高等学校歴史総合/地域統合の進展と課題
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地域統合の拡大
[編集]1990年代から、各国が手を組むようになりました。
カンボジアの内戦が終わると、東南アジア諸国は東南アジア諸国連合(ASEAN)とアジア太平洋経済協力(APEC)から東南アジアの経済を支え合うようになりました。その後、東南アジアの政治・安全・社会・文化も支え合うようになりました。こうして、ASEAN共同体が2015年に生まれました。
1992年、ヨーロッパ共同体(EC)の加盟国がマーストリヒト条約[通貨・安全保障・司法面の協力]を受け入れました。1993年、ヨーロッパ連合(EU)が生まれました。本部はベルギーのブリュッセルに置かれました。1999年、共通のお金(ユーロ)も使い始めました。2000年代に入ると、中央ヨーロッパ・東ヨーロッパ・バルト3国もヨーロッパ連合の加盟国に加わりました。2004年、旧社会主義諸国もヨーロッパ連合の加盟国に入り、加盟国は25カ国になりました。
地域統合の課題
[編集]国家と国家が仲良くなろうとすればするほど、色々な問題を抱えるようになりました。例えば、裕福な地域と貧しい地域の差が大きくなったり、愛国者が増えたりしました。このような問題から、他国と仲良くしたくない人もいます。
豊かな人と貧しい人の差がタイ国内で広がると、政治も混乱するようになりました。東南アジア全体でも同じような問題があります。特に、国外在住中国人(華僑・華人)と国外在住インド人が経済で成功して豊かになります。一方、それを快く思わない現地の人もいて時々揉めるようになっています。
ヨーロッパ連合加盟国でも裕福な国と貧しい国の差は埋まりません。2008年、世界的な金融大混乱とギリシアの財政大混乱からヨーロッパ全体の景気が悪くなりました。そんな中、中東の難民がヨーロッパ連合に住み始めました。それに対して、快く思わない人が増えました。このような問題が重なって、イギリスでヨーロッパ連合から抜けるかどうかを国民に問いました。2016年の国民投票の結果、ヨーロッパ連合から抜けたい意見が過半数を超えました。こうして、イギリスは2020年にヨーロッパ連合から抜けました。