高等学校歴史総合/市場開放と経済の自由化
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詳しい内容は、「世界史探究」の「」、「日本史探究」の「新たな世紀の日本へⅠ」を見てください。本歴史総合では、簡単に記述します。
新自由主義の台頭
[編集]1920年代から1970年代にかけて、アメリカとかヨーロッパなどの先進国は、誰でも豊かに暮らしていけるように様々な産業と公共サービスを充実させました。1980年代を迎えると、そのようなやり方は上手くいかなくなりました。そこで、アメリカのロナルド・レーガン大統領とイギリスのマーガレット・サッチャー首相が「政府の関与を減らして、もっと自由に活動出来るようにしよう!」と考えました。また、日本でも自民党の中曽根康弘首相が同じように考えて、国営企業を民間企業に変えました。その結果、新しい会社を作りやすくなり、品物の値段も安くなりました。しかし、大企業が益々強くなり、お金持ちの人と貧しい人の差が開いてしまうようになりました。このような考え方は、ロシア・東欧諸国・中国にまで広がりました。
経済のグローバル化と新たな国際経済組織
[編集]1990年代から、人々・物・お金・技術が国境を越えて自由に動けるようになりました(グローバル化)。グローバル化に伴って、多国籍企業が海外に活動の場を広げていくと国際経済も繋がるようになりました。そうなると世界共通のルールが必要になり、世界貿易機関(WTO)[1]も生まれます。世界貿易機関はかつての関税と貿易に関する一般協定(GATT)の生まれ変わりです。世界貿易機関はサービス・知的財産権も含めて様々なルールを作りました。しかし、インターネットが広まって、簡単にお金を動かしやすくなると経済の混乱を引き起こすようになりました。タイでお金の価値が急に下がると、韓国・インドネシアにも同じように広がりました(アジア通貨危機)。
コバルト採掘に伴う児童労働問題 |
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コバルトはスマートフォンとかタブレットのバッテリーに使われています。コバルトはアフリカのコンゴ民主共和国で採掘されていますが、その採掘に子供達も危険な環境で働かされています。 |
21世紀に入ってから、世界貿易機関(WTO)の参加国が増えました。その結果、世界各地で自由に取引出来るようになりました。しかし、世界貿易機関の参加国が増えると意見をまとめるのにかなり時間を費やすようになりました。そこで、国と国で直接話し合って、貿易協定を決めるようになりました。日本は経済を伸ばすため、東南アジア諸国・メキシコなどと経済連携協定(EPA)と環太平洋経済連携協定(TPP)[2]を結びました。一方、農林水産業を守っていくためには、各国の特徴と地域の特徴に合わせて国際貿易を行わなくてはなりません。