高等学校歴史総合/冷戦下の東アジア
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アメリカとソ連の戦争は、第二次世界大戦後の東アジアの情勢を大きく変えました。中華人民共和国と台湾に中華民国政府、朝鮮半島に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国を建国させました。第二次世界大戦後、東アジアの秩序はどのように変化したのでしょうか。
戦後の中国
[編集]1945年に日本が敗戦すると、国民党の蒋介石と共産党の毛沢東は双十協定を結びました。その時、新しい国家をつくるために政治協商会議の開催に合意しました。1946年に本格的な国共内戦が始まると、3年後に中華人民共和国が誕生しました。中国共産党の毛沢東が中央人民政府主席、周恩来が総理になりました。その結果、社会主義陣営はさらに力をつけました。中ソ友好同盟相互援助条約によって、中華人民共和国とソビエト連邦の間に提携関係が生まれました。また、中華人民共和国の工業化を進めるため、人材交流も活発化しました。一方、蒋介石の国民党政府は台湾に中華民国を建国して、アメリカの支援を受けながら大陸に反撃したため、中国が分断されました。
毛沢東主導の中華人民共和国は、大躍進運動で食糧や鉄鋼の増産を図りましたが、失敗しました。1960年代になると、ソ連と問題を起こし、国境問題でインドと縁を切りました。そのため、1970年代になるとアメリカに接近するようになりました。
朝鮮半島の南北分断
[編集]朝鮮半島は日本の植民地支配から解放されても、北緯38度線に沿って、北はソ連軍、南はアメリカ軍に分割占領されました。南北の戦争は激しくなり、朝鮮半島は冷戦の最前線となりました。1948年、南部に大韓民国(李承晩大統領)がアメリカの支援を受けて建国しました。一方、北部に朝鮮民主主義人民共和国(金日成首相)がソビエト連邦の支援を受けて建国しました。こうして、朝鮮半島は完全に分断されました。1950年に北朝鮮が韓国に侵攻して朝鮮戦争が始まると、朝鮮半島のほぼ全域が朝鮮民主主義人民共和国の支配下に置かれました。しかし、アメリカは軍隊を送り込み、アメリカ軍を中心とした国連軍を立ち上げました。一方、中国も義勇軍を送りました。その結果、板門店で休戦協定が結ばれ、朝鮮戦争は終わりました。しかし、北朝鮮と韓国間の線引きはそのままでした。朝鮮戦争では、民間の日本人も輸送軍務に協力するようになり、犠牲になりました。
現代の朝鮮半島と台湾
[編集]大韓民国は、休戦協定以降の1960年代に軍人朴正熙がクーデタで政権を握りました。朴正熙は工業化も進めました。大韓民国と中華民国(台湾)は、アメリカの支援を受けながら資本主義的な経済成長を遂げ、1980年代には民主化も進みました。一方、朝鮮民主主義人民共和国では、金一族による軍部優先の独裁体制が続きます。
日本は敗戦すると、台湾統治を放棄しました。やがて国民党が政権をとった時、戦前から暮らしていた人達に、国民党の思い通りになるように強要しました。本省人は煙草の密売を取り締まったら怒ったので、二・二八事件に発展しました。機関銃で次々と人が殺され、本省人エリートは警察に検挙されて、処刑されました。1947年の二・二八事件以降、戒厳令が敷かれ、独裁者が統治するようになりました。戒厳令は、30年後の1987年に廃止されました。