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経済学基礎

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
経済学 > 経済学基礎

ここでは、経済学の基礎的事項について確認しながら、世界経済における経済の動向に配慮した経済学的解説に努めることにする。高等学校政治経済のテキストも参照せよ。

経済変容と現代社会

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現代社会の変容は、工業化・IT化に続く。

経済の変容

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世界経済の変容

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日本経済の変容

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現代経済の仕組み

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世界経済

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経済学

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社会保障制度

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年金や健康保険から公衆便所まで。

  • 過労死:使用者責任が問われ、民事上の損害賠償責任が課せられることになります。
  • 福祉国家:福祉は必要だよね? しかし昔の方がやはり不備は多かったか…最も今でも…
  • 社会保険年金制度:年金制度は必要だが、経済的に破綻しないように運営するのはかなり困難。

世界経済

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日本経済の国際化による日本と海外の国々との関係とこれからの課題について学習しましょう。

  • 貿易:貿易はやはりバランスが大事か?
  • 国際収支:貿易で赤字になった国があるの?
  • 為替:1ドル=1円じゃ駄目?

世界経済の変容と発展

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世界経済の発展

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環境問題

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自然環境問題を経済で解決できるでしょうか。

  • 都市と環境:ごみ問題、大気汚染、水質汚濁、渇水、オゾン層の破壊、こうした問題を私たちは解決できるのでしょうか。
  • 持続可能な発展:「宇宙船地球号」
  • 生態系と環境:生態系を守ることこそ、私たちの未来に必要です。
このページ「経済学基礎」は、まだ書きかけです。加筆・訂正など、協力いただける皆様の編集を心からお待ちしております。また、ご意見などがありましたら、お気軽にトークページへどうぞ。

未分類

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資源の希少性

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原則としては、資源とは有限のものでしょう。むしろ無限と考える方が不自然だし、実際にはだれも考えていない。

しかし例えば再生可能エネルギー、太陽光なんかはほぼ無限と見なしていますよね。しかしシビアに考察すると、やはりそれも有限。

例えば水なんかはどうでしょうか。これは地球上を循環しているもので、現実的には無限とみていますが、やはり手に入りにくい地域はありますし、シビアに考えると有限ですよね。

クルーグマンやスティグリッツやマンキューなど、多くの経済学者も、彼らの教科書で、資源の希少性が経済学の前提であると説明している。(なお、日本の高校の「公共」教科書でも、たとえば帝国書院(教科書会社のひとつ)の検定教科書で、「資源の希少性」を紹介している。)

なお、経済学・商学などで「希少性」は英語で scarcity である[1]

また、人々が望んだからと言って、それを生産できるとは、かぎらないと、マンキューは説明している。

たとえば医薬品として、エイズの完全治療薬を望んでも、それは現状の医学では生産不可能。

数百年前の時代を上げれば、たとえば結核や らい病 の治療薬のなかった時代もあった。この話も、誰もがあっさりと納得、あるいはいまさら言うなという感じでしょう。

また、資源を超えた量の生産も不可能。

この「資源の希少性」は、よく経済学の教科書で、「経済学の原理」のひとつとして挙げられている。

法則? 原理?

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需要と供給の法則、なんて経済学では出てくるでしょうが、そもそも「法則」law とは、なんでしょうかね?

例えば、「現在でも、よくある傾向」、だという指摘もある。ある程度の多くの国で、ある程度の長期や複数回にわたって、よく発生する現象で、今でもよくある現象の事、要するに緩やかな決まりで、法則に当てはまらない例外もある。

たとえば、「需要と供給の法則」の例外のひとつとして「メニューコスト」という概念もあり、生産者側の価格改定には費用が掛かるので価格改定が後回しにされやすい、と。

つまり、どちらかというと法則どおりの現象のほうが遭遇しやすいだろうという、多数の経済学者の信念がある。

その国の言語の違いという問題もある。英語の law 、法律も法則も英語では law です。

例えば物理学では「法則」はかなり厳密な決まりで、基本的に例外は許さない。

しかし本当に例外はないのかという疑問は持てる。何らかの超自然的な理由で、時々は物理法則をキャンセルできるかもしれない。

自然科学の実験をしている時、気にして観察している時だけその法則が満たされるとか…

例えば量子力学には観測問題とか、不確定性原理、そして物理現象の確率的解釈というのもある。

勿論現代の物理学は、観測者自身を系に組み込んだり、確率の数学的記述を厳密化したりと、厳密な法則記述のための工夫がさまざまなされている。

例えば原理 principle なんて言葉があったり、数学では定理、公理、公準なんて言葉も使う。

経済学でいう「原理」principle とは何ですかね?

文脈や論者にもよりますが、「原理」とは普通の場合、いくつもある「法則」のうち、なかでも基本となる少数の法則のことです。

数学で言えば公理や公準に近いものですかね。

「資源の希少性」の原理と、「需要と供給の法則」なんて言いますが、むしろ「資源の希少性」は法則というよりは、前提事実と言ったところでしょうか。

「原理」と「原則」はともに英語では principle、根源的な法則、事実を示すものでしょう。

法則の厳密性は当然、学問分野で変わってきます。そしてそれはそれぞれの学問者の、感覚や経験などで、誰もが知って身に着けている事でしょう。

合成の誤謬

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合成の誤謬とは、個人や個々の企業にとっては合理的な行為でも、社会全体としては、不合理で意図しない結果に至ることですね。

例えば企業が経営の健全化を目指して、人件費を削減する。すると個人の収入は減るから、個人消費は減る。景気は低迷し、企業の売り上げも減る。

家庭の節約はどうでしょうか。

個人消費は減るし、節約対象の商品は売れなくなる。景気は悪くなるし、消費されないから生産もしない。

個人スケールで見た場合の合理的な行動と、国家規模の全体的な規模で考えた場合の合理的な行動は異なる。

しかし国家規模の合理的な行動とは何でしょうか?

先ず、国家という集団の化け物の実在性を認めるか?

それとも国家とは何らかの方便なのだろうか?

おそらく国家規模の合理的な行動とは、その構成員である国民の幸せに結びつくものでしょう。

限界消費性向を低下させる(つまり限界貯蓄性向を高める)ことは、GDPの低下をまねく可能性がある[2]。つまり国家全体の生産が低くなるわけですが、生産とは仕事をすることそのものでしょう。仕事をすればするほど幸せという訳ではない。

GDPはとりあえず上昇させたいという固定観念はあるが、これ自体どこまで妥当か。

国際競争を考えると、国家の経済力は必要だが、GDPを上げることを盲目的に目指す以外に、国家の安寧を満たす方法はないのか。

誰かの支出は誰かの収入

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誰かが貨幣を支払ったら、それは他の誰かの収入になっているでしょう。

それは一国の通貨だけではなく、各国、世界全体でその関係が成り立つ。

我々がアメリカ人から貿易として何かを買いたい場合、先ず、円で払うか、ドルで払うかが問題になりますよね。相手が円の受け取りを拒否するなら、自分が外貨を持っていないなら、両替商に円をドルに換えてもらうことになる。

そうすると自分が払った円は両替商の収入になる。そして我々はアメリカ人から商品を受け取る。アメリカ人はドルで収入を得るが、それは両替商が支払ったお金。両替商は商売として貨幣の交換をしているわけだから、払ったドルより受け取った円の方が価値が高いものになっているでしょう。

複数、多数の主体があって、それぞれが一定の数値を持っている。そしてその数値をお互いにやり取りできるなら、その数値の総体、総数は保存されるでしょう。一番の典型例は、物理学のエネルギー保存則。

しかし現実には貨幣の総量が一定である保証はない。

変わり者がお札を燃やしたら、総量は減りますよね。一方政府がお札を印刷して、その分を回収することなく放逸に使ったら、その国の貨幣の総量は増えていく。

会計学から考えてみる

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経理の初歩

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幾つか、費用に関する用語を説明します。

  • 人件費

会社、法人が雇用者、労働者に支払う給料は、人件費ですね。従業員のために支払われる費用です。

  • 固定費

固定費というのは、企業の生産量や売り上げの増減とは関係なく発生する、一定の費用の事です。地代、減価償却費、固定資産税、などですね。債券の利子も会計分野では固定費に含めるという。

  • 変動費

反対語は変動費ですね。変動費用。生産量や売り上げによって増減する費用。原材料費、外注費、運賃、など。

人件費は固定費か変動費か? 会計に詳しいらしい前編集者も言及を避けているので、たいして詳しくない現編集者ももちろん知りません。

  • 減価償却費

事業用の建物、機械設備、備品などの取得費用ですが、会計上は普通耐用年数によって、徐々に費用として計上します。つまり購入したときにお金は払ったとしても、会計上毎年その費用を分けて少しづつ計上する。

逆に少しずつお金を計上して費用にした結果、耐用年数が来ますので、費用が完全に計上された時点でその設備の価値は0円になると見ていい。つまり備品の資産価値が減っていく、その部分の支払いをしたと会計上見なすわけです。

減価償却の基準は(つまり購入費を毎年どう計上するか)省令や法律や業界の制度などによって、あらかじめ決まっているので、経理の際には、その制度に従って経理処理する。

国民経済計算

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国民経済計算の指標として知られるGDP(国内総生産)やGNP(国民総生産)から、その国の資産の減価償却の金額を差し引いた金額のことをネットDPまたはネットNPといい、それぞれNDP(国内純生産)またはNNP(国民純生産)と略記します。

つまり、

NDP = GDP - 減価償却費
NNP = GNP - 減価償却費

です。

Net domestic product. 正味の、純粋な国内の生産。net はフランス語由来の形容詞で cleanを意味し、「網」を意味する同じ綴りで古英語由来の net とは別系統の英語のようです。

国内総生産は、国内の事業者の売り上げから、原材料費(中間財・サービス)の支出を引いた物を積算したもので、国の生産、事業や労働で生み出した付加価値を示していると考えています。

一方減価償却費は、その間に建物、車両、産業機械が劣化し、それを現状に戻すための価格を示していて、生産分からその分消費、減耗しているともみなせるので、NDP は国内の生産の状態を知るための別の指標として提示されています。

GDP やGNP の頭文字G はグロスの略で、Gross は、会計でいう粗利(あらり)を示す形容詞です。会計学でいう「粗利」とは、売上高から売上原価(その商品をつくるために掛かった費用)を差し引いたものです。

人件費は引かず、支払う税金も引かず、原価(原材料)だけ売上高から引き算する。それが粗利(あらり)です。

粗利を英語で gross profit と言います。 profit とは「利益」「利潤」という意味です。

つまり仕事をして生産した分だけ利益になると見ていいと思います。

GDPの算出式は、

GDP = 家計による支出+企業による支出+政府支出+(輸出-輸入)
GDP = C + I + G + (X − M)

w:en:Gross domestic productw:国内総生産、などを参照してみてください。

C とG とI は最終財・サービスに対して行われた支出を数えます。事業者が行った生産の積算は、最終的には最終財・サービスに対する支出になります。

家計はほぼすべて、最終財・サービスに対して支出しているでしょう。

企業は、中間財・サービスに支出してそれをもとに生産し、一方で最終財・サービスを購入することもあるでしょう。

中間財にしろ最終財にしろ、輸出したものは国内の支出には含まれませんね。

C + I + G + X に含まれる中間財、最終財(最終財はそれまでの中間財の生産価値を含んでいる)のうち、輸入したものは国内の生産には含まないでしょう。

GDPの計算基準は国際連合が決めたものがあり、定期的に改訂される。w:2008SNA等の記事も参照してみて下さい。

C + I + G + X と M が同額なら、事実上 GDPはゼロだが、この場合は輸入したものをすべて消費し、さらに輸入したものをそのまま輸出していることになるから、矛盾ではない。

なんらかの生産行為が行われているなら、事実上GDP がゼロになる事は無いだろう。

しかし、経済分析として、前編集者の指摘が完全に無意味だという訳ではない。

分析の精密さのためには貸借対照表のように複式簿記的に扱うべきであるという意見はある。

家計による国内消費額の総計、企業支出の総計、政府支出額の総計、輸出額の総計、輸入額の総計、といった金額をそれぞれ個別に計測して、それらの金額を比較することにより、複式簿記的に分析することにも意義はあるだろう。

前編集者の指摘として、経済分析において、

産業関連表、
資金循環表、
国民貸借対照表、
国際収支表、

などの統計表を、経済系の省庁は作成する事が望ましい、という(※ 参考サイト 国民経済計算の見方、使い方 財団法人 日本経済教育センター)。

GPD と産業関連表を関連付ける、複式簿記にたとえて議論する、などの発想は、各種書籍にも記述されているという[3]

確定申告、減価償却、国民純生産

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国民純生産を計算するためには企業の減価償却の金額の情報が必要でしょう。この金額において、経済全体で固定資本の減耗分は測定しづらい、正しく推定できないという主張もあります。

企業も確定申告するので、自社の減価償却費もその時点で税務署に申告します。

減価償却費に応じた税金の控除もあります。建物、車両、産業機械は必要経費ですからね。

減価償却の計算のルールは、日本の国税庁などの省令や、または経理業界などの制度によって、厳密に定められています。

税に関する申請は虚偽があると罰せられるので、その意味では、企業の減価償却費のデータはおおむね正確だろうと考えられます。

なお、個人でも企業でも確定申告は2種類ある。

比較的に簡単に計算できるが(税の)控除の特典の少ない「白色申告」
事前の申し出が必要でさらに計算方法も厳密で難しいが控除の特典が多く、多くの場合納税額が少なくなる「青色申告」

多くの企業が基本青色申告を利用している。

フローとストック

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フロー(英: Flow)とは、一定期間内に流れた量をいい、ストック(英: Stock)とは、ある一時点において貯蔵されている量をいう。以上Wikipediaから引用。

ある関数がある時、その微分がフロー、その関数を積分して元に戻すとストック、と、いう事も言えるかもしれません。ただし積分は積分定数を持つので、フローからだけではストックを作れません。

この節では前編集者が試みた経済学を会計学と関わらせて語るという試みを、現編集者が多少修正して記述している。

簿記(ぼき、英語: bookkeeping)とは、企業などの経済主体が経済取引によりもたらされる資産・負債・純資産の増減を管理し、併せて一定期間内の収益及び費用を記録することである。再びWikipediaから引用。

普通高校では簿記の学習はない。主に資格取得としての学習だというイメージはある。

お金に関するフローとストック、具体例

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例えば…

Aさん:貯金が10億円あって1億円の家に住んでいるが、就職していなくて給料の収入が0円。

Bさん:貯金は1000万円で3000万円の親元の実家に住んでいる、会社勤めしていて年収が500万円。

話を簡単にするため、AさんもBさんも株投資や不動産投資はしていないとする。

経済学や経営学では、貯金や、保有する不動産や保有株式そのものの相場での購入費用などの金銭的価値などを合わせてストックとする。

いっぽう、収入や、株の配当益、不動産などを他人に貸したときの賃貸収入などの運用益はフローですね。

つまりAさんはストックが11億円で、フローは日々の支出という事になります。

Bさんは、まあ、ストックは4000万程度、日々の収入や支出がフローになる。

AさんBさんの生活、どちらがうらやましいか、意義がある生活か、豊かか、などの議論は無意味でしょう。人生いろいろ、お金も色々経済もいろいろ。

会計との関係

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複式簿記などの会計の勉強をするときは、簿記では「フロー」と「ストック」という用語こそ使ってないものの、フローとストックを区別することになります。

GDP や GNP はフローについて語っていると見ていいですよね。

経済計算ではフローに関する話題の方が多いでしょうか。

例えば国家全体に関するストックを見るには、まず国家貨幣がどのくらい流通しているか、そしてその他に金銭的価値を持つものとして、土地、建物、証券、各種動産不動産、機械類や芸術品、貴金属・宝石など、価値のあるものはすべて資産としてのストックになるでしょう。

過去のある年度から現在までの各年ごとのGDPの累積額をストックとする計算法もあります。

しかしGDPとは生産その物で、生産物には資産として残るものもあるが、一方でその場で消費されるもの、無形の行為も生産の一つではある。

固定資産、建物や機械設備などの減価償却によって、ストックの資産価値は下がっていくと見れるから、ネット計算で、つまり国民純生産(NNP)の累積額で計算する方式をとる方が良いかもしれない。

諸概念

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機会費用

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経済学上の概念の一つとして、機会費用(opportunity cost[4])、というものがあります。

端的に解説すると、ある状況で最善の選択をした時に、残されたほかの可能性で最善の物の価値を言います。

例えば…

大学4年生が今年卒業だったはずなのに留年してしまった場合…

ならばその年は普通就職して200万円くらい年収があったはずなので、これが機会費用になりますね。

つまり留年というのはそれほど最善手ではありませんが、図らずもしてしまった場合は、200万の機会費用を費やして、その状態に至ったと見る。

そして留年した場合はさらに学費もかかりますね。これは一般的には機会費用ではなく、学業のための費用になります。

しかしこれはあまりいい例ではないように思える。

前編集者の記述に基づいてこの例を書いたが、そもそも機会費用の議論というのは、経済行為のうちの収益が多い最善手を見つけ出したいがための議論だろうし、いくつかの行為の可能性を見た上で、どれが最善手か知るための議論でもあるだろう。仮に機会費用が多くかかっても、その行為に意味があると見なす場合もある。

パレート最適

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Pareto efficient. 他の誰かの状態を悪化させることなしに、ある主体の状態を改善できないこと。つまりその主体の現在の状態は改善できる可能性はあるのだが、それは必ず他の主体の状況の悪化が必要になるので、これ以上は改善を試みないのが正解、社会的に最適な状態とみる。

イタリアの経済学者、パレートが提唱した概念。

パレート効率と呼ぶこともある。つまり個人では最適ではないが社会的には効率の良い、いい状態だという事だろう。

パレート効率的な状態、具体的には、100人の民間人がいてある生活を続けている時、 政治家が特定の主体の状況を良くしたくて政策を変えたとして、どう政治行動しても、その100人の誰か一人以上に不利益・不満などを与えてしまう事になるのなら、経済政策を変える前のもとの状態がパレート最適、パレート効率的という事になる。

しかしパレート最適な状態にある時、それが本当に一般的な意味で最適、最高の状態であるわけではないだろう。

とりあえず状況を変えると誰かが必ず悪い状態になるのだが、Aが多少悪い状態になったとして、Bが少しでも良い状況になる方が必要、危急かもしれない。

そもそも最初の時点でAが不当に良い状態で、Bが不当に悲惨な状態かもしれない。

そしてパレート最適な状態も複数ある。この効率を得ているのは一種の平衡状態だが、最善ではない。徹底的に最善を求めた時、必ずパレート最適の複数のうち一つになるだろうか? そもそも最適な状態とは何? 誰にとって? 社会にとって? 社会とはだれのこと? そこに含めていない人はいない?

経済学者スティグリッツは、パレート効率的とは単に効率的でない状態よりは多少ましな状態に過ぎないだろうと書いている。経済学で言う「効率」とは、通常パレート効率の事だろう、という。出典、『スティグリッツ入門経済学』(和訳は東洋経済から)。

しかし最初の定義に戻ると、ある特定の主体の状態が問題になるわけだから、その特定の主体の状況を改善させる必要がどうしてもあるなら、パレート平衡を破って他の主体の状態を悪化させることになるだろう。

価格統制

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経済政策の経験則として、(独占市場ではなく)競争市場における価格統制は、結果的に混乱をもたらすことが多いとされ、あまり好ましくないという。クルーグマンやスティグリッツやマンキューなど、多くの経済学者も、彼らの教科書で、それを説明している。

クルーグマンは、ベネズエラ国のチャベス政権での食料価格統制の結果として、ベネズエラ国で食糧難が実際に起きたと主張している。

価格を低く強制するなら、供給は減るだろう。

スティグリッツは、価格統制という方針は政府の市場介入としては悪手だ、という。

むしろ買い手に補助金を与えては?、という事だが…。

クルーグマンは独占市場では、価格統制も世の中に不利益を与えないという。

一方現実では、ニューヨーク、借家業界では家賃の価格統制が行われている。クルーグマンやマンキューは、この家賃の(上限)価格統制により、おそらく修繕などの費用が削減されて、低品質な住宅が供給されている、と指摘している。

価格の上限、価格統制、行政などが、超えてならない価格を設定することを英語では price ceiling といい、日本語では「価格の上限」または「上限価格」と訳す。

下限価格(price floor)規制もまた、別の問題を引き起こす。輸入品が極端に安価になると、自国の農業を助けるために価格の下限を決めるが、供給過剰になり、政府の買い上げなども起きる。

買い上げた後の廃棄なども起きるだろう。事実上売れなかったり、価格暴落を下げるため、最も下限価格はあるのだが、市場の自然な圧力は発生する。

下限価格により、自然な状態より値が高いので、過剰品質やオーバースペックなサービスの付加にもつながる、と、クルーグマンなどは説明する。

失業

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フィリップス曲線

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フィリップス曲線という理論が知られていて、インフレ率と失業率は、おおむね反比例すると主張されている。

これは、日本の1950年代~1990年代まではよく当てはまる[5]

しかし、第二次大戦後から2000年までのアメリカ合衆国はこれに当てはまらない[6]

インフレ率と失業率を加算した指標のことをミザリー指数(misery index)(ミザリーとは「悲惨な」というような意味の英語)というが、第二次大戦後のアメリカ合衆国ではこの指数は通常10%前後だが、1975年と1980年にミザリー指数が上昇して数か月~1年程度のあいだ20%近くになり、悪化した。

フィリップス曲線はもともとは、失業率と貨幣賃金上昇率に関する議論だったが、これが後に物価上昇率に関しても言われ始め、さらにT.フリードマンは、ここでは実質賃金上昇率について考えるべきだと主張し、さらに、予想物価上昇率も加えた新しいフィリップス曲線を提唱した。

構造的失業、摩擦失業、需要不足失業

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構造的失業(structual unemployment)。企業が求める労働者の性質や地域、と労働者側の状況、条件が異なっているために、景気や需給関係では解消されない慢性的な失業。求人ニーズと求職者ニーズが一致せず、ミスマッチが起きている。

需要不足失業。求人が減っている、景気後退期に起きる。

摩擦的失業(frictional unemployment)。次の仕事を見つけるための過渡期、仕事自体は簡単に見つかるが、そこに就くまでに失業状態がある。

世の中の傲慢な愚か者たちの間では、失業するのは本人に何らかの問題があるから、能力や適性がないから、との考えが根強いようで、とりあえず公共の失業対策では、いい加減な講師による職業教育、訓練がなされるが、基本的には馬鹿げたことだろう。

勿論特定の職業実践に有効な、訓練や学習は確実に有意だが、現実にはそれが適切に提供されているとはいいがたい。

例えばこれはフィクションではあるが、カンヌ映画祭でパルムドールを獲得した、『w:わたしは、ダニエル・ブレイク』などを観ると、この問題の周辺でいかに馬鹿げたことが現実に起きているか良く解るだろう。

基本的に失業問題で公共がする一番の、そしてあるいはひょっとしたら唯一の重要事は、求職者と求人者の間の関係、橋渡しを上手に作る事だろう。

完全雇用

full employment. 現行の賃金水準で就業を希望する人、そして就業に適した状態にあるすべての人が雇用されている状態。ケインズは非自発的失業、摩擦的失業、自発的失業の3つの分類を語り、求人需要が十分で非自発的失業の無い状態を完全雇用と考える。

季節的失業

たとえばアメリカでは、建設業では、冬はほぼ毎年、仕事が減るのでその業界での失業者が増える。特定の季節にだけ失業者が増える業界があり、このような定期の失業のことを季節的失業という。

自然失業率

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natural unemployment rate. 期待インフレ率と現実のインフレ率が一致し,実質賃金による労働力需給の調整が達成されるような長期均衡状態において成立する失業率。

…というのは、ブリタニカ小項目事典からの引用だが、 この文章からだけでは、どういう事か理解するのは難しいだろう。

前編集者は実際にはあまり「自然」に見えない、と記述しているが、本来の、短期ではなく長い目で見ると行き着くであるだろう、失業率、という意味で、自然という言葉がそれほど"不自然"、な訳ではない。

基本的には多少の失業者はいるものだろう、摩擦的失業や、自発的失業、そして口では働きたい働きたいと言いつつ、実際には人間はあまり働きたくない^^;;;、何となく失業者になりたがっている^^;;;;;…。

自然失業率という概念は、主にフリードマンが提唱したらしい、フィリップス曲線からの類推から、インフレにより失業率が減らせるという主張があり、それに対する反論でもある。

20世紀後半の代表的な経済学者サムエルソンが、自然失業率を正確に測定できた者は いまだに一人もいないと、著作『経済学』で述べている[7]

仮に自然失業率なる概念が明確に規定できるなら、我々の社会でその値がある程度明確に時間に応じて存在すると見れるだろう。それを統計調査で測定し、明らかにしたいのだが、この測定はやはり完璧に正確にはいかない。しかしサムエルソンの主張はそれ以前の問題。概念も測定もいまだ相当あいまいだという主張だろう。

サムエルソンは2009年に死亡した。彼は自然失業率は、長期的には安定した数値ではなく、そのため、ある程度の幅を持っていたり、あるいは複数の幅を持っている[7]、と云う。

冷戦崩壊や日本の1990年前後の不動産バブルについてはサムエルソンの著作は言及できたものの、しかし2008年前後のリーマンショック・サブプライム危機については言及が乏しいと考えられる(※ wiki著者がまだ未確認)。

余談だが、サムエルソンの経済学教科書『経済学』は、日本では『サムエルソン経済学』などと言われるが、実際は1985年以降の版は経済学者ノードハウスとの共著である(和訳本『サムエルソン経済学』の表紙を良く見ると、原著者ノードハウスの名前も入っている)。

自然失業率の算出
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景気の変動などで実際の失業率はやや周期的に波上に上限に変動するだろう。

実際の失業率を、一定期間の平均的な高さの曲線でならしたものが自然失業率である、という見方がある。

この平均曲線の失業率と、実際の失業率とのずれの分を、循環的失業(cyclical unemployment)、とも云う。

フィリップス曲線の理論と関連づけるなら、インフレが進行したときの失業率の減少は、この循環的失業の部分だとされている(とスティグリッツは言う)。また、政府の経済対策などの成功によって減少できる失業率も、この循環失業率の部分だけである(と、スティグリッツは言っている)。

しかしマンキューは、スティグリッツのような意見には反対していて、自然失業率は経済政策の影響を受けないとは限らない、と主張している。

このスティグリッツとマンキューの差異のように、自然失業率の細かい定義はあまりはっきりしていない。

実質という指標

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貨幣は絶対の固定された価値を持つものではない。経済の様々な指標は貨幣値で示すものだろうが、時期により貨幣の価値は変動している。だから様々な指標に貨幣の額面ではなく、物価の変動を考慮した補正を加える。

これが、実質〇〇(real 〇〇)だろう。具体的には、実質GDPや実質利子率などがある。

たとえば、実質利子率は、次のように引き算で定義される。

実質利子率=名目の利子率-未来のインフレ率の予想値

例えば、まあ金額が少なすぎるが、例え話で銀行に100円預けたとしよう。これで、1か月後に利子が10円つくとする。これで名目利子率は、10% 。そして一か月後に10%のインフレになると予想されていると、実質利子率は0%だよね。これはどういうことだろう?

仮に予想通り、一か月後に10%のインフレ、物価高になったら、100円で買えたものには110円払わなければいけなくなる。名目利子率が10%なら、戻ってくるお金は110円だろう。つまり実質の利子は0%、預けたお金と同じ価値の貨幣が、銀行から返ってくる。

そして、もしこのインフレ状態で銀行に預けず、その資金を投資にも回さなければ、持っている100円の価値は100/110に下がっているだろう。

だからもし実質利子率がマイナスになっても、インフレで貨幣の価値は下がるが、事実上利子はつくのだから、やはり銀行に預けた方が得という事になる。

しかし予想値はあくまで予想値、この辺なんらかの欺瞞も、現実には多くあるような気もする。

物価の指数、インフレ率をどうやって導くか?

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物価高とか、物価が低いと言ったところで、商品やサービスごとに価格の変動は異なるだろう。

インフレ傾向だと言っても、価格が下落している商品もあるだろう。

そこで総合的なインフレ率、物価動向を示す指数は、様々な算出法が考えられることになる。

「物価指数」とは、市場にある数種の商品の価格を実際に行政が調べて、基準年から何倍になったかを表している。

たとえば、リンゴでもハンバーガーでも何でもいいのだが、たとえばリンゴが基準年から20% 価格上昇したら、リンゴの物価指数は1.2(=1+0.2)ですね。

そして物価指数というのは、社会の物価を総合的に示す指数であるので、いくつもの商品の価格の変動を考慮して算出する。

そして消費者にとって重要な商品と、生産者にとって重要な商品は違う。

だから、「消費者物価指数」(CPI, consumer price index)と「生産者物価指数」(PPI, producer price index)という、それぞれ別の物価指数が算出されている(少なくともアメリカでは)。

さらに、GDPの計算のときに使う物価指数は「GDPデフレーター」といい、消費者物価指数とも生産者物価指数とも異なる。

GDPデフレーターは、名目GDP から実質GDP を求めるときに算出する物価指数で、これも、物価が高ければ1 ( 100分率の場合は100 )を超える。

実質GDP = 名目GDP / (GDPデフレーター[100分率]/100)

ですね。GDPデフレーターは実際は100分率で示す場合が多い。

事実上、物価指数の計算方法は、種々多様になるだろう。

GDPデフレーターの算出方法は、「消費者物価指数」(CPI)の方法に近いが、ある程度は異なる。実質GDPは国内総生産(GDP)であり、国内生産に関する商品の価格変化を重視し、いっぽう消費者物価指数(CPI)では、輸入品の価格も比較的に強めに考慮する。

事実上、「GDPデフレーター」とは、実質GDPの算出に用いる物価指数であり、『スティグリッツ入門経済学 第4版』もその文脈で解説している。

消費者物価指数とGDPデフレーターの関係、アメリカでは、1970年代の(2度の)石油危機のときに、2度、値が乖離した。

いっぽう同じ1970年代の日本では、CPIとGDPデフレーターはあまり、乖離しなかった。

金持ちはけち?いやー金持ちだろうが貧乏だろうが、けちな奴はけちだし、太っ腹(放蕩?^^;;;)なやつは太っ腹じゃあない^^?

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先ず…

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GDPが高い国家は、消費も多くなるだろう。

消費額をCとして、所得をYとし、比例係数 k を用いて式

C≒kY

が、成り立つと考えてみよう。

所得以上に消費することは普通無いので、

k<1

と、してみる。

また、ミクロ経済では、需要Dを、

D = j×Y + 定数

の式で示す試みもある[8]。このような立式で、需要、消費、所得などを、数理的に議論する事が可能になる。

限界消費性向

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さて、誰がけちで誰が太っ腹かの話は、はっきり言ってどうでもいい事だろう。

先ずここで「平均消費性向」という言葉を提示する。これは、可処分所得に対する消費支出の割合の事だ。

ある人がある所得を得て生活している時、その可処分所得の中から、平均消費性向の分だけ消費として使っている訳だ。

そしてこの人の所得が増加した時、増加分のうち、消費に回す割合を、限界消費性向(MPC、marginal propensity to consume)、と、いう。

一般に経済学では、何か(金額など)の投入を1単位ぶん増やしたときに、増える出力の割合のことを「限界〇〇」という。

アメリカでの調査では、所得の大小に関わらず限界消費性向は0.8~0.9である、と、言われている。

クズネッツは1869~1938年の統計を見ると、限界消費性向は0.9である、と記述する。

ここで、仮に平均消費性向も0.8~0.9であるとすると、縦軸に消費額をとり、横軸に所得(可処分所得)をとると、このグラフは傾き0.8~0.9の直線になる。(『スティグリッツ入門経済学 第4版』、薮下史郎ほか訳、東洋経済、2012念4月5日 発行、)(クルーグマン『マクロ経済学』、大山道弘ほか訳、東洋経済、2009年4月2日発行、315ページ)

だから、平均消費性向と限界消費性向の値が一致するなら、所得と消費は比例式だから、単に所得の内のある割合が消費になるし、そうでないなら、所得が増える程、財布の紐を締める、或いはその逆、という議論が可能になるだろう。

消費関数

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クズネッツ型の消費関数(consumption function)とは、前述した

C≒kY

、である。

日本などいくつかの国では、所得が増えるほど消費の割合が低くなる、という現象が、統計として見られる。

これはケインズ型の消費関数↓を使うと、うまく表現する事が出来る。

c = a + MPC × Yd
c: 消費
a: 独立消費水準
MPC: 限界消費性向
Yd : 可処分所得

MPC<1 でないと、一般的には意味を持たないだろう。

式中のaの部分、所得によらずにする消費のことを独立消費(antonomous consumption)というが、日本では基礎消費ともいう(※: 『基礎消費』の参考文献: 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門 第5版』、有斐閣、2016年3月30日 第5版 第1刷 発行,32ページ)

独立消費水準が0 なら、これはクズネッツ型の消費関数だが、一般的には、クズネッツ型は比例式、ケインズ型は、所得に応じて消費の傾向が変わる状況を示す関数とみる。a>0 なら、所得が上がるごとに平均消費性向は下がっていくだろう。

中谷巌『マクロ経済学入門 <第2版>』(日本経済新聞社、2007年1月15日、2版1刷、32ページ)は、1992年から1997年の日本の消費関数を

C=76+0.61Y

としている。

有斐閣アルマ『マクロ経済学入門』(福田慎一・照山博司,38ページ)によると、2004年、2009年、2014年の日本では、低所得者の平均消費性向は0.9に近く、年収1250万円ていどの所得者の平均消費性向は0.6~0.7程度と低い。

ケインズ型の関数はより一般化されているから、所得に応じた平均消費性向の変化を表現する事が出来る。

現編集者としては、このクズネット型とケインズ型の消費関数の違いについてああだこうだ議論することに大きな意味があるとは思えないが、長期スケールではクズネッツ型の短期スケールではケインズ型の消費関数が当てはまるという指摘もある。

しかしこれは本当だろうか? 短期の所得と消費の関係、長期にわたる所得と消費の関係、この兼ね合いは、まず数理的な扱いの検討が必要になるだろう。短期スケールと長期スケールが独立してあるわけではなく、短期スケールの積み重ねが長期スケールになる。しかし、この問題をそんなに徹底的に考える意義はあるだろうか?

また前編集者はさらに、この問題には、「ライフサイクル仮説」という学説、も関連話題としてあり、多くの大学生向けのマクロ経済学の教科書で解説されているという。

  • クズネッツ型とケインズ型
※ これは架空のグラフです。

数学的には、クズネッツ型の比例式を一次関数に一般化したのがケインズ型の消費関数だろう。

さて、今具体的なある年を考えて、この年に日本国籍を持っていた人物、というのは具体的に上げて、数え上げることができるだろう。そしてその具体的な人物の年収も、その年収のうちその年にいくら消費したのかも、具体的な数値、金額として示すことができるだろう。

例えばその数値を、1950年から、1999年まで、すべての日本人について、右のような所得→消費のグラフにプロットしたとする。

これを比例式で回帰したら、クズネッツ型の消費関数になるだろうし、普通に回帰直線を描いたら、ケインズ型になるだろう。

また、全てのデータを使わずに、1950年代、1970年代、1990年代、と、データを分けて回帰すると、おそらくケインズ型の回帰が見られるだろうし、あるいはまた、特定の傾向を持つ少数の人物の、長い時間にわたるプロット、例えばその間にインフレが進行するとか、あるいは所得も上がっているかもしれません、を回帰すると、クズネッツ型の関係が見いだされるかもしれません。

右上のグラフはそういう統計手段についてのイメージ図ですが、参考文献: 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』37ページ図、2-3 にある第二次大戦後の昭和の日本の家計消費のグラフを、参照して作っています。

  • ピケティの言

クズネッツ型の、所得と消費の比例式は、主に所得格差の小さい時期に見られる様だ。

フランスの経済学者ピケティは、クズネッツ型の消費の比例関係は、アメリカで大戦後一時所得格差が小さかった時代、或いは社会経済の動乱期のデータで[9]、格差自体は、どんどん広がっているので、消費は、ケインズ型の一次関数になっていくだろう、と、指摘する。

  • 乗数効果

さて、あなたが消費したお金は、誰かが受け取り収入になる。その誰かもまたそのお金を消費すると、また別の誰かの収入になる。

お金や人々の手から手へ廻っているのですね。

では今、ある人、 Aさんの年収を 1000万円としましょう。そして、現実にはあり得ないことですが、 Aさんが消費したお金はすべて Bさんの収入になるとしましょう。そして同じような関係が、 Bさん、 Cさん、 Dさん、…と、続いていくとしましょう。そして今平均消費傾向が限界消費傾向 MPCと等しいとすると…

Aさんは 1000万円 の収入を手にしたので MPC × 1000万円 の消費をすることになる。
Bさんは MPC ×1000万円 の収入を手にしたので MPC2 × 1000万円 の消費をすることになる。
Cさんは MPC2 ×1000万円 の収入を手にしたので MPC3 × 1000万円 の消費をすることになる。
Dさんは MPC3 ×1000万円 の収入を手にしたので MPC4 × 1000万円 の消費をすることになる。

つまり、一人の消費が、別の消費を数珠つなぎに引き出していることを示したいのです。

ここで、このつながりが n人に及べば、Aさんの消費が最終的に

倍の消費を生み出したことになる。

収入の和を考えれば、 Aさんは 1倍の収入があるから、

これは等比数列の和ですね。

ここで無限に足し合わせた級数を考えると、0<=MPC<1 に注意して、

と、なります。

実際には人口は無限でありませんが、十分に大きい数をとると、この値にほぼ近くなるとみていいでしょう。

そこで消費傾向が0.9 なら、は 10になる。

このように、何らかの消費や投資の効果は増加、増殖する、と、考えられています。

さて、

1-MPC

は貯蓄性向(正確には限界貯蓄性向 MPS)。

そこで、

になります。

ここでは、0<MPS<=1 ですね。

つまりこの発想で考えると、貯蓄の割合を多くすると世に出回るお金の量が少なくなり、社会経済、景気が停滞し、発展が閉ざされ、生活が貧困になる、つまり合成の誤謬が成立するわけです[10]

  • 預金は銀行が借入しているのだろう
信用創造
銀行・借入者 預金・借入金 支払い準備金・内部留保や消費 貸し付け金・預金
A銀行  100万円  20万円 80万円 
B企業  80万円  16万円   64万円
C銀行  64  12.8   51.2
D企業  51.2  10.24   40.96
以下省略      
合計  500万円  100万円   400万円

家計が銀行に預金をすると、銀行にとって貸出資金が増加し、それが金融市場に流れ、企業や他の銀行も資金増加になり,社会全体で多くのお金が動くとみなせる、このような考え方を信用創造という。これは高校政治経済でも言及されている。

右の表では、例えば誰かが A銀行に 100万円預金する。 A銀行は預金のうち 80%の 80万円を B企業に貸す。 B企業は、まああまりリアリティのない仮定だが、 20%を運転資金として消費し、 80%を C銀行にいったん預ける。つまり、銀行も企業も 20%を留保または消費して、 80% を他者に貸す。

そうすると預金を債権とみなすとして、

信用創造された債権総額=元の預金/0.2

と考えることができる。

これは前述した等比級数の考え方だ。

信用創造された債権総額= 元の預金× (1 + 0.8 + 0.82 + 0.83 + ・・・)
= 元の預金×(1/(1-0.8))

預金だけを考えれば、

信用創造された預金総額=元の預金/(1-0.82)

に、なるだろう。

信用創造を考えるとき、元の預金のことを「本源的預金」ということもある。

ハンセン=サミュエルソンの乗数・加速度モデル

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さて、ケインズ型の消費関数は以前、

c = a + MPC × Yd
c:消費
a:独立消費水準
MPC:限界消費性向
Yd :可処分所得

と、記述した。

ここで消費c ではなく、所得Y に注目する。そしてむしろ国全体の所得、生産に着目し、つまり GDPを見るのだが、似たような形式の数理議論がある。

w:乗数・加速度モデル

ただし、

  • : GDP
  • はt期の消費。は基礎消費。
  • はt期の投資。は独立投資。
  • : 消費性向
  • : t期(時間)
  • : 加速度係数

この連立式から、

を導き、時間に対応する数列としての GDPを議論できる。

貨幣数量説

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まず名目GDP の一番基本的な定義から考えてみよう。ある期間の、ある国に所属する経済主体の、売り上げから原材料費を引いた金額の総和がこれであろう。

そして売り上げそのもの、つまり原材料を引かない金額の総和も考えることが出来るし、そしてこれは大雑把に言えば,GDP に比例しているとみなすこともできる。

そしてまず、このような式を提示しよう。

貨幣の流通速度 V = 名目GDP / 貨幣量M

速度というのは単位時間ごとの値だが、ここでは例えば、名目GDP が 3か月の値なら、3か月の量を示しているわけだ。

さて、名目GDPは、販売された商品の価格に含まれる製品一個当たりの付加価値 P(販売価格から原価をひいたもの)とその個数の合計 Yとの積 ΣPY に等しい。

つまり、こうですか。

MV=名目GDP=

さて、先ほど売り上げそのもの、つまり原材料を引かない金額の総和について書いたが、これは荒くとらえて名目GDP に比例するとみてみようと言及したが、製品一個の付加価値ではなく価格をP' とすると、

bMV=b*名目GDP=

そこで、貨幣の流通速度の別解釈を提示しよう。

貨幣の流通速度(別) V' = b*名目GDP / 貨幣量M

これはこうなるでしょう。

MV'=

さて、ここでですねー、こういう値を考えたい。

こうなると、この値、P' を求めることが出来るでしょう。

P'=

結局

MV'=P'Y

菅原晃『使えるマクロ経済学』、中経出版、2014年10月14日 第1刷発行,178ページ、
では、『貨幣数量説』の公式として、
「貨幣量×世の中を回った回数=物価×取引量」

とある。

菅原晃『使えるマクロ経済学』、中経出版、2014年10月14日 第1刷発行,203ページ、
では、『貨幣数量説』の公式として、
「供給:貨幣量×世の中を回った回数=需要:物価×取引量」

とある。

この形の公式を「数量方程式」(quantity equation) と呼んでみましょう。また、この公式であらわされる学説を「貨幣数量説」という場合もある。

右辺に価格が入っているので、物価のインフレまたはデフレの解析に、この貨幣の流通速度の理論が使えそうだと経済学では思われている。

アメリカ経済学の教科書のスタイルではP×Y は 名目GDP に等しいと説明されるが、P' と同様に一般的な付加価値、P を求めることが出来るから、正しい主張でしょう。

PをGDPデフレーターとして、Yを実質GDPとして

MV = PY

という書き方が、各種教科書でなされることも多い。どちらにしろP*Y は名目GDPになるわけです。

前編集者は

MV'=物価×取引量 ∝ 名目GDP
MV'=物価×取引量 ∝ 実質GDP × インフレ率

という関係式を得て、それを経済モデルに合うように連立させることが重要、と記述していたが、現編集者はこの手の数理議論にはあまり大きな意味はないと思っている。

マーシャルのk

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さて、前項で、

MV=名目GDP=PY
MV'=P'Y
M:貨幣量
V:貨幣の流通速度α
V':貨幣の流通速度β
P:一般化された付加価値
P':一般化された価格
Y:財、サービスの取引数

ここで前回の議論にもあったように、 P'Y=b*PY としてみると、

M=(b/V')*P*Y

そして、

M=k*P*Y

このk が、マーシャルのkであるかは定かではないが、彼の議論の片りんを見るものとみていいだろう。

統計的には k は定数ではない。(※参考文献:中谷巌『入門マクロ経済学 第5版』、日本評論社、2007年3月30日第5版第1刷発行、192ページ)

たとえば中谷は参考文献『入門マクロ経済学第5版』で、日本では1970年代はマーシャルのkが 0.7 程度だったが、しだいに増加していき、2004年には k は 1.4 程度であるとグラフで図示している。

※福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』(有斐閣、2016年3月30日第5版第1刷発行、141ページ)では、文中に「右辺の定数k」とある。しかし、中谷の文献で紹介されるように、統計的にはkは定数ではない。数学的にはkは、「右辺の係数」である。

k=b/V'でもし bが定数なら、貨幣の交換が少なくなるほどk が大きくなる。

だから、いわゆる「デフレ経済」と言われる日本の1990年以降の時代(平成初期の不動産バブル崩壊の以降の時代)でマーシャルのkが増加するのは常識と一致するのだが、しかし中谷の文献のグラフを見ると、1970年代も1980年代でもマーシャルのkは増加傾向であるのが、グラフから読み取れる。(しかし中谷は、不動産バブル崩壊以前のマーシャルのkの増大には注意を払ってない。)

そしてこの式は、こう読める。

M=k*名目GDP

(参考文献:菅原晃『使えるマクロ経済学』、中経出版、2014年10月14日第1刷発行,203ページ。この文献では「貨幣量=GDP」という図とともに「k%ルールが有効!」という文言が図中にある。 )

このkを、経済政策の目安にするのが良いだろうという学説があるらしく、フリードマンがそのような学説を提唱したらしい(菅原の文献を読んだ限り、そういう印象を受けた。By E.Suj.)。

インフレは好ましいか?

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経験的に、経済政策として、インフレ率2~4%程度の緩やかなインフレを目指すことが、多くの国で行われている。

クルーグマンが『マクロ経済学』(2009年版、472ページ)で報告するには、アメリカのFRBは方針こそ断言してないが、その実行結果から、2~3%ていどのインフレ率を好んでいる、と、云う。また、イングランド銀行はインフレ率を2.5%とすると明示的に公表している、と同ページに記述されている。

なお、この2%のインフレ率のように、比較的に低率でのインフレのことをクリーピング・インフレ(creeping inflation)という。クリーピングとは「しのびよる」という意味の英語である。1~3%程度のインフレ率が、クリーピング・インフレだと言われている。

また、スティグリッツは、もし政府がインフレを嫌ってデフレを誘導すると、一時的には失業率が増加する、と述べている(『スティグリッツ入門経済学 第4版』東洋経済、432ページ)。

しかし、この低率のインフレが好ましいという議論は、論理的に明快に因果関係が説明されているわけではない。少なくとも、『クルーグマン マクロ経済学』や『スティグリッツ入門経済学』を読んでも、そのインフレ率2~3%程度が好ましいという論の明確な説明は全く見当たらない。

スティグリッツは、循環的失業の増加は低インフレをもたらし、循環的失業の減少は高インフレをもたらす、と述べているが、しかし彼以外のクルーグマンもマンキューも、スティグリッツのような主張は(調べたかぎりでは)していないようである。

ケインズ政策

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アメリカの1940年代のニューディール政策は、1930年代のケインズの経済理論が根拠になっている、とよく言われる。しかしそれ以外にも参考にした具体例があったようだ。

例えば、1930年代の日本の高橋是清・蔵相の不況対策で、似たような積極的財政政策がとられている[11]

1930年代のドイツでの独裁者ヒトラー政権下でも、ドイツ人経済学者シャハト博士の助言のもとに、公共事業(高速道路アウトバーン建設など)や軍備増強など、積極的にドイツ政府は財政拡大をして投資した[12]。もっともこのころのドイツの軍備増強は、誰もが知るところだろう。だからこそ、第二次世界大戦の大騒ぎが実現したわけだ。

まあ軍備増強を公共投資と言っていいのかは疑問だが、当時のヒトラーの経済政策の果敢さは、彼の国内での、あるいは国外でも、人気拡大に一役買っただろう。

詳しい文脈は不明だが、森嶋道夫『思想としての近代経済学』(岩波新書、1994年)に、経済学者ヒックスが森嶋に「戦前はヒトラーの時代であった。戦後はケインズの時代になろう」と述べたことが記されている[13]。小畑二郎『経済学の歴史』にも似たような話が書かれている。

1940年代アメリカのニューディール政策はケインズの理論だけではなく、当時の様々な前例も参考に行われたのだろう。

さて近年、2008~2009年ごろのリーマンショックやサブプライムショックなどの対策としても、銀行の救済や公共事業などによる積極財政や金融政策がとられている。

ケインズ政策、ケインズ主義とは、不況対策や経済発展などのために政府が積極的に公共事業や融資や民間への資金援助などを行う政策をいうのだろう。ケインズ自身は、大恐慌に対する処方箋として、利子率の切り下げ(金融政策)と社会基盤への政府投資(財政政策)を示していた。

リーマンショック対策でケインズ政策はひとます成功したし、今でもこの政策が不況対策として有効だと、一般に認知されている。

ケインズの議論はケインズ経済学というマクロ経済学の主要な学派になっている。ケインジアン、という言葉もある。

一方でケインズ政策を実行すると、その国は多くの場合財政が悪化する。具体的には、国債を増発するようになる。第二次大戦後のアメリカ合衆国はそうなった。

この借金による国家運営の問題点をなくすために、ケインズ主義に代わる新しい経済思想がアメリカやイギリスで必要になり、1980年代にはレーガン大統領のレーガノミクスやサッチャー首相のサッチャリズムのような「新自由主義」が政治の表舞台に現れてきた。

  • ハーヴェイロードの前提

ケインズ自身は、恐慌の時期には政府は借金をして投資しても、恐慌を脱したら財政規律を高めて赤字財政を回収して均衡財政に戻すべきと考えていた[14]

しかし、実際の多くの戦後先進国では、そのような政策はとられず、20世紀後半に赤字財政に陥った国も少なからず存在する。

WW2戦後のインフレには、このような赤字財政という背景もあったと、経済学者ブキャナンなどの新自由主義者は述べている[15]

ケインズの議論には、政府の経済政策には賢人としての高度な判断があるという、「ハーヴェイロードの前提」がある。ハーヴェイロードというのはケインズが生まれ育ったイギリスケンブリッジの土地で、知識人が集まっている場であった。

戦後の経済がケインズの当初の予想通りの均衡財政にならなかったのは、政治家の堕落(だらく)であり、為政者としての責任感の欠如だ、という指摘もある。つまり「ハーヴェイ・ロードの前提」が政治家に欠けている、という事だろう。

一方ケインズ経済理論を批判するブキャナンたち新自由主義の経済学者は、むしろ「ハーヴェイ・ロードの前提」が非現実的だろう、とも語る。

そして前編集者は、堕落しているのは政治家ではなく、むしろ民衆だろうと記述している。正しい政治家に投票できない民衆がおごりの中で政治家を批判しているだけだろうと指摘する。

しかし仮に民衆が堕落しているのなら、政治家も等しく堕落しているだろう。

全ての人間が公平に堕落しているのが現代社会だろう^^;;;。

赤信号、みんなで渡れば怖くない^^;;;

  • 貨幣錯覚

ケインズの一般理論でも、「貨幣錯覚」については言及されている。本来貨幣は定まった価値を持つものではなく、一般的絶対的な価値に対して、必要な額面が大きくなったり小さくなったりする。つまり財やサービスに必要な貨幣の額面、物価が高くなったり低くなったりするのだ。

だから本来貨幣は名目、額面としての数字ではなく実質の価値が問題になるのだが、実際には人々は貨幣の額面の数字に捉われる。

多くの労働者も、実質賃金ではなく貨幣賃金を見て行動する、という[16]

ケインズは緩やかなインフレを肯定した。また、インフレ誘導的な政策が、恐慌の脱出措置としてよく用いられる。

物価が高くなると、実質賃金は下がるが、それに合わせて名目の賃金を上げると、労働者は収入が上昇しているように感じるだろう(か?)。

  • 利子理論と物価

一般に、インフレなら名目金利を高くすることが可能だという[要出典]

前編集者は物価に関する数理を欲していたが、ケインズの利子理論やそこから導出された、LS-IM分析は,その目的にはかなわないものだという。

ケインズは「一般理論」の著書で,2%という数字を利子率の基準として示した。[17]。一方、21世紀、主要な先進国が採用する物価インフレ目標も多くは2%である。

前編集者は物価と金利を結び付けた数理議論を求めているようだが、そういう論説はあまり世にない様だ。ケインズは金利の理論を展開したが、それと物価を結び付ける議論も、特にあまり見当たらないという。

しかし実際には全くそれがないわけではないだろう。一般的な議論として、政策金利を低くすると借金がしやすくなり、銀行のストックが減り世の中に貨幣が出回る。その結果貨幣量が増え、インフレ傾向、物価上昇傾向になると見れるだろう。

ロイター日本語版の2021の記事は物価目標2%と金利を関連づけて語っている[18]。しかしケインズの議論には言及がなく、その視点での分析も特に書いていない。

一般的に金利が高いと貨幣量が減り、デフレ傾向だが、不況に関してはどうなるだろう?

一般に金利と言えば貸金、預金の利率、貨幣を貸すときの手数料、利益と見ていいだろう。物価は生産物と貨幣の交換率、この二つの値の比較と重要性を語りたいのが前編集者の議論だが、例えば学問的な考察や議論で、詳細に拘らず、あるものを別の或るもので単純に置き換えると、面白い展開を迎えるというのは、往々にしてある。例えばケインズの利率を物価で置き換えたらどうだ? と、言うのが前編集者のアイディアではあろう。

日本の平成、「デフレ不況」と言われている状況では、金利も低く物価も低くなっている。1990年前後のバブル崩壊よりも前のころは金利は高かったろうし、物価も高かっただろう。

昔の主婦は金利の高い金融機関を探して選んで預金していたものだが、最近は預金に関してはあきれるほど利率が低い。

21世紀の日本の低金利は、日本の不動産バブル崩壊後、何らかの理由で金利を下げる必要があったのだろうと前編集者は考えているようだ、特に物価の下落を重要ファクターと見ている。日本の過去の不動産バブルは、不動産資産のインフレによる騒動と見ることが出来るだろうか。

長期的にはインフレ率と金利が近づいていくという指摘もある[要出典]

クラウディング・アウトとは何か? 現編集者はむしろ、より詳しい方がここに記述してくれることを望むが、前編集者の説明では、国債や郵便貯金などの利率が高いとその商品が魅力的になるので、株式や投資、民間の債権などにお金が流れなくなる現象だと書く。

では国債や郵便貯金の利率は低いほうが良いのか?もちろんそうなれば財政も圧迫しなくなるし、が一方で公共にお金を貸す意思自体が減ると見られるかもしれない。

政策金利と呼ばれるものはまた別の利率だろうが、これが低すぎると流動性の罠(わな)と呼ばれ、景気浮揚や投資を増やす効果を持たなくなるという。

現編集者は実際は経済学も大した知らないが、前編集者の不適切な悪意に満ちた文章を何とかしたい一心で、いろいろ調べながらこの文章を書いているだけなので、いずれはより詳しく人間性も良好な人にこのページを書き足し修正してほしいのだが、とりあえず流動性の罠の原因については、「ゼロ金利の近くになると、これ以上は金利は下がりようがないのだから、つまり今後は国債などの金利が上がる可能性が高い。そこで、人々は値上がりを期待して、民間に投資をしなくなる」、という言説もあるようです。

つまりこの主張は、今金利が低いと、人々は将来上がると予想してそれを待つという事?

そこで結局流動性の罠とは何かそれほど理解していないまま、文章を先に進めるが、経済評論家の三橋貴明氏は、平成のデフレ不況とは、『デフレ化において単純に「儲からないから投資しない」』現象だと著書で語っている。そのうえでとりあえず政策金利を下げればよいという、バブル崩壊後の日本政府の金融政策を批判している[19]

そもそも新たな投資が頻繁になされることが絶対的にいい事なのか? 今現在の生産インフラが潤沢に回っていることで、いい経済状況だとはみなせないのか?

経済が貨幣でお金のことだと見てしまうのは、本質を見失わせるだろう。経済とは我々の日々の生産活動だし、貨幣はそれに従い、それを動かすためのツールに過ぎない。

さて、評論家犬走文彦氏は「金融危機があるレベルまで達すると、信用リスクを回避するためいくら金利が低くなっても金融機関が貸し出しを止めてしまう」と書いている[20]。そもそも金利が低くなると貸し出す方に旨味はない。借りる方が得になるから、貨幣需要が増えるという事だろう。しかし金融機関は敢えて貸さない? しかし金融機関とは、貨幣を貸し出して利益を得ている法人だったはずだ。

兎に角細かい事や全体を見ないままとりあえず投資が増えればいいというのなら、そして、「儲からないから投資しない」というのなら、「投資しないと損をするぞ」といった内容の経済構造すればよいのでは? 、と、前編集者は指摘する。

つまり投資という仕事をさせたいから、鼻先にぶら下げる人参はもうないから、では鞭で打とう、と、そういう訳だろう。

インフレ誘導にはそういう意味があるのだろうね。現状がデフレやディスインフレならなおさらこの方法に行きやすい。しかしインフレ誘導が制御できなくなって、高インフレになると、多くの人々が困ることになるだろう。今現在(2023/2)、その傾向があると言えなくもない。

一方経済学者クルーグマンは『中央銀行が将来のインフレ率を公約する「インフレ目標」が、流動性の罠のもとでも有効であると主張した。』、という[21]

「バランスシート不況」という考え方では、恐慌時などには投資家がリスク回避志向になり、不況時は銀行の行動パターンが投資から債権回収などに移るので、この時期に政府が金融政策しても、あまり効果がない、という[22]。貸し渋りという事? お金を持っている人たちが貸したくなくなる? しかしファイナンス、貸金とはそんなに経済、景気の進展に重要な事なのか? 借りたお金が世の中を潤沢に回ることが本当に健全な事態なのか?

投資と融資は異なるだろう。投資とは生産インフラの資本、資産を買い、所有することだし、融資はお金を貸しているという事。債権は利子を付けていずれ回収したいが、投資は所有している場合は配当などの利益が期待できるが、株式などの形で売って貨幣を回収することもできる。

1990年前後の不動産バブル崩壊後、日本は2000年代初頭に、非伝統的な金融政策である日銀のバランスシートの拡大、およびそれらの量的緩和をインフレ率が安定的に0.数%になるまで続けるという政策を実施しました。[23]

さて、もちろんケインズは我々の歴史の中で最重要の経済学者ですが、全知全能の神様ではない。その指摘や理論が徹底的に現実を示しているものではないでしょう。

前編集者によると、「ケインズ理論も新自由主義も両方とも間違っている」、という主張も結構多いという。「反経済学講座」(犬走文彦、新潮社、2009年8月20日)がそういうスタンスだという事だが…。

また基本的には、特にその会社の経営者、関係者は自分の会社が倒産することは望まないだろう。しかし世の中には自然淘汰を称賛し、弱者が滅びることが正しい事だと見做す考えも多いし、そこまで極論ではなくても、妥当な経営を出来ない会社はペナルティとして倒産やむなし、という判断は多くなされるだろう。前編集者は経済思想家ハイエクなどはそう考えていると指摘する。

基本的に弱者企業を補助金などで救済すること自体が、経済全体にとって悪い事だという主張は多い。ハイエクは、不況の救済のために必要以上の補助金を投入する事こそが、次のバブルおよびその破裂による恐慌をまねく、と、指摘したという。『世界恐慌を予言した人たち~金融緩和がはらむ反動リスク 』 2018/9/18

ハイエクなどオーストリア学派は、不況を避けるという考え自体が不適切だろう、と主張したという。ある程度の不況の緩和を目指すことは認められるが、景気は循環するもので、無理やりそれを動かして不況を避けて矯正しようとすると、経済はかえって悪化する、と指摘する[24]

歴史的には大した恐慌対策を取らないまま、状況が改善した例もあるようです。1930の世界恐慌より前、1920年の恐慌は、自然に終息、回復を迎えたとオーストリア学派は主張しています[25]。当時のアメリカは金本位制。第一次大戦の放漫財政で金の保有量が減っていたことから、対策をとろうとしてもアメリカ政府のハーディング大統領は対策をとれなかった、と、いう。

さて、一般的に、 Aならば Bでも、 Bならば Aであるとは限らない。

消費の低迷 → 消費依存型産業の物価デフレ

この流れはどうですかね。需要が減れば、値は下がるでしょう。

消費依存型産業の物価デフレ → 消費の低迷

これは? まず単純に考えて、値が下がれば需要は増えるのでは?

では…

消費の活況 → 消費依存型産業の物価インフレ

これはありますよね。需要が増えれば値は上がる。

消費依存型産業の物価インフレ → 消費の活況

これはどうですかね。一般に値が上がれば需要は減る、売りたい人は増えますがね。

高度成長も終わった昭和末期の1980年代、日本はディスインフレでした。しかし消費は活況。1980年代後半には、バブル直前の黄金期を迎えたといいます[26]

だからデフレと不況の結びつきはそれほど強固ではない。

ただ需要が低下すると、値は下がる、これが徹底的に続いているのがデフレ不況なのだろう。経済評論家・加谷珪一は「デフレが不景気を引き起こしたわけではない。不景気でモノが売れず、企業は安値販売を余儀なくされ、これがさらに物価と賃金を引き下げている。高く売ることができる商品をわざわざ安く売っていたわけではない点に注意する必要がある。」と語る[27]

つまり需要がない。日本は物に溢れている、なんてよく言うが、それに類する事態だろう。

しかし需要がないという事は必要ないという事。物が十分にあるという事はそんなに働かなくてもいいという事? そんなに作らなくてもいいという事かね? しかし結局この国の経済状況の中で、失業したり貧困に陥る人はかなりの数存在する。

完全競争

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高校の政治経済では、「不完全競争市場」の例として、寡占や独占などの事例を習う。不完全の反対が完全だろうが、寡占(かせん、oligopoly)や独占(monopoly)などの、競争をゆがめるような制限のない市場の状態のことをよく、完全競争(pure competition)という

この言葉をより詳しく規定するとどうなるか?

次の五つの条件を満たすのが完全競争だという。(前編集者の定義)

  1. 生産者(売り手)と消費者が十分に数が多いという条件。
  2. また、生産者どうしが談合などせず、競争するという条件。
  3. また、生産者どうしも独立していて、他の売り手に大きな影響を与えないという、生産者どうしの独立の条件。買い手もまた、他の買い手に大きな影響を与えないという、消費者どうしの独立の条件。
  4. 消費者はよく商品の情報(特に価格についての情報)を知っているという条件。
  5. その市場への参入と退出が容易だとする条件。

寡占や独占のもとでの市場競争は、この「完全競争」の条件が満たされてない。と、云うか一般的には完全競争の状態は現実には無いと見なされている。議論のための仮想的な市場状態だろう。

そして完全競争の定義は、論者や学派によって微妙に異なるようだ。ここでは5つの定義を上げたが、これが3つぐらいの規則から導かれる完全競争の性質に過ぎない、という議論もある。

不況と好況

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景気循環の図。グラフの波型の山の部分が好景気を表し、谷の部分が不景気を表している。
Expansion :景気拡大
Boom  :好景気の頂点
Recession :景気の後退
Depression:景気の消沈

景気には波があるという。景気を統計的、数量的に示す方法があるかどうか、現編集者は知らないが、実質GDP を基準に考える道はあるだろう。

一般的にある程度安定した国家社会では、実質GDP は微増するものだと見るといいのではないだろうか。社会集団として、生産集団として、文化や技術が発達し生産に慣れて社会として習熟した表れとして、生産を示す実質GDP はわずかに増えていく。あくまでも仮定ですがね。

そうなると、好況というのはその時点での実質GDP成長率がある程度高いことを示すだろうし、不況というのは実質GDP成長率が横ばい、ゼロ、あるいはマイナス成長の時、だということは出来るだろう。

前編集者は、経済や生産の事を語る時に、「不況」「好況」の言葉を使うよりも、「高成長」や「低成長」や「マイナス成長」という言葉を使った方が妥当だし、適切だろうと書いているが、「不況」「好況」という言葉は現実の経済、商業生活でのそれぞれの職業人の精神的な満足度を示しているものではあるので、GDP だけがそれを示すものにはならないだろう。そもそも実質GDP とは常に大きく上昇し、上がっていくのが自然で望ましいのか? そうすれば人々は十分な満足が得られるのか? それさえも怪しいし、定かではないだろう。

労働価値説と限界革命

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労働価値説

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さて、財とサービスに価値があるのは自明でしょう。そしてそれと交換される貨幣にももちろん価値がある。

そしてまあ常識的に払う貨幣が高いほど、その財には価値があると見做されている。

払う貨幣とは価格ですよね。そしてこのページで議論してきたように、価格は需要と供給で決まると考えるのが、現代的な経済理解です。

しかし一方でもっと哲学的、観念的議論として、商品、財が持つ価値の根拠、いったい何によって価値が生まれるか、それを知りたい訳です。

そこでまず議論されたのが、アダムスミスやマルクスが言及した労働価値説ですね。

つまり財やサービスの価値の源泉は、我々の労働だと。

財の価値の根拠が労働にあることは否定できないでしょう。ただその議論を価格と結びつけるのはなんだかんだでかなり困難がある。労力を多く費やしても価格が安くなることはあるし、労力少なくして高い価格がつくことも現実にはある。

しかし数理的に労働量と価格の議論が出来なくても、労働が物事の、財の価値を生み出していることまで否定するのは詭弁でしょう。

大体労働に価値がないのなら、世の人はもう明日から仕事に行かなくなるよ^^;;;。

しかし一方「効用革命」という議論があり、労働価値説とは別の視点として、財を消費する側の満足、欲望の充実に価値の根拠を見出す視点がある[28]

この議論は数理とも馴染みがよく、ミクロ経済学の重要な分析の一つになっている。

価格は需要と供給によって決まり、財の生産者は市場で売れる価格にあわせて利益が出るように労働および経費などの投入量を調節する[29]

限界効用理論

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効用とは財を消費したときの満足度である。ここで効用関数なる値が実数の関数を考える。

一般に消費者は、いくつもある消費計画のうち、みずからの効用関数を最大化させるような消費計画を選ぶ、と考えられる。これを「効用最大化仮説」と言います。

たとえば、ある消費計画Aと、別の消費計画Bについて、それぞれ効用をU(A)およびU(B)とします。つまり消費計画Aの効用がU(A)です。同様に消費計画Bの効用がU(B)です。

そして、たとえば、もし

U(A)>U(B)

なら、消費者は消費計画Aを選ぶ。

同様、もし

U(A)<U(B)

なら、消費者は消費計画Bを選ぶ。

ただし、効用の大きさそのものを数値化することは一般にはできず、その大小関係・順序にのみ意味があると考えています。数学で言うと、代数システムのうちの順序関係・大小関係のことを「序数」と言うので、効用関数の上述のような性質のことを「効用の序数性」と言います[30]。書籍によっては便宜的に効用が数値で表される場合もありますが、しかしその数値はあくまで便宜的なものに過ぎず、数値の絶対的な大きさには意味は無い[31]、とのことです。

※英語ではfirst やsecond やthird などの単語を「序数」と言いますが、つまり、集合の要素の順序関係を見るのが序数ですよね。

然し導関数として、ステーキの購入計画C とワインの購入計画D で、ステーキ1単位を購入することがある人にとってワイン何単位ぶんの購入に当たるかの計算は議論される。こうのような購入量1単位ごとの効用の換算値を、限界代替率と言います。

「効用」は、主観的な量です[32]。つまり、効用の大きさは、それぞれの消費者の主観で決まります。

この効用と価格の関係に関する数理議論があるだろうが、現編集者はほとんど知らないので記述できない。一般の経済学入門書を見ても、そういう話題はまったく書かれていない、と、前編集者は書く。

効用自体も、消費量が1単位増えた時の効用の増加、限界効用も、関数の数値自体には大きな意味はないと見る。しかし財によって限界効用を比較したもの、限界代替率は、限界効用の数値を比較し、同じ満足度の消費量を見出す概念だとはいえる。

経済学者ヒックスはこの限界代替率に着目した研究を行ったという[33]

もう一度書くが、限界効用とは,財を一単位追加して消費することによる効用の増加分だ。これは効用関数の微分と見ていいだろう[34]

さて、この効用関数は、単調増加で上に凸だろうか。ある種類の物があふれると、その物ひとつ当たりの価値は小さくなる(効用逓減(ていげん)の法則)。

水は生命活動に不可欠に限らず、ダイヤモンドより価格が安い[35]。同じ美術品を何度も鑑賞すると、慣れてきて価値を感じなくなる[36]

財の消費だけではなく、人間の心理的または生理的な傾向としてこのような現象は見られますよね[37]

兎も角効用とは消費する側の議論だろう、一方で供給する側の視点も必要だ。労働がなければ多くの財は供給不可能だ。

サンクトペテルブルクの賭け

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さて、事実上は話題として少しそれるが、効用に関する議論として、18世紀前半、ロシアのサンクトペテルブルクに住んでいたスイスの数学者ダニエル・ベルヌーイが示した「サンクトペテルブルクの賭け」という面白い議論があるので、余談として紹介しておこう。

ここではこういうゲームを考える。一枚のコインを表が出るまで何回も投げ続ける。もらえる賞金は、1回目に表が出たら1ダカット(日本円で500円ぐらいだという)、1回目は裏が出て2回目に表が出たら倍の2ダカット、2回目まで裏が出ていて3回目に初めて表が出たらそのまた倍の4ダカット、3回目まで裏が出ていて4回目に初めて表が出たらそのまた倍の8ダカット、というふうに倍々で賞金は増えていく。

さて、この場合このゲームを売る胴元は、何ダカットでこの賭けを売ればよいだろうか?

普通ギャンブルのこういう議論では期待値を計算する。

期待値の例として、別の簡単なゲームを考えてみよう。

二人の人間がゲームに参加し、参加料として100円ずつ払う。じゃんけんをして勝った方が場に出た200円を総取りする。

この場合片方の参加者がじゃんけんに勝つ確率は 1/2、負ける確率は残り 1/2、200*1/2+0*1/2 で期待値は100円。参加料が100円だから、ゲームとしてはトントンだという事になる。

ここでもしゲームとしての胴元がいて、10円ずつ参加料から場所代を抜いていたら、賞金総額は 180円で、期待値は 90円。世によくある、胴元が確実に儲け、参加者が総体的には結局損をしているギャンブルになる。

さて、先のサンクトペテルブルクの賭けの賭けでは期待値はどうなるか。

まず最初に表が出る確率は 1/2。その時の賞金が 1ダカット。次に裏が出た後表が出る確率は、1/2*1/2=1/4。賞金は2ダカット。つぎは 1/8と 4ダカット。結局期待値は、

1/2+1/2+1/2+… となって∞に発散する。

つまりこれは圧倒的に胴元が不利なゲームのはずだ。いくらで売っても期待値は無限大だからね。

しかし実際このゲームを 16ダカットで売ったとしてみよう。

だとしたら、賞金が 8ダカット以下になる確率は 15/16。まずこれが起こる可能性が高いから、胴元が得するように思える。しかし問題は、 1/16だ。これは底なし沼だ。場合によっては胴元の資産を超えて負けることもある。ここがこのゲームの期待値が無限大で胴元に不利だと言える根拠になるだろう。

ベルヌーイ自身はここに効用の発想を取り入れて、議論を進めた。つまりダカット金貨の額面で判断せずに額面の満足度、効用を金額の対数と決めてみた。賞金の期待値は∞に発散するが、効用の期待値は一定の値になる。最初に表が出た時の額面が1で、効用をlog[2,1]=0とすると、裏→表で効用が log[2,2]=1、裏→裏→表で効用がlog[2,4]=2で期待値は0/2+1/4+2/8+3/16+4/32+… そしてこの無限級数は幾つになるかな? 現編集者は計算できなかった^^;;;。数学の得意な人が答えだしてください。兎に角 2のこの無限級数乗の金額が効用としての期待値での金額。気持ちとしてはゲーマーとしてはこれでトントンだという事か。対数を考えるという事は、金額が大きいほど増えてもそれほどありがたみを感じなくなるという事ですからね。

さらなる分析として、胴元がこの商売を人生で何回やるか、ゲーマーが何回するかがこの話の議論に関わってくるだろう。

脚注

[編集]
  1. ^ 『ビジネス基礎』、実教出版、令和2年12月25日検定、令和4年1月25日発行、P61
  2. ^ 滝川好夫『図解雑学 ケインズ経済学』、ナツメ社、2010年11月21日初版発行、P180、
  3. ^ 塩澤修平『経済学・入門』、有斐閣、2021年、4月30日 第3版 第5刷 発行、P202、P258
  4. ^ 『ビジネス基礎』、実教出版、令和2年12月25日検定、令和4年1月25日発行、P62
  5. ^ 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』、有斐閣、2016年3月30日第5版第1刷、299ページ
  6. ^ 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』、有斐閣、2016年3月30日第5版第1刷、302ページ
  7. ^ 7.0 7.1 根井雅弘『サムエルソン『経済学』の時代 』、中央公論新聞社、中公選書、2012年1月10日初版発行、P68
  8. ^ 小室直樹『小室直樹の経済原論』、東洋経済新報社、2015年6月11日発行、P509
  9. ^ トマ・ピケティ『21世紀の資本』、訳 山形浩生・森岡桜・森本正史、東洋経済、みすず書房、2015年1月15日、13ページ・15ページ
  10. ^ 『第5章 ケインズの経済学』P51
  11. ^ 福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』、有斐閣、2016年3月30日第5版第1刷、194ページ
  12. ^ たとえば 犬走文彦『反経済学講座』、新潮社、2009年8月20日、P142
  13. ^ 小室直樹『小室直樹の経済原論』、東洋経済新報社、2015年6月11日発行、P541
  14. ^ http://park.saitama-u.ac.jp/~yanagisawa/het10/44-61.pdf P58、2022年4月6日に確認.
  15. ^ http://park.saitama-u.ac.jp/~yanagisawa/het10/44-61.pdf P58、2022年4月6日に確認.
  16. ^ 滝川好夫『図解雑学 ケインズ経済学』、ナツメ社、2010年11月21日初版発行、P60
  17. ^ 石井力『先物市場の「流動性の罠」』,P822022年4月6日に確認.
  18. ^ 鈴木明彦『コラム:所得増えぬまま物価目標2%達成なら、消費者から悲鳴か=鈴木明彦氏』2022年4月6日に確認.
  19. ^ 三橋孝明『黄金の拘束衣を着た首相』、飛鳥新社、2015年2月6日第1刷発行、P129
  20. ^ 犬走文彦『反経済学講座』、新潮社、2009年8月20日、P134
  21. ^ 福山慎一「マクロ経済学入門 第5版」、有斐閣、P223(『』内は書籍の解説文の引用)
  22. ^ 犬走文彦『反経済学講座』、新潮社、2009年8月20日、P134
  23. ^ 福山慎一『マクロ経済学入門 第5版』、P224
  24. ^ 犬走文彦『反経済学講座』、新潮社、2009年8月20日、P154
  25. ^ 犬走文彦『反経済学講座』、新潮社、2009年8月20日、P159
  26. ^ 藤巻健史『マネーはこう動く』、光文社、2007年7月30日初版発行、P59
  27. ^ 『日本だけ給料が上がらない謎...「内部留保」でも「デフレ」でもない本当の元凶』2022年04月01日(金)17時30分2022年4月9日に確認.
  28. ^ https://diamond.jp/articles/-/75341
  29. ^ 小畑二郎『経済学の歴史』、慶應義塾大学出版会、2014年11月28日 初版 第1刷 発行、P236
  30. ^ 塩沢修平『経済学・入門』、有斐閣、P60
  31. ^ 塩沢修平『経済学・入門』、有斐閣、P59
  32. ^ たとえば 塩沢『経済学入門』、P59 など。
  33. ^ 小室直樹『経済学をめぐる巨匠たち 経済思想ゼミナール』、ダイヤモンド社、2004年1月8日、P202およびP203
  34. ^ 小畑二郎『経済学の歴史』、慶應義塾大学出版会、2014年11月28日初版第1刷発行、P161
  35. ^ 小畑二郎『経済学の歴史』、慶應義塾大学出版会、2014年11月28日 初版 第1刷 発行、P172
  36. ^ 小畑二郎『経済学の歴史』、慶應義塾大学出版会、2014年11月28日 初版 第1刷 発行、P172
  37. ^ 小畑二郎『経済学の歴史』、慶應義塾大学出版会、2014年11月28日初版第1刷発行、P172