コンテンツにスキップ

ラテン語の語句/エラリー・クイーンによる引用句

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

ラテン語の語句

エラリー・クイーンEllery Queen)の筆名で作家活動をしたフレデリック・ダネイ(Frederic Dannay)こと、本名 ダニエル・ネイサン(Daniel Nathan, 1905-1982)。
マンフレッド・ベニントン・リー(Manfred Bennington Lee)こと、本名 マンフォード・エマニュエル・レポフスキー(Manford Emanuel Lepofsky, 1905-1971)とのユダヤ系アメリカ人の従兄弟どうしの共作だった。

ここでは、ラテン語の引用句の例として、20世紀のアメリカのミステリ黄金期を代表するミステリ作家のひとり エラリー・クイーンEllery Queen)の著作における引用例を取り上げる。

エラリー・クイーンとは

[編集]

本格ミステリの巨匠エラリー・クイーン

[編集]

名探偵エラリー・クイーン

[編集]

名探偵ドルリー・レーン

[編集]

ローマ帽子の謎(1929年)

[編集]

ローマ帽子の謎The Roman Hat Mystery)は、1929年に発表された、作家エラリー・クイーンのデビュー作であり、いわゆる「国名シリーズ」の第1作でもある。

Caveat Emptor 買い手は注意するべし / 買い手危険持ち

[編集]

フランス白粉の謎(1930年)

[編集]

オランダ靴の謎(1931年)

[編集]

ギリシア棺の謎(1932年)

[編集]

エジプト十字架の謎(1932年)

[編集]

ドルリー・レーン最後の事件(1933年)

[編集]

ドルリー・レーン最後の事件(Drury Lane's Last Case)は、1933年にバーナビー・ロスBarnaby Ross)名義で発表された、ドルリー・レーンDrury Lane)シリーズ四部作の最終作。

アメリカ銃の謎(1933年)

[編集]

シャム双生児の謎(1933年)

[編集]

チャイナ橙の謎(1934年)

[編集]

スペイン岬の謎(1935年)

[編集]

スペイン岬の謎The Spanish Cape Mystery)は、1935年に発表された、「国名シリーズ」の最終作である。

ph(a)enomena curiosa / 奇妙な現象

[編集]

第1章「キャプテン・キッドのけた外れな誤り」(Chapter One The Colossal Error of Captain Kidd)で、有名な海賊「キャプテン・キッド」の名前であだ名される者のある失敗が、名探偵エラリーの推理に役立ったことを予告する。

原文(英文) 和訳
But this is a long hard tale, and how Mr. Ellery Queen became involved in it is another. しかし、これは長く難解な物語であり、エラリー・クイーン氏がどのようにそれにかかわり合いになったのかも同様のことである。
Certainly, as a laboratory microscopist peering at the phenomena curiosa of the human mind, he cause in the end to feel grateful for Captain Kidd's grotesque mistake. 確かに、人間の心の 奇妙な現象 に目を凝らす実験室の顕微鏡専門家のごとく、結局のところ、彼はキャプテン・キッドのグロテスクな失敗をありがたく思わせてくれるのだ。
  • phaenomena cūriōsa 奇妙な現象

原文の phenomena は近世化、または英語化した phenomenon の複数形で、後期ラテン語(Late Latin )では ギリシア語系・第2変化名詞・中性名詞 phaenomenon の複数・主格が phaenomenacūriōsa は形容詞 cūriōsus, -a, -um 「奇妙な」の中性・複数・主格。

わざわざラテン語風に表現するのは、エラリーの衒学趣味か?

genus

[編集]

fere libenter homines id, quod volunt, credunt / 人はたいてい喜んで、彼らが欲することを信じ込む

[編集]

第12章「脅迫者が困難に遭遇すること」(Chapter Twelve In which a blackmailer encounters difficulties)で、前章の最後に断崖から落ちて亡くなったと思われるカンスタブル夫人(Mrs. Constable)の死因について、モリー警視(Inspector Moley)が自殺説に言及したところ、エラリーが異論を唱えた。マクリン判事(Judge Macklin)がエラリーに発言の意味をたずね、エラリーが答える場面。エラリーは、判事を「わが親愛なるソロン(my dear Solon)」というあだ名で呼んでいる。ソロンSolon)とは、古代ギリシアの法律家で、「七賢人」の一人。

原文(英文) 和訳
“What are you driving at, Ellery?” asked the Judge. 「エラリー、君は何を意図しているのかね?」と判事がたずねた。
“Inspector Moley, my dear Solon, believes with Cæsar that
fere libenter homines id, quod volunt, credunt. (以下略)”
「わが親愛なるソロンよ、モリー警視は、カエサルとともに、
人は、たいてい喜んで、彼らが欲することを信じ込むものである
ということを信じているのです。(以下略)」

引用されているのは、カエサルの『ガリア戦記第3巻18節に記されているもの。エラリーは、モリー警視が自分に都合の良いように、良く考えずに結論付けていると示唆し、考える仕事をしてはどうかとやり返す。

中途の家(1936年)

[編集]

災厄の町(1942年)

[編集]

九尾の猫(1949年)

[編集]

脚注

[編集]


関連記事

[編集]