高等学校歴史総合/産業革命による経済発展と社会の変化

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 産業革命は、経済や社会にどのような影響をもたらしたのでしょうか。

イギリスの産業革命[編集]

リバプールとマンチェスター鉄道

 18世紀後半、イギリスで産業革命が始まると、農業を中心とした社会から工場を中心とした社会へと大きな転換が起こりました。イギリスでは、古くから良質の羊毛を原料として毛織物を作っていました。18世紀後半には、世界貿易を支配して、多くの植民地を持つようになりました。その結果、産業発展のための多くの資金と海外の広大な市場へのアクセスを手に入れて、どちらも産業の発展に貢献しました。

 17世紀以降、イギリスはインド製の綿織物(キャラコ)をどんどん買っていました。高品質で安価なキャリコに対抗するため、イギリスは自国の綿織物をより多く生産するための新しい方法を考えなければならなくなりました。そこで、1733年にジョン・ケイが飛び杼を作り、1760年代から1770年代にかけて、3種類の紡績機が作られると、綿糸の生産量が増えました。次に、織物産業の生産性を上げる必要があり、1780年代には力織機が作られました。ジェームズ・ワットが蒸気機関を改良する以前は、水の力で物を動かしていました。道具を使っていた生産が、機械を使って行われるようになると、綿製品の生産量は大きく伸びました。

 生産部門が盛んになると、流通部門も盛んになり、原材料や完成品を運ぶシステムの整備に力を入れました。まず、道路や運河が整備されました。1820年代にジョージ・スティーブンソンが蒸気機関車を実用化すると、陸上での移動は一気に鉄道が主流となり、鉄道網が全国に広がっていきました。鉄道の発明により、人や物を大量に、長距離を短時間で移動出来るようになりました。また、帆船に代わって蒸気船が作られ、海上での移動がより安全で効率的になりました。

通信技術の発達
 電信は、19世紀前半、鉄道網の整備とほぼ同時期に実用化されました。人々が情報を知り、会話する方法を変えた画期的な発明でした。1851年、ドーバー海峡に海底ケーブルが敷設されました。おかげで、海を越えての会話が出来るようになりました。その後、大西洋横断海底ケーブルやイギリスからインドへの直通海底ケーブルが敷設されて、世界各地とのつながりはさらに強まりました。


産業革命と社会の変化[編集]

 産業革命が進むにつれて、資本主義社会が発展しました。資本主義社会では、物を作るのに必要な機械や工場を持つ産業資本家が、労働者を雇って生産労働を行い、お金を稼ぐようになりました。また、マンチェスターやバーミンガムなどの工業都市、リバプールなどの貿易港など、交通の重要な拠点に位置する都市が急速に発展していきました。こうして、田舎からこれらの都市に移り住む人々も急速に増えました。

 当時の労働条件は悪く、1日10時間以上働かなければなりませんでした。機械生産の結果、単純労働が必要となり、賃金の安い女性や子供も働かなければなりませんでした。このような状況の中で、労働者は徐々に自分達の置かれている状況を意識し始め、賃金の引き上げ、労働時間の短縮、政治的権利の獲得などを求めて、力を合わせ始めました。労働運動の目標は、より高い賃金、より短い労働時間、より多くの政治的権利を手に入れようと考えました。同時に、資本主義を批判して社会問題を解決しながら、より平等な社会を実現しようとする社会主義思想も生まれました。