高等学校歴史総合/女性の社会参加
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女性の社会進出
[編集]歴史の教科書を見ると、欧米でも日本でも中国でも男性の活躍が目立ちます。
ヨーロッパの女性は近代まで家事と育児と決められていました。それでも、女性は学校に通えるようになり、看護師・幼児教員・作家として働き始めました。フランス革命の時、最初は女性も希望に胸を膨らませて参加しましたが、次第に政治から締め出されました。当時の人権宣言も男性と男性市民を守るためにありました。これをきっかけに、欧米の女性は参政権を求めるようになりました。1893年、ニュージーランドで女性の参政権が初めて認められました。その後、他国でも女性の参政権が少しずつ広がりました。
欧米諸国の場合、男性が戦場に行くようになると、労働者も足りなくなりました。その結果、女性が軍需工場とかで働くようになりました。このように、第一次世界大戦から社会で働く女性が一気に増えました。女性のファッションも大きく変わりました。これまでの女性はコルセットとかペティコートのようにきつそうな服を着ていました。やがて、働く女性が増えてくると、動きやすくてゆるい服を着るようになりました。
日本の大正期の女性
[編集]第一次世界大戦から女性解放運動が盛んになりました。平塚らいてうが雑誌『青鞜』に「元始、女性は太陽であった」と記しました。また、平塚らいてうは市川房枝と一緒に新婦人協会を作り、女性も投票と高等教育を行えるように政府へ声を上げました。大正時代になると、女性は仕事の幅も広がりました。例えば、紡績工場で働いたり、タイピストとして働いたり、電話交換手として働いたりしました。さらに、都会は新しい女性(モダンガール)も現れて、新しい風を吹き込みました。しかし、経済が悪くなるとそのような自由な雰囲気も少しずつなくなりました。代わりに、女性は将来兵士として働く男の子を数多く産んで育てなくてはならない考え方「産めよ殖やせよ」を押しつけられるようになりました。