高等学校歴史総合/大衆社会の形成

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 大衆社会の発展とともに、スポーツ・映画・旅行などの趣味が広まりました。大衆社会にはどのような特徴がありますか?現代社会との共通点・違う点、注意点など、色々な角度から見ていきましょう。

大衆社会の出現[編集]

 ある程度の年齢になると、学校に行き、前日に読んだ雑誌の内容や気になったニュースなどを友達と話すようになります。また、空き時間には趣味などの計画を立てます。このような日常習慣が当たり前になったのは、いつ頃からでしょうか。

 産業革命が社会を大きく変えました。その一つに、娯楽がありました。1851年にロンドンで万国博覧会が開催されました。その際、イギリス人のトーマス・クックが旅行商品を企画すると、成功を収めました。その結果、旅行が趣味となり、それまで以上に人気を集めました。19世紀後半になると、第二次産業革命が始まりました。第二次産業革命は、大量生産・大量消費社会を実現しました。また、工業分野の技術革新や都市化も進むようになりました。学校に行く人が増えて、生活環境もよくなると、大衆が文化や社会の中心になりました。都市に住む若者を中心に大衆文化も発展しました。スポーツ・音楽・演劇などの大衆文化が発展していく中で、国民は新聞・映画・ラジオなどから多くの情報を得るようになりました。

 大衆社会とは、大衆が支配する社会です。私達が生きる現代社会はここから始まりました。マス・メディアは大衆に対して大きな力を持っており、大衆の生活も同じような傾向が見られます。また、大衆は政治に無関心です。巧妙な宣伝によって独裁的な指導者を支持するように説得され、誤った情報のために誤った決断をしてしまいます。

アメリカ合衆国 1920年代の光と影[編集]

 第一次世界大戦中、アメリカはヨーロッパ各国に武器や軍資金を提供すると、債務国から債権国になり、ロンドンは世界経済中心地としての地位をニューヨークに奪われてしまいました。アメリカで大量生産方式によって自動車が作られるようになると、価格が下がり、より多くの大衆が自動車を買えるようになりました。電化製品で生活が便利になり、かつてないほど豊かになったので、「黄金の20年代」と呼ばれるようになりました。ラジオや映画を通じて多くの大衆が新しい生活様式を知り、プロ野球やジャズなど新しい娯楽も生まれました。その一方で、社会はより保守的になりました。社会主義者・移民・黒人がより非難され、排他的な風潮が広がりました。また、アジアからの移民を禁止する法律も制定されました。

日本の大衆社会[編集]

 1923年の関東大震災は、東京近郊に大きな被害を出しました。東京近郊は、新しい都市計画に基づいて再建され、都市の姿を大きく変えました。都市化は大都市だけでなく、地方でも進みました。1925年、東京と大阪でラジオ放送が開始されました。やがてそれは全国に広がり、映画や雑誌も娯楽の選択肢に加わりました。こうしたメディアの発展によって、新しい世界・新しい生活への欲求が高まり、国民の社会変革への期待も高まりました。また、中学・高校・大学の数が増えると、優秀な学校に入り、将来のエリートになるための受験競争も激しくなりました。