高等学校歴史総合/石油危機と価値観の転換
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戦後経済の転換
[編集]これまで、世界の金融制度はお金の価値を金(ゴールド)で決めていました。1970年代前半、アメリカ経済がかなり悪くなると、世界の金融制度もお金の価値を需要と供給で決まるようになりました。
1973年10月、アラブの石油産出国が石油の輸出を制限しました(石油危機)。その結果、石油が世界各地で不足して先進国の経済も悪くなりました。また、発展途上国の政治も国民生活も物価の高騰から苦しくなりました。
石油が1970年代に全然手に入らなくなると、世界各国も慌てました。なぜなら、石油はとても大切なエネルギーだったからです。また、先進国は国民のために様々なサービスを数多く始める一方で、国の予算を多く費やしていました。そのため、先進国は考え方を変えて民間企業にもっと活躍してもらうような方向性に変えました。
石油危機と日本
[編集]1973年、石油の値段が急に上がりました。当時の田中角栄内閣は道路とか建物とかを作るためにお金をたくさん使いました。その結果、物の値段がさらに上がりました(狂乱物価)。1974年、日本経済は戦後初めて悪くなりました。こうして、高度経済成長も終わりを迎えました。
製造業は、新しい機械を入れて仕事の進め方を変えました。こうして、石油危機を乗り越えました。かつて会社の使用者と労働者の間でかなり対立がありました。石油危機以降、使用者と労働者は話し合いで解決するようになりました。職場環境は少し複雑になっています。女性は法律でしっかり守られるようになり、働きやすくなりました。一方、期間限定で働く人が増えました。地方自治体も課題を抱えています。市役所は住民のために様々なサービスを始めました。一方、お金を借りすぎてしまい、財政が厳しい地方自治体もあります。
価値観の転換
[編集]1975年、欧米諸国は「石油危機とドル・ショックは、一緒に話し合いで解決したい。」と考えて、初めて先進国首脳会議(サミット)を開きました。先進国首脳会議は各国の代表者を集めて話し合いを行います。それ以来、先進国首脳会議は毎年開かれるようになりました。
社会の考え方も大きく変わりました。昔は大きな製品で大量に作るような考え方でした。やがて、小さな製品で少なく作るような考え方に変わりました。その理由として、太陽光とか風力とかの新しいエネルギーが開発されたり、電気をあまり使わないような生活を心掛けたり、地球に優しい考え方が広まったりしたからです。