高等学校歴史総合/もっと知りたい オリンピックの歩み

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 1896年、アテネで第1回近代オリンピック大会が開催されました。現在、200以上の国と地域がこのようなスポーツの祭典に参加しています。2020年東京近代オリンピック大会でも205か国参加しています。

三つの大会が中止になった理由は?[編集]

 第一次世界大戦、第二次世界大戦の時は、1916年、1940年、1944年に開催されました。世界大戦が本格的な戦争になった時に、オリンピックを開催する訳にはいきません。実際、1940年の大会は東京開催が決まり、日本の国民的祭典となるはずでした。しかし、日中戦争が激しくなると、日本政府から大会辞退の申し出がありました。政治とスポーツはかみ合わないという人もいますが、切り離せません。第一次世界大戦直後の1920年のアントワープ大会には、戦争に負けたドイツ、オーストリア、ハンガリー、ブルガリア、トルコが招待されませんでした。また、1948年のロンドン大会でもドイツと日本は招待されませんでした。

参加した選手数が増減している背景は?[編集]

 全体として、以前より選手の数は増えています。ただし、第2回大会以降、女性選手の参加数は当初の数年間、非常に限られていました。1952年のヘルシンキ大会から、女性選手の数が全体の10%を超えました。また、1972年のミュンヘン大会から、女性アスリートの数が1000人を超えました。

 参加選手の合計人数を見ると、1904年のセントルイス大会、1932年のロサンゼルス大会、1956年のメルボルン大会は、いずれも前回より減少しています。いずれもヨーロッパ以外の国で開催された大会です。グラフの左半分、列車や船で移動する選手が多かった時代には、ヨーロッパからの選手が多かったので、大陸間の移動が大変だったかもしれません。また、世界恐慌の後、不景気だったため、1932年の大会で参加選手の減少理由の1つかもしれません。

オリンピックがプロパガンダの場所となるとは?[編集]

 最初の聖火リレーは、1936年にナチ党政権下のベルリン大会で行われました。10万人収容のスタジアムでナチスの旗が振られ、開会式はアドルフ・ヒトラーに関する宣伝を広めるために利用されました。

 1968年のメキシコ大会では、アメリカで公民権運動が盛り上がっていた頃、2人のアメリカ人選手が黒い手袋をはめた拳を立てて表彰台に立ちました。この人種差別の訴えは政治的な動きと見なされ、その選手は失格となり、チームから追い出されました。

 1980年のモスクワ大会は、1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻していたため、アメリカは不参加を決定しました。他の西側諸国や日本も参加を見送りました。オリンピックは世界中の人々が見ており、様々な主張を発表する場所として利用され、活用されてきました。