高等学校日本史B/後醍醐天皇と建武の新政

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後嵯峨法皇(ごさがほうおう)の死去後、朝廷は後深草上皇(ごふかくさじょうこう)系の皇統持明院統(じみょういんとう)と亀山天皇(かめやまてんのう)系の皇統大覚寺統(だいかくじとう)に分かれて皇位継承や院政権、皇室荘園領の相続などをめぐって対立した。両統とも鎌倉幕府に働きかけて対立を制しようとしたため、幕府は度々調停し、両統が交代して皇位を継承する両統迭立(りょうとうてつりつ)を提案した。

大覚寺統から即位した後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は親政を敷いた。天皇はかねてから両統迭立を支持する幕府に不満を抱いていた。この頃幕府は執権北条高時(ほうじょうたかとき)が政治を内管領の長崎高資(ながさきたかすけ)に任せ、高資が権勢をふるっており、御家人らの不満が高まっていた。