トーク:中学受験社会/歴史/下巻

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差し戻しについて[編集]

椎楽氏は、「荒らし記述」と称して個別具体の事項について指摘することなく、私の編集を差し戻しました。以下に編集理由を掲げるので問題があれば反論してください。

1「「支那」とは、昔の中国の地理的名称(特定の国などを対象としない呼び方)のことです。」の加筆(注釈内)

現行の「当時、日本は中国のことをこのように呼んでいました。」というような記述では、歴史的知識の乏しい小学生が「支那」が地理的名称であったことが分からず、「支那国」という実在しない国が当時存在したと誤解させるおそれがあったため、「支那」が地理的名称であることを加筆しました。

また、小学生にとって理解し難い表現と思われる「地理的名称」にはカッコ書きで「特定の国などを対象としない呼び方」と付け加え、小学生でも理解できるようにしました。

※「このように」は「支那」のこと。

2「現在の日本では、地理的名称としても「中国」を使うようになっています。」の加筆(注釈内)

1の加筆により、現在でも「支那」が大陸の地理的名称として広く普及していると誤解を招くおそれがあったため、現在は地理的名称としても「中国」を使うようになっていることを加筆しました。

3「現在は中国をけいべつするために使う言葉とされているので使用しません」という記述の太字解除と要出典範囲化(注釈内)

「支那」が中国を軽蔑するための用語であるというのはいかなる根拠に基づいているのか不明でかつ次のようなことから、太字化を解除し、要出典範囲としました。

 ア 「支那」の語源は中国語の「チーナ」などからで、英語のChina(チャイナ)も同じ語源なので、そのような事実を知った小学生に「支那」が中国を軽蔑するための用語だと教えた場合、英語圏の人々は「中国を軽蔑している」という誤った偏見を生む可能性があるため。

 イ 石原慎太郎元東京都知事のように、単に「中国地方」と誤解を与えるおそれがあることから、「支那」を使用している人もいることに配慮する必要があるため。

4「当時の日本政府が「支那事変」を正式の呼称だとするまでは、一般的に「日華事変」と呼ばれていました。また、「日支事変」と呼ぶ場合もありました。」の加筆(注釈)

当時の日本政府が「支那事変」を正式の呼称だとするまでは、「日華事変」という呼称が広く普及しており、また、政府見解に関係なく「日支事変」と呼ぶ場合もあることから、このような事実を加筆しました。ただし、中学受験には直接関係せず、そこまで重要な事項ではないと判断し、注釈によって加筆しました。

5「もし日本が宣戦布告をすると、日本は、中立国のアメリカからの輸入をできなくなるので「戦争」とは言わずに「事変」という用語をもちいたのです(中国側も同様の理由で「戦争」という語を用いませんでした)。」中「宣戦布告せず」の加筆(本文)

「もし日本が宣戦布告をすると」という一文で一応、宣戦布告について触れられていますが、小学生が「日中戦争」は「宣戦布告していなかった」という事実を読み取るのは困難と判断して加筆しました。※変更後の本文

もし日本が宣戦布告をすると、日本は、中立国のアメリカからの輸入をできなくなるので、宣戦布告せず、「戦争」とは言わずに「事変」という用語をもちいたのです(中国側も同様の理由で宣戦布告せず、「戦争」という語を用いませんでした)。

6「中国側も同様の理由で宣戦布告せず、「事変」という語を用いませんでした」中「事変」を「戦争に変更(本文)

宣戦布告していなかったからこそ、「戦争」ではなく「事変」と呼んだのであり、単純な間違いだったため修正。

※変更後の本文

中国側も同様の理由で宣戦布告せず、「戦争」という語を用いませんでした

7「この戦闘をもって、'''日中戦争'''(にっちゅうせんそう)の始まりと考える日本の学説や教科書もあります。」中「また、」の加筆(本文)

単純に読みやすさを改善するために加筆しました。

※変更後の本文

また、この戦闘をもって、'''日中戦争'''(にっちゅうせんそう)の始まりと考える日本の学説や教科書もあります。

8「'''日中戦争'''(にっちゅうせんそう)の始まりと考える日本の学説や教科書もあります」に「両国は、宣戦布告を行っていないため、当時は「日中戦争」と呼んでいませんでした。また、「日中戦争」という名称には「宣戦布告していないことが分からない」という指摘もあります。」という文を加筆(注釈)

盧溝橋事件以降の戦闘は、一般的に「日中戦争」と呼ばれていますが、当時は宣戦布告を行っておらず、戦争ではないという建前の下、「戦争」という表現は避けてきたので、その事実を加筆するとともに、宣戦布告していない事実がより分かりやすくなるよう「日中戦争」という呼称に問題が指摘されていることを加筆しました。ただし、日中戦争という用語に疑問を投げかけるような形となることから注釈で加筆しました。

9「南京攻略のとき、日本軍が中国の民間人や捕虜を多数殺害しました。これは1937年12月から1938年初めごろまでの事件を'''南京事件'''(ナンキンじけん)といいます」中「南京事件」の太字化解除及び「殺害」等の表現変更(本文)

南京事件は、小学校及び中学校の全社の教科書で太字化されていないため、中学受験で出題される可能性はゼロに等しく、太字化する必要性は皆無であると判断して太字化を解除しました。

「殺害」という表現は、極めてネガティブな表現であり、元気いっぱい明るく成長する小学生に用いることは極めて不適切だと判断し、「死傷者が出ました」という中立的な表現に変更しました。

また、これらの関係で順序を入れ替えている箇所があります。

※変更後の本文

南京攻略のとき、日本軍によって、中国の民間人や捕虜に多数の死傷者が出ました(南京事件)。これは1937年12月から1938年初めごろまでに起こったといわれています。

10「なお、この事件の犠牲者数などの実態については資料の上で疑問も出され、さまざま見解があり、今日でも調査や研究が続いています。」の加筆(本文)

現在の記述では、「被害にあった規模は様々な見解があります」と注釈で簡単に触れるのみで、仮に小学生が20万人虐殺説を知った場合に、他の学説に拒否反応を示すことを防ぐ効果はなく、多様な見解を尊重する観点から、多様な見解が発生する経緯として「犠牲者数などの実態が資料の上で疑問も出ていること」を記述し、これに伴い「さまざまな見解があること」を明記した上で「調査や研究が続くこと」を記載するべきと判断しました。

また、小学生は注釈を見ない可能性があることを踏まえ、多様な見解を尊重することの大切さに気付くことができる記述を本文で行いました。

11南京事件の注釈の変更

「ときどき論争にもなっています」の加筆

 多様な見解が「論争」を生む事実にも触れ、それぞれ譲れない立場があることを知り、多様な見解を尊重する大切さへの気付きをよりいっそう深めることができるようする必要があると判断し、加筆しました。

「また、研究者の立場によっては、「南京事件」以外の名称を使用する場合もあります。」の加筆

南京事件は、立場によって「南京大虐殺」とも「南京虐殺」とも呼ばれ、虚構説を主張する研究者からは「虚構の南京事件」とも呼ばれます。立場によって名称が大きく異なることを明確にすることで、名前には意味が込められていることを深く理解し、あらゆる事象の名を決めることの大切さに気付くようにしました。なお、「南京大虐殺」から「虚構の南京事件」まで幅広く名称を取り上げていてはキリがないので、特定の立場に加担することがないよう、「南京虐殺事件」も削除し、包括的な記述としました。

「日本軍にたいする非難が高まりました」の削除

 現在の小学校や中学校の全社の教科書を精査しましたが、どこにも「日本軍にたいする非難が」高まった趣旨の記述はありませんでした。

 自国が非難を受けたという趣旨のネガティブな教育は、判断力の乏しい小学生にとっては自国が今でも非難を受け続けている悪い国だと錯覚してしまうおそれがあります。社会の悪い部分ばかりを伝えれば、社会を憎み、人間不信の人へと成長します。逆に社会の良い部分を伝えれば、社会を大切にし、社会をより良くしようとする主体的な人間へと成長します。

 小学生に自国が非難を受けたなどのネガティブなことを教えるのは、このような観点から極めて不適切だと判断し、当該記述を削除しました。

南京事件の注釈の変更後と変更前の比較

変更後

この事件の実態については調査や研究が続いているほか、ときどき論争にもなっています。この事件は1938年初めごろには欧米のマスコミで報道されましたが、軍によってコントロールされていた日本の当時のマスコミは報道しませんでした。また、研究者の立場によっては、「南京事件」以外の名称を使用する場合もあります。

変更前

南京虐殺事件ともいいます。被害にあった規模は様々な研究があります。この事件は1938年初めごろには欧米のマスコミで報道され、日本軍にたいする非難が高まりました。当時の日本のマスコミは軍によってコントロールされていたため、報道されることはなく、大多数の日本人は戦後にこの事件について知りました。--日本人3 (トーク) 2022年12月21日 (水) 07:38 (UTC)[返信]

日本人さん、あなたの文章は長い上、部分的に読んだだけでも、全くまともな話が通じなさそうな人物に見えるので、
>>自国が非難を受けたという趣旨のネガティブな教育は、判断力の乏しい小学生にとっては自国が今でも非難を受け続けている悪い国だと錯覚してしまうおそれがあります。社会の悪い部分ばかりを伝えれば、社会を憎み、人間不信の人へと成長します。逆に社会の良い部分を伝えれば、社会を大切にし、社会をより良くしようとする主体的な人間へと成長します。
の部分だけ反論しておく。
「社会の悪い部分ばかりを伝えれば、社会を憎み、人間不信の人へと成長します。」ってことだけど、仮に「社会を憎み、人間不信の人へと成長」した人間がいるとしたら、それは社会の悪い部分ばかり聞いたからではなく、実際に現実に生きていく中で、社会や人間から沢山酷い目にあったからなんだよね。完全にあんたには幻しか見えないようだね。
後、「逆に社会の良い部分を伝えれば、社会を大切にし、社会をより良くしようとする主体的な人間へと成長します。」、これもダウトだろう。社会とは何? 自分の気の合う仲間内のこと? それが主体的な素晴らしい人間ってことか? 現実問題この社会は悪いところだらけだよ。これがいいものだと思い込んで幻の中で生きている人間は、実際には悪事以外何もしないだろう。そしてその自分の悪事が、主体的な社会変革で善行だと思い込んで生きていくだろう。 社会を良くしようとする主体的な人間って、自己満足と自己欺瞞で他人を殺す人間のことだろう。社会の悪いところを知らないのに、社会を良くすることが出来るかね?
おそらくあんたの判断力、理解力は小学生以下だろう。--Honooo (トーク) 2022年12月21日 (水) 08:27 (UTC)[返信]
例えば、幼い頃に「あなたの家族は、こんなに凄い所があるんだよ」と教えられるのと、「あなたの家族は、こんなに悪い人たちばかりだよ」と教えられるのとでは、根本的に着眼点が変わります。前者が家族の良い部分に着眼するようになるのに対し、後者が家族の悪い部分に着眼するようになります。(これぐらいは想像できるでしょう)
国家・社会について教える場合も家族と同様のことがいえます。
「それは社会の悪い部分ばかり聞いたからではなく、実際に現実に生きていく中で、社会や人間から沢山酷い目にあったからなんだよね」
明らかに教育の影響で社会に対する憎しみや不信感が生まれたという事例は報告されおり、社会の悪い部分ばかり聞ければ、社会を憎しみ、人間不信の人になることは疑う余地のない事実です。
「社会とは何?」
国家の下に成立する人間の集団。自分の気の合う仲間内ではない。
「現実問題この社会は悪いところだらけだよ」
社会に悪い所があるのは当然です。人間に悪い所があるのに、集まった瞬間、悪い所が消えて無くなる方がおかしい。しかし、日本という国がいかに凄い国なのかを教える教育を実施すれば、日本という国を愛し、日本を誇りに思って国を理想の姿へと導こうとする意欲が自然に湧くはずです。(これが理解できないのであれば、相当理解力に難があるか、洗脳されているかの二択)
「社会を良くしようとする主体的な人間」とは、自国の有する凄さを誇り、
アメリカの学校では、もともと自尊的な歴史観を教え、米国人としての強い誇りと気概を伝える教育を実施してきたのですが、労働組合(日本の日教組的なやつ)が力を持ったせいで、奴隷制度など、米国の過去の悪い部分をことさら強調した教育が実施されるようになって、その世代が大人になったあたりから、犯罪件数が増加し、多数の銅像が破壊されるなど、過激な革新派が急増し、多くの問題が頻発するようなりました。黒人差別解消と称した白人への暴行・虐殺も頻発するようなりました。
中国でも、過去の中国の文化に対する誇りを奪う教育が実施され、失った誇りを埋めるように、毛沢東が主導して文化大革命が起こりました。
誇りを奪う自虐的な偏向教育は、人間の心を歪めるだけで、何も生み出しません。社会の悪い部分を伝えても、何の意味もありません。
誇りを伝える教育こそ、今、一番必要なものです。--日本人3 (トーク) 2022年12月21日 (水) 09:57 (UTC)[返信]
社会の悪い部分を知るためには、まず社会の良い部分を知らなければなりません。
そうでないと、ただの自虐偏向の教育となってしまいます。
少なくとも、小学生は、まだ社会の良い部分をほとんど知らないはずなので、社会の悪い部分を伝えるのはおかしいです。--日本人3 (トーク) 2022年12月21日 (水) 09:58 (UTC)[返信]
凄いなお前、完全な気違いなのな。馬関馬鹿しいから最後まで読まんよ。
>>例えば、幼い頃に「あなたの家族は、こんなに凄い所があるんだよ」と教えられるのと、「あなたの家族は、こんなに悪い人たちばかりだよ」と教えられるのとでは、根本的に着眼点が変わります。前者が家族の良い部分に着眼するようになるのに対し、後者が家族の悪い部分に着眼するようになります。(これぐらいは想像できるでしょう)
そもそも幼いころにこんな事子供に言う奴なんていないよ。小学校の歴史授業だってあんたの狂った再編集前の文章だって、そんなこと言ってない、そしてどんな子供もいいところはいいと思うし悪いところは悪いと思う。
あんたほんとに狂ってんのね。地獄のような愚か者。あんたにつける薬はない様だね。ほんとに困ったなー。--Honooo (トーク) 2022年12月21日 (水) 10:04 (UTC)[返信]
この馬鹿をちょっと見てみろ。何とかする方法ない???--Honooo (トーク) 2022年12月21日 (水) 10:07 (UTC)[返信]
相当理解力に難があるか、洗脳されているかの二択←それがお前--Honooo (トーク) 2022年12月21日 (水) 10:08 (UTC)[返信]
歪んでるのはお前の心。--Honooo (トーク) 2022年12月21日 (水) 10:09 (UTC)[返信]
日本を誇りに思って国を理想の姿へと導こうとする←それがお前ら気違いの独善。お前らみたいな気違いに絶対そんなことできない。何がいいことで何が悪い事かさえも知らないのがお前ら。--Honooo (トーク) 2022年12月21日 (水) 10:12 (UTC)[返信]
いくら日本人と自分と自分の仲間が優秀で凄くて、自己満足の誇りを持ったところで、お前みたいな気違いは悪事しかしない、正しいことは一切しないだろう。--Honooo (トーク) 2022年12月21日 (水) 10:16 (UTC)[返信]
今一番必要なことは、お前自身が愚か者で歪んだ心の悪党だと気づくこと。--Honooo (トーク) 2022年12月21日 (水) 10:37 (UTC)[返信]
そもそも国が理想の(誰にとって?)姿になることよりも、社会の構成員一人一人が幸せに生きていくことの方が重要じゃあない?--Honooo (トーク) 2022年12月21日 (水) 10:51 (UTC)[返信]
国の理想とは、社会の構成員一人一人が幸せに生きて行けなければ成立しません。そこ分けるのはおかしいです。--日本人3 (トーク) 2022年12月25日 (日) 14:37 (UTC)[返信]
いや,この二つは明らかに違う。国の理想とはあんたら自己満足の愚か者の頭の中にあるもの。構成員一人一人の幸せは現実に存在する主体一人一人が現実に感じるもの。AはBがなければ成立しない? あなたはB が何かも知らないのに、A を成す話をしている。--Honooo (トーク) 2022年12月25日 (日) 17:33 (UTC)[返信]
「南京事件」の太字をやめるのと「なお、この事件の犠牲者数などの実態については資料の上で疑問も出され、さまざま見解があり、今日でも調査や研究が続いています。」という一文の追加は問題ないと思う。
ただ「さまざま見解」って何?「さまざまな見解」じゃないの?とは思ったけど。南京事件を太字にしている会社はおそらくない。
推楽氏の「南京事件そのものに疑問はない」っていうのは、仮に真偽のことを言っているのであれば、「犠牲者数などの実態」とある以上、真偽に疑問があるとは読み取れないし、真偽以外の実態に疑問がないと主張するのであれば嘘。
日本人さんの「未確定な時事的事象について断定的に記述しないことや通説がない場合は通説がないことを明示することを求める条項」って「未確定な時事的事象について断定的に記述していたり、特定の事柄を強調し過ぎていたり、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げていたりするところはないこと」(以下「断定回避条項」という。)とか「近現代の歴史的事象のうち、通説的な見解がない数字などの事項について記述する場合には、通説的な見解がないことが明示されているとともに、児童又は生徒が誤解するおそれのある表現がないこと」(以下「通説明示条項」という。)のこと?
断定回避条項は、主に真偽に疑問が出るものに適用されるから、それはおかしい。通説明示条項と「多様な見解のある社会的事象の取り上げ方に不適切なところはなく、考えが深まるよう様々な見解を提示するなど児童又は生徒が当該事象について多面的・多角的に考えられるよう適切な配慮がされていること」を適用するのが正しい(はず)。
ネーミングセンスがオワコンなのは許して
あと、学校教育法には義務教育の目標として「我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き」とあるから通説がないことを明示するのは大切だと思う。
「我が国と郷土を愛する態度」(教育基本法及び学校教育法)や「生命を尊ぶ態度」(教育基本法)、「我が国の歴史に対する愛情」(学習指導要領)の育成も掲げられているからそれに配慮する必要もある。(愛国心を盾に歴史を修正している訳ではない。先人の業績や伝統と文化など、別の歴史的事象における愛国心の育成を阻害しないよう配慮する必要があるだけ。非道徳な歴史上の人物を取り上げる際に道徳心の育成を阻害しないよう配慮する必要があるのと同じ。)--義務教育学校及び高等学校学習指導要領 (トーク) 2022年12月27日 (火) 06:04 (UTC)[返信]

本項に記述すべき事項など[編集]

基本的に、小学校課程の歴史に関しては、指導要領に則り、小学校社会/6学年/歴史編に記述したつもりです。同じ枠(小学校課程修了までに「歴史」として学習すべきこと)は、同記事において加筆修正すべきと考えます。この際は、指導要領に従ったと認められる教科書を基礎として記述してください(疑義があれば出典を求めます)。また、発展として記述する場合は、発展先である中学校課程のどの部分に発展するかを意識して記述することが求められます。これも同様に、疑義については出典をはじめとした根拠を要します。

さて、これを踏まえた、本項の位置付けですが「中学受験社会」と銘打っている限りは、中学受験における指導要領の領域外に飛び出た領域の記述かと考えますが(そうでなければ、存在意味のない単なる並列記述)、そうであるならば、そのようなものが出題されているという「事実」が必要です。--Tomzo (トーク) 2023年6月6日 (火) 17:50 (UTC)[返信]

どの中学の「受験」問題に出たんですか?
しばらく編集を止めます。--Tomzo (トーク) 2023年6月12日 (月) 10:28 (UTC)[返信]