学習方法/中学校国語
主に高校入試の対策における、「国語」科目の勉強法について、述べる。中学での日ごろの学習方法も、入試対策とほぼ同様である。
漢字
[編集]漢字の勉強法
[編集]漢字の専用の教材を学校でもらうと思いますので、その専用教材で、漢字を勉強しましょう。
なぜなら、検定教科書では、巻末の漢字の一覧だと、字が小さくて見づらく、よって役立ちません。
たとえば凡庸(ぼんよう)の「庸」の字とか、小さい字で書かれても、読めなくて練習できません。なので、漢字の専用の教材が必要なのです。
なお、もしその専用教材が、解答が無かったりして独学できなくて不便と感じる場合などは、自分で、書店で、他社の中学漢字の専用教材を買いましょう。学研などが出しています。
国語の漢字よりも理社の用語の漢字をやれ
[編集]また、そもそも国語の漢字を勉強するよりも、高校入試を考えて、なるべく理科と社会科の用語の漢字を練習するべきです。
たとえば、理科の植物の「道管(どうかん)」「篩管(しかん)」「維管束(いかんそく)」という漢字の理科での入試の出題頻度と、国語での「凡庸」(ぼんよう)の入試に出題頻度、どちらが高いかというと、理科のほうです。
日本語の熟語は4万個あると言われます。「凡庸」はそのうちの1つに過ぎませんので、4万分の1です。
いっぽう、「道管」は、これ以外に、植物の道管を説明する言葉がありません。維管束は理科で頻出なので、かなりの確率で、「道管」と「篩管」を漢字で書かせる問題が出題されます。なので、おそらく4分の1以上くらいの確率で、「道管」の漢字は入試に出るでしょうか。
40000分の1と比べたら、4分の1くらいの理科用語の圧勝です。
あまりきちんと頻度の統計をとったわけではないですが、理科の用語は数百個あり、そのうちの数十個が高校入試に出るとすれば、せいぜい数十分の1くらいの確率しか、小さい確率はありません。
仮に40分の1の確率だとしても、40000万分の1の国語の熟語と比べれば、理科の圧勝です。
つまり、理科の用語の漢字を練習するほうが、圧倒的に高校入試の得点かせぎになる。同様に、社会科の用語の漢字も同様、練習すれば得点かせぎになります。
「漢字の勉強」と聞いて、学校配布の国語の漢字教材しか取り組まないのは、視野が狭い。
とはいえ、漢字の勉強も、それはそれで必要なので、常識的な範囲で勉強しましょう。大学入試でも、総合型選抜や指定校推薦などでも、国語の現代文が入試に出る場合が良くあります。日本語の読み書き会話ができない人を落とすのが総合型選抜の国語の試験の目的なので、そういうのを突破できる程度には、常識的に、最低限の漢字の勉強もしましょう。
現代文のいろいろな事情
[編集]現代文の入試に出づらい単元
[編集]国語の参考書は、通読の必要はありますが、漢字と古文・漢文、コトワザや故事成語などをのぞくと、あまり覚える必要がありません。
たとえば、現代語の文法は、長々と書かれていますが、しかし直接的に文法を問う問題は、基本的に出ません。
作文の仕方、スピーチの仕方、などなど、参考書に書かれていますが、あまり入試に出ません。
その他、歌舞伎などの芸能もあるかもしれませんが、出ません。
このため、国語の参考書にある現代文の単元の多くの内容が、入試には、めったに出ません。
なので、こういった現代文の単元の多くは、通読すれば充分です。通読はしておきましょう。
書き取り練習はせいぜい、四字熟語や故事成語などの語彙を書き取りすれば、それで十分です。
文学史も、多くの作家の名前が、参考書には書いてありますが、しかし入試に出るのはそのうちの一部であり、社会科の教科書にも出てくるような有名人物ばかりです。
中学生には、あまり小説を読む時間が無い事と、中学の時点では国語だけでなく数学・英語・理科・社会なども勉強しないといけない事もあってか、あまり他教科で目にしない作家は、入試に出づらい。
受験科目以外の芸術の教養を見るにしても、美術史や音楽史などの歴史教科書に載る人物だって問わないといけないわけですし、小説家ばかり名前を問うのはバランスを欠いている。
現代文より社会科
[編集]学研ニューコースの参考書では、理科と社会はそれぞれ参考書が3冊あるのに、国語は参考書が1冊しかないです。これが国語と理社の比重の実態です。
国語力を高めようと思ったら、社会科と理科も勉強しなければなりません。
国語の四字熟語とかの語彙は必要ですが、それは国語の参考書の巻末にあるので、読んでください。それ以外の文学的な考察などは、あまり入試に出ません。
そういう文学的な考察などよりも、大人の書くような文章を書けるようになりたいなら、当然ですが、社会科や理科の知識も、平均的な大人に追いつかなければいけません。高校卒業をして勉強をやめたような大人を、その大人の学力を、追い抜かなければイケマセン。
昔から、数学・英語・理科・社会といった他教科の成績もいい子は、国語もそこそこ出来る事が知られています。
特に社会科のハイレベルな参考書は、多少は入試対策とは別に、中学生の教養にふさわしい適度な話題がチラホラと書いてあります。なので読書として、社会科ハイレベル参考書(受験研究社、旺文社、学研パーフェクトシリーズのいずれか)を読むことを強く推奨します。
現代文の単語集というものの存在を知る
[編集]古文漢文の単語集というのが参考書の出版市場にありますが、これとは別に、現代文の単語集というのもあります。
もし、現代文の国語の入試過去問などを何十高校もやる時間があるなら、その数校の過去問の時間で、現代文の単語集を1冊、買って読んでしまいましょう。割と短時間で読み終えることができ、しかも効果は一生の間、使えますので、よい買い物です。
入試に出ない文法(現代文法)に深入りするくらいなら、単語集でも、おさらいしましょう。
参考書の巻末にも現代文の評論などで使われるキーワードなどの一覧もありますが、しかし、参考書では、例文がない場合がとても多い。つまり、参考書の巻末のキーワード一覧では、意味しか書いてない場合があります。しかし、意味だけだと、予習が出来ない。
なので、現代文の単語集が存在している事を知り、適宜(てきぎ)、使いましょう。
「適宜」(てきぎ)とは、「適切な時期に」という意味です。適宜の「宜」は、便宜(べんぎ)の「宜」と同じ。
この現代文の単語集を知らないと、辞書を何十回もめくる羽目になったりしかねないので、「現代文の単語集」というものの存在を知りましょう。
ただし、中学生むけの単語集というのは、出版市場では、種類がとても少ないです。なので、もし市販の中学生むけの単語集が合わないなら、必要に応じて、小学生むけ または 高校生むけ の単語集を読みましょう。
大人たちの中には、この「現代文の単語集」というものの存在を知らない大人も多い。
昭和のむかしは、今ほど評論文が多くなく、「文学がやや重視」の傾向、だったので、あまり評論文のキーワードというのを勉強する必要が無かったのである。
どちらかと言うと、漢字の書き取り練習とか、文学史を覚えることが、昭和の高校受験の国語の現代文ではメインだった。
しかしそれらは、現代の高校受験・中学受験・大学受験などとは、傾向がやや違います。
だから塾でも、1990年代の昔は、現代国語では、過去問を多く解いていた。しかし2020年代の現代では、過去問ばかりではなく、単語集をつかっての単語力の底上げも、けっして忘れてはいけません。
漢字検定とかで漢字の練習をするのも良いですが、しかし現代文の単語集の存在を、けっして忘れないようにしましょう。
なお、入試とは別に、世間での現代文の語句には、社会科や理科などの中学レベルの用語も普通にバンバンと出てきます。社会科や理科の勉強も、けっして忘れないようにしましょう。
現代文の過去問を何十校もやるくらいなら、その時間の数校ぶんで、さっさと理科・社会の参考書を通読したほうが、国語の現代文の成績も上がるでしょう(もちろん、最低限の国語の参考書を練習したうえで、最低限の1~2校くらいの過去問も練習してください)。
英語も、中学レベルの英単語は、外来語などとして取り入れられている語も多いので、英単語も勉強したほうが良いでしょう。
なお、多くの高校では、国語の単語力よりも、英語の単語力のほうを重視します。
これは、大学入試が、英語重視だからでしょう。
また国語は、最低限の読み書きができれば、あとは、多くの人は、人生の年齢が高くなるにつれて、勝手に母国語がみにつく。しかし英語は、勉強の習慣がないと身につきづらい。
なので、英語が、その人の勉強の習慣を見るための、ちょうど良い指標になっているのです。(数学を指標にしても良いかもしれないが、しかし日本の私立大学には、理系の学部が少ない。日本の私立大学の多くが、文系の学部である。)
- 余談だが、日本の私立大学に文系の学部ばかりが多いことが、2020年代の今、大学教育改革の議論の対象になっている。「もう少し、理系の学部のある私立大学の比率を増やして、文系・理系の比率を、 文系:理系 = 1:1 くらいに近づけよう」という感じの改革案が進んでいる。
- まとめ
- ともかく、現代文の単語集というもある。
- 国語の現代文の過去問を何十校もやるのは時間の無駄なので、その時間は、現代文の単語集に当てよう。単語集のほうが、過去問集を何高校ぶんも買うよりも安上がりだし、短時間で読み終わる。
過去問集というは、あくまで「出題の傾向を知るための目的でつかう教材」でしかない。
だから、もし過去問集の使用で、傾向把握以外のメインの勉強をする時間ばかりが長く続く場合は、なにか必要な教材を、買い忘れている場合がある。(たとえば、現代文の単語集など)
過去問集にも、ある程度の解説などがあるので、べつに過去問集での勉強があっても良い。しかし、その過去問集での勉強ばかりが続く場合は、おそらく、ほかの非・過去問系の教材を買い忘れている可能性を、考えたほうが良い。例外として、よほどの高偏差値を目指す(開成とか灘(なだ)とかを目指すような)人の、仕上げとしての受験問題のやりこみでもない限りは。
国語辞典などの辞書をつかう回数が多い場合も、単に、教材をなにか、買い忘れている場合が多い。それどころか、高校入試レベルの場合だと、辞書を1回も使わなくても良いかもしれないぐらいである。
- 社会科や理科の、参考書を読むのも、忘れないように。義務教育レベルの理科・社会の知識は、世間一般の説明文の本では、前提として使われている。日本の出版市場が文系ヨリなので、社会科の用語のほうが多いかもしれないが、しかし、せっかくだから理科の参考書も読んでおこう。
参考書を買うべき
[編集]買い物リスト
- 中学国語の参考書を買うべき。高校入試対策のため。(公立高校・私立高校の両方とも、対策として参考書が必要)。
ただし、易しめ(やさしめ)の参考書を買うべき。 かといって小学校用の参考書ではダメです。小学生用・中学入試用の参考書では、高校入試には対応できません。
さて、仮に(かりに)、いきなり高校受験用の受験問題集とかを買っても、ふつうは問題が解けない。 なので、まずは易しめの中学参考書を買う必要がある。
また書き取り練習についても、単にドリルやワークブックの書き取り練習だけでなく、参考書などで紹介された熟語なども練習する必要がある。
参考書を買う以外には、入試に向けての自習での勉強は、やりようがない。あるいは塾にでも通って、国語の教材でももらわないかぎりは、入試対策の国語の自習のしようが無い。
なお中学国語の参考書の場合、レベルの高い参考書のなかには、現代日本語の文法の単元で、大学レベルの専門的な内容が書かれているものがある。(たとえば、日本語のなかに見られるアイヌ語の例として「ししゃも」などを紹介したりとか。ほかにも、「平仮名」とか「片仮名」の仮名(かな)とは、真名(まな)の対義語で、真名とは漢字のことだとか。そういう知識が、一部の参考書に書いてある。)しかし、高校入試や大学入試にはそこまで出ないので、現代日本語の文法関連の単元には、そこまで深入りの必要は無い。レベルの高い参考書の、文法の単元で、本文中でなく、脚注や傍注などに備考的に書かれている内容は、そのような大学レベルの内容の知識が混ざっているので、暗記の必要は無い。
「仮名」と「真名」の関係とかは、(国語科の)教師には必要な知識だが、中学生には不要である。
しかし、日本の高校では、中学と違って、あまり現代国語の文法や現代日本語の成り立ちについて教育しない。そのような事情もあってか、中学の参考書のほうに、一部、大学レベルの細かい話題が書いてある。
それよりも、標準的なワークブックなどの文法問題が解ければ、入試対策としても、文法の勉強はその程度で十分である。もともと、高校入試や大学入試に、あまり、現代日本語の文法の細かい問題は出ない。
- できれば、教科書ガイドを買おう。理由は定期テスト対策の効率化。
教科書だけだと、解説が書いてないことが多く、勉強のしようが無い。なお、教科書ガイドは、それぞれの教科書会社ごとに別々の書籍なので、自分の通う中学で使っている教科書出版社に対応した教科書ガイドを用いる事。教科書掲載作品の解釈が、教科書出版社によって、違っている場合もある。
学校教員は部活の顧問や員会や行事の管理などでも忙しいので、自分の学校で使っていないヨソの教科書出版社の国語教科書で紹介している解釈まで、把握してられない。もし中学生が定期テストで、よその教科書出版社の解釈を書いても、バツになるだろう。
しかも、こういう出版社ごとに解釈が別れるような箇所にかぎって、読解上の重要ポイントである場合が多いので、定期テストに出やすいのである。解釈の別れる事項は、入試には出づらいが、かといって学校で紹介しないわけにはいかないので、というわけで定期テストに出題されやすい。
全教科をバランスよく勉強する
[編集]世間では、よく「国語は学問の基礎。」とか「他の教科よりも国語が大事。」とかと言う人がいます。ですが、学校の教科としては、数学・英語・国語・理科・社会という主要5教科のうちの1教科に過ぎません。 国語以外の教科の成績が悪いと、それだけ内申点が悪くなり、公立高校への入試が不利になります。
私立高校の入試に多い3教科入試でも、入試科目の国語・数学・英語の3教科のうちの1教科に過ぎません。高校入試だけでなく、大学入試でも、国語以外の教科も、たくさん勉強しなければいけません。
けっして、国語ばかりに学習時間を掛けてはいけません。数学や英語など、他にも学習しなければいけない教科は多いのです。国語の学習時間は、数学や英語などの時間と同じ程度に取ってください。
だからといって、国語をまったく勉強しないのもマズイです。国語は主要5教科のうちの1教科なので、きちんと国語科目の学習時間を確保する必要があります。同様に数学・英語・理科・社会などの国語以外の教科のどれも、まったく予習復習しないのはマズイのです。
国語の勉強法も、単に読書だけでなく、漢字の書き取り練習などや、コトワザや慣用句や古語を覚えたりとか、文法を覚えたりとか、バランスよく中学国語の全分野をキチンと勉強してください。そして、体育や美術・音楽、家庭科などの、実技教科も、バランスよく勉強してください。
国語の教科書そのものでも、他教科の知識を取り上げています。
たとえば、戦争文学などでは、社会科の歴史分野でならう「満州」(まんしゅう)などの歴史的な地名が出ています。中学歴史で「満州事変」(まんしゅう じへん)という事件について、習うでしょう。
教科書を見れば、脚注(きゃくちゅう)や文章中などで、他教科でならう用語について解説していたりするので、マジメに5教科を勉強していれば、とくに対策する必要はありませんし、他教科の教科書を読み返す必要もありません(教科書レベル~公立高校入試のレベルですが)。
しかし、裏をかえせば、もし、国語以外の教科をマジメに勉強せずにサボると、国語教科書の内容を理解できなくなります。
中学国語の漢字の分野では、「契約」(けいやく)や「損害賠償」(そんがい ばいしょう)などの、公民科目でならうような漢字も、中学国語の漢字でも習います。
現代の日本に滞在している外国人が書いた文章作品がいくつか、国語教科書で紹介されており、このような作品の読解では、英語の知識も必要です。
中学国語では、外国について評論した文章もありますし、外国人の登場する文学作品もあります。当然、そのような作品の読解のためには、中学社会科の地理や歴史などの知識も、中学の英語にくわえて、必要です。
そもそも「国語」とは、そういう科目です。「国語」は、実社会で必要になる日本語について勉強するのですから。
実社会で働いている大人たちが、彼/彼女たちは中学時代には、すべての教科を中学校で習って予習復習したりして勉強したように、今の中学生も、すべての教科の授業をしっかりと聞いて、予習復習をして勉強する必要があります。
中学国語の教科書のなかに、大学レベルの知識がある
[編集]先ほどの節で「参考書を買おう」などといいましたが、もちろん、できれば検定教科書を読むことも必要です。なぜなら、中学の国語の教科書では、テストには出ないけど、重要な知識が書いてあります。
また、中学で習う漢字のなかには、じつは高校や大学の社会科や理科や、大学の国文学などで、くわしい意味をならう漢字もあります。
たとえば「約款」(やっかん)という漢字を、中学3年で習うかもしれません。
じつは商業高校などで、この「約款」の、くわしい意味を習います。(※ なお、wikibooksでは『高等学校商業 経済活動と法/契約と意思表示』に約款の意味の解説がある。) 普通科高校では、なんと「約款」の意味を習いません。
あるいは、科学評論などで「不可逆」(ふかぎゃく)という言葉を習うかもしれません。この「不可逆」の意味は、じつは、大学の理科で習う用語がもとになっています。高校の理科では、「不可逆」の意味を習いません。
(wikibookでは、『高等学校物理/物理II/熱力学』で「不可逆」について発展的事項として説明。)
その他、「心筋梗塞」(しんきんこうそく)という病状は、中学高校の保健体育ですら習いません。
「嫡子」(ちゃくし)なんて用語、中学の社会科では習わずに、もしかしたら高校か、ひょっとしたら大学の法律学などで習います。
「戸籍謄本」(こせきとうほん)、「戸籍抄本」(こせきしょうほん)なども、中学どころか高校でも習わず、大学の法律学で習うでしょう。
「婚姻」(こんいん)と「姻戚」(いんせき)、「姻族」(いんぞく)の関係も、大学レベルです。
また、古文や漢文でも、大学の国文学でも通用するような高度な説明が、中学生むけにアレンジされて、さらっと書かれていたりします。
中学国語の教科書では、古文や漢文の作品紹介の前に、解説が書いてありますが、実は、その解説のレベルは、なんと大学レベルです。普通の高校生は、このような解説を書けません。
実は、中学の教科書には、大学で習うような知識が元になっている用語が、たくさん書いてあるのです。
中学生の時点では、これら大学レベルの知識・単語には、深入りしないほうが良いでしょう。なぜなら、高校入試には出ないからです。
高校入試には当然、大学レベルの知識は出ません。
それどころか、大学入試ですら、(中学国語教科書に書かれた)大学レベルの知識が出ません。
中学生には、どの知識が大学レベルなのかが分かりづらいので、なので、参考書や教科書ガイドなどで、高校入試に出題されそうな中学レベルの知識を確認する必要があるのです。
中学3年になったら、授業以外で、中学国語の教科書に深入りするのは、高校入試に合格したあとに、読むのが良いでしょう。
それほどまでに、高レベルな内容が、中学教科書の中には、まぎれています。
「教科書ばかりでなく参考書も読め」というような事を、ウィキブックスが、おすすめしている理由は、けっして教科書が低レベルだからではありません。
逆だからです。
中学の国語教科書は、中学卒業をしてスグに就職をした人でも、詐欺師(さぎし)などにダマサレないように、高校レベルや大学レベル、しまいには、企業などに就職(しゅうしょく)した後のレベルまでの、高度な話題をまぜて、中学国語では教育しているからです。
なお、高校レベルの古文漢文や社会科や理科や知識も、中学国語の教科書に、ところどころ書いてあったりします。なので、高校入試に合格後に、中学国語の教科書を読んでおけば、高校入学後、ラクを出来るかもしれません。特に、中学3年の教科書で、この傾向が強いです。
しかし、裏(うら)をかえせば、普通の高校の入試では、そのような高校レベルの内容は入試に出題されません。なので、教科書だけで勉強をしていると、高校入試に出ない事をたくさん勉強してしまうハメになりかねません。
そして、そもそも中学「国語」の教育の最終的な目的とは、大人たちの書く文章を、読めるようにする目的の科目でしょう。「国語」は、大人になったら必要になるレベルの日本語について勉強するのですから。
しかし、この最終目的は、レベルが高すぎて、高校入試には出せません。(大学入試ですら、出しづらい!!)
なので、参考書などで、高校入試に出やすい知識を確認して、書きとり練習などをする必要があるのです。
漢字や熟語など
[編集]書き取り練習をしよう
[編集]国語の勉強は、まず、漢字や熟語などの書き取り練習が必要です。
ただし、熟語は無数にありますので(日常でも3万個ある)、それらのすべての練習は出来ません。お使いの漢字ドリルなどに書き取り問題として紹介された熟語だけ練習すれば充分です。
常用漢字は2000個です。そのうち1000個は小学校で学習済みです。なので、残り1000個の漢字1文字と、あとは漢字ドリルなどにある熟語の練習です。
もちろん、古典文学や近代文学を読んだりとか、あるいは文法を理解したりとかも大切ですが、まずは漢字や熟語などの書き取り練習が必要です。
国語の目的は、文学教育ではありません。説明文なども教育します。文学教育は、あくまで派生的なものです。
また、文法の勉強などでも、単に教科書や参考書の説明を読むだけではなく、市販のドリルやワークブックなども利用して、手を動かして書き取り練習する必要があります。
いきなり問題集とかを買っても、ふつうは問題が解けない。まずは、ドリルやワークブックなども利用して、きちんと書き取り練習しよう。
買い物リスト
- ドリルやワークブックなど
理由は、前述したとおり。中学の国語では、書き取り練習が、とても重要である。
受験にむけての漢字練習
[編集]漢字は、基本的には、すべての1文字の漢字を、練習してください。
常用漢字は2000個ですので、1文字あたり3回の書き取り練習でも、6000回で終わります。しかも小学校では、常用漢字の1000個をもう練習ずみです。
なので、残り1000個を、3000回とか、小学校の複数も兼ねても4000回の文字で済みます。
いっぽう、熟語は無数にあるので(日常で使うものだけでも2万個以上はあるらしい)、それらをすべて書き取り練習するのは非効率です。
基本、熟語は、読めれば十分です。1語ずつの漢字を確実に練習していれば、普通はその字をつかった熟語も書けます。
例外として、同音異義語とか、故事成語とか(「矛盾」とか「四面楚歌」みたいなの)、そういうのだけ、熟語の書き取り練習すると良いと思います。市販の漢字ワークブックとかも、そうなっていると思います。
同音異義語の以外は、学校で習う熟語とか、漢字ドリルとかで遭遇したもの以外はもう、試験本番のぶっつけ本番で、なんとかするしかない。
3万語とか4万語とかの熟語すべての練習を網羅するのは無理です。仮にそういうレベルを要求する高校入試があっても、解けなくて良い。大学入試でも、そこまで求めていない。
古文単語や漢文の単語などの書き取りもありますので、あまり現代語のマニアックな熟語の書き取りにまでは、深入りの必要はありません。
類義語の区別は受験では問われない
[編集]たとえば、「過小」と「過少」の区別は、基本的には問われません。「過少」は、字面だけ見れば「回数が少なすぎる」の意味ですが、しかし実際には量が少ない場合にも「過少」が用いられる事例もよくあります。
なので、せいぜい、「過少」「過小」のそれぞれを漢字を書ければ充分です。
区別は問われないといっても、入試での出題は可能であり、たとえば「過小と意味の似ている同じ発音のカショウと読む、別の熟語を書け」みたいな出題は可能ですので、練習はしておきましょう。
同様の理由で、「異常」と「異状」も、基本的には入試では区別を問われません。漢字を書ければ充分です。
そもそも、大人社会でも、類義語のうちのどちらが適切かが、業界によって異なる場合もあります。こういう事例もあるので、あまり類義語の区別は問われない。類義語である事さえ分かれば十分。
ただし、類義語でない(宇宙の)「衛星」と(清潔などの)「衛生」のような同音異義語は、きちんと区別できるようにしてください。
課題図書は定期テストにすら出づらい
[編集]中学および高校の定期テストの出題範囲は、授業で習ったところから、ほとんど出ます。ほんの少し、1割ほどの数問は授業以外からも出るかもしれませんが、ほとんどの問題は授業の範囲から出るはずです。もしも、定期テストの出題で、教師が授業で習ってないところばかり定期テストに出題すると、世間から批判される風潮が日本社会には、あるからです。
つまり、課題図書とか、たとえ何冊も紹介されたとしても、定期試験にすら基本的に出ません。(ただし課題図書が1冊しか紹介されていない場合は例外かも。)
仮に学校指定の課題図書が少なくて読み切れても、それを使った試験と解答が無いので、読むだけではテスト対策にはなりづらいのが現状です。
授業で習った作品から定期テストに出るのが基本
[編集]時間的な問題もあり、検定教科書にある作品を授業でぜんぶ紹介はしないと思います。ほか資料集などで、良書が紹介されるかもしれません。
せっかく、自発的に授業以外の本を読んでも、少なくとも定期テストには、あまり出ません。(ただし1割ていどは授業外からも出る場合はあるが、高々(たかだか)その程度です。)
なお、せっかく資料集などの良書の推薦どおりに読んでも、自分の読み方が正しいかどうかの採点を誰かがしてくれるわけではないので、少なくともテスト対策としてはあまり役立たず、定期テスト対策にも入試対策にも役立たないのが現状です。
授業中に、テストに出るところは教員が説明しているのが一般なので、きちんと教員が黒板に書いた板書は、ノートに取っておいてください。テスト前にノートで板書を復習して、暗記するためです。たとえ考えれば解ける問題であっても、暗記しないと、テスト中の読解に時間が掛かり、時間不足で定期テスト中には解けない場合も、ありえます。
授業中にノートを取りきれるか不安なら、教科書ガイドなどを買っておくのも良いでしょう。定期テスト対策には、参考書よりも教科書ガイドのほうが良いでしょう。
なので、通学先の学校ごとに、それぞれの都道府県・市区町村などの影響によって、学校ごとに定期テスト対策の内容が変わります。それぞれの中学校にあわせた勉強法が必要なのです。
古文・漢文の勉強法について
[編集]古文の自習の際、けっして古語辞典などで単語を一字一句、調べにいってはならない。それだと時間が足りなくなる。中学レベルの古文の自習方法は、まず、参考書などで口語訳つきの解説を読もう。
訳と解説を読んでおおよそのストーリーを頭に入れたら、古文の本文を読んで、古文の単語をストーリーに対応させよう。
- ※ ただし高校入学後の勉強法とは異なる。高校生は古文単語集で学ぼう。なお、漢文の良い単語集が無い。
- ※ 中学生むけの単独の古文単語集みたいなのは販売されてないか、あったとしても普及していない。
中学用の参考書を何冊か読めば、中学の古文漢文で紹介するような作品は、だいたい、口語訳つきで、解説をしている。
いっぽう、高校の古文漢文の参考書を読んでも、中学で習う作品については、まず解説をしていない。
たとえば『平家物語』だと、中学では那須与一(なすのよいち)の章を習うだろう。中学参考書でも、たぶん何冊か読めば、那須与一の章の解説が書いてある。しかし高校での『平家物語』では、木曾の最期(きそのさいご)の章とかを習い、高校参考書を読んでも那須与一の章は、解説していない場合が多い。
漢文も古文と同様、中学の範囲の作品や章は解説してない場合が多い。
- 古典は暗記
古典の読解は、理解も必要ですが、いろいろと覚えないといけないこともあります。
また、和歌や俳句などは、解釈とかを暗記しないと、実際のテストでは時間内に解きようがありません。また入試で問われそうな問題と答えも、あらかじめ暗記の練習をしてないと、テストの時間内では解きようがありません。だから、参考書などに出てくる有名な和歌や俳句とかは、解釈とか問題の答えごと暗記してください。
- 高校入試は教科書外からも出る
高校入試の古文は、教科書にない作品からも出ます。公立高校入試でもそうです。
なので、ストーリーを暗記するだけでは対応できません。基本的な単語や、「係り結び」などの基本的な古典文法なども、覚えましょう。
学校文法について
[編集]中学校で習う現代日本語の文法の理論は、俗に「学校文法」と呼ばれるものです(1940年代の日本語学者・橋本進吉の名前をとって「橋本文法」ともいう)。
で、中学生は、文法の用語を覚える必要があります。
しかし、現代日本語の文法の規則には、あまり深入りする必要はありません。文法の規則は、とりあえず、おおまかに確認しておく程度で十分です。なぜなら、そもそも大学の国文学系の学科などでは、学校文法・橋本文法に対する反対説なども提唱・教育されているような状況です。
特に、外国人に日本語を教える教育現場で教育されている外国人むけの日本語文法の理論は、じつは日本の学校文法とは、大きく違っています。
なので、日本の中学生は、とりあえず、将来的に日本の古典文法を学ぶためや、あるいは英文法など外国語の文法と比較するための、当面のあいだの知識として、現代日本語の学校文法の用語を学ぶくらいで充分です。
文芸の読書と参考書
[編集]文芸の読書作品を探す場合、中学国語・高校国語の参考書に書かれた文芸作品を読むと、受験勉強や予習も兼ねるので、中学高校での勉学がラクである。
世間では、こういう参考書ばかり読んでる勉強法を「即物的」(そくぶつてき)とか「ガリ勉」(我利勉)と思われるかもしれないが、しかし古典作品などの場合は、そもそも参考書を読まないと、そもそも作品の入手が困難であったりして、事実上は参考書が無いと古典の読みようが無い。むしろ参考書で文芸の読書をしないと、近現代以降の作品にばっかり、読書対象が片寄りかねない。
とくに高校の参考書を読むと、けっこう多くの作品を紹介しているので、本の購入費用が下がり、便利である。しかも参考書は値段が安い。
また、参考書には、解説も書いてある。学者や教員・塾講師などの教育のプロによる解説が参考書には書いてあり、単なる娯楽小説などと違って、参考書での解説が読書の役に立つ。
入試対応
[編集]参考書を買うときは、解説がついている本を買え
[編集]入試国語の勉強法は、読解問題の勉強の場合ですら、正当な解釈を暗記し、テストでは、その解釈の仕方を思い出して問題を解きます。
とくに近代文学の文章の解釈とか、古典文学の解釈とかは、国文学の研究者が長年かけて、正当な解釈を研究してきたのであるから、たかが学生がテスト時間内に予備知識なしで正当な解釈を発見するなんて、時間的に無理です。
だから、参考書を買うときは、解説がついている本を買わなければなりません。
とはいえ、普通の参考書を買えば、解説がついているので、それで問題ないと思います。
つまり、いきなり問題集などに取り組むのは、避けましょう。特に、うすい問題集は、避けましょう。
かといって、いきなり、やみくもに解釈だけを暗記しようとしても覚えきれませんから、まずは参考書などに掲載された、近代文学や古典文学の作品本文を、少なくとも1回は読んでください。
その後、参考書などに書いてある解説を読んでください。
さいわいな事に、中学の参考書などに掲載された作品本文は、文量が短めですので、作品本文を比較的に短時間で読めます。
高校入試の古文・漢文は教科書外からも出る
[編集]高校入試の古文・漢文は、教科書にない作品からも出ます。公立高校入試でもそうです。
なので、ストーリーを暗記するだけでは対応できません。基本的な単語や、「係り結び」などの基本的な古典文法なども、覚えましょう。
読書では古典をやや優先
[編集]一般入試の対応の読書としては、現代文学よりも古典を優先すべきです。なぜなら現代作品は、数が膨大ですし、これからも現代の作品は増加していきます。なので現代作品は打率が悪いのです。
また、古典作品や近代作品は解説が充実していますが、一方で現代作品は教育的な解説がないのが普通ですので、学習教材としては現代作品は使いづらいのです。
特に「今年の流行の小説」みたいなのは、まだ文学者による解釈が定まってないので、少なくとも公立高校入試ではまず出ないと思ったほうが良いでしょう。
なお、国語に限らず社会科でも、「今年」や「去年」といった時事的な最新すぎる話題は、一般入試に出ません。
どうしても近代よりあとの(第二次大戦後の時代の)文芸作品を一般入試の対策として読みたい場合は、せめて解釈の比較的に定まっているだろう十年前くらいの作品にまで留めておくのが安全でしょう。
現代作品の最新作は、もしかしたら国文学者など研究者にとっては将来的な研究対象にはなる可能性もあるかもしれませんが、しかし中学生も高校生も研究者ではないのです。またなお、文学研究の世界では、現代作品は先行研究が無いため、すごく研究が難しいと言われている分野なので、基礎学力のついてない子供のうちは、まだ現代作品には深入りしないほうが安全です。せっかく研究してみても、自身の勘違いなどによりピント外れの調査をしてしまい労力が無駄になる可能性がとても高い難関の分野なのです(小説にかぎらず、現代映画・現代音楽・現代演劇などの最新分野は同様の理由で研究が難しく、せっかく研究しても無駄になる可能性の高い、むずかしい分野です。
現代作品の新作はあくまで娯楽にすぎないと思って、接しましょう。
ともかく入試対策としては、まずは古典や近代文学など、作品が有限であり解釈もほぼ定まったな作品群から読解問題の練習をすると、学習効率が高いです。
もちろん、入試対策としては、受験生むけの解説のついている本を選ぶ必要があります。
これはつまり、国語の読解問題の成績は、むやみに本をたくさん読んでも向上しません。参考書やワークブックや問題集(中学授業レベルにあわせた標準レベルのものでよい)などで重要事項を反復練習してください。
それと、文学以外の古典文献は、まず入試の国語に出ません。たとえば歴史書などは国語の入試問題には出ません。たとえば日本書紀(にほんしょき)も魏志倭人伝(ぎし わじんでん)も、まず国語の入試に出ません。
たとえば、日本古文の『平家物語』は検定教科書にもありますが、仮に入試に出ても、べつに源平合戦の歴史知識は問われません(なお、検定教科書にない作品からも高校入試には出ます)。かりに高校入試で日本書紀や源平合戦の歴史知識を問うとしたら、社会科の入試にて問うでしょうし、参考書を読めば入試に問われる歴史知識などは書いてあるので、国語科目としては特に対策する必要は無いでしょう。
漢字は書ければよい
[編集]たとえ学校配布の教材などでは「読み」の問題が出されている問題であっても、難関私立高校の受験などでは、その漢字を書き取り問題として出題してくる場合もあります。
なので、漢字や熟語は、すべて書き取り練習をしましょう。そのほうが早い、いちいち問題集とかを探すより、標準的な参考書や漢字教材にある漢字と熟語を、すべて練習するほうが早い。
漢字や熟語の読みなんて、ほとんどの漢字や熟語は、書ければ読める。
常用漢字なんて約2000個しかありません。常用外の漢字も何百個か習うかもしれませんが、その程度です。
そのうちの1000個はすでに小学校で習っているので、あとは残り1000個を書き取り練習して、一緒に熟語も練習すれば、それで漢字は瞬殺です。得点源に変わります。さっさと書き取り練習をして、そして中2あたりで終わらせましょう。
なので、とりあえず、新しく習う漢字は、最低でも3回くらいは書き取りをしましょう。
また、このため、自分で高校受験用の参考書または漢字教材を買いましょう。学校用の漢字教材は、読みの問題で書き取り練習をできるようには、作られていません。
まあ、受験戦争の過熱化をしないようにとの歯止めのために、学校配布の教材では、あまり難しいことを出しません。なので、自分で教材を買う必要があります。
参考書の読み方
[編集]けっして一冊の参考書の解説を十回も読み返す必要はありません。2回ほど通読すれば、あとは問題練習とか、他の参考書も読んでみて読み比べたほうがマシです。そういう「読み比べ」も、実社会での文献調査での読解の練習になります。
国語の参考書を複数冊を買って読み比べてみると、どこの参考書にも解説されている知識があります。そういう知識は入試で頻出なので、暗記する必要がある知識なので、書き取り練習や問題練習などをして暗記してください。
けっして、単に理解するだけではダメであり、書き取り練習や問題練習などをして「暗記」する必要がある、ということです。 たとえばスポーツでは反復練習によって技能を身につけますよね。古典や近代文学などの勉強も同じです。反復練習で、国語の読解問題の解き方を体得する必要があります。けっして理解するだけで暗記しようとしないのはダメです。
読解以外の漢字とか、熟語とかも、当然、体得するような暗記が必要な単元です。国語の練習方法は、基本的には、書き取りです。覚えなければいけないことは参考書に書いてありますから、書いて覚えてください。音読などは、中学の現代文の読解練習では、補助的な練習です。そもそも中学の現代文は文章が長く、音読に適しません。ただし、文法の活用変化は、覚えることも短いので、音読して覚えてしまったほうが良いでしょう。「かろ・かっく・いいけれ」とか、「く・から・く・かり・し・き・かる・けれ・かれ」とかです。
いっぽう古文漢文は、音読を練習しても良いですが、書き取り練習もしてください。なぜならテストに出る問題は、現代文・古文漢文とも、おもに筆記問題だからです。なので書き取り練習が必要です。
入試の現代文対策は、問題演習を優先するべき
[編集]現代文の読解の成績を上げたいなら、文芸の読書よりも、問題演習をするべきです。現代文学は、膨大にあります。入試に出そうな現代作品を読みきるなんて、不可能です。
高校入試では、数学や英語、理科、社会などの他の教科も勉強しなければいけません。文芸の読書ばっかりに時間を割くわけには、いかないのです。
私立高校対策の評論文について
[編集]評論文についての勉強ですが、余裕があれば予備知識として、国語だけでなく社会科の勉強として、高校の初歩レベルの勉強をすると効率的かもしれません。
そのための手段として、
- 参考書: 高校受験レベルで難関高校むけレベルの社会科(特に公民)の参考書か、
- 高校の教科書: あるいは高校の『現代社会』(という科目がある)などの教科書、
などを読むと、よいかもしれません。
どういう事かというと、世間一般の社会評論の文は、想定する読者の知識レベル(社会科の知識レベル)として、いちいち中学校社会科の検定教科書レベルに合わせてくれず、たいてい、高校を卒業した大人を想定しています。
また、私立高校の入試の過去問などを見ると、評論文などでは、予備知識として高校レベルの公民科目の初歩あたりを想定している文章も、けっこうあります。
とはいえ、あまりに中学レベルから離れた内容は高校入試では出題されにくいのですが、しかし、だからといって、中学範囲にピッタリの評論文が世間に存在するわけでもなく、結局、中学範囲を予備知識の大半としつつも部分的に高校の範囲の一部も予備知識とするような評論文が、ときどき私立高校入試の国語で出題されます。
結局、やや高校公民科目の内容を先取りしても問題なさそうです(べつに無理にする必要は無い)。
学校の敬語教育について
[編集]日本語の敬語についても、大学などでは色々な学説があります。そのため、中学の国語教科書でも、どの学説を採用するかで、教科書会社ごとに説明が違っています。
たとえば、敬語を3種類(尊敬語、謙譲語、丁寧語)に分類するか、4種類(3種類+美化語、または3種類+丁重語)に分類するか、5種類(3種類+美化語・丁重語)に分類するかで、いろいろな学説があります。
なので中学生は、とりあえず敬語については、私立中学の入試にでも出題されそうな常識的な敬語表現と、最低限の3分類の敬語さえ使いこなせれば、実用的には充分でしょう。
5分類については、とりあえず、そういう分類もあるという事さえ知っておけば充分でしょう。
入試に出づらい分野
[編集]一般入試に感想文は出づらい
[編集]公立高校の一般入試には、読書感想文などは出ないのが基本です。(私学でも、ほぼ同様でしょう。)
「上記の○○を要約せよ」的な作文はもしかしたら字数が短い(数十文字ていどまで、とか)のが出るかもしれませんが、しかし原稿用紙を何枚も使うような長い作文はまず出ないでしょう。採点に手間がかかりすぎて、非現実的です。
よって、学校の宿題などで要求されるような長い作文・感想文などはまず、一般入試では出題されません。
私立高校でも、一般入試には、感想文はまず出ません。(ただし推薦入試なら私学では読書感想文などが出る可能性があります。)
ですが、中学の宿題で作文が要求されたら、学校の成績の内申点(ないしんてん)を上げる目的のため、きちんと作文の宿題は完成させて提出してください。
公立高校の入試の制度では、「内申点」(ないしんてん)あるいは「内申書」(ないしんしょ)という制度があって、どういうのかというと、結論から言えば、学校の成績が悪いと入試で不利になる制度です。
なお、べつに大作を仕上げる必要なんて無くて、マジメに書いて提出すれば済みます。
演劇台本とかマンガとか映像メディアは出ない
[編集]学校用の国語教材には、演劇台本などの存在やその用語が紹介されたりとか、(紙の書籍で読む)マンガの基本の様式(コマ割りとかフキダシとか)を紹介したりとか、小説以外のメディアも紹介されます。
しかし、一般入試の読解問題としては、現代演劇やマンガなどは全く出ません。「出た」という話は、寡聞(かぶん)にして、聞かないです。少なくとも入試の「読解問題」としては、演劇やマンガの話は全く聞きません。
演劇の場合、そもそも映像を写すメディアが、試験会場での確保が困難すぎます。(音声については、聞き取り問題などの放送設備の流用で可能だろうが、しかし映像は無理でしょう。)
マンガなら原理的には出題が印刷された問題用紙でも掲載が可能かもしれませんが、しかしマンガ問題の出題の話を聞かないです。マンガ史とかの出題も聞かないです。
ほか、説明は深入りしませんが、歌舞伎(かぶき)とか浄瑠璃(じょうるり)とか、もしかしたら副教材・資料集で紹介しているかもしれませんが、少なくとも内容の読解の出題の話を聞かないです。(ただし文学史としての出題は、もしかしたら私学などでは、あるかもしれません)
公立学校の入試というのは、答えが一通りに定まらないといけないので、映像メディアのように言葉では物事を明言せず、また芸術のような見る人によって解釈の異なるものは、そもそも入試に適さないという事情もあるかもしれません。このような事情のため、今後も演劇やマンガなどの読解が、直接的には出題される事は無いでしょう。
ただし入試の評論文などで、有名な芸術作品についての評論が文章だけで出ることは入試で比較的よくあるので、そういう風に間接的に評論で映像メディアなどが問われる可能性も多少ありえます。しかし、少なくとも直接的に芸術作品の読解を要求するような出題は、国語教科の入試では無いでしょう。
答えが定まらないものは入試に出づらい
[編集]俳句は出づらい
[編集]演劇・マンガなどが出ないことと通じますが、「現代の」俳句や短歌なども、読解問題としては、(演劇・マンガほどではないですが)なかなか出づらいのが実情です。
なぜなら国公立の学校の入試の場合、(芸術系学科の入試を除けば、)税金を使ってる以上は、入試問題の答えが客観的に導出できないといけないので、よって出題作品の解釈がほぼ一通りに定まる必要があり、かつ客観的に定まらないといけません。
- (けっして「現代的で新しいから出ない」と言っているのではありません。そうではなく、「解釈が客観的に、ほぼ一通りに定まらないといけない」から出ないと言っているのです。この出づらい理由を、間違えてはいけません。たとえ古くても解釈が定まらないものは、公立高校の入試ではまず出ません。)
- 「ほぼ」とか言っているのは、出題する都道府県にも多少の裁量があるので、出題の可能性はゼロとは言い切れない。しかし、出題は難しいだろう。
しかし現代の新しめの俳句や短歌などは、解釈を定めるのが少し難しいのです。俳句などは作品が短すぎて、しかも明言せずに想像にまかせる作品が多いので、読解問題としては、かなり出題は難しいでしょう。同じくらいの古さの小説や説明文などの長文と比べると、俳句・短歌などはとても出題することが難しくなると思います(ただし可能性はゼロではない)。
なお、けっして「俳句・短歌が出ない」わけではなく、俳句なら季語とか枕詞(まくらことば)などの様式は普通に出されます。また、江戸時代の松尾芭蕉や、近代の与謝野晶子などは、出る可能性があります。なので、参考書にあるような季語や枕詞などは入試対策として覚えましょう。
しかし、平成・令和の現代作家の俳句・短歌などは、少なくとも読解問題としては、かなり出づらいと思ったほうが良いでしょう。
どんな名作であっても、入試問題では、解釈がほぼ一通りに定められないものは、公立学校の入試の読解問題には出づらいのです。
塾などでの入試国語の対策における読解問題のほとんどは、ふつうの現代文の長文問題の読解です。基本、俳句や短歌などを読解することは、塾などでは滅多にないです。
歌詞はまず出ない
[編集]検定教科書では、若者に流行の歌謡曲の歌詞なども掲載されることもあります[1]。
しかし、高校入試には、まったく出ないのが実態です。受験参考書などを見ても、音楽の歌詞は、めったに扱ってないと思います。
なお、探究学習などで流行歌を研究するにも、音楽に限らず一般に流行作品の研究は、かなりの難関です(客観的に研究するのが難しい。なのに先行研究が少ない)。なので、流行の研究は、中高生の段階では避けたほうが安全です。(中央大の付属高校の教師の人が、いちいち音楽とか指定してないが、流行を探究レポートで深堀りするのは高校生には上記のような理由で無理だとネット公開された資料で言ってます。)
ほか、高校教育側の立場としては、数年で流行が終わるかもしれないものを入試などで出すのは、気が引けるという事情があります。十年、二十年以上の年月が経っても語り継がれる物事の教育を、できれば子供たちには与えないのです。
あと、雑誌などを文献として読んでも、その雑誌の取材の内容が実はウソだったりする場合があります(真相ではなく宣伝を雑誌が書いていたりする。娯楽雑誌だったりすると、本当のことより楽しいウソのほうが読者層に喜ばれるので)。このような事情もあり、流行は、素人や業界以外の門外漢には、研究がとても困難です。
大学院レベル以上じゃないと、音楽と日本語、音楽と英語、音楽とフランス語とか、そういう複合分野を研究するのは困難でしょう(音楽と国語または語学の両方の専門知識が必要なので)。
研究ではない「総合的な(探究ではなく)学習」なら、音楽とか演劇とかもいいでしょうが(小学校の音楽教育にも、そういう側面があると思います)、しかしそれを研究につなげるとなると、かなりの難問であり、中学生には手に追いきれないでしょう。
しいて教科書を褒めるなら、よく「音楽に国境はない」とか言いますが、実際には歌詞があるので、国語や外国語の知識が必要という意味では、教科書は教育的ではある。まあ、BGM(バックグラウンド・ミュージック Back Ground Music)のように歌詞の無い音楽もありますが。「ミュージック・ビデオ」 Music Video なんてのもあって、楽曲にビデオ映像をつけたものもありますが。
入試に出ない文学作品について
[編集]西洋文学の作品は、入試に出づらいのが基本です。
資料集とかの副教材で紹介される作品もあるかもしれませんが、しかし出ません。
たとえばカフカの『変身』はよく紹介され定番ですが、なかなか入試に出づらいのが現状です。
ほか、中学生むけに教材で紹介されていそうなのはシェークスピア『ロミオとジュリエット』や(20世紀のころは英語科目で紹介されてた過去もあります)、ドフトエフスキー『罪と罰』、ほかゲーテの詩なども短いので紹介の可能性ありでしょうか。しかし、たとえ何らかの教材で紹介されていようと、それが入試に直接的に問われることは、めったに無いです。(ただし、もしかしたら間接的に、「西洋文学についての説明文」みたいな形で問われる可能性はあるかもしれない。)
高校入試どころか大学入試ですら、まず入試に西洋文学の読解問題は出ない。
べつに、これらの入試外の古典作品や近代作品などを、すべて読む必要はない。そもそも読む時間が足りない。他に勉強しなければならない教科もある。ただし、こういった作品の知識についての弱点が、学校の国語教育では存在していることは自覚するべきだろう。
高校入試・大学入試で、文学史の西洋古典が問われる可能性もあるが、参考書で学習できる程度の問題だろう。
また、たとえ日本国内の古典であっても、『里見八犬伝』は入試にあまり出ないだろう。(よく、公立小中の図書室とかに、里見八犬伝の現代語訳の小説が置いてあります。)
漢文ですら、ほとんど『三国志』も『水滸伝』も『西遊記』も『封神演義』も入試に出ないわけだが、そもそも小中学生むけの教材では漢文で紹介されてないので、気にする必要は無い。
また、日本国内の近代文芸作品であっても、推理小説やSF小説とか冒険小説とかの娯楽小説などは、入試に出ないだろう。江戸川乱歩(えどがわ らんぽ)の推理小説も(よく国語教材や学校教材などでは紹介されるが)、入試にめったに出ないのが普通。当然、元ネタである外国作品のエドガー・アラン・ポー作品も、入試には出ないだろう(西洋文学は出でいし、推理小説も出ないので、二重に出ない)。
方言は入試に出ない
[編集]各地の方言は、基本的に公立高校の入試には出ません。少なくとも、直接的に方言の単語とその意味を問うような出題はされないでしょう。
なお、大学入試でも方言は問われません。
そもそも歴史的な経緯として、そもそも、明治維新の近代化のさい、方言では、欧米から輸入した先端の学問を語るには不便だったから、標準語が開発されていった経緯があります。
中学の教科書には、方言がどのようなものか概要は書いてあります。しかし、各地の方言の暗記は、入試対策としては不要です。
方言には、古語の影響や、地域の文化の影響があったりするので、国語学者には方言の勉強が必要かもしれません。
推薦図書などは受験対策としては不要
[編集]国語科の検定教科書が学校配布の国語資料集など、国語科の書籍教材には「推薦図書」などが紹介されていることもありますが、しかし受験対策としては不要です。
なぜなら、解説が書いてないので、自分の国語力に欠点が無いかどうかの確認にならないからです。
学校の感想文などの宿題にならないかぎり、せっかく読んでも、国語力の養成にはなりづらいのです。
せっかく、宿題でない推薦図書を自発的に読んでも、誰かが読み方を採点してくれるわけでもありません。
推薦図書を「読むな」とは言いませんが、しかし、読んでも特に受験対策にはならないことは理解してください。
だいたい、夏目漱石だとか森鴎外などの作品のような、読むと教育効果の高い作品は、そもそも検定教科書に採用されています。だから「推薦図書」とは、その名に反して検定教科書に採用されない理由がある、教育的には二番手の作品だという事情を理解してください。
たとえばカフカ『変身』とかダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』とかみたいに、海外作品の物語なので検定教科書に掲載できない作品が、推薦図書に回ったりします。
「推薦図書」の実態は、「小中学校の図書室に置いても良い程度の品質だと、保証します」くらいの意味合いでしかありません。たとえば、三国志のマンガ(横山光輝(みつてる))が、ある検定教科書またはその国語資料集の推薦図書として紹介されていましたが、まさに横山三国志がよく小学校の図書室に置いてあるので典型例です。
ただし、文学史などで、推薦図書に選ばれた近代日本の小説などは、私立高校受験などでは問われる可能性があります。とはいえ、長編小説などは読むのが大変でしょうから、参考書にある文学史などの解説などを読めば、受験対策としては十分でしょう。
趣味で長編を読みたければ勝手に読めばいいですが、しかし受験対策にはならないことを理解してください。
どうしても推薦図書などを読むなら
[編集]教科書以外でも、図書館の団体が推薦図書を提示したり、あるいはそのほかの教育系の団体が推薦図書を提示したりします。
どうしても各種の団体の「推薦図書」を読むなら、注意事項として、なるべく5教科の分野の本をバランスよく読みましょう。ただし数学の書籍は少なそうですが、それでも理科の本はそこそこ出版市場にあるだろうし読めるはずです。
「教科書・参考書以外にも視野を広める」といった観点から考えても、文芸ばかりを読むのではなく、社会科や理科の話題を扱った本も読むほうが適切です。(ただし、推薦されているか知りませんが。)
理科の本は、中高生の学力にあった適切な本を入手するのが難しいかもしれませんが、しかし社会科だったら比較的に入手しやすいはずです。図書室に行けば、歴史の本が多くあります。
各種の推薦図書は、物語など架空の文学作品などが多いですが、しかしそれは、高校入試対策としてはズレています。特に将来的な大学入試においては、小論文などを書く際、文芸よりも社会科っぽい内容の本を読んで思考を整理しておくことのほうが有利です。なぜなら、大学の学部の多くは、経済学部や法学部などといった現実の世界の課題をあつかう学部だからです。
中学では国語で「推薦図書」が紹介される事が多いという特徴上、読書感想文の書きやすい文芸小説や物語などが紹介されることが多そうですが、しかしその比率を真に受ける必要はありません。なお、そもそも高校入試や大学入試では基本的に、読書感想文は無いのが普通です。
よって、各種の感想文コンクールの「課題図書」は、それ自体は、あまり入試には関係ありません。単に、吹奏楽コンクールとかああいうのと同じ、その趣味で名を売ろうとしている中高生の大会です。
あるいは時代によっては、もしかしたら推薦図書のうちの文芸の比率が下がっているのかもしれませんが。
ともかく、5教科の本をバランスよく読んでおくのが無難です。
歴史的な経緯なのか、小中高の図書室や市立図書館などは、文学や小説などの書籍が、やたらと多いです。しかし21世紀、もう文学にそこまでの需要は無いのが実情です。少なくとも、大学入試の多くの学部では、文学は需要がありません。
もし戦前や戦後昭和のような、社会科の教育内容の質が丸暗記ばかりで質の悪かった時代だったなら、今よりも文学の価値は高かったのかもしれません。しかしそれは、21世紀の日本にはもう成り立ってない事です。
21世紀の書籍では、かつて昭和の時代には「大人向け」とか「大学生・高校生向け」くらいだった経済や歴史や法律などの内容を、今では小学生・中学生くらいでも分かりやすく読めるように解説した社会科や理科の内容の本もあります。そういうのが昭和の時代は無かったか、少しあっても値段がとても高かったりしたのです。しかし令和の今は、もうそういう事情はありません。
そもそも昭和の時代は、社会科や理科などの「調べ学習」がロクに無かったのです。「調べ学習」という用語は、昭和の頃は聞きませんでした。この用語が普及したのは平成の頃からだと思います。
図書室にやたらと文芸が多いのは、直接的な理由としては法律の要請であり、「学校図書館法」という法律の要請ですが、ではそういう法律になった理由はたぶん、社会科や理科の「調べ学習」の対象になる子供むけの良書がロクに無くて読書感想文しか出来なかった時代の名残でしょう。
なお、配分比率については、
佐藤亜希 著『学校図書館は「ラノベ」禁止? 蔵書の基準やジャンル別比率とは』2016.10.21 Fri 16:15
全国学校図書館協議会が定める図書選定の基準では、蔵書の配分比率を冊数比で明確に定めている。
たとえば、小学校では配分比率がもっとも多いものは「文学」で26%。ついで、「歴史」が18%、「自然科学」が15%、「社会科学」と「芸術」が9%。もっとも比率が少ないのは「哲学」で2%。中学校・高校・中等教育学校でも「文学」の比率がもっとも多い。
です。中学・高校だと文学の比率が少し下がって社会科学の比率が上がりますが(高校では「文学」が19%)、それでも高校ですら文学が一番比率が多く、文学が減った分は哲学と社会科学が増えるだけで、ほかの分野の書籍も基本的には小学校の比率とあまり変わりません。
なお、「哲学」と言っても、おそらく「思春期の悩み」とか心理学とか、そういうのも「哲学」に分類されたりもあるかと思います。べつに「カント哲学」とかそういうのを小中学生が読んでるとは限りません。
学校図書館法の定める比率は、現代の入試対策に必要な比率とはズレています。それどころか、現代の「調べ学習」や総合学習などに必要になりそうな比率からもズレがあります。社会科や理科の調べ学習において、文学は、ほとんど、まったく役立たないのが実情です
高校生むけの蔵書比率については、たとえば、公益社団法人全国学校図書館協議会『学校図書館メディア基準』2021 年 4 月 1 日改訂 など[2]
また、人格形成の観点からも、文学ばかりを読むよりも、歴史や社会科学など他分野の本も読んだほうが良い。
高校入学後の国語についてデマ注意
[編集]2022年度から、高校では国語科目の構成が変わります。2019年以降の中学生が高校に入学する頃には、新カリキュラムが適用されてるかもしれません。
2022年以降の高校国語の必修科目でも、従来どおり、現代の文章に加えて、古文漢文や近代文学なども扱う可能性の高い見込みです。
2022年以降の高校国語では必修科目で『現代の国語』『言語文化』という必修科目があり、『言語文化』で古典文学や漢文や近代文学などを扱うことになると思います。なので、結局、必修科目でも古文漢文や近代文学は、あつかわれるでしょう。
しかし世間ではデマで、「高校から文学が必修科目から無くなる! 」とかデマが流れています。デマの原因は、どうも「高校国語が(選択科目の)『論理国語』と『文学国語』の2つに分かれる!」という事を、必修科目から文学が分かれる根拠にしているようですが、しかし、そもそも『論理国語』『文学国語』などは(必修科目ではなく)選択科目です。
中学生はデマにまどわされず、古文や漢文なども勉強しておきましょう。
困ったことに、ネット上では文学系の人がデマを拡散しています。なるほど、こりゃあ、文学偏重の国語教育が問題視されるのも当然だし、『論理国語』の教育が必要視されるのも当然なわけですね。
高校受験では国語よりも数学・英語と理科・社会
[編集]受験勉強では、国語よりも、数学・英語・理科・社会に時間をかけるべきです。
どういう事かというと、私立高校入試では。基本的には、英語と数学で、やや高校レベルに入ったような難しい範囲が出ます。英語が典型で、高校初級の英単語を出す私立高校が多数あります。数学は、一見すると分かりづらいが、高校の範囲の数学を、中学の知識をつかって解くような問題が出たりしています、私立高校入試では。
高校入試で国語の難問を出しても、それが高校入学後の授業で活用しづらいのです。
マニアックなコトワザを入試で出しても、高校の普段の国語の授業では、そういうコトワザを使わない。仮にコトワザを使う場合があっても、その時に説明をすれば済む。
もし「夜目遠目笠の内」とか高校入試で出たとしても、いちいちそんなのを辞書で調べてられない。
いっぽう数学の場合、高校の英単語をそのまま難関私立の入試では出題したりしますので、そのまま高校入学後の授業でも使えます。
数学も、高校1年程度の数学を出題してきますので、入学直後ではないですが、そのまま1年生の授業で使えます。
しかし国語は、そうなっていない。
なので国語は、基本的に、そんなに難しい問題を、ほとんどの私立高校は出しません。
むしろ、国語で難しい問題を出すような高校は、数学や英語では、もっと難しい問題を出します。
また、国語で難問を出す超難関の私立高校の場合、理科や社会科も試験教科にある場合も多いので、国語の難問よりも理社のほうが優先です。
コトワザや故事成語など、参考書を読んでも、どうして記憶に残らないコトワザもあると思います(「夜目遠目笠の内」みたいなの)。普段使わないコトワザなど、記憶に残りづらいでしょう。
そういうのは、記憶を諦めましょう。どうせ大学入試でも、そういうのは、あまり出題されません。
単純な事なのですが、大学入試は当然ですが、高校の範囲から出ます。なので、一部の難関私立高校受験でしか習わない事は、基本的には、大学入試の範囲ではありません。
大学入試の現代文は基本、実際に世間に流通している書籍のうち、大人社会で通用している書籍の文章から出ますので、マニアックなコトワザや故事成語や熟語などを多用している作品は、そもそも大学入試に出ないのが普通です。たとえば、三島由紀夫(みしま ゆきお)が、わざと現代語では全く使わない古風な単語ばかりを用いた文学作品があるのですが、現代の普通の日本語とは大きくズレているので、新共通テストにはそういう実験的な作品は出ない。大学入試の「現代文」は当然ながら、実際に現代に通用している文章の多い著作から出題されます。仮に出題されても、教育業界からの批判がとても大きいはず。
たとえ東大合格者の毎年100人以上の開成(かいせい)高校や灘(なだ)高校とかがどんな国語の難問を高校入試で出そうが、開成も灘も大学を持っていませんので、私立大学入試には関係ありません。また当然ですが、国公立大学入試は、私立高校入試には合わせません。
なので、高校受験の国語のコトワザだの故事成語だのは、せいぜい、そのコトワザや故事成語の漢字の書き取りを練習しておいて、もし書き取りが出題されたら、漢字を書けるようになっていれば十分です。
高校の古典単語のwikibooks教科書を書いた編集者・某Sですら、意味を知らないコトワザとかあります。「夜目遠目笠の内」とか、編集者Sは2024年になってから知りました。そういうマニアックなことわざは、あまり大学入試には、つながらない。そんなコトワザを知らなくてもwikibooksで高校の漢文の教材すらも作れる。
マニアックなことわざを覚えるよりも、中学の普通の高校受験参考書を通読して漢字の書き取りをしたり、あるいはいっそ高校の国語の参考書を予習したほうが、難関私立高校の対策には効果的です。
そして何より、国語よりも英語・数学ですし、5教科の入試のある高校の場合は理科・社会に時間を掛けるべきです。
国語の入試の難問と違い、理科と社会は、よほどの難問奇問の高校入試問題に挑まない限りの比較的に、大学受験につながりやすい。国語の難問にいどむ時間があるなら、理社のやや発展的な問題にいどむべきです。もし、その理社の高校受験対策もクリアしたら、さっさと高校範囲の国数英の先取りに入りましょう。
資料集との距離感
[編集]手紙の書き方とか、入試には出づらいです
[編集]国語教科書には、資料として手紙の書き方とか巻末にあったりしますが、基本的には、入試に出ません。もし出たとしても「拝啓」「敬具」みたいな有名どころのコンビを押さえておけば十分でしょう。
「謹啓(きんけい)」「謹白(きんぱく)」とか、たとえ資料集に書いてあっても、いちいち覚えてられない。
仮に一時的に覚えても、時間が建つと、忘れてしまいます。こういう知識って、そもそも基礎学力ではないのです。
では、基礎学力とは何か。説明しよう。
たとえば、故事成語のひとつで「矛盾」(むじゅん)を知らないと、「矛盾」という語を用いた論理的な文章が読めなくなるので、ほかの教科の勉強もできなくなる。
だから「矛盾」という故事成語の知識は、基礎学力。
しかし、「謹白」を知っていても、それは、特に かしこまった手紙でしか、使い道がない。これを知らなくても、数学・英語・理科・社会科の勉強には、なんの支障も無い。
なんというか、地理の地図帳で、いちいち中央アジアの国名の首都名とか、覚えないのと同じ。たとえ学校教材に書いてあろうが覚えないし、高校入試にも出ない。そういう知識は、基礎学力ではなく、せっかく暗記しても、そこで行き止まりだから、です。
たとえば、タジキスタンの首都の名前を、wiki編集者の一人・某S は、まったく憶えていません。
資料集は読めば十分
[編集]国語の資料集は、読んでおけば十分です。ただし、公立高校入試などの漢字問題や読解問題の元ネタになる場合があるので、読んでおいてください。
参考書を十分に読んでるなら、検定教科書の巻末など学校配布の資料集は読まなくても良い。
狂言の細かなストーリーは出なくても(芸術系の問題は、諸般の事情で、入試には出づらい)、「狂言」(きょうげん)という漢字問題は出る可能性がある。
- (※ 編集者へ)
- 出典を『中学校国語/現代文/報告書の書き方』に書いときました。要出典タグは、自分で調べても分からないときに使うべきものでしょう。調べてもないのに「ぼく分からないから教えて下さ―い」と使うものではないと思います。子供じゃないんだから。少しは自分で調べましょう。
検定教科書でも、意見文や批評文など、論理的な文章の書き方について説明されています。
しかし、内容がまちがっています。
対策としては、作文については、参考書で勉強しましょう[ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]。旺文社(おうぶんしゃ)の中学国語の参考書などが、よく、まとまっています[要出典]。
教科書にある、作文教育のまちがいとは、たとえば、よくある間違い[要出典]で、「起承転結(きしょうてんけつ)を意識して書こう」のようなノウハウがあります。
しかし、『実社会』では普通、意見文や説明文や報告書には、起承転結のテクニックは不要です[要出典][ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]。
むしろ、企業の報告書では、起承転結は、ダメな書き方です。もし、社内の上司への報告書類などに起承転結があると、企業などでは、上司から、ダメな文章の書き方をしているとして、書き直しを命じられる場合もあります。[要出典]
なぜなら、起承転結の、転の部分を読む前のまだ「起承」を読んだ時点では、読み手に誤解を与えかねない書き方である[要出典]からです。
「起承転結」とは元々、漢詩の書き方です。漢詩などの、娯楽であり短い文章ならば、あえて読者にわざと誤解を与えて、いろいろと考えさせるのも、暇つぶし(ひまつぶし)[ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]になるでしょう。
ですが、会社の書類は、暇つぶしではないのです。
あくまで「起承転結」は、詩や物語などの書き方[要出典]です。けっして、報告書の事実を述べる書類や、説明文などの論理的な文章の書き方ではありません[要出典]。
なので、中学国語の検定教科書での、作文の書き方の教育内容は、まちがっています[要出典][ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]。もし中学卒業後に説明文の書き方などを勉強したい場合は、参考書を手本にしましょう[ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]。
ついでにいうと、困ったことに、高校の検定教科書で習う、論理的とされる文章の書き方の教育も、まちがっています[要出典][ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]。
しかも、高校では、参考書をみても、まともに、論理的な文章の書き方などについては、書いてない状況[要出典]です。
なので、もし大人になって、論理的な文章の書き方を練習する必要が生じたら、高校生むけ教材ではなく、小学生や中学生むけの国語参考書を手本にしましょう[ウィキブックスの1編集者の見解または意見に過ぎません]。