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高等学校歴史総合/戦争が変えた人々のくらし

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
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マス・メディアの普及と情報や生活の画一化

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アドルフ・ヒトラーは映画・ラジオを上手く使って国民の心をつかみました。また、アメリカのフランクリン・デラノ・ローズヴェルト大統領もラジオ放送で、まるで家族と話すように国民に語りかけていました。こうして、マス・メディアは国民と国家の関係を作り上げました。1930年代の日本でも新聞・ラジオが各地に広まって、どこに住んでいても同じような情報を手に入るようになりました。戦争前は洋画とか洋楽とかも楽しんでいました。戦争を迎えると、マス・メディアが「欧米諸国は敵だ。」と国民に伝えました。

国民の組織化と戦争動員

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総力戦は私達の生活にかなり深く関わっていました。世界各国は、国民をまとめるために様々な工夫をしました。例えば、ドイツの場合、ナチ党が同じ制服を着させたり、決まった作法を取り入れたりして、ドイツ国民を1つにまとめようとしました。アメリカの場合、会社と民間団体が「戦争に協力しましょう。」と国民に伝えて、国民の意識を高めようとしました。日本の場合、国家総動員法を1938年に作りました。国家総動員法は戦争になっても慌てないように政府の命令でいつでも必要な物資と労働者を動かせるようにました。そして、町内会・国防婦人会・在郷軍人会から国民全員が戦争を向かわせるように意識を高めようとしました。学校でも戦場に向かう兵士を見送るような行事とか、アジアのために働く日(興亜奉公日)とかを設けて、子供も「政府のために戦争に行きたい。」と思わせるようにしました。

国民の平準化

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当時の日本政府は国民の生活と国民の健康についてかなり気にかけていました。健康保険制度と母子手帳は昭和時代から始まりました。政府は1938年に厚生省を作りました。食料品と日用品を同じ値段で買えるようにしたり、国民全員に食料品と日用品を行き渡るようにしたりしました。しかし、高いお金を払って隠れて食料品と日用品を買ったり、女性と障害者などが差別されたりしました。

集団思考の罠
私達はSNSとかインターネットの情報にかなり影響されています。戦争の時代も同じように、ラジオを見たり映画を見たりして、国民が同じように考えてしまう傾向がありました。そして、国民を同じ考えに縛り付けたり、周りと違う意見を全く言えなかったりして、国民を騙しました。このように、自分でよく考えないと周りの空気に流されてしまいます。

戦争と植民地の民衆

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支配者側は、植民地側の意見を全く聞かずに道路を作ったり建物を建てたりしました。そして、植民地の伝統的な生活と伝統的な文化を遅れていると決めつけて近代化を進めました。

支配者側は植民地の人に無理やり戦争に参加させようとしました。植民地側が反対しないように、「戦争は正しい」と学校でも戦争教育を行いました。日本の場合、植民地の人を日本人にさせるために、厳しい政策を行いました。例えば、日本の天皇を敬ったり、植民地の言語を禁止したり、自分の名前まで日本風の名前に変えるようにさせました(同化政策)。