コンテンツにスキップ

トーク:高等学校数学II/微分・積分の考え

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
話題追加
出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
最新のコメント:5 年前 | トピック:区分求積法の話題 | 投稿者:115.37.87.204

代数式の微分を書き加えないと...。

--T.Uesugi 2005年5月6日 (金) 11:58 (UTC)返信

区分求積法の話題

[編集]

区分求積法による積分の定義の話題を後半部に送るのは、許しません。--すじにくシチュー (トーク) 2017年7月1日 (土) 00:17 (UTC)返信

IP 126.100.203.183 の投稿内容は、自己満足である。現時点で困ってる人に、なんの役にも立たない。多くの高校生は、積分の定義を微分の逆演算とする事と、それで面積が求められる事の説明に納得がいかず、困っているのである。たとえ検定教科書では区分求積法の歴史に触れられていなくても、そもそもwikibooksは検定教科書のクローンではなく、検定教科書の様式に従う義務はない。 wikibooksは検定教科書のクローンであるべきだ等と合意した覚えはない。--すじにくシチュー (トーク) 2017年7月1日 (土) 00:25 (UTC)返信

あなたが許すか許さないかはどうでもいいことです。冷静に議論しましょう。
それはさておき。高校の教科書を読んだことがありますか?高校の数IIの教科書は定義としては微分の逆演算を積分と呼ぶと定義したうえで、その(非標準的な定義による)「積分」を計算することで面積が求められる原理を、問題なく説明しています。そして、数IIIにおいて区分求積法の原理を(極限を求めるテクニックとして、いわば逆向きの使い方ですが)説明しています。「納得がいかず、困っている」とおっしゃる意味がよくわからないので、もう少し詳しく説明していただけませんか。wikibooksが検定教科書のクローンである必要はありませんが、検定教科書で問題のない記述になっているものをわざわざ変えることは、生徒の負担感をわざわざ大きくするもので、不適切でしょう。
あと、私は順序を変えるだけでなく、文言もかなり書き換えたのですが、それを戻す理由は説明していただけていないことも指摘しておきます。--126.100.203.183 2017年7月1日 (土) 02:22 (UTC)返信

最近の高校数学教科書は読んでませんが、それがどうかしたんですか? wikibooksの編集資格に、検定教科書を読む条件なぞは、存在していません。wikibooks編集者が検定教科書を読むのは、単に、現状の高校カリキュラムを把握する手段のひとつにすぎません。私は高校生のころ、数学IIを予習した時には、教科書に書いてある定義には納得しませんでした。高校時代の授業では、私の出身高校の教師が、検定教科書にはよらずに、区分求積法による定義で説明しました。なお私の出身高校は、文科系の私立大学の付属高校(獨協大学の付属高校)である事を、付け加えます。大学レベルの数学書でも、微分の逆演算としての定義には欠陥があると思ってるから(例外的に抽象代数学の加群の理論で、「D加群」として微分作用素の逆演算として定義をする場合もあるが、大学数学科の学部上級レベルである)、大学初年級の微分積分では区分求積法で積分を定義してると思うんですが・・・? タイかどこかでは、高校でも区分求積法で教えてると聞きますし。あなたの主張の根拠は、「日本の高校数学での検定教科書の積分の説明には欠陥ないはずだから、よって欠陥がない」という類の循環論です。なんの証明にもなっていない。証明したつもりになってるだけの、ただの馬鹿です。数学教育をかたるほどの論理的思考力が、あなたには欠けています。その結果、あなたの論法はほとんど、その根拠が権威主義です。あなたは、数学を語るに値しないレベルだと感じます。--すじにくシチュー (トーク) 2017年7月1日 (土) 04:13 (UTC)返信

高校の数学の教科書を読んでいない人がwikibooksを編集しても構いませんよ。でも、高校の数学の教科書を読んでいない人が高校の教科書を批判するのはおかしい。おかしいというか、不可能なことをしている。批判する対象のことを知らないのに批判をするなんて、まともな頭を持った人間には不可能です。自分が何を言っているかわからなくなっていませんか?少し落ち着かれたほうがよいかと。
私の主張を権威主義とおっしゃいますが、あなたの根拠は「高校時代の授業」と「大学レベルの数学書」と「タイかどこか」ですか?ご自分なりの数学的考察はないのですか?そういう主張は、あなたが批判されている「権威主義」と何が違うのですか?また、あなたとは何度も同じことをお話していますが、「なんの証明にもなっていない。証明したつもりになってるだけ」とおっしゃいますが、私は何も証明しようとしていませんよ。なぜ私が何かを証明しようとしているように見えるのか、まったくわかりません。そんなこと一言も言っていないのに。編集方針を話し合う場において、「証明」が必要になることなど基本的にはありません。あなたが何かを証明する必要も、私が何かを証明する必要も、ないのです。
あなたの主張があまりに酷いのでそれをあげつらうだけでここまでになってしまいました。以下、ようやく私の主張を述べることができます。
「微分の逆(に定数を代入して引いたもの)」と「リーマン和の極限」は全く独立な概念で、それぞれ数学的に意味のある対象として考えることができます。そして、(かなり広範な部分において)部分的に両者は一致する、というのが数学的に最も意義深いことで、それを理解するのが最も重要なことです。もちろん、リーマン和の極限を定義とした方が、何かと使い勝手が良いので、標準的な定義はそちらです。ですが、平均的な高校生には「微分の逆」の方がわかりやすい、と教科書会社は考えているのでしょう。「微分の逆」を定義として理論を作り始めることそれ自体は誤りではありませんし、高校の教科書全体の内容を実際に見渡しても、この定義のせいで致命的な問題を生じている部分はありません。であれば、生徒の手持ちの教材とわざわざ違う解説をするのはいらぬ負担を強いることになるだけだ、というのが私の主張です。微分の逆は何かと不便ということを言うならば、リーマン積分だって万能ではないので、ルベーグ積分があるわけです。にもかかわらずなぜリーマン積分を絶対視するのか、それも私にはよくわかりません。--126.100.203.183 2017年7月1日 (土) 05:39 (UTC)返信
教科書を読まないのは構いませんが、「学習指導要領」に従わないのは困ります。これは、「学習指導要領」が正しいというスタンスではなく、wikibooksにおいて記載されるものに一定の枠をはめなければ、何を記載しなければならないかが規定されないからです。その記述に対し、疑問等がある場合は、一旦、スタンダードな記述をしたうえで、「~と言われているが、(有力学説では、近年では etc.)~という考え方がある」として記述、かつ、可読性を高めるためサブページを作成するなどして、リンクで飛ばすなどの対応が望ましいと考えます。
という事で、何がこの場合、スタンダードなのかという事を[1]から引用します。
イ積分の考え
微分の考えに関連し,積分の考えについても理解させ,直線や関数のグラフで囲まれた図形など,簡単なものについてその面積を求めることができるようにする。なお,[内容の取扱い]の(4)に示されているように,ここで扱う被積分関数は二次までの多項式関数を中心とする。
(ア) 不定積分と定積分
 微分の逆の演算としての不定積分を導く。さらに,不定積分の計算では,関数の定数倍,和及び差の不定積分を求めることができるようにする。定積分については,具体的なイメージを与えるために,面積を求める例などと関連付けて導入することも考えられる。
 例えば,区間で、のとき,関数のグラフ,直線及び軸で囲まれる部分の面積をとすると,
 
であることが分かり,定積分が面積を表していることを導くことができる。
 このほかに,区分求積法の考えに基づいて定積分の定義を直観的に理解させることも考えられる。
(イ) 面積
 ここでは,定積分の応用として,いろいろな直線や関数のグラフで囲まれた図形の面積を求めることを扱う。いろいろな図形の面積を定積分を計算して求める活動を通して,積分の考えの有用性を認識させる。
下線は、私が施しました。以上です。--Mtodo (トーク) 2017年7月1日 (土) 10:05 (UTC)(a.k.a Tomzo返信

(すじにくシチューの意見) Mtodoさん。学習指導要領を「参考にすべき」「尊重すべき」なら構いませんが、「従う」というのは強過ぎでしょう。「従う」だと、中学受験の教科書などは、wikibooksでは執筆不可能になってしまいます。おそらく、読者が区分求積法の説明で消化不良になる事を心配してるのでしょうが。

また、その指導要領にしても、「微分の逆の演算としての不定積分を導く。」とは書かれていても、「不定積分の定義を微分の逆演算とする」とは書かれていないわけです。

たとえ教科書で区分求積法による定義を行って解説しても、その面積計算が微分の逆の演算である事も示せば、指導要領どおりに「微分の逆の演算としての不定積分」を導いた事になります。

おそらく、指導要領は、このような積分の定義の対立に巻き込まれないようにと「微分の逆の演算としての不定積分を導く。」という、どちらの意味にも取れる(「微分の逆演算として積分を定義すべき」とも取れるし、そう言ってないとも取れる)婉曲表現をしたのでしょう。

たしか、中学高校の歴史・日本史の指導要領でも、歴史の「鎖国」などの件で、鎖国という言葉を教えるべきか、教えるべきではないかの、どちらの意味にも取れる玉虫色の表現をしていると聞きますし。

同様の玉虫色の手法を、数学の指導要領でも行っているのでしょう。いわゆる「霞が関文学」の一種でしょう。

とにかく、「このほかに,区分求積法の考えに基づいて定積分の定義を直観的に理解させることも考えられる。」のどこをどう読んでも、「区分求積法の考えは、定積分を直感的に理解させるためにしか活用してはならず、けっして区分求積法を積分の導入としてはならない」とは書かれていません。

そもそも、脱ゆとり教育では、指導要領での指導内容の上限規定は、基本的に減らしていく政府方針だったと思います。もし、指導要領が「区分求積法による積分定義を教えてはならない」という上限規定を暗黙裏に設けているなら、もはやwikibooksだけの問題ではなく、日本政府の方針に文部科学省が違反・抵触している事になりかねないと思います。

もし、そのような上限規定を文部科学省が暗黙裏に行っているとしたら、もはや、あなた達ウィキブックス一同がどう思うかではなく、私が文部科学省にメール等で抗議しようと思います。

ところで、高校数学の教育目標が、区分求積法による積分定義を持ち出したところで、破綻するとも思えません。実際、いくつかの参考書には、「区分求積法」的な考え方が書かれていますので。まさか、それらの参考書のせいで、「高校数学の目標が妨害されている」などとは主張しないでしょう。


126.100.203.183 さん。あなたが勝手に「区分求積法」を「リーマン和」に書き換え、「すじにくシチューは高校範囲外のリーマン和を高校2年生に教えようとしている」と曲解しているだけです。


Mtodoさんの提示した文部省の指導要領の指示通りに(後知恵で指導要領の内容を私は知ったのだが)、私は、区分求積法にもとづく直感的な面積計算による説明で、積分の定義を書いていたわけです。結果論としては。

そもそも、数学者リーマンが生まれる前から、積分は存在しています。おそらくニュートンやライプニッツなどの時代から、積分の本来の定義は面積計算でしょう。

リーマン和の定義でリーマンのした事は、単に、従来の面積的な積分の定義を拡張し、集合論などの抽象的な手法を用いて、より広範な対象に積分を適用できるようにと、定義拡張したのだと思います。

私は集合論の解説などしてないのに、あなた(126.100.203.183)が勝手に「リーマン和」を持ち出しているのです。

駿台文庫などの一部の数学参考書でも、まるでリーマン和こそが昔からの積分定義であるように記述してるとも読み取れる文章だったような記憶があるので、そのような参考書によって誤解したのかもしれませんが。

また、(そもそも私は「リーマン和」でなく「区分求積法」と書いたのですが、)リーマン和を否定したいあまりにルベーグ積分を持ち出すのも、飛躍のしすぎです。例えるなら、小学生に中学レベルの代数を教えない根拠の主張として、大学レベルの群論などを持ち出すようなもんです。

なお、私の「権威主義」という批判の意図は、あなたが主張のさいに客観的データをあまり示そうとしない事の婉曲表現でもあります。

区分求積法の説明を後回しにすべきだと思うなら、「そのほうが多くの学生にとって、分かりやすい」という事を証明すれば良いだけです。

教科書会社がどう考えたか知りませんが、残念ながら私は高校時代、微分の逆演算としての積分の定義を読んだあとに面積計算の応用例が示されている説明を読んでも(たしか数研出版社の検定教科書を使用していた)、ちんぷんかんぷんで分かりませんでした。

また、私の編集の場合、区分求積法の説明を読み飛ばしても良いように、「発展」とか「高校の範囲外」とか、節の冒頭で書いてあるわけです。

もし、「発展」などが書かれていないなら、記事の末尾へと後回しにすべき、というなら、分かりますが。

もし「発展的項目はすべて、巻末、章末などへ後回しにすべき」なんて言い出したら、もはや検定教科書からはコラムや発展内容は、すべて章末や巻末になってしまいます。しかし、実際の検定教科書は、そうはなっていません。発展事項などは、発展である事を明記した上で、検定教科書の本文の横やページ隅などで紹介されています。

また、あなたの主張は、< 微分の逆演算としての定義の導入時に、まったく区分求積法の話をしない事 > の根拠には、なっていません。--すじにくシチュー (トーク) 2017年7月2日 (日) 04:11 (UTC)返信

支離滅裂な文章なので反駁するのが大変困難です。しょうがないので「各個撃破」で行きますので読みづらい反駁になります。あしからず。
「あなたが勝手に「区分求積法」を「リーマン和」に書き換え、「すじにくシチューは高校範囲外のリーマン和を高校2年生に教えようとしている」と曲解しているだけです」とのことですが、これは2つの点で事実誤認です。1つ目。私はリーマン和による積分の定義が書かれていることを問題視していません。それが冒頭に書かれていることを問題視しています。高校2年生が読む文章の末尾にあってもなんら問題はないと思っています。2つ目。名前はどうでもいいことです。「区分求積法」という名前であっても冒頭に書いてあるのは不適切だと考えています。なぜ書き換えたかと言えば、「区分求積法」という数学用語はありませんのでこれは高校数学ローカルの用語で、ゆえに定義は不明確なところもありますが、「極限を求めるテクニックとして、いわば逆向きの使い方で」使うときに用いる用語だと認識しています。ゆえにこの場で用いるのは不適切だと思うので書き換えました(が、用語法のことは些末な話ですからここではあまり問題視していません)。
「リーマン和を否定したいあまりにルベーグ積分を持ち出すのも、飛躍のしすぎです。例えるなら、小学生に中学レベルの代数を教えない根拠の主張として、大学レベルの群論などを持ち出すようなもんです」とのことですが、意味不明です。あなたはリーマン積分が「本来の定義」などという主張をなさるのでおかしなことになるのです。リーマン積分とルベーグ積分のどちらが「本来の」定義なのですか?それに答えられないなら「本来の定義」だなんて訳の分からないことを言ってはいけません。禅問答をするわけではないので先に答えを教えて差し上げますが、リーマン積分もルベーグ積分も、どちらも問題のない、積分の定義です。そして「微分の逆」も、問題のない、積分の定義です。私はリーマン積分を否定していませんが、あなたは「微分の逆」を否定しているのです。であるがゆえに、じゃぁルベーグ積分はどうなの?と聞いたわけです。
「なお、私の「権威主義」という批判の意図は、あなたが主張のさいに客観的データをあまり示そうとしない事の婉曲表現でもあります」とのこと。つまり、その「婉曲表現」による批判は、あなた自身にも当てはまるということは否定なさらないわけですね。
「区分求積法の説明を後回しにすべきだと思うなら、「そのほうが多くの学生にとって、分かりやすい」という事を証明すれば良いだけです」とのこと。「証明」が必要という論理がまったく意味不明ですが、ところであなたの記述の方がわかりやすいという「証明」は当然既に書いてあるということなのでしょうが、どこに書いてありますか?私には見つけられませんでした。
「もはや検定教科書からはコラムや発展内容は、すべて章末や巻末になってしまいます。しかし、実際の検定教科書は、そうはなっていません。発展事項などは、発展である事を明記した上で、検定教科書の本文の横やページ隅などで紹介されています」とのことですが、私が見たことのある教科書は、「発展」とつけたページは概ね単元の末尾、章末問題と同位置にあることが多いです。というかその前に、こういうアホらしいことを指摘するのは野暮かと思いながらあえて真面目にツッコミを入れますが、「最近の高校数学教科書は読んでませんが、それがどうかしたんですか?」と言った舌の根の乾かぬ内に「実際の検定教科書は」って、人をおちょくってるんですか?
「また、あなたの主張は、< 微分の逆演算としての定義の導入時に、まったく区分求積法の話をしない事 > の根拠には、なっていません」とのことですが、私はそんな主張をしたことは一度もありません。--126.100.203.183 2017年7月2日 (日) 07:32 (UTC)返信

(すじにくシチューの意見) 以下の意見は、この議論を将来的に読むだろう第三者へのメッセージです。

「 「また、あなたの主張は、< 微分の逆演算としての定義の導入時に、まったく区分求積法の話をしない事 > の根拠には、なっていません」とのことですが、私はそんな主張をしたことは一度もありません。 」 たとえIPユーザー 126.100.203.183がそのような主張してなくても、しかし、そのような行動をしています。IPユーザー 126.100.203.183の意図はどうあれ、大人である以上は自身の行動にも責任を持つべきです。この人物は、主張さえしなければ、行動には責任を持つ必要はないと考える人物でしょう。

この人物の議論でのメッセージは、上記の文章(「また、あなたの主張は、」以下略 )にかぎらず、自身の行動に責任をもたず、自身の投稿メッセージだけから「そんな主張はしていない」的な言い逃ればかりです。

そのような態度は、検証可能性を大いに損ねるものであり、他の編集者に、過度の負担を与えます。よって、この人物(IPユーザー 126.100.203.183)を、対話困難な人物であると評価せざるを得ないでしょう。「対話」とは、けっして単に形式的にメッセージを投稿すれば良いのでなく、第三者が検証をしやすい情報を、議論相手や仲裁に来た管理人などからの情報・質問などをたよりに、第三者および議論相手や仲裁者などに情報提供をする事こそが、本来の「対話」です。

たとえ当該人物の投稿内容を第三者が検証した結果、たまたま真実だった情報が含めまれていたとしても、それこそ消防署のほうから来た詐欺師の「消防署のほうから来た」が真実なのと同レベルの出来事でしかありません。IPユーザー 126.100.203.183 から「おちょくってるんですか?」と反論されても、そのように疑われてしまっても当然の無責任な行動を、IPユーザー 126.100.203.183 は、このwikibooks上で、してしまっているのです。

もしかしたら、結果的に、区分求積法の紹介順序を、当該人物の投稿のように末尾に移動したほうが、高校生にも分かりやすいのかもしれません。しかし残念ながら当該人物は、そのような証明をできていませんし、そのような証明をしようという努力が議論ページでも見られませんし、そのような証明のための能力が欠けています。議論相手の「すじにくシチュー」を言い負かす事に当該人物は熱中しており、読者である高校生の利便性のことを考えていません。当該人物がもし「高校生の利便性を考えている」と言ったとしても、おそらくウソです。残念ながら彼に、そこまでの能力がありません。--すじにくシチュー (トーク) 2017年7月2日 (日) 21:19 (UTC)返信

「たとえIPユーザー 126.100.203.183がそのような主張してなくても、しかし、そのような行動をしています」とのことですが、いいえ、そのような行動もしていません。私の版をどう読んだらそう読めるのか、教えていただきたいものです。自分のしていない行動に責任など取れません。お願いですからすじにくシチューさん、妄想をするのではなく、私の編集した記事と発言だけを見てください。それができない方のお相手をするのは、申し訳ありませんが私には不可能です。
「「おちょくってるんですか?」と反論されても、そのように疑われてしまっても当然の無責任な行動を、IPユーザー 126.100.203.183 は、このwikibooks上で、してしまっているのです」に至っては日本語として理解不能。あなたの発言とあなたの発言があからさまに矛盾しているので、あなたはこの場に参加する他者をおちょくっていらっしゃるんですか?と聞いているのです。私が何か関係ありますか?
また、「証明」をできないとかしたくないのではなく、「証明」は不必要だと述べているのです。これはもう何回も言っていますから無視しないでください。
私はあなたに対話をしてくださいなんて高級なことは求めません。お願いですから、まともな日本語の会話に応じてください。漢字とかなを並べてはあるけれど日本語ではない言語で応答するのはおやめください。--126.100.203.183 2017年7月3日 (月) 11:37 (UTC)返信

(すじにくシチューのコメント) 2017年7月15日 (土) 03:29‎ 要約コメント「議論に応じてください。」ですか? キチガイの行動パターンとして、相手が自分の要求を飲むまで、議論を延々と申し込みつづける、という行動パターンがあります。総会屋ヤクザと同じ行動パターンです。あいにく、私はカウンセラーではないし、ヤクザマニアでもありません。--すじにくシチュー (トーク) 2017年7月15日 (土) 04:27 (UTC)返信

IPからの議論に応じて反論した結果、彼らIP氏たちは、いっこうに検証可能性のある反論を出しませんでした。なので、事実上の「議事進行妨害」とみなし、IP氏たちとの議論を打ち切るべきでしょう。--すじにくシチュー (トーク) 2017年7月15日 (土) 04:35 (UTC)返信

(すじにくシチューのコメント)第三者の読者への説明です。

いくつか前のIP氏の主張で、「区分求積法」に当たる英単語がないからって「リーマン積分」という用語への書き換えを正当化するコメントがありましたが、これもおかしい主張内容だと感じます。なぜならば・・・

・ 大学の数学科に進学しない多くの高校生にとっては、その生徒の将来の専門分野でも「リーマン積分」の定義についての知識は不要。日本の高校数学の教育目的は、大学数学科への進学のためだけではありません。
・ すでに「区分求積法」という用語が数学IIIの検定教科書に普及して使用されているのにかかわらず、わざわざ、wikibooksの編集から、「区分求積法」という語句を消してまで「リーマン積分」という用語に置き換えるほどの行為を正当化できるような根拠となるほどの出典や参考文献などのデータは、なにもIP氏からは提示されていない。
・ 高校数学の順列組み合わせの表記のように、日本でしか通用してない表記でも、教科書で使用されています。
・ そもそも、高校の数学教育は、べつに国際共通化を目指した学問ではありません。また、日本の高校数学の教育目的はけっして、欧米の数学の翻訳ではありません。
・ また、小学校教育の場合ですが、日本における「つるかめ算」のように、どこの国でも、その国特有の用語もあります。

某IP氏の編集内容の根拠とする主張は、いろいろとおかしい箇所ばかりです。--すじにくシチュー (トーク) 2017年7月15日 (土) 05:29 (UTC)返信

「大学の数学科に進学しない多くの高校生にとっては、その生徒の将来の専門分野でも「リーマン積分」の定義についての知識は不要。日本の高校数学の教育目的は、大学数学科への進学のためだけではありません。」とのこと。つまり、この「発展」節にある記述は、多くの高校生にとって不要な記述であるとの主張と理解しました。私も同意します。よって、その合意に基づき「発展」節を除去しました。--126.100.203.183 2017年7月15日 (土) 14:00 (UTC)返信

(すじにくシチュー のコメント)2019年になってから気づいたので返事が遅れましたが『大学数学科への進学のためだけではありません。」とのこと。つまり、この「発展」節にある記述は、多くの高校生にとって不要な記述である』ですか・・・。大学の数学科以外でもリーマン積分の定義に相当する内容を大学の教養課程の微分積分の授業とかで、または専門課程の物理数学などの授業で習いますよ。私は法政大の工学部の電気電子工学科で1990年代にリーマン積分を習いました。日本の理系の大学の多くは工学系ですし、それが「多く」ないとは思えませんが? まあ、文系志望の高校生もいるし、高校の検定教科書にもリーマン積分は書いてないので、wikibooksでもそれに合わせてリーマン積分を書かないのも管理上はラクですので、該当の節が除去されたまま放置するのも良いですけど。私はすでにリーマン積分を知ってるので困りません。困るのは私以外の無知な世間の人ですので。無知な人には、工学部でリーマン積分を教えている事も知らないで数学教育を語りたがるような人も含みます。--すじにくシチュー (トーク) 2019年6月27日 (木) 13:01 (UTC)返信

「大学の数学科に進学しない多くの高校生にとっては、その生徒の将来の専門分野でも「リーマン積分」の定義についての知識は不要。日本の高校数学の教育目的は、大学数学科への進学のためだけではありません」というコメントをされたすじにくシチューさんという方がおられるので、その方に向かってすじにくシチューさんという方が「工学部でリーマン積分を教えている事も知らないで数学教育を語りたがるような人」と罵倒しておられるようですが、頭大丈夫ですか?--115.37.87.204 2019年6月27日 (木) 13:11 (UTC)返信