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高等学校歴史総合/敗戦後の日本とアジア

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
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日本の戦後改革

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アメリカ軍は第二次世界大戦後の日本を治めるようになりました。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本を完全な民主主義の国に変えようとしました。その結果、国民が主役になり、平和を大切にするようになりました。また、農地を貧しい農民に分けたり、大きな会社を小さく分けたりしました。こうして、戦後の日本は新しい形に生まれ変わりました。

第二次世界大戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)がありました。日本軍の指導者・総理大臣・役人は極東国際軍事裁判で戦争責任を問われました。一方、アメリカとかイギリスなどの連合国は、天皇制の存続を認めました。

大衆は敗戦をどう生きたか

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日本の街は戦争で焼け野原になりました。公園とか空き地とかに闇市を開いて食べ物と日用品を取引していました。闇市の食べ物と日用品は本来よりも高い値段で売られていました。この時期、戦災孤児もかなり深刻な問題になりました。

日本人は敗戦までに様々な国に住んでいました。終戦前、満州にソ連の軍隊が攻めてきました。数多くの日本人がシベリアに連れて行かれ、かなり厳しい仕事をさせられました。その結果、犠牲者も増えました。全員日本に帰ってこられるまでにかなり長い時間を費やしました。その上、中国の国民党と中国の共産党が戦い始めました。そのため、満州の日本人は日本に帰りにくくなりました。また、戦災孤児は中国の家族に育ててもらったり、日本人女性が中国人男性と結婚したりしました。

冷戦と日本の独立

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冷戦は東アジア地域も混沌を与えます。戦後の日本経済は朝鮮戦争から復興しました。戦後の問題解決も早まりました。1951年、アメリカは日本とサンフランシスコ平和条約を結ぼうとしました。日本はサンフランシスコ平和条約から独立国に戻りました。加えて、日米安全保障条約も結んで、アメリカに守って貰うような約束もしました。一方、社会主義諸国と平和条約を結んで貰えず、北方領土問題と戦争責任問題はかなり後まで延ばされました。また、日本は自衛隊を作りましたが、当時の沖縄と小笠原諸島はアメリカ軍で治めています。

日本は第二次世界大戦で負けて、連合軍に降伏しました。その後、アメリカが日本を占領すると、東西冷戦も始まりました。こうして、日本はかなり後になってからアジア周辺諸国と少しずつ仲直りするようになりました。