高等学校古文/漢文とは何か、漢文をどうして学ぶのか

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漢文とは何か[編集]

漢文とは、漢人つまり中国人が書いた文章をいう。中国人は漢字を用いるため、漢字のみで書かれる。ただ、ここでいう中国人は、一般に清代以前の中国人をさす。清代とは日本史にでてくる日清戦争の清である。このように、漢文は古い中国語にあたる。但し、清代においても、漢文は日常会話と異なるいわゆる文語の位置にあった。また、広大な中国においては方言の差が大きく(言語学的には、別の言語といってよいほどの差異がある)、ここで共通のコミュニケーションの方法として、漢文は機能した。さらに、清朝は領土内に満州族、蒙古族、ウィグル族、チベット族など、中国語を日常語としない民族が多数おり、それらを統治するための文書語として用いられた。加えて、朝鮮やヴェトナムといった周辺諸国においても、朝廷の公式文書は漢文で書かれた。

これは、前漢期(紀元前206年 - 8年)に完成された漢文の、文法の簡潔性と漢字の強い抽象化機能の賜物といえ、東アジア文化圏において、西欧諸国におけるラテン語と同じ機能を果たしたといえる。

日本では、朝鮮半島を通じ、漢字とともにその表現方法として、遅くとも4世紀には伝わったものとされる。日本においても、相当に長い期間、公式の文書は漢文で記されたものとされていた。また、教養のひとつとして、漢文を読むことが、盛んになされたが、そのような環境において、漢文の語彙・文法を頭に入れ、それによって書いた文章も漢文の一種になる。ただ和語も混ざるので和様漢文とよばれる。『日本書記』などがそうである[1]。ただし、日本では、比較的早い時代に、日本語自体の音声の特徴にあった表記方法であるかな(仮名、即ち、「仮の表現」。これに対して、漢字を『真名』という)が発明され、表現方法としても、漢字の抽象化機能を生かしたまま表現できる「和漢混淆文(和漢混交文)」が工夫されたため、自由に日本語を表現することができた。

近代に至って、日本が明治維新を向かえ、近代化の一環として、話し言葉(口語)と書き言葉(文語)を近づけることにより、社会の変化に柔軟に対応できることを可能にするための言文一致運動を起こしたのと同様に、清朝が滅んでからの中国は、近代化を進めるために、書き言葉を話し言葉に近づける運動がなされた。これを、白話運動(「白」は「告白」等に見られる「いう」の意)という。これは、清以降、中華民国を経由し、現代の中国である中華人民共和国における表現方法となっており[2]、漢文は中国語を表す表現方法となっていない。しかし、現代の中国人も、古典となった中国語を読み、暗記し、そこにおける語彙や文の作りを覚え、古典の文体で書くことがあり、それも「漢文」といえる。

高校漢文[編集]

高校の古典において学ぶのは、上の漢文の入門編であり、かなりその幅を限定できる。

漢文の古いものは、春秋時代の人である孔子が、すでに古典であったものを取りまとめた「書経」や「詩経」といったものがあるが、これらは、あまりに古く、続く戦国時代には注釈書が必要となるほどであるので、初学者には難しく、高校の漢文においては参考程度に紹介されるに止まる。

次の時代である戦国時代に、孔子の弟子筋により、孔子の言行録である「論語」が編纂される。この頃漢文の表記法が一応の完成を見せ、また、その後の中国において国教ともいえる位置を占める儒教の創始者である孔子の「論語」は、長期にわたって東アジア全体に大きな影響を与えた。高校漢文においても、最も重要なテキストのひとつである。

この時代、中国は社会体制の大きな転換期であり、儒教のみならず、いろいろな思想が各地で興った、これを諸子百家という。彼らは、自らの思想を分かりやすく伝えるため、多くのたとえ話をした。これらの多くが現代にも「故事成語」として残るものである。これらの、出典としては、儒家の「孟子」、道家の「荘子」、兵家の「孫子」等が有名である。検定教科書や参考書には、孫子を除く、孟子や荘子などが良く取り上げられる。

この転換期の混乱を始皇帝が収め、その業績を漢が継ぎ、実に数百年ぶりに、国土の安定を得る。中国には歴史を重んずるという伝統があるが(高等学校古文/歴史書参照)、この国家の安定において、過去の各地の歴史書を大成した作品が生まれる。司馬遷による「史記」である。これは、それ以前の歴史を大成するのと同時に、その後の中国の正史の形を決め、論語同様、東アジア全体に大きな影響を与えた。勿論、高校漢文においても、最も重要なテキストである。極論を言うなら、「論語」と「史記」が、ある程度読みこなせれば、その水準の3/4程度は達したものと考えても良いくらいである(あと、1/4は後述する漢詩である)。

漢文による散文は、漢代を以って完成する。これを狭義の「漢文(漢代の文章)」という。これ以降の漢文は、当時の中国語特有の音律を意識した文章であったり、語彙が難解になったりして、初学者には難しいので、高校漢文で体系的に取り上げられることは少ない。「世説新語」等のように教科書でよく取り上げられる古典もあるが、「史記」を読めれば、多くは苦労することなく読むことができる部分が取り上げられている。入門編と割り切るなら、教科書と入試の過去問に取り上げられているものを読むのに終始すればよい。例外的に体系的に取り上げられるものに、史記以降の歴史のダイジェストとして代に編纂された「十八史略」がある。このため、「漢書」「三国志(有名な諸葛孔明出師表魏志倭人伝が含まれる)」「貞観政要」といった、本当の意味での古典はあまり取り上げられない傾向にある。

一方で、時代は漢から三国時代南北朝時代をへて、にいたる。この時代に発展した表現形式が、我々が「漢詩」と呼ぶである。これらについては、日本が体系的に初めて出会ったカルチャーショックからか、日本文化に深い影響を与える(それ以降に中国で流行した宋詞や元曲がほとんど影響を与えなかったのとは対照的である)。その影響であるかは断言できないが、漢詩は高校漢文において重要な位置を占めており、「杜甫」「李白」の有名な作品や、「唐詩選」からも多く教科書に取り上げられている。ただし、その中心は盛唐期であり、それ以降は、入門の域を超えるため参考の位置づけに近くなる。。

これ以降も、漢文による重要な古典は、数多く輩出する。例えば、「源氏物語」をはじめとする日本の古典文学に大きな影響を与えた「長恨歌」の作者である白居易唐宋八大家といわれる大文学者は唐末期から代になって現れるし、近世儒学は南宋において朱熹が完成させる。また、フィクションの分野においては、代から清の初期にわたって「三国志演義」「水滸伝」「西遊記」「紅楼夢」といった現代において古典とされるものが、ようやく見られるようになるが、このあたりになると、語彙が特殊であったり、口語が含まれていたりするので、高校の漢文で取り上げられることは、非常にまれとなる。

結論として、高校の漢文では、時代としては「論語」成立の諸子百家の時代から、「史記」成立の前漢までの文書が中心であり、それに、盛唐期の漢詩が加わえれば、その90%以上はフォローできているものと考える。

漢文をなぜ学ぶのか[編集]

古典の学習の理由として以下のことが学習指導要領で説明されている。ただし古典が科目になった歴史上の経緯[3]とは異なる。

  1.  古文・漢文の語句の意味、用法、文の構造を理解する。
  2.  内容を構成や展開にそくしてとらえる。
  3.  人間、社会、自然などにたいする思想や感情を読み取る。そうしてものの見方、感じ方、考え方を豊かにする。
  4.  表現の特色を理解し、優れた表現に親しむ。
  5.  古典を読んで、日本文化と中国文化の関係について考える[4]

ただし、高等学校などでの漢文履修者の大半は、上記の学習指導要領上の理由というよりも、「必修科目の国語教科内の一部であるため」や「大学受験のため」、といったことが学習の理由であることが実情である。(これは他の教科・科目にも同様に言えることであり、漢文に限ったことではない)。

漢文を学ぶ方法[編集]

要領では上のようにあった。ここではおのおのについてまとめる。

古文・漢文の語句の理解[編集]

語句の意味、用法、文の構造を理解する。その方法は、辞書を引くことなどになる。漢文の場合は、おのおのの漢字と熟語については、漢和辞典を引く。句形や置字については、教科書の中で説明を探すか、漢和辞典の句形や置字の解説をよむ。また、熟語の中で、専門用語の場合は、広辞苑を引く。  漢字を引くことについては、教科書・受験問題に関わらず、自分が目にする文章を、冒頭からながめ、すこしでもひっかかり、意味がすぐに思いうかばないものは、どれも辞典を引く。辞典を引くのは時間がかかるようだが、自分で意味を考え出そうとして時間をかけるより、引いた方が、早く、ひとつひとつ地道にやっていくと、意外と、進みははやい。

内容を構成や展開にそくしてとらえる[編集]

内容を構成や展開にそくしてとらえる。その方法は、語句の意味や句形につうじて、それにより目にしている文章の全体を見渡たせるようになることである。漢文を、日本語の文章と同じような感覚で、すらすらよめる、そういう状態を想像し、勉強をする。

また構成や展開にそくしてとらえる、というのは、目にしている文章のあるフレーズについて、そのようにする、ということである。それは、一面としてつぎのことである。目にしているフレーズ内の語句が、同じ文章内のべつの箇所にもでていないかをさがし、べつの箇所での、その語の用法をみる。つまりその語がどういうほかの事物とイメージ的に結び付けられているかをみる。そしてその〈用法〉を、もとの目にしていたフレーズにあるその語句に代入して読む。

このような、他の箇所での用法をみてそれを代入して読む、というやりかたが客観的な漢文の読解法になる。

思想や感情を読み取る[編集]

人間、社会、自然などにたいする思想や感情を読み取る。その方法も、他の箇所での用法をみてそれを代入して読む、ということになる。これが著者にそくして客観的に読み取る方法である。

優れた表現の理解[編集]

表現の特色を理解し、優れた表現に親しむ。自分が好きであると感じる文章を読むのが、ひとつのいい方法である。漢文の文章を手に入れるには、岩波文庫が手頃である。漢詩、論語、荘子、歴史書、仏典などさまざまなものが手に入る。ウェブ上でも、中国の古典なら電脳瓦崗寨 電子文献黄頁電子テキスト類目、仏典なら大蔵経テキストデータベースで漢文を入手できる。

日本文化と中国文化の関係[編集]

古典を読んで、日本文化と中国文化の関係について考える。『源氏物語』などの古文には、仏教に関する話があるが、仏教はインドでつくられたものであるものの、日本に入ってきたのは中国でインドの言葉から翻訳された漢訳仏典で、日本人は漢文で仏教にふれてきた。漢文を通じて仏教文化を共有している面がある。

ただ、各時代の「日本」の範囲や、各時代の日本の読書が可能な人の割合、については、日本史を勉強することが必要である。「中国」の範囲についても、王朝の変遷による地理的範囲の変化がある。このように、日本文化と中国文化の関係について、過去の歴史上の事実として把握するには、漢文だけでなく、歴史についても学ぶ必要がある。

学ぶ上での注意・訓読文[編集]

漢文は、もともと中国語(繰り返すが話し言葉ではなかった)であり、日本語とは、その文法構造を大きく異にしている。そもそも、歴史的には、日本人は漢文を外国語として捉え、大和言葉とは一線を画して読み書きを行っていたが、時代が下り、漢字の知識が深まるようになると、漢文に助詞や送り仮名を付し、さらに順序が日本語らしくなるよう記号(返り点)を付けて日本語として読めるような工夫(漢文訓読)がなされるようになった。

書き下し文、読み下し文、訓読文などというのがこれであり、漢文独特の言い回しとしてなじみがあり、漢文の特徴のひとつといってよい。

しかしながら、これはあくまでも原文理解のための「便法」であって、その言い回しや仮名遣いの正誤にこだわるのは、漢文理解の為のエネルギーの無駄遣いでしかない。そもそも、一意に訓読ができるものではなく、ある種の仮置きに過ぎないということを理解しておくべきである。

訓点の機能を理解する初学の時期を除いて、「書き下し文を書け」等という問題が試験に出たならば、それは悪問であり、出題者の見識を疑って然るべきである[5]

漢文を学ぶための本[編集]

漢文に関わる背景的歴史的知識については、日本史の教科書や、世界史の中国史の部分が、参考にできる。各漢和辞典は、本文や巻末に句形・置字(助字)の解説や、中国の昔の時代の地図などもあるので、漢字を引くだけでなく、参考書としてもつかえる。学習参考書としては、駿台の『漢文 学習資料集』が、句形の索引があり便利である。漢字については、大島正二『漢字伝来』岩波新書などが内容豊富に書いている。漢文の概説書としては、手頃なのとして、岩波全書の『漢文入門』や、『漢文法要説』朋友書店などがある。また、句形・置字のより詳しい参考書としては、『漢文を読むための 助字小字典』内山書店が、値段も定価473円で薄くコンパクトである。書店の店頭にはあまり置いていないものだが、注文すれば、どの書店でも購入できる。

脚注[編集]

  1. ^ 和様漢文は山川『日本史用語集』にあり
  2. ^ そのため、現代の中国語では、北京周辺の標準語(これを普通話という)と、各地の方言(広東語など)は、文字表現も異なることとなっている
  3. ^ 江戸期において、高等教育の中心は漢学であり、教育者と言えば漢学者が多数であって、明治に入って近代教育制度整備の過程においても、これら漢学者の多くが参加をしていた。
  4. ^ 『高等学校学習指導要領』p21
  5. ^ 本章の主張の多くは、中国文学者高島俊男著『漱石の夏休み』中「『漢文』について-訓読の歴史」に負っている。