学習方法/中学校国語

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

主に高校入試の対策における、「国語」科目の勉強法について、述べる。 中学での日ごろの学習方法も、入試対策と同様である。

※この Wikibooks では、ある一人の編集者にとって不適切で不快に感じられる記述が散見され、しかもその記述は今後も増えていくように思われるので、少しずつではありますが、目につくページから、書き直し、再編集しようと思っています。しかしひょっとしたらその不適切文章は膨大で、これから増えていくスピードも、こちらの編集スピードより速いかもしれないので、基本的にはマイペースで、書けるだけ書いていくのみですが、ぼちぼちと、再編集を手掛けていく予定です。そこで、今回はこのページに達しました。基本的に上の項目から少しずつ、最後まで達したら全体を見直して、この導入文を書き直して一応の終了にする予定です。ですからその途上では、このページは全体として不整合、矛盾があるかもしれません。一応の再編集が終了した時点で、この注の記述も消して、ここの導入文を再編集して一応の終了予定です。

参考書[編集]

中学国語の参考書は有用ですね。高校入試対策のためにも、非常に役に立ちます。

最初は易しめの参考書がいいですよ。とは言っても小学生用や中学受験用ではなく、正当な中学国語科参考書推奨です。

少し難しい中学国語科の参考書では、日本語の文法に関する記述の詳しい本が多いようですね。

どういう理由かは良く分からないのですが、小中高と、国語教育では日本語の文法に関する解説はあまり詳しくなく充実していないので、参考書ではそれについて解り易く説明したいという配慮が働くのでしょうね。

それ以外にも難し目の大冊の参考書は、日本語のなかに見られるアイヌ語の例として「ししゃも」を紹介したりとか、「平仮名」とか「片仮名」の仮名(かな)とは、真名(まな)の対義語で、真名とは漢字のことだとか、ちょっと面白い記述も多くて、読み応えのある本ではありますね。

ただ高校入試や大学入試のことを考えると、基本的に国語科では文法や日本語の成り立ちの詳細な内容が出題されることは少なく、文章の読解や漢字や言葉の意味、が 興味の中心になるようです。

詳細な解説が書かれている難し目の参考書の、文法の単元で、本文中でなく、脚注や傍注などに備考的に書かれている内容は、興味深い記述は多いのですが、入試や定期テストの問題にはあまりならない、ということでしょうね。

文法問題のテスト対策としては、標準的なワークブックなどの文法問題が解ければ、充分勉強したという事になるでしょうが、しかしそもそも勉強とは、必ずしもテストでいい点を取る事を目的化してやるものではないので、それぞれの興味に応じて、それぞれ課題を作っていけばいいと思います。

学校で使っている教科書に準拠した、教科書ガイドというのも有用な本ですね。

違う出版社の教科書に同じ文章が掲載されている場合、ガイドによって解釈が異なる場合があるようですよ。しかも、そういう部分に限って、重要で心を打つ内容なので、定期テストで良く出題されるようです。

しかし、そんな事、大したことじゃないですよね。

そもそも国語のテストなんてもの凄く曖昧でいい加減なもので、出題された読解文の作者自身が試験を受けたのに、大した点数取れなかったなんて笑い話があるくらいで、非常に当てにならないものです。

そんなテストに汲々して、1点でも高い点を取りたいなんて、考える事自体、馬鹿げたことだと思う。

教科のバランス[編集]

世間では、よく「国語は学問の基礎。」とか「他の教科よりも国語が大事。」とかと言う人がいます。

……と、いう文章で、この項目の前編集は始まっていたのですが…

実は今回のこの項目自体は、このスタイルの前編集者の悪癖が、あまり強烈に酷い形で発揮されてはいないのですが、この Wikibooks 全体を見ると、この導入で始まるこの編集者の文章の悪辣がどんどんエスカレートして、その世間でよく馬鹿げたことを言う人の主張を批判するにとどまらず、その人自身やその人に似た人間を徹底的に貶めて馬鹿にして愚弄して、その主張者の人間性を徹底的に見下す文章を延々と長文で書き垂らすという、常識ではありえない狂った文章があらゆる場所で見られるので、敢えてここではっきりと書かせてもらいますが、この構成の馬鹿馬鹿しい文章をここで書くのは、今すぐやめろよ。

仮にあんたが、狂文執筆中毒で、どうしてもやめられないと言うのなら、少なくとも、その世間でそういう、あんたが馬鹿馬鹿しいと思う主張をする人物の、名前、出典をはっきり書け。

著名人なら、名指しで、いつどこでその主張をしたか、はっきりと書くべきだし、著名人ではない一般人なら、個人名を出さないまでも、どういう立場のどういう肩書の人が、どういう場でいつ、どういう形でその主張をしたか、まずそれをはっきり書け。

あんたはやたら世間でこういうことを言うやつがいるの後に、その主張を全否定して、その主張よりもいかれた自分の意見をとうとうと述べて、そして最初の主張をしたやつをバカだ馬鹿だと言って締めるけど、すべてにわたってナンセンスな文章だね。

まず確かにあんたの言ったような主張をする人物はいるのだろうけど、第一にそれは多くの場合非常に少数派で、いちいちそれを取り上げて馬鹿だ馬鹿だと言ったところでだれも得しないし、ただあんたが相対的に賢い人間になった気がして、自己満足に浸れるだけだろう。

第二に、恐らくそういった主張をする人物はいるのだろうけど、多くの場合あんたは完全に、その人物の真意と意図を全く正しく理解していないね。

全く理解していないからその人物が馬鹿だと思うんだろうけど、そしてそれをネタに、自分の主張の正しさに箔をつけたいんだろうけど、俺に言わせれば、いちばん馬鹿なのはあんただよ。

例えばこの場合では、まあ俺自身は、国語科が特別に価値のある科目だなんて主張した意見は聞いたことないけど、国語に携わっていて、国語科の良さ、そして他の科目との総合的な関連に感動して、その感慨の吐露として、そういうことを言ったんじゃあないの?国語が最高だから、ほかの科目は勉強しなくてもいいなんて、誰も言ってないんじゃあないかなー。あんたが単に自分の主張の凄さを強調したいから他人をバカにして貶めて(しかも事実ではないあんたの自己本位の妄想に基づいてね)、相対的にあんたの下らん主張が正しいことに見せかけたいから、その主張をした人が、あんたの馬鹿文によって貶められただけだろう。


……と、まあここまでは、業務連絡、前書きですが…

本題としては、国語、数学、理科、社会、英語、は、主要五教科ですから、偏向しないでバランスよく勉強することが大事ですし、推奨です。

また、国語自体の勉強も、読書、漢字の書き取り練習、ことわざや慣用句や古語、文法、多様な分野をバランスよく勉強するのがいいですよね。

また、体育や美術・音楽、家庭科などの、実技教科も、おろそかにしないで、課題として勉強時間を取っていくほうが良いですね。

国語の教科、教科書でも、他教科の知識の話題が取り上げられる事は多いですよ。

たとえば、戦争に関する文学や論説などでは、社会科の歴史分野でならう「満州」(まんしゅう)などの歴史的な地名が出ています。中学歴史では、「満州事変」(まんしゅう じへん)という事件について、習いますよね。

教科書を見ると、脚注(きゃくちゅう)や文章中などで、他教科でならう用語について解説していますから、他教科との関連は明らかにありますよね。

中学国語の漢字の分野では、「契約」(けいやく)や「損害賠償」(そんがい ばいしょう)などの、公民科目でならうような漢字も、国語科の漢字として習います。

現代の日本に滞在している外国人が書いた文章作品がいくつか、国語教科書で紹介されており、このような作品の読解では、英語の知識も必要です。

中学国語では、外国について評論した文章もありますし、外国人の登場する文学作品もあります。そのような作品の読解のためには、中学社会科の地理や歴史などの知識も必要ですし、逆にその作品を読むことで、地理や歴史の理解が充実していくはずです。

国語とは我々の国の言葉の世界を知る教科ですし、基本的に日本人が最初に出会う言葉についての教科ですから、総合的で、世界そのもの人間そのものに触れていく教科でもあります。

中学国語の教科書には様々な分野の豊富な知識、言葉が書かれている[編集]

中学の国語の教科書では、様々な多様な知識、情報、言葉が書かれています。

また、中学で習う漢字のなかには、高校や大学の社会科や理科や、大学の国文学などで、くわしい意味をならう漢字もあります。

たとえば「約款」(やっかん)という漢字を、中学3年で習うかもしれません。

多くの生徒は普通高校に進学することが多いかもしれませんが、職業高校である商業高校では、、この「約款」の、くわしい意味を習います。(※ なお、wikibooksでは『高等学校商業 経済活動と法/契約と意思表示』に約款の意味の解説がある。) 普通科高校では、ほとんどの場合、「約款」の意味を習いません。

あるいは、科学評論などで「不可逆」(ふかぎゃく)という言葉を習うかもしれません。この「不可逆」の意味は、大学の理科で習う用語がもとになっています。高校の理科では、「不可逆」の意味を習いません。

(wikibooksでは、『高等学校物理/物理II/熱力学』で「不可逆」について発展的事項として説明。)

その他、「心筋梗塞」(しんきんこうそく)という病状は、中学高校の保健体育でも学習しないようですね。

法律に関する言葉として、「嫡子」(ちゃくし)、「戸籍謄本」(こせきとうほん)、「戸籍抄本」(こせきしょうほん)、などは、高校か、あるいは多くは大学で学習することになるでしょう。

「婚姻」(こんいん)と「姻戚」(いんせき)、「姻族」(いんぞく)なんて言葉も、中学国語教科書で出てきますが、詳しい議論はより上位の学校ですることになるでしょうね。

中学校国語の教科書上の古文や漢文にかんする記述は、かなり専門的で深い内容を述べた文章が多いようです。

基本的に文章を読むという事、他人の話を聞く事は、その他者が考えていることすべてがその時々の言葉につづられるわけですから、いつ、どこで、どの学校で習う内容や言葉について語られるか、そんなことが明確に定まっているはずがありませんよね。

解ること分からないこと、理解できること理解できないこと、全てひっくるめて、その場その場で我々は他者の書いた文章を読み、他者の話を聞いているわけですよね。

世の中にはいろいろな学校があり、いろいろな教師がいて、それぞれが教えること、語ることは、ある程度秩序だって、定められていますが、実際にこの世界にある人類が積み重ねてきた知識や、知恵、技術などは、本質的には秩序を超えた混とんとしたもので、世間で言われる、いい大学、いい企業、いい国家、が提供するものだけが至上の価値を持つものではありません。

ちょっと雑談的に脱線するうえ、ネガティブな話題になるのですが、この国に著名人として、w:鴻上尚史という演劇人、あるいはタレントがいて、現編集者は若いころこの人物の深夜ラジオを好んで聞いていたのですが、彼は昔早稲田大学の学生だったけど、大学1年か2年のころに東京大学を受験しなおしたいと希望していたようです。

それでラジオ上で時々高校時代の学習、勉強の話をするのですが、それで世の中には、高校生の同級生とかの中で、何か物凄いことを知っている奴がいると。なんでお前そんなことを知ってるの?なんて思う、同級生が時々、よくいる、なんて話していました。

ただ彼はその話のオチとして、でも、結局そういう奴って大したいい大学に合格しないんだよな(笑)、なんて大笑いして終わらせていましたが…。

まあ現編集者の個人的な意見としては、この人物の学歴至上主義的な発想が垣間見えて、ちょっとうんざり、って感想なんですが、しかしこの話は結構含蓄のある話ですよね。

つまり、学問とか知識とか知恵ってそういう側面があるんですよね。

つまり正当な学校、正当な教育以外が扱う知識や知恵の中にも、何か物凄いインパクトのある、価値のある内容が沢山あるのだろう、と。

ですから、中学校や高校の国語の教科書に載っている文章、それが扱う内容は、基本は様々な著者、様々な語り手が、割と自由奔放にノンジャンルの発話、話題として文章を書きますから、多様な野性的な知識や知恵、発想や情報が含まれているのだろう、と。

ですから学生たちがこの教科書を読んでいると、様々な事柄に興味を持って、調べたり考えたりすることになるだろうけど、結局正当な教育、学歴で扱う内容は、それぞれそれなりに限定されて定められているだろうし、そこから外れたことに深入りして、そういう事ばっかりやっていると、いわゆる、いい高校、いい大学、いい学歴を手にすることはできなくなるだろう。

この項目の前編集ではそれが指摘され、警告されていました。

まあ現編集者の個人的な感想としては、それが何?学歴なんか糞だろ、ぐらいの感想ですが、でも実は、現編集者はそれなりそこそこのいい学歴を持っている人物ではあります。

お前はそこそこの学歴を持ってるから、学歴なんか関係ないなんて言えるんだろ?なんて言われれば、その通りかもしれません。

作文[編集]

小学校でもあったでしょうが、作文という課題がありますね。

文章は読むだけではなく、やはり自分でも書きたい。そのための課題が作文ですが、授業を使って授業時間で書いたり、宿題として、課題として出されることもあると思います。

作文というのはある意味一つの創作で、気分が乗ればかなり面白くて楽しい事ですから、場合によってはかなり入れ込んで、多量の時間を費やすこともあるかもしれませんね。

前編集ではその行為を戒める指摘がなされていましたが、基本的に人間、自分のことは自分で決める、自分で考えて自分の生活を作った上で、最善を目指すのが妥当ですから、自分の学習生活も自分自身で最善を考え、場合によっては律し、場合によっては奔放に気持ちを解放させて、勉学の生活を作っていくのがいいと思います。

読書感想文と作文[編集]

まず、単なる情報提供として、読書感想文や作文は、公立校入試には出題されない。そして私立高校入試にも、まず出題されない。しかし学校の授業上の課題になった場合は、当然w:調査書 (進学と就職)の、評価対象にはなる。

…と、いうことですが、あくまで事実として情報を示しましたが、個人的には、だから何? って感じですね。

どちらにせよ、感想文や作文は、ある意味文学的な創作ですから、やりがいも、楽しみも見いだせる課題ですよね。

書き取り練習[編集]

結局物事を知ることは、ある意味楽しい事ですし、実際にはあらゆる人が、勉強したいという気持ちを、どんな形にせよ持っているでしょう。

しかし実際の勉強は、何かを知るだけではなく、常に何らかの訓練、何度も同じことを繰り返すことによって、慣れとして、体術として物事を覚えるという側面がありますし、勉強の要素を考えるとき、そのことを抜かして、無いことにすることはできないでしょう。

やはり、国語の勉強として、漢字や熟語などの書き取り練習は重要ですね。

古典文学や近代文学を読むとか、あるいは文法を理解するとか、もちろんそれも国語の勉強ですが、しかしスポーツと同じで、体術として、慣れとしての練習、訓練は必要でしょう。

つまり国語の場合は鉛筆、筆記具を使って文字、言葉、さらには文章を書くことですよね。

また、文法の勉強などでも、教科書や参考書の説明を読むだけではなく、市販のドリルやワークブックなども利用して、書き取り練習、実際に行為として書くことが、非常に意義を持ってきます。

市販のドリルやワークブックは、その練習のためのひな型が、本として用意されていますから、非常に有用です。

スポーツでいうところの、トレーニングマシンのようなものですね。

文章の読解[編集]

この項目の前編集で、「国語の勉強法は、読解問題の勉強の場合ですら、正当な解釈を暗記し、テストでは、その解釈の仕方を思い出して問題を解きます。」、って書かれていたんだけど…


…んな訳ねえだろっっ(><#)!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

あのさー、文章を読むっていう事は、その時々の自分自身で言葉を受け入れて、自分の心で、精神で、自分自身の言語世界の中で、その文章と発話者の意図を考えて、解釈を見出すことなんじゃあないの?

そしてそれを繰り返して自分自身の言語世界を作っていくことが、国語の読解だし、勉強なんじゃあないの?

言語道断だよ。この項目の前編集は、断固許せんね。すじ肉先輩は、小学校の国語からやり直し!!!(><)

近代文学とか古典文学とか、いきなり初見で短時間で意味を見出して読解することは、実際問題としては若い初学者達には困難な事だろうね。そしてそういうものは、事実、国文学の研究者や、それ以外の様々な読者たちが、様々な読解を繰り返して、意見を擦り合わせて、ある程度の正当な解釈というのは確立されているだろう。

しかしそれを暗記して、テストで書けなんて勧めるのはおかしいんじゃあないの?

ただ、参考書とかで、そういう正当と言われる解釈を、勉強として読むことはまったく悪い事じゃあないよ。むしろ推奨する。学校の授業でも、教師がそうやって読解して、解説してくれるだろう。教科書自体には、本文はあっても、詳細な解説は普通書かれていないよね。

本文と解説、一度でも何度でも、読むことはまったく悪い事じゃあないし、むしろそれが勉強ですよね。

しかしやはり文章というのはその時々に読むものだし、テストだって、もちろん正当と呼ばれる解釈が頭の片隅にあってもいいけど、基本的にはその時の自分の言語世界、言語精神、世界理解の中で、その文章の正体を明らかにしなければいけないだろう。

仮にその結果、テストで×だらけで零点だったとしても、案外採点者の解釈の方が間違っているかもしれないよ?

中学国語の定期テスト[編集]

さて、この項目では、前編集を継承して学校の定期テスト対策について書きますが、まず第一点、テスト対策についての話と、普遍的な勉強法についての話は、ちょっと次元の違う話題ではありますよね。

第二点としては…普通学校の定期テストではほとんど授業で話した内容から出題されるということですね。これってある意味当たり前のことで、現実問題事実として、大抵の学校でそうなっているし、本来はそうじゃない方針があってもいいのですが、つまり、授業を離れた普遍的なテスト問題が作られても別にいいとは思うのですが、まあ常識的にそうはなりませんよね。

そこで、現編集者が思いつくテスト対策の勉強法としては、特に特別な事もなく、誰もが思いつく内容として、まず学校で習った漢字や言葉の意味、熟語や定型的な言い回しについて、よく覚えておくこと。そしてもう一つは、授業で課題として出された文章を読んで、ノートやあれば教科書ガイドなどで、提示された解釈や考え方を復習しておくこと、の 2点になりますが…。

ところがこの後者について、前編集者の指摘では、それだけでは足りない、ノートや教科書ガイドの説明内容を暗記しておけ、と、書かれているのですが…。

うーん、どうなんだろう?

まあ確かにそうしておけば、結果、より高い点数を叩き出せるのは事実かもね。

ただ現編集者の立場としては、一般的に暗記はあまり勧めないし、するとしても、最小限、常識的な範囲にしておいた方がいいのではないか、と、いう思いはあります。

しかし一方で、あるゆることに関して、暗記、記憶力が高ければ、知的な分野に関して有利なのは事実でしょう。

個人的な意見ではありますが、結局この国で、学力が非常に高いといわれる大学に進学する人は、記憶力の高い人たちだと思います。

古文と漢文[編集]

さて、古文や漢文の原文だけが今与えられたとしたら、どうやってその文を読みますか?なんとかその文章の意味を知りたいのですが…。

昔から古文と漢文の学習者には、原文と古語辞典と漢和辞典が与えられ、あとは放置されることが多かったのですが、そうなるともう、辞書で一言一言単語、言葉の意味を調べていくしかないですよね。

ところが、前編集者はそれをやるなと、しかも何故かわざわざここの文字を大きくして、大きな声で言っています。

まあ、ある程度正当な理由も書かれているのですが、それにしてもこの編集者は、やたらあれをするなこれをするな、そして何かをする時には必ずこういうやり方をせよ、そうしない奴は馬鹿だアホだ、しかも世の中にはこんなやり方をする大馬鹿、愚か者がいる、など、その手のことを延々と書き続けているのですが、全く理解に苦しむし、馬鹿げた執筆姿勢だと思う。

そんな文章を書いたって、ただただ人間の行為の選択肢を狭め、世界を、人間性を、未来を、知性を、学問を、可能性を、ただただ極小にして破壊して殺しているだけだと思うけど…。

しかし一方で、実際にはこの編集者は、全くのナンセンスを語っている訳ではないので、中学生の学習の参考の為に、この項目の前編集が推奨している古文と漢文の勉強法を、簡単にまとめて書いておく。

といっても、そんなに大した方法ではない。要するにいちいち言葉を辞書で調べるより、参考書や教科書ガイドに大抵の学校で扱う古文や漢文の現代語訳が載っているから、それを読んで勉強しろ、ということですね。

いやー、別にそれでもいいと思うよ。そうすれば能率的だし、限られた短時間で必要な課題は、学習し終えることになるよね。

全くその方法を否定する気は無いけど、ただ一点だけ指摘しておくと、辞書の構成や引き方を知り、辞書が示す言葉の体系を理解することも、間違いなく古文や漢文の勉強だよね。

前編集者が一番欲しいらしい、テストの点数や、学校の成績には、あまり直結しないだろうけどね。

古文の読書[編集]

多くの中学生、あるいはある一定数の中学生は、今後高校入学試験や大学入学試験を受けることになるでしょうが、この項目ではそれを目的化した、その入試対策としての学習効率を重視した、推奨事項、学習法を書いていきます。

まず、前編集の推奨として、読書をするなら、現代の作品より、古典や近代文学を読むのが良いと指摘されています。理由は、現代日本語作品は数が膨大なうえ、今後もどんどん増えていく。一方古典、古い作品は、ある程度主要なものは限定できるし、基本的に数は増えていかないと見なせる。ですからあくまで入試対策を目的化した方針ですが、入試のために読む必要がある作品を絞れるし、読むべき本は限定され、数も少ないだろうという事ですね。

そして、自習としても、古典、近代文学読解問題を練習するのが推奨です。

ただ現編集者の考えでは、少なくとも基本的に読書に関しては、学校の国語の勉強以外の普遍的な意味を持つ行動ですから、どんな立場、職業、肩書、年齢の人間でも、自分の読みたい本を気楽に読むのがいいようにも思いますが、今後の進学、入試に関して、功利的に判断すると、古典、近代文学優先、というのが推奨されるようです。

国語科の勉強方法として、中学授業の標準的な内容を持つ参考書やワークブック、問題集での学習は、有効だし、ごく一般的に行われる学習方法ですよね。

再び入試問題の話になると、古文や漢文で全体のストーリーを知っていないと解けない問題が出ることは多いようですね。ですから明らかに出題傾向が高い古文や漢文の全体の筋を知っておくと、有利なことは間違いないし、その辺に関してはやはり、市販の参考書が一番詳しく、網羅的に解説されていると思います。

また、古文や漢文は実際には様々な作品がありますが、入試に出題されるものはある程度限られてくるでしょう。古典文献に関しては文学以外はほとんど出題されないようですね。歴史書などはほとんど国語の入試問題としては出題されない。日本書紀(にほんしょき)、魏志倭人伝(ぎし わじんでん)、三国志(さんごくし)、孫子の兵法、どれも古典文献として非常に興味深い文献ですが、国語の入試問題としては、出題されないでしょう。しかし平家物語は逆に頻出ですね。でも、源平合戦の歴史知識は特になくても、問題は解けるようですよ。

高校入試として源平合戦の歴史知識が必要になるとしたら、むしろ社会科で、という事になるでしょうね。とにかく前編集者の推奨としては、国語に関して、まあ実際には全教科そうなると思いますが、市販の参考書は非常に有用で、古文や漢文の読解に必要な歴史知識も解説として書かれているだろうし、お勧め、と、いう事ですね。

文芸の読書と参考書[編集]

現編集者は基本的に読書好きなので、基本的に他者にも子供たちにも、読書として自分が読む本は、自由に、奔放に選んで、想定外の出会いを楽しんで読んでほしいから、あんまりあれ読めとかこれ読めとか限定したくない気持ちがあります。

でも確かに学校の勉強に役立つ本、あるいはもっと即物的には受験に役立つ本というのは、あるでしょうね。

この項目の前編集では、中学国語・高校国語の参考書に書かれた文芸作品を読むのが、勉強と読書を兼ねて一石二鳥だと、指摘されていますね。

古典作品の場合、参考書でしか入手できないものも多いかもしれません。しかしこの指摘はどこまで正しいか、実際には多くの古典作品が現代語訳や解説付きで単独で出版されています。ただ参考書は学校教育で扱う作品がピンポイントで掲載されているし、解説も詳しく、値段も安い、それを通じて古典作品を読む態度には、明らかに利点がありますね。

入試と文学作品[編集]

基本的に現編集者は勉強法について得々と語る奴は、全員インチキ人間だと思っているし、まして、普遍的な勉強ではなく、受験や成績アップに特化した勉強法なんてのも、何の価値もないお金を動かしたいだけの虚無の商売だと思っている。

ただこのページの多くは受験や成績アップを目的とした過去編集がなされているので、前編集を踏まえた文章を書く以上はそのことに触れざるを得ない。

現編集者の本音を書けば、 Wikibooks上の学習方法頁は全部削除したいのだが、実はこうやって地道に時間をかけて再編集する事よりも、それは実現困難な課題だ。

そこで、まず、前項目で参考書を利用した読書について書いたが、西洋の古典作品の場合は、その方法ではあまり読むことができないようですね。

また、西洋文学古典は、入試の読解問題としては出題されないようです。

シェークスピア『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』『夏の夜の夢』『ジュリアス・シーザー』『ハムレット』、ドストエフスキー『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』、ゲーテ作品、これらの作品は、高校入試にも大学入試にも出題されないでしょう。

ただ文学史としては、問われることもありますが、直接読んでいなければいけないというよりは、授業や参考書で解説される程度のことを知っておけば良いようですね。

『里見八犬伝』、武田信玄についての『甲陽軍鑑』などの兵法書、織田信長についての『信長公記』、これらの日本古典も入試で出題されることはまずない。

『三国志』『水滸伝』『西遊記』『封神演義』、これらは漢文ですが、試験にはやはりまず出ない。

『変身』(フランツ・カフカ作)、『ガリバー旅行記』(スウィフト作)、『赤毛のアン』(モンゴメリ作)、『不思議の国のアリス』(ルイス・キャロル作)、『誰がために鐘は鳴る』(ヘミングウェー作)、『風と共に去りぬ』(ミッチェル作)……読解問題として出題されることはないようですね…。

江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)の推理小説、乱歩のペンネームの元になったエドガー・アラン・ポーの作品、近代でも推理、冒険、SF、娯楽、などの小説、おそらくすべて、テストには出ない。

出ないけど…、どれも非常に面白い文芸作品なので、実際にはお勧めです(^^)。

入試と現代文[編集]

何度も書くけど学生時代、試験や成績にあまり拘らないで生きたほうがいいと思うけど…、しかしどうしても成績は上げたいという事であれば、国語科の現代文読解の成績を上げるには、問題演習をするのが一番いいでしょうね。現代文学の読書は、もちろん意味のある行為ですが、試験や学校の成績に即物的には直結しませんよね。

参考書を読む[編集]

前編集ではまず、一冊の参考書を10回も読み返すな、1、2回でよいなんて書いてるけど…、うーん…まず常識的に参考書をじっくり詳細に読むなら、 1回だけでかなりの時間がかかるし、それだけでかなりの得るものがあるだろう…。その後の回数について議論する意味さえ良く分からんね…。そもそも1回詳細に読んだって、理解はかなり進むけど、記憶に関してはあやふやでいい加減だよね。だから当然何度も何度も辞書のように読むこともあるだろうし、それをわざわざ禁止する意味も全く理解できないね。

とにかく前編集者は 10回も参考書の解説を読むことを禁止したうえで、それをやらないで、問題集や別の参考書の読み比べをやれなんて書いてるけど…、まあもちろんそれも意味あるしそれはそれで得ることも多いけど、しかし一方で、何度も何度も同じ参考書を読むことに意義を見出した人のやり方や行動を否定する意味はないんじゃあないの?効率からいったら問題集や読み比べがいいんだって主張だろうけど、そもそも人間の精神や知性には様々な特性と個性があるから、一概に自分にとって効率よい方法が、全ての人間にとって効率が良いわけではないだろう。

あと参考書の読み比べという前編集者の主張だけど…、常識的に中学生に同じ教科の参考書を何冊も買い与える親なんてそうそういないだろう。まあ図書館とか塾の図書室とか、そういう場所で無料で読めることはあるかもね。それならば、参考書の読み比べ、全然 OKじゃあないですか?

あと前編集者はやたら暗記暗記って書くんだけど…、そもそもこの暗記って言葉の意味自体、前編集者はかなり普通と違ったとらえ方をしているように思う。正直今時点では、前編集者がどういう意味で暗記という言葉をとらえているか、今一つ明確に見えなくて、再編集側もちょっと手をこまねいているんですが、一般的な意味で語るなら、現編集者は暗記の必要性をあまり感じていない。

するとしても、常識的な範囲で、最小限でいいんじゃあないだろうか?

そもそも暗記ってどういう意味だろうか? 前編集者は書き取り練習や問題練習をすることによって暗記せよ、なんて書いてるけど、この二つをやったからって明確に物事覚える保証はないよ。暗記って言葉は、結果を求めている言葉で、かなり長期間記憶に定着していないと、暗記をしたと見なされない。

現編集者は、体術や慣れ、ある程度の訓練を否定するものではないけど、暗記と理解に学習を 2分して、理解だけではだめ、暗記せよ、とひたすら主張する前編集者の姿勢と物の見方にはほんとにうんざりでね。

理解の中にも暗記の要素はあるし、暗記の中にも理解の要素はあるんじゃあない?

国語の学習は読解と 漢字・言葉の2つの分野があるだろうか。漢字・言葉に関してはある程度トレーニングが必要だろう。時に年少の時期は…おそらくだけど…。

そして国語科のトレーニングとして、書くことと発声することがあるだろうね。短い文章は発声に適しているようだ。文法の「かろ・かっく・いいけれ」(口語形容詞活用)とか、「く・から・く・かり・し・き・かる・けれ・かれ」(文語形容詞ク活用)とか、音読して覚えるのもいいだろう。

書くことに関しては、あらゆる分野で、トレーニングとしても、そしてそれ以外の知的理解、刺激としても、非常に有効だと思う。

近代文学の読書[編集]

まず、何度も書いていることだけど、それぞれの志望校での入学試験に高得点をたたき出すための勉強法と、もっと普遍的な、普遍的な何か、大きな、生活と人生の価値を求めてする勉強とは、話が違うし、カテゴリーの異なる議論だろう。

このページの前編集は、基本的に前者の視点から書かれているから、前編集を尊重して継承して書くのが基本のWikibooks では、あまり明確に視点の定まった記述はできない。

とはいえ、この項目についても、何らかの中学生の学習に関する示唆になるよう、文章をつづっていきたい。

まず、前編集では近代文学より、古典文学の読書を優先すべし、と、示しています。つまり、古典文学の読書をした方が、入学試験でその文章に合う確率が高い、と、いう事でしょう。

近代文学として、有名作品に、太宰治(だざい おさむ)の『人間失格』(にんげん しっかく)なんてありますが、例えば、入試問題として、文学史の問題として出題されることはあるでしょうね。本文が読解問題として出題されることもあるでしょうが、多くの出題される文章は、教科書、参考書、問題集に掲載される部分が多い、と、いう分析がされているようです。

近代作家の芥川龍之介(あくたがわ りゅうのすけ)の『羅生門』(らしょうもん)、は、高校教科書で頻出ですね。古典の今昔物語集をベースにしたなかなか刺激的な物語で、確かに現編集者も高1 の国語の教科書に載っていて、授業でも確実に話を聞いた記憶があります。

しかしどちらにせよ、近代小説や古典文学にしたところで、学歴や偏差値や成績のためにあるのではありませんから、それぞれの興味に応じて、読んだり読まなかったり、自由に行動を選べるわけで、他人に対してあれしろこれしろなんて、云う権利も、云うだけの人間的な価値も、だれ一人ないと思います。

現代文学の入試対策[編集]

現代作家の文学作品については、著作権などの問題で、参考書で紹介する際に、手間やカネが掛かったりするのです。

にもかかわらず、もし参考書で作品本文が紹介される作品は、それなりに紹介の価値があるからこそ、出版社が掲載したということなのです。 紹介の価値とは、たとえば過去に検定教科書に掲載されたことのある作品とか、あるいは有名高校の入試問題に取り上げられたこともあるとか、課題図書としてよく国語教科書などで推薦されやすい、とかです。

出版社が、いちいち手間とカネをかけて、著作権者や管理団体などに掲載許可を取りに行って、それで参考書に掲載してるわけです。なので、時間があれば、いちおう参考書・問題文に掲載された作品の本文くらいは読んだり、作中の漢字などの書取り練習などは、しておきましょう。

また、現代文学は作品数が多すぎるため、どうせ現代文学のほとんどの作品は入試に出ないので、勉強法は、けっしてストーリーを丸暗記するのではダメです。勉強法は、問題集などを利用して、きちんと読解をする勉強法をしましょう。自分で読解した結果と、答えとを確認するため、解答や解説が必要なので、問題集などを利用する必要があります。

教科書や参考書などの説明文や評論文などに書かれた内容は、ためになる内容もあります。芸術評論などの教養的な知識や、歴史評論、社会評論、そのほか雑学的な知識が増える内容もあります。しかし、せっかく読んでも、ためになるだけであり、高校入試に出しずらい場合もあります。

なぜ入試に、せっかく「ため」になるのに、その知識が出題されずらいかというと、国語の入試では歴史評論などの知識を問うわけにはイカナイから、です。

なので、中学生の勉強では、あまり多くの現代作品を読む必要はありません。

もし運悪く、あなたの地元の書店で売ってる中学国語参考書・問題集では現代作品の解説が見つからない場合、かわりに高校生用の高校国語の『現代文』の参考書で代用する必要があるかもしれません。

小学校の参考書ではダメです。小学生用・中学入試用の参考書では、高校入試には対応できません。

このように、現代文学の読解の練習方法は大変ですので、それよりも、まずは漢字の書取りとか、熟語の書取りとか、そういうのから勉強したほうが得(とく)でしょう。


私立高校対策の評論文について[編集]

評論文についての勉強ですが、余裕があれば予備知識として、国語だけでなく社会科の勉強として、高校の初歩レベルの勉強をすると効率的かもしれません。

そのための手段として、

参考書: 高校受験レベルで難関高校むけレベルの社会科(特に公民)の参考書か、
高校の教科書: あるいは高校の『現代社会』(という科目がある)などの教科書、

などを読むと、よいかもしれません。

どういう事かというと、世間一般の社会評論の文は、想定する読者の知識レベル(社会科の知識レベル)として、いちいち中学校社会科の検定教科書レベルに合わせてくれず、たいてい、高校を卒業した大人を想定しています。

また、私立高校の入試の過去問などを見ると、評論文などでは、予備知識として高校レベルの公民科目の初歩あたりを想定している文章も、けっこうあります。


とはいえ、あまりに中学レベルから離れた内容は高校入試では出題されにくいのですが、しかし、だからといって、中学範囲にピッタリの評論文が世間に存在するわけでもなく、結局、中学範囲を予備知識の大半としつつも部分的に高校の範囲の一部も予備知識とするような評論文が、ときどき私立高校入試の国語で出題されます。

結局、やや高校公民科目の内容を先取りしたほうがよさそうです。

これは、けっして入試テクニックだけの理由でなく、先ほども言ったように、そもそも世間の大人の評論家は、中学生の知識レベルに合わせてくれません。なので、中学生のほうが、大人に合わせて背伸びする必要があります。


高校入学後の国語について[編集]

2022年度から、高校では国語科目の構成が変わります。2019年以降の中学生が高校に入学する頃には、新カリキュラムが適用されてるかもしれません。

2022年以降の高校国語の必修科目でも、従来どおり、現代の文章に加えて、古文漢文や近代文学なども扱う可能性の高い見込みです。

2022年以降の高校国語では必修科目で『現代の国語』および『言語文化』という必修科目があり、『言語文化』で古典文学や漢文や近代文学などを扱うことになると思います。なので、結局、必修科目でも古文漢文や近代文学は、あつかわれるでしょう。

しかし世間ではデマで、「高校から文学が必修科目から無くなる! 」とかデマが流れています。デマの原因は、どうも「高校国語が(選択科目の)『論理国語』と『文学国語』の2つに分かれる!」という事を、必修科目から文学が分かれる根拠にしているようですが、しかし、そもそも『論理国語』『文学国語』などは(必修科目ではなく)選択科目です。

中学生はデマにまどわされず、古文や漢文なども勉強しておきましょう。

困ったことに、ネット上では文学系の人がデマを拡散しています。なるほど、こりゃあ、文学偏重の国語教育が問題視されるのも当然だし、『論理国語』の教育が必要視されるのも当然なわけですね。

方言の勉強は不要[編集]

歴史的な経緯として、そもそも、明治維新の近代化のさい、方言では、欧米から輸入した先端の学問を語るには不便だったから、標準語が開発されていった経緯があります。

また、高校受験や大学受験などの対策としても、中学高校の勉強では、方言を調べる必要は、まず無いです。

小学校で、もしかしたら、各地の代表的な方言とか、すこし習ったかもしれませんが、しかし中学入学の以降では方言の復習は不要です。

中学の教科書には、方言がどのようなものか概要は書いてあります。しかし、各地の方言の暗記は不要です。

方言には、古語の影響や、地域の文化の影響があったりするので、国語学者には方言の勉強が必要かもしれません。しかし、中高生には、各地の方言の勉強は不要です。


学校文法について[編集]

中学校で習う現代日本語の文法の理論は、俗に「学校文法」と呼ばれるものです(1940年代の日本語学者・橋本進吉の名前をとって「橋本文法」ともいう)。

で、中学生は、文法の用語を覚える必要があります。

しかし、現代日本語の文法の規則には、あまり深入りする必要はありません。文法の規則は、とりあえず、おおまかに確認しておく程度で十分です。なぜなら、そもそも大学の国文学系の学科などでは、学校文法・橋本文法に対する反対説なども提唱・教育されているような状況です。

特に、外国人に日本語を教える教育現場で教育されている外国人むけの日本語文法の理論は、じつは日本の学校文法とは、大きく違っています。


なので、日本の中学生は、とりあえず、将来的に日本の古典文法を学ぶためや、あるいは英文法など外国語の文法と比較するための、当面のあいだの知識として、現代日本語の学校文法の用語を学ぶくらいで充分です。


学校の敬語教育について[編集]

日本語の敬語についても、大学などでは色々な学説があります。そのため、中学の国語教科書でも、どの学説を採用するかで、教科書会社ごとに説明が違っています。

たとえば、敬語を3種類(尊敬語、謙譲語、丁寧語)に分類するか、4種類(3種類+美化語、または3種類+丁重語)に分類するか、5種類(3種類+美化語・丁重語)に分類するかで、いろいろな学説があります。

なので中学生は、とりあえず敬語については、私立中学の入試にでも出題されそうな常識的な敬語表現と、最低限の3分類の敬語さえ使いこなせれば充分でしょう。

5分類については、とりあえず、そういう分類もあるという事さえ知っておけば充分でしょう。


また、敬語を使うさいのマナーなどとして紹介されている検定教科書で事項も、根拠の不明なものが幾つかあります。

たとえば、「二重敬語は失礼」のようなマナーは、検定教科書にありますが、しかし根拠が不明です。単に、そういう学説を提唱する大学教授などもいるだけなのですが、しかし、そういう単なる学説が、教育現場に定説かのように入り込んでしまっています。

作文の意見文・批評文の書きかたについて検定教科書はまちがっている[要出典][編集]

検定教科書でも、意見文や批評文など、論理的な文章の書き方について説明されています。

しかし、内容がまちがっています。

対策としては、作文については、参考書で勉強しましょう[ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]旺文社(おうぶんしゃ)の中学国語の参考書などが、よく、まとまっています[要出典]


教科書にある、作文教育のまちがいとは、たとえば、よくある間違い[要出典]で、「起承転結(きしょうてんけつ)を意識して書こう」のようなノウハウがあります。

しかし、『実社会』では普通、意見文や説明文や報告書には、起承転結のテクニックは不要です[要出典][ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]

むしろ、企業の報告書では、起承転結は、ダメな書き方です。もし、社内の上司への報告書類などに起承転結があると、企業などでは、上司から、ダメな文章の書き方をしているとして、書き直しを命じられる場合もあります。[要出典]

なぜなら、起承転結の、転の部分を読む前のまだ「起承」を読んだ時点では、読み手に誤解を与えかねない書き方である[要出典]からです。

「起承転結」とは元々、漢詩の書き方です。漢詩などの、娯楽であり短い文章ならば、あえて読者にわざと誤解を与えて、いろいろと考えさせるのも、暇つぶし(ひまつぶし)[ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]になるでしょう。

ですが、会社の書類は、暇つぶしではないのです。

あくまで「起承転結」は、詩や物語などの書き方[要出典]です。けっして、報告書の事実を述べる書類や、説明文などの論理的な文章の書き方ではありません[要出典]


なので、中学国語の検定教科書での、作文の書き方の教育内容は、まちがっています[要出典][ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]。もし中学卒業後に説明文の書き方などを勉強したい場合は、参考書を手本にしましょう[ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]


ついでにいうと、困ったことに、高校の検定教科書で習う、論理的とされる文章の書き方の教育も、まちがっています[要出典][ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]

しかも、高校では、参考書をみても、まともに、論理的な文章の書き方などについては、書いてない状況[要出典]です。

なので、もし大人になって、論理的な文章の書き方を練習する必要が生じたら、高校生むけ教材ではなく、小学生や中学生むけの国語参考書を手本にしましょう[ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]