高等学校歴史総合/民主化の進展と冷戦終結後の日本

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 詳しい内容は、「世界史探究」の「」、「日本史探究」の「新たな世紀の日本へⅠ」を見てください。本歴史総合では、簡単に記述します。

 冷戦終結前後には、各地で民主化運動が活発化すると、軍事政権や独裁政権が崩壊するようになり、民主化が進みました。民主化が進むにつれて、世界は平和になったのでしょうか。また、冷戦が終わって、日本の政治はどう変わったのでしょうか。

民主化の進展と課題[編集]

アラブの春

 1980年代に、アメリカとソ連が良好な関係を取り戻すと、東ヨーロッパ諸国では改革や革命が相次いで起こり、共産主義政党による一党支配体制や社会主義経済が終わりました。その後、軍事政権や独裁政権が崩壊して、多くの地域で民主化が進みました。東南アジアでは長期の独裁政権が崩壊して、民主化が進みました。例えば、1986年のフィリピン民主化革命、1998年のインドネシアの民主化などが挙げられます。東アジアでは、金大中(キム・デジュン)が、1998年に韓国の大統領に就任しました。金大中(キム・デジュン)は、韓国の民主化運動の中心人物でした。北朝鮮への友好的な政策を進めて、緊張を緩和させようと努めてきました。朝鮮半島間には解決困難な問題があり、この地域の協議には日本、中国、ロシア、アメリカの各国が関わる必要があると言われてきました。

 2010年末に、チュニジアで起きた民主化を求めるデモは瞬く間に他のアラブ諸国にも広がり、チュニジア、エジプト、リビアで長年続いた独裁政権が倒れました(アラブの春)。南アフリカでは長い間、アパルトヘイト(人種隔離)政策が行われていました。しかし、1980年代に入ると国際的な批判が高まりました。その結果、1991年にアパルトヘイトが廃止され、民主化と人種間の和解が進みました。

 民主化運動が進んでも、権威主義的な体制が残る国もあれば、民主化運動が停滞した国もあります。1989年、経済開放を進めていた中国で、大学生を中心に北京の天安門広場で民主化を求める抗議行動や座り込みが行われました。これを受けて、中国政府の保守派は人民解放軍を送り込み、デモに終止符を打って、多くの人が犠牲になりました(天安門事件)。

 アラブの春以降、アラブ諸国では政治的不安から、民主化が思うように進みませんでした。例えば、シリアでは、政府と反政府勢力の戦闘が長く続きました。1990年代のアフリカでは、ルワンダ、ソマリア、シエラレオネで内戦が発生すると、多くの国民が犠牲になりました。1997年に30年以上続いた独裁政権が終わったコンゴ民主共和国では、周辺国同士の紛争が続いています。

日本の政治の展開[編集]

 「保守」と「革新」を基本としていた日本の政治体制は、冷戦が終わると大きく変わりました。1993年、自民党の一部の議員の協力で、宮沢喜一内閣に対する内閣不信任案が可決されました。汚職事件で国民が既成政党に疑惑を持つようになったからです。自民党は分裂して、新生党と新党さきがけなどが誕生しました。総選挙で自民党が敗北すると、日本新党の細川護煕が非自民党系8団体と連立政権を組みました。こうして、1955年から続いた自民党政権は崩壊して、55年体制に終止符が打たれました。