高等学校歴史総合/世界恐慌

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詳しい内容は、「世界史探究」の「世界恐慌とヴェルサイユ体制の破壊Ⅰ」を見てください。本歴史総合では、簡単に記述します。

 「黄金の20年代」と呼ばれた繁栄の時代、1929年10月、ニューヨークのウォール街で株式市場が大暴落しました。世界恐慌の原因となったこの出来事は、世の中にどのような影響を与えたのでしょうか。

金融恐慌から昭和恐慌へ[編集]

 ロカルノ条約、パリ講和条約と、1920年代後半は国際協調が進みやすい時代でした。日本の経済成長は、こうした問題から必ずしも順調ではありませんでした。第一次世界大戦中とその終結直後は、経済が急速に成長しました。しかし、戦後ヨーロッパ経済が立ち直ると、輸出が減少して不況になりました。1927年には関東大震災による混乱から金融恐慌が起こり、多くの銀行が閉鎖・倒産しました。また、昭和恐慌と呼ばれた1929年のアメリカの世界恐慌は、1930年の日本経済にも大きな影響を与えました。

世界恐慌のはじまり[編集]

 1929年の世界恐慌は、全世界に大きな影響を与えました。経済の中心となっていたニューヨークの株式市場の大暴落から始まりました。第一次世界大戦後、工場の過剰生産と行き過ぎた投機のために不安定な経済になる中、世界恐慌が起こりました。世界恐慌は瞬く間に全世界に広がりました。多くの国で、銀行の倒産や工場の閉鎖によって、大勢の失業者が出ました。特に、アメリカ資本の支援によって回復していたドイツ経済が破綻しました。ドイツから賠償金をもらっていた他のヨーロッパ諸国も危機の影響を受けました。一方、ヨシフ・スターリンが支配していたソ連は、資本主義国との貿易が少なく、世界恐慌の痛手はそれほど受けませんでした。

諸国の恐慌対策[編集]

フランクリン・ルーズベルト

 アメリカの大統領フランクリン・ルーズベルトは、ニューディールと呼ばれる計画を実行に移しました。大統領の強い指導を受けて、政府が経済に介入して、経済をよくしていこうとしました。

 イギリスとフランスは、自国の経済を守るために、自治領や植民地を支配下に置いて排他的経済圏を作り、他の地域の商品には高い関税をかけて、貿易をさせないようにしました(ブロック経済圏)。しかし、この政策は広大な植民地を持っている国にしか使えない方法でした。ドイツ、イタリア、日本など、天然資源が少なく経済基盤の弱い国は、低迷から抜け出せませんでした。また、経済状況の悪化は、政治状況や国民の不満も悪化させ、政局はさらに不安定になりました。これらの国々は、国際協力に反発して、他国を攻撃してでも自分達の要求を実現しようとしました。