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高等学校歴史総合/冷戦下の東アジア

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戦後の中国

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1945年、中国国民党の蒋介石と中国共産党の毛沢東は仲良く新しい中国を作ろうと約束しました(双十協定)。しかし、その約束はすぐに破られました。1946年、中国国民党と中国共産党が戦争を始めました。1949年、中国共産党が勝って、中華人民共和国を作りました。中華人民共和国はソビエト連邦と仲良くなり、お互いの技術を教え合うようになりました。一方、中国国民党は台湾島に逃げました。中国国民党はアメリカと手を組んで、中国本土を取り返そうとしました。

毛沢東は大躍進運動を始めました。中国経済はむしろこの運動で悪化しました。1970年代に入ってから、アメリカと仲良くなりました。

朝鮮半島の南北分断

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第二次世界大戦後、アメリカとソビエト連邦が朝鮮半島を北緯38度線を基準に分けてそれぞれ治めました。李承晩大統領は北緯38度線より南側を治めました(大韓民国)。金日成首相は北緯38度線より北側を治めました(朝鮮民主主義人民共和国)。こうして、朝鮮半島は違う道を歩みました。アメリカは李承晩大統領を支えました。一方、ソビエト連邦は金日成首相を支えました。当時はアメリカとソビエト連邦の仲は好ましくなく、ここ朝鮮半島でも争われるようになりました(朝鮮戦争)。最初、北朝鮮軍が南側を攻めました。次にアメリカ中心の国連軍がこれに反抗しました。さらに、義勇軍と北朝鮮軍がこれを盛り返しました。結局、この戦争は引き分けに終わりました。北緯38度線内の板門店で休戦協定を結びました。朝鮮戦争は、日本人も軍事物資の輸送中に命を落としています。

現代の朝鮮半島と台湾

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1960年代、軍人が大韓民国の政治を治めました。その後の大韓民国は工場と会社を数多く作りました。大韓民国と台湾はアメリカと仲良く付き合いながら豊かになりました。1980年代になると、国民の意見が政治に反映されるようになりました。一方、朝鮮民主主義人民共和国は違います。朝鮮民主主義人民共和国の建国から金一族のみでずっと治めています。

1945年、国民政府が台湾を治めました。国民政府は台湾人を全く考えず、かなり上から目線でした。国民政府が煙草の密売を取り締まると、台湾人の不満も爆発しました。これに対して、国民政府は1947年2月28日に機関銃で台湾人を殺しました(二・二八事件)。また、国民政府は台湾の有名人も次々と捕まえて、処刑しました。その後、国民政府はかなり厳しい決まり(戒厳令)を作って、台湾人の自由を奪いました。この状態は1987年まで続きました。