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高等学校歴史総合/日清戦争とその影響

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 日清戦争後、日露戦争・第一次世界大戦・日中戦争・アジア太平洋戦争へと、次々と大きな対日戦争が起こりました。日清戦争勝利後、日本の領土や周辺地域がどのように変化しましたか?

日清戦争[編集]

 朝鮮の開国後、日本と清国は朝鮮をめぐって争うようになりました。日本は朝鮮半島をより多く支配しようと考え、清国は支配を続けようと考えました。このような争いは、朝鮮半島に新たな政治的対立をもたらしました。1884年、日本軍の支援を受けて、急進的な改革派が中国を支配しようとしました。しかし、清軍によってクーデタを止められました(甲申政変)。1885年、日中両国は天津条約に調印しました。天津条約は、両国が同時に軍隊を撤退させ、軍事的な動きをする時はお互いの事前通告などを定められました。

 1894年、朝鮮で宗教結社(東学)が農民反乱(甲午農民戦争)を起こしました。朝鮮政府は清に軍隊の派遣を求めると、日本も居留民保護という名目で出兵しました。朝鮮政府は日本と清に軍隊の撤退を求めました。しかし、日本は自国内で清への反感を強く持っていました。このため、日本は、清と戦争して、清に軍隊を駐屯したいと考えました。

 1894年7月、日本軍が朝鮮王宮を占領して親日政権を成立させました。その後、豊島沖で清国艦隊を攻撃すると、日清戦争が始まりました。日本軍はこの戦いに勝利して、朝鮮半島の戦いを有利に進め、遼東半島を制圧したり、黄海海戦で清軍を壊滅させたり、様々な活躍を見せました。

 日清戦争は、日本初の本格的な対外戦争でした。日本社会に大きな影響も与えました。人々は連戦連勝と聞いて興奮しながら、日本という国を知り、国民としての自覚を深めました。

東アジアの構造変動[編集]

 1895年4月、下関条約が締結されて、和解も成立しました。日本は、朝鮮を清から独立させ、遼東半島・台湾・澎湖諸島を手放しました。その後、2億円の賠償金を支払い、港湾都市に工場を開設しました。しかし、ロシア・フランス・ドイツは、東アジアでの勢力を伸ばしたいと考え、三国干渉に参加しました。その結果、遼東半島は清に返還されました。台湾は、台湾民主国を建国しました。また、抗日運動も起こりました。しかし、抗日運動は日本軍によって鎮圧され、日本はアジアで唯一植民地を持つ国家となりました。

 一方、清は日清戦争前にベトナムやビルマなどの冊封国家を失いました。日清戦争で敗れると、朝鮮半島の支配権も失いました。琉球を日本に譲渡する最終決定によって、朝貢と封建制度に基づく東アジアの古い華夷秩序は崩壊しました。日清戦争後、欧米列強は中国への投資を本格的に開始しました。鉄道建設や鉱山開発などの分野で安定的な利権を手に入れるため、勢力圏を設定しました。そこで中国は分裂して、列強による帝国主義的な侵略が一気に進みました。