高等学校歴史総合/クリミア戦争
< 高等学校歴史総合
ナビゲーションに移動
検索に移動
ロシアの南下政策[編集]
1853年にロシアは(オスマン帝国内の)ギリシア清教徒の保護を口実に、オスマン帝国に開戦してクリミア戦争になった。イギリスとフランスはロシアの南下を防止するため、オスマン帝国を支持。
クリミア半島のセヴァストーポリ要塞を中心に激しい戦闘になった。
最終的にロシアが敗れた。
敗戦したロシアは国内改革をするため、アレクサンドル2世は1861年に農奴解放令をした。しかしロシア政治は皇帝の専制政治のままであり、矛盾をはらんでいた。
※ ちなみに偉人伝などで有名なナイチンゲールは、この時代のイギリスの看護師である。