高等学校保健体育保健/精神の健康

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
このページ「高等学校保健体育保健/精神の健康」は、まだ書きかけです。加筆・訂正など、協力いただける皆様の編集を心からお待ちしております。また、ご意見などがありましたら、お気軽にトークページへどうぞ。

脊椎動物の脳の構造と働き[編集]

ヒトの脳の構造
ヒトの脳の横断面
興奮の伝導経路


感覚器で受けた刺激の情報は感覚神経によって脳(のう、brain)へ送られ、 脳はその情報を判断し、 運動神経によって効果器に情報が送られ反応する。

脊椎生物の脳は大脳(だいのう、cerebrum)、間脳(かんのう、diencephalon)、中脳(ちゅうのう、midbrain)、小脳(しょうのう、cerebellum)、延髄(えんずい、medulla oblongata)からなる。 ヒトの脳には約一千億個のニューロンがあり、そのニューロンには数千のシナプスがあり、複雑なネットワークを形作っている。

  • 大脳

大脳の構造は、左右の半球に分かれており、それら左右を結ぶ脳梁(のうりょう、corpus callosum)がある。 両半球は表層は大脳皮質(だいのうひしつ、cerebral cortex)でおおわれており、ニューロンの細胞体があつまって灰色をしているため 灰白質(かいはくしつ)という。 内部には大脳髄質(だいのうずいしつ、cerebral medulla)があり、多くの神経線維が通っていて白色をしているため 白質(はくしつ)という。 大脳皮質には、新皮質(しんひしつ、neocortex)と、古皮質(こひしつ)および原皮質(げんひしつ)からなる辺縁皮質(へんえんひしつ)がある。ヒトの大脳では新皮質が発達している。ヒトの古皮質および原皮質は、大脳に囲まれており、そのため内側に古皮質および原皮質が隠れている。

新皮質には視覚・聴覚など感覚の中枢があり( 感覚野(かんかくや) )、また、運動の中枢があり( 運動野(うんどうや) )、また、記憶・思考・理解などの学習を必要とする精神活動をつかさどる中枢( 連合野(れんごうや) がある。 辺縁皮質は、本能などを司る。辺縁皮質にふくまれる海馬(かいば)という部分が記憶を主につかさどる。

  • 脳幹

中脳・間脳・延髄を 脳幹(のうかん) という。

  • 間脳

間脳の位置は中脳と大脳の間に位置し、構造は視床(ししょう、thalamus)と視床下部(ししょうかぶ、hypothalamus)に分かれている。視床下部に自律神経系の中枢があり、体温の調整や内臓の働きを調整している。また、視床下部は脳下垂体(のうかすいたい)とつながっており、ホルモンの分泌を調整しており、血糖値を調整している。視床は大脳への感覚を中継する。

  • 中脳

中脳の構造は、間脳の後方、小脳の上方に位置している。 中脳の働きは、間脳と小脳との通路になっている。眼球運動や瞳孔反射の中枢、聴覚反射、姿勢制御などを司る中枢がある。

  • 小脳

小脳の構造は、大脳の後下部に位置している。 小脳には、体の平衡、筋肉の運動機能を司る中枢がある。

  • 延髄

延髄の構造は、脳の最下部に位置し、脊髄に続いている。 延髄には、呼吸・血液循環(心臓の拍動)・消化などを司る中枢がある。


延髄より下の体の右側は、脳の左側が担当する。延髄より下の体の左側は、脳の左側が担当する。なぜなら、神経が延髄を通るときに、多くの神経で、左右が交差するからである。したがって脳の右側が損傷すると、体の左側が麻痺(まひ)・不随(ふずい)になる。

参考: 血液脳関門(けつえき のうかんもん)
(※未執筆)

自律神経系[編集]

自律神経(autonomic nerve)は、意思とは無関係に、他の器官に情報を伝える神経である。 自律神経はホルモンに比べて、比較的早く、局所へ作用する。 自律神経には、働きの異なる二つの神経系があり、交感神経(こうかんしねけい、sympathetic nerve)と副交感神経(ふくこうかんしんけい、parasympathetic nerve)とに分けられる。

交感神経は、敵と戦うなどの身体が活動的なときや緊張状態のときに働く。一方、副交感神経は、休息したりなどの身体が非活動的なときに働く。

たとえば、動物が、命がけで敵と戦うとか、あるいは敵に襲われて命がけで逃げなければならない、としよう。そのときの神経の働きを考えよう。

まず、命がけなので緊張をするはずである。なので、交感神経が働く。敵と戦うにしても、逃げるにしても、すばやく力強く活動をする必要があるので、心臓の拍動が激しくなって、血行が良くなる。また、呼吸が活発になることで、すばやく力強く動けるようになる。いっぽう、敵から攻撃されたときの出血を減らすため、血管は収縮している。交感神経の働きは、このような働きになっている。

このように、交感神経は、闘争(そうそう)や逃走(とうそう)のときに、よく働く。この「闘争や逃走」のことを、英語でも fight or flight (ファイト・オア・フライト)という。

多くの場合、交感神経と副交感神経は、反対の作用を持つので、拮抗(きっこう)的に働く。交感神経と副交感神経は、同じ器官に分布している事が多い。


交感神経は、脊髄の末端から出ていて、分布している。

副交感神経は、中脳延髄および脊髄の末端から出ている。

自律神経は間脳の視床下部に中枢がある。

神経の末端からは、情報伝達のための神経伝達物質が放出される。 交感神経の末端からは主にノルアドレナリンという神経伝達物質が分泌される。副交感神経の末端からは、主にアセチルコリンという神経伝達物質が分泌される。


※ 2022年以降の新カリキュラム用[編集]

この単元を読むにあたっての注意[編集]

※ 2022年から、いわゆる「精神病」についての記載が検定教科書に導入される予定です。世間的には「精神病」と言いますが、教育的には「精神疾患」(せいしんしっかん)と言います。
おそらく、躁うつ病(そううつびょう)や統合失調症などの用語の意味を学ぶことになります。
なお、「心身症」(しんしんしょう)という用語なら、1990年代から、とっくに習っている。『中学校保健/欲求やストレスへの対処と心の健康』でも心身症という用語は習っている。


じつは、精神病には、まだ未解明なことが多い。(「解明できた」という医学者もいるかもしれないが、ウソつきである。医師といえども、ヤブ医者がいるのだ。)

※ 念のため指摘しておくが、たとえば脳波の測定をしたり、脳のMRI画像などをいくら撮影しても、それだけでは何も解明したことにならない。(たとえば、まちがった俗説で「アルファー波が出ていると、脳が落ち着いているので健康に良い。いっぽうベータ波は落ち着いてないので健康に悪い」などという俗説があるが、しかし認知症の患者でも症状ゆえに落ち着いている場合もあるのでアルファー波が出たりする場合もあるし、認知症のせいでベータ波が出づらくなるという事例もある。)
ホラー映画を見ている人が怖がってるので、「きっと脳波は活発的だろう」と研究者が測定してみたら、むしろ脳波は普段よりも落ち着いていた、なんていう意外な結果も知られている。
結局、脳波だけを見ても、大したことは分からないのが科学の現状である。せいぜい、起きているか寝ているかとか、生きているか死んでいるかとか、その程度のことしか分からない。しかし、いちぶの不届きな研究者は、出世欲のために測定した脳波の波形を、自分の学説に都合よく解釈して、それをマスコミなどで広めようとする。

精神病では、もし患者の死後に解剖で脳を解剖しても、残念ながら、精神病で無い患者の脳の解剖と比較しても、精神病患者の解剖した脳には異常が何も見つけられないのが現状です。

このため、ガンや心疾患などの身体的な病気などとは違い、精神病では解剖によって検証(なお医学用語で「剖検」(ぼうけん)と言います)することが困難、ほぼ不可能です。


なので精神医学では、権威ある医学書に書かれたことであっても、数十年後に否定される事も多く、特に精神医学では、そういう事がよく問題になっており、特にアメリカ合衆国では最新の学説をどんどん医療現場で実験するので、そういう問題が起きている。

たとえばアメリカの医学書で、カッツング薬理学という権威ある分厚い医学教科書があり、これの(たしか)カッツング・コア薬理学 第8版には、向精神薬を5歳児童に処方した事例なども書かれているので、あたかも、医学生の読者は手本のように誤解するかもしれないが、しかし、このよう低年齢児童に向精神薬を気軽に処方する事例は、のちにアメリカ本国でも問題視され、製薬会社の都合のために薬を濫用してるのではないかとか、問題視された。日本の報道でも、アメリカのこのような事例の紹介が2010年ごろだったかNHKの番組(『クローズアップ現代』(※ リンク先はウィキペディア))で報道された。


また、精神病のいくつかの疾患の定義が、コロコロと変わり、かつては病気とされたものが、病気ではなくなったりして、本当に解明できているのかも疑問がある。

世界の大学レベルの精神医学ですら、こんな状況である。

なので本ページでは、その病気の原因や、具体的な治療の方法は取り扱わずに、用語の大まか意味を説明することにする。


薬物療法には批判点も多いが、しかし歴史的には、脳外科手術(ロボトミー手術)による精神疾患による副作用(意欲低下)などが問題視されたという経緯がある。ロボトミー手術よりも比較的に安全であり、しかも副作用も少ない治療法として、薬物療法が普及したという背景もある[1]

精神医療の歴史は紆余曲折(うよきょくせつ)としており、けっして一筋縄(ひとすじなわ)ではいかない。


また、アメリカ中心の精神医学は、上述のように聞くと悪く思えるかもしれないが、しかし歴史的には、かつて統合失調症などの精神疾患の判定基準は国によってマチマチであり、国ごとの差が大きいので、信頼性に欠けたり不都合があるとされたので、1980年代あたりからアメリカが主導して統合失調症などの診断基準の国際共通化を進めてきたという背景事情もある[2]

なお、1990年代からは、名目上は国連WHOなどが診断基準の作成を主導している。(だが名目であり、実際はアメリカの影響が大きく、そのためか上述のような子供への投薬問題などの議論も2000年代には起きた。)またなお、精神疾患の診断の国際基準としては、主にICSDやDSMがある。

本当、精神医学の歴史は、つくづく紆余曲折である。それだけ学問的には新しい分野(悪く言うと未熟、よく言えば斬新・革新・進歩的)であるという事だろうか。


用語の意味[編集]

  • 躁うつ病

躁うつ病とは、自分の意志とは関係なく、気分が明るくなったり、気分が暗くなったりする病気。

躁(そう)が、気分のあかるい状態のこと。

うつ(鬱(ウツ))とは、気分のくらい状態のこと。躁鬱(そううつ)病とも言う。「憂鬱」(ゆううつ)のウツと同じ漢字。患者が「うつ」の状態のことを「抑うつ」(よくうつ)ともいう。


「気分が明るいだけなら問題ないのでは?」と思われるかもしれないが、もし患者の注意力が散漫になったりする場合、躁(そう)の状態でも問題視される。


  • 躁(そう)病

たとえば、自動車の運転中に注意力が散漫で、しかも無謀にも高速を出していたりなどの運転をしていれば、交通事故を引きおこす可能性もあるので[3]、そういう場合があれば問題視される。というか、実際に重大事故をひきおこした患者が、周囲のすすめて強く精神科の受診を要求されて診断を受けた結果、「躁」(そう)病だと診断される場合がある。

※ 死亡事故で交通違反で他者をひき殺すと、さすがに逮捕されて交通刑務所に入る羽目になるだろうが、しかし死亡でない事故だと、ほとんど民事訴訟的な賠償だけで済んでしまう場合もある。
しかし、実社会としては、そういう重大事故を引きおこしそうな注意管理を怠っている人間を野放しにするワケにはいかない。なので、そういう注意管理を怠っている人間が、周囲の圧力により「精神疾患」の患者として追い込まれる。
本人が精神科の診断を断ろうとしても、勤務先などの会社が診断しないことを許さず、診断を強く会社がすすめることもある[4]

「躁」自体、このような危険性もあるので(というか、そういう危険を冒しそうな要注意人物が「躁」だと精神科で診断されるのだろう)。

なので、よく世間では「躁鬱」などとセットで言われる場合もあるが、しかし「うつ」症状が無くとも、「躁」病だけでも疾患として扱われる[5]

※ 読者には疑問として、「もしかして、多くの『躁』病とされるトラブルは、倫理観(注意管理に手間やコストを払いたくない等のワガママ)の問題では?」という疑問もわくかもしれないが、しかし現実として治療では、とりあえず脳の分泌以上などに起因するとして、鎮静的な薬物が投与されたりする。
「禁治産者にすべきでは?」という疑問

「精神病患者への偏見は良くない」などとよくシタリ顔でリベラル気取りの知識人が言うが、現実には、重大な事件などを起こさない限り、例外として「うつ」病以外の精神疾患を強く周囲から疑われて通院を薦められる事態は比較的に少ない。注意深くて温厚な人が、統合失調症や躁うつ病などの「精神疾患」だと診断される事例は少ない。(なぜなら、そもそも強制入院の要件で、傷害事件などの刑法犯罪の可能性が要件になっている。) 軽々しく「精神病への偏見はよくない」等といって、明らかに乱暴な人物と、仕事に復帰しようとしている「うつ」病などの患者を混同する事こそ、本来なら「精神疾患」の用語の濫用であり「うつ病」への偏見であろう。


テレビ番組だと上記のような突っ込んだ議論はされないが、ラジオ番組などでは、たびたび精神疾患の話題が紹介される場合があり、2005年ごろのラジオ番組で、「なんで、うつ病の治療で会社の工場に復帰して仕事しようとしている私が、院内の集団カウンセリングで出会った知人の、作家を目指している「躁」病の知人の精神障碍者と同じふうに世間から見られるのか、正直言って私は納得いかないです」などのような体験談・感想がラジオ放送されていたこともあった。


乱暴なだけの人物、あるいは幼稚な人物と、本当に脳の分泌異常などの生理的な疾患のあるために注意散漫な人との区別の方法なんて、残念ながら医学書には書いていない(少なくとも、医学部の学部レベルのぶあつい教科書(500ページを超える教科書でも)、書いてない)。

精神医学は残念ながら、この程度のレベルの低さであり、それが現在の人類の精神医学における「躁病」の学説の限界である。


かつて、民法などには「禁治産者」(きん さんしゃ)という制度があり、あまりに注意散漫だったり、あるいは知能があまりに低い場合には、権利を制限する制度があった。

しかし近年では、この「禁治産者」は人権思想に反するとして、第2次大戦後戦、禁治産者の減らされていた権利をなるべく増やす改革の方向に向かい、そしてついには、「禁治産者」の制度自体が無くなった。「青年被後見人」という近い制度があるが、しかしこれは権利をなるべく減らさない方向である。


禁治産や青年被後見人だと、大幅に権利を制限され、大ゴトになるので、そこまでのことではないが、しかし権利を制限せざるを得ない場合に、法の抜け穴のように、「躁」病が診断されている実情がある。


本来なら理想論では、生物的・分泌的な異常が不明ならば青年被後見人の制度のほうを拡充すべきかと思われそうだが(たろえば改革案として、段階的に軽度の権利制限を容認する段階的 被後見制度などを設けたり等の法改正など)、しかし、現行の青年被後見人制度はそうなっておらず(段階化はされていない)、重度の認知症患者や、重度の知能障害などの成人(成年)だけを対象としている。(おそらく、憲法の自由権などとの関係から、重度の知能障害の無い限り、権利を制限する事は難しいので、そのような後見制度の段階化は無いのだろう。しかし社会の実態として、精神医療を通じて、間接的に権利の制限は行われているという、いわば『法の抜け穴』のような状態である。)

「自衛隊は軍隊ではない」とか「パチンコは賭博ではない」と同様の、日本の法律の形骸化の具体例のひとつである。


  • 統合失調症 (とうごうしっちょうしょう)

統合失調症は、定義が広い。

単に、「考えがまとまらない状態が長く続く」みたいな定義もあれば、「幻覚が見える」「幻聴が聞こえる」みたいな定義もある。ありえない妄想(「宇宙人が攻めてくるぞ!」みたいなの)を信じ続けているというような定義もある。

かつて「精神分裂病」と呼ばれていたが、「精神分裂病」だと人格の分裂する病気だという誤解を助長したり、患者の人格を否定するような名称の病名だとして偏見を助長するとして、2002年に「統合失調症」に改名された。


要するに統合失調症とは、「意識を統合するのに失調する病気」というような意味である。

要するに、幻覚があり、なんだかよく分かんない精神病は、とりあえず「統合失調症」に分類されているような状態である。

なので、ためしにネットで「統合失調症」の説明を調べてみると「統合失調症の結果、怒りやすくなることがある」という説明もある一方で、「統合失調症の結果、落ち込んで行動力の無くなることがある」という対立するような説明すらあるような状況ですらある。


なお、さきほどの「幻覚が見える」と書いたかもしれないが(版によって有無の違う場合あり)、医学的には「幻視」(げんし)という。

幻覚の「覚」の字は、感覚の「覚」の字なので、視覚の「幻視」以外にも聴覚の「幻聴」などであっても、医学的には、「幻視」「幻聴」ともに「幻覚」という。

読者は中学の理科で、人間の五感を習い、視覚・聴覚・触覚・嗅覚・味覚を習ったハズである。


学術的には、五感のうちの4つの感覚に対応した「幻覚」として、「幻視」、「幻聴」、「幻嗅」(げんきゅう)、「幻味」(げんみ)などの用語もあるが、高校生ではせいぜい、幻視と幻聴だけ知っていれば十分だろう。

※ ワープロソフトなどで漢字変換しても、幻視と幻聴は変換で出てくるが、嗅覚と味覚の幻覚のほうは変換に出てこない。


統合失調症は、本人の倫理や思想などではなく、比較的に生物学的な要因が大きいとされ、遺伝的な影響が大きいとされる。

その根拠として、

世界的にどの国でも発生率がどの国でも一定している事、

および

養子に出された人の、生物学的親と養親とで、生物学的親が統合失調の場合、子の統合失調も多いという統計がある事、

などが根拠になっている。

医学書などでは、養子なので、生物学的親の教育の影響は無いだろう、という判断のようだ。


だが、実際の養子とは、必ずしも生物学的親と子の関係を絶つとは限らないので、やや気をつける必要がある。(てっきり「捨て子」をイメージしそうだが、そうではない。)

たとえば、親戚の家系が途絶えそうなので、その親戚の家に子を養子に出すという場合がある(作家の江川達也(漫画家)がそういう家庭である。なお作家本人がその経歴を公表している)。このような養子縁組の送り先がもとの家庭に近い場合、生物学的親と子の交流は、養子に出された後も続くだろう。


また、生物学的親が非・統合失調で裕福だがなんらかの理由で(たとえば上述のように)養子に出した場合などは、たとえば養親の家庭に資金援助のある可能性すらもありうる。

一方で、生物学的親が統合失調の場合、貧困な場合のほうが多いだろう。このように、統合失調の親と非統合失調の親では、経済状況も異なっている事を留意する必要がある。

対照実験の生物学における例
パスツールのフラスコによるハエ発生の実験
Swan neck falsk experiments sealed japanese.svg


医学の学説の精度の低さ[編集]

読者の学生としては、一見すると養子の統計解析はいわゆる「対照実験」のように見えるかもしれない。しかし医学では、実は厳密には対照実験が不可能である事を考慮しておく必要がある。

精神疾患にかぎらず、医学においては倫理的に、人体実験により健常者に重度の病気にかからせるような人体実験をするわけにもいかない。なので、医学では、人間特有の複雑な病気かつ重度の病気では、実は対照実験が出来ない場合が多い。特に精神医学では、動物実験すらも出来ない場合が多い(動物が幻覚を見てるかどうかすら、人間には不明である)。

また、倫理的・社会的な事情により、養子縁組で対照実験を、不特定かつランダムになるために強制的に養子縁組を法律的に強制するわけにもいかないので、サンプルがある程度は片寄っている可能性も考慮しなければならない。ネズミなどの動物実験ならば、親子のネスミを科学の進歩のために強制的に引きはがして生活させる等の動物実験も可能だが、しかし人間でそのような非人道的な実験をするわけにはいかないからである。


なので、医学の「対照実験」とされる実験や研究があるとしたら、それは相対的には「対照」性が高い実験・研究という程度のものにすぎず、けっして厳密に絶対的な対照実験ではない。このため、「対照実験」をもちいた研究の成果とされる学説の精度は、一般の物理学や化学・生物学などの学説と比べると、医学の学説はあまり精度が良くない事に、われわれは留意しなければならない。

このような精度の低い相対的「対照実験」で証明できるのは、けっして因果関係の証明ではなく、当面のあいだの相関関係の証明でしかない。(※ なお、「相関関係」の用語の数学的な意味についてはwikibooks高校数学の『高等学校数学I/データの分析#相関関係』を参照せよ。)

また学生のリテラシーとして知っておくべき事としては、実は、科学における「因果関係」の証明とは、とても難しく、とても多くの種類の実験を要求するのである。wikibooks『検定外高校生物#科学リテラシー』にあるだろう「コホート研究」の用語を調べてもらえれば分かるだろう。

小学校や中学校・高校などでは、教育時間の都合などにより、証明となる実験例を1つか2つなどの少数の実験にまとめざるを得ない。しかし実際に研究において因果関係を科学者コミュニティが証明するには、その何十倍もの多様な実験が科学者たち全体によって背景として行われている。学校の教科書では、何十種類もある実験例の中から、若者・子供や諸学者にも分かりやすいものを選んでいるだけに過ぎない。


心理学と精神医学の違いなど[編集]

カウンセラーと、精神科医とは、職業が異なる。カウンセラーに医師免許は不要。

なお、医師免許は、けっして、いちいち「外科免許」とか「内科免許」とかは分かれていない。

医師免許を取れば、法律上は、なんと新人医師でも、外科でも内科でも小児科でも精神科でも、法律上では、なんでも診察できてしまう。


さて、躁鬱(そううつ)などの症状が、単にその人個人の思想や知能の問題なのか、それとも脳の何かの神経伝達物質などの分泌異常といった生理学的な異常に起きているのか、あるいは無意識の記憶の問題なのか、実は診察するのは困難である。

よほどの知能障害でないかぎり、思想や知能に起因しているのか、それとも脳の生理異常に起因しているのかの困難であるようだ。

また、無意識の記憶による場合と、脳の分泌生理異常による場合との判定も困難である。


躁鬱病や統合失調症は、定義上、脳の神経伝達物質の分泌異常などの生理的な疾患だとされている。なので、あくまで机上の理論上では、問題が起きない。

つまり、

医師A 「この患者の『躁うつ病』は、本当に脳の神経伝達物質の分泌異常だろうか?」
医学者B 「分泌異常である。なぜなら、そもそも『躁鬱病とは、神経伝達物質の異常によって起こされる、気分の過度な高揚と落ち込みの周期的な症状のことを言うからだ。よって、この躁うつ病の患者は『躁うつ病』である。」

こういう、前提と結論とが同じになっている循環的な理論(論理学の用語でこういう循環的な論理構成を「循環論」(じゅんかんろん)といい、悪い論法とされています)は、矛盾こそ無いものの、科学などの実用では役立ちません。循環論は、英語ではトートロジー tautology といいます。

たとえば数学で、「もし代数Aと代数BとがA=Bの関係だと仮定した場合、よって結論は A=B である」といってるようなものであり、矛盾こそ無いですが、なんの役にも立っていない論法です。

なぜなら、その前提の仮定が本当に満たされているかどうかは、なんの検証もされていないからです。

※ ただし、文学などでは「私は私である。私以外の何者でもない。」などと強調の繰り返し的な表現などとして、トートロジー的な文章構成が用いられる場合もある。この「私は私である」の場合、自尊心などの強調表現だろう。


つまり、そもそも、「その患者は、本当に『躁うつ病』に分類すべきなのか?」という疑問があるわけですが、こういう問題点は、精神医学では、あまり教育されていないのが現状です。なぜなら、患者が本当に精神病かどうかの検証しようとすると、経済学や現代思想や教育学や文化人類学などの膨大な知識が必要になってしまい、残念ながら、医療の現場では、そこまで手間が回らないのが現状だからです。

このため、ある『患者』の精神不調が、本当は思想や知能の問題、未成年なら精神発達の問題であっても、分泌異常に分類されてしまう危険性もあり、よく(書籍などでも、既存の精神医学に反対する立場から)批判されています(「反精神医学」と言う)。


日本にかぎらず欧米でも精神医療では「精神の不調を訴える患者には、とりあえず向精神薬をしばらく処方する」というような治療(?)も、されてしまっているのが現状である。(アメリカでは、まさにそれが問題視された。5歳児の児童に向精神薬という問題も、こういう「とりあえず投薬」が問題視されているワケだ(ただし、児童じしんが精神不調を訴えているワケではないが)。)

※ 誤解の無いように追記するが、もし医師から医薬品を服用するように命じられたら、きちんと服薬しないとダメですよ。よくある医療トラブルが、患者が飲んだハズの薬が、実は患者が飲んでなかったというトラブル。これをされると、医薬品の処方の量が間違ってしまうので、(効き目が現れないのを医師が見て、次回からの薬品の量を増やしすぎたり、あるいは減らしすぎたりして、その結果、医療事故につながりかねない。)


精神科にかぎらず、病院では、訴訟対策もあってか、「不調を訴える患者には、とりあえず投薬」という治療(?)がされるという事例が後を絶たない。内科でよくある話では、風邪かもしれない患者に、とりあえず抗生物質を与えるなどの医療事例も横行しているという。

また、本当に投薬の必要な患者の場合もありうるので、医師からすれば、とりあえず投薬せざるを得ない事情もある。もっとも医師の側もバカではないので、治療の初期では効き目の軽い薬を薬剤師に出させるのが普通。(医薬分業というのがあり、制度上、病院の外部に患者が持ち出す薬については、医師は医薬薬品を直接は出せず、薬剤師に出させる制度になっている。)
※ なお、風邪のほとんどはウイルス性であり、そして抗生物質はウイルスには効果がなく、抗生物質は菌の一種にしか効果が無い。
※ 残念ながら、慎重ゆえに投薬しなかった医師が訴えられる場合もありうるので、よって投薬せざるを得ない。結局、医療の水準は、国民の科学リテラシーの影響を受ける。


また、20世紀の冷戦時代のソビエト連邦(現在のロシア)などでは、こういう精神病の診察の困難さが、警察などの政治権力によって悪用され、政治犯などを精神病患者として、精神病棟という名目の収容所に監禁するという事態もあった。


ともかく、精神医療には、名前こそ「医学」「医療」ではあるが、実際には、人間心理や社会制度・社会問題などの、さまざまな知見も要求される。

歴史[編集]

おおまかに精神医学の学問の歴史を言うと、近代において、この分野の精神病理の発見を提唱したのは、医師のフロイトである。

なので、心理学の分野では、フロイトが有名である。

ただし、21世紀の現代の医学では、フロイトの提唱した治療法などの学説の多くは、疑問視あるいは否定されており、疑われている。

たとえばフロイトは、精神の不調の原因として、なんでもかんでも、幼少期の性欲に結び付けている

これはこれで、当時のキリスト教やヨーロッパ社会などの性欲表現に厳格な偏見の打破に役立ったかもしれず、つまり性欲の表現や女性の恋愛感情などに厳しいヨーロッパ社会の偏見を打破するの意義があったが、「だからといって、何でもかんでも性欲に結びつけるのは、いくら先駆者のフロイトさんといえども、やっぱ大雑把すぎるでしょう」という感じの評価が、現代の精神医学や心理学での主流のフロイト評価である。

※ ヨーロッパの性欲への厳しさといっても昔の高校生には分からないだろうから例を挙げておくと、たとえばイギリスでは20世紀なかばごろまで、「ゲイ(男性の同性愛)は逮捕」であった。実際、イギリスの数学者のチューリング(この人はコンピュータの研究者でもある。男)などもイギリスで同性愛の容疑により逮捕されている。
※ なお、話題は脱線するが、近年、同性愛者の権利運動などで「LGBT」(エルジービーティー、)が世界的に話題になっている事には、こういう欧米や諸外国での過去の同性愛者差別の歴史という事情もある。LGBTとは、レズビアン(女性どうしの同性愛者)、ゲイ(男性どうしの同性愛者)、バイセクシャル(男女両方を相手にする性愛者)、トランスジェンダー(いわゆるオカマ・オナベ)の略。なお、中東イスラム圏では現代でも、同性愛者に対しては厳しい。


なおフロイトの国籍については、フロイトはオーストリア(ドイツの隣りあたりの位置の国)の医者。フロイトの生きてた時代の19世紀後半~20世紀前半は、ヨーロッパが帝国主義の戦争に明け暮れてたような時代であるので、現代とは倫理観が違うので、そのため性欲表現などは厳しく扱われていたのである。

さてフロイトへの評価については、21世紀の現代でこそフロイトの学説には「証拠が乏しい」と疑問視されているが、しかし残念ながら20世紀末ごろまでは、「欧米先進国の教科書に書いてあるから正しい。古典に書いてあるから正しい。」という感じのズサンな教育が大学などでも普及しており、フロイトの学説が真実として鵜吞みにされていた(なので、読者がもし古い本を読む場合には気をつけろ)。

さてフロイトによる研究とは別に、欧米では19世紀以降の近現代で、たびたび事故などで頭を強く打ったりした患者や、建設事故などで工事用の鉄杭(てつくい)などが脳を貫通した患者などが、性格が事故前と事故後とで変わっているという事例もたびたび報告されたので、「脳の分泌異常など生理的要因によって、個人の性格は変わるものであろう」という認識が当時の学術界では、されてゆくようになった。


かくして、「個人の思想の問題ではなく、精神病という分泌異常による仕方ない心の病気が存在するらしい」という認識になっていった。


これはこれで、一見すると精神病差別に対する反・差別の勝利のようでメダタシのように見えるが、残念ながら20世紀後半ごろから今度は「精神の不調などは、何でもかんでも、脳の分泌異常のせいだ」という感じのズサンな診療が横行するようになっていった。(冒頭で例として挙げた、5歳児児童の向精神薬治療などは、まさにその例。)


他にも、近年、「アスペルガー症候群」などの擁護が話題になったが、しかし疑問も各国の医学会からは提出されており、一説では「アスペルガー症候群」に限っては実は精神疾患ではなく個々人の倫理観の問題だろうという指摘もされている。[6] もっとも、この疑問点の指摘すらもまた、仮説に過ぎず、精神医療には不明なことも多い。

精神医学で未解明なこと[編集]

精神医学がどの程度に不明なことが多いかというと、たとえば人類は、実験動物のネズミが(向精神薬の投薬などで)幻覚・幻聴を体験できるのかどうかすら、人類にいまだに知るすべは無い。[7]

このように不明なことが多い精神病理であるが、しかし統合失調症の統計に限ると、どこの国でも人口当たりなどの発症率がおおむね一定しているという統計的な数値結果があるので、国の思想などの価値観は、統合失調症には影響がうすいだろう、と解釈されており、(統合失調症に限ると)器質などを要因とする学説を補強する統計結果となっている。


しかし一方で、精神疾患がかりに遺伝的な病理だとしても、双子(一卵性双生児など)に注目した症例の統計解析をしても、精神疾患に関しては原因遺伝子などは特定できてない。[8]

精神病以外の、一般の病気での解析が究明でも、双子に注目した解析はよく使われており、肉体的な遺伝病に関しては、よく効果を出している。

具体例としては、精神疾患以外の病気のひとつであるハンチントン病という神経病だと、世界各地の双子たちの症例の有無などの解析により、だいぶ原因になりそうな候補の遺伝子が絞り込めていたという医学的な歴史がある[9]。しかし、精神病と神経病は、似ているようで、上記のような相違点もある。


精神疾患にも国際的な診断基準はあるが、しかし、精神疾患ではその国際基準そのものが、年月の経過で、よく変わる。さきほど紹介したアスペルガー症候群などの診断基準も、2010年以降の近年、変わっている。


薬物療法と精神療法[編集]

実際の精神病院などでの精神症の治療では、薬物による投与のほか、カウンセリングなどの精神療法が併用される。

向精神薬を使ってどうのこうのというのが、薬物療法である。

カウンセリングなどをするのが、精神療法である。


たとえ患者の精神症の由来が脳の器質に関する場合であっても、薬物療法だけでなく、カウンセリングなどの精神療法も併用して行われるのが一般的である。


普段の生活行動を見直させて、精神疾患の治療のための新たな行動様式を見に付けさせる「行動療法」も、「精神療法」の一種として分類される。

通院ではなく救急などの緊急の場合であるが、他者への障害行為や自殺・自傷などに及ばないかぎりは、患者におかしな言動などがあっても投薬をしないでおくのが救急医療では一般的な方針になっている。[10]

そもそも、精神保健福祉法(正式名称「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」)により、強制入院の基準として、「入院させなければ(中略)自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがある」(第29条)を基準としている。なお、本wikiでは説明の都合上、「強制入院」と書いたが、法律上は「措置入院」という。(医学書でも「強制入院」という表現はしばしば使うので、けっして用語としては「強制入院」は間違いではない。)

この他の精神関連の強制入院の事例として、たとえば向精神薬などの不適切な大量使用などによる中毒(症状として呼吸困難や けいれん など本人の身体上の危険もあるからだろうか)のさいの強制入院がある[11]


さて、行動療法について、例外として認知症のような明らかに分泌異常・器質的な要因による場合を除くと、多くの一般の精神疾患では薬物療法だけで治療されることは比較的稀(まれ)であり、通常は、精神療法・行動療法などで根本的な治療(原因療法)を進めていく。精神療法の補助や円滑化のために、薬物療法が用いられる場合が普通である(対症療法)[12]

おそらくだが、仮に疾患の原因が分泌異常などの要因によるものであったとしても、患者はどちらにせよ、普段からの生活や考え方を見直さざるを得ず、行動療法のようなものは必要になるといことだろう。


さて、精神保健福祉法にもとづく強制入院について、入院の判断基準の実情は、その精神疾患の患者が、刑法に違反する行為をしそうかどうかで判定されるのが通常である[13]


ただし、強制入院の患者の割合は少なく、入院患者の50%以上は、患者本人から(家族ではなく患者本人から)の同意による任意入院である[14]。残りの約40%は、患者の家族などからの要望による、医療保護入院である。患者本人の人権についての疑問点は残るが、しかし医療保護入院という制度が存在している。


さて、よく、小説やらドラマ番組など創作物で描かれる精神疾患の入院については、作劇上の都合で刑法犯をした精神疾患患者の強制入院などの事例が描かれていたりするが、実際には任意入院または医療保護入院の件数のほうが遥かに多い。


なお、読者はここまで読むと、精神疾患での強制入院の患者が、おおむね刑法犯であるという実態が分かるだろう。

原理的には、医療保護入院の可能性もあるし、他にも「刑法犯をしてない段階であり、これから犯行しそうなので先に入院させた」のような場合も理論的にはありうるが、しかし実態は、はるかに、「すでに刑法犯をしてしまい、逮捕後の精神鑑定の結果、この容疑者は精神疾患であるとして判定された」のような人物のほうが多いだろうか。

そもそも、名目上は「医療保護入院」とは言うものの、もしかしたら実際には家族などに対する傷害などの刑法犯罪が発生している可能性もあり、名目が必ずしも実態を反映しているとは限らないことも考慮しておく必要がある。(本来なら、刑法犯の恐れがあるなら「措置入院」として強制入院させるのが法律的な運用としては正しいはずなのだが、しかし患者家族の「一族から犯罪者を出したくない」という感情などの事情もありうる。パチンコは賭博でなかったり、自衛隊は軍隊でないとか、ソープランドは売春ではなく浴場とか、日本は法律が必ずしも真実とは限らない場合もある。)

※ なお、殺人・放火など重大な刑法犯の精神疾患については、「医療監察法」(いりょう かんさつほう)という、専門の法律で対処される(一般のカタギの精神病患者の入院とは法的にも区別される)。統計では、すでに犯罪を犯した精神疾患の刑法犯の多く(約3分の2)は、診察の結果、統合失調症であると診察されている[15]
医学書の無視している事

そもそもの疑問として、凶悪犯罪者のいう「幻覚が見えた。幻聴が聞こえた。」などの主張を信用していいのか?という疑問も読者にはわくかもしれないが、しかし精神医学書では、そういう発言者の信頼性の話題は無視しているのが通常。

とはいえ、精神医学以外の社会評論だと、たびたび、そういう批判を刑法犯の精神鑑定に投げかける評論家もいる。

残念ながら日本の司法制度では、犯罪の刑罰を軽くしようとして詐病(さびょう)による精神疾患を自称することが悪用される懸念があり、そして懸念がなんの解決もしていない。「詐病」(さびょう)とは、病気でないのに病気のフリをする事。

近年で代表的な事例としては、1990年代にテロの地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の教祖が、刑務所で詐病をしていて狂人のフリをしていると言われたが、しかし死刑が確定したので家族などと遺言のための面会をすることになり、狂人のフリのままでは遺言などを残せないので、そして詐病である事がメディアにバレたとされる事例がある(と、ジャーナリズムなどに教祖や司法制度が批判されている)。

このような殺人テロほどではなくても、日本では詐欺師などが障害年金ほしさに精神疾患を自称していたとしも、残念ながら有効な対策はあまり議論されていない。

残念ながら医学部で使うような精神医学書は、上述のような法律問題や社会問題をまったく無視しているので、なので犯罪者の精神疾患についての説明が支離滅裂であり、たとえば」

「統合失調症だからといって犯罪を起こすわけではなく、ほとんどの患者は犯罪を起こさない」というような主張のもと統計を説明する一方で、

それとは矛盾するような

「刑法版の凶悪事件の犯罪者の多くは、精神鑑定をされた場合、統合失調症として診断される」のような矛盾する説明を一冊の医学書のなかでしており、

ほぼ矛盾しており支離滅裂である。(いちおう、論理的には矛盾とはかぎらず、仮説として「一部の体質の患者にだけ、統合失調症は犯罪を誘起する傾向がある」のような仮説を考えれば矛盾は無いが、しかし精神医学書にはそんな学説はまったく記載されていない。実態は、単に矛盾があるのに、各国の医学者たちが自分の仕事に不都合なので矛盾を無視しているだけである。)

詐病に関する法律問題とか犯罪心理学などの問題は、医師の国家試験には全く出題されないので、そういう社会科学のような話題は医学書では無視されているのが実情である。なので、けっして医学書だからといって、鵜吞み(うのみ)にしすぎてはいけない。


もっとも、司法なども、そういう精神医学者の限界を把握しているのか、実際にはオウム事件のような凶悪犯に限っては、被告人が精神疾患を主張していても、死刑などになる。実際、オウムの教祖は死刑をされ、2020年までに、すでにオウム教祖は処刑されている。


日本の刑事訴訟法では、被告人が「心神喪失」にあるとされる状態のときには、死刑を停止しなければならない。そのためか、凶悪犯およびその弁護士はたびたび、被告人の心神喪失を主張する。

だが、現実としてオウム教祖は死刑になった。


結局、「自衛隊は軍隊ではない」とか「パチンコは賭博ではない」とかのような、法律が実態とズレているのと同様であり、現実を無視した法律があっても単に最終的には形骸化をして、骨抜きにされるだけである。

なので私たち現実世界に生きる人間は、見るべきは、けっして法律の形式ではなく、ものごとの実態を見る必要がある。


一般的に、もし法律が形骸化している場合、自衛隊のように公務員が実質的に従わないで「軍隊ではなく自衛隊です」みたいな形式的な言い換えをするか、でなければ、民間人が用心棒にヤクザのような非合法の暴力集団を雇ってヤクザが暗躍するかである。


アメリカの禁酒法のマフィア暗躍を持ち出すまでもなく、日本でも第二次大戦後でも、かつて日本で少年法が改正される前で少年犯罪が比較的に野放し的だった時代(いちおう、少年院などの制度はあるが)、度を越えているが逮捕されるほどではないので市中に野放しになっている少年犯罪に対しては、言い伝えでは、一般市民が地元のヤクザに金を払って、その少年への嫌がらせを依頼していた・・・なんて言い伝えも、よく言われている。(マンガになるが、『闇金ウシジマ君』という作品にも、そういう犯グレ集団の少年時代のヤクザからの嫌がらせ体験のエピソードがある。)


一般市民が法律を守ってくれる場合とは、「最終的にその法律を守ることで自身の安全につながる」と信用してくれている場合である。なので、もし法律が安全を守らない、となれば、誰もその法律を守らない。法が市民の安全を守ってくれないなら、一般市民はヤクザにカネを払うか、でなければアメリカの銃社会のように自身が武装集団と化すだろう。


実際、日本の道路交通法では、自転車は歩道ではなく車道を通行する事になっているが(アメリカがそうなので、日本も合わせている)、しかし日本の道路事情では、自転車の歩道通行は危険になる場合が多く、誰も自転車の車道通行を守ってないし、ヘタしたら取り締まりをする警察官自体が、自転車で歩道を通行している場合すらもある。

実社会とはこのようなもんなので、医学者が机上の空論で何を主張しようが、それは一般市民の社会には相手をされず、どこかで骨抜きをされる。自分でカネを出すことすらしないで、税金を財源にしている医者ならば、よほどのノーベル賞クラスの高度な先端科学知識でもなかぎり、学者が机上の空論を言ったところで市民から尊重されるわけない。臨床現場などでコツコツと働いている医者の所感こそが、市民から尊重されるわけである。


よく、啓蒙として「精神病への偏見は良くない」と言うが(医学書にもそう書かれている)、しかし精神病の強制入院患者は上述のように犯罪者であり、残念ながら犯罪を犯さない一般人と同程度の世間からの信用を強制入院患者にまで要求しようとするのは無理筋だろう。世間知らずの医者の理想論でしかない。

そもそも強制入院(厳密には「措置入院」)という措置自体、医療がその患者の自己管理を「犯行しそうな患者」と疑っており、なのに強制入院患者を「偏見せずに、信用しろ」というのは無理筋である。

なお、退院については、自傷・他傷の恐れが無くなったと精神医療の指定医が判断したら、都道府県知事はその患者を退院させなければならないとされる。退院は医者だけではなく、行政の知事の責任という、外部関係者の責任が入っており、おそらくは医療の制度が暴走しないようにとの行政上の配慮だろうか。


なお、精神病院の閉鎖病棟に関しては、病院の運営への定期的な外部審査の制度が義務化されており、都道府県による外部審査が定期的に行われている。都道府県の行政上の指導にもし病院が従わない場合、罰則もあるとされる。このように、精神病院が、けっして能力不足の精神科医によって牢獄(ろうごく)と化さないようにとの行政上の配慮もある。


このように書くと、入院の制度には不信・不満な点がいまいち多いように思われるかもしれないが、しかし歴史的には、精神疾患の患者の待遇は、かなりの改善をしたのである。

法律の歴史では、精神病院などの制度は日本では1900年ごろから登場したが(「精神病院法」など)、もともと、日本での精神疾患の患者の扱いは、ごく一部の例外を除いて、自宅に監禁するか(患者の家族に管理させる)、あるいは放ったらかしか、ごく一部の患者だけの入院だった。

医療資格や専門知識や治療・教育ノウハウなどを持たない素人の患者家族に管理させるのと比べたら、病院の医師に管理させるほうが、はるかにマシである。

21世紀の現在の日本の障碍者基本法は、法律上は障害を理由として差別の禁止を呼びかけている、実際の強制入院などの医療政策の方針は、上記のように、差別の国家による管理である。


いちおう、1900年代初期の当時の法律でも、精神病患者を不法に監禁しないように権利に配慮するような法律上の目的があったが、しかし財政上の問題もあり精神病院の建設はあまり進まず、患者の多くは自宅で監禁される状態だった[16]

さて、マスメディアでは1990年代ごろに心理学ブーム・精神医学ブームが起きたが(90年代当時の流行語「アダルトチルドレン」や、小説「24人のビリー・ミリガン」など)、実は精神病院・病棟の建設の件数では、もっと前の1960年代に精神病院などの建設ブームが民間の病院で起きている[17]


1980年代、日本の公立のある精神病院で、患者の虐待死とされる死亡事件が起こり、日本の精神医療は国際的な批判にさらされた。

このため、法改正がその後あいつぎ、かつての「精神衛生法」が「精神保健法」に名称が変わり、さらにその後、1990年代に「精神保健福祉法」に名称が変わり、そして2020年代の現代に「精神保健福祉法」のままの名称である。

幻覚以外・人格以上以外の精神疾患[編集]

精神医療であつかわれる対象は、必ずしも幻覚だけでなくとも、また人格・性格に直接的な異常は無くても、記憶力の障害や、睡眠障害など、脳と関係のありそうな障害も「精神疾患」として分類される。

認知症[編集]

高齢者の認知症も、医学・法律的な分類上は「精神疾患」に入ります。

認知症は、かつては「痴呆症」(ちほうしょう)と呼ばれていました。認知症は、高齢者に多い病気とされています。

ともかく分類上は認知症も精神疾患に含まれるので、なので、もし議論などで「日本で精神疾患の件数が増えている」などの主張があっても、それだけでは単に高齢化による認知症の増加と区別がつかないので、言葉の字面のイメージだけを鵜吞みにせずに気をつける必要があり、統計の詳細を吟味して、議論などの際には認知症の件数を除外した場合の統計なども調べる必要、もしくは論敵に調べさせるように追求する必要がある。


感染症による「認知症」

HIVウイルス(いわゆるエイズ)の感染によって物質的に脳細胞が破壊された結果に起こる脳活動の障害も、分類上は「認知症」として分類されます[18]

同様に、梅毒(ばいどく)の神経・脳への感染の進行による、脳活動の障害も、分類上は「認知症」です。

クロイツフェルト・ヤコブ病(いわゆる狂牛病のヒト感染)によるスポンジ脳症による脳障害も、「認知症」に分類されます。


このように、細菌やウイルスなどによって脳細胞が物質的に破壊された場合でも、分類上では「認知症」です。ただし、これらの感染症による「認知症」は、名前こそ認知症ですが、統合失調症などの症状である場合もあります。

もっとも、近年の日本で増えている「認知症」は、高齢に由来するものです(感染症由来の「認知症」ではないです)。


記憶障害[編集]

高齢者の認知症に限らず、記憶障害もまた、精神疾患として分類される。

なお、認知症は、症状の初期では、基本的に新しい事を覚えるのが苦手になるが、すでに覚えていることは比較的に保たれやすい[19]


アルコール依存症なども、記憶力の低下をもたらしたり、事実でない事を事実・体験と錯覚する症状がある。(コルサコフ症候群というものとの関連が指摘されている)。こういったアルコール依存症などの記憶紹介の症状も、精神疾患として分類される場合もある。

また、事故などによる頭部挫傷による記憶障害なども、精神疾患として分類される。火事などによる一酸化炭素中毒による記憶障害も同様に、精神疾患として分類される。

外因的な要因による精神疾患[編集]

頭部挫傷など外因的な影響によっても、人間の脳活動は影響を受ける。頭部挫傷などにより記憶障害や気分の異常などが起きる場合もあるとされる。

また、一説には、ウイルス性の脳炎などの影響でも、気分が異常になるなどの可能性が指摘されている。[20]

その他、シンナーや有機溶剤などの化学物質や薬物などの影響により、人間の気分は変わる。(※ なにも不良のシンナー吸引の悪癖という意味ではなくペンキ工などでも有機溶剤を使うので、職業病としての意味。)

なので、必ずしも、精神疾患は原因は、その人の内因的な神経的な要因または心理的要因によるものとは限らず、外因的な要因による場合もある。

また、内臓などは動脈や静脈などの血管を介して脳と繋がっているので、内蔵疾患が精神的な影響を及ぼす可能性も、精神医学的には考えられている。


睡眠障害[編集]

「夜なのに寝付けなくて、困っている」あるいは、「発作的に、不定期に急に寝てしまう」(ナルコレプシー)などの睡眠障害も、精神疾患として分類される。

※ なおwikibooksでは、健康人の睡眠のメカニズムについては『検定外高校生物』に記してある。


失行や失語[編集]

失行

たとえば、「服を着よう」と思ってるのに、胴体や筋肉は正常であるが、脳になんらかの異常があり、服を着るための動作をうまく出来ない事態を、「失行」(しっこう)という[21]

行動する意欲があり、筋肉なども正常なのに、脳の異常により行動できない状態のことが「失行」である。

「精神疾患」というと、ついついメディアなどでは、ドラマ番組などにしやすい うつ病、あるいは映画などで話題にしやすい統合失調症ばかりが話題になりやすいが、しかし「失行」のような事例も精神疾患に含まれる。

失語

医学でいう「失語」とは、脳卒中・脳梗塞[22]とかの大脳障害や、あるいは認知症[23]などにより、言語がうまく使えなくなる事です。

※ 精神的なショックとかは、まったく関係ありません。医学では認知症も『精神疾患』に含めるので、「精神疾患によって失語になる」場合もありますが、しかしその意味は「認知症によって失語になる」という意味かもしれません。

精神医学の専門書だけでなく、救急医学の専門書を読んでも、「失語」とは、そういう大脳損傷的な意味です。脳卒中や脳梗塞などで脳の言語をつかさどる部分などが損傷した結果として言語障害のある場合などに、医学は「失語」という[24]

※ マンガとかアニメとかで、ショックな出来事で登場人物が言語を話せなくなるエピソードがあったりしますが、あれは単なるフィクションです。実際の「失語」は、脳卒中・脳梗塞とか認知症とかです。

思春期の精神疾患[編集]

統計的には、10代後半の高校生や大学生くらいの時期に、統合失調症や 躁うつ病 などを発症しやすい人が、(小中学生などと比べると、)比較的に多いといわれています。(ここでいう「大学生」については、サラリーマン経験者などの社会人学生は除外する。高校の卒業後に大学進学するか、せいぜい2~3年の浪人で大学生になったような20歳前後の若者の場合。)

果たして、その若者の精神疾患の原因が、分泌異常のような生理学的・器質的なものなのか、それとも、いわゆる「5月病」のような環境変化によるものなのか、よほど極端な症例で無い限りは判別は困難ですが(精神医学の本では、分泌異常と決め付けているが、そんな決め付けは教科書を書くさいの学者の都合に過ぎず、実用の役には立たない)、ともかく統計的には、小中学校と比べて、高校生や大学生の時期は精神疾患を発症しやすい時期とされていますので、読者の皆さんは、自己の精神との付き合い方を考えていきましょう。

高卒で就職する人にとっては、「大学生」になれるなんて、うらやましいかもしれませんが。医大生むけの医学書を見ても、大学生のスチューデント・アパシー(いわゆる「五月病」)は記述されていても、高卒就職組のことなんて、まったく記述してもらっていません。


未分類[編集]

五大疾病[編集]

また、行政的な事情として、厚生労働省の注意の呼びかける五大疾病(ごだいしっぺい)に、精神疾患が入っています。

なお、五大疾病は「がん」「脳卒中」「急性心筋梗塞(いわゆる心臓病)」「糖尿病」「精神疾患」の5つです。

なお、統計的な死因の順序とは、五大疾病は別です。実際の国民の死因の第4位は(糖尿病ではなく)「肺炎」です。

従来、4大疾病といわれて「がん」「脳卒中」「急性心筋梗塞」「糖尿病」がそうだとされていたが、2011年に精神疾患が加わり5大疾病になりました。

なお、「脳卒中」と書きましたが、医学的には「脳血管疾患」という言い方のほうが厳密です。(※ 第一学習社の2021年版デジタルパンフの表記がそう。)

4大死因[編集]

※ 第一学習社の2021年版予定の検定教科書デジタルパンフレットで、「肺炎」が日本人の4大死因のひとつである事が紹介されています。
4大死因は、がん、脳血管疾患、心疾患、肺炎です。

その他[編集]

妄想[編集]

妄想なども、精神疾患に分類されるが、原因は多様であり、本wikiでは深入りしないとする。

精神疾患の「妄想」として、よく言われるは、「自分の考えが他人に盗聴されている、考えが周囲に漏れている」とか「自分は神である」みたいなのである。


なお、単に人格的な問題による妄想のほかにも、麻酔などの薬物治療の副作用により一定期間の妄想をしやすくなる場合もある。


てんかん[編集]

「てんかん」(漢字は「癲癇」)と言う、発作的に短時間(10秒ていど)のあいだ、意識が突然、消失・不明瞭になったり[25]、あるいは、短時間(10秒ていど)の身体的に痙攣(けいれん)が起きたりする病気がある。分類上、「てんかん」は、(神経疾患としてだけではなく、さらに)精神疾患としても分類される。 


古来から知られている病気であり、 確実な史料として、古代ギリシアの医者ヒポクラテスが、てんかんは、神がかりではなく(当時は『神聖病』と言われていた)、てんかんは肉体的な病気であるという主張をしていることが彼ヒポクラテスの著書に残っている[26]。(つまり、けっして現代病ではない。)


東洋では、やや不明確だが、たとえば古代中国の三国志の曹操(そうそう)は少年時代のイタズラの演技であるが、てんかんのフリをして大人を困らせたというエピソードも伝えられている。(ただし、中世に作られた小説の『三国志演義』や、近現代の歴史小説(大正時代の前後に活躍した吉川栄治など)の創作かもしれないので、覚えなくていい。だとしても、(第2次世界大戦後の現代と比べて)比較的に古い時代から「てんかん」は知られていることになる。)

西洋では、古代ローマ帝国の政治家カエサルも、一説には「てんかん」であったと言われている。実際に曹操やカエサルなどの彼らが「てんかん」かどうかは、古代の精神医学が未発達なので定かではないが、少なくとも古代当時から既存の概念として「てんかん」に相当する症状のあることが古代から知識階層に知られていたことは確実である。


てんかん発作時の脳波の測定をすると、発作時の10秒ていどの間だけ、脳波の波形の振幅が大きく乱高下する[27]。なお、脳波の測定技術は1929年に発明された。そのため、1930年代から、てんかんの脳波測定の研究が始まっている。

てんかん患者の発作時の脳波の異常などから分かるように、てんかんは脳の病気であるが、しかし一般に「てんかん」は知能の低下はもたらさない[28]


てんかんの患者は、医師などから職業指導などを受ける際、てんかん発作が重大な事故を引きおこす仕事(たとえば交通機関の運転関係など)には就職せずに避けるよう、指導される[29]

多重人格は少ないようだ[編集]

『ジキルとハイド』や『24人のビリー・ミリガン』など、ひとりの人間に複数の人格が宿ることを題材にした映画やドラマや小説は多いが、しかし精神疾患としては、そのような症例は少ないようであり、そもそも医学的には「多重人格」のような病名も無く、精神医学の医学書にも「多重人格」などという病名は紹介されていない。

これらの小説・映画などでは、別人格に変わってる間の記憶が無いが、しかし、現実の人間はなかなか記憶を失わないようである。

世間で「多重人格」とかつて誤解された「統合失調症」ですら(かつて「精神分裂病」という病名だった)、統合失調症では幻覚が生じたり判断力が低下したりするのだろうが、しかし、けっして人格が別人として豹変するわけではない。


認知症の患者ならば、もしかしたら最近の記憶を失ったり細かな記憶を失う場合もあるかもしれないが(いわゆる「物忘れ」)、しかし認知症は、いわゆる「多重人格」とは全く別の病気であるし、認知症の初期ならば昔のことを忘れずに覚えているのが普通である。

もしかしたら認知症のストレスにより怒りっぽくなるかもしれないが、しかし、けっして人格そのものが別人として豹変するわけではない。

実質的に、「多重人格」は、小説のなかのフィクションに過ぎないのが実態であろう。


「精神障害」とは[編集]

「精神疾患」とは、「精神障害」は意味が異なる。

「精神障害」とは幅広く、いろいろな障害を含み、統合失調症のような分泌以上的で重篤な疾患も精神障害である一方で、単なる反社会性パーソナリティ障害のような、生理的でなく本人の倫理的な問題かもしれない場合であっても「精神障害」という。[30]


※ なお、パーソナリティ障害とは何かというと、これはかつての典型的な「精神疾患」ではなく、かといって神経ニューロンの生理的な疾患というような「神経」疾患というものでもなく、なんだか人格に起因するような、障害をパーソナリティ障害という。そもそもパーソナリティ personality とは、人格・性格を意味する英単語である。
もっとも医学者は、『パーソナリティ障害』の医学的な定義をあげるかもしれないが、しかし、それは学者たちの都合による机上の空論であり、あまり実用的な意義は無い。
特に、『反社会性パーソナリティ障害』について限定すれば、その名の通り、反社会的な性格という障害、という程度の意味でしかなく、実際にマスコミ報道や社会評論などでも、そのような意味で用いられている。医学者の机上の空論による定義は、実社会では真実ではない。
たびたび、犯罪事件の逮捕された容疑者が、精神鑑定により「反社会性人格障害」または「反社会性パーソナリティ障害」と診察される場合があり、社会学者などの有識者などが、そのように「パーソナリティ障害」の意味を説明している。

また、法律的には、障害者福祉法などで、「精神障害」もその法の福祉の対象になっている。


PTSD[編集]

戦災や大災害などのストレスを体験すると、日常生活に戻っても、警戒感や恐怖感などが長期間ずっと抜けない場合があり、PTSD(心的外傷後ストレス障害、ピーティーエスディー)と言う。

大事件などが起きるたびにメディアではたびたび「PTSD」の語句が話題になるが、しかし実は脳科学的なメカニズムはあまりよく解明されておらず、そのため決定的な治療法は無い。

歴史的には、1970年代のベトナム戦争の従軍アメリカ軍兵士たちの、帰国後のアメリカでの生活中にも警戒感・恐怖感などが長期間ぬけないのが、話題に取り上げらたのが、PTSDという用語の誕生である。

治療法としては、PTSD患者が投薬治療を希望する場合は、とりあえず抗うつ薬(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)が処方されるのが通常であるが、しかし効果はいまいちであり[31]、決定的な治療法にはならないされている。

その他、患者に体験を語らせて自己分析させたり客観視させたりなどの方策もある。しかし、これもまた、効果は必ずしも、それほど良くない[32]


適応障害[編集]

サラリーマンなどの社会人が新しい職場などで、仕事などがうまくいかないため、会社に行くのが不安などで、なじめないで困る事を、適応障害(てきおう しょうがい)という。

もしかしたら読者には疑問として、「そもそも医学であつかうべき病気なのか? 労働者の待遇や個人の労働観の問題では? 退職すればいいじゃん? あるいはパワハラ問題とか? 治療すべきは患者ではなく、転職しづらい日本社会では? ・・・(以下略)」などの疑問はわくかもしれない。だが現実として(日本だけでなく欧米などでも)世界的に、適応障害の患者には、患者が治療をもとめれば抗うつ薬(こううつやく)などが処方されたりする。


実際のところ、医学的にも「適応障害」についての分泌的な特異性のある原因は解明できていない。そのため「適応障害」という、原因のよく分からない現象論的な分類をされてしまっている。

「適応障害」の患者のほうも、会社をやめるのではなく、投薬をつづけながら、会社に通う、または休職しながらも会社員として勤務先に所属したままにしている(そういう人が、「治療」を希望する。そうでない人は、さっさと退職したり転職するので)。


なお、うつ病自体が、欧米では20歳前後の年齢(※ wiki注: 欧米でも高卒・大卒の新卒の就職の時期に近い)で発症する事例が多いという統計が知られている[33]。日本では、20歳前後だけでなく、さらに中高年にも比較的に、うつ病が多いという統計がある[34]


また、精神疾患の 診断基準だけ は、国際的に共通化が進められており、すでに診断基準だけは国際共通化しているが(実態はアメリカが基準だが)、しかし、労働環境や教育制度などの社会制度は共通化していない、という国際的な差異にも、私たちは留意する必要があるだろう。

特に、転職を尊重するアメリカの雇用慣習と、(現在では不況で終身雇用は民間では実現不可能だが、)終身雇用を理想像とする日本の雇用慣習が、日米の「適応障害」の労働者の背景としては大きく違っていることに留意しなければならないだろう。


日本のマンガでは、高校生活や大学受験や大学生活など学校生活を話題にしたモノが多いので、そのため受験の心理的ストレスのノイローゼなどを描いた作品もそこそこあるが、しかし実際の社会では、(明治時代ならともかく)いまどきの受験なんて、学費さえあれば、とりあえずどこかの偏差値の低い学校に進学できるから大多数の人には(家庭が裕福なら)比較的にラクなのである。受験よりも、カネを稼ぐための就職活動やその後の仕事を続けるほうが大きな心理的ストレスである事が、読み取れそうである。(背理法的に考えれば、もし仮に、受験がうつ病を引きおこすプレッシャーなら、高校受験や中学受験でも同様の統計になってなければオカシイからである。)


「コミュニケーション障害」とは、

医学でいう「コミュニケーション障害」とは、もともとの意味では、盲目(もうもく)や、耳が不自由など、主に身体障害により、コミュニケーションが円滑に行えない状態のことをいう。

ネットなどでは、人付き合いがヘタな人のことを「コミュ障」だの言うが、ネットのそれは医学的な用法ではないので、けっして混同しないように。

ただし、「社会的コミュニェーション障害」という概念が近年には提唱されており、それは、場の雰囲気が読めないなどの意味があり、ややネットの用法に近い。


なお、場の雰囲気が必ずしも正しい保証は無く、たとえば戦前の日本の世論が戦争賛美に突入していく空気(雰囲気)の形成過程の研究をした(戦後の)評論家の山本七平『空気の研究』などの優れた文献もあるが、しかし残念ながら日本の大衆のほとんどには、そこまでの読書の教養が無く、なので軽々しく「空気を読む」などの用語を使う一般人が日本には多いという惨状なので(しかも自身をリベラル派や国際的だと思ってる無教養さ)、日本の世間一般のいう「雰囲気」のような意味での「空気」などの用法には注意が必要である。


ほか、文字はよめても文脈を読めない、などが「社会的コミュニケーション障害」または「自閉症」や「アスペルガー症候群」の症例などとして分類されるが、しかしアメリカの場合は、米国の国語教育(英語教育)では、なるべく論理的に明確な文章を書くように指導されているし、責任の所在なども明確化するような文章の作文の指導が(米国の国語教育では)されている。

しかし日本の国語教育のような、論理性を無視して文学趣味に耽溺しているような国語教育(問題視されたので文部科学省の改革により、2022年から国語教育で「論理国語」という科目が追加されるようになった)のされている日本では、そのまま米国(国際基準だが実態は米国方式)の診断方法を適用するのは危険である事に留意すべきできであろう。

医学書にはそんな事は書かれていないが、残念ながら日本の医者は論理的な作文をする訓練を受けていないので(そういう教育は大学教育ですら義務化されていない)、論理的でない人が淘汰されない事にも留意すべきである。医学に限らず、日本では難関大学を卒業したようんば知識人でも、論理的な文章を書くトレーニングをまったく受けておらず、国際的に見て日本は論理的な文章のトレーニング(ロジカル・ライティング)が遅れている惨状であることが、たびたび教育評論などでは批判されている。

なお、アスペルガー症候群に関しては、国際基準そのものが疑問視されており、一部の学者たちからは「基準のほうが間違っている」という感じの批判意見が出ている[35]

これらの病気は国家試験などには出るので、医学書には紹介されるし、障碍者福祉法などの対象になっているので法学関係者は暗記するが、果たして学説そのものが真実かどうか、注意が必要である。

アスペルガー症候群はこのような批判もうけてか、「自閉症スペエクトラム」などの一部であるかのように言い換えをされているが、とにかく私たちは机上の理論にとらわれず、個々の事例を見よう。


また、日本の医学書やら行政文書には書かれないが、日本の労働環境は、残念ながら先進国の中では、かなり劣悪であるのが有名事実である。(「カローシ」(過労死、karoshi)などの英語。ダンピング的な残業の蔓延。崩壊している終身雇用を前提とした転職環境の未熟さ。・・・以下略。)

日本の行政にとっては、税金を納めてくれる企業を批判するわけにもいかないので企業を放置するが、本来ならブラック企業のパワハラとして処分されるべき事例が、労働者側の適応障害や「うつ」や「社会コミュニケーション障害」などの精神疾患として分類されかねないような、劣悪な労働環境が見過ごされているかもしれない事も、留意しなければならない。

残念ながら、企業に雇われている産業医は、企業側に有利な診断をくだす傾向があり、たびたびジャーナリズムでは産業医による精神科診断について問題視されている。

「神経性」の過食症と「やせ症」[編集]

食事量が少ない理由により、BMIで「17」程度以下の状況を、医学的には、「神経性」の「やせ」として分類する。

なお、BMIの平均値は22である。おおむねBMIで「20」を、正常値の下限としている。


過食(かしょく)については、読者はもしかしたら「相撲取り(すもうとり)とか病気なのか?」とか疑問に思うかもしれない。とりあえず医学的には、大量の食事をしたあとに吐き出すことを繰り返す症状がある場合、「神経性」の「過食症」として分類する[36]

名前にこそ「神経性」と名づけられているが、原因は実は不明である[37]。脳のなにかの分泌以上のような生物学的な要因があるのかどうかすら、不明である。

医学書には、「生物学的な要因のある可能性も考えられる」[38]などと書いてあったりするが、単に考えられているだけに過ぎず、証明されていない。


統計については、そもそも人類の食環境が改善したのが、20世紀以降の比較的に現代であるため、あまり満足な統計が無い。

特に、過食については、現代以前は、ほぼ統計が無い。


日本では1960年以降、過食や「やせ」などの診断の数が統計的には増えたことが分かっている。ただし、この時代、日本のメディアで「ダイエット」ブームがあったので[39]、それの影響も考慮しないといけない。


なお、読者には、意外かもしれないが、過食の治療には抗うつ薬が用いられる[40]。(※ 読者は、なにかに熱中しているときなどに、食事を忘れて物事を楽しんだりした事があるだろうが、それを思い出してもらいたい。)


一方、極度の神経性「やせ」の治療法は、投薬ではなく、入院しての強制的な食事習慣のトレーニングだったり、症状がひどい場合は点滴など[41]、(学習者の立場としては)比較的に難しい方法になる。


ADHD[編集]

これは、主に、幼児や小学生程度の児童の精神疾患で、簡単に言うと、その子が騒ぎすぎたりウロチョロしたりしすぎて、満足に教育できない状態、もしくは満足に仕事などの作業をできないである。

いちおう、病名のADHDは、注意欠如・多動症(attention deficit hyperactivity disorder)の略であるが、しかし用法の実例では、幼児や児童に限定、または知能が児童と同程度の知能障害者に限定して使われる場合が多い。

一応、成人のADHDも報告されているが(成人の2.5%)、しかし学童のほうが割合が多い(学童の5%)[42]

読者には「シツケの問題では?」と思うかもしれないが、統計的に、一般的なシツケでは上手くずに、騒いだりするのをやめられない児童がいるので、そういうのがADHDとして診断される。

正常な幼児・児童でも、幼少のときは未熟なため、さわいだりウロチョロしたりする場合があるので(その場合も「多動」という[43])、ADHDとの見極めが難しいとされる。

医学者たちは、ADHDの原因を脳のドーパミンやノルアドレナリンなどの分泌異常としており、実際に薬物治療でも、それらのホルモンに関係のある投薬される。

だが、投薬には批判的な意見も学会やジャーナリズムなどから出されており、アメリカの製薬会社の利権中心の暴走では?という批判もある。(本wikiの冒頭で紹介した、クローズアップ現代の報道などでも紹介されている。)

しかし、もしシツケの問題だとしても、現代の先進民主主義国の環境では、きつめのシツケを行うことは出来ない(児童虐待などになりかねない)。

かといって、授業中に騒いだりする子は、ほかの一般の児童の学習を妨害しているのだから放置するわけにもいかず、なんらかの処置が必要になる。

なので結局、ADHDの児童は隔離され(専門の教育施設などに隔離)、そして投薬を中心とした治療が続けられる実態である。


人類の教育は幼稚であり、「批判的思考」等を主張しながらも、みずからの自称「民主主義」など国の建前を疑うことは出来ないのが先進国の未熟さである。

(建前すら批判的に分析する教科書は、教科書検定などの制度を通らない。)かつて日本の中学社会科で、『新しい歴史教科書をつくる会』の教科書が、民主主義すら相対化する視点での社会科の教科書を作ったが、結局、中学教科書の界隈は、次第にもとの、あたりさわりの無いタテマエばかりの記述に戻ってしまった。

日本にかぎらず、欧米でも、独善的、一面的な正義感をふりかざす国は多い。アメリカ合衆国のイラク戦争など、まさにそのような独善であり、結局、イラクから大量破壊兵器を見つからず、アメリカは諸外国からの信用を落とした。

ヨーロッパでも、民主主義や国際平和の名目のもと、北朝鮮や中国・ロシアや各種のテロ支援国家などと貿易しつつ、それらのアジア諸国での少数民族などへの迫害を無視・軽視している国々は多い(ドイツなど)。

欧米のマスコミでは、アジア人の尊厳が軽視されており、中東問題でもユダヤ人を尊重し、中東のテロでのユダヤ人の数人の死者をなげく一方で、中東パレスチナでのアジア系住民の死者をなげかない独善的に欧米のマスコミ報道も多い。

2001年のアメリカでのテロが当時はさかんに報道される一方、それ以前にユダヤの国のイスラエル軍がアラブの民間人を空爆で殺傷しても問題視しないのが欧米ジャーナリズムの独善である。


結局、戦前の「国のため」の弾圧や差別が、戦後はどこの国でも「民主主義のため」という美辞麗句による弾圧や差別に置き換わっただけに過ぎない。


民主主義とは本来、思想家ヴォルテールの言うように「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という立場であるべきだが、しかし往々にして形骸化しやすく、 民主主義的とされる言論以外を弾圧・差別する形骸化の事態になりやすい。


児童の投薬によるシツケの対症療法など、まさに上記の自称「民主主義」の欧米諸国や日本のような偽善者にふさわしい、形骸化した教育である。

  1. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、144ページ
  2. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、331ページ
  3. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、355ページ
  4. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、355ページ
  5. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、355ページ
  6. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、17ページ
  7. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、22ページ
  8. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、33ページ
  9. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、33ページ
  10. ^ 『ER実践ハンドブック』、羊土社、2019年5月25日 第4刷発行、492ページ
  11. ^ 『ER実践ハンドブック』、羊土社、2019年5月25日 第4刷発行、275ページ
  12. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、147ページ
  13. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、231ページ
  14. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、231ページ
  15. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、237ページ
  16. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、229ページ
  17. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、229ページ
  18. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、434ページ
  19. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、55ページ
  20. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、15ページ
  21. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、124ページ
  22. ^ 日本救急医学会『標準救急医学』、医学書院、2017年9月1日 第5版第3刷、310ページ 節『アテローム血栓性脳梗塞』 および 313ページの節『一過性脳虚血発作』『TIA急性期の臨床像』など、
  23. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、124ページ
  24. ^ 日本救急医学会『標準救急医学』、医学書院、2017年9月1日 第5版第3刷、310ページ 節『アテローム血栓性脳梗塞』 および 313ページの節『一過性脳虚血発作』『TIA急性期の臨床像』など、
  25. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、493ページの図19-5 説明文
  26. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、486ページ
  27. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、493ページおよび495ページなどの図表
  28. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、497ページ
  29. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、500ページ
  30. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、234ページ
  31. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、308ページ
  32. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、309ページ
  33. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、346ページ
  34. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、346ページ
  35. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、17ページ など
  36. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、397ページ
  37. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、402ページ
  38. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、402ページ
  39. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、395ページ
  40. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、401ページ
  41. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、400ページ
  42. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、383ページ
  43. ^ 『標準精神医学』、医学書院、第7版、384ページ