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高等学校日本史B/明治初期の文化

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言論

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幕末から、外国新聞を幕府は翻訳していた。

1869年には本木晶造が鉛活字の鋳造に成功したので日本で活版印刷が実用化し、1870年には最初の日刊新聞である『東京毎日新聞』が創刊された。

1873年(明治6年)には、森有礼(もり ありのり)・福沢諭吉・中村正直(まさなお)・西周(にし あまね)・加藤弘之(かとう ひろゆき)・西村茂樹(にしむら しげき)らの洋学者が明六社(めいろくしゃ)を結成して翌年から『明六雑誌』(めいろくざっし)を発行して、雑誌内で啓蒙主義的な論説を提唱したり、近代思想の紹介をするなどして、近代思想の普及につとめた。

(※ 範囲外: 西周は旧幕府では洋書を調べる仕事をしていた。中村も江戸幕末時代にイギリス留学の経験をもつ。森も幕末に薩摩藩によってイギリス留学をした経験をもつ。)

福沢諭吉は『西洋事情』『学問のすすめ』『文明論の概略』を著した。 中村はスマイルスの著作の訳で『西国立志編』を著した。

彼らとは別に、(幕末ではフランス語の翻訳仕事をしていた)中江兆民(なかえ ちょうみん)が、明治維新後には中江はフランス留学させてもらい、明治7年ごろにルソーの翻訳を紹介するなどして社会契約論(しゃかいけいやくろん)の紹介をした。

(※ 社会契約論(しゃかいけいやくろん)とは何かについては『高等学校政治経済/政治/近代民主政治の歴史』を参照せよ。)