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高等学校歴史総合/民主化の進展と冷戦終結後の日本

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 詳しい内容は、「世界史探究」の「」、「日本史探究」の「新たな世紀の日本へⅠ」を見てください。本歴史総合では、簡単に記述します。

民主化の進展と課題

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アラブの春

1989年、アメリカとソ連の関係が仲直りすると東欧諸国も大きく変わりました。東欧諸国の国民は民主政治と経済の自由化を求めるために立ち上がりました。

これまで、軍隊とか独裁者とかが国家を治めていました。戦後になると、国民の意見が大切にされるようになりました。特にフィリピンとかインドネシアとかは独裁政治から抜け出して、国民の声も届くようになりました。また、金大中が韓国大統領に選ばれると北朝鮮と話し合いを重ねました。しかし、両国の溝は深く、誤解もあります。だから、日本・中国・ロシア・アメリカなども一緒になって話し合いを重ねていかなくてはなりません。

2010年、民主化運動がチュニジアで始まりました。チュニジアの民主化運動がアラブ周辺諸国に広がりました。その結果、チュニジア・エジプト・リビアは国民の声を聞くような政治に変わりました(アラブの春)。また、南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離)政策は世界各地から見直しを求められるようになりました。

民主化運動は1980年代に入ってから世界各地で盛んになりました。一方、民主化の進み具合は世界各国で違いました。中国は商売を自由に行えるようになりました。一方、中国の政治活動は制限されました。1989年、中国の民主化を求めて大学生などが立ち上がりました。その後、軍隊が中国の民主化運動を強制的に止めました(天安門事件)。

アラブ諸国は民主化運動(アラブの春)からもたつきました。そのため、民主化からほど遠くなりました。特に、シリアは現在でも政府側と反政府側で揉めています。アフリカの内戦が1990年代に始まると、数多くの一般市民を巻き込みました。例えば、コンゴ民主共和国の内戦は民主政治になっても周辺諸国を巻き込んでいます。

日本の政治の展開

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冷戦が終わると、保守派と革新派も大きく変わりました。政治家の汚職が次々と明るみになり、国民も「政党なんて信用出来ない。」と考えるようになりました。そんな中、自民党の中からも宮沢喜一内閣の政治に不満を持つようになり、内閣不信任案の賛成多数で宮沢喜一は内閣を降りました。こうして、自民党の一部議員は自民党から離れるようになり、新しい政党(新生党・新党さきがけなど)を作りました。その後、衆議院総選挙で自民党が負けて、55年体制も終わりました。新しい首相として、日本新党の細川護熙が選ばれました。