「利用者:すじにくシチュー」の版間の差分

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
M 112.139.181.117 (会話) による編集を取り消し、すじにくシチュー による直前の版へ差し戻す
3 行 3 行
|en-1}}
|en-1}}


このページでは外国の読者のため、日本語と英語で紹介を書いています。
このページでは外国の読者のため、日本語と英語で紹介を書いています。


On this page, for foreign readers , I am writing an introduction in English and in Japanese.
On this page, for foreign readers , I am writing an introduction in English and in Japanese.

2017年5月21日 (日) 14:18時点における版

Wikibooks:バベル
ja この利用者は日本語母語としています。
en-1 This user is able to contribute with a basic level of English.
言語別の利用者

このページでは、外国の読者のため、日本語と英語で紹介を書いています。

On this page, for foreign readers , I am writing an introduction in English and in Japanese.

経歴

  • 国籍 :日本人
  • 母国語 :日本語
  • 得意分野 :主に理工学系。機械工学を中心に、物理学や応用数学などを少し学んだ。
  • 年齢 :大人

Self-introduction

My handle-name's pronunciation is "Su Ji Ni Ku - Si Tyuu"

  • Nationality  : Japan.
  • Mother tongue: Japanese.
  • A specialty  : Science and engineering .Mainly specialty is mechanical engineering, and on the other , engineering mathematics and physics just a little .
  • Age      : Adult

私の話す言語について

私は、日本語を話せます。
少しだけ、英語が話せます。
他の言葉は話せませんので、その場合は機械翻訳に頼ることになります。

For language that I speaking

I can speak Japanese.
Just a little bit, I can speak poor English.
Since I can not speak other languages​​, I will be talking in that case rely on machine translation.

「すじにくシチュー」の元の言葉の意味

牛肉のアキレス腱の部分とか横隔膜とかの部分らしいです。細かいことは知りません。

Meaning of "Sujiniku-Sityuu"

"Sujiniku" is beef sinew; fibrous beef; beef tendon. "niku" is meat. "Sityuu" is Stew.

他の活動場所

ウィキペディアでの利用者ページへのリンク、こちら。( The link of My User page in Wikipedia is next one. )

w:利用者:すじにくシチュー

作業用

教科書の執筆で使いそうな表などを、この節に置くことにした。

おもな税金
  直接税 間接税
国税  所得税
 法人税
 相続税
 消費税
 酒税
 関税
 たばこ税
地方税  住民税
固定資産税
 たばこ税  


学校生活ガイド

余計な友人・知人をつくってはいけない

教師の言う生徒みんなで仲良くしましょう」は信用してはならない

学校の教師は、生徒すべてに平等に接しなくてはならないので、「生徒みんなで仲良くしましょう」などと指導する。

しかし、不良生徒の中には、こういう風習を悪用して、悪事を行って他の生徒に嫌がらせをしても、ときどき、いじめた相手と一緒に遊んだりして、いじめをやむやにする連中も多い。

大人になるにつれて、そういう不良連中とは縁を絶っていくことになるのだが、小中学校の時点だと、学校でも集団行動をさせられる事が多いので、縁を立つのは難しい。

そもそも外見だけでは、不良だと判別がつかない場合もある。金髪や茶髪に染めてなかったりすれば、不良かどうかなんて、外見では判別不能である。


不良が、いたずらと犯罪の区別がついてない未熟な人物かのように装う場合もあります。しかし、おそらく、実際は、いたずらと犯罪の区別がついており、意図的に、未熟な人物を装っています。

また、そもそも不良本人が、自分自身が不良だと気づいてない場合もある。「髪を染めてないし、タバコをすってないし、大学進学を目指して、学校のテスト前にはテスト勉強をするので、だから自分はまじめな一般の生徒」などと、不良本人が勘違いしている場合もある。

だから、一般の生徒としては、そもそも他の生徒児童とは、最初から仲良くしないようがいい。

だから、教師の「みんなと仲良くしましょう」という指導は、そもそも間違っているのである。


なお、このような不良が小中高の学校には居るので、あまり学校に貴重な物を持って行かないのがベストである。お気に入りの○○とか、ついつい普段から持ち歩きたくなりますが、しかし、学校には持ち込まないのがベストです。あまり、大切なものは、家の外に出さないのがベストです。

大切な品物は、家庭内で使用しましょう。

お金も、運賃や食費などで必要がないかぎり、学校に持って行かないのがベストです。

高校の通学や昼食の食費などで金銭が必要な場合でも、盗まれる場合も想定して、学校には必要最小限より少し多い程度の小銭を持ちこみましょう。

そこそこ偏差値の高い高校でも、万引き事件は、よく起きます。

こういう理由もあって公立の小中学校では、普段はお金やサイフを学校に持って行かないように教師が生徒に指導するのも、当然です。

カネを盗む生徒がいるんですよ、残念ながら。


不良とは別の、困った生徒

不良とは別ですが、すぐに怒ったり、あるいは、不愉快なことがあると、相手を殴ったり、爪で引っ掻いてきたり、平手で叩いてきたりする生徒もいます。 被害者が女子の場合は、加害者が女子の髪を引っ張ってきたり、・・・などです。

小中高では、こういう未熟な生徒でも、そこそこ成績が良かったりして、優等生だったりします。


他人を殴ったりする生徒は、かならずしも体格が大きいとは限らず、逆に体格が小さい子供でも「自分は小さいから、相手が殴り返した場合のヤリすぎを恐れて、仕返しをしてこない」だろうと考えて、気軽に殴ってくる場合もあります。

一見すると、誰がこういう未熟な生徒だか、すぐには分からないので、いっそのこと、最初から、あまり同級生の相手をしないのがベストです。

また、こういうことをやられた場合、けっして生徒どうしで解決しようとせず、さっさと自分の親に相談し、そして、親から教師や相手の親に交渉させましょう。

一見、軽度のいじめは、生徒どうしで解決したほうが早そうですが、実態は違います。

なぜなら、他の一般の生徒は、トラブルに巻き込まれたくないので、大人の介入のないかぎり、放置します。

なので、さっさと親に相談しましょう。


教師はことを荒立てたがらずに不良を罰しないので、最悪、弁護士に相談を

もし不良や暴力的な生徒に、とてつもない嫌がらせをされた場合、教師に相談するのではなく、自分の親に相談しましょう。被害が思すぎる場合は、親を通して、場合によっては弁護士に相談してもらいましょう。そして弁護士を通して警察に刑事事件として持ち込ませると、圧力を掛けるのが良い。

もちろん、これは最終手段です。

ですが、弁護士や警察に持ち込むほどではなくても、さっさと親に相談して、警察などへの持ち込みの圧力をかけつつ、保護者どうしで解決させるのが、ベストです。

不良たちは「親や教師に相談するなんて、卑怯だ」などと意味不明な理屈を主張したりしますが、卑怯なのはどう考えても、不良や暴力生徒です。

また、不良からの仕返しや報復を恐れる必要はありません。親に相談するのが、もっとも仕返しの少ない方法です。仮に仕返しをされても、ほぼ確実に、親が警察や弁護士などに相談し、確実に刑事事件化して、加害者が刑罰を受けるので、安心してください。

ある程度以上、不良からの嫌がらせが酷い場合は、それを相談せずに当事者どうしで解決しようとする事こそ、もっとも危険です。


親は生徒どうしの事情を知らないので、他の生徒の協力が必要な場合もありますが、その場合も、やはり、けっして生徒どうしで解決しようとするのではなく、親を通すの確実です。

(前の節でも述べたように)、他の一般生徒は、トラブルに巻き込まれたくないので、大人の介入のないかぎり、生徒間のいじめ・暴力などの問題を放置します。

そもそも、他の一般生徒は警察はないので、そのような生徒間の問題を解決する義理もありません。

なので、まわりの一般生徒の介入を待つのではなく、さっさと親に相談してください。


また、不良には、学業をサボったりするので時間が豊富にある一方で、被害者側のマジメな一般生徒は学業などで忙しく、不良との対応を考える時間などは時間がない。


私も、大人になった今から思えば、不良などの相手で困った場合、親に相談した場合が、もっとも解決が早かった。


ちなみに弁護士の相談料は、1時間あたり数万円である。相談するだけなら、あまり高くない。 また、地元の弁護士を探すには、市役所などに行けば、役所の職員から付近の弁護士事務所の場所を教えてもらえる。 もっとも、弁護士への相談は、最終手段である。

まず、親に相談すべきである。

なお、親の中にも、頭のわるくて「不良とも、生徒みんなで仲良くしましょう」とか思ってるバカな大人がいるので、その場合は、その親がバカだということを自覚させるために、たとえば、私のこの文章を読ませましょう。


塾でも、困った不良はいる

塾とかにも、そういう困った不良じみた塾生がいる場合があります。ほかの塾生を重いっきり痛くツネッたり(「殴らなければ、問題にならない」とか考えてるようだ)、侮辱してきたりする人も、塾生に居る場合があります。(私の実体験です。)

これまた、塾講師に相談しても、無駄な場合がある。加害者の塾生も被害者の塾生も、両者とも塾生だから、塾講師は、ことを荒立てたがらず「二人とも仲良くしなさい」などと言ったりする場合もある。

塾講師がこういう「二人とも仲良くしなさい」などという場合、親に相談して、自分が、その塾をやめましょう。(私は親に、こういう困った塾生に嫌がらせをされてる、・・・と相談したら、その塾をやめさせて貰えた。) かわりの別の塾なんて、いくらでも、あります。


学校のクラスメイトなどに万引きの見張りをさせる不良

不良が仲間を増やす手口として、「万引きの見張りをさせる」というのがある。

万引きとは別の理由で遊びに誘って、そして「買い物をしよう」などと店に入って、その遊びの先でいきなり万引きを初めて、その見張りをさせるわけだ。(なお私は、中学時代、同級生にコレをやられた。)

一般人は同級生から「放課後に遊びに行こう」と誘われたら、「むやみに断るわけにはいかない。」と思うし、遊びの外出先で、いきなり目前で万引きを始めたら、「ことを荒立てなくない」と思うのが一般的な子供の発想だから、見張りに加担してしまう、・・・というワケだ。

・・・で、こういう不良連中でも、そこそこの偏差値の高校に合格できてしまうワケですよ。

・・・で、こういう不良連中でも、部活動とかに熱心だったりするわけですよ。結局、部活動では、人間性なんて治らないんです。


江戸時代の「鎖国」についての私の意見

次期学習指導要領から『鎖国』の表記が消えるらしい。

まあ、指導要領から消えても、教科書から消えるとは限らない。だが、あまりにもネットの世間の意見が低レベルだと感じるので、いろいろと自分の思う意見を書いておこう。


  • 「貿易をしてたから『鎖国』ではない」という意見。

→ 昔から誰も「江戸時代の日本は、いっさい貿易してない」なんて言ってない。昭和の昔からの学校教育ですでに、江戸時代の日本はオランダや中国とも貿易をしていた事を教わっている。だいたい、北朝鮮ですら貿易をしてるが、どうみても北朝鮮を『開国的』とは言えないだろう。

学力のひくいバカなヤツが、勝手に『鎖国』という言葉を「日本はどこの国とも貿易してない」(×)と誤解して、「その誤解を解くために用語を変えろ」と言ってる。変えるべきは用語ではない。用語の意味を誤解をしている人に、「あなた、用語の意味を間違って覚えてますよ」と指摘する事のほうが必要だろう。

また、「一部の国と貿易してたという例外があるから『鎖国』『閉国』ではない」なんて言い出したら、法学の概念や法律なんて、例外があるから、法学用語が全滅するんだが。

史学会の日本史部門は、いろいろと頭が悪そうである。なるほど、歴史学ではなく法学が、日本では文科系のエリート学問なわけだ。

そもそも、『鎖国』という表記は『貿易』だけを指すのではない。日本からの漂流民が海外に流れ着いても、日本に帰国したら帰国民が処罰されたり、そういう実態もふくめて、『鎖国』などと呼んでいるのである。ジョン万次郎とかを、どう教えるつもりか。


  • 江戸幕府の公式な制度としての『鎖国』はない、という意見。

→ 北朝鮮だって公式には「民主主義」だし(朝鮮「民主主義」人民共和国)、中国の「人民解放軍」はチベット・ウイグルへの侵略軍ではなくなるし、中国の「自治区」では自治を許されてる事になる。どうやら日本の史学会と文部省の歴史教育の担当部署は、思考回路が中国・北朝鮮レベルらしい。


  • 江戸時代の当時、『鎖国』という用語は使ってなかったので、教科書から消すべきという意見。

→ 「藩」という用語は廃藩置県のときに出来た、と言われてるんですが? 『江戸幕府』という用語自体、滅んだ鎌倉幕府や室町幕府を連想させるため、江戸幕府は自分たちの政権を呼ぶのに『幕府』という用語を使わせなかった、と言われてるんだが? そもそも『日本』という用語自体、縄文時代には存在しなかったと思われる。

社会科にかぎらず、他の教科でも、たとえば英語教育でも、「主語」syugo という英単語はないし、「動詞」dousi という英単語もないが、しかし「主語」や「動詞」という用語を英語の授業でも教えてるだろう。

  • 『鎖国』という用語が「開国すべき」という幕末ごろからの幕府への批判的な価値判断を含むから良くない、という意見。 

→ 宇宙論の『ビッグバン』という用語は、当初は批判的な意味で用いられたんだが? 由来が批判的な用法だろうが、実態を反映していると思えば後世の研究者はその用語を使えばいいし、反映してないと思えば使わなければいよいだけだ。いろいろと教養の足りなさそうな意見である。

結局、『開国』という表記は残すらしい。では、それまでの日本は『閉国』だったわけで、やはり『鎖国』という表現が的を得ている事になるではないか。

勉強時間を増やしただけの受験勝者なだけの教育インチキ評論家たち

世間の教育インチキ評論家の中には、単に受験競争で、名門の大学に合格して進学しただけの受験競争の「勝者」なだけなのに、受験ノウハウに詳しいと勘違いしている人も多いし、教育情報に詳しいと勘違いしてる人も多い。

スポーツの名選手と名監督が別々の才能なように、他人に教わった受験ノウハウを実践できる事と、受験ノウハウに詳しい事とは、別々である。

極端な例をあげれば、毎日朝から晩まで受験勉強だけをしていて受験以外の勉強をしてない人は、受験の成績は良いだろが、べつに受験ノウハウには詳しくない。(べつに道徳的に「受験勉強しかしてないのはケシカラン」と言ってるわけではない。そうでなくて、そもそも、受験ノウハウを知ってるのは、その受験生を指導している親や教師や塾講師といった大人たちであり、子ども本人は、受験ノウハウに詳しくない、・・・と言いたいワケである。)

そもそも、「受験や教育にくわしい人」というのは、どういう人であるのかというと、本来は、少ない指導時間でも、生徒を志望校に合格させられるなどのような、短時間で大きな教育効果を出せる人の事である。つまり、時間あたりの教育効果の大きな指導者の事であり、けっして、多めの指導時間により平均的な指導効果の出せる人のことではない。

部活動や委員会活動をしていれば、そのぶん、受験勉強の時間は減ってしまう。音楽や美術などの練習をしていても、受験勉強の5教科の勉強時間は減ってしまう。なので、少ない指導時間で、大きな教育効果を出せる指導者こそが、必要なのである。

しかし、困った事に、世間のバカな一般大衆たちは、受験勝者と受験ノウハウ指導者を、混同しているのである。

なので、世間の連中は、受験ノウハウの勉強のさいに、やれ「弁護士」だとか、やれ「医師」だとかの主張する、つまり、(世間の馬鹿でも資格名を知っている)難関資格合格者の主張する勉強をありがたがる。べつに受験指導を商売にしている人でない人達の勉強法を、世間の連中は、ありがたがるのである。

このような「勉強時間を増やしただけの受験勝者なだけの教育インチキ評論家」は、少なくとも教育評論の分野においては、「インチキ評論家」「デタラメ評論家」である。

そもそも弁護士も医師も、あまり数学や物理といった基礎科学には詳しくない。語学だって、べつに通訳でもなければ翻訳家でもない。


さて、このような「勉強時間を増やしただけの受験勝者なだけの教育インチキ評論家」は、受験の成績と、学校での成績が別物だという事を、知らなかったりする。

まず、小中高の学校での成績と、受験での成績は違う場合が多い。なぜなら、定期テストと受験では出題範囲が違うし、また、学校で使ってる検定教科書が学校ごとに違う。なので、学校の定期試験では、数学ですら問題ごと丸暗記をしたりする人が、高得点を取ってしまたりする事態も発生する。(もちろん、入試では、そのような数学の問題丸暗記は破綻する。)


さて、もし、テスト勉強以外の事を勉強してなければ、中学2年生おわりまで、あるいは高校2年生のおわりまで、学校のテスト勉強ばかりをしていても、高校3年からの受験勉強で、学校テスト対策と受験を、そこそこ両立できてしまうからだ。だから進学校などでは、受験以外の生徒会とか学級委員とかのメンドウな仕事を、他の生徒に押し付けあうという事態すら、発生する。

もしくは、たとえ現役では受験不合格でも、浪人すれば、そこそこの学校に合格できてしまう。

また、受験勝者なだけで教育には詳しくない評論家の特徴として、小中高の教育内容を鵜呑みにする。

実際には、小学校だと、理系教科が専門でない教員が、算数や理科を教えてたりする。なので、小学校教員の指導内容を鵜呑みにしてるようだと、ハッキリいって才能がないのだが、しかし、そんな無才能の生徒でも、小学校テストでは高得点をとれる。というか、そもそも採点してる教員たちが無才能なので、教員と同様に無才能な生徒のほうが、高得点を取りやすい。

そもそも、検定教科書作成の時点で、教育学者などの意見が強く反映されている。問題なのは、この教育学の理論の、信憑性だ。

今は批判されてる「ゆとり教育」ですら、かつては教育学では、称賛されてたのである。

また、現在の小学校の算数の授業では、「かけ算の順序」というのがあって、多くの数学者が反対してるにもかかわらず、そのような授業が行われている。


そして困った事に、現在の小中学校では、テストの成績だけでなく、教師の主観的な評価が、成績評価の基準のひとつにもなっている。つまり、ある生徒が、どんなに定期試験の成績が良くても、もしその生徒が教師からのウケが悪ければ、そのぶん成績を低くされる可能性もある。

しかし、「勉強時間を増やしただけの受験勝者なだけの教育インチキ評論家」というのは、学生時代は、教員の言う通りの勉強だけをしていたりするので(そして、学校で習わない事は、ろくに勉強しない)、教師からのウケは良いのである。

逆に私の場合、学習塾などで学校で習わない事も習ってたり、高校からは自分でいろいろと勉強してたから、そうすると、教師からのウケは悪いのである。

2017年の今でこそ、世間の教師たちは、「学校の成績がわるくても、受験の成績がいい生徒もいる」というのを、さすがに把握してるが、しかし、90年代までは、彼ら教師たちは、そういうのを全く把握してなかったのである。「中学高校の授業での指導範囲が、入試とズレてる」というのを、そもそも教師たちが把握してなかった時代があった。

そしてさらに困った事に、中学では「内申点」というのが存在していて、学校での成績がわるいと公立高校入試に不利になり、さらに、その成績には教師からのウケが含まれていたりする。

また、さらに、入試では要求されないような細かい知識が定期テストに出たりする。最近、調べていて分かったのだが、どうも、近年の入試は、あまり暗記を問わないらしい。

それでも、「入試では要求されないような細かい知識が定期テストに出たりする」は、今ではマシになった。昔は、もっと酷かったのである。

2017年の今でこそ、理科や社会科の教育内容が、だいぶ理屈っぽくなったので、マシになった。2010年以降、教育では暗記の比重が減ってきている。しかし、90年代の中学高校は違ったのである。90年代、中学高校の社会科などでは、年号の順序を暗記させられたのである。高校の公民科目だと、法律の内容よりも、法律の名前を漢字で書くことを暗記させられたのである。公民ならまだマシで、地理だと、たとえば中国語の細かい地理用語を、漢字でかくことを要求させられた。たとえば「黒孩子」(ヘイハイズ)とかの暗記を。社会科では、今の検定教科書では、出てこない単語を、いろいろと暗記させられた。

理科でも、いろんな単語を暗記させられた記憶がある。そこそこ生物の成績のよいクラスメイトでも、授業で教師にさされて、ちょっとでも理屈っぽい問題を答えるように聞かれると、答えられない。

どうやら、「生物」ってのを、その(理屈っぽい問題を答えられなかった)生徒は、暗記する科目だと思ってるらしい。事実、当時の「生物」は、今とは違うのだ。同様の現象は、「化学」でもある。


べつに、当時の中学高校の教員を恨むつもりはない。その時代は、子どもの数が多く、受験競争がきびしく、そのため大学入試がクソな内容だったのである。

もちろん90年代でも、理屈っぽい出題だって定期テストでは出されたが、しかし、そもそもの教科書じたいが理屈にあまり深入りしてないので、大した深い理屈は出題できず、なのでテストに出題しても、あまり点差があまり付かない。必然的に、定期テストでは、暗記の比重が増える。

で、「勉強時間を増やしただけの受験勝者の教育インチキ評論家」ってのは、こういうのを、知らないんですよ。なぜなら、そもそも彼らは、昔の時代の、暗記力ばかりを問うテストで高得点をとってきた人たちだから。

公民科目なら、今の中学公民の経済分野の内容のいくつかは、むかしは、高校の政治経済の内容でした。たとえば銀行がそもそも何を商売にしてるかといった、銀行の仕組みなんて、今でこそ中学でも教えてるが、昔は中学では習ってません。

その実例として、私は高校時代、学習塾のやや英語の成績のよいクラスに通ってましたが、その塾でのクラスメイトの高校生は、塾講師から、ひょんな話題で銀行の仕組みを聞かれたとき「習ってない」と塾生は答えました。私自身も、中学校では、銀行について、それほど習った記憶がありません。


小中高の学校での成績なんて、信用に値しない。信用に値するのは、入試の成績である。

それも、理系の私立大学の入試のような、進学後の勉強に直結する入試科目を出している、一部の大学での、入試の成績である。

いっぽう、たとえば経済学部なのに入試に「政治経済」も「数学2B」も出してない大学の入試なんて、信用に値しないのである。


また、センター試験の文系科目は、進学後に必要な最低限の学力とは大きくズレている。理系受験生にとっては、センター文系科目は、過大な負担である。90年代当時、私の同級生で、英検2級とか準1級とかを持ってる受験生ですら、自己採点で惨憺たる成績だったと、私は聞いた。私のセンター受験の記憶の場合、とにかく試験時間が足りないと感じた。センターの数学・英語は、とにかく短時間に大量の問題を解かせるので、時間がたりない。はたしてこれで、英文の読解力を測れてるのだろうか。

現状の教育制度では、「学力」として信用できる成績とは、一部の学校の入試の成績だけであり、しかも基礎学力を測れる成績として信用できるのは、高校入試の成績と、理系大学の入試だけが信用できるのである。また、特定の学科を志望するものに必要な専門知識として信頼できる入試は、現状では、国立大学の二次試験の成績と、あとはマーチニッコマあたりの平均的な私大の入試の成績だけが信用に値するのであろう。(早稲田の入試は、もはや難問コンテストのクイズ芸人養成所なので、論外。)

ところが、国立大学は、そもそもセンター試験で足切りされてしまう。なので、多くの受験生は、その試験を受験できないし、試験の難度も、専門外の学生には合ってない。

そして、せっかくマーチニッコマに一般入試で合格しても、推薦入試とかで入ってきた学生にあわせた授業をされるのである。たとえ平均レベルの偏差値の大学でも、そこに一般入試で合格しようと思ったら、けっこうムズカシイ。

そもそも、たとえ、ある大学の入試偏差値が低くても、かならずしも、その大学への「合格のしやすさ」を意味しない。

なぜなら、偏差値の高さと、要求あれる学力水準の高さとは、違うのである。たとえば入試必須科目が増えると、受験生が敬遠して倍率が低くなるので、偏差値も低くなる場合も多い。また、模試の種類によっては、理系の私立大学だと、文系大学と較べて、倍率が低い場合もある。例えば四工大は、あまり偏差値が高くないような記憶がある。

しかし、困ったことに、世間の教育インチキ評論家と、そのインチキ評論家の支持者は、その事実を知らない、「偏差値の高さと、学力水準の高さ、違う」という事を知らない。


困ったことに、小学校に入学してから高校入試までの9年間、ずっと成績が信用に値しない教育が、行われ続ける。その高校入試ですら、バカ政治家の考えた「内申点」という制度で、信用に値しない学内成績で、入試が不利になってしまう。


また、90年代の昔は、受験生サイドが自発的に受験教科を増やそうとして高校で科目を多く履修しようとも、高校側が対応してくれない時代があった。 私は、生物IIを履修できなかった。高校側の規則で、物理IIと化学IIを履修するものは、生物IIを履修できないのである。独学しようにも、現代とは違って、適した参考書が少ない。

生物IIの検定教科書の注文なんて、当時高校生だった私には分からないし、仮に教科書を注文で買ったところで、どういうペースで勉強してもいいかも分からない。つまり、wikibooksで教科書を書いた、私の生物IIの知識は、すべて独学である。

べつに90年代当時の高校の教員を恨むつもりはない。その時代は、大学側が、そういうふうに受験生に勉強させてたのである。

当時、塾に相談したが、無駄だった。「学校側が、私の受験以外の数学・物理・化学以外を、ほとんど教育してくれない制度なので、塾で国語や社会科も教わりたい」と塾に相談したら、私は塾講師から批判された。

で、2017年現在の「高学歴」といわれてる教育評論家ってのはね、こういうクソな教育を受けてきた中での、当時のクソな教育を鵜呑みにしてきた連中という意味での「高学歴」(笑)な連中なんでしょうよ。

団塊ジュニア世代ってのは、こういう連中だ。「就職氷河期世代」などと被害者ヅラして、大学を卒業したけど就職できない、などと被害者ヅラしてるけど、・・・ウソつき。 私は知ってるぞ、お前ら大卒ヅラする団塊ジュニア世代の大卒は、高校時代、高校2年で数学や理科を放棄したりして、ろくに勉強してなかった事を。私の出身高校では、学年で物理IIを履修したのは10人ほどで、そのうち半分はヤンキーみたいな連中で、残りの5人ほどだけが理系の物理受験志望だった。それも、高校生が多かった時代での話でだ。1クラス40人ちかい学級が8クラスぐらいあった時代でのハナシでだ。

文系受験生の文系科目の履修や勉強ですら、たとえば経済学部志望ですら政治経済もろくに勉強せずに(当時は経済学に数学が必要だということが、まだ高校生ん周知されてなかった)、日本史1教科受験だとか世界史1教科受験だとか、そういうので受験しようとしてた連中も当時は多かったことを。(※ 私は文系受験はしてないので以下は想像だが、政治経済は普通は3年で習うので、2年の段階で入試科目を限定しようとすると、地理や日本史とか世界史に限定することになるのか?)

証明丸暗記の物理学者・数学者は無能である

数学者や物理学者・化学者の中には、証明を丸暗記してるだけのバカも多い。

「大学に入ると公式暗記だけでは通用しないぞ!」などと、この手のバカ学者は忠告(笑)するが、実態は、この手のバカ学者どもは暗記対象が「公式」から「証明」に変わっただけである。

イプシロンデルタ論法を論理構成を鵜呑みにして丸暗記してるだけのバカなのに「解析学を理解している!!」と思ってるバカも多い。

物理学者も同様で、たとえば熱力学などでは「第一法則」や「第二法則」などにもとづく論法を暗記しただけのバカなのに「古典熱力学を理解している!」と思ってるバカも多い。

困ったことに日本では既に、この手の証明丸暗記バカの学者どもが、大学教授などになっている。そのせいで、中学高校の教育が影響を受けてしまう。

さらに困ったことに日本では、この手の証明丸暗記バカどもの学会(日本数学会、物理学会)どもの修める科目が、高校の普通科の理科や数学に大きな影響を与える。

ニュートンが微分積分や物理を研究してた時代は、そもそも「微分積分という手法なんぞ、証明ではない!証明に値しない!!」と知識人どもからは思われてたのである。

カルノーサイクルで有名なカルノーが熱力学を研究していた当時、そもそも熱力学は物理科目だと見なされてなかったのである。

つまり、真の理学は、そもそも科目そのものを産み出すのである。だから21世紀の現在、「微分積分」や「熱力学」などの科目がある。しかし日本の教育制度では、既存の科目を絶対視し、既存科目への批判を許さない教育制度である。

だから現代日本の理学者は、偽物だ。

数学や物理学と比べれば、生物学や化学などの応用的だろう。生物学や化学などの応用的な学問の前提になる数学・物理を検証したり、必要に応じて数学・物理の科目構成を修正するのも、数学・物理学のすべき研究であろう。

しかし日本では、数学教育や物理学教育を修正してはならないのである。まるで憲法のような扱いだ。

さて、北朝鮮は「民主主義」「人民」「共和国」という名の下に、民主的でない独裁政治を行っている。

日本の大学の理学も、「理学」という名の下に、教育産業のイデオロギーと既得権益を守る教育をしているだけである。

よく、憲法学会が、イデオロギー集団などと反対派から批判されるが、日本の理学も同じである。


昔の人は、そういう教育制度そのものの矛盾が分かっていたから、旧司法試験のように試験にさえ受かればエリートになれる門戸を開いてたのであろう。

大学教育の、今はなき教養部も、専門科目を絶対視せず検証する視点を養うための教育制度だったのだろう。

アメリカとかが、大学院ロースクールや大学院メディカル・スクールのように、学部では教養科目を重視していて、大学院に入ってから専門教育をしだすのも、同様の理由だろう。


アメリカの教育は、教科書が分厚いだけでレベルが低い。だが日本の教育も、レベルの低さの方向性が違うだけであり、日本もレベルが低い。

しかも、アメリカも日本も両者とも、「自分たちの教育はレベルが高い!!」と思ってやがるバカである。

アメ公は、「こんなに分厚い教科書を読める僕たち、すごいもん!!」とか勘違いしてるバカどもだ。

ジャップ公は、大学受験の時点なら「こんなに難しい試験問題を解ける僕たち、すごいもん!!」とか勘違いしてるバカだし、大学入学後の教育でも「こんなに難しい証明問題を解ける僕たち、すごいもん!!」とか勘違いしてるバカどもだ。

日本の大学教育は、試験問題の種類が大学入学後に証明問題などに変わっただけで、結局、試験の解法だけを鵜呑み・丸暗記してるだけの低レベルな教育なのだろう。

西暦2006年の上場企業の採用試験の英語問題についての体験報告

私は西暦2006年、就職活動をした。

その時、いくつかの上場企業(製造業、電機系メーカー)の1次試験あたりで採用試験のひとつとして、英語の筆記試験があったのだが、これが全く難しく、私には解けなかった。

さて、ここまでなら、「私が単に英語が苦手なだけ」となる。しかし、いちいちwikibooksのこのページを読んでる読者なら分かるように、私はいちおう、wikibooksで中学英語の教科書を書けるくらいには英語力がある。大学入試でも、いちおう、現役高校生のときに、芝浦工大(たしか電気工学科を受験)に補欠合格し、法政大(工学部の電気電子工学科)に合格し、東京電機大学(たしか当時は工学部の電気工学科を受験したか)に合格できるくらいの、英語力はある。

さらに、出身高校ですら、獨協大学の附属高校である。

すると、大企業の採用試験の英語について、ひとつの推測が上がってくる。

「そもそも、これらの大企業は、採用試験で、志望生に解かせる気のない英語問題を出題してるのではないか? 高校必修英語や大学入試の英語からは、大幅にズレた内容の英語を出題してるのでは?」という推測である。

仮にそうだとして、それが良いか悪いかは、ここwikibooks利用者ページでは問わないとしよう。しかし、このような大企業の採用試験の英語科目が、日本全国の中学高校での英語教育に影響を与えては困るので、ここwikibooks利用者ページにて報告しておくとする。