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高等学校歴史総合/もっと知りたい 近代の博覧会

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
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日本の万国博覧会参加と国際交流の始まり

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江戸時代から明治時代に変わると、日本は西洋諸国と新しい繋がり方を探していました。明治政府は経済的な理由と伝統文化を世界に伝えるためにウィーン万国博覧会から参加しました。この経験は、内国勧業博覧会の開催にも繋がりました。万国博覧会はヨーロッパ産業社会を見せるために開かれましたが、国家間の文化交流と技術競争を世界に伝えるために開かれるようになりました。

技術発展の促進と文化的影響

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19世紀から20世紀初めにかけて、万国博覧会は国の印象と国際関係にも大きな影響を与えました。博覧会は当時の考え方と世界の見方を映し出すような鏡になりました。例えば、1893年のシカゴ・コロンブス万国博覧会は未来都市【ホワイト・シティ】の展示に興味を抱いても、先住民文化は人々の興味を寄せつけていません。また、1904年のセントルイス万国博覧会でも様々な民族が上下関係で分けられて展示され、民族の偏見をさらに強めてしまいました。博覧会の歴史を見ていくと、東アジア諸国の立場にも表れています。明治政府は、欧米諸国の博覧会に数多く参加して、自国の工芸品と美術品を展示しました。その後、日本は東京勧業博覧会で周辺諸国と周辺地域文化を紹介するようになりました。このように万国博覧会は新しい技術を世界に伝えながら、当時の国際関係と文化の上下関係も強めました。このような歴史を振り返ると、政治的な側面と様々な問題についてもう一度考えるきっかけになると思います。

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