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高校受験ガイド/関連知識

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

滑り止まらなくなってきた私立高校

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地方都市の私立高校の難関校化

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かつて、都市部ではない、例外として東京・神奈川や京都・大阪・兵庫や愛知を除けば、「私立の偏差値の高い高校は、県トップ公立高校のすべり止め」と言った受験文化が、昭和や平成初期の頃は、聞かれました。

しかし2020年代の現代、北海道や九州の福岡・鹿児島などの地方都市でも、かつての東京・神奈川のように、私立高校が難関校化をしています。[1][2]

かつて 1980年代 ~ 1990年代 には滑り止めとして機能していた私立高校でも、現代では そこそこの難関校化している私立高校も多くあります。20世紀生まれの親世代の受験の常識とは、様変わりをしています。

もし20世紀の感覚のまま、地元で評判のいい併願私立を選ぶと、滑り止まらない可能性が多々ありますので、注意してください。なので、模試などの偏差値よりも、少し低めの高校も、念のために受験しましょう。

1980年代に創設したばかりの昭和の時代では「新設」だった私立高校でも、2020年代の今ではもう40年以上の伝統をもつ、地域の伝統校です。


1990年代のかつて、郊外の私立高校と言えば、地元にある3校がたとえば偏差値60(やや古いA高)、偏差値55(新設校 B校)、偏差値52(新設校 C校)、とちょうど滑り止めにしやすいように偏差値帯がバラけていたりしたのですが、

しかし2020年代、創設時の1980年ごろからの40年近い月日という熟成により、3校ともすべて伝統校になっており、偏差値63, 偏差値 62 , 偏差値61 , という感じになっている場合もあり、なかなか偏差値帯の低い私立高校が近隣に無い場合もあります。


少子化の2020年代ですが、しかし私立高校受験では、2020年代の現状では、首都圏や京都・大阪や愛知では全くラクになっておらず、むしろ難関校化をしています。ただし、未来の2030年以降はどうか知りません。ともかく、現状の2020年代は、難関化をしている状態です。大学受験の地方私大の少子化による簡単化・容易化とは混同しないようにしましょう。

偏差値についてのよくある誤解

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「総合的な探究の時間」の無い学科

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※ 「総合的な探究の時間」だと長いので、本節では「総合探究」と略します。

工業・農業高校に総合探究は無い

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普通科高校では、「総合的な探究の時間」の3単位が定められていますが、しかし工業高校や農業高校などの専門高校では、この科目が定められていません。工業高校の場合、工業科目「課題研究」の3単位で置き換えられますが、実態は卒業制作です。

※ なお、もともと総合学科に1990年代から「課題研究」と言う科目があって、調べ学習をもとにレポートを書いていたりしていて、総合探究よりも課題研究のほうが歴史的には先です[3]。総合学科で教育学的に実験されてきた「課題研究」を、普通科むけにアレンジしたのが総合探究の正体です。

ともかく工業高校では、なんかこう、普通科理系コースのやるような科学的な研究みたいなのは、そもそもカリキュラム上、(工業高校では)出来ません。

農業高校だと、農作物で何か生物実験をすればいいので、何か実験で研究したりもします。成果の出来は知りませんが。


そもそも「総合探究」自体、多くの普通科高校では建前どおりに高度な探究が出来ているかどうかが疑問視されているのですが(単なる小学校からの「調べ学習」で終わってる高校もあるという報告もネット各所でされている)、その話はここでは置いておきます。

総合探究はあるが普通科と何だか違う専門学科

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商業高校では「総合探究」の授業時間があるのですが、カリキュラムをよく見ると、3年間でたった1単位と少ないです。(普通科だと1年間あたり1単位なので、卒業まで合計3単位)

ほか、非・理系の専門高校(たとえば美術高校・音楽高校など)では、たとえば「地域学」の各年1単位のような(3年間で合計3単位)、探究対象が地域課題学習に定められた授業に置き換えられている場合もあります。その高校では、ミドリムシで何か試薬とかを使った研究は、このような非・理系の専門高校では授業ではカリキュラム上、出来ないです。

なお、非・理系の専門高校で「総合探究」が3年間で3単位ある専門高校の場合でも、カリキュラムをよく見ると、数学II がありません。なお、そういう高校では基本、数学Aもありません。

国際科の総合探究では、2年生までに日本語でレポートをまとめて、3年生でそれを英語のレポートに置き換えます。国際科の総合探究の単位数は、3年間で合計3単位数です。(なお、国際科には数学IIもある。)

国際科は、比較的に普通科文系に近いと言えます。しかし、もしかしたら国際科でも、総合探究のテーマが地域課題学習に指定されるかもしれません。

大学進学率は現役率も考慮しよう

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高校の大学進学実績には、浪人生も含まれています。「うちの高校は地域トップ高校であり、国立合格者が多い!」と言っても、その高校の合格者のなかには浪人生も含まれているかもしれません。

また、国公立と言っても、地元の国公立とは限りません。たとえば東京都の公立高校から、山形や秋田などの国立大学に進学する人もいます。その場合、下宿などでお金が掛かるので、あまり地元の私立と費用は変わりません。企業によっては大学偏差値で採用する所も多いので、それでも問題は無いかもしれませんが。

なぜこういう事をわざわざ指摘するかというと、実際には多くの公立高校の卒業生は、かなり偏差値の高い高校でも、せいぜい2浪とかして良くてマーチとかに合格するのが関の山だからです。もう20世紀の昔からそう、口伝(くでん)されています。2020年代の今でも、指定校推薦などを使わずに一般入試でマーチの現役合格は、かなりの難関です。決してネットの言説に惑わされてはいけません。

90年代のころ、「地域トップ公立高校の出身で、東大・千葉大や都立大に合格するつもりで2浪したが、結局は私大のマーチどまりだった」なんて話も、よく言われていたのです。

YouTube 動画 資格情報提供チャンネル『じゅそうけんさんの「中学受験はコスパが悪い。」というのは本当か?』 2024/04/17、2:40 から でも、似たような報告がされています。県の2番手・3番手高校だと、現役ではマーチには滑り止まらないのが(時期は不明だが)昔は基本だったという報告です。


ただし2020年代の現代は、少子化が進んでいるので、国立大(地方国立を含む)の合格率アップや、私立でも早慶・上智・理科大とかの合格率が高くなっているのかもしれませんが、どうせ上記のようなものでしょう。


なお、私大医学部合格もふくむ医学部合格率ランキングを見ると、医大の学費の高さがあるので一概には言えませんが(たとえば入学金が1000万円以上の私立医大とかザラ)、普通の高校偏差値ランキングとは大きく違います。基本、私立高校のほうが医学部合格者が多いです(なお、ふつうの私立大の文系学部は入学金が100万円くらい)。

『2023年 医学部医学科 合格者 高校別ランキング 合格数順 | インターエデュ』を見てみると、世間一般での高校偏差値ランキングとは少し、高校の順位が違います。国立トップ高校といわれる筑波大学付属高校は、このランキングでは全国30位です。全国30位でも十分にすごいですが、しかしそれ以上の順位(29位以内)の高校は私立高校ばかりです。ネットの教育素人たちの受験評論では、あまり名前を聞かない私立高校も、29位以内に入っていたりします。別に医学部に合格するのが偉いとは言いませんが、しかしランキングの種類によって、高校の順位が大きく違ってくることは把握してください。また、東京学芸大学附属高校のほうが順位が16位と、医学部合格だけなら順位は上です(年度によって順位は変わるので、深入りしません)。

国立トップ高校群ですら16位と30位なので、まして各県の県立トップ高校や、さらには県立トップではなく県の北部地域トップとかそういう高校では、もっと医学部ランキングが低くなるのが現実です。


企業での新卒採用での浪人の容認は、慣習的に2年まで、です。しかし高校によっては、高校卒業生の難関大合格への浪人の年数が3年とか4年とか行っている場合も考えられます。そういう高校の合格実績の数字を、あまり真に受けてはいけません。

東京の統計を地方民はけっして真に受けてはいけない

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東京の都心の公立トップ高校や国立大付属校の場合、そもそも「東京都心に家が買える家庭の子」という時点で、地方民とは条件が全く違います。私立に通える裕福な家庭の子が、高校の大学進学実績をもとに、あえて公立高校に進学しているだけの可能性もあるからです。実際の受験勉強は塾・予備校などが中心になっている可能性もあります。

さて、反論の統計などで、(※ 説明のための架空の統計です→)「90年代に30人が明治大に合格してた都立の公立三番手高校が、2020年代には70人合格になったので、マーチは入りやすくなった」みたいな統計を出されて言われても、そもそも90年代の時点で30人も明治大に合格する時点で、かなりの公立進学校です。

いっぽう、東京ではなく地方の東日本の平均的な高校偏差値55~60くらいの公立高校の場合、「90年代は明治大合格が3人」とか、かなり受験指導が良く成功しても「90年代は明治大合格が13人」とかです。

よく、「普通科高校の就職難」と聞くので、よくある勘違いで、さぞかし昭和のころの平均的な普通科の高校は入りやすかったのだろう、という勘違いが横行しています。しかし実態に反します。ベビーブームの時代だと、本当の劣等生は、公立普通科には進学できなかった時代です。そのような、そこそこ激戦の普通科にかかわらず、公立高校が就職難になって工業高校などに小食で負けるようになったので、だから21世紀の現在、国会の与党の政治家などが教育制度を設計しなおしているのです。

さて、地方の場合、今と学区制のあった昔を比較すると、もう今では旧・学区内には3番手高校より下の普通科高校がなかったりします。同じ「三番手高校」という単語でも、意味合いが東京と地方でまったく違います。東京だと「上位の進学校グループの一員」ですが、地方だと旧学区内の三番手の普通科ならば「普通科の最底辺」という意味です。(地方だと、それより下は工業高校とか、障害児的な特殊支援に近い高校になる)

東京だと、旧・学区外の通学には割と短時間で行けますが、地方だと学区外への通学がかなりの長時間だったりして、旧学区外に通うのは、なかなか面倒です。もう「三番手高校」の意味合いが全く違うのです。

そして地方では、全県一学区になった今でも、高校数がなかなか少ない状況です。全県一学区で「三番手高校」とは、かつて学区があった頃では「学区内のトップ高校」で「90年代の昔は、高校偏差値65前後の高校だった(学区の都合で偏差値65くらいまでしか出ない)」という意味なのが、地方の実情です。

なので、そこの公立高校生は、まったく偏差値55とか偏差値60とかの平均的な高校生とは、違います。


さらに東京の場合、いまだに1学年8学級とか、そこまで行かなくても6学級をやってる学校もあります。つまり、6学級のうちの70人合格であり、240人のうちの70人合格です。つまり、けっこうな進学高校の上位30%くらいが合格したにすぎません。

けっして「過疎地のなかに、1学年が4学級の高校がポツポツある地方高校からの70人合格」みたいに思ってはいけません。


ともかく、地方民の公立高校は、東京の公立進学高校を、決して自分たちの同類・代表だとか思ってはいけません。

そんだけ東京の公立進学高校は、なんらかの理由で他県よりも大学受験に昔から秀でてた、という意味です。仕組みはよく分かりませんが、どこの県も同じ学習指導要領にもとづく検定教科書を使っているはずなのに、なんらかの仕組みで東京は昔から進学実績が良かったのでしょう。

未来のことは分かりませんが、過去に関しては、地方では、地方公立高校からの大学進学実績では「90年代に明治大に高校から13人合格」なら、けっこうな名門高校あつかいだったのが現実です。90年代に「明治大に30人合格」とか「明治大に40人合格」とかの実績を出す高校は、地方ではトップ高校に相当します。


みなさんは、公立高校の進学校の生徒というと、なんとなく高校入試の内申点みたいに、全教科をまんべんなく頑張って、部活や委員会活動も精力的に、とか勘違いするかもしれません。しかし、社会学者の宮台真司(みやだい しんじ)の1990年代後半の著作で(書籍名は忘れました)、公立高校・私立高校をふくめ、もうそれはとっくの90年代後半に否定されています。

たとえば、学級委員会とか生徒会とかの立候補で、90年代前半の中学生のときは立候補者がたくさんいたのに、同じ子供たちが高校に進学する1990年代後半になるともう、選挙に立候補などせず、面倒な仕事を物好きな一部の生徒に押し付ける現象が観測されている、というのです。これがもう既に1990年代後半の時点で、宮台真司によって解明されています。

なぜ立候補しなくなったかの理由は知りません。「学力が低い子の、内申点ねらいみたいでカッコ悪い」と思われる美学なのか(宮台はそんな説を提唱していた)、あるいは、当時の大学受験の制度では学級委員とか生徒会とかは面倒なだけでロクに内申点にもならないのに気づいたという功利なのか。

ともかく、もう90年代の時点で、公立高校をふくめ、もはや「部活も委員会もまんべんなく頑張る」なんて牧歌的な文化では、なくなってます。文句があるなら、宮台に文句を言ってください。


だからか、2020年代のいま、首都圏などの大学受験で起きてると報告されるのは、大学受験勉強の早期化です。もう高校合格が決まったら、その時点から、塾などを活用して大学受験対策に向けた先取り学習なり問題練習などを、塾などで始める層がいるのです[4]

かつて高校合格したら、いったん高校1年生は塾をいったん辞めて、2年の中盤あたりからまた塾に通いだす、なんてパターンも定番でしたが、今は違うのです。国公立高校への進学で学費を浮かせれば、そのぶんを塾にも使えます。公立高校生だからって、決して「高校1年生では塾に通っておらず、1年生では部活に打ち込んでいる」とか思い込んではいけません。

当然、受験以外のことを勉強する時間は減りますが、しかし実際に受験勉強の早期化という報告があがっています。

大学受験勉強の前倒しについても、たしか宮台真司が90年代後半~2001年ごろにはもう、彼の著作で報告してたと思います。決して2020年代からの現象ではありません。たしか宮台は、おおよそ「自分らのころは高校3年生から本格的に大学受験勉強を始めてたけど、今は高2や高1から大学受験勉強を始める」みたいな報告だったような気がします(手元に本が無いので、うろ覚えです)。

これでも、「まだ公立進学校の生徒だけ、部活と委員会と学業を高度に両立している」と思うなら、もう勝手にしてください。あなたの脳内では、そうなんでしょうね。

私立高校で私大ねらいで部活とスポーツ推薦ねらいが中心の生徒がいると文武「別」道とか言うのに、公立高校で私大ねらいで部活とスポーツ推薦ねらいが中心の生徒がいても文武「両」道となるんですから、そういう変換回路をもった思考回路なんでしょう。なぜか公立高校だと、一人の模範的生徒が、部活も生徒会も学級委員会も学業も文系科目も理系科目も国立大対策も私大対策も、一人でぜんぶをこなしているかのように錯覚する、頭のヘンな人は多い。

東京は、地元の国公立が東京大とか都立大とかになってしまい日本中の受験生がねらって超・難関なので、東京の平均的な偏差値の公立高校は、2001年ころの大学進学では、(地元国立ではなく)私大をねらいました。にもかかわらず地方民の大人は、勝手なイメージで「東京でも、私立高校とちがって公立高校は、国立ねらい」みたいに思いこんでいる、本人はろくに大学受験もしたことのない人もいます。


現在、「普通科」として残っている高校は、かつての割と上位の進学校です。進学実績の振るわなかった昭和の元・普通科高校は、2000年以降の統廃合で消えたり、「総合科」として改組されました。

なので、今では地域内での普通科高校の中では下から数えたほうが早い高校でも、一見すると三流高校だと錯覚する高校でも、20世紀の昔は上から数えたほうが早いような中上位グループの高校だったりします。

たまたま進学熱の高い伝統校の多い地域に住んでいると気づきにくいですが、各地に消えた普通科高校がいくつもあるのです。

幸か不幸か、日本人は保守的であり、昔ながらの伝統ある進学校の多い地域に、優等生は集まります。ほとんどの地域で、戦前からある進学校が、今でも進学校です。ニュータウンだと、一部の有名なニュータウンを除いて、地域の経済力の割には高校があっても偏差値が低めだったり、そもそも限界ニュータウンだと高校が無かったりしかねません。

高校カリキュラムの「自由選択」と「必修選択」

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よく「私立は自由」とか思って私立高校に期待している人がいますが、しかしその自由はけっして生徒の自由ではなく、理事長や校長にとっての自由です。カリキュラム(教育課程)の履修科目などについて、選択の余地が公立よりも少ない私立高校が大半です。


以下、進学校についての公立と私立の比較を述べます。

私立の進学高校では、家庭科や芸術科目など、東大・京大や早慶マーチなどの受験に不要な科目は、私立の普通科では文科省が規定している最低限の単位しか履修できない私学も大半です。

おそらく進学校の私立の普通科に限れば、家庭科・芸術などを最低限しか履修できない科目が過半数を優に超えるでしょう。

いっぽう公立高校の普通科だと、進学高校でもそうでない高校でも、少なくない高校で、高校3年に「自由選択枠」とか「自由選択科目群」とかあって、卒業単位を満たせば、授業時間の範囲で割と自由に履修科目を選べます。

受験科目だけでなく、割と多くの公立高校で、「美術II」や「音楽II」などの芸術II 科目も自由選択科目に入っているので履修は可能な場合が多いし(ただし、既に高校2年で履修が強制されている場合は、除外)、家庭科を高校3年で自由選択で履修できる場合もあります。


しかし私立だと、そういう「自由選択枠」が存在していない私学も多くあります。自由選択枠を知らない私学出身者も多くいます。

公立でいう「必修選択」枠しか私学には与えられていない場合もあります。

私立の場合、たとえば(世界史探求・日本史探求・地理探究のうちの)「いずれかの科目から、1科目を選択」の決まりがあったりというような、「必修選択」または「選択必修」という方式です。

公立高校にも「必修選択」枠はありますが、しかしそれは国語・数学・英語・理科・社会(地歴公民) の5教科全部で、最低でも1科目は高校3年生になっても履修するように定めている、最低基準を定めるものです。(これが無いと、理系の苦手な文系生徒が高校2年で数学・理科を完全卒業してしまうので)


また、ある私立でいう「自由選択」が、他の公立高校でいう「選択必修」の意味だったりする場合もあります。たとえば、上記の地歴公民の例のような「世界史探求・日本史探求・地理探究のうち、いずれかの科目から1科目を選択」をある私立高校では(選択必修とは呼ばずに)「自由選択」と呼ぶ場合もあります。

文科省が指導要領などで高校必履修と定めている「芸術I」に対してだけ必修選択という用語を使い、指導要領上の高校必履修ではない科目については自由度が低くても「自由選択」という語を使っている私学もあります。

このように、あまり「自由選択」枠の意味には、共通のルールはありません。


公立では、その最低基準の必修選択さえ満たせば、あとは芸術IIを選択履修しようが、あるいは家庭か「フードデザイン」を選択履修しようが自由なわけです。(ただし家庭科については、高校3年のカリキュラムでは、自由選択に含まれずに存在しないことが公立高校でもよくあります。)

ただし、文系クラスでないと芸術IIを履修できない公立高校も多くあります。


私学で自由選択枠が充実している高校は、意識が高い大学付属高校とか、あるいは難関大学の受験をあきらめているような高校です。その中間である多くの私立の進学高校では、自由選択枠は基本的に無いか、ほぼ自由度が無いのが実情です。

どうも世間には、大学付属校の私立高校の高3「自由選択」科目だけ見て、「私立は自由だ」と誤解している人が多そうなフシがありそうです。


なお、私立高校によっては「進学コース」が存在せずに「特進コース」とか「選抜コース」といった特進以上のコースしか存在しない私学もありますが、そのような特進以上しかコースのない私立高校の場合、まず芸術IIとか家庭科「フードデザイン」とかは無いことが多いです。

公立高校について

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公立高校は地域に開かれていません

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昭和の昔は(高校ではなく)公立小学校は、「公立小学校は都道府県の税金で食っているのだから、たとえば地域のリサイクルのバザーを小学校の校庭で開くとか、そういう地域交流をするべきではないか?」とかの意見もあって、実際に地域交流をしていました。図書室などを曜日限定でしたが大人も使えたりもあったそうです。(ただし21世紀から、不審者対策など警備上の理由で、そういうのをしなくなった。)

「地域ふれあい室」[5]みたいなのは、一般の公立高校には存在しません。

しかし公立高校は元からそういうのをしていません。

新入生が15歳とは限りません

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私立高校の受験要綱には年齢制限があるのが普通ですが(16歳以下)、しかし公立高校では、たとえ進学校であっても年齢制限がありません。

このため、もしかしたら公立高校の新入生が15歳ではなく16歳またはそれ以上の可能性もあります。あまり年齢が高くなりすぎると、正当な理由が無い限りは内申点などで減点され合格が難しくなるでしょうが、裏を返すと、1年の浪人なら、そうではないわけです。

地方の小規模校の欠点

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地方の極端な小規模校では、普通科でも、数学IIIや物理II(いわゆる、現在の専門『物理』)といった高度な理数系科目が開講されていなかったり[6]、古典講読などが開講されていない傾向もあります[7]。数学IIIなどは高校必修ではないのです。

ほか、雑多なこと

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男女別学や共学

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じつは公設民営の私立高校がある

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ついでに言うと、昭和の千葉とか埼玉とかは高校不足だったので、1970年代ごろ、そこらの県が私学を誘致しています。上述の芝浦工大の千葉の付属校も私学ですが、実態は県の誘致した高校です[8]

昭和のころ、インフラ的な施設の建設では、「公設民営」とか「第三セクター」とか、昭和の当時、中央省庁の官僚がアイデアを考えて、民間と役所のカネで実施する、というのが昭和の半ばころ流行しました。(当時は今よりも中央省庁の権限が強かった時代です。)今では「公私協力」とも言います。

現代でも、大学ですがw:公設民営大学の私立大学とかあります。例として、もう公立化されましたが、山口県にある山口東京理科大学がその典型でした。w:公設民営大学

悪口で「私学は金持ちのバカが行くところ」とか言ってる人は、こういう歴史がよくわかってない馬鹿なので、相手をするのは時間の無駄だと思います。

高校生の論文

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私立のあれこれ

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私立高校の地元推薦枠

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推薦されても絶対合格ではない

地元枠にかぎった話ではないですが、そもそも推薦入試は必ずしも「絶対合格」ではないです。私立の偏差値の高めの高校の地元枠の場合は、あくまで推薦されたらそれ以降の試験は低倍率で合格しやすい(なぜなら遠隔地から受験マニア家庭の中学生が押し寄せないので)だけです。私立高校の場合、推薦入試でも5教科の学力検査を行う場合もあります[9]。なので、推薦をもらえても受験勉強はシッカリと続けましょう。

特に21世紀では、ブランド的な私立高校は付属中学をもっていることが多く、このため募集人員が生徒数に比べてかなり少なめなので(たとえ1学年8学級の約320人であっても、4学級ぶんは付属中学からの内部進学なので、残り4学級ぶんの160人のなかを目指す競争になる)、推薦入試といえども難関です。なので油断せず受験勉強しましょう。

私立の土曜授業

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多くの私立の中高で、土曜日には授業があります。(公立だと、土曜日の授業が無い場合や、隔週などの場合もある。)

ほか、部活の大会などの行事が土曜日にある場合もあるので、公立高校では大会などのスケジュールとの兼ね合いから、土曜授業を行わない高校も一部ではあります。

なお公立の場合、進学校で土曜日を休んでいて週5日制の場合は、土曜休みの代わりに、夏休みや春休みが短いなど、そういう負担があります。

公立の場合、大会などで日曜日に活動させた場合に振替休日が必要になる場合もあるので、それを嫌って土曜授業をしない場合もあり得ます。

もっと言うと、進学校の中には、そもそも部活で大会やコンクールなどに出たがらない高校も、公立でも私立でも、あります(土曜日の授業時間が減るので)。


どうしても私立進学校が土曜日にも学業を教育したい場合、土曜日に提携する予備校などのビデオ教材などでの復習中心の講習をする場合もあります。これなら、高校の教師も休めるし、生徒には復習にもなるし、いいことづくめです。

また、私立高校の中には、教科書のほかにも予備校などの教材や参考書を使っている学校もあるのだという事に気づきましょう。


ほか、一部の私学では、定期試験の回数を年2回に減らすというテクニックもあります(1年間を前期/後期の2学期制に分け、それぞれの学期の期末試験のみ)。これなら、テストのために授業時間が減る量を半減できます。

附属中学校の方針が事実上の方針

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私立の多くの中高一貫校では、付属中学の中学受験の影響を受け、高校側も学力重視の文化に変わっています。

このため、平成に付属中学が新設された中高一貫校の場合、付属中学をもたなかった昭和のころの教育方針と(たとえば体育重視の文化だったり)、現代の21世紀の令和の教育方針とは、まったく別物に変わっているのが実態です。

たとえば、仮に、ある附属中学校の入試方針なり授業方針が「学力重視」だったとして(実際にはここまで明言しませんが、説明の簡単化のため、そう仮定する)、その併設の高校の方針が「文武両道」の場合、基本的に事実上の高校の方針は学力重視です。よほど強固に高校側で文武両道を推進しているのでもなければ、付属中学の方針が正体です。

このため、たとえ建前上は高校の教育方針を変えていなくても、平成時代に附属中学校が新設されれば、その附属中学校の方針が事実上の高校の方針へと変わっています。

基本的に、中学入試では部活などは評価されず(というか、小学校の場合は週1日ていどのクラブ活動)、このような背景のため、ともかく付属中学の影響を受ける多くの私立高校は、高校側の実態がかなり学力重視の方針に変わっています。

中学受験をする子供の場合、お稽古事で楽器や女子なら華道・茶道などを習っている場合がありますが、私立中高の部活でも、スポーツよりもそういうお稽古事になりそうな文化部っぽい部活のほうが現代はさかんだったりします。マスコミだと、甲子園などスポーツの話題ばかり出ますが、しかし、もうそういうのは中学受験した内進生の関心事ではないのです。例外として、スカウトで少年野球リーグの有望選手を特待生にするような一部のスポーツ中高一貫校でもないかぎり、スポーツはもう私立中学受験生のリアルな関心事ではなくなってきているのです。


さらに令和の現代では、べつに特には「学力重視」「大学受験重視」をパンフレットで謡ってない(うたってない)ひかえめな付属中学ですら、中学3年生の国・英・社の授業ですでに高校1年の教科書の範囲に平然と入っていたりします。このため、進学先である高校側も、付属中学の進度の速さの影響を受けるので、ますます高校側の学力重視の方針への変化に拍車(はくしゃ)を掛けます。

つまり私立の中高一貫校の分析の場合、高校の情報だけを入手するのではなく、中高一貫校は、中学受験の影響を受けているという事も意識して、パンフレットなどにある建前ではなく実態としての教育方針や教育実態を分析する必要があります。これが、公立高校の分析には無い、私立独自の分析テクニックの一つです。

スポーツ系私立高校の特典

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スポーツ指定校の高校

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高校から大学への指定校推薦において、その高校が甲子園によく出場したりとスポーツで有名な場合、指定校の枠は、ある程度は運動部の男子が確保済み、もっというと野球部の生徒のためのものです。

たとえば文武両道をうたってる私立高校の場合、指定校の枠が4人なら、2人が運動部のための枠、運動部の枠のうち1人は野球部で残りもう1人は別の運動部でも可、残り2人が学力のための枠、というような意味です。

決して成績順だけで決まるのではありません。

もし大学の募集要項にスポーツ推薦枠として書いてしまうと、スポーツだけのバカ大学みたいに悪評が立ちかねないので、なので指定校でこういう事を行います。

なので、決して実際に甲子園に出た高校ではなく、よく甲子園に出る私立高校かどうかが重要です。もちろん、その大学の立地の近くにあるのが条件です。具体的には、首都圏の私大への場合なら、高校が関東地方にあるか、です。


スポーツAOの関東優遇・地元優遇

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もし将来的に大学入試でスポーツ推薦とか吹奏楽部や演劇部などの部活動の業績でAO入試などで文武両道どうこうとかで進学したい場合についてですが、徳島県やら鳥取県など過疎県での「全国大会出場」と、人口密集地である東京・神奈川・千葉・埼玉での「全国大会出場」とが、断じて同じ価値なわけないじゃないですか。

単純にもし私立大学がスポーツ推薦だけで「全国大会〇〇位以上」などの条件で集めると、四国などの過疎の地方出身者がとても有利になってしまい、関東南部や京都・大阪・兵庫や愛知県(トヨタ自動車などがある県)には不公平なので、なのでスポーツ推薦とは別にAO入試などを活用して部活勢を関東南部や京都・大阪など大都市の高校から集めるのです。

なので首都圏の私大は、大学にもよりますが、あの手この手で(AOや提携高校や指定校など)、関東地方など地元の私立高校を優遇します。関東在住者や、大阪・京都在住や愛知在住などで、スポーツが得意で将来的に大学受験を考えている人は場合は覚えておいてください。

たとえば2023年の野球部の夏の甲子園で神奈川県の慶応大の付属高校が優勝しましたが、慶応の付属校と同じ地区にある高校は、仮に全国2位の実力でも、地区予選の時点で敗退してしまうわけです。

夏の甲子園では、東京と北海道だけ甲子園の出場枠が2個ありますが[10]、しかし東京の高校数の比率は岩手県の2倍どころではありません。

2023年の時点では、東京の高校数は431校、岩手の高校数は81校です[11]

地方在住者の野球ファンは、春の選抜が不公平だとか自分勝手なことを言いますが、そもそも夏の甲子園こそが都市の高校に不利にできています。このため、春の甲子園は、じつは夏の甲子園では不明だった都市部の本当の実力が分かるので、必要なのです。

ついでに、鳥取県は32校で、高校数が日本最下位です(2024年)。つづいて徳島県、島根県、がワースト3で、ともに30校台です。

大学受験のスポーツ推薦をもしスポーツだけで律儀に選抜してしまうと、鳥取県とか徳島県とかの高校の少ない県が無双してしまい不公平なので、実際には「スポーツ推薦以外にも総合型選抜(AO入試)では学力なども見る」という建前ですが、実際には鳥取県とか徳島県とかの全国大会出場者を落として、東京圏や地元の高校生に枠を与える、という意味です(都内の私大の場合です)。高校野球では、甲子園出場までの試合数で、人口の多い地域では甲子園出場までに8試合、人口の少ない地域では4試合とか地域差があります。

総合型選抜(AO入試)の「最近では受験生の学力も見る」という建前は、半分ほど建前です。もちろん、もう半分は本当に学力も総合型選抜では見ています。大学ですので、最低限、その大学を卒業できる学力があるかを見ています。ですが、その程度で十分でしょう。

ただし、2020年代以降の私大の総合型選抜では、英検2級以上などを出願要件の一つとして要求している私大も少なからずありますので、英検資格など(TOEICやTOFLEのハイスコアでも可)を取るのを忘れないでください。


私立大学のスポーツ推薦の募集要綱にある「全国〇〇位以上」というのは、過疎の県からのスポーツ受験生をフィルタリングして落とすために条件を厳しめにしてありますので、過疎ではなく関東南部などの高校数の多い県の人で全国大会に行けなかった受験生は総合型選抜(AO入試)などの別枠で受験・進学してください。

学校パンフレットの役者

余談ですが、高校パンフレットや大学パンフレットなどの写真にある生徒・学生っぽい若者の写真は、実はそういう役者さん・子役さん等だったりします。特に女子にはストーカー対策が必要なので、代理店が女性の役者さんに頼みます。けっしてその学校の本物の女子生徒でもなければ、演劇部員でもありません。

撮影にも手間が掛かるし、学生さんは本来は学業を優先しなければいけないので(児童福祉法などの理念がそうです)、なので学生さんに撮影の手間をわずらわせてはいけないのです。

まとめ

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なので都心在住でスポーツや芸術の成績で大学進学を目指す人は、なるべく、高校進学の時点で、過去に「全国大会出場」などの部活のブランドのある高校に行きましょう。たとえ自分の在籍した年度ではその高校が全国大会出場できなくても、大学受験のさいにAOのスポーツ系などで優遇されるのが実態です。あるいは、そういうスポーツ高校は指定校の枠が同偏差値の他高校よりも多めに与えられています。

よほどの難関私大や難関学部・理系学部でないかぎり、たとえ成績の要件がきびしくて大学の与える指定校推薦の枠には入れなくても(あるいは、学業系の成績で進学する高校生たちが自校の指定校の枠を使い切っても)、スポーツや文化部などの部活などで実力のあると認められている高校の場合には、指定校推薦とは別にAO入試などで少しですが優遇されるのが、おそらく実態でしょう。そのためのAOです。

私大の付属校の救済措置

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私大の付属高校の人は、もしその私大の春ぐらいに決まる第一次の内部推薦に落ちてしまっても(要件として系列の大学の専願志望者で、二年次終了までの成績の上位の数十名とかの要件があったりする)、じつは救済措置として、3年の秋に簡単な試験のある別方式の内部推薦があったりします。細かな救済手法は不明ですが、しかし、付属高校出身者からの伝聞などによって、実際は救済処置があります。

あるいは、3年の秋ごろの総合型選抜(AO)で、たとえば十数名ほど追加で内部進学できる救済処置の可能性があります。

別方式の内部推薦の試験内容は非公開なので不明ですが、付属高校出身者などからの伝聞などによると、そんなに試験は(その高校のレベルと比べたら)難しくないはずです。とりあえず、その付属高校の定期テストおよび高校で受けさせられる程度の模試はきちんと勉強する必要があります。そういう試験がある付属校もあるので、付属校に受かっても勉強はさぼらずに、高校の勉強を続けていきましょう。

大学によって付属高校の救済処置の手法はさまざまですが、よほど学力が低くない限り、内部組の人は上記のような手法で優遇されます。また、面接などのアピール材料とするため、大学説明会などは絶対に出てください。(なお、おそらく内部推薦の条件としても、その大学の説明会の出席などが原則的に要件になっているのが普通でしょう。)

付属校からの表向きの内部推薦の枠は、実態の募集枠よりも少しだけ小さめの人員にしてあります。実際は、よほどの難関大学や難関学部でないかぎり、もう何名 ~ 十数名か、別方式内部推薦や総合型選抜などで付属校からその私大に進学できる場合もあります。

表向きでは内部推薦の条件のきびしい付属高校もありますが、しかしその条件のきびしさの理由は、たとえば、じっさいは高校時代に不良行為・非行に走るなどしてあまりにも素行不良な受験生を落とすためのものです。たとえば「校舎の窓ガラスを割る」とか「バイクを盗んで無免許で走行する」的な連中を落とすためのものです。あるいは不登校などで極端に学力の低い生徒を落とすためです。昭和の昔は中堅私大の付属高校にもそういう荒れた素行不良の生徒がいたので、そういう人を落とす必要があったのです。

なお、もし素行は良いが学業不振がひどすぎて別方式の内部推薦でも総合型選抜でも大学受験で落とされた場合、本当に大学の授業についていけるか心配されたうえで落とされているので、素直に従って偏差値の低めの大学を目指しましょう。

偏差値を下げるのは有効か?

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よく、指定校推薦のテクニックとして言われるのは、真偽は不明ですが「進学先の高校の偏差値をあえて下げて、代わりに指定校推薦をとる」という言い伝えがあります。ですが、この自称・テクニックは、上述のような総合型選抜での高偏差値高校の優遇やら地元の優遇などを見落としており、信頼性に欠けます。

なので、なるべく高校受験では、普通に偏差値の高い高校を目指すほうが良いでしょう。

偏差値の差で1~2くらいの差では、校内順位での上位の取りやすさなんて、大して変わりません。

かといって、5~10あるいはそれ以上も偏差値が違えば、そもそも指定校推薦の枠が大幅に減るか、そもそも枠が無くなります。


過疎化をしている田舎(いなか)の低偏差値高校に、都心の早慶マーチなどのブランド私立大学の推薦は無いのが基本です。

あと、基本的に東京都心の私立大学の指定校の枠は、せいぜい大阪・京都・近畿のブランド高校までかと思われます。なぜなら東京都心の私立大学で地方出身者からよく聞く出身地が、だいたいこの地域までだからです。

四国とか九州とかは、よほど偏差値が高い進学私立高校でないかぎりは、ほぼ指定校の対象外でしょう。

なぜ「ほぼ対象外」かと言うと、都心の大学教授は、いちいち九州奥地とか四国まで高校訪問をしたくないのです。もし仮に指定校の枠があっても、高大連携協定による都心の大学との協定校推薦ぬついては九州・四国は望むべくもありません。

指定校推薦は、べつに大学教員が毎年に高校訪問をしているわけではないでしょうが(なお、高大連携は毎年の訪問・交流をしている)、しかし定期的に大学教員が現地の高校を確認して高校の教員などと交渉する必要はあります。そういう手間があるので、地方すぎる高校は、指定校枠が不利になることを覚悟しなければいけません。


大学の新入生の出身地の情報を聞くと、九州などそういう西日本の奥のほうの地方の出身者については、基本的に都内の私大では存在をあまり聞きません。九州・四国にも名の知れた私学の高偏差値の高校はありますが(たとえば九州のラサール高校や久留米大付属高校など)、しかし、おそらく偏差値の割に指定校の枠は少なめでしょう。

それでも東日本にあって道州レベルで偏差値が高い高校なら、若干は東京都内の私大の指定校の枠があるかもしれません。


「進学先の高校の偏差値をあえて下げて、代わりに指定校推薦をとる」というのは、おそらく、大阪や愛知などの地方都市などを「田舎」と誤解した人のデマではないでしょうか。

あるいは、都心の大学の地元にある公立高校で、偏差値が中くらいか中の上くらいの公立高校に与えられた地元枠の指定校推薦を、勘違いしたデマではないでしょうか。


ほか、AO入試はおそらく、現役生が有利でしょう。大学進学して文系私大に行く人は、浪人せず、さっさと現役で文系学部に大学進学しましょう。

なお、市販の受験テクニック本などにある、田舎の低偏差値高校の浪人するしかない人のための受験テクニック本など、高偏差値の高校の人は、決して信用してはいけません。ちまたに はびこってる受験テクニックは、偏差値の低い高校のための受験テクニックも まぎれています。

なぜなら、多数決では、偏差値60以上の人の数よりも、偏差値50以下の人のほうが人数が多いのです。だから、多数決では偏差値50以下の人のほうが買ってしまうのです。このため、市販の受験テクニック本などにある受験テクニックも、いささか低偏差値むけの人のための情報だったりします。

だから、ちまたの受験テクニックの中には、高偏差値の高校の私大志望にはアテにならないのもあります。偏差値の高い高校に通っている人は、先輩や教員などからの言い伝えを信用しましょう。


「地方の高校で生徒会をして部活も頑張ってAO入試でマーチとかに進学」というのは、それは大阪とか愛知とか仙台や札幌などの地方都市の話、またはその近隣の話でしょうし、何よりも偏差値が高めの高校の話でしょう。決して四国やら九州の奥地とかの話ではないですし、低偏差値高校の話でもありません。

文化的な背景

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さて、「異文化交流」とか「武者修行」みたいな感じで、高校と大学とで学風とかの違う学校に進学するのは、正直、偏差値競争的には不利です。私立高校の少ない地方の若者は不利かもしれませんが、しかしその地方の住民たちが過去に大学進学において選択してきた行為の結果です。受け入れてください。

「異文化交流」とかに関して、世間の人や企業の新卒採用などでは口先では「コミュニケーション能力を重視」とか言いますが、口先で言っているだけに過ぎず、あまり実態がともなっていません。たとえばキリスト教系の大学は、わざわざ仏教系の理念の高校とは、提携を結んだりしません。しかし、就職人気の高いキリスト教系大学はいくつも存在します。このように、世間でいう「コミュニケーション能力」だの「異文化理解」なんて、たかがその程度です。

「その程度」とは、過激派にならない程度のコミュニティ帰属意識の高さが必要だという事です。

いろんな文化を渡り歩くのは、ともすれば「根無し草」(ねなしぐさ)とか揶揄されかねず、よそ者扱いされかねません。「渡り鳥」ともいう。


こういう、大学受験以前の中学高校受験で発生する格差を、教育学などではトラッキング(tracking)と言います。ここでいうトラックとは、陸上競技の走るためのトラックのことです。アメリカの社会学者ローゼンバームが提唱した理論です[12]

このページでは、それを現代日本の高校受験および大学受験に合わせて現代的に発展させた説明をします。

陸上競技の第1トラックから第6トラックまで、コースが分かれているというのをイメージしてください。一見すると同じ競争(大学受験を目標にした競争)をしているように見えても、やや別のコースを走っている競争をしているのです。どのコースを走れるかは、中学受験や高校受験での学校で決まっており、実質的には大学受験以前の高校受験や中学受験などである程度は就職先などが決まる、という感じのです[13]

都心の有名大学の高大連携の教育を、近隣の私立高校の高校生が高校1年から受けられれば、そしてその進路に応じた勉強を続ければ、もう高校3年間をAO入試や公募推薦など各種の推薦入試などでのアピール材料にできます。

地方の公立高校からの受験は、障害物競争のようなものです。

しかし、私大入試で評価されるのは、障害物競争ではなく、実質的にタイムレコードのようなものです。

「人生はマラソン」とよく言いますが、しかし「貧乏人の人生は障害物競走。金持ちの人生はマラソン。大学入試ではマラソンのタイムレコードが評価の対象」です。これが21世紀の日本の大学受験のトラッキングです。上述の指定校やAOや公募推薦などのように、大学入学の時点で、もはや競技種目じたいが分かれていたする名門大学のAO入試に有利なトラックを走っていた金持ちの子供と、一方で地方公立の一般入試などの競争過多な分野での競争を強いられてきた貧乏人の子供が、障害を越えた回数以外の指標で評価されるのです。

地方の貧乏人の子供が社会から言われてるのは実質「お前ら地方公立は障害物競走の平均的な順位のプレイヤーだが、しかし金持ち用のマイナースポーツ競技の関東大会出場よりコースレコードが悪かったので賞金は無し」というのが実態なのです。

そもそも平成の現代のAO入試や総合型選抜の仕組みは、慶応大学の湘南藤沢キャンパスの入試が歴史的にも手本になっており、そもそも日本における中心的な提唱者・導入社のw:加藤寛 (経済学者)が慶應大学の人間です。1980年代の日本国有鉄道や日本専売公社、日本電信電話公社の民営化を進めたという、新自由主義者の人物の学者です。富裕層は一般入試の受験勉強をせずとも有名大学に入れる仕組みがあるのです。


なお、大学の男女比は、基本的には特に男女同数といった法律は無いですが、実質的には私大文系では男女同数を目指しています。一般入試だと男女同数にするのが難しいので、各私大ともAO入試や公募推薦などで男女比を調節しています。

また、このため今後も、AO入試や公募推薦などが私大文系で減る可能性は少ないでしょう。

かつて、男子学生が多くて「バンカラ」(野蛮カラーといった意味)とか言われた明治大学や法政大学などの文系学部も、女子学生が増加し、[14]、現代は女子学生が4割くらいの比率にまで増えています。


世間の頭のあまりよくない人は、口先では「異文化交流」とか言いながら、いまや国際共通語も英語も高校レベルすらロクにできない、科学の共通語の数学・物理・化学も高校レベルすらロクにできないくせに、なんかテレビ番組か何かのバラエティ番組の流行を追いかけたり消費しているくらいで「自分はコミュニケーション能力が高い」みたいに思っていたりするのです。


このように、私立大学受験は次第に理念の近い私立高校と大学との同盟のようなブロック経済のようになっています。

地方は不利かもしれませんが、そもそも今まで地方の浪人生のせいで東京のマジメな高校生が地元の私大に現役合格できなかったのが、是正されていっているという流れでもあります。東京に大量の浪人生を送り出してきた地方が、東京の高校から復讐をされているという因果応報にすぎません。

なお、どうも地方国立大学も、推薦入試で地元の高校の現役生を優遇している可能性があります[15]。どうも地方国公立の推薦枠は、地方の現役高校生へのアファーマティブ・アクションとして機能しているのが実態のようです。


さて、私大の話に戻ります。今時、私大への推薦を蹴る大学の一般入試受験を目指してしまうのは、もはや勉強家の証拠ではなく、「探求学習をさぼって暗記勉強や表面的な勉強しかできない怠け者」という扱いなのです。

指定校推薦で文系の大学へ進学することにより、高校での探求学習も頑張れます。大学入試のしょうもない暗記科目を勉強するのを省略できます。

アクティブ・ラーニングが、伝統的な大学受験のシステムでは評価されません。


最低限の知識の暗記みたいなのは、世間はもう、高校入試(+高校の定期テスト)で十分だと思っているという証拠でもあります。指定校推薦の拡大した21世紀の現状は。

もともと昭和のころは、高卒で就職する人も多かったし、そのような企業の実態に、近づいてきているだけです。

今の時代、暗記みたいなのはコンピュータで十分です。だから探求学習やアクティブラーニングなのです。

その探究、アクティブラーニングが一般入試で評価されないのですから、意欲的な高校生ほど一般入試には興ざめです。

今時の一般入試はもう、意欲的な高校生からは、見放されているのです。

かつて、2005年ごろ、高学力層の高校生が私大文系の評価を下げて「私大文系は数学や理科の学習が評価されない不当な界隈」として高校生の高学力層からの評価が落ちたように、令和の2020年代では、今度は一般入試を尊重する界隈の評価が下がり「一般入試はもう、探求やアクティブラーニングが評価されない、コンピュータみたいな暗記人間を量産している不当な界隈」として高校の一部の高学力層から見放されているのです。


仮に、無理して指定校推薦を蹴って、せっかく大学受験を頑張っても、質の悪い暗記問題の受験問題を勉強させられるだけだし、浪人のリスクもあるし、そのせいで企業は若い労働力が入らなくなって損だし、もはや誰にもいいことがありません。

「理系では入試問題を解くような能力も必要」とか言われても、その理系自体もう、指定校推薦では敬遠されています。色々と高校生にはバレているのです。

文系の大学側にとっても、指定校から、本当に自分の大学を望んでいて、高校時代からレポートなどを生産できている質の良い学生を選べます。だから文系の私立大学側も、もう半数ちかくを指定校推薦など推薦でとっているのです。

指定校推薦はこのように、売りよし・買いよし・世間よしの「三方よし」です。

指定校推薦に文句を言うのは、世間体のよくない浪人生だけです。


また、このように現代は、高大連携も利用しつつ総合型選抜(AO入試)や公募推薦などで文系大学に進学するのが主流になってきている時代ですので、高校中退は避けるべきです。高卒認定試験(略して「高認」)による大学進学も、避けるほうが安全でしょう。もはや、高認の制度が現状に追い付いていません。高校に在籍しない高認では、原理的に高大連携の恩恵は受けられず、そのぶん自己アピールが難しくなります。

実験校の成果と文理コース分け

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「高校のコース分けで、なぜ、文理のハイブリッド型のコースが2010年代以降の現代には無いのか?」とか、「なぜ文理ハイブリッド教育が非効率だと分かるのか?」とか、なぜそれを高校や教育委員会が知っているのか、奇妙に感じたことないですか? 

なぜ教育委員会や各高校が文理ハイブリッドが難しいと知っているのかと言うと、実はもう試したんですよ、2005年くらいまでに。

いわゆる、非公式に「実験校」とか言われる公立高校と一部の有志の私立高校で、それ試したんです。書籍化してない情報源であることと取材先の個人情報があるので出典はあげられませんが、この節を書いている編集者Sの地域では、公立の高校偏差値55の高校で、「文系コースの高校3年に(理系向けの)数学III(すうがくサン)の必修」という実験が行われていました。

なお、「実験校」は俗称ではなく、文科省や内閣府なども公式文書で用いる表現です[16][17]。wikiのこのページでは行政が公式に実験校として公表した学校以外にも、カリキュラムなどの分析から、実質的に教育実験的な取り組みをしていると考えられる高校にもついても、本wikiでは「実験校」と呼んでいます。

平成の2001年前後の当時、数学Cの内容は令和とは違い、当時は理系コースの内容でした。しかし実は偏差値55の文系の高校3年生なら、数学Cの履修と習得はなんとか可能です。

でも、せっかく文系生徒が数学Cを履修しても、入試では文系向けの数学II B (すうがくニ・ビー)までしか出ないので不利になってしまったり、あるいは指定校推薦などで不利になってしまう、などの結果が分かったのです。

このため、現在では、「高校の文系コースにも理系コース科目を必修」みたいなハイブリッド教育は行われていません。


また、国立大学の教育学部の大学の付属高校は、本来、じつはそのような新しい教育カリキュラムの実験をするための高校でもあります。

しかし、上記の文系コースに理系コース科目の実験は、都道府県立などの公立高校で行われていました。このように、実験の最終段階として、一部の公立高校でも実験が行わます。


ほか、おそらく、ほかにも、まだ世間に「高大連携」という言葉の無かった2001年のころ、「探求学習」と言う言葉の無かったころ、もう教育大付属高校や各地の実験校で試していたのでしょう。

また、探究学習については、1990年代から総合学科で導入されてきました。2000年以降の総合学習や『総合的な探究の時間』は、それが普通科高校にも及んだものです。


ほか、大学付属高校なら、その学園の大学の教養課程の講義の一部を、夏期講習で教育したりとかの授業も実験済みでしょう(単位にはならない)。そういうのも実験済みなのです。

平成時代の初期、放送大学の開設などのように生涯教育が流行していたので、私立大学が地元などの地域住民などに有料の授業をしていました。地域交流も兼ねての実験です。付属高校でも大学教授が付属高校に出張して地域住民や生徒の保護者などに授業を格安でするのも試しました。実験の結果、付属高校の出張授業では地域住民には高度すぎて、レベルに合わない事が解明されました。

もう、このように色々と実験済みなのです。

こういう実験の結果、どうしても私立大学の学園が地域住民などとの交流を図るなら、決して教授の出張授業ではなく、部活動などでの行事の交流で、という方法が良いことが分かりました。


なので、これからの時代の高校生が、わざわざ同じ実験をする必要はありません。そういう実験は、教育大の付属高校などに任せておけば十分です。

高校の部活には軽音楽部があったり、高校の教科書にもロックやDTMもありますが、中学校の部活には、なかなか軽音楽部は見当たりません。2001年ぐらいまでに日本の公立中学で試しました。社会科教師・数学教師・体育教師などからなる軽音楽バンドが中学内にあったりとかね。生徒に教える指導要領をつくる前に、まず音楽専門でない他教科の教師みずからが実験台になって、本当に演奏の練習が学業と両立できるのかを確認していっているのです。

こういうレベルで検証をする。


ついでの話になりますが、学校で使っている製品は基本、値段のわりに、高性能で高耐久です。なぜなら、多くの大人や実験校が検証をしてあるからです。なので、学用品は、学校を卒業しても、捨てずに残しておきましょう。学用品は基本、かなり高品質です。

いっぽう、大人向けの製品のなかには、もはや設計ミスのような、ガラクタのような製品も多くあります。特に昨今、途上国の輸出品などのダンピングの影響か、かなり品質のひどい製品も多いです。

実用品の業界のなかには、製品の設計力のひくい業界・企業もあります。製品のなかには、詐欺師のような商売人が企画して、そして頭のおかしい芸術家きどりのデザイナ-が意匠設計した、実用性のひどく劣る製品もあります。ひどいです。そういう酷い製品が、値段が平気で5000円とか1万円とかします。

裁判沙汰になると困るので、どの業界かは言いません。


ほか、パソコンを個人で買う際も、なるべく、今の学校で使っているパソコンのメーカーが無難ですよ。他社は、そういう大口需要の売り込みに負けるような設計力しかないダメ企業です。

高校図書室の蔵書のレベル

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私立でも公立でも中高一貫校でも単独の高校でも、中高の図書室の書籍はあまりレベルは高くありません。高校図書室の場合、あくまで高校生むけのレベル、および高卒社会人のレベルの平易な書籍が大半です。

つまり、大学生むけのレベルの本は、基本的には高校図書室には置いてありません。理系だけでなく文系科目の大学教科書もそうで、多くの高校では大学の法学教科書とか経済学教科書とか心理学教科書とかは、目にしないと思います。

進学校といえども、あるいは中高一貫校や私立高校といえども、図書室の蔵書の多くは、上述のような平易なレベルです。


なので、高校生が予習・復習で基礎学力をつける勉強したい場合は、図書室の本ではなく、普通に参考書や問題集など市販の教材をこなすのを優先すべきです。高校図書室の本を読むタイミングは、気になったときにだけ、手を伸ばせば十分でしょう。

あまりレベルの高い本の置いてない理由はおそらく、あくまで調べ学習などの課題で使うための書籍が中高の図書室には置いてあるからです。

そもそも、全国学校図書館協議会などの選定図書を見ても、そんなにレベルの高い書籍を選定しておらず、中高の子どもでも読めそうなレベルの本ばかりです。


なお、児童書や児童向けの図鑑なども高校図書室には置いてません。

もし大学教養レベル(大学1~2年の経済学、法学、数学、理科などの科目群)の書籍が高校図書室にひととおり置いてあれば、大したものです(つまり、たぶん置いてないでしょう)。まして、(教養レベルではなく)大学の学科ごとの専門基礎レベルの書籍は、かなりの進学高校ですら図書室には置いてないだろうと思います。特に都会の高校の場合、図書室が狭いので、そのレベルまで高校図書室に置くスペースが無いでしょう。

なお、法学の場合、法改正ごとに内容が変わるので、あまり置いてないと思います。高校の社会科に法学の科目が無いのには、このような合理的な理由があります。


理科の場合、教科書ではなく科学雑誌『日経サイエンス』とかの形で、高校を超えた範囲の書籍は図書室に置いてあるかもしれません。

雑誌の場合、古い雑誌は廃棄されますが、別に急いで読む必要はありません。なぜなら、もし科学雑誌の学説の内容が正しければ、数年後に教科書などにまとめられてるし、なのに数年後に教科書などに掲載されなければ学説が間違っているか評価されてないだけですし、どうしても読みたければあとから電子版バックナンバーを読めます。

また、バックナンバーの無い雑誌の場合、そもそも後世に内容を残すつもりのない刹那的(せつなてき)な雑誌ですので、読む必要はありません。


ハッキリ言って、高校の図書室は、市民図書館に行く時間を節約するためのものでしかありません。どのみち、高校生は授業で忙しいので、あまり借りた本を読めません。

図書館めぐりをするよりも、まずは参考書で基礎学力をつけるのを優先すべきでしょう。


さて、地方の人は分かりづらいかもしれませんが、都心だと市民図書館にホームレスとか居たりする地区もあるので、そういう意味で学校図書室は必要ではあります。

必要ではありますが、あまり積極的に高校図書室の本を読む必要はありません。自習室の代わりに高校図書室を使う人も多いでしょうか。

県立高校の浪人ジョーク

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俗説(ぞくせつ)ですが、地方県立高校は、たとえトップ高校でも、浪人率が私立よりも高めだと言われてきた歴史があります。だから「予備校付属 4年制高校」なんて自嘲(じちょう)しているジョークがあるくらいです。(定時制ではなく全日制なので、本当は3年制です。)たとえば、(全日制なのに)「駿台(すんだい)予備校付属 4年制体育高校」みたいな。

「駿台(すんだい)予備校」というのは、大手の浪人生むけをメインとした予備校のうちの一つです。ほか「河合塾」も、浪人生むけの課程のある予備校です。

※ なお、予備校は必ずしも浪人生むけの講座があるとは限りません。市進(いちしん)予備校は、現役生しか受け入れていません。

過去に男子校だった公立高校の場合、部活で運動部をがんばる伝統があったりするので、なので「体育」高校が加わり「駿台(すんだい)予備校付属 4年制体育高校」というわけです。

べつに、現代なら国公立や医学部を目指さなければ、今の時代なら、どこかの私大文系には現役で入れると思います。はたして実際の現代の県立高校の統計が、浪人率が高めかどうかはともかく、歴史的には「4年制高校」なんてジョークがあったくらいです。

まあ、頭の片隅には、知識として入れておきましょう。

修学旅行が無い高校

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修学旅行の無い高校もある(研修旅行など)

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修学旅行の無い公立高校もあります[18]。公立の定時制高校[19][20](いわゆる夜間高校)や通信制高校など、その可能性があります。

公立の定時制では、少子化による生徒数の減少により、そこそこの数の定時制高校が、その定時制課程では修学旅行を行っていない場合もあるのです[21]

なので、お金に余裕がある家庭なら、なるべく全日制(朝9時くらいに授業の始まる高校)に通いましょう。読者が親なら、子をなるべく全日制に通わせましょう。

「研修旅行」

名称が、修学旅行ではなく林間学校・臨海学校でもなく「研修旅行」という名前で同様の学校行事を行っている高校もあり、公立[22]でも私立[23]でもあります。地方に限らず首都圏でも「研修旅行」の高校はあります[24][25]

学校によって「研修旅行」の意味合いは微妙に違い、修学旅行や林間学校・臨海学校のことをまとめて「修学旅行」と言う場合もあれば、修学旅行や林間学校・臨海学校とは別の小数の希望者だけの旅行のことを「研修旅行」と言う場合など、意味が学校ごとに違っていますので、てっきり同じ意味かと勘違いしないように気を付けてください。


昼間定時制

なお、私立の中央大学高校は定時制ですが(独自の校庭をもたずに中央大学の校舎を利用しているので、国の全日制の設置基準を満たせない)、高校サイトによると修学旅行があるようです。

朝から授業開始しているのに、時間帯とは別の事情などにより全日制でなく「定時制」の高校のことを『昼間定時制』と言います。上述の中央大学高校は昼間定時制です。

ほか、私大付属では、国士舘大の付属校が昼間定時制ですが、高校サイトによると修学旅行があるようです。

ただし、その他の、特に私大付属校などではない、地方などの昼間定時制の私立高校は、修学旅行があるかどうか知りません。

伝統県立高校の行事のトレードオフ

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たとえば

「わが校では、3年生に演劇の実演をする伝統がある」→「3年生の修学旅行が無い」

というトレードオフな伝統があったりする場合もあります。

行事の時間数には限度がありますので、なにか独自の行事がある場合、代わりに別の行事が抜けている場合があります。


部活のイメージと実態

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大阪と東京の授業料無償化

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東京と大阪で、私学も含めての授業料のほぼ無償化の政策が出されています。無償化あるいは同等の公的援助の対象は、あくまで授業料のみです。つまり、建物の施設費用、部活の費用、修学旅行の費用などは別途かかりますので注意してください。

また、教材費、修学旅行の費用などは、公立も私立も有料です。公立高校でも、諸経費を徴収しているので、どこの都道府県の公立高校でも年間30万円くらいの学費は掛かっています[26]。私立高校は、公立よりも高くなりますので、公立50万円よりも高い学費を払える能力が私立進学の家庭には必要です。

文部科学省「令和3年度子供の学習費調査」の結果が元になっています。

なお、公立の学費が「50万円」という説は、この50万円とは、上記の学費30万円に、塾や習い事などの公立生徒の家庭の相場金額である年間20万円を加えたものです[27]

ネット上には、私立の学費で施設費用などが必要なことを知らない人も多く、どうも「私立の学費が0円になる」という勘違いをしているような頭ヘンな人が、意味不明な政治主張をしている例も多いですが、けっして真に受けてはいけません。

ネット上には「私立の建物に税金投入するなんて許されない!」とか、まったく起きてない事例を批判している、頭おかしい人もネットに多くいます。無償化の対象は授業料だけです。建物は対象ではないです。

無償化されるのはあくまで授業料のみであり、建物さんは授業もしてないし、建物さんが教員免許を保有しているわけでもないので、頭おかしい人が頭おかしい事をネットで主張しているとしか言いようがない。

ほか、公立高校の学費を、勘違いして0円 ~ 年間10万円 程度だろうと勘違いしている頭おかしい人もネット上には多くいます。

指定校推薦を公立大学も まいている

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偏差値の高い高校に指定校推薦をまいている大学は、私立大学だけではなく、一部の公立大学(県立大学など)も指定校をまいています[28]

お金のない家庭の人は、なるべく偏差値の高い高校に進学したほうが得です。

よくある勘違い

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旧制高校と新制高校

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よくある勘違いなのですが、第二次世界大戦の終戦前の旧制高校は、今の高校には相当しません。

たとえば「旧制一高」(きゅうせい いちこう)は、今の東京大学の駒場(こまば)キャンパスの場所にあった高校です。旧制に東京府立一中だった戦後の都立・日比谷(ひびや)高校とは、関係ありません。

高校は高等教育ではない

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高校は、中等教育です。高校は後期中等教育です。

小学校が「初等教育」。

中学校が「前期中等教育」。

高等学校が「後期中等教育」。

大学が「高等教育」。

昔の公立高校の入試問題の進度の遅さ

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ネットには、あまりにも低レベルな評論が多いので、ツッコミを入れざるを得ない。

低レベルな評論家は、「戦後の昭和、東京で公立の進学実績が悪化したのは、学校群制度のせいだ」とか、東京以外なら「学区制のせいだ」とか、陰謀論をとなえます。よく、都立トップ高校の日比谷(ひびや)高校の東大合格者数の当時の低下が、その代表例とされます。

規制緩和論者も、この論調に同調したので、日本ではこの陰謀論が普及しています。

しかし、まったくピント外れです。


本当の理由は、下記のように、昔の公立高校の入試の低レベルさです。

今でこそ、公立高校の入試問題は、大学進学実績の格の差にもとづいて、「A問題」「B問題」「C問題」とか分かれていて、

難関公立高校では、難しめのタイプの問題が、入試に出されています。


しかしそういうのは、「脱・ゆとり教育」による2010年以降の話です。

今の公立入試と違い、昭和・平成初期の昔の公立高校の入試は、基本的には、どの高校も県内で同一の入試問題です。


そして、私立進学校との入試問題の「進度」で、大きな差がついていました。「難度」ではなく「進度」です。むかしは、私立進学校の受験生はもう、当時の高校1年生のことを高校入試対策として勉強していたのです。

特に平成初期は、「ゆとり教育」だった事もあり、かなり公立入試は、低レベルなものだと見られていました。


だから当時の塾の講義も、もう高校の内容なのが、普通です(ただし、通年で通ってる子の授業。夏期講習だけの子は除く)。数学など一部の科目では中学の範囲ですが、しかし英語や国語などの暗記科目では高校の範囲でした。


その後、2010年ごろに「脱ゆとり教育」で、かつて高校の範囲だった内容が、前倒しで中学の範囲になった事で、結果的に 公立入試の進度 と 難関私立の進度 との差が小さくなりました。

しかしそれは2010年以降の話です。


ネットには、あたかも昔から進度の差が小さかったかのように歴史を偽造する人がいますが、困ったものです。

たとえ公立高校に進学した子であっても、偏差値の高い子なら、(例外としてよほどの貧乏家庭でもないかぎりは、)常識として高校受験では難関私立の過去問対策を通して、高校の範囲を学習する、というのが、昔のスタイルだったのです。

少なくとも東京では1990年代はそうでした。

なのに、あたかも「公立高校・私立高校が進度が同じだった」かのようにツイッターなどで主張しているアカウントは、すべてインチキであり、貧乏人をなぐさめるための現実逃避コンテンツです。騙されていはいけません。

wikipediaにあるウソの卒業生

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高校の場合、公表されている卒業生、ウソだったりする場合があります。

なぜならプライバシー保護などのため、ウソの学歴が設定されている場合もあります。なぜウソが必要かというと、高校の学歴から、実家の位置が特定されたりしかねないので。

たとえwikiの記述に、書籍などの出典があっても、その書籍そのものの記述が、ウソだったりします。ダミーと言います。


なので、中学生が志望校を決める際は、卒業生はあまり気にせず、進学実績などの統計を気にしましょう。

どうしても卒業生を参考にするなら、高校の公式パンフレットにある、ここ数年の実際の卒業生インタビューなどを参考にしましょう。

参考文献

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書籍

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  • 佐藤優 編著『埼玉県立浦和高校論文集』、K&Kプレス、2019年12月15日 第1刷 発行、
  • 酒井朗 ほか編著『よくわかる教育社会学』、ミネルヴァ書房、2012年4月20日 初版 第1刷 発行、

脚注

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  1. ^ 若林彩 著『「私立高は滑り止め」もう古い 公立重視の北海道で起きている高校入試の「地殻変動」<デジタル発>』, 北海道新聞 ,2024年8月5日 10:00(8月6日 11:58更新)
  2. ^ 『もはや「滑り止め」にあらず…鹿児島でも私立高校志向高まる 合同説明会には過去最多の来場者 「支援金」制度が浸透か』, 南日本新聞 , 2024/07/30 11:49
  3. ^ 『【都立高校】自分の「好き」を学びませんか?』 2022/01/20
  4. ^ (動画)CASTDICE TV『偏差値60をとるのが年々難しくなっている理由』2024/02/04、 8:20 あたりから 2024年04月22日に確認.
  5. ^ (動画)KSB瀬戸内海放送『1年生と“7年生”が入学 9年制の義務教育学校が開校 小・中を統合し特色を 岡山・美咲町』, 2023/04/10 , 0:50 あたり
  6. ^ pdf 文部科学省 初等中等教育局参事官付(⾼等学校担当) 著 『⾼等学校DX加速化推進事業(DXハイスクール)』、2024年 ? (アドレスより推測)、
  7. ^ 山崎 博敏 研究代表『教育人口の変動と学校の規模・再編統廃合』、kaken、公開日: 2012-07-19
  8. ^ 『芝浦工業大学柏高等学校の誕生 学校概要 芝浦工業大学柏中学高等学校』 2023年12月02日に確認.
  9. ^ 『高校受験の「推薦入試」ってどんな制度?わかりやすく解説!【塾探しの窓口】』2023.11.01 2024年01月01日に閲覧.
  10. ^ 『【高校野球】夏の甲子園、春の甲子園違いは?』2023年7月20日
  11. ^ 『高等学校数の都道府県ランキング - 都道府県格付研究所』
  12. ^ 酒井朗 ほか編著『よくわかる教育社会学』、ミネルヴァ書房、2012年4月20日 初版 第1刷 発行、P.130
  13. ^ 酒井朗 ほか編著『よくわかる教育社会学』、ミネルヴァ書房、2012年4月20日 初版 第1刷 発行、P.130
  14. ^ オバタカズユキ 著『「バンカラ大学」は消滅した? 親世代と子世代で違う最新大学事情とは?』、2023.3.18 2:25
  15. ^ 山内太地 『旧帝大の推薦合格者数を荒稼ぎする高校』2024年02月26日、
  16. ^ pdf 内閣府 総合規制改革会議 『(1)文部科学省から資料に基づき説明』
  17. ^ 『「本協議会において協議するべき事項の整理(案)」に対する各委員のお考え(概要)』 H18.1.30
  18. ^ 『高校の修学旅行事情 ~訪問先、費用、コロナ禍を経ての変化など~』
  19. ^ 福井県立道守高等学校『福井県立道守高等学校 | ~ 道はここから ~』
  20. ^ 『千葉県立船橋高等学校 定時制』
  21. ^ pdf 『2 沼田高等学校 岩田悦夫 - sg_02.pdf』
  22. ^ 『島根県:高等学校の修学旅行について(トップ / 県政・統計 / 政策・財政 / 広聴・広報 / 知事への提案箱 / 今までにいただいたご提案と回答 / 2022年 / 2022年6月)』
  23. ^ 『国内研修旅行 | 横浜創英中学・高等学校』
  24. ^ 『国内研修旅行 | 横浜創英中学・高等学校』
  25. ^ 『研修旅行 | 城北学園 城北中学校・高等学校』
  26. ^ 明治安田生命『公立高校の学費はいくらかかる?』
  27. ^ 明治安田生命『公立高校の学費はいくらかかる?』
  28. ^ (動画)山内太地『首都圏偏差値60台後半名門校で指定校推薦が過半数越え』2023/09/05