ラテン文学の作家と著作/関連人物解説/マームッラ
MAMURRA
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マームッラとは
[編集]マームッラ (Mamurra) は、前1世紀頃のローマ人で、カエサルのガリア遠征における将校・側近。
マームッラは、イタリア中部・ローマの南東にあるフォルミアエ(Formiae、フォルミア)の町に、騎士階級の家系に生まれた。建築家ウィトルーウィウスともつきあいがあった。
カエサルの稚児
[編集]マームッラの名が知られているのは、抒情詩人カトゥッルスの諷刺詩の中で痛烈に揶揄されているからである。その攻撃理由は、マームッラがガリアやブリタンニアの遠征において当地の富で私腹を肥やして財をなしたこと、そしてそれは彼がカエサルと性的関係をもって寵愛を受けていたからだというものである。
カエサルに多くの女性の愛人がいたことは有名であるが、スエトニウスも書いているように、ニコメデス王と関係を持って以来、多くの男性とも性的関係を持って、多くの人々から非難を浴び、クリオ父から「あらゆる女の情夫で、あらゆる男の情婦」
- omnium mulierum virum et omnium virorum mulierem , Divus Iulius 52(Suetonius)より)
と揶揄されていた。カエサルは、ローマの近郊フォルミアエのマームッラの父の賓客として歓待され、息子のマームッラを寵童とするようになったともいわれている。
ガリア遠征の技師長として財を成す
[編集]マームッラは、カエサルがガリアやブリタンニアへ軍事遠征したときの側近となり、技師長 (magister fabrum)あるいは工兵監督(praefectus fabrum) [1]に就任して、当地で大いに財を成した。
莫大な富を得たマームッラは、後に自邸の外壁や柱を頑丈な大理石で建造した。これは、ローマ人では最初のことであるととして特筆される。
抒情詩人ホラーティウスは、このことから、フォルミアエの町を Māmurrārum urbs(マームッラの都)と皮肉ったという。
カトゥッルスらに非難される
[編集]カトゥッルスは、カエサルの政治姿勢を批判する諷刺詩を書いたが(当時の貴族階級の態度を反映していたともいわれている)、カエサルの寵臣であったマームッラともども、彼の諷刺詩 (第29歌、ほか) の中で激しく攻撃した。カトゥッルスがマームッラに「メントゥラ」(mentula) 「男根」という仇名をつけて繰り返し誹謗したことは、特に知られている。
脚 注
[編集]参考文献
[編集]- Hazel:Who's Who in the Roman World (2002) の「Mamurra」
- シュタウプ ギリシア・ローマ古典文学参照事典 (1971) の「Mamúrra」
- バウダー 古代ローマ人名事典 (1994)の「カトゥルス」