輔弼」(ほひつ)である,などという。 司法についても、名目上は、天皇を補助する機関にすぎない。議会についても、名目上は、天皇を補助する機関にすぎない。

このように、明治憲法では、天皇が、司法・立法・行政をすべて統治権(とうちけん)を持っていた。 もちろん、実際に裁判所で司法の実務を行ったりするのは裁判官であるし、役所などでの行政の実務を行うのは、その役所の公務員などである。

日本国憲法

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日本国憲法の制定時の経緯

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第二次世界大戦の終戦後に日本を占領したアメリカ軍の連合国軍総司令部GHQ、General HeadQuarters)の司令官マッカーサーが、占領政策のための大日本帝国憲法の改憲案として憲法草案要綱を元に作られたマッカーサー草案が、現代の日本国憲法の、もとになっている。このマッカーサー草案を元に、日本国政府が新憲法の草案(そうあん)を作った。

日本国憲法は、大日本帝国憲法の改憲として帝国議会に提出され、帝国議会で草案は可決され、こうして日本国憲法は制定され1946年に公布された。

日本国憲法は、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」を3大原則とする。


日本国憲法における不自然な日本語

日本国憲法の基となったマッカーサー草案は僅か1週間で英文草案を作成して和訳したものである。そのため、日本語の文法・ニュアンス的に違和感を覚える文章になっている箇所が散見される。

例)

憲法前文

『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』

修正版(仮)

『日本国民は、正当に選出された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協調の結実と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を制定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない。政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であるとわれらは信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。』

とある文学者は「英文和訳とみてもせいぜい『可』※である」と評している。また、文学者を中心に『最高法規たる憲法に用いられる文章が文法的に間違っているのは言語道断』という意見が出ており、それを理由とした改憲論も存在する。

※戦前からの伝統である秀、優、良、可、不可の五段階評価。