高等学校歴史総合/途上国から見た国際関係理論

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 本節は、途上国から見た国際関係理論の特集です。高校生には難しい論点ばかりなので、興味がある人だけ読み進めてください。実際の国際関係論は、このように奥深く、国際関係理論を解説しています。

国際関係理論の非対称性[編集]

 国際関係の思想・理論・歴史の大半は、ヨーロッパやアメリカのような「強国」「大国」「先進国」の視点から書かれています。そのため、「強国」「大国」「先進国」の思想・理論・歴史は、ある意味「正しい」と思ってしまいます。しかし、大半の世界各国は弱小国・発展途上国として考えられており、欧米諸国から大半の世界各国を無視・軽視・優遇してきた長い歴史があります。大国と小国の力関係や先進国と発展途上国の力関係は決して変わりません。マルクス主義は、どうして間違っているのかを説明しようとする理論がいくつかあるだけです。20世紀になってから、国際関係を発展途上国の視点から見る考え方が登場しました。この考え方はマルクス主義を手本としているため、ネオ・マルクス主義とも呼ばれています。

ラウル・プレビッシュ[編集]

 ラウル・プレビッシュは、アルゼンチンの経済学者です。国連貿易開発会議の初代事務局長でしたが、デヴィッド・リカードの国際分業相互利益説を否定しています。世界を「中心」と「周辺」に分ける「中心・周辺論」を考えました。先進国が中心で、途上国が外側になります。中心・周辺構造によって、発展途上国ほど鉱業や農産物などの一次産品の生産に専念するようになり、開発の遅れが目立つようになるとしています(一次産品交易悪化説)。ところで、発展途上国がもっと豊かになるためにはどうしたらいいのでしょうか。ラウル・プレビッシュは、この質問に対して、「輸入代替工業化案」を示しました。輸入代替工業化案の内容は、発展途上国は先進国に売るための一次産品の生産をやめて、高く儲かる工業製品を生産するようになります。ラウル・プレビッシュの理論を参考にしながら、南アメリカは輸入代替工業化案を採用しました。しかし、南アメリカの経済に多国籍企業を参入させたので、経済に悪影響を与えてしまいました。

アンドレ・グンダー・フランクの従属理論[編集]

 従属理論とは、途上国(周辺)の経済が、世界資本主義体制に組み込まれて、先進国(中心)に従属するようになった場合を説明する理論です。その結果、途上国は、経済・政治・社会・文化などの分野で先進国に大きく遅れをとり、未開発状態のまま取り残されてしまいます。1960年代、ラテンアメリカの社会学や経済学で、この従属理論が国際関係を考える方法として見直されるようになりました。

 ドイツ出身でチリ大学・カリフォルニア大学の経済学者アンドレ・グンダー・フランクは、ラウル・プレビッシュ理論の問題点に対応するために、従属理論を考えました。アンドレ・グンダー・フランクは、ラウル・プレビッシュが使っていた「中心」を「首都(メトロポリス)」、「周辺」を「衛星(サテライト)」と言い換えました。首都は衛星から経済の余剰を奪って、発展する一方で、衛星は従属され、開発されなくなると述べました。また、ラウル・プレビッシュの輸入代替工業化に反対しました。途上国は資本主義と縁を切れば済むと主張しました。そして、中国やキューバのように社会主義革命をして、社会の改善を図りました。しかし、キューバは社会主義革命で景気回復をしていません。

その他の従属理論[編集]

 ラウル・プレビッシュからアンドレ・グンダー・フランクまで、ネオ・マルクス主義は大きく4つの流れを持つようになりました。

  1. エジプト人のサミール・アミンなどが急進的従属理論を考えました。途上国と先進国の関係によって複雑な社会構造を招くと、途上国が経済的に成長出来なくなっていると述べました。また、途上国は、資本主義以前の旧式な生産方式と、資本主義以降の近代的な生産方式が一緒になっています。この状態をなくすために、民族自決と社会主義革命によって、途上国の自立を訴えました。
  2. ブラジル人のフェルナンド・エンリケ・カルドーゾなどが改革派従属理論を考えました。第二次世界大戦後の資本主義は、マルクス・レーニン主義が語るような、独占金融資本に搾取される仕組みはなくなりました。産業は農業から工業に移行して、多国籍企業も参加する仕組みになりました。先進国から途上国に資本移転も行われています。その結果、途上国でも市場経済が生まれます。それなのに、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾは、南アメリカの軍事独裁政権でも、所得再配分と教育水準の向上によって、途上国でも「内部からの発展」は出来ると述べました。1990年代、ブラジルの軍事政権が崩壊すると、フェルナンド・エンリケ・カルドーゾはブラジル蔵相と首相に就任しました。その後、社会民主主義政策を実施しました。
  3. 平和学でも、中心・周辺理論は、構造的暴力理論に変わりました。構造的暴力理論は、ノルウェー人のヨハン・ガルトゥングが、世界中の貧困と抑圧に注目して研究されました。
  4. アメリカ人のイマニュエル・ウォーラースティンは、世界システム論を考えました。中心・周辺理論を用いて、歴史の始まり、発展、終わりを調べました。

ヨハン・ガルトゥング[編集]

Johan Galtung - Trento
ヨハン・ガルトゥング

 ヨハン・ガルトゥングの平和論は、新帝国主義論・構造的帝国主義論とも呼ばれています。ヨハン・ガルトゥングの要点は、「暴力」と「平和」に関する独自の考え方です。暴力は2種類、平和も2種類あります。

暴力[編集]

 直接的暴力構造的暴力があります。直接的暴力とは、他人を傷つけたり殺したりする場合をいいます。夫の暴力で妻の殺害や精神的苦痛を与えた場合、暴力を振るった人(加害者)と暴力で傷つけられた人(被害者)が誰なのかが分かります。これに対して、構造的暴力とは、男性が女性を無知や服従の立場に閉じ込めておく場合をいいます。例えば、男性中心の伝統が残っていて、妻が奴隷のように夫に従わなければならない地域があてはまります。この場合、実際の人間に暴力が加えられる場合と違って、男性中心社会の仕組みから、女性は暴力の被害者を見つけられない奴隷のような不平等な立場に追い込まれます。

平和[編集]

 消極的平和積極的平和があります。消極的平和とは、直接的暴力がない場合をいいます。積極的平和とは、構造的暴力がない場合をいいます。これを踏まえて、ヨハン・ガルトゥングは、途上国の貧困・抑圧・飢餓・不平等の主な原因は構造的暴力だと指摘しました。その上で、積極的平和を目指すように訴えました。この構造的暴力論は、途上国でも先進国でも問題解決に使えます。東ヨーロッパなど旧社会主義国内の政治的抑圧から、先進国内の人種差別問題や男女差別問題まで対応出来ます。

イマニュエル・ウォーラースティンの「世界システム論」[編集]

イマニュエル・ウォーラースティン

 イマニュエル・ウォーラースティンの理論を理解する前に、あと2つの考え方を知っておきましょう。第一に、近代ヨーロッパは16世紀の地中海世界から始まったと説明して、政治史や外交史ではなく、社会経済史や民俗史の立場から歴史を見ていく「フランス・アナール学派」の学説です。このアナール学派の最も重要な研究者はフェルナン・ブローデルなどです。第二に、「コンドラチェフの波」と呼ばれる理論です。コンドラチェフの波とは、世界経済は好景気と不景気の繰り返しを50年程度続けるという内容です。

 イマニュエル・ウォーラースティンは、アナール学派、コンドラチェフの波、従属理論などの考えをまとめて、世界システム論を考えました。1974年に出版された『近代世界システム』によると、資本主義システムは、ラウル・プレビッシュが考えていたような「中心・周辺」の二層構造で成り立っていません。「中心・準周辺・周辺」という3層構造で成り立っており、それぞれの中心は25年ごとに、生成・確立・安定・衰退という4つの段階をたどります。人々のお金の持ち方に差があるため、3層構造になっています。準周辺とは、中心と周辺の中間的地帯です。中心は準周辺と周辺を上手く使い分け、準周辺は周辺を上手く使う仕組みになっています。

イマニュエル・ウォーラースティンの「反システム運動」[編集]

 イマニュエル・ウォーラースティンから見た「反システム運動」の内容についても理解しておきましょう。世界経済は成長と縮小を繰り返しながら、商品やサービスが商品化する動きを加速させ、商品経済の対象となる地域も増えてきました。この傾向が続くと、商品経済が限界に近づき、各国の違いを活かして稼げなくなります。こうした状況に対して、イマニュエル・ウォーラースティンは、「反システム運動」によって「社会主義世界政府」が実現されると考えています。

資料出所[編集]

  • 大卒程度公務員試験準拠テキスト 専門科目 ⑭国際関係  東京アカデミー編著 呼守康著