利用者:すじにくシチュー

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言語別の利用者

このページでは、外国の読者のため、日本語と英語で紹介を書いています。

On this page, for foreign readers , I am writing an introduction in English and in Japanese.

経歴[編集]

  • 国籍  :日本人
  • 母国語  :日本語
  • 得意分野 :主に理工学系。機械工学を中心に、物理学や応用数学などを少し学んだ。
  • 年齢  :大人

Self-introduction[編集]

My handle-name's pronunciation is "Su Ji Ni Ku - Si Tyuu"

  • Nationality  : Japan.
  • Mother tongue: Japanese.
  • A specialty  : Science and engineering .Mainly specialty is mechanical engineering, and on the other , engineering mathematics and physics just a little .
  • Age      : Adult

私の話す言語について[編集]

私は、日本語を話せます。
少しだけ、英語が話せます。
他の言葉は話せませんので、その場合は機械翻訳に頼ることになります。

For language that I speaking[編集]

I can speak Japanese.
Just a little bit, I can speak poor English.
Since I can not speak other languages​​, I will be talking in that case rely on machine translation.

「すじにくシチュー」の元の言葉の意味[編集]

牛肉のアキレス腱の部分とか横隔膜とかの部分らしいです。細かいことは知りません。

Meaning of "Sujiniku-Sityuu"[編集]

"Sujiniku" is beef sinew; fibrous beef; beef tendon. "niku" is meat. "Sityuu" is Stew.

他の活動場所[編集]

ウィキペディアでの利用者ページへのリンク、こちら。( The link of My User page in Wikipedia is next one. )

w:利用者:すじにくシチュー

作業用[編集]

教科書の執筆で使いそうな表などを、この節に置くことにした。

おもな税金
  直接税 間接税
国税  所得税
 法人税
 相続税
 消費税
 酒税
 関税
 たばこ税
地方税  住民税
固定資産税
 たばこ税  

江戸時代の「鎖国」についての私の意見[編集]

次期学習指導要領から『鎖国』の表記が消えるらしい。

まあ、指導要領から消えても、教科書から消えるとは限らない。だが、あまりにもネットの世間の意見が低レベルだと感じるので、いろいろと自分の思う意見を書いておこう。


  • 「貿易をしてたから『鎖国』ではない」という意見。

→ 昔から誰も「江戸時代の日本は、いっさい貿易してない」なんて言ってない。昭和の昔からの学校教育ですでに、江戸時代の日本はオランダや中国とも貿易をしていた事を教わっている。だいたい、北朝鮮ですら貿易をしてるが、どうみても北朝鮮を『開国的』とは言えないだろう。

学力のひくいバカなヤツが、勝手に『鎖国』という言葉を「日本はどこの国とも貿易してない」(×)と誤解して、「その誤解を解くために用語を変えろ」と言ってる。変えるべきは用語ではない。用語の意味を誤解をしている人に、「あなた、用語の意味を間違って覚えてますよ」と指摘する事のほうが必要だろう。

また、「一部の国と貿易してたという例外があるから『鎖国』『閉国』ではない」なんて言い出したら、法学の概念や法律なんて、例外があるから、法学用語が全滅するんだが。

史学会の日本史部門は、いろいろと頭が悪そうである。なるほど、歴史学ではなく法学が、日本では文科系のエリート学問なわけだ。

そもそも、『鎖国』という表記は『貿易』だけを指すのではない。日本からの漂流民が海外に流れ着いても、日本に帰国したら帰国民が処罰されたり、そういう実態もふくめて、『鎖国』などと呼んでいるのである。ジョン万次郎とかを、どう教えるつもりか。


  • 江戸幕府の公式な制度としての『鎖国』はない、という意見。

→ 北朝鮮だって公式には「民主主義」だし(朝鮮「民主主義」人民共和国)、中国の「人民解放軍」はチベット・ウイグルへの侵略軍ではなくなるし、中国の「自治区」では自治を許されてる事になる。どうやら日本の史学会と文部省の歴史教育の担当部署は、思考回路が中国・北朝鮮レベルらしい。


  • 江戸時代の当時、『鎖国』という用語は使ってなかったので、教科書から消すべきという意見。

→ 「藩」という用語は廃藩置県のときに出来た、と言われてるんですが? 『江戸幕府』という用語自体、滅んだ鎌倉幕府や室町幕府を連想させるため、江戸幕府は自分たちの政権を呼ぶのに『幕府』という用語を使わせなかった、と言われてるんだが? そもそも『日本』という用語自体、縄文時代には存在しなかったと思われる。

社会科にかぎらず、他の教科でも、たとえば英語教育でも、「主語」syugo という英単語はないし、「動詞」dousi という英単語もないが、しかし「主語」や「動詞」という用語を英語の授業でも教えてるだろう。

  • 『鎖国』という用語が「開国すべき」という幕末ごろからの幕府への批判的な価値判断を含むから良くない、という意見。 

→ 宇宙論の『ビッグバン』という用語は、当初は批判的な意味で用いられたんだが? 由来が批判的な用法だろうが、実態を反映していると思えば後世の研究者はその用語を使えばいいし、反映してないと思えば使わなければいよいだけだ。いろいろと教養の足りなさそうな意見である。

結局、『開国』という表記は残すらしい。では、それまでの日本は『閉国』だったわけで、やはり『鎖国』という表現が的を得ている事になるではないか。

勉強時間を増やしただけの受験勝者なだけの教育インチキ評論家たち[編集]

世間の教育インチキ評論家の中には、単に受験競争で、名門の大学に合格して進学しただけの受験競争の「勝者」なだけなのに、受験ノウハウに詳しいと勘違いしている人も多いし、教育情報に詳しいと勘違いしてる人も多い。

スポーツの名選手と名監督が別々の才能なように、他人に教わった受験ノウハウを実践できる事と、受験ノウハウに詳しい事とは、別々である。

極端な例をあげれば、毎日朝から晩まで受験勉強だけをしていて受験以外の勉強をしてない人は、受験の成績は良いだろが、べつに受験ノウハウには詳しくない。(べつに道徳的に「受験勉強しかしてないのはケシカラン」と言ってるわけではない。そうでなくて、そもそも、受験ノウハウを知ってるのは、その受験生を指導している親や教師や塾講師といった大人たちであり、子ども本人は、受験ノウハウに詳しくない、・・・と言いたいワケである。)

そもそも、「受験や教育にくわしい人」というのは、どういう人であるのかというと、本来は、少ない指導時間でも、生徒を志望校に合格させられるなどのような、短時間で大きな教育効果を出せる人の事である。つまり、時間あたりの教育効果の大きな指導者の事であり、けっして、多めの指導時間により平均的な指導効果の出せる人のことではない。

部活動や委員会活動をしていれば、そのぶん、受験勉強の時間は減ってしまう。音楽や美術などの練習をしていても、受験勉強の5教科の勉強時間は減ってしまう。なので、少ない指導時間で、大きな教育効果を出せる指導者こそが、必要なのである。

しかし、困った事に、世間のバカな一般大衆たちは、受験勝者と受験ノウハウ指導者を、混同しているのである。

なので、世間の連中は、受験ノウハウの勉強のさいに、やれ「弁護士」だとか、やれ「医師」だとかの主張する、つまり、(世間の馬鹿でも資格名を知っている)難関資格合格者の主張する勉強をありがたがる。べつに受験指導を商売にしている人でない人達の勉強法を、世間の連中は、ありがたがるのである。

このような「勉強時間を増やしただけの受験勝者なだけの教育インチキ評論家」は、少なくとも教育評論の分野においては、「インチキ評論家」「デタラメ評論家」である。

そもそも弁護士も医師も、あまり数学や物理といった基礎科学には詳しくない。語学だって、べつに通訳でもなければ翻訳家でもない。


さて、このような「勉強時間を増やしただけの受験勝者なだけの教育インチキ評論家」は、受験の成績と、学校での成績が別物だという事を、知らなかったりする。

まず、小中高の学校での成績と、受験での成績は違う場合が多い。なぜなら、定期テストと受験では出題範囲が違うし、また、学校で使ってる検定教科書が学校ごとに違う。なので、学校の定期試験では、数学ですら問題ごと丸暗記をしたりする人が、高得点を取ってしまたりする事態も発生する。(もちろん、入試では、そのような数学の問題丸暗記は破綻する。)


さて、もし、テスト勉強以外の事を勉強してなければ、中学2年生おわりまで、あるいは高校2年生のおわりまで、学校のテスト勉強ばかりをしていても、高校3年からの受験勉強で、学校テスト対策と受験を、そこそこ両立できてしまうからだ。だから進学校などでは、受験以外の生徒会とか学級委員とかのメンドウな仕事を、他の生徒に押し付けあうという事態すら、発生する。

もしくは、たとえ現役では受験不合格でも、浪人すれば、そこそこの学校に合格できてしまう。

また、受験勝者なだけで教育には詳しくない評論家の特徴として、小中高の教育内容を鵜呑みにする。

実際には、小学校だと、理系教科が専門でない教員が、算数や理科を教えてたりする。なので、小学校教員の指導内容を鵜呑みにしてるようだと、ハッキリいって才能がないのだが、しかし、そんな無才能の生徒でも、小学校テストでは高得点をとれる。というか、そもそも採点してる教員たちが無才能なので、教員と同様に無才能な生徒のほうが、高得点を取りやすい。

そもそも、検定教科書作成の時点で、教育学者などの意見が強く反映されている。問題なのは、この教育学の理論の、信憑性だ。

今は批判されてる「ゆとり教育」ですら、かつては教育学では、称賛されてたのである。

また、現在の小学校の算数の授業では、「かけ算の順序」というのがあって、多くの数学者が反対してるにもかかわらず、そのような授業が行われている。


そして困った事に、現在の小中学校では、テストの成績だけでなく、教師の主観的な評価が、成績評価の基準のひとつにもなっている。つまり、ある生徒が、どんなに定期試験の成績が良くても、もしその生徒が教師からのウケが悪ければ、そのぶん成績を低くされる可能性もある。

しかし、「勉強時間を増やしただけの受験勝者なだけの教育インチキ評論家」というのは、学生時代は、教員の言う通りの勉強だけをしていたりするので(そして、学校で習わない事は、ろくに勉強しない)、教師からのウケは良いのである。

逆に私の場合、学習塾などで学校で習わない事も習ってたり、高校からは自分でいろいろと勉強してたから、そうすると、教師からのウケは悪いのである。

2017年の今でこそ、世間の教師たちは、「学校の成績がわるくても、受験の成績がいい生徒もいる」というのを、さすがに把握してるが、しかし、90年代までは、彼ら教師たちは、そういうのを全く把握してなかったのである。「中学高校の授業での指導範囲が、入試とズレてる」というのを、そもそも教師たちが把握してなかった時代があった。

そしてさらに困った事に、中学では「内申点」というのが存在していて、学校での成績がわるいと公立高校入試に不利になり、さらに、その成績には教師からのウケが含まれていたりする。

また、さらに、入試では要求されないような細かい知識が定期テストに出たりする。最近、調べていて分かったのだが、どうも、近年の入試は、あまり暗記を問わないらしい。

それでも、「入試では要求されないような細かい知識が定期テストに出たりする」は、今ではマシになった。昔は、もっと酷かったのである。

2017年の今でこそ、理科や社会科の教育内容が、だいぶ理屈っぽくなったので、マシになった。2010年以降、教育では暗記の比重が減ってきている。しかし、90年代の中学高校は違ったのである。90年代、中学高校の社会科などでは、年号の順序を暗記させられたのである。高校の公民科目だと、法律の内容よりも、法律の名前を漢字で書くことを暗記させられたのである。公民ならまだマシで、地理だと、たとえば中国語の細かい地理用語を、漢字でかくことを要求させられた。たとえば「黒孩子」(ヘイハイズ)とかの暗記を。社会科では、今の検定教科書では、出てこない単語を、いろいろと暗記させられた。

理科でも、いろんな単語を暗記させられた記憶がある。そこそこ生物の成績のよいクラスメイトでも、授業で教師にさされて、ちょっとでも理屈っぽい問題を答えるように聞かれると、答えられない。

どうやら、「生物」ってのを、その(理屈っぽい問題を答えられなかった)生徒は、暗記する科目だと思ってるらしい。事実、当時の「生物」は、今とは違うのだ。同様の現象は、「化学」でもある。


べつに、当時の中学高校の教員を恨むつもりはない。その時代は、子どもの数が多く、受験競争がきびしく、そのため大学入試がクソな内容だったのである。

もちろん90年代でも、理屈っぽい出題だって定期テストでは出されたが、しかし、そもそもの教科書じたいが理屈にあまり深入りしてないので、大した深い理屈は出題できず、なのでテストに出題しても、あまり点差があまり付かない。必然的に、定期テストでは、暗記の比重が増える。

で、「勉強時間を増やしただけの受験勝者の教育インチキ評論家」ってのは、こういうのを、知らないんですよ。なぜなら、そもそも彼らは、昔の時代の、暗記力ばかりを問うテストで高得点をとってきた人たちだから。

公民科目なら、今の中学公民の経済分野の内容のいくつかは、むかしは、高校の政治経済の内容でした。たとえば銀行がそもそも何を商売にしてるかといった、銀行の仕組みなんて、今でこそ中学でも教えてるが、昔は中学では習ってません。

その実例として、私は高校時代、学習塾のやや英語の成績のよいクラスに通ってましたが、その塾でのクラスメイトの高校生は、塾講師から、ひょんな話題で銀行の仕組みを聞かれたとき「習ってない」と塾生は答えました。私自身も、中学校では、銀行について、それほど習った記憶がありません。


小中高の学校での成績なんて、信用に値しない。信用に値するのは、入試の成績である。

それも、理系の私立大学の入試のような、進学後の勉強に直結する入試科目を出している、一部の大学での、入試の成績である。

いっぽう、たとえば経済学部なのに入試に「政治経済」も「数学2B」も出してない大学の入試なんて、信用に値しないのである。


また、センター試験の文系科目は、進学後に必要な最低限の学力とは大きくズレている。理系受験生にとっては、センター文系科目は、過大な負担である。90年代当時、私の同級生で、英検2級とか準1級とかを持ってる受験生ですら、自己採点で惨憺たる成績だったと、私は聞いた。私のセンター受験の記憶の場合、とにかく試験時間が足りないと感じた。センターの数学・英語は、とにかく短時間に大量の問題を解かせるので、時間がたりない。はたしてこれで、英文の読解力を測れてるのだろうか。

現状の教育制度では、「学力」として信用できる成績とは、一部の学校の入試の成績だけであり、しかも基礎学力を測れる成績として信用できるのは、高校入試の成績と、理系大学の入試だけが信用できるのである。また、特定の学科を志望するものに必要な専門知識として信頼できる入試は、現状では、国立大学の二次試験の成績と、あとはマーチニッコマあたりの平均的な私大の入試の成績だけが信用に値するのであろう。(早稲田の入試は、もはや難問コンテストのクイズ芸人養成所なので、論外。)

ところが、国立大学は、そもそもセンター試験で足切りされてしまう。なので、多くの受験生は、その試験を受験できないし、試験の難度も、専門外の学生には合ってない。

そして、せっかくマーチニッコマに一般入試で合格しても、推薦入試とかで入ってきた学生にあわせた授業をされるのである。たとえ平均レベルの偏差値の大学でも、そこに一般入試で合格しようと思ったら、けっこうムズカシイ。

そもそも、たとえ、ある大学の入試偏差値が低くても、かならずしも、その大学への「合格のしやすさ」を意味しない。

なぜなら、偏差値の高さと、要求あれる学力水準の高さとは、違うのである。たとえば入試必須科目が増えると、受験生が敬遠して倍率が低くなるので、偏差値も低くなる場合も多い。また、模試の種類によっては、理系の私立大学だと、文系大学と較べて、倍率が低い場合もある。例えば四工大は、あまり偏差値が高くないような記憶がある。

しかし、困ったことに、世間の教育インチキ評論家と、そのインチキ評論家の支持者は、その事実を知らない、「偏差値の高さと、学力水準の高さ、違う」という事を知らない。


困ったことに、小学校に入学してから高校入試までの9年間、ずっと成績が信用に値しない教育が、行われ続ける。その高校入試ですら、バカ政治家の考えた「内申点」という制度で、信用に値しない学内成績で、入試が不利になってしまう。


また、90年代の昔は、受験生サイドが自発的に受験教科を増やそうとして高校で科目を多く履修しようとも、高校側が対応してくれない時代があった。 私は、生物IIを履修できなかった。高校側の規則で、物理IIと化学IIを履修するものは、生物IIを履修できないのである。独学しようにも、現代とは違って、適した参考書が少ない。

生物IIの検定教科書の注文なんて、当時高校生だった私には分からないし、仮に教科書を注文で買ったところで、どういうペースで勉強してもいいかも分からない。つまり、wikibooksで教科書を書いた、私の生物IIの知識は、すべて独学である。

べつに90年代当時の高校の教員を恨むつもりはない。その時代は、大学側が、そういうふうに受験生に勉強させてたのである。

当時、塾に相談したが、無駄だった。「学校側が、私の受験以外の数学・物理・化学以外を、ほとんど教育してくれない制度なので、塾で国語や社会科も教わりたい」と塾に相談したら、私は塾講師から批判された。

で、2017年現在の「高学歴」といわれてる教育評論家ってのはね、こういうクソな教育を受けてきた中での、当時のクソな教育を鵜呑みにしてきた連中という意味での「高学歴」(笑)な連中なんでしょうよ。

団塊ジュニア世代ってのは、こういう連中だ。「就職氷河期世代」などと被害者ヅラして、大学を卒業したけど就職できない、などと被害者ヅラしてるけど、・・・ウソつき。 私は知ってるぞ、お前ら大卒ヅラする団塊ジュニア世代の大卒は、高校時代、高校2年で数学や理科を放棄したりして、ろくに勉強してなかった事を。私の出身高校では、学年で物理IIを履修したのは10人ほどで、そのうち半分はヤンキーみたいな連中で、残りの5人ほどだけが理系の物理受験志望だった。それも、高校生が多かった時代での話でだ。1クラス40人ちかい学級が8クラスぐらいあった時代でのハナシでだ。

文系受験生の文系科目の履修や勉強ですら、たとえば経済学部志望ですら政治経済もろくに勉強せずに(当時は経済学に数学が必要だということが、まだ高校生ん周知されてなかった)、日本史1教科受験だとか世界史1教科受験だとか、そういうので受験しようとしてた連中も当時は多かったことを。(※ 私は文系受験はしてないので以下は想像だが、政治経済は普通は3年で習うので、2年の段階で入試科目を限定しようとすると、地理や日本史とか世界史に限定することになるのか?)

証明丸暗記の物理学者・数学者は無能である[編集]

数学者や物理学者・化学者の中には、証明を丸暗記してるだけのバカも多い。

「大学に入ると公式暗記だけでは通用しないぞ!」などと、この手のバカ学者は忠告(笑)するが、実態は、この手のバカ学者どもは暗記対象が「公式」から「証明」に変わっただけである。

イプシロンデルタ論法を論理構成を鵜呑みにして丸暗記してるだけのバカなのに「解析学を理解している!!」と思ってるバカも多い。

物理学者も同様で、たとえば熱力学などでは「第一法則」や「第二法則」などにもとづく論法を暗記しただけのバカなのに「古典熱力学を理解している!」と思ってるバカも多い。

困ったことに日本では既に、この手の証明丸暗記バカの学者どもが、大学教授などになっている。そのせいで、中学高校の教育が影響を受けてしまう。

さらに困ったことに日本では、この手の証明丸暗記バカどもの学会(日本数学会、物理学会)どもの修める科目が、高校の普通科の理科や数学に大きな影響を与える。

ニュートンが微分積分や物理を研究してた時代は、そもそも「微分積分という手法なんぞ、証明ではない!証明に値しない!!」と知識人どもからは思われてたのである。

カルノーサイクルで有名なカルノーが熱力学を研究していた当時、そもそも熱力学は物理科目だと見なされてなかったのである。

つまり、真の理学は、そもそも科目そのものを産み出すのである。だから21世紀の現在、「微分積分」や「熱力学」などの科目がある。しかし日本の教育制度では、既存の科目を絶対視し、既存科目への批判を許さない教育制度である。

だから現代日本の理学者は、偽物だ。

数学や物理学と比べれば、生物学や化学などの応用的だろう。生物学や化学などの応用的な学問の前提になる数学・物理を検証したり、必要に応じて数学・物理の科目構成を修正するのも、数学・物理学のすべき研究であろう。

しかし日本では、数学教育や物理学教育を修正してはならないのである。まるで憲法のような扱いだ。

さて、北朝鮮は「民主主義」「人民」「共和国」という名の下に、民主的でない独裁政治を行っている。

日本の大学の理学も、「理学」という名の下に、教育産業のイデオロギーと既得権益を守る教育をしているだけである。

よく、憲法学会が、イデオロギー集団などと反対派から批判されるが、日本の理学も同じである。


昔の人は、そういう教育制度そのものの矛盾が分かっていたから、旧司法試験のように試験にさえ受かればエリートになれる門戸を開いてたのであろう。

大学教育の、今はなき教養部も、専門科目を絶対視せず検証する視点を養うための教育制度だったのだろう。

アメリカとかが、大学院ロースクールや大学院メディカル・スクールのように、学部では教養科目を重視していて、大学院に入ってから専門教育をしだすのも、同様の理由だろう。


アメリカの教育は、教科書が分厚いだけでレベルが低い。だが日本の教育も、レベルの低さの方向性が違うだけであり、日本もレベルが低い。

しかも、アメリカも日本も両者とも、「自分たちの教育はレベルが高い!!」と思ってやがるバカである。

アメ公は、「こんなに分厚い教科書を読める僕たち、すごいもん!!」とか勘違いしてるバカどもだ。

ジャップ公は、大学受験の時点なら「こんなに難しい試験問題を解ける僕たち、すごいもん!!」とか勘違いしてるバカだし、大学入学後の教育でも「こんなに難しい証明問題を解ける僕たち、すごいもん!!」とか勘違いしてるバカどもだ。

日本の大学教育は、試験問題の種類が大学入学後に証明問題などに変わっただけで、結局、試験の解法だけを鵜呑み・丸暗記してるだけの低レベルな教育なのだろう。