高校受験ガイド/関連知識

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

偏差値についてのよくある誤解[編集]

進学校かどうかは偏差値40を境にとりあえず判断[編集]

将来的に大学進学を考える場合、高校受験での志望校はその高校の偏差値で判断しないといけません。なぜなら、普通科高校で、偏差値の低い高校は、そもそも高校側が、大学進学を方針としていない場合が多いからです。たとえば偏差値30台の高校の場合、そもそも高校側が大学進学を方針としていない場合があります(学校の公式サイトなどで方針を確認できます)。直接は「大学進学を方針としていない」とは言いませんが、「中学校卒業まで苦手だったところの学び直しをする」とか「手に職をつける」とかのような方針をうたっている場合があります。

重度障害者のための養護学校(現代は「特別支援学校」という)とは別に、軽度な知的障害や精神障害などの子を支援するための高校が存在しており、教育行政の用語で、そういう知的障害的な子供を支援するための高校および小中学校のことを「チャレンジスクール」とか「エンカレッジスクール」とか言います(教育内容の微妙なちがいがチャレンジスクールとエンカレッジスクールとの間にはあるが、大多数の読者には関係ないので、本節では説明を省略する)。

行政用語ではチャレンジスクールとエンカレッジスクールをまとめて「普通学校」という場合もありますが、しかしこれは決して普通科高校の意味ではなく、「特別支援学校ではない」という意味での「普通学校」です。

ともかく、チャレンジスクールなどそういう障害支援の学校側の公式の方針は、そもそも大学進学ではなく、そのため進学校だと普通にあるような科目(「数学B」とか「世界史探求」とか)が、そもそもカリキュラムに存在しない普通科というのも、偏差値30台の高校にはあります。

大学進学が無理とは、けっして「底辺校の生徒がバカだから」とかそういう理由ではなく、そもそも、もうハナっから高校側が、大学受験を方針としていないカリキュラムなのです。そういう高校で生徒がいくら個人的に努力して大学受験を目指しても、地方の定員割れの私大ならともかく、難関大学に合格するのは、ほぼ無理です。推薦も、そもそも難関大の指定校推薦の対象校ではないでしょう。


偏差値が50以上で偏差値偏差値で±5くらいの差は、それほど気にする必要は無いです(このあたりの偏差値なら、偏差値よりもカリキュラムや近所での評判などの実態を調べるほうが大事です)。しかし、偏差値30台だと別です。偏差値40以上でも40~41とかそういう場合、方針がそもそも大学進学でない場合が多々あります。

偏差値30高校でも結果的に生徒が特技を身に着けた結果として、地元の私立大学に推薦などで進学できる場合もありますが、偶然の成果です。

「偏差値の低い高校から、難関大に一般入試で合格!」とか言う話は、基本的には高校受験の偏差値50前後やそれ以上の人たちの話です。


地域によっては(エンカレッジではなく)エンパワーメントスクールとかクリエイティブスクールと言います。大阪と神奈川の両方に「クリエイティブスクール」という高校がありますが、しかし意味が違います。大阪のクリエイティブスクールは、定時制の学び直し高校です。神奈川のクリエイティブスクールは全日制です。大阪のエンパワーメントスクールには総合科の高校もあります。


私立高校の多くはもう軽度知的障害者を受け入れてくれない

昭和の20世紀の時代は、勉強の苦手な補習校的な、軽度な知能障害者むけの高校は、私学にも少なからずありました[1]。しかし現代、それは、ほぼ公立にしか残っていません(上述した公立エンカレッジスクールなど)。

昭和の当時、公立ブームであり、また学費も公立のほうが安かったので、一部の私立進学校を除いて、公立のほうが進学熱が高かったのです。特に地方では、むかしは「公立に通えない子が、私立に通う」という事もありました。

しかし21世紀に入ってから、地方でも、私立は進学重視に切り替わりました。裏を返せば、学力に問題を抱えた子供の受け皿が、私学からは無くなっていった、という事でもあります。

地方のかつて偏差値の低かった私立高校でも、21世紀に入るころに付属中学を設置した高校も多く、そのため高校から入るのが難しくなっている高校もあります。それ以上に、そもそも教育方針が時代とともに変わっており、そういう中高一貫校の私立は学力下位層の受験生を切り捨てる方針に変化したのです。

現代でも多くの地域では偏差値上のトップ高校は公立高校である事が多いため[2]、ついつい「公立のほうが学力上位か?」と勘違いする人も多いですが、そうではなく実態は、公立は学力の上下差が大きいのです。

東京では戦前から私立があるので、とっくの昔に東京は私立のほうが進学熱が高かったのですが、それが段々と地方にも広がっていったわけです。昭和の時代は、私立にも工業科などのある高校も少なからずあったのですが、平成に入る前後に私立の工業科は生徒も集まなくなったので廃止され、令和の現代では、ほぼ普通科または一部の私立に美術科・音楽科・体育科くらいしか残っていません。

困ったことに、田舎の大人のなかには、いまだに「私立は公立に落ちた学力下位層が通うもの」という発想が抜けていない人もいますが、一部の低偏差値私立を除き、まったく違います。

上述した公立エンカレッジ・スクールように、令和の現代、学力下位層の通うのは公立高校です。


大学受験偏差値との混同をさせる迷惑業界に注意

世間では、大学受験偏差値と高校受験偏差値とを混同して(あるいは意図的に混同させて)、「(大学受験偏差値の)偏差値40からの大学受験で難関大に合格した高校(あるいは高校生)」とか言う、まぎらわしい人もいます(広告業界とかでしょうか。迷惑ですね)。大学受験は浪人生との競争もあるので、現役生は不利なので、高校受験偏差値70の天才ですら大学受験偏差値が高校2年では偏差値45とかになったりするのです(高校3年次の学習でそこから偏差値を上げていく)。

大学の場合、大学偏差値30台の大学でも、いちおうは学生は日本語ができます(日本語が出来ない受験生は、公募推薦でも総合型選抜でも、面接で落とします。そのための面接です)。海外姉妹港からの留学生とかでもないかぎりは。

しかし高校の場合、高校偏差値30台の高校だと、そもそも生徒が、たとえば移民の子だったり軽度の知的障害だったりして、日本語がやや不自由な場合もあります。高校偏差値で30台というのは、そういう高校の可能性もある偏差値なのです。

「偏差値30でも努力次第で、難関大学の受験も」とか言ってはいけません。それは大学受験の偏差値と混同しています。


また、「偏差値40の大学でも、けっこう教育レベルが高い」とか言われているのですが、それを高校と混同して、偏差値38とかの高校を決して学力が高いなんて、思ってはいけません。

ともかく、高校偏差値と大学偏差値とは、混同してはいけません。

混同の根本原因は、「偏差値とは、倍率を変形したものにすぎない」という事を忘れていることです。偏差値だけからは、けっして学力水準は分かりません。学力水準については、進学実績や卒業後の就職実実績などから、推測する必要があります。

なので、高校受験の偏差値、大学受験の偏差値、中学受験の偏差値は、それぞれ別々に、分析する必要があります。母集団が異なるので、けっして混同してはいけません。

偏差値は学力ではなく倍率みたいなもの[編集]

世間によくある誤解として、高校の偏差値を、その高校の合格に必要な学力の指標だと思っている人がいます。

しかし、偏差値は、基本的には倍率から算出されます。このため、高校入学後にどんなに教育水準が高かろうが、たとえば山間部の高校などで定員割れを慢性的に起こしていると、偏差値が低く出ます。

高校によっては合格最低点などを定めている場合もありますが、しかしそういう背景事情は偏差値の数値だけでは分かりません。もし公式パンフレットなどで「進学重点校」などと宣言していれば、合格最低点が存在しているだろうと思います。

偏差値の高い高校は、なんらかの人気があるので、その分野では教育の質は高いのですが、しかしその逆は、必ずしも成り立ちません。偏差値は、あくまで倍率から算出されたものです。

また、体育高校とか美術高校とかでも、入試の倍率によって偏差値が算出されますので、入学後の高校の学力とはあまり関係ありません。

極端な例をあげると、たとえば、もし仮に日本人の過半数の中学生がいきなり学習障害を発症して中学高校の数学と理科が急に苦手になったとしたら、商業高校とか美術高校とか体育高校とかに受験生が殺到するので商業高校の偏差値が急上昇するでしょう。

しかし、それは単に商業高校の入試の倍率があがったにすぎず、けっしてその商業高校の学力が向上したわけではありません。

たとえるなら、ある街の病院が繁盛したからといって、べつにその病院の医師の治療の能力があがったわけではなく、単にその街の病人が増えただけです。そりゃ医師の腕が悪いなら、結果的にその病院の客足は遠のくので、病院は繁盛しません。しかし逆に、病院が繁盛したからといって、医師の腕がいいことの証明にはなりません。

高校の偏差値もこれと同じで、あくまで倍率の変形です。その高校の実態がどうなのかは、別の情報源から入手する必要があります。なので基本的には、情報入手をしやすさから、なるべく地元の高校に通うのが得です。

世間では、偏差値教育の否定の話となると、すぐに、やれ「生きる力」だとか「思考力」とかそういう話ばかりがネットにありますが、しかしそういう話ではなく、「そもそも偏差値は倍率を変形したものに過ぎない」という事を把握する必要があります。

低偏差値の高校のあれこれ[編集]

私立の場合[編集]

私立の低偏差値の文系コースでは数学IIが無い[編集]

私立高校で偏差値50前後およびそれ以下の低偏差値高校では、進学コースなのに高校2年の数学の「数学II」「数学B」が文系コースでは存在しない場合もあります[3]

いっぽう、公立高校では同偏差値帯でも、数学II B が普通科高校では高校必修になっているのが通常です。

このため、とりあえず高偏差値の公立高校となるべく同じ科目の教育を受けたい場合は、この偏差地帯およびそれ以下の人は、公立高校を目指すのも手です。

私大文系の受験では数学II・Bを使わないことも多いので、文系コースでは高校科目から数学II・B を外している私立高校もあるのです。

ネットで私立高校のカリキュラムを確認しようにも、偏差値の低い高校だと、そもそもネットではカリキュラム公開してない場合もあります。


なお、特進コースと進学コースのある高校の場合、特進コースだろうが進学コースだろうが、基本、1~2年次のカリキュラムは変わりません。これは、各学年の1年間の定期テストの成績によって、次の学年で特進コースになるか進学コースになるかが判定される私立高校が多いからです。

このため、特進コースでも文系コースだと数学IIを習わないまま卒業できてしまう高校もあります。

さて、よく高校の特進コースの宣伝で「国公立大学への合格を目指します」とありますが、「果たして数学IIを履修せずに国公立大に受かるのか? 新共通テストの対策はどうする?」と疑問に思いますが、しかしそういう高校でも公式ホームページを見てると国公立大にも少数ですが合格者を出しています。どういう手法なのかは知りません。

推薦合格が多い私立高校だと偏差値が上がる場合もある[編集]

多くの私立高校は、合格者のうちの何人が一般受験で、何人が推薦入試なのか、公表していません。

世間の人は、ついつい一般受験を想定して分析してしまうので、このため外部から高校を見ると、なんとなく「高校受験の偏差値が高そうに見えて倍率の高そうに見える私立高校」が、「実はおよそ半分の生徒が推薦合格の人だった」というような場合もあるかもしれません。

高校の公式webサイトにある「募集人数」は、けっして閲覧時点での募集人数ではなく、すでに前年の3~4月ごろに公表した募集要項の時点での募集人数です。なので高校によっては、一般入試での募集人数と、要綱上での募集人数に、かなりの開きのある場合もあります。

その高校のことがよく分からない場合、カリキュラムなども調べましょう。進学実績だけを見ても駄目であり、それはもし高校に「特進」コースや「進学」コースなど複数のコースがある場合、コース間に学力にかなりの差がある場合もあるからです。

私立高校によっては、「進学コース」とは名ばかりの「スポーツ・アート」コースみたいな私学もあります。そういう私学もあっても良いのでしょうが、しかし高校受験生はそういう高校だと把握した上でその高校を受験するかどうか考えましょう。

公立の場合[編集]

過去に職業高校だった普通科[編集]

現在は「普通科」の公立高校でも、過去に商業高校だった高校もあります。そのような高校の場合、文系コースでは数学IIを履修できない可能性があります。物理基礎も、履修出来ない可能性が高いでしょう。

学校の硬式の案内を見ても分かりづらいので、wikipediaなどで志望校の歴史を調べましょう。

特殊な普通科[編集]

低偏差値校では、進学校のカリキュラムと比べると、かなり常識外れなカリキュラムをしている場合もあります。

たとえば、文系クラスでは芸術科目が3年間必修で、芸術III(音楽IIIや美術III)などが必修だったりとかです(一例)。

高い偏差値の公立高校と同じことをしても競争に負けるので教育的配慮のため、違ったカリキュラムをしているのでしょう。

「芸術IIまで必修」というのは偏差値の高い公立進学高校でも時々あるのですが、芸術IIIまで必修というのは、思い切ったことをするものです。

もちろん、芸術IIIまでしない低偏差値高校もありますが、その場合は他の意外な科目が必修だったりします。

「総合的な探究の時間」の無い学科[編集]

※ 「総合的な探究の時間」だと長いので、本節では「総合探究」と略します。

工業・農業高校に総合探究は無い[編集]

普通科高校では、「総合的な探究の時間」の3単位が定められていますが、しかし工業高校や農業高校などの専門高校では、この科目が定められていません。工業高校の場合、工業科目「課題研究」の3単位で置き換えられますが、実態は卒業制作です。

※ なお、もともと総合学科に1990年代から「課題研究」と言う科目があって、調べ学習をもとにレポートを書いていたりしていて、総合探究よりも課題研究のほうが歴史的には先です[4]。総合学科で教育学的に実験されてきた「課題研究」を、普通科むけにアレンジしたのが総合探究の正体です。

ともかく工業高校では、なんかこう、普通科理系コースのやるような科学的な研究みたいなのは、そもそもカリキュラム上、(工業高校では)出来ません。

農業高校だと、農作物で何か生物実験をすればいいので、何か実験で研究したりもします。成果の出来は知りませんが。


そもそも「総合探究」自体、多くの普通科高校では建前どおりに高度な探究が出来ているかどうかが疑問視されているのですが(単なる小学校からの「調べ学習」で終わってる高校もあるという報告もネット各所でされている)、その話はここでは置いておきます。

総合探究はあるが普通科と何だか違う専門学科[編集]

商業高校では「総合探究」の授業時間があるのですが、カリキュラムをよく見ると、3年間でたった1単位と少ないです。(普通科だと1年間あたり1単位なので、卒業まで合計3単位)

ほか、非・理系の専門高校(たとえば美術高校・音楽高校など)では、たとえば「地域学」の各年1単位のような(3年間で合計3単位)、探究対象が地域課題学習に定められた授業に置き換えられている場合もあります。その高校では、ミドリムシで何か試薬とかを使った研究は、このような非・理系の専門高校では授業ではカリキュラム上、出来ないです。

なお、非・理系の専門高校で「総合探究」が3年間で3単位ある専門高校の場合でも、カリキュラムをよく見ると、数学II がありません。なお、そういう高校では基本、数学Aもありません。

国際科の総合探究では、2年生までに日本語でレポートをまとめて、3年生でそれを英語のレポートに置き換えます。国際科の総合探究の単位数は、3年間で合計3単位数です。(なお、国際科には数学IIもある。)

国際科は、比較的に普通科文系に近いと言えます。しかし、もしかしたら国際科でも、総合探究のテーマが地域課題学習に指定されるかもしれません。

大学進学率は現役率も考慮しよう[編集]

高校の大学進学実績には、浪人生も含まれています。「うちの高校は地域トップ高校であり、国立合格者が多い!」と言っても、その高校の合格者のなかには浪人生も含まれているかもしれません。

また、国公立と言っても、地元の国公立とは限りません。たとえば東京都の公立高校から、山形や秋田などの国立大学に進学する人もいます。その場合、下宿などでお金が掛かるので、あまり地元の私立と費用は変わりません。企業によっては大学偏差値で採用する所も多いので、それでも問題は無いかもしれませんが。

なぜこういう事をわざわざ指摘するかというと、実際には多くの公立高校の卒業生は、かなり偏差値の高い高校でも、せいぜい2浪とかして良くてマーチとかに合格するのが関の山だからです。もう20世紀の昔からそう、口伝(くでん)されています。2020年代の今でも、指定校推薦などを使わずに一般入試でマーチの現役合格は、かなりの難関です。決してネットの言説に惑わされてはいけません。

90年代のころ、「地域トップ公立高校の出身で、東大・千葉大や都立大に合格するつもりで2浪したが、結局は私大のマーチどまりだった」なんて話も、よく言われていたのです。

YouTube 動画 資格情報提供チャンネル『じゅそうけんさんの「中学受験はコスパが悪い。」というのは本当か?』 2024/04/17、2:40 から でも、似たような報告がされています。県の2番手・3番手高校だと、現役ではマーチには滑り止まらないのが(時期は不明だが)昔は基本だったという報告です。


ただし2020年代の現代は、少子化が進んでいるので、国立大(地方国立を含む)の合格率アップや、私立でも早慶・上智・理科大とかの合格率が高くなっているのかもしれませんが、どうせ上記のようなものでしょう。


なお、私大医学部合格もふくむ医学部合格率ランキングを見ると、医大の学費の高さがあるので一概には言えませんが(たとえば入学金が1000万円以上の私立医大とかザラ)、普通の高校偏差値ランキングとは大きく違います。基本、私立高校のほうが医学部合格者が多いです(なお、ふつうの私立大の文系学部は入学金が100万円くらい)。

『2023年 医学部医学科 合格者 高校別ランキング 合格数順 | インターエデュ』を見てみると、世間一般での高校偏差値ランキングとは少し、高校の順位が違います。国立トップ高校といわれる筑波大学付属高校は、このランキングでは全国30位です。全国30位でも十分にすごいですが、しかしそれ以上の順位(29位以内)の高校は私立高校ばかりです。ネットの教育素人たちの受験評論では、あまり名前を聞かない私立高校も、29位以内に入っていたりします。別に医学部に合格するのが偉いとは言いませんが、しかしランキングの種類によって、高校の順位が大きく違ってくることは把握してください。また、東京学芸大学附属高校のほうが順位が16位と、医学部合格だけなら順位は上です(年度によって順位は変わるので、深入りしません)。

国立トップ高校群ですら16位と30位なので、まして各県の県立トップ高校や、さらには県立トップではなく県の北部地域トップとかそういう高校では、もっと医学部ランキングが低くなるのが現実です。


企業での新卒採用での浪人の容認は、慣習的に2年まで、です。しかし高校によっては、高校卒業生の難関大合格への浪人の年数が3年とか4年とか行っている場合も考えられます。そういう高校の合格実績の数字を、あまり真に受けてはいけません。

都市伝説「高偏差値の○○高校は文武両道」の心理[編集]

昭和の昔の都市伝説で、「開成高校は文武両道」という大ウソな言い伝えがありました。もちろん、21世紀の現代では大ウソだと否定されており、ネットなどでも開成出身のOBの塾経営者などが否定している大ウソですが、しかし昭和の時代はそういうウソの都市伝説がありました。

この開成のウソ都市伝説のように、世間では、学業優秀な高校だと、なぜか尾ひれがついて、部活も文化活動も熱心に活動しているという、デタラメな都市伝説が発生します。たぶん、そういう信仰の庶民が、庶民代表っぽい高校に偶像視するのでしょう。昭和のころは「旧態依然とした公立 vs 改革の旗手の伝統私立」みたいなイメージで開成が偶像視され、そして令和では「銭ゲバの私立 vs 庶民代表の名門公立高校」みたいな。

ともに信者が善悪二元論で共産主義的で「悪の既得権益の○○を打倒しさえすれば、解決する!」みたいな幼稚な世界観であることに変わりありません。戦前の総理大臣・近衛文麿(このえ ふみまろ)は言いました「右翼も左翼も同じ」だと。

21世紀の現代の、一部の都心の都立高校についての「文武両道」も、これと同じように疑ったほうが良いでしょう。そりゃ、開成や灘にだって、運動部などの部活に熱心に打ち込んでいる生徒もいるでしょうが、しかし決して1人の人間が、すべてをこなしているわけではありません。

ていどの差はあれ、難関大に行く人の多くは、高校で部活をあきらめています。実際に日本では、科学者とか文系もふくんで大学教授などで、プロスポーツ選手でもある人は、(例外としてスポーツ学などを除けば、)基本的にいません。寡聞(かぶん)にして、聞きません。

大学の医学部や理工学部で、大学スポーツで活躍した人の話を、基本的に聞きません。


考えてみれば、戦前の開成OBで俳句の権威である正岡子規(まさおか)は別にスポーツマンではありませんが、しかしなぜか開成高校が文武両道というウソ都市伝説が流行したのが昭和でした。

東京の統計を地方民はけっして真に受けてはいけない[編集]

東京の都心の公立トップ高校や国立大付属校の場合、そもそも「東京都心に家が買える家庭の子」という時点で、地方民とは条件が全く違います。私立に通える裕福な家庭の子が、高校の大学進学実績をもとに、あえて公立高校に進学しているだけの可能性もあるからです。実際の受験勉強は塾・予備校などが中心になっている可能性もあります。

さて、反論の統計などで、(※ 説明のための架空の統計です→)「90年代に30人が明治大に合格してた都立の公立三番手高校が、2020年代には70人合格になったので、マーチは入りやすくなった」みたいな統計を出されて言われても、そもそも90年代の時点で30人も明治大に合格する時点で、かなりの公立進学校です。

いっぽう、東京ではなく地方の東日本の平均的な高校偏差値55~60くらいの公立高校の場合、「90年代は明治大合格が3人」とか、かなり受験指導が良く成功しても「90年代は明治大合格が13人」とかです。

地方の場合、今と学区制のあった昔を比較すると、もう今では旧・学区内には3番手高校より下の普通科高校がなかったりします。同じ「三番手高校」という単語でも、意味合いが東京と地方でまったく違います。東京だと「上位の進学校グループの一員」ですが、地方だと旧学区内の三番手の普通科ならば「普通科の最底辺」という意味です。(地方だと、それより下は工業高校とか、障害児的な特殊支援に近い高校になる)

東京だと、旧・学区外の通学には割と短時間で行けますが、地方だと学区外への通学がかなりの長時間だったりして、旧学区外に通うのは、なかなか面倒です。もう「三番手高校」の意味合いが全く違うのです。

そして地方では、全県一学区になった今でも、高校数がなかなか少ない状況です。全県一学区で「三番手高校」とは、かつて学区があった頃では「学区内のトップ高校」で「90年代の昔は、高校偏差値65前後の高校だった(学区の都合で偏差値65くらいまでしか出ない)」という意味なのが、地方の実情です。

なので、そこの公立高校生は、まったく偏差値55とか偏差値60とかの平均的な高校生とは、違います。


さらに東京の場合、いまだに1学年8学級とか、そこまで行かなくても6学級をやってる学校もあります。つまり、6学級のうちの70人合格であり、240人のうちの70人合格です。つまり、けっこうな進学高校の上位30%くらいが合格したにすぎません。

けっして「過疎地のなかに、1学年が4学級の高校がポツポツある地方高校からの70人合格」みたいに思ってはいけません。


ともかく、地方民の公立高校は、東京の公立進学高校を、決して自分たちの同類・代表だとか思ってはいけません。

そんだけ東京の公立進学高校は、なんらかの理由で他県よりも大学受験に昔から秀でてた、という意味です。仕組みはよく分かりませんが、どこの県も同じ学習指導要領にもとづく検定教科書を使っているはずなのに、なんらかの仕組みで東京は昔から進学実績が良かったのでしょう。

未来のことは分かりませんが、過去に関しては、地方では、地方公立高校からの大学進学実績では「90年代に明治大に高校から13人合格」なら、けっこうな名門高校あつかいだったのが現実です。90年代に「明治大に30人合格」とか「明治大に40人合格」とかの実績を出す高校は、地方ではトップ高校に相当します。


みなさんは、公立高校の進学校の生徒というと、なんとなく高校入試の内申点みたいに、全教科をまんべんなく頑張って、部活や委員会活動も精力的に、とか勘違いするかもしれません。しかし、社会学者の宮台真司(みやだい しんじ)の1990年代後半の著作で(書籍名は忘れました)、公立高校・私立高校をふくめ、もうそれはとっくの90年代後半に否定されています。

たとえば、学級委員会とか生徒会とかの立候補で、90年代前半の中学生のときは立候補者がたくさんいたのに、同じ子供たちが高校に進学する1990年代後半になるともう、選挙に立候補などせず、面倒な仕事を物好きな一部の生徒に押し付ける現象が観測されている、というのです。これがもう既に1990年代後半の時点で、宮台真司によって解明されています。

なぜ立候補しなくなったかの理由は知りません。「学力が低い子の、内申点ねらいみたいでカッコ悪い」と思われる美学なのか(宮台はそんな説を提唱していた)、あるいは、当時の大学受験の制度では学級委員とか生徒会とかは面倒なだけでロクに内申点にもならないのに気づいたという功利なのか。

ともかく、もう90年代の時点で、公立高校をふくめ、もはや「部活も委員会もまんべんなく頑張る」なんて牧歌的な文化では、なくなってます。文句があるなら、宮台に文句を言ってください。


だからか、2020年代のいま、首都圏などの大学受験で起きてると報告されるのは、大学受験勉強の早期化です。もう高校合格が決まったら、その時点から、塾などを活用して大学受験対策に向けた先取り学習なり問題練習などを、塾などで始める層がいるのです[5]

かつて高校合格したら、いったん高校1年生は塾をいったん辞めて、2年の中盤あたりからまた塾に通いだす、なんてパターンも定番でしたが、今は違うのです。国公立高校への進学で学費を浮かせれば、そのぶんを塾にも使えます。公立高校生だからって、決して「高校1年生では塾に通っておらず、1年生では部活に打ち込んでいる」とか思い込んではいけません。

当然、受験以外のことを勉強する時間は減りますが、しかし実際に受験勉強の早期化という報告があがっています。

大学受験勉強の前倒しについても、たしか宮台真司が90年代後半~2001年ごろにはもう、彼の著作で報告してたと思います。決して2020年代からの現象ではありません。たしか宮台は、おおよそ「自分らのころは高校3年生から本格的に大学受験勉強を始めてたけど、今は高2や高1から大学受験勉強を始める」みたいな報告だったような気がします(手元に本が無いので、うろ覚えです)。

これでも、「まだ公立進学校の生徒だけ、部活と委員会と学業を高度に両立している」と思うなら、もう勝手にしてください。あなたの脳内では、そうなんでしょうね。

私立高校で私大ねらいで部活とスポーツ推薦ねらいが中心の生徒がいると文武「別」道とか言うのに、公立高校で私大ねらいで部活とスポーツ推薦ねらいが中心の生徒がいても文武「両」道となるんですから、そういう変換回路をもった思考回路なんでしょう。なぜか公立高校だと、一人の模範的生徒が、部活も生徒会も学級委員会も学業も文系科目も理系科目も国立大対策も私大対策も、一人でぜんぶをこなしているかのように錯覚する、頭のヘンな人は多い。

東京は、地元の国公立が東京大とか都立大とかになってしまい日本中の受験生がねらって超・難関なので、東京の平均的な偏差値の公立高校は、2001年ころの大学進学では、(地元国立ではなく)私大をねらいました。にもかかわらず地方民の大人は、勝手なイメージで「東京でも、私立高校とちがって公立高校は、国立ねらい」みたいに思いこんでいる、本人はろくに大学受験もしたことのない人もいます。


現在、「普通科」として残っている高校は、かつての割と上位の進学校です。進学実績の振るわなかった昭和の元・普通科高校は、2000年以降の統廃合で消えたり、「総合科」として改組されました。

なので、今では地域内での普通科高校の中では下から数えたほうが早い高校でも、一見すると三流高校だと錯覚する高校でも、20世紀の昔は上から数えたほうが早いような中上位グループの高校だったりします。

たまたま進学熱の高い伝統校の多い地域に住んでいると気づきにくいですが、各地に消えた普通科高校がいくつもあるのです。

幸か不幸か、日本人は保守的であり、昔ながらの伝統ある進学校の多い地域に、優等生は集まります。ほとんどの地域で、戦前からある進学校が、今でも進学校です。ニュータウンだと、一部の有名なニュータウンを除いて、地域の経済力の割には高校があっても偏差値が低めだったり、そもそも限界ニュータウンだと高校が無かったりしかねません。

高校カリキュラムの「自由選択」と「必修選択」[編集]

よく「私立は自由」とか思って私立高校に期待している人がいますが、しかしその自由はけっして生徒の自由ではなく、理事長や校長にとっての自由です。カリキュラム(教育課程)の履修科目などについて、選択の余地が公立よりも少ない私立高校が大半です。


以下、進学校についての公立と私立の比較を述べます。

私立の進学高校では、家庭科や芸術科目など、東大・京大や早慶マーチなどの受験に不要な科目は、私立の普通科では文科省が規定している最低限の単位しか履修できない私学も大半です。

おそらく進学校の私立の普通科に限れば、家庭科・芸術などを最低限しか履修できない科目が過半数を優に超えるでしょう。

いっぽう公立高校の普通科だと、進学高校でもそうでない高校でも、少なくない高校で、高校3年に「自由選択枠」とか「自由選択科目群」とかあって、卒業単位を満たせば、授業時間の範囲で割と自由に履修科目を選べます。

受験科目だけでなく、割と多くの公立高校で、「美術II」や「音楽II」などの芸術II 科目も自由選択科目に入っているので履修は可能な場合が多いし(ただし、既に高校2年で履修が強制されている場合は、除外)、家庭科を高校3年で自由選択で履修できる場合もあります。


しかし私立だと、そういう「自由選択枠」が存在していない私学も多くあります。自由選択枠を知らない私学出身者も多くいます。

公立でいう「必修選択」枠しか私学には与えられていない場合もあります。

私立の場合、たとえば(世界史探求・日本史探求・地理探究のうちの)「いずれかの科目から、1科目を選択」の決まりがあったりというような、「必修選択」または「選択必修」という方式です。

公立高校にも「必修選択」枠はありますが、しかしそれは国語・数学・英語・理科・社会(地歴公民) の5教科全部で、最低でも1科目は高校3年生になっても履修するように定めている、最低基準を定めるものです。(これが無いと、理系の苦手な文系生徒が高校2年で数学・理科を完全卒業してしまうので)


また、ある私立でいう「自由選択」が、他の公立高校でいう「選択必修」の意味だったりする場合もあります。たとえば、上記の地歴公民の例のような「世界史探求・日本史探求・地理探究のうち、いずれかの科目から1科目を選択」をある私立高校では(選択必修とは呼ばずに)「自由選択」と呼ぶ場合もあります。

文科省が指導要領などで高校必履修と定めている「芸術I」に対してだけ必修選択という用語を使い、指導要領上の高校必履修ではない科目については自由度が低くても「自由選択」という語を使っている私学もあります。

このように、あまり「自由選択」枠の意味には、共通のルールはありません。


公立では、その最低基準の必修選択さえ満たせば、あとは芸術IIを選択履修しようが、あるいは家庭か「フードデザイン」を選択履修しようが自由なわけです。(ただし家庭科については、高校3年のカリキュラムでは、自由選択に含まれずに存在しないことが公立高校でもよくあります。)

ただし、文系クラスでないと芸術IIを履修できない公立高校も多くあります。


私学で自由選択枠が充実している高校は、意識が高い大学付属高校とか、あるいは難関大学の受験をあきらめているような高校です。その中間である多くの私立の進学高校では、自由選択枠は基本的に無いか、ほぼ自由度が無いのが実情です。

どうも世間には、大学付属校の私立高校の高3「自由選択」科目だけ見て、「私立は自由だ」と誤解している人が多そうなフシがありそうです。


なお、私立高校によっては「進学コース」が存在せずに「特進コース」とか「選抜コース」といった特進以上のコースしか存在しない私学もありますが、そのような特進以上しかコースのない私立高校の場合、まず芸術IIとか家庭科「フードデザイン」とかは無いことが多いです。

男女比が普通科の共学でも約1対1とは限らない[編集]

※ 過疎地だと、たまたま地域によっては男子の多い地域とか女子の多い地域とかありうるので、下記は首都圏の話だとします。

普通科でも、たとえば理系の私立大学の付属高校だと、男女比が 男:女 = 2:1  くらいに片寄っている場合もあります。

まあ、理科系の大学の男女比が片寄っているので、それに慣らす意味合いもあるのかもしれません。そういう環境がイヤな人は、理系の私大の付属高校は敬遠したほうが良いでしょう。


そこまで男女比が極端でなくても、公立高校でも理数科に入ると、男性がやや多め(たとえば1.3倍くらい)な場合もあります。

いっぽう、公立高校の共学の普通科だと、あくまで傾向ですが、男女比がほぼ 1:1 に近い傾向があります。男:女 = 1.2:1  とか  男:女=1:1.2  とか、そのくらいに収まることが多いです、

私立だと、たとえ理系私大の付属高校でなくとも、私立だと高校によっては、男女比が 1.6 : 1 くらいに差がある場合もあります。


ただし、公立高校の普通科でも、その高校に商業科や国際科が併設されていると、女子が多い傾向があります。あるいは、その高校に理数科や工業系やスポーツ系の学科が併設されていると、男子が多い傾向があります。

ほか、商業科・国際科の併設があるわけでもないのに、なぜか男女比の片寄っている公立高校もあります[6]


現状は普通科高校の公立校でも、歴史を調べると過去に商業高校だった普通科高校もあり、そういう場合は過去に引きずられて男女比が片寄り気味な場合もありえます。

公立高校について[編集]

公立高校は地域に開かれていません[編集]

昭和の昔は(高校ではなく)公立小学校は、「公立小学校は都道府県の税金で食っているのだから、たとえば地域のリサイクルのバザーを小学校の校庭で開くとか、そういう地域交流をするべきではないか?」とかの意見もあって、実際に地域交流をしていました。図書室などを曜日限定でしたが大人も使えたりもあったそうです。(ただし21世紀から、不審者対策など警備上の理由で、そういうのをしなくなった。)

しかし公立高校は元からそういうのをしていません。

公立高校は、けっして公立中学のように地元住民が全員通えるわけでもありません。公立高校にも税金が生徒1人あたり年間70万円ちかく投入されているのですが、いったい何のために、公立高校の生徒に税金が投入されているのか、意義が分からず意味不明です。

戦後の昭和に作られたような公設民営(地方の県などが誘致した私学)の私立高校には税金が投入されず(私立高校でも文部科学省の指導要領に従っています)、それより偏差値が低くても公立高校に税金が投入されます。日本の国会議員の考える教育政策は支離滅裂です。

公立の生徒だからと言って、別に地域ボランティアをしているわけではありません。何のための税金投入でしょうか。

新入生が15歳とは限りません[編集]

私立高校の受験要綱には年齢制限があるのが普通ですが(16歳以下)、しかし公立高校では、たとえ進学校であっても年齢制限がありません。

このため、もしかしたら公立高校の新入生が15歳ではなく16歳またはそれ以上の可能性もあります。あまり年齢が高くなりすぎると、正当な理由が無い限りは内申点などで減点され合格が難しくなるでしょうが、裏を返すと、1年の浪人なら、そうではないわけです。

また、私立大学への指定校推薦などの募集要項にも、年齢制限は無いのです。この穴をつつくと、やりようによっては、いろいろと出来てしまいます。ハッキリ言って、制度をつくった文部科学省の官僚と政治家がすこし、頭が回ってないようです。

地方の小規模校の欠点[編集]

地方の極端な小規模校では、普通科でも、数学IIIや物理II(いわゆる、現在の専門『物理』)といった高度な理数系科目が開講されていなかったり[7]、古典講読などが開講されていない傾向もあります[8]。数学IIIなどは高校必修ではないのです。

ほか、雑多なこと[編集]

高校の男女別学と私大の男女比[編集]

日本の戦前の大学は、男子しか通えなかったので、男性のほうが大学生の多めの時代がありました。

そこで少なくない私立大学のいくつかが、近年、手っ取り早く自大学の男女比を均等にしたいことから、女子高からの推薦枠を多めにしています。けっして、女子高の学力が伸びているというわけではありません。マーチや関関同立などの私大がすでにそう行動しています。

マスコミが無責任に「女子高校の学力が伸びている」とか言うかもしれませんが、そういう問題ではなく、政治的な問題です。


地方の共学の公立高校に人にとっては、たまったものではありません。

さらに地方人には不愉快なことに、女子高が多いのは、東京・神奈川や、京都・大阪といった地域の話であり、それも私立高校の話です。たとえ首都圏の私立でも、千葉・埼玉の私立は共学が多いために偏差値の割には比較的に冷遇されています。千葉・埼玉にとっては、人口が多くて競争だけは厳しいので、たまったものではありません。

結果的に、早慶マーチは、東京・神奈川の私立の女子高を優遇しています。早慶マーチの文系学部は「多様性」の尊重みたいな理念のフレーズを言いますが、しかし東京の難関私大の考える「多様性」と、地方公立高校および各地の教育委員会の考える「多様性」とは別物です。「多様性」という言葉の中身そのものが多様であり、組織によって、どのような「多様性」を重視するかが千差万別です。

結局、都合の良いときだけ東京に頼る地方の発想が、根本的に成り立たないのです。「高福祉・高負担」の原則と同じです。

共学と男女別学[編集]

戦前の日本では、中学校以上からは男女別学でした。このため、公立高校のうち、戦前から存在する高校は、今でも男女別学な高校が北関東を中心に21世紀でも残っています。

また、日本人の伝統主義的なブランド志向からか、公立高校では戦前からある古い高校ほど偏差値が高い傾向が多いのですが、上述のように戦前の高校教育は男女別学だったので、したがって昭和の時代までは、公立高校で偏差値の高い高校は男女別学の傾向がありました。

しかし、平成になり、男女共学化が各県で進み、令和の今では、北関東などの一部の地域を除き、ほとんどの公立高校が共学になっています。(ただし、国立の高校には、男女別学が残っています。たとえば、筑波大付属駒場は男子校です)

このため、もう全国的に統計を見ると、公立の男女別学の高校は1%くらいしか残っていません[9]

なのにインターネットだと、統計を無視した頭の悪い評論家がチラホラいて、まるで日本各地に男子校・女子高の公立高校があるかのような言説で、「子どもたちの選択の自由をうばうな!」みたいな事を言っている頭のわるい評論家もいますが、しかし既にもう北関東以外では男女共学しかないのが実態です。

2003年度に福島県、2010年度に宮城県ですべての県立校が共学化しており、もうこれらの地域では男女別学の県立高校は残っていません[10]。なのに評論家のなかには埼玉県の男子校・女子高を擁護しようと「選択の自由」とか言い出す頭のおかしい評論家もいますが、しかし福島県や宮城県の人は埼玉県の公立高校には通えません。

2023年の時点で、今も別学の公立高校が残っているのは、埼玉のほか、群馬(12校)、栃木(8校)、宮城(1校)、千葉(2校)、和歌山(1校)、島根(1校)、福岡(2校)、鹿児島(5校)だけです[11]

男女別学が良い悪いの問題ではなく、「一部の評論家の、論拠がとてもおかしい(もう共学しかない地方が多いのに、選択の自由を根拠に「埼玉だけ男女別学を残せ」と主張している)」、「論拠のおかしい評論家を支持する、知識の欠けている支持者が少なくない」という話をしています。基本的な統計を無視している頭の悪い人たちの意見は真に受けてはいけませんし、そういう頭のおかしい評論家の支持者も頭がおかしいので、身の安全のため、あまり付き合わないほうが良いでしょう。

どうしても男女別学の必要性を訴えるなら、けっして一部の地域住民にしかメリットの無い「選択の自由」(?)を主張するのではなく、たとえば「比較対象としての実験校になる」とかそういう事を言わなければなりません。あるいは、そんなに選択の自由を主張するなら、男女別学だけ例外的に学区を撤廃して日本全国から生徒を募集するとか主張しないと、他県の選択時を無視しており理屈が通りません。あるいは、「各県に男女1高校ずつだけ男女別学を設置すべきだ」とか主張しないと理屈が通りません。

なのに、埼玉県の公立男女別学の生徒の意見だけを聞いて男女別学のありかたを考えるとか、他県の受験生の選択肢を無視していて支離滅裂だし、こんな事にも気づけない時点で、残念ながら男女別学の思考レベルは低く失敗していると言わざるを得ないのが実情でしょうか。

ネットには、男女別学の支持者も反対者も低レベルな意見が多く、たとえば(統計無視→)「男女別学に行きたいなら、埼玉県民は私立に行け」とか、統計を無視したデタラメな意見もまかり通っています。

しかし実際の歴史では、埼玉県の私立は、もう1980年代のベビーブームの時代から、ほとんど共学ばかりです。埼玉では公立の進学校は男女別学が多く、私立は進学校でも男女共学、という傾向が歴史的にあります。これはちょうど、昭和の東京の高校が、公立進学校は比較的に男女共学が多く、私立は男女別学が多い、という対比の逆になっています。

少子化とは関係なく、もとから埼玉の私立は1980年代ベビーブーム時代から男女共学が多いのに、「少子化で共学が多くなった埼玉の私立」みたいな東京都と混同している意見もあり、もうインターネット上はデタラメな意見だらけです。

ろくに受験勉強もしなかった大人による知ったかぶりの言説で「学業は共学より男女別学のほうが良い」みたいなバカげた言説もありますが、そういうのは埼玉県の私立の共学で偏差値のとても高い栄東(さかえひがし)高校とか開智(かいち)高校とかの進学実績を見てから言って欲しいものです。「理系なら男女別学」とかいうバカげた言説もネットにありますが、まあ「栄東と開智の進学実績でも見ろ」で瞬殺できるバカ言説です。

ただし埼玉県の場合、私立高校よりも公立高校のほうが合格先の偏差値が高いという傾向があります(東京とは違います)。

なお、大学合格率を見る際の注意として「公立高校からの大学合格率は浪人生が多い」と言っておきます。特に、東大・京大などの難関大学を狙う高校の場合、現役合格率が3%とかで、2浪とかがザラです。特に男子校はこの傾向があります。このため、(東大や国公立に限らず)医学部を狙う人は、現役合格率の高い私立を目指す高校があり(医学部は面接で年齢の若さを見られるので)、実際に埼玉県では栄東などがそういう私立になっています。


さて他県では、部分的には男女別学が残っている県でも、家からとても遠いなど、事実上、通える地域ではありません。

まあ、男女別学の校舎を共学に作り替えると、トイレの増設などの工事も必要になるので、仕方ないのかもしれません。

ほか、部活動に部室も共学になると男女別々に必要なのが、けっこう敷地的に負担です。


なお、私立でも同様であり、東京や神奈川のように戦前から私学の多かった地域では、私立で高偏差値な高校は男女別学な傾向があります。

たとえば戦前からある慶應義塾高等学校(慶應日吉高)は男子校です。早稲田大学高等学校も男子校です。いっぽう、慶應義塾湘南藤沢高校は1990年代に設立されたので男女共学です。

ほか、「男子御三家」(開成・麻布(あざぶ)・武蔵)、「女子御三家」(桜蔭・女子学院・雙葉(ふたば))なんて言葉もあります。

また、戦前からある古い私学は、校舎が歴史的建造物になってしまっていたり、そういうのもブランド化しているので、簡単に建て替えるわけにもいきません。

高度成長期などの校舎の立て直し

戦前から続くような伝統校でも、実際は建築の立て替え工事を何度もしています。たとえば、戦前からの木造校舎を解体して、戦後の高度成長期や昭和末期とかに鉄筋コンクリートに立てなおしたりしています。立て直しなどの際に、校舎の位置も微妙に移転しています。たとえば、校庭だった場所に新校舎を建てて、校舎だった場所が新校庭になったりとか。

建築史でも、関東大震災を機に、それ以前は木造だった校舎が、震災後は鉄筋コンクリート造になっていった歴史が、都心ではあります(地方はどうか知りません)。


私学は自分たちのカネで運営されてるから良いとして、公立に関しては正直、終戦期にGHQが共学化を原則とするとか言ってたのにかかわらず、昭和も平成も過ぎて2020年代になっても何の手も打ってこなかった低予算の公立高校およびそれを抱える自治体は、ちょっと時代を先読みする能力がアレです。

なお、私立大学は学校によっては何度も移転しています。たとえば法政大学の理工学部は、もともと東京の麻布(あざぶ)にありましたが、現在は東京の東小金井(ひがしこがねい)です。法政大に劣る知名度しかもたないくせに「伝統と格式」とか言ってお上からの共学化とか移転とかの方針に反対している公立高校の卒業生といった地元住民を抱える自治体、国からの税金頼みの住民を抱える自治体は、ちょっとアレですね。


ほか、男女別学の擁護(ようご)の意見で、よくある評論で「男女別学のほうが、女子がリーダーシップを発揮しやすいなど、教育に良い」とか言うのも、一見すると論理が通っていそうですが、しかし、すでに日本の公立の小学校・中学校は日本全国で共学です。高校の男女別学を主張する前にまず、「公立中学校で男女別学の再導入をせよ」とでも主張するべきでしょう(戦前は中学校は男女別学だったので「再」導入)。それに気づけない視野狭窄も、とてもアレです。

あるいは「義務教育の子供には男女別学は相応しくない」として高校以降を区別する論法なら、だったら大学も義務教育ではないので公立大学や国立大学で「男子大学」を主張しないと(国立の女子大はすでに「お茶の水女子大」や「奈良女子大」があるので男子大学を追加しないといけない)理屈が通りません。

あるいは、もし反論として「大学は女子差別是正のアファーマティブ・アクションの一貫で、国公立の男女別学は女子大だけでも良い」というなら、だったら高校の男女別学もそのアフォーマティブ・アクションにより男女同数である必要はなくなってしまい女子高だけ多くても問題なく、したがって公立男子高校の共学化の論拠になってしまいます。

上記の程度の、ちょっと考えれば気づく程度の意見を無視した言説が、ネット上にはあふれており、「プロ」を自称する評論家ですら、この程度のことに気づかない、あるいは気づいて意図的に無視しています。そういう頭の悪い評論家も多いので、ネットの言う教育評論などは真に受けず、中高生は受験勉強をしましょう。

じつは公設民営の私立高校がある[編集]

ついでに言うと、昭和の千葉とか埼玉とかは高校不足だったので、1970年代ごろ、そこらの県が私学を誘致しています。上述の芝浦工大の千葉の付属校も私学ですが、実態は県の誘致した高校です[12]

昭和のころ、インフラ的な施設の建設では、「公設民営」とか「第三セクター」とか、昭和の当時、中央省庁の官僚がアイデアを考えて、民間と役所のカネで実施する、というのが昭和の半ばころ流行しました。(当時は今よりも中央省庁の権限が強かった時代です。)今では「公私協力」とも言います。

現代でも、大学ですがw:公設民営大学の私立大学とかあります。例として、もう公立化されましたが、山口県にある山口東京理科大学がその典型でした。w:公設民営大学

悪口で「私学は金持ちのバカが行くところ」とか言ってる人は、こういう歴史がよくわかってない馬鹿なので、相手をするのは時間の無駄だと思います。


政府は責任をとりたくない

「国が学校教育の新しいアイデアを試したいなら、単に実験校を増やせばいいだけでは? 既存の公立高校と教育大の教育学者に、もっと教育実験の任務を与えればいいだけでは?」とか、あるいは「政府の財政負担を減らしたいなら、国公立の高校の学費をあげればいいだけでは? または既存の国公立の学費の過半数はそのままでもいいから既存の学費の低い公立高校とは別に、いちぶの公立高校だけ学費を私学の学費の半分くらいになるまでアップして(国立大の学費が私大のおよそ半分だす)、学費の高い新種で別種の公立高校をつくればいいだけなのでは?」とも思いますが、まあ、国会での与野党のくだらない質疑応答を減らしたいのでしょう。私学のような民間のやった事にすれば、野党はいちいち口出しをできませんし。

公立高校の教職員は公務員ですので、労働問題とか、いろいろと面倒なのです。(公務員は原則、ストライキを出来ません。なお、労働組合活動は可能であり、日教組(にっきょうそ)という組合が有名である。)

高校生の論文は文系分野ばかり[編集]

基本[編集]

(※ どっちかと言うと、下記の記事は総合学習のページのwikiに書くほうが適切かもしれません。)

一部の私立高校で卒業論文など論文を書いていたり(2年生で論文風の作文を書くこともある)、国公立でも一部の高校で論文を書いていますが、分野は文科系の分野がほとんどです[13]。例外としてスーパーサイエンスハイスク-ルの指定を受けるような設備の充実した高校でもない限り、理系の実験は難しいのが現状です[14]。近現代の経済などが、比較的に書きやすいでしょうか。

基本的には、社会科学系の分野です。

なので、最初から高校の文系教科側にカリキュラムとして論文執筆を組み込む私立高校もあり、たとえば私学の麻布(あざぶ)中学・高等学校がそうであり、地歴・公民公民の科目に論文カリキュラムを組み込んでいます[15]

なお、大学入試側も、高校の探求が公民科目に寄っているのを反映してだろうか、一部の文系学部の入試科目から歴史科目を外す動きもあり、早稲田大や青山学院大学ですらそのような入試改革の動きがあります[16]。おそらく、偏差値上位の私立高校で探求を頑張れる優秀な学生をゲットしたいのでしょう。


書籍名などで「論文」と題されることもありますが、実際には、埼玉県立浦和(うらわ)高校の場合、出典など多少の裏付けのある文集や紀行文なども混ざっています[17]。まあ、論説文であることには、変わりありません。一言も「学術論文」とは題されていませんし。「総合的な学習の時間」(2023年の現代は「総合的な探究の時間」)などの時間を、それらの論文・作文などの執筆や調査に当てている事もあります[18]。ただまあ、紀行文といっても、けっして旅行先は単なる国内観光地とは限らず、国費での海外語学研修での米国大学あたりの訪問記とかの紀行文とかだったりする高校生もいるので、世間一般の旅行の紀行文のようなものとは区別したほうが安全だとは思います。基本的に、学問的に読む価値のありそうな文章であることが求められるとは思います。

なお、歴史の論文は、とても難しいので、(感想文などではなく)学術的な論文としては避けるべきです(史実の確認はとても難しいので[19])。


中央大の付属高校いわく、

論文のテーマ(問い)は、「えっ。こんなに小さな問題でいいの?」と思うくらいに絞り込むこと。漠然とした問いは、いつまで経っても書き出せないか、概論を述べるだけで終わってしまう。論文を読んだ人に、「ふむふむ。それで?」と言われてオシマイ。

です[20]

神戸大の付属高校でも、説明画像「良い問いの条件とは?」で、「すぐに答えが出る問いではないか?」と釘を刺したうえで、

さらに、

「しかし、1年ぐらいで答えが出る程度に小さい問いか?」

と述べています[21]

神戸大付属校が言うには、高校生のする研究論文にとっての「良い問い」とは、1年間つづけられるほどに「やりたい」、高校生でも「できる」、社会がその研究を支持してくれそうなほどには「意義がある」の3本が必要です。まとめると、

  • やりたい
  • できる
  • 意義がある

の3本です。


さて、参考文献として読む本の冊数は、たとえば『浦和高校論文集』の論文をいくつか見たのを例にすると、一般の大人向け(ここでは「高校卒業者むけ」という意味)に書かれた本が10冊~15冊ていどです。そのうち、大学教養レベルの教科書が1~2冊もあれば十分でしょう[22]

参考文献のひとつとして、アメリカなど海外で使われている教科書の和訳を読めば(たとえばマンキュー経済学[23]など)、国際的に通用する議論になるので、お得です。

和訳さえている本を読めば十分であり(英語の原典・原書に当たる必要は無い)、そもそも高校の先生にその翻訳を確認するだけの時間がありません(もし先生が英文和訳の添削ばかりしてたら、先生が過労になってしまいます)。なので、日本国内で先行研究のあるテーマを選ぶことになるでしょうか。

なお、(基本的な教科書を除くと、)参考文献リストの載ってない本は、先行研究とは言えません[24]。なので、メインに使う本には、参考文献リストが載っている本を選びましょう。

今までの議論の前提として、先行研究がある程度は存在しているテーマを研究するのがコツです[25]。高校レベルだと、そうしないと卒論を書くのが難しいでしょう。

また、客観的データを自分で入手できるテーマに限ります[26]。このため、最近の流行の調査とかは、客観性がとぼしく、論文としてはテーマに不適です。


また、参考文献は変わりますが(文献名は忘れました)、現在始まったばかりの流行は、基本的には評論などを行わないのが、評論の業界でのマナーです。たとえばテレビで放送開始したばかりのドラマとアニメとか、基本的には放送開始から半年~年内には論文などでは大々的には論評してはいけません。なぜなら、論評そのものが作品の評判に影響を与えて変化させてしまうので、観察対象がその論評のせいで変化してしまい、業界全体での客観的な研究ができなくなってしまうからです。具体的な参考文献名は忘れたのですが、1990年代後半に同人サークル「と学会」(オカルト本を研究している同人サークルのひとつ)が、市販の書籍でそう述べていました。

放送開始から1年程度の月日が経って、ようやく、評価が確定してきてから、論評を開始しないといけないのです。

比喩を言えば、バードウォッチングで鳥を観察する人は、基本的には、鳥に気づかれないように観察しなければなりません。

なのに、先行研究の少ない分野を研究しようとしている人は、たいてい、こういう基本マナーが分かってない人なので、もし自分がそうだとしたら、反省しましょう


あと、卒業論文とかにもし放映中のドラマとかの研究を書いてしまって、卒業後にもしそのドラマの俳優が麻薬所持とかで逮捕されたら、製本された論文集、どうするんですか? 論文を撤回しようにも、卒業アルバムと同様に卒業論文集も製本されて卒業生の共通の思い出のメモリアルになっているので、もはや撤回できません。

卒業後に改訂版を出せないので、もっと慎重な先行研究の多めのテーマを選んでください。

そういう新しいテーマは、卒業論文ではなく、雑誌論文とか、大学教員になったら紀要(きよう)とか、個人の書籍とかブログでやってください。


比喩的に言えば、卒業論文集は個人の所有物ではなく、半分は、卒業生一同の共有物のようなものです。


こういうふうに、最近の人気マンガだとか芸能だとか現代の若者などの流行分野を研究するのは、とても難しいのです。

これはつまり、ネットの匿名掲示板とかで放映中の作品などを議論している人や、そのような評判を参考に作品鑑賞している人は、上述のような意味でも、あまり信用しないほうが良い、という意味です。論評の基本マナーを知らないほどに論評のレベルが低くて頭わるい馬鹿のくせに「自分は頭がいい」と思っているという、自己の心の病の病識(びょうしき)に欠ける人です。

残念ながら、作家でもこのような基本の分からない人が存在します。志望業界の若手にそういう低レベルな作家の多い業界の場合、これから衰退していく業界でしょうから、志望先を変えるのが良いでしょう。

今は盛り上がっていても、若者のレベルを見れば、これからが分かります。俗に「ピークアウト」と言う言葉があり、その時点では盛り上がってても以降は低減していく現象のことを言います。


だから学校の図書室に新刊の本の購入をリクエストする場合でも、あまりにも新しすぎる本の購入だと、売上を下げる営業妨害になりかねないので、図書室での購入を断られる場合もあります。特に小中学校の義務教育で、そのような傾向があります。

なので、ともかく先行研究を無視して「どんなテーマでも」と言うのは、無理なのが実情です。実際、教育学の論文『高等学校段階における卒業論文カリキュラムの検討』(大貫眞弘・竹林和彦 共著) P.179によると、下記のように問題点が指摘されているのが現実です。

また、多様なテーマに対応するだけの蔵書数は、高等学校の図書館にはない。大学附属校で高校生も大学図書館を使用できる状況であればいいのだか、多くの学校はそのような状況にはない。公立図書館の利用や高大連携による大学図書館の利用も紹介されているが、情報の宝庫である充実した図書館が、すぐに利用できる校内に設置されているか否かは大きな問題である。

[27]


なお、論文は文章の長さよりも質が重要であり、6000字でも内容がシッカリしていれば高校論文としては問題ありません[28]。16万字とか書く必要はありませんし、そもそも長すぎる論文だと先生が過労になってしまって読み切れません。高校2~3年生の16万字×40人×担当クラス数(たとえば4学級)=2560万字のレポートなんて、どこの高校でも先生は読みたくありません。

なお、『浦和高校論文集』によると、浦和高校の卒論は2万文字が目安らしいです[29]

このように学校によって、字数の相場は違います。

そのほかの卒論のある高校は、

筑波大学附属坂戸高等学校や東京大学教育学部附属中等教育学校、名古屋大学附属高等学校など。

私立なら、早稲田大の付属校や、専修大学附属松戸高等学校など。


これに関して、マーチの大学付属校は実質的に文系重視です。いちおう理工学部もありますが、付属校の生徒からは敬遠されています[30]


同一テーマに関する複数の文献を比較

ほか、高校レベルの論文を書くための文献の冊数として、5冊~10冊以上を読むのが基本です。どこの上述の高校も、そのくらいの冊数の本を、論文執筆のために読ませています。(ただし、エッセイとかを書く場合は別。)なるべく同じテーマの本を読む必要があります。

1940年代に欧米で提唱された「シントピカル・リーディング」という読み方がこれに近いのですが、しかし1940年代のことを21世紀の2020年代に当てはめるのには無理があります。なので、あまり、この読書法の用語には、こだわらないのが良いと思います。

北里大学(付属高校とかではなく大学本体の某・研究室)によると、「シントピカル・リーディング」とは、同一テーマに関する複数の文献を比較し、結果や考察の相違点を調査する読書法です[31]。なお、syntopical とは、『本を読む本』(How to read a book )著者のM.J.アドラーの造語です。

ともかく、研究的な内容の文献調査は、もはや文献の内容が完全に正しい保証は無いので、決して1冊の本を鵜呑みにしてはいけません。

もちろん、単に書籍数の多数決で真偽を判定、なんてのも論外です。高校生には論文に使える時間に限度がありますが、高校生なりに、ある程度は検証しましょう。

仮説思考[編集]

中央大付属の場合、論文を書く際、あれこれと文献をいくつも集める前に、「たぶんこれはこういう仕組みだろう」的な、仮説として仮の「答え」を用意しておきます[32]

ほか、立教池袋高校の卒論では、2年生のうちに仮説を提唱させ、3年生でその仮説を検証します[33]

なにも中央大だけの独自見解ではなく、高校の理科の教科書の巻末にある「課題研究の仕方」みたいな章を読んでも、同様に仮説やモデルの設定などをせよと書いてあります。つまり、別に文系のテーマだけでなく理系のテーマの場合でも同様に、仮説やモデルを設定する必要があります。

※ なお、「モデル」とは、けっして美人とかのことではなく、理論の「模型」(model)という意味。「少々の誤差はあるが、おおむね減少の仕組みを、簡潔に説明していると思われる理論」のことをモデルと言います。(詳しくは高校の情報科で習います。)

ともかく、中央の場合、たとえば、「自転車と歩行者のあいだの交通事故を減らす方法を見つけたい」という問いなら、とりあえず仮の「答え」として、「自転車の利用者のマナーを向上させる」のような仮説を用意するのです。

もちろん、まったく文献調査やアンケート調査もしてない段階なので、この答えが正しい保証はありませんので、あとで答えを修正することになる可能性もあるかもしれません。

ですが、まずは仮の答えを用意します。また、そう思った「根拠」を文中で提示します。で、これをあとは時間の限り、警察などの客観的な統計とか調べたり法律を調べたりとか、さきほどの仮説や根拠の妥当性を検証していきます。

もし自分の仮説が間違っていそうだと思ったら、その時は単に論文のその箇所を直せばいいのです。

完璧な仮説はNGです。仮説は修正していくものです。

「仮説が間違っていると分かった」のなら、それは研究が進展して、仮説が反証されたという事ですので、良いことです。「仮説がこれこれこういう実例により正しそうである」という立証だけでなく、反証もまた、検証の一種です。

仮説が無いと、そもそも立証や反証の対象物が無いので、なにも検証を進められず、研究の深堀りが難しくなります。


なお、論文にかぎらずビジネスでの営業や企画などでも、まずは仮説を用意します。これをビジネス用語で「仮説思考」と言います。

言い回しは業界によって違いますが、考え方は似ています。

ビジネスの世界では、時間が限られているので、漠然と何でも事前調査するという事は、不可能です。なので、とりあえず仮説を立てて、その仮説を少しだけ検証して、あとは実際に活用しながら修正していきます。


仮説思考によって、本当に解くべき問題が何なのかが、明確になります[34]

この方法に文句をつけてくる学者や教員がいたら、ビジネスの出来ない人なので、あまり相手しなくていい。例外として、数学とかの完全な論理性や、あるいは医療とかの極度の慎重さが要求される分野とか、国会の立法とかでない限り、仮説思考で良い。

Quick and Dirty(クイック・アンド・ダーティ)といって、「汚くていいので、さっさと進めろ」みたいな意味の言葉が、ビジネスやソフトウェア開発などの言葉であります。

とりあえず、精度は低くていいので、仮説・根拠のセットを提示するのが先であり、とりあえずそのセットの検証を始めていくのが先です。

問題解決ではない[編集]

論文を書くなどの研究は、「問題解決」型の学習ではありません。現状の問題点を見つけて、それを検証、深堀りなどをして「解明」するのが、「研究」です。そもそも解決していないから、研究テーマなのです。社会問題など、一個人での解決は、無理です。時間も予算も、解決するには、大幅に不足しています。

大学などで行われる文科系の「研究」の多くは、良くも悪くも、問題点を見つけて深堀りするだけです。

もし解決策が思い浮かんでも、実際にその解決策を実行して事態が好転しても、それを現状の社会の「問題点」を明らかにして解明するという形の文章に変換しないかぎり、論文にはなりません。

正直、「問題解決」とは、論文は相性が悪いこともあります。問題解決ばかりしている暮らしの不足を補うための論文、とでも言えばよいでしょうか。

それどころか、大学評論家によると、大学の文科系学部の伝統的な授業内容ですら、教育内容が問題解決につながっていないのが実態だと報告されています[35]

読書の方法[編集]

論文を書く際の読書の方法として、当然ですが、関連するテーマの本を、何冊も読みます。高校によって要求される冊数は10冊か20冊か、差がありますが、ともかくそのくらい読みます。

この際、同じ著者の本ばかりを読むのではなく、なるべく別々の著者の本を読みましょう。


さらに、自身の確認した体験などを通して、検証します。

これを Syntopical Reading と言います。高校生くらいになったら、こういう読書が求められます。卒業論文などを描く際の読書も、このレベルでしょう。

『本を読む本 読書家をめざす人へ』 (1978/1/1、モーティマー・J・アドラー (著), チャールズ・ヴァン・ドーレン (著), 外山滋比古・槇未知子訳 (著) )にそういう話題があるらしい。


普段の読書でも、同じテーマの本を、別々の著者で、いろいろな視点で読んでおくと、論文や研究につながりやすくなります。

本に書いてあることの要点を把握するだけなら、中学生レベルとのこと。その本だけを鵜呑みにすればいいのですから、とりあえずの要点の抽出は、そんなに高度ではありません。

私立のあれこれ[編集]

私立高校の地元推薦枠[編集]

推薦されても絶対合格ではない

地元枠にかぎった話ではないですが、そもそも推薦入試は必ずしも「絶対合格」ではないです。私立の偏差値の高めの高校の地元枠の場合は、あくまで推薦されたらそれ以降の試験は低倍率で合格しやすい(なぜなら遠隔地から受験マニア家庭の中学生が押し寄せないので)だけです。私立高校の場合、推薦入試でも5教科の学力検査を行う場合もあります[36]。なので、推薦をもらえても受験勉強はシッカリと続けましょう。

特に21世紀では、ブランド的な私立高校は付属中学をもっていることが多く、このため募集人員が生徒数に比べてかなり少なめなので(たとえ1学年8学級の約320人であっても、4学級ぶんは付属中学からの内部進学なので、残り4学級ぶんの160人のなかを目指す競争になる)、推薦入試といえども難関です。なので油断せず受験勉強しましょう。

私立の土曜授業[編集]

多くの私立の中高で、土曜日には授業があります。(公立だと、土曜日の授業が無い場合や、隔週などの場合もある。)

ほか、部活の大会などの行事が土曜日にある場合もあるので、公立高校では大会などのスケジュールとの兼ね合いから、土曜授業を行わない高校も一部ではあります。

なお公立の場合、進学校で土曜日を休んでいて週5日制の場合は、土曜休みの代わりに、夏休みや春休みが短いなど、そういう負担があります。

公立の場合、大会などで日曜日に活動させた場合に振替休日が必要になる場合もあるので、それを嫌って土曜授業をしない場合もあり得ます。

もっと言うと、進学校の中には、そもそも部活で大会やコンクールなどに出たがらない高校も、公立でも私立でも、あります(土曜日の授業時間が減るので)。


どうしても私立進学校が土曜日にも学業を教育したい場合、土曜日に提携する予備校などのビデオ教材などでの復習中心の講習をする場合もあります。これなら、高校の教師も休めるし、生徒には復習にもなるし、いいことづくめです。

また、私立高校の中には、教科書のほかにも予備校などの教材や参考書を使っている学校もあるのだという事に気づきましょう。


ほか、一部の私学では、定期試験の回数を年2回に減らすというテクニックもあります(1年間を前期/後期の2学期制に分け、それぞれの学期の期末試験のみ)。これなら、テストのために授業時間が減る量を半減できます。

附属中学校の方針が事実上の方針[編集]

私立の多くの中高一貫校では、付属中学の中学受験の影響を受け、高校側も学力重視の文化に変わっています。

このため、平成に付属中学が新設された中高一貫校の場合、付属中学をもたなかった昭和のころの教育方針と(たとえば体育重視の文化だったり)、現代の21世紀の令和の教育方針とは、まったく別物に変わっているのが実態です。

たとえば、仮に、ある附属中学校の入試方針なり授業方針が「学力重視」だったとして(実際にはここまで明言しませんが、説明の簡単化のため、そう仮定する)、その併設の高校の方針が「文武両道」の場合、基本的に事実上の高校の方針は学力重視です。よほど強固に高校側で文武両道を推進しているのでもなければ、付属中学の方針が正体です。

このため、たとえ建前上は高校の教育方針を変えていなくても、平成時代に附属中学校が新設されれば、その附属中学校の方針が事実上の高校の方針へと変わっています。

基本的に、中学入試では部活などは評価されず(というか、小学校の場合は週1日ていどのクラブ活動)、このような背景のため、ともかく付属中学の影響を受ける多くの私立高校は、高校側の実態がかなり学力重視の方針に変わっています。

中学受験をする子供の場合、お稽古事で楽器や女子なら華道・茶道などを習っている場合がありますが、私立中高の部活でも、スポーツよりもそういうお稽古事になりそうな文化部っぽい部活のほうが現代はさかんだったりします。マスコミだと、甲子園などスポーツの話題ばかり出ますが、しかし、もうそういうのは中学受験した内進生の関心事ではないのです。例外として、スカウトで少年野球リーグの有望選手を特待生にするような一部のスポーツ中高一貫校でもないかぎり、スポーツはもう私立中学受験生のリアルな関心事ではなくなってきているのです。


さらに令和の現代では、べつに特には「学力重視」「大学受験重視」をパンフレットで謡ってない(うたってない)ひかえめな付属中学ですら、中学3年生の国・英・社の授業ですでに高校1年の教科書の範囲に平然と入っていたりします。このため、進学先である高校側も、付属中学の進度の速さの影響を受けるので、ますます高校側の学力重視の方針への変化に拍車(はくしゃ)を掛けます。

つまり私立の中高一貫校の分析の場合、高校の情報だけを入手するのではなく、中高一貫校は、中学受験の影響を受けているという事も意識して、パンフレットなどにある建前ではなく実態としての教育方針や教育実態を分析する必要があります。これが、公立高校の分析には無い、私立独自の分析テクニックの一つです。

高大連携[編集]

高大連携とは

「高大連携」といって、主に進学校の高校では、たとえば、高校生でも提携先の大学教員による特別授業をいくつか受けられたりする事が、令和では行われています。かつては「高大接続」改革などとも言いました。

主に、私立大学が、このような高大連携を主導しています。

いっぽう国公立大では、おそらく他県受験生への配慮や、平等性などの問題からでしょうか、あまり踏み入った高大連携を行わないません。


「高大連携」には高校生むけの教育のほかにも、その大学のある県内の高校教員むけの研修会などを主催している大学もありますが、当ページでは教員むけ研修会については省略します。

この節では以下、主に、高大接続改革としての「高大連携」について解説します。


指定校推薦などとの関係

私大との高大連携が進んだ結果などによりて、現代では(2024年に記述)、大学への指定校推薦とは別に、「高大連携」と言われる取り組みがあり、高校時代に大学の授業を聴講できたり履修できたりします。

指定校推薦とは別なので、必ずしも推薦がもらえるわけではありませんが、まあ、知っておくと有利でしょう。特に文科系の学部を志望する場合、大学受験でのAO入試とか自己推薦入試などのアピール材料にもしやすいでしょうし。(ただし理系大学の場合は教育内容の特殊性もあり、あまり推薦系の入試はおすすめしません。)

堂々と、高大連携による推薦枠がある方針だということを明言している私立大学もあり、たとえば順天堂大学がそうであり、(高校の)校長推薦の枠がある方針です[37][38]

なお私立の順天高校は、順天堂大とは名前が似ているだけの、まったく別々の学園ですので、決して混同しないように。


指定校推薦どうこうの可能性は、あくまで私大の話です。

なお、国公立大による「高大連携」というのもあるのですが、しかし国公立大の「高大連携」の特別授業は、基本的に推薦などは関係ありません(そもそも国公立大受験では、指定校推薦の制度が無いです)。国公立大の高大連携の特別授業は、建前どおり、単なる授業でしかありません。


協定校

私立大学が高大連携などを名目に、指定校推薦の枠を拡大したものを「協定校」と言います[39]

ほかの同じ偏差値帯の高校よりも、協定校の高校には多くの推薦枠が与えられています。

傾向として、私立高校と協定を結んでいることが多いです。

ただし大学によっては、協定校相手でも、それほど大きな推薦枠は与えない場合もあります。たとえば、3名とか5名とかの枠しかない場合もあります(ただし他校はもっと低い)。付属校のような数十名~百名以上のような大きな推薦枠は期待できない場合もあります。

2名の推薦枠が5名に拡大したとしても、たった3名の増加でも「協定校」です。実際に1ケタ台しか推薦枠が与えられていない協定校の高校もあります[40]


もし将来的に進学したい私立大学の文系学部がある場合、付属高校の合格が無理なら(偏差値が届かない、遠い、など)、提携校の私立高校を狙うという方法もあります。


このように、もう高校の志望校選択の時点で、現代では私立大学受験は始まっているのです。

私立大学受験は、偏差値55以上の多くの私立大学では、もはや指定校推薦が5割近くになっており、残された一般入試の枠をうばいあう競争になっています(しかも競争相手には浪人生もいる)。

偏差値50以下とかの定員割れの私立大学でも、決して指定校推薦をしてないわけではなく、指定校推薦をしているうえで単に受験性が集まらないだけに過ぎません。


提携高校の傾向として、偏差値が高めで、大学の立地に比較的に近めの高校が多く選ばれています。大学から遠いと、大学教授が出張するのが大変になってしまいますので、なので出張しやすい近隣の私立名門高校とだけ提携を結んでいたりします。

なので早い話、もしアナタが東京の偏差値の高めの私大に将来的に進学したいなら、もう高校受験の時点で東京に上京できる(もしくは生まれた時から東京在住の)家庭が有利です。


あるいは、ある大学と教育理念などがとても似ている高校が提携高校に選ばれている場合もあり、典型的なのがキリスト教系の大学・高校との提携です。ほか、たとえ、いちいち高大連携の協定を結んでいなくても、キリスト教系の私立大学には、キリスト教系の私立高校からの推薦枠があります。


所得水準のつりあわない高大連携について

やたら学費の高い私大医学部と、地元の公立高校との高大連携は、あまり指定校とかAOとかを期待しても意味ないでしょう。高校受験の段階でいちいち大学の学費まで調べる必要はありませんが、公立高校にしか行けない家庭に、学費の高い私立医学部などに行ける経済力があるとは思えません。

せいぜい、大学内の実習室を案内させられて見学させてもらえて大学教員による説明も聞けるとか、私立医大とかとの「高大連携」の内容はその程度だろうと思います。


私大付属校の他大との高大連携

私大付属高校でも、他大と高大連携をしている高校も多くあります。たとえば順天堂大学は、ほかの大学の付属高校とも高大連携をしています[41]。順天堂大学に限らず、他大も同様です。

またこのように、決して一つの大学としか連携できないわけではありません。地方だと一つの大学しか連携できない公立高校もあるかもしれませんが、しかし首都圏の私立の高偏差値の高校の場合は、特にそういった制限はありません。

高大連携の授業についての注意点[編集]

地域差

高大連携には、地域差があります。大学教授は、近隣の高校にしか出張できません。大学校舎が近い場合なら高校生側が大学訪問をする場合もあります。

決して、全国共通ではありません。このため、国公立の大学入試には基本、高大連携の内容は出ません。

私大はどうか知りませんが、基本的に高大連携は大学で習う内容に入るので、基本的には大学入試には、そのままでは出ません。そもそも大学の授業が、入試問題には、そのままでは出ません。


大学ごとの差

地域が近くても、連携する大学ごとに高大連携の授業や講義などの内容は異なります。学部によって異なる場合もあります。


定員がある

高大連携には定員があります。大学教授が面倒を見れる高校生の数には、限りがあるからです。なので、高校進学後に希望しても、必ずしも高大連携の授業などを自分が受けられるとは限りません。まあ、留学とかも同様で、自分がそれを認められる保証はありません。

本来、大学側で大学生の面倒を見ているのに、それに加えて、さらに高校生の面倒も見ているから、大学教員の負担は大きいのです。


教育効果は未保証

さて、大学の授業と言うのは、必ずしも、どんな若者にも教育効果が高いという保証もありません。

そもそも大学教育というのは、そういった万人(ばんにん)への教育効果の保証がないからこそ、だからこそ高校の普通科からは切り離して大学など別期間で教育を行っているのです。

また、そもそも教育効果がどんな若者にも校歌の高そうな最新の理論や知識などがあるなら、文部科学省や教科書会社などの手により高校教育に取り入れらます。文部科学省はそれに気づかないほど、愚かではありません。だからこそ、学習指導要領や検定教科書は、定期的に改定をしているのです。そのための改訂です。


だから、地方の人は、東京の高偏差値どうしの私立高校と私大との高大連携を、うらやましがる必要もありません。低い偏差値の人も、高偏差値の人を「ずるい」とか、うらやましがる必要はありません。偏差値の低い人には、高偏差の大学との高大連携の内容は、あっていません。


高偏差値どうしの高校と大学とのあいだですら、教育効果が高いか低いのか、微妙なところです。だから、大学ごとに、高大連携の内容は大学ごとにバラバラです。

高大連携の授業で得た知識を活用するには、それだけ注意深さが必要なのです。


高校入試後の先取り学習とは、意味合いが違います。もはや高大連携は、普通教育の先取りではなく、各自の進路を自力で考えるためのヒントなのです。

そして、そのようなリスクがあるからこそ、私大の人は、(公立高校ではなく)偏差値の高い私立高校と連携を深めたがります。

スポーツ系私立高校の特典[編集]

スポーツ指定校の高校[編集]

高校から大学への指定校推薦において、その高校が甲子園によく出場したりとスポーツで有名な場合、指定校の枠は、ある程度は運動部の男子が確保済み、もっというと野球部の生徒のためのものです。

たとえば文武両道をうたってる私立高校の場合、指定校の枠が4人なら、2人が運動部のための枠、運動部の枠のうち1人は野球部で残りもう1人は別の運動部でも可、残り2人が学力のための枠、というような意味です。

決して成績順だけで決まるのではありません。

もし大学の募集要項にスポーツ推薦枠として書いてしまうと、スポーツだけのバカ大学みたいに悪評が立ちかねないので、なので指定校でこういう事を行います。

なので、決して実際に甲子園に出た高校ではなく、よく甲子園に出る私立高校かどうかが重要です。もちろん、その大学の立地の近くにあるのが条件です。具体的には、首都圏の私大への場合なら、高校が関東地方にあるか、です。


スポーツAOの関東優遇・地元優遇[編集]

もし将来的に大学入試でスポーツ推薦とか吹奏楽部や演劇部などの部活動の業績でAO入試などで文武両道どうこうとかで進学したい場合についてですが、徳島県やら鳥取県など過疎県での「全国大会出場」と、人口密集地である東京・神奈川・千葉・埼玉での「全国大会出場」とが、断じて同じ価値なわけないじゃないですか。

単純にもし私立大学がスポーツ推薦だけで「全国大会〇〇位以上」などの条件で集めると、四国などの過疎の地方出身者がとても有利になってしまい、関東南部や京都・大阪・兵庫や愛知県(トヨタ自動車などがある県)には不公平なので、なのでスポーツ推薦とは別にAO入試などを活用して部活勢を関東南部や京都・大阪など大都市の高校から集めるのです。

なので私大は、大学にもよりますが、あの手この手で(AOや提携高校や指定校など)、関東地方など地元の私立高校を優遇します。関東在住者や、大阪・京都在住や愛知在住などで、スポーツが得意で将来的に大学受験を考えている人は場合は覚えておいてください。

たとえば2023年の野球部の夏の甲子園で神奈川県の慶応大の付属高校が優勝しましたが、慶応の付属校と同じ地区にある高校は、仮に全国2位の実力でも、地区予選の時点で敗退してしまうわけです。

夏の甲子園では、東京と北海道だけ甲子園の出場枠が2個ありますが[42]、しかし東京の高校数の比率は岩手県の2倍どころではありません。

2023年の時点では、東京の高校数は431校、岩手の高校数は81校です[43]

地方在住者の野球ファンは、春の選抜が不公平だとか自分勝手なことを言いますが、そもそも夏の甲子園こそが都市の高校に不利にできています。このため、春の甲子園は、じつは夏の甲子園では不明だった都市部の本当の実力が分かるので、必要なのです。

ついでに、鳥取県は32校で、高校数が日本最下位です(2024年)。つづいて徳島県、島根県、がワースト3で、ともに30校台です。

大学受験のスポーツ推薦をもしスポーツだけで律儀に選抜してしまうと、鳥取県とか徳島県とかの高校の少ない県が無双してしまい不公平なので、実際には「スポーツ推薦以外にも総合型選抜(AO入試)では学力なども見る」という建前ですが、実際には鳥取県とか徳島県とかの全国大会出場者を落として、東京圏や地元の高校生に枠を与える、という意味です(都内の私大の場合です)。

AO入試の「最近では受験生の学力も見る」という建前は、半分ほど建前です。もちろん、もう半分は本当に学力も総合型選抜では見ています。大学ですので、最低限、その大学を卒業できる学力があるかを見ています。ですが、その程度で十分でしょう。

ただし、2020年代以降の私大の総合型選抜では、英検2級以上などを出願要件の一つとして要求している私大も少なからずありますので、英検資格など(TOEICやTOFLEのハイスコアでも可)を取るのを忘れないでください。


私立大学のスポーツ推薦の募集要綱にある「全国〇〇位以上」というのは、過疎の県からのスポーツ受験生をフィルタリングして落とすために条件を厳しめにしてありますので、過疎ではなく関東南部などの高校数の多い県の人で全国大会に行けなかった受験生はAO入試などの別枠で受験・進学してください。

学校パンフレットの役者

余談ですが、高校パンフレットや大学パンフレットなどの写真にある生徒・学生っぽい若者の写真は、実はそういう役者さん・子役さん等だったりします。特に女子にはストーカー対策が必要なので、代理店が女性の役者さんに頼みます。けっしてその学校の本物の女子生徒でもなければ、演劇部員でもありません。

撮影にも手間が掛かるし、学生さんは本来は学業を優先しなければいけないので(児童福祉法などの理念がそうです)、なので学生さんに撮影の手間をわずらわせてはいけないのです。


高校野球では、甲子園出場までの試合数で、人口の多い地域では甲子園出場までに8試合、人口の少ない地域では4試合とか地域差があります。

トーナメントと偏差値の換算表[編集]

トーナメントの淘汰率の錯覚

さて、トーナメント方式では原理上、半数は初戦敗退します。2回戦で最初の75%が脱落します。3回戦でさらに半分が脱落するので87.5%が脱落します。つまりトーナメント方式では、倍々ゲームなら半々ゲームで、指数的に減っていくのです。

人間の錯覚があり、世間の一般的な感覚の人は、あるチームの戦績について「初戦で敗退」と聞くと、まるで弱小でモヤシで素人なチームを思いうかべがちですが、しかしそうではなく、なんと半分もの人が初戦敗退するのが、トーナメント方式の原理です。

どうも一般人は、指数的な変化を、まちがって一次関数的な直線的な変化として取らえがちなようです。

ともかく、このような数理を知っていると、つまり、あるチームが2回戦を勝ち残れば、もう全体で上位25%の中にいる事が証明できるのです。たったの2回戦でそうなのです。つまり、「2回戦を勝った」と言うのは、十分にアピール材料になるのです。(ただし、全国大会に出れないと、大学や超難関付属高校などのスポーツ推薦の出願条件にはならないので、別方式の自己推薦や公募推薦などでアピールすることになる。)

偏差値で考えると、3回戦を勝てば、なんと偏差値60以上であり、上位12.5%以内です。あるいは、たとえ2回戦勝利まででも、その時点でもう偏差値55以上であり、上位25%以内が保証されます。

  • 換算表
1回戦を勝てば上位50%。偏差値 50
2回戦を勝てば上位25%、偏差値 57~58
3回戦を勝てば上位12.5%。偏差値 61~62
4回戦を勝てば上位6.25%。偏差値 65~66
5回戦を勝てば上位3.125%。偏差値 68 ~69
6回戦を勝てば上位1.5625%。偏差値 71 ~72

です。

マンガとかだと2~3回戦敗退は弱小チームですが、マンガなんかを真に受けると馬鹿になります。週刊のスポーツ根性マンガ(スポ根マンガ)で主人公チームが全国大会の決勝戦あたりまで10回や15回くらい勝ち進むのは、単なる連載の都合です。

よく偏差値の換算表を見ると、2回戦の勝ち抜きで、偏差値が急に約7もアップしますが(偏差値 50 → 57)、あとは勝ち抜いても約4しかアップせず、5回戦以降は約3アップと、勝ち抜きごとの偏差値の上昇幅がだんだんと鈍化していきます。

これを知ってると、なんと2回戦を勝ち抜いただけで、かなり自身の評判がアップすることに気づきます。

あとはどう上記の数理をもとに戦績を自己アピールするかは、個々人に任せます。


やはり数学の力は絶大です。数学をまなぶことで、マンガとかの演出にダマされなくなり、自分をより効果的にアピールできるようになります。

トーナメント方式における、強豪校のもらえるシード権やシード校、シード選手は、あれは例えるなら指定校推薦みたいなもんです。


これはつまり、部活の偏差値50未満の人は、たとえば部活の偏差値47の人は、なんと初戦を勝ち抜けません。トーナメント方式だと、偏差値37の人も偏差値47の人もいっしょに扱われ、初戦で敗退してしまうのです。

つまりトーナメント方式だと、偏差値47くらいの人は、偏差値ボーダーフリー(BF)と同じ扱いをされてしまいます。「枯れ木も山の賑わい(にぎわい)」と言いますが、偏差値47でも枯れ木あつかいの「かませ犬」(かませいぬ)です。

偏差値52の人は、平均よりも競技ができても、ぎりぎり1回戦を勝ち抜きできるくらいです。

部活の公式大会は、このように厳しい淘汰率(とうたりつ)です。


言い方を考えると、部活の競技の実力を測定できるような模試(もし)は、ありません。部活版の「Vもぎ」とか「Wもぎ」とか「北辰(ほくしん)テスト」みたいなのは存在しないのです。世間の大人にとっての部活のあつかいなんて、その程度です。


なお、アメリカ合衆国では、中高では全国大会は存在せず、州大会が最高の大会です[44]。また、そもそもアメリカの場合、季節によって所属する部活が別々だったりするシーズン制です。

日本の部活の全国大会は、日本が勝手にやってることです。日本の部活がひとつの部活にだけ3年間入り続けるのも、日本が勝手にやってることです。部活を総合学習の場として考えるなら、複数の部活に入るシーズン制のほうが合理的です。よって、擁護できません。

これはつまり、早慶マーチとか私大にあるスポーツ推薦のある大学にある「国際教育」とやらがインチキだという事の証拠です。

まとめ[編集]

なので都心在住でスポーツや芸術の成績で大学進学を目指す人は、なるべく、高校進学の時点で、過去に「全国大会出場」などの部活のブランドのある高校に活きましょう。たとえ自分の在籍した年度ではその高校が全国大会出場できなくても、大学受験のさいにAOのスポーツ系などで優遇されるのが実態です。あるいは、そういうスポーツ高校は指定校の枠が同偏差値の他高校よりも多めに与えられています。

よほどの難関私大や難関学部・理系学部でないかぎり、たとえ成績の要件がきびしくて大学の与える指定校推薦の枠には入れなくても(あるいは、学業系の成績で進学する高校生たちが自校の指定校の枠を使い切っても)、スポーツや文化部などの部活などで実力のあると認められている高校の場合には、指定校推薦とは別にAO入試などで少しですが優遇されるのが、おそらく実態でしょう。そのためのAOです。

私大の付属校の救済措置[編集]

私大の付属高校の人は、もしその私大の春ぐらいに決まる第一次の内部推薦に落ちてしまっても(要件として系列の大学の専願志望者で、二年次終了までの成績の上位の数十名とかの要件があったりする)、じつは救済措置として、3年の秋に簡単な試験のある別方式の内部推薦があったりします。細かな救済手法は不明ですが、しかし、付属高校出身者からの伝聞などによって、実際は救済処置があります。

あるいは、3年の秋ごろの総合型選抜(AO)で、たとえば十数名ほど追加で内部進学できる救済処置の可能性があります。

別方式の内部推薦の試験内容は非公開なので不明ですが、付属高校出身者などからの伝聞などによると、そんなに試験は(その高校のレベルと比べたら)難しくないはずです。とりあえず、その付属高校の定期テストおよび高校で受けさせられる程度の模試はきちんと勉強する必要があります。そういう試験がある付属校もあるので、付属校に受かっても勉強はさぼらずに、高校の勉強を続けていきましょう。

大学によって付属高校の救済処置の手法はさまざまですが、よほど学力が低くない限り、内部組の人は上記のような手法で優遇されます。また、面接などのアピール材料とするため、大学説明会などは絶対に出てください。(なお、おそらく内部推薦の条件としても、その大学の説明会の出席などが原則的に要件になっているのが普通でしょう。)

付属校からの表向きの内部推薦の枠は、実態の募集枠よりも少しだけ小さめの人員にしてあります。実際は、よほどの難関大学や難関学部でないかぎり、もう何名 ~ 十数名か、別方式内部推薦や総合型選抜などで付属校からその私大に進学できる場合もあります。

表向きでは内部推薦の条件のきびしい付属高校もありますが、しかしその条件のきびしさの理由は、たとえば、じっさいは高校時代に不良行為・非行に走るなどしてあまりにも素行不良な受験生を落とすためのものです。たとえば「校舎の窓ガラスを割る」とか「バイクを盗んで無免許で走行する」的な連中を落とすためのものです。あるいは不登校などで極端に学力の低い生徒を落とすためです。昭和の昔は中堅私大の付属高校にもそういう荒れた素行不良の生徒がいたので、そういう人を落とす必要があったのです。

なお、もし素行は良いが学業不振がひどすぎて別方式の内部推薦でも総合型選抜でも大学受験で落とされた場合、本当に大学の授業についていけるか心配されたうえで落とされているので、素直に従って偏差値の低めの大学を目指しましょう。

偏差値を下げるのは有効か?[編集]

よく、指定校推薦のテクニックとして言われるのは、真偽は不明ですが「進学先の高校の偏差値をあえて下げて、代わりに指定校推薦をとる」という言い伝えがあります。ですが、この自称・テクニックは、上述のような総合型選抜での高偏差値高校の優遇やら地元の優遇などを見落としており、信頼性に欠けます。

なので、なるべく高校受験では、普通に偏差値の高い高校を目指すほうが良いでしょう。

偏差値の差で1~2くらいの差では、校内順位での上位の取りやすさなんて、大して変わりません。

かといって、5~10あるいはそれ以上も偏差値が違えば、そもそも指定校推薦の枠が大幅に減るか、そもそも枠が無くなります。


過疎化をしている田舎(いなか)の低偏差値高校に、都心の早慶マーチなどのブランド私立大学の推薦は無いのが基本です。

あと、基本的に東京都心の私立大学の指定校の枠は、せいぜい大阪・京都・近畿のブランド高校までかと思われます。なぜなら東京都心の私立大学で地方出身者からよく聞く出身地が、だいたいこの地域までだからです。

四国とか九州とかは、よほど偏差値が高い進学私立高校でないかぎりは、ほぼ指定校の対象外でしょう。

なぜ「ほぼ対象外」かと言うと、都心の大学教授は、いちいち九州奥地とか四国まで高校訪問をしたくないのです。もし仮に指定校の枠があっても、高大連携協定による都心の大学との協定校推薦ぬついては九州・四国は望むべくもありません。

指定校推薦は、べつに大学教員が毎年に高校訪問をしているわけではないでしょうが(なお、高大連携は毎年の訪問・交流をしている)、しかし定期的に大学教員が現地の高校を確認して高校の教員などと交渉する必要はあります。そういう手間があるので、地方すぎる高校は、指定校枠が不利になることを覚悟しなければいけません。


大学の新入生の出身地の情報を聞くと、九州などそういう西日本の奥のほうの地方の出身者については、基本的に都内の私大では存在をあまり聞きません。九州・四国にも名の知れた私学の高偏差値の高校はありますが(たとえば九州のラサール高校や久留米大付属高校など)、しかし、おそらく偏差値の割に指定校の枠は少なめでしょう。

それでも東日本にあって道州レベルで偏差値が高い高校なら、若干は東京都内の私大の指定校の枠があるかもしれません。


「進学先の高校の偏差値をあえて下げて、代わりに指定校推薦をとる」というのは、おそらく、大阪や愛知などの地方都市などを「田舎」と誤解した人のデマではないでしょうか。

あるいは、都心の大学の地元にある公立高校で、偏差値が中くらいか中の上くらいの公立高校に与えられた地元枠の指定校推薦を、勘違いしたデマではないでしょうか。


ほか、AO入試はおそらく、現役生が有利でしょう。大学進学して文系私大に行く人は、浪人せず、さっさと現役で文系学部に大学進学しましょう。

なお、市販の受験テクニック本などにある、田舎の低偏差値高校の浪人するしかない人のための受験テクニック本など、高偏差値の高校の人は、決して信用してはいけません。ちまたに はびこってる受験テクニックは、偏差値の低い高校のための受験テクニックも まぎれています。

なぜなら、多数決では、偏差値60以上の人の数よりも、偏差値50以下の人のほうが人数が多いのです。だから、多数決では偏差値50以下の人のほうが買ってしまうのです。このため、市販の受験テクニック本などにある受験テクニックも、いささか低偏差値むけの人のための情報だったりします。

だから、ちまたの受験テクニックの中には、高偏差値の高校の私大志望にはアテにならないのもあります。偏差値の高い高校に通っている人は、先輩や教員などからの言い伝えを信用しましょう。


「地方の高校で生徒会をして部活も頑張ってAO入試でマーチとかに進学」というのは、それは大阪とか愛知とか仙台や札幌などの地方都市の話、またはその近隣の話でしょうし、何よりも偏差値が高めの高校の話でしょう。決して四国やら九州の奥地とかの話ではないですし、低偏差値高校の話でもありません。

文化的な背景[編集]

さて、「異文化交流」とか「武者修行」みたいな感じで、高校と大学とで学風とかの違う学校に進学するのは、正直、偏差値競争的には不利です。私立高校の少ない地方の若者は不利かもしれませんが、しかしその地方の住民たちが過去に大学進学において選択してきた行為の結果です。受け入れてください。

「異文化交流」とかに関して、世間の人や企業の新卒採用などでは口先では「コミュニケーション能力を重視」とか言いますが、口先で言っているだけに過ぎず、あまり実態がともなっていません。たとえばキリスト教系の大学は、わざわざ仏教系の理念の高校とは、提携を結んだりしません。しかし、就職人気の高いキリスト教系大学はいくつも存在します。このように、世間でいう「コミュニケーション能力」だの「異文化理解」なんて、たかがその程度です。

「その程度」とは、過激派にならない程度のコミュニティ帰属意識の高さが必要だという事です。

いろんな文化を渡り歩くのは、ともすれば「根無し草」(ねなしぐさ)とか揶揄されかねず、よそ者扱いされかねません。「渡り鳥」ともいう。


こういう、大学受験以前の中学高校受験で発生する格差を、教育学などではトラッキング(tracking)と言います。ここでいうトラックとは、陸上競技の走るためのトラックのことです。アメリカの社会学者ローゼンバームが提唱した理論です[45]

このページでは、それを現代日本の高校受験および大学受験に合わせて現代的に発展させた説明をします。

陸上競技の第1トラックから第6トラックまで、コースが分かれているというのをイメージしてください。一見すると同じ競争(大学受験を目標にした競争)をしているように見えても、やや別のコースを走っている競争をしているのです。どのコースを走れるかは、中学受験や高校受験での学校で決まっており、実質的には大学受験以前の高校受験や中学受験などである程度は就職先などが決まる、という感じのです[46]

都心の有名大学の高大連携の教育を、近隣の私立高校の高校生が高校1年から受けられれば、そしてその進路に応じた勉強を続ければ、もう高校3年間をAO入試や公募推薦など各種の推薦入試などでのアピール材料にできます。

地方の公立高校からの受験は、障害物競争のようなものです。

しかし、私大入試で評価されるのは、障害物競争ではなく、実質的にタイムレコードのようなものです。

「人生はマラソン」とよく言いますが、しかし「貧乏人の人生は障害物競走。金持ちの人生はマラソン。大学入試ではマラソンのタイムレコードが評価の対象」です。これが21世紀の日本の大学受験のトラッキングです。上述の指定校やAOや公募推薦などのように、大学入学の時点で、もはや競技種目じたいが分かれていたする名門大学のAO入試に有利なトラックを走っていた金持ちの子供と、一方で地方公立の一般入試などの競争過多な分野での競争を強いられてきた貧乏人の子供が、障害を越えた回数以外の指標で評価されるのです。

地方の貧乏人の子供が社会から言われてるのは実質「お前ら地方公立は障害物競走の平均的な順位のプレイヤーだが、しかし金持ち用のマイナースポーツ競技の関東大会出場よりコースレコードが悪かったので賞金は無し」というのが実態なのです。

そもそも平成の現代のAO入試や総合型選抜の仕組みは、慶応大学の湘南藤沢キャンパスの入試が歴史的にも手本になっており、そもそも日本における中心的な提唱者・導入社のw:加藤寛 (経済学者)が慶應大学の人間です。1980年代の日本国有鉄道や日本専売公社、日本電信電話公社の民営化を進めたという、新自由主義者の人物の学者です。富裕層は一般入試の受験勉強をせずとも有名大学に入れる仕組みがあるのです。


なお、大学の男女比は、基本的には特に男女同数といった法律は無いですが、実質的には私大文系では男女同数を目指しています。一般入試だと男女同数にするのが難しいので、各私大ともAO入試や公募推薦などで男女比を調節しています。

また、このため今後も、AO入試や公募推薦などが私大文系で減る可能性は少ないでしょう。

かつて、男子学生が多くて「バンカラ」(野蛮カラーといった意味)とか言われた明治大学や法政大学などの文系学部も、女子学生が増加し、[47]、現代は女子学生が4割くらいの比率にまで増えています。


世間の頭のあまりよくない人は、口先では「異文化交流」とか言いながら、いまや国際共通語も英語も高校レベルすらロクにできない、科学の共通語の数学・物理・化学も高校レベルすらロクにできないくせに、なんかテレビ番組か何かのバラエティ番組の流行を追いかけたり消費しているくらいで「自分はコミュニケーション能力が高い」みたいに思っていたりするのです。


このように、私立大学受験は次第に理念の近い私立高校と大学との同盟のようなブロック経済のようになっています。

地方は不利かもしれませんが、そもそも今まで地方の浪人生のせいで東京のマジメな高校生が地元の私大に現役合格できなかったのが、是正されていっているという流れでもあります。東京に大量の浪人生を送り出してきた地方が、東京の高校から復讐をされているという因果応報にすぎません。

なお、どうも地方国立大学も、推薦入試で地元の高校の現役生を優遇している可能性があります[48]。どうも地方国公立の推薦枠は、地方の現役高校生へのアファーマティブ・アクションとして機能しているのが実態のようです。


さて、私大の話に戻ります。今時、私大への推薦を蹴る大学の一般入試受験を目指してしまうのは、もはや勉強家の証拠ではなく、「探求学習をさぼって暗記勉強や表面的な勉強しかできない怠け者」という扱いなのです。

指定校推薦で文系の大学へ進学することにより、高校での探求学習も頑張れます。大学入試のしょうもない暗記科目を勉強するのを省略できます。

アクティブ・ラーニングが、伝統的な大学受験のシステムでは評価されません。


最低限の知識の暗記みたいなのは、世間はもう、高校入試(+高校の定期テスト)で十分だと思っているという証拠でもあります。指定校推薦の拡大した21世紀の現状は。

もともと昭和のころは、高卒で就職する人も多かったし、そのような企業の実態に、近づいてきているだけです。

今の時代、暗記みたいなのはコンピュータで十分です。だから探求学習やアクティブラーニングなのです。

その探究、アクティブラーニングが一般入試で評価されないのですから、意欲的な高校生ほど一般入試には興ざめです。

今時の一般入試はもう、意欲的な高校生からは、見放されているのです。

かつて、2005年ごろ、高学力層の高校生が私大文系の評価を下げて「私大文系は数学や理科の学習が評価されない不当な界隈」として高校生の高学力層からの評価が落ちたように、令和の2020年代では、今度は一般入試を尊重する界隈の評価が下がり「一般入試はもう、探求やアクティブラーニングが評価されない、コンピュータみたいな暗記人間を量産している不当な界隈」として高校の一部の高学力層から見放されているのです。


仮に、無理して指定校推薦を蹴って、せっかく大学受験を頑張っても、質の悪い暗記問題の受験問題を勉強させられるだけだし、浪人のリスクもあるし、そのせいで企業は若い労働力が入らなくなって損だし、もはや誰にもいいことがありません。

「理系では入試問題を解くような能力も必要」とか言われても、その理系自体もう、指定校推薦では敬遠されています。色々と高校生にはバレているのです。

文系の大学側にとっても、指定校から、本当に自分の大学を望んでいて、高校時代からレポートなどを生産できている質の良い学生を選べます。だから文系の私立大学側も、もう半数ちかくを指定校推薦など推薦でとっているのです。

指定校推薦はこのように、売りよし・買いよし・世間よしの「三方よし」です。

指定校推薦に文句を言うのは、世間体のよくない浪人生だけです。


また、このように現代は、高大連携も利用しつつ総合型選抜(AO入試)や公募推薦などで文系大学に進学するのが主流になってきている時代ですので、高校中退は避けるべきです。高卒認定試験(略して「高認」)による大学進学も、避けるほうが安全でしょう。もはや、高認の制度が現状に追い付いていません。高校に在籍しない高認では、原理的に高大連携の恩恵は受けられず、そのぶん自己アピールが難しくなります。

実験校の成果と文理コース分け[編集]

「高校のコース分けで、なぜ、文理のハイブリッド型のコースが2010年代以降の現代には無いのか?」とか、「なぜ文理ハイブリッド教育が非効率だと分かるのか?」とか、なぜそれを高校や教育委員会が知っているのか、奇妙に感じたことないですか? 

なぜ教育委員会や各高校が文理ハイブリッドが難しいと知っているのかと言うと、実はもう試したんですよ、2005年くらいまでに。

いわゆる、非公式に「実験校」とか言われる公立高校と一部の有志の私立高校で、それ試したんです。書籍化してない情報源であることと取材先の個人情報があるので出典はあげられませんが、この節を書いている編集者Sの地域では、公立の高校偏差値55の高校で、「文系コースの高校3年に(理系向けの)数学III(すうがくサン)の必修」という実験が行われていました。

なお、「実験校」は俗称ではなく、文科省や内閣府なども公式文書で用いる表現です[49][50]。wikiのこのページでは行政が公式に実験校として公表した学校以外にも、カリキュラムなどの分析から、実質的に教育実験的な取り組みをしていると考えられる高校にもついても、本wikiでは「実験校」と呼んでいます。

平成の2001年前後の当時、数学Cの内容は令和とは違い、当時は理系コースの内容でした。しかし実は偏差値55の文系の高校3年生なら、数学Cの履修と習得はなんとか可能です。

でも、せっかく文系生徒が数学Cを履修しても、入試では文系向けの数学II B (すうがくニ・ビー)までしか出ないので不利になってしまったり、あるいは指定校推薦などで不利になってしまう、などの結果が分かったのです。

このため、現在では、「高校の文系コースにも理系コース科目を必修」みたいなハイブリッド教育は行われていません。


また、国立大学の教育学部の大学の付属高校は、本来、じつはそのような新しい教育カリキュラムの実験をするための高校でもあります。

しかし、上記の文系コースに理系コース科目の実験は、都道府県立などの公立高校で行われていました。このように、実験の最終段階として、一部の公立高校でも実験が行わます。


ほか、おそらく、ほかにも、まだ世間に「高大連携」という言葉の無かった2001年のころ、「探求学習」と言う言葉の無かったころ、もう教育大付属高校や各地の実験校で試していたのでしょう。

また、探究学習については、1990年代から総合学科で導入されてきました。2000年以降の総合学習や『総合的な探究の時間』は、それが普通科高校にも及んだものです。


ほか、大学付属高校なら、その学園の大学の教養課程の講義の一部を、夏期講習で教育したりとかの授業も実験済みでしょう(単位にはならない)。そういうのも実験済みなのです。

平成時代の初期、放送大学の開設などのように生涯教育が流行していたので、私立大学が地元などの地域住民などに有料の授業をしていました。地域交流も兼ねての実験です。付属高校でも大学教授が付属高校に出張して地域住民や生徒の保護者などに授業を格安でするのも試しました。実験の結果、付属高校の出張授業では地域住民には高度すぎて、レベルに合わない事が解明されました。

もう、このように色々と実験済みなのです。

こういう実験の結果、どうしても私立大学の学園が地域住民などとの交流を図るなら、決して教授の出張授業ではなく、部活動などでの行事の交流で、という方法が良いことが分かりました。


なので、これからの時代の高校生が、わざわざ同じ実験をする必要はありません。そういう実験は、教育大の付属高校などに任せておけば十分です。

高校図書室の蔵書のレベル[編集]

私立でも公立でも中高一貫校でも単独の高校でも、中高の図書室の書籍はあまりレベルは高くありません。高校図書室の場合、あくまで高校生むけのレベル、および高卒社会人のレベルの平易な書籍が大半です。

つまり、大学生むけのレベルの本は、基本的には高校図書室には置いてありません。理系だけでなく文系科目の大学教科書もそうで、多くの高校では大学の法学教科書とか経済学教科書とか心理学教科書とかは、目にしないと思います。

進学校といえども、あるいは中高一貫校や私立高校といえども、図書室の蔵書の多くは、上述のような平易なレベルです。


なので、高校生が予習・復習で基礎学力をつける勉強したい場合は、図書室の本ではなく、普通に参考書や問題集など市販の教材をこなすのを優先すべきです。高校図書室の本を読むタイミングは、気になったときにだけ、手を伸ばせば十分でしょう。

あまりレベルの高い本の置いてない理由はおそらく、あくまで調べ学習などの課題で使うための書籍が中高の図書室には置いてあるからです。

そもそも、全国学校図書館協議会などの選定図書を見ても、そんなにレベルの高い書籍を選定しておらず、中高の子どもでも読めそうなレベルの本ばかりです。


なお、児童書や児童向けの図鑑なども高校図書室には置いてません。

もし大学教養レベル(大学1~2年の経済学、法学、数学、理科などの科目群)の書籍が高校図書室にひととおり置いてあれば、大したものです(つまり、たぶん置いてないでしょう)。まして、(教養レベルではなく)大学の学科ごとの専門基礎レベルの書籍は、かなりの進学高校ですら図書室には置いてないだろうと思います。特に都会の高校の場合、図書室が狭いので、そのレベルまで高校図書室に置くスペースが無いでしょう。

なお、法学の場合、法改正ごとに内容が変わるので、あまり置いてないと思います。高校の社会科に法学の科目が無いのには、このような合理的な理由があります。


理科の場合、教科書ではなく科学雑誌『日経サイエンス』とかの形で、高校を超えた範囲の書籍は図書室に置いてあるかもしれません。

雑誌の場合、古い雑誌は廃棄されますが、別に急いで読む必要はありません。なぜなら、もし科学雑誌の学説の内容が正しければ、数年後に教科書などにまとめられてるし、なのに数年後に教科書などに掲載されなければ学説が間違っているか評価されてないだけですし、どうしても読みたければあとから電子版バックナンバーを読めます。

また、バックナンバーの無い雑誌の場合、そもそも後世に内容を残すつもりのない刹那的(せつなてき)な雑誌ですので、読む必要はありません。


ハッキリ言って、高校の図書室は、市民図書館に行く時間を節約するためのものでしかありません。どのみち、高校生は授業で忙しいので、あまり借りた本を読めません。

図書館めぐりをするよりも、まずは参考書で基礎学力をつけるのを優先すべきでしょう。


さて、地方の人は分かりづらいかもしれませんが、都心だと市民図書館にホームレスとか居たりする地区もあるので、そういう意味で学校図書室は必要ではあります。

必要ではありますが、あまり積極的に高校図書室の本を読む必要はありません。自習室の代わりに高校図書室を使う人も多いでしょうか。

校則の傾向[編集]

スマホ・携帯電話などの校則の傾向[編集]

だいたいどこの私立高校でも、スマホや携帯電話は、校内の持ち込み自体は可能でも、校内での使用は原則禁止です[51][52]。なので、学校の到着後に電源を切らされます。

上記の校則の場合も他の校則でも、もし違反すると、多くの高校で、反省文を書かされたり、教師から指導されたりします。

朝の朝礼から夕方の終礼まではスマホ・ケータイ禁止という私立高校もあります[53]。朝の学活で学級担任にスマホなどを預けなければいけない場合もあります[54]

持ち込み自体は認められる背景事情として、登下校などで防犯のためにスマホ・携帯電話の所持が認められる等の理由がありますので(特に女子とか夜道の帰りは危険なので)、スマホ持ち込み自体は禁止されてない私立高校も多いと思います。しかし多くの私立高校では、少なくとも校内での朝礼から終礼までの使用は原則禁止です。

ルール違反して電源いれたままにしたりとかケータイ使う人は軽く考えてるのかもですが、しかしもし授業で使う回線がパンクするとシャレにならないので(もっともスマホ電源を切れば回線はすぐに回復するでしょうが)、ルール守って授業中は絶対に電源を切ってください。

回線が2分で回復しても、1クラス40人なら、最低でも2分×40人=80分のロスですので、気を付けてください。


学校は生徒数が多いので、一人ひとりは大した通信量ではなくても、全校生徒数(たとえば1000人以上とか)で倍増されると回線がパンクしかねないのです。


保護者への連絡

なので、もし高校進学後に文化祭など行事の準備などで帰りが遅くなりそうなときは、事前に保護者に伝えておきましょう。保護者との電話は放課後や下校時も、最低限の連絡だけをして、あとは切りましょう。

そもそも多くの私立高校で、あらかじめ保護者向けの連絡サイトなどを事前に用意しています(保護者への従来あった配布プリントをコスト削減のペーパーレス化のため、現代ではそういう保護者むけサイトが用意されています)。

そういうのを知らないニワカの大人が、やたらとケータイの必要性をアピールします。


カメラの原則的な禁止

カメラ機能などについても、多くの私立高校では、盗撮や肖像権などのトラブル禁止のため、ケータイ・スマホやデジカメでの撮影は原則禁止という高校も、校則を調べるとよく聞きます。(もし部活などで運動部のフォームの確認とかで、どうしても動画の撮影が必要な場合などは、顧問など教師の許可を取りましょう。)

アルバイト・運転免許の校則の傾向[編集]

令和の今でも、アルバイトは、高校に届け出をして許可された生徒のみ、という傾向。

バイク(原動機付き二輪車)などの運転免許も同様。令和の現代は、正当な理由があれば運転免許をとれるだけ昭和よりかは少しはマシです。

上記の校則にしたがうという宣言の誓約書(せいやくしょ)を入学時などに書かされる場合もあります。

自転車通学[編集]

あまり明確な基準もなければ法令もないですが、高校の市町村および隣接市ていどの地元民以外は自転車通学が許されてないのが一般的な慣習です。どの高校も、そんなに駐輪スペースが広くありませんので[55]、自転車通学には、なんらかの制約があります。

どの高校も、最寄り駅から校舎の近くまでにバスが出ているのが通例なので、離れた地域の人は、そのバスに乗ってもらい通学してもらう事になります。また駅を使う場合は、自転車通学不可、というのが一般的だと思います[56]

一般的に、駅を使う人は、バス通学か、徒歩、になるでしょう。

つまり、自宅からの直接通学でないと[57]、自転車での通学が認められない、という例もよくあります。

あるていどの距離が離れていないと、自転車通学を認めない高校もあります[58][59]。この場合、近所にある人は、高校に歩いていくことになります。

また、都内だと、駐輪スペースや道路の狭さなどの問題で、自転車通学が禁止されている場合もあります。形式的には自転車通学を明確には禁止していない高校もありますが、しかし都内の敷地の狭さなどの問題も考えれば、事実上は自転車通学に対する制限がつよいと覚悟したほうが良いでしょう。


自転車通学が認めらている場合でも、高校の許可が必要です。

よくアニメだと、登場人物の高校生キャラが番組オープニング映像で自転車をこいでいたりするシーンがありますが、あれは単に制作スタッフであるアニメーターたちの技量自慢ですので(自転車の運転は書くのが難しい)、真に受けてはいけません。


受験時とは別

なお、高校受験時の通学方法とは別です。高校受験の時点では、高校の最寄り駅からバスなどで通学することになります[60][61]

もし、住んでいる場所が、高校の最寄り駅から反対方向に例えば3km以上離れた地域の場合、受験時は大幅に迂回(うかい)して、電車とバスで通学することになるでしょう。

なお、バスは有料かもしれません。なので受験日は、お金を余分に持って行ってください。

修学旅行の無い高校もある(研修旅行など)[編集]

修学旅行の無い公立高校もあります[62]。公立の定時制高校[63][64](いわゆる夜間高校)や通信制高校など、その可能性があります。

公立の定時制では、少子化による生徒数の減少により、そこそこの数の定時制高校が、その定時制課程では修学旅行を行っていない場合もあるのです[65]

なので、お金に余裕がある家庭なら、なるべく全日制(朝9時くらいに授業の始まる高校)に通いましょう。読者が親なら、子をなるべく全日制に通わせましょう。

「研修旅行」

名称が、修学旅行ではなく林間学校・臨海学校でもなく「研修旅行」という名前で同様の学校行事を行っている高校もあり、公立[66]でも私立[67]でもあります。地方に限らず首都圏でも「研修旅行」の高校はあります[68][69]

学校によって「研修旅行」の意味合いは微妙に違い、修学旅行や林間学校・臨海学校のことをまとめて「修学旅行」と言う場合もあれば、修学旅行や林間学校・臨海学校とは別の小数の希望者だけの旅行のことを「研修旅行」と言う場合など、意味が学校ごとに違っていますので、てっきり同じ意味かと勘違いしないように気を付けてください。


昼間定時制

なお、私立の中央大学高校は定時制ですが(独自の校庭をもたずに中央大学の校舎を利用しているので、国の全日制の設置基準を満たせない)、高校サイトによると修学旅行があるようです。

朝から授業開始しているのに、時間帯とは別の事情などにより全日制でなく「定時制」の高校のことを『昼間定時制』と言います。上述の中央大学高校は昼間定時制です。

ほか、私大付属では、国士舘大の付属校が昼間定時制ですが、高校サイトによると修学旅行があるようです。

ただし、その他の、特に私大付属校などではない、地方などの昼間定時制の私立高校は、修学旅行があるかどうか知りません。

部活のイメージと実態[編集]

少ない部活[編集]

マンガだとよく見る部活であっても、実際の日本では、その部が存在している高校が少ない部活もあります。

文化部[編集]

パソコン部の無い高校は意外と多い[編集]

たとえば都立トップ高校の日比谷高校には、パソコン部とかコンピュータ部みたいな部活は存在しません[70]


私立だと、青山学院の付属校には、存在していません[71]。学習院高校にも、存在していません[72]。成蹊高校にも、存在していません[73]。(なお、成城高校はちょっと微妙で、メディアアート部というのがある。

別に偏差値の高い高校にパソコン部が無いわけではなく、例えば開成高校にはパソコン部があります。私立だと、慶応の付属校のひとつにパソコン部がありますし、明治大学や中央大学の付属校にもパソコン部があります。


「情報部」とか「情報処理部」と言った名前の場合もあります。たとえば麻布大の付属高校のパソコン系の部活は「情報部」です。なお、麻布高校は、高校募集を停止しています(中学受験で付属中学に進学しないと入れない)。


東京電機大学の付属高校とか芝浦工業大学の付属高校だと、パソコン部があります。

やはり、学校名と言うのは重要で、工業大学の付属校みたい高校には、そういう工業系の趣味の子供が集まってきます。

やみくもに偏差値を上げることを目指すのではなく、もっと自分に合った進路を考えましょう。


なお、芝浦工大の付属校は高大連携で、芝浦工大との実習授業があり、たとえばスパゲティブリッジ(「パスタブリッジ」ともいう)の強度実験とかしています。スパゲティで橋(はし)をつくって、構造の強度確認するのです[74]

もし、チタン合金とか元から上部な材料で試作品ミニチュアをつくってしまうと、構造に欠陥があっても(たとえば特定の箇所に力(ちから)が集中して折れやすいとか)、チタンなどの材料のせいで丈夫になってしまうので、構造そのものの欠陥が見つけづらくなってしまうのです。だから、構造そのものの開発をする場合は、当、スパゲティのパスタとか 割りばし とかの弱い材料を使って、それで実験するのです。

こういう高大連携授業の違いとかもあるので、私立受験や私大付属校の受験では、偏差値だけで選ぶのではなく、高校名とか、偏差値以外のことにも注目したいものです。

なお、スパゲティブリッジの実験をするには、荷重(かじゅう)を加えるための設備が必要なので、一般の高校では実験の実施は難しいと思います(工業高校か、工業大学の設備をつかえる環境でないと困難かと思います)。


新聞部のある私立高校は少ない[編集]

ほとんどの高校に、新聞部はありません。マーチの大学付属校の高校を見ても、たとえば青山学院、中央、法政、立教の付属高校には、新聞部はありません。(明治の付属校には、一部の高校にある)埼玉の慶應の付属校(男子校)と、東京なら学習院の付属校に、新聞部はあります。


千葉県では、新聞部のある私立共学校はたった1校ですし、公立・私立あわせても2校です。埼玉県では共学では私立は2校です[75]

私立高校には、同窓会誌・保護者むけの広報誌などを自前でつくっている私学もあり、あまり高校生の出番はありません。

「天文部」のある私立高校は少ない[編集]

ほとんどの高校に、「天文部」はありません。ただし、「地学部」または「科学部」「サイエンス部」などはある高校もそこそこだと思います。サイエンス部などで、特別な日だけ夜間にも天文観測を行える高校もあります。


たとえばマーチの大学付属校を見ても、立教池袋(なお男子校)のほかは、「天文部」はありません[76]

四工大ですら、工学院大の付属校以外には、「天文部」はありません。

慶應の付属校(埼玉と神奈川)には天文部がありますが、早稲田大の付属校には天文部は見当たりません。

また、「天文部」のある高校は、関東地方では多くが公立高校です。


なお、天文部が夜間の高校に入って天体観測するのは、「合宿」の一種という扱いです。普段は、生徒下校時刻(午後6:30 くらい )以降の夜間の学校では観測できません。

普段は、昼間でも観測できる太陽の黒点などを観測したり、天体の勉強をしたりします。

(例外として、合宿など特別な日でないと、高校側から夜間の下校時刻以降の高校立ち入りは許可されないでしょう。)


運動部[編集]

応援団部[編集]

もしかしたら部活以外の形で「応援団」はあるかもしれませんが、しかし少なくとも「応援団部」という部活動での形のある高校は少なく、報告されているかぎり首都圏で高校数は30~40校ていどです[77]

運動部の公式試合などでは、応援団のようなものが必要な場合、試合に出られなかった同じ部に生徒に応援をさせる場合もあります。このため、独立した部活動としての応援団の必要性がうすい可能性も考えられます。

部員数の少ない運動部の場合の応援の生徒が誰になるのか気になりますが、まあ、ともかく独立した部活としての「応援団部」の存在の報告は、少ないのが現状です。報告ではなく実態がどうなのかは当wikiでは知りません。そこまで調べる義理はありません。


女子高では「応援団部」はゼロです。

なお女子の場合、応援をする部活は、応援団ではなく「チアリーディング部」などになり、ボンボンをもって応援するアレになります。男子高のチアリーディング部はゼロです。

なお、チアリーディングを競技化したものをソングリーディングと言い、「ソングリーディング部」の形で応援団の部活をもっていると思われる共学高校および女子高がいくつかあります。おそらく、女子だけの競技かと思います。

ほか、女子ダンス部が、チアリーディング部の場合があります。高校ごとによるので調べてください。

必ずしもダンス部がすべて応援系とは限らず、たとえば専修大学の付属高校ではチアリーディング部とは別にダンス部もあります[78]


その他、イメージと違いそうな部活[編集]

軽音楽部[編集]

マンガだと作劇のしやすさから、5人くらいのバンドメンバーで物語が進んだりしますので、出身中学に軽音楽部の無かった人には軽音楽部はなんとなく部員数が少人数っぽさそうなイメージがありそうですが、しかし実際の軽音楽部の部員数は、そこそこ多いのが2020年代の現状では普通です[79]。首都圏の高校だと、公立でも私立でも部員数が30人とか超える場合もあります。私立のマンモス中高一貫校などだと部員が100人ちかく行く場合もあるのが、2020年代での現状です。

2020年代の現状、軽音楽部が存在しない高校もありますので、もしそういう高校で軽音楽同好会を設立すれば5人の部活にもなるかもしれません。一方、そうではなくて既に軽音楽部がある高校の場合なら、軽音部の部員数は他の部活と同じく十数人は超えるのが普通です。

ステージ上の人数の4~5だけ見て、けっして部員数だと誤解しないように。部員数の多い軽音楽部のなかには、バンドが複数個あって、各バンドあたりの人数が4~5人なだけです。たとえば1バンドで4人の場合、部員が40人なら、部内バンドが40個ある軽音楽部になります。

大阪と東京の授業料無償化[編集]

東京と大阪で、私学も含めての授業料のほぼ無償化の政策が出されています。無償化あるいは同等の公的援助の対象は、あくまで授業料のみです。つまり、建物の施設費用、部活の費用、修学旅行の費用などは別途かかりますので注意してください。

また、教材費、修学旅行の費用などは、公立も私立も有料です。公立高校でも、諸経費を徴収しているので、どこの都道府県でも年間50万円くらいの学費は掛かっています。私立高校は、公立よりも高くなりますので、公立50万円よりも高い学費を払える能力が私立進学の家庭には必要です。

ネット上には、私立の学費で施設費用などが必要なことを知らない人も多く、どうも「私立の学費が0円になる」という勘違いをしているような頭ヘンな人が、意味不明な政治主張をしている例も多いですが、けっして真に受けてはいけません。

ネット上には「私立の建物に税金投入するなんて許されない!」とか、まったく起きてない事例を批判している、頭おかしい人もネットに多くいます。無償化の対象は授業料だけです。建物は対象ではないです。

無償化されるのはあくまで授業料のみであり、建物さんは授業もしてないし、建物さんが教員免許を保有しているわけでもないので、頭おかしい人が頭おかしい事をネットで主張しているとしか言いようがない。

ほか、公立高校の学費を、勘違いして0円 ~ 年間10万円 程度だろうと勘違いしている頭おかしい人もネット上には多くいます。

よくある勘違い[編集]

旧制高校と新制高校[編集]

よくある勘違いなのですが、第二次世界大戦の終戦前の旧制高校は、今の高校には相当しません。

たとえば「旧制一高」(きゅうせい いちこう)は、今の東京大学の駒場(こまば)キャンパスの場所にあった高校です。旧制に東京府立一中だった戦後の都立・日比谷(ひびや)高校とは、関係ありません。

高校は高等教育ではない[編集]

高校は、中等教育です。高校は後期中等教育です。

小学校が「初等教育」。

中学校が「前期中等教育」。

高等学校が「後期中等教育」。

大学が「高等教育」。

参考文献[編集]

書籍[編集]

  • 佐藤優 編著『埼玉県立浦和高校論文集』、K&Kプレス、2019年12月15日 第1刷 発行、
  • 酒井朗 ほか編著『よくわかる教育社会学』、ミネルヴァ書房、2012年4月20日 初版 第1刷 発行、

脚注[編集]

  1. ^ Yahoo知恵袋『岡山の私立高校って、昔は底辺校だったってこと多くないですか??』2023/9/7 22:30 2024年4月1日に確認,
  2. ^ 平林 亮子『高知県民はなぜ「私立中学」を選ぶ? 四国・中国、九州地方の中学受験事情』、ARUHIマガジン、2022.01.06 2024年4月1日に確認,
  3. ^ (ツイッター)東京高校受験主義、午後8:46 · 2023年8月26日 2024年03月31日に確認.
  4. ^ 『【都立高校】自分の「好き」を学びませんか?』 2022/01/20
  5. ^ (動画)CASTDICE TV『偏差値60をとるのが年々難しくなっている理由』2024/02/04、 8:20 あたりから 2024年04月22日に確認.
  6. ^ (動画)行田kokojuken34_ 『【仰天!?】共学校でこんなに違うのか!【男子、女子比率】』 2024/03/09 2024年3月31日に確認.
  7. ^ pdf 文部科学省 初等中等教育局参事官付(⾼等学校担当) 著 『⾼等学校DX加速化推進事業(DXハイスクール)』、2024年 ? (アドレスより推測)、
  8. ^ 山崎 博敏 研究代表『教育人口の変動と学校の規模・再編統廃合』、kaken、公開日: 2012-07-19
  9. ^ 『北関東に多い「公立高校の男女別学」は時代錯誤か? 共学化めぐる議論の歴史』、弁護士ドットコムニュース、2022年01月01日 09時33分 2024年3月31日に確認.
  10. ^ 『北関東に多い「公立高校の男女別学」は時代錯誤か? 共学化めぐる議論の歴史』弁護士ドットコムニュース、2022年01月01日 09時33分 2024年3月31日に確認.
  11. ^ 朝日新聞『減りゆく公立高の男女別学校 7割が埼玉・群馬・栃木に集中のなぞ』2023年12月13日 12時00分 2024年3月31日に確認.
  12. ^ 『芝浦工業大学柏高等学校の誕生 学校概要 芝浦工業大学柏中学高等学校』 2023年12月02日に確認.
  13. ^ pdf 大貫眞弘・竹林和彦 共著『高等学校段階における卒業論文カリキュラムの検討』 P.179
  14. ^ pdf 大貫眞弘・竹林和彦 共著『高等学校段階における卒業論文カリキュラムの検討』 P.179
  15. ^ pdf 大貫眞弘・竹林和彦 共著『高等学校段階における卒業論文カリキュラムの検討』 P.183 の注6 2023年12月02日に確認.
  16. ^ 後藤健夫 著『増加する「Fランク大学」、“ボーダーフリー”時代の大学の選び方』、ダイヤモンド社教育情報、2022.12.22 3:20
  17. ^ 佐藤優 編著『埼玉県立浦和高校論文集』、K&Kプレス、2019年12月15日 第1刷 発行、P42
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