高等学校歴史総合/社会主義革命

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 詳しい内容は、「世界史探究」の「第一次世界大戦とロシア革命Ⅱ」を見てください。本歴史総合では、簡単に記述します。

 ロシアの民衆は長い戦争に疲れていたので、食べ物を探すために行動に移しました。革命は、労働者、農民、兵士が中心となって行われました。革命について、世界の人々はどのように受け止めたのでしょうか?また、革命の思想はどのように広がったのでしょうか?

社会主義革命としてのロシア革命[編集]

 1917年、第一次世界大戦で空腹感を抱えたロシアの労働者達がデモやストライキを始めました。これが三月革命の始まりで、皇帝ニコライ2世は退陣して、ロシア帝国は滅亡しました。ウラジーミル・レーニンは、第一次世界大戦を終わらせて、ソビエト(評議会)に全権を任せようと呼びかけました。十一月革命によって、ソビエト政権が始まりました。まず、ソビエト政権は「和平に関する布告」を行いました。「領土を併合しない」「損害賠償をしない」「自分の判断で決める」という原則に基づいて、戦争の即時終結と和平交渉の開始を求めました。また、「土地に関する宣言」では、土地の私有権の廃止を求めました。ソ連政府は、ドイツ、オーストリアと平和条約を結んで、第一次世界大戦から撤退しました。

 国内の反革命勢力と革命の拡大を恐れた資本主義の列強は、社会主義に向かうソビエト政権に対して介入戦争を始めました。大陸へ進出したい日本は、反革命勢力が拡大する労働運動と戦うのを助けるという名目で、シベリアで列強と手を結びました。しかし、ソビエト政権は赤軍を強化させました。反体制派を厳しく取り締まって、介入戦争を食い止めました。

社会主義革命とその広がり[編集]

1920年5月の演説

 ソビエト政権は、コミンテルン(第三インターナショナル)を立ち上げ、世界各地の社会主義勢力を組織したり、指導したりしていました。コミンテルンの目的は、社会主義革命をヨーロッパ各国と世界に広めるためにありました。共産主義の理想は、コミンテルンの活動を通じて広まっていきました。19世紀半ばにカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが書いた『共産党宣言』では、共産主義は財産の私有をやめて、代わりに共有・国有化すれば、社会の平等を達成出来るとしていました。ドイツやハンガリーでの革命は失敗に終わりましたが、コミンテルンは東南アジアなどでの民族運動に大きな影響を与えました。中国では、コミンテルンが1921年に中国共産党を立ち上げるように指示したため、その後の民族革命に重要な役割を果たしました。日本では日本共産党が出来て、日本統治下の台湾や朝鮮でも政党が作られました。また、東アジアでは、社会主義運動と関連した民族運動が盛んに行われるようになりました。日本政府も、これらの出来事に対応しなければならなくなりました。

1920年代のソ連[編集]

 1922年、ロシアのソビエト政権とその周辺の社会主義共和国が集まって、ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立しました。海外と外交関係を持つようになり、ソ連の国際的地位は徐々に高まっていきました。ソ連では、1924年に革命の指導者ウラジーミル・レーニンが亡くなり、ヨシフ・スターリンが新たな指導者となりました。ヨシフ・スターリンは、一国社会主義を目指していたので、反対派を厳しく取り締まりました。一方、ヨシフ・スターリンの時代に入ってから、工業化が目まぐるしく進みました。このような成果を見た各地の指導者達は、列強から抜け出して社会主義社会を建設したいと考えていました。そのため、第一次五カ年計画による工業化のような計画経済が最適だと考えました。