ラテン文学の作家と著作/関連人物解説
はじめに
[編集]ここでは、ラテン文学の作家と著作を解説する上で補足説明が必要と思われる人物について解説する。
古代ローマ共和制後期の関連人物
[編集]ローマ共和制後期のギリシア人・ギリシア語の作家
[編集]エピクーロス
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古代ローマ共和制末期(内乱期)の関連人物
[編集]ローマの主要な政治家
[編集]マリウス
[編集]スッラ
[編集]ポンペイウス
[編集]クラッスス
[編集]アントーニウス,マルクス
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オクタウィアーヌス
[編集]そのほかのローマ人
[編集]アントーニウス
[編集]- Marcus Antonius:共和制末期の三頭政治家。⇒#アントーニウス,マルクス
- Marcus Antonius:1.の祖父で、共和制後期の有名な弁論家 ⇒アントーニウス
ウェッレース
[編集]マームッラ
[編集]マームッラ(Mamurra、生没年不詳)は、カエサルの側近で、ガリア・ブリタンニア遠征時の技師長。詳しくは、下記を見よ。
ラビーリウス
[編集]- #ラビーリウス (1):キケローの『ラビーリウス弁護』によって弁護された元老院議員。
- #ラビーリウス・ポストゥムス:1.の甥で、キケローの『ラビーリウス・ポストゥムス弁護』によって弁護された金融業者。
- :叙事詩人(別記)
ラビーリウス (1)
[編集]ガーイウス・ラビーリウス(Gaius Rabirius [1])は、ローマ共和制末期の騎士階級の政治家、元老院議員。サトゥルニヌスという護民官を前100年に殺害した嫌疑により前63年に大逆罪で訴追されたが、キケローの『ラビーリウス弁護』(Pro Rabirio Perduellionis Reo)により知られる法廷弁論によって弁護された[2]。甥の#ラビーリウス・ポストゥムスも前54年にキケローによって弁護された。
ラビーリウス・ポストゥムス
[編集]ガーイウス・ラビーリウス・ポストゥムス(Gaius Rabirius Postumus [3] [4])は、ローマ共和制末期の騎士階級の金融業者・政治家。前50 年代には三頭政治を、その後はカエサルを支持。彼の援助により元老院議員になり、前48年頃に法務官になる。前55年にエジプト王プトレマイオス12世に融資して、王の宮廷の財務担当者に就任、王室の財政再建を担当した。王によって投獄されたが、ローマへ逃亡した。前54年、ローマで不当取得のとがで訴追されたが、キケローの『ラビーリウス・ポストゥムス弁護』(Pro Rabirio Postumo)により知られる法廷弁論によって弁護された[5]。おじの#ラビーリウスも前63年にキケローによって弁護されている。
ローマ共和制末期のギリシア人・ギリシア語の作家
[編集]ハリカルナッソスのディオニュシオス
[編集]ハリカルナッソスのディオニュシオス(羅 Dionysius Halicarnasseus:前54-7頃)は、ギリシア人の史家・文体批評家。ギリシア語で『ローマ古代史』全20巻を著した。
古代ローマ帝制前期の関連人物
[編集]ローマ帝制前期の君主
[編集]アウグストゥス
[編集]ローマ帝制前期のギリシア人・ギリシア語の作家
[編集]プルータルコス
[編集]プルータルコス(羅 Plutarchus:後46頃-120以降)は、中部ギリシアのボイオーティア地方のカイローネイア出身の通俗倫理学者・随筆家、そして古典古代で最も著名な伝記作家。代表作は『対比列伝』。
古代ローマ帝制中期の関連人物
[編集]ローマ帝制中期の君主
[編集]ローマ帝制中期のギリシア人・ギリシア語の作家
[編集]古代ローマ帝制後期の関連人物
[編集]ローマ帝制後期の君主
[編集]ローマ帝制後期のギリシア人・ギリシア語の作家
[編集]古代ローマ帝制末期の関連人物
[編集]ローマ帝制末期の君主
[編集]ローマ帝制末期のギリシア人・ギリシア語の作家
[編集]脚 注
[編集]- ^ Hazel:Who's Who in the Roman Worldの「Rabirius 1」を参照。
- ^ キケロ (グリマル,1993)のp.67-69, 148などを参照。
- ^ Hazel:Who's Who in the Roman Worldの「Rabirius 2」を参照。
- ^ 古代ローマ人名事典の「ラビリウス・ポストゥムス」を参照。
- ^ キケロ (グリマル,1993)のp.90-91などを参照。