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高等学校国語総合/古文単語集

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
このページ「高等学校国語総合/古文単語集」は、まだ書きかけです。加筆・訂正など、協力いただける皆様の編集を心からお待ちしております。また、ご意見などがありましたら、お気軽にトークページへどうぞ。

単語

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うし(憂し)

現代語でも、「うれう」(憂う)と言う言葉があります。

ただし、現代語の「うれう」は「未来をうれう」「子の将来をうれう」のように、未来の行く先を不安視して心配することです。

ただし、古語の「うし」は、自分を「つらい・いやだ・情けない」の意味です。自分の運命や不幸をなげく場面で使われることが多いです(文英堂)。

現代語訳では、「うし」は前後に合わせて柔軟に訳します。

「うし」は、現代語でいう「憂鬱」(ゆううつ)に近いでしょう。


古語では「憂き世」(うきよ)があり、「つらい世」の意味です(三省堂・駿台)。


浮世絵は、この「憂き世」へのアンチテーゼみたいな命名。


「心憂し」や「ものうし」など接頭辞がつく場合もあります。

意味は「うし」と同じく、

「心憂し」=「つらい・いやだ・情けない」の意味です。


つらし


現代語と同じ「心苦しい」「つらい」「苦痛だ」の意味もありますが、しかし「薄情だ」の意味もあります。

まずは、「薄情だ」の意味で覚えましょう。

そのあと、「他人が薄情なので、自分がつらい」と連想して、「心苦しい」「苦痛だ」「つらい」の意味も覚えましょう。


内面的なつらさは、「うし」や「わびし」でも表せる。なので、古語で「つらし」と聞けば、まずは「薄情だ」をうたがうのが良いだろう(河合・数研)。


単語00

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※ 長いので分割


すく(好く)


「風流を好む」「恋愛に熱中する」の意味があります。

形容詞「すきずきし」(好き好きし)も同様、風流の意味と、色好みの意味があります。


数研にあり。

三省堂に「すく」なし、「すきずきし」あり。

文英堂「すきずきし」」あり、その脚注に「すく」。


「すきもの(数奇物)」と同じ。

「すきもの」も、「風流人」と、「色好みの者」の意味がある(駿台)。


例文 このすき者どもは、かかる歩きをのみして(源氏)

訳 この色好みの者たちは、このような歩きばかりをしていて

駿台

色好みの貴公子が、かわいい女の子を見つけるための散策ばかりしているという文脈。



なづむ

「こだわる」の意味。

高等学校古典B/玉勝間 を読んでほしい。短いので(2024年8月の時点)、読めるはずだ。

リンク先の内容は、古文教材では「師の説になづまざること」と題される事が多い。

「けっして、師匠の学説にこだわりすぎて、真実を無視してはいけない」というような内容。学問とは、師匠の学説を守り続けるものではなく、修正をしていくものなのだ。

伝統芸能でも「師を見るな。師の見ているものを見よ」とか言われる。

学研の学習マンガでも、地動説のガリレオが、「古代に天文学を考えたアリストテレスは素晴らしいが、観測技術が進歩したのに学説を修正せずに天動説を守り続けるキリスト教会はクソ」(意訳)みたいな事を言っていた(1980年代)。

科学哲学者のカール=ポパーは、科学の特徴として、反証可能性を主張しているくらいである。

例文 師の説なりとて、必ずなづみ守るべきにもあらず。よきあしきを言はず、ひたぶるに古きを守るは、学問の道には言ふかひなきわざなり。 (玉勝間)

訳 師匠の学説だからといって、必ずしもこだわり守らなければならないわけではない(/守るべきでもない)。良し悪しを言わず、ひたすらに古いものを守るのは、学問の道では話にならないことだ。

数研(「師の学説」・前半まで)・河合(「先生の学説」・「守るべきでもない」・前半まで)

文英堂・桐原に「なづむ」なし。

最初の文(「言はず」まで)だけ覚えれば充分だが、後半部ごと読んでしまおう。

「ひたぶる」は単語集には項目が無い。だが、桐原書店「やすらふ」の例文中に和泉式部「ひたぶるに待つとも言はばやすらはで、ゆきべきものを君が家路に」がある。


例文 この君なづみて、泣きむつかり明かし給ひつ。(源氏)

訳 この若者は、悩み苦しんで、泣きむずかり、夜をお明かしになった。

河合・数研


新興宗教とかでよくある「執着を捨てればラクになれる」という教え、単に、この「なづむ」の単語を解説した宗教書にでも書いてあった事をそのまま言っているだけではという疑惑が湧いてくる。

やや古い語だが、現代語の(日が)「暮れなずむ」も、夕方などで「暮れそうで暮れない」という意味。春などで、日没の時間が遅くなった季節あたりのこと。


したたむ(認む)

「用意する」や「片づける」「処理する」のような意味。

「手抜かりなく行動する」みたいなニュアンス。

事前に手抜かりなく対策するなら「用意する」だし、事後に手抜かりなく行動するなら「片づける」のような意味になる。


まったく違う意味の「書き記す」がある。現代語でも「手紙を書きしたためる」に名残がある(数研)。

例文 明日は故郷にかへす文(ふみ)したためて、(奥の細道)

訳 明日は故郷に返す手紙を書き記して、

三省堂・河合


文溪堂・桐原に「したたむ」なし


むすぶ(掬ぶ・結ぶ)


「(水を)手ですくう」(掬ぶ)・「(露や水の泡が)自然にできる」(結ぶ)

現代語でも「結露」とか言いますし。


例文 谷にくだりて水をむすび、(平家)

訳 谷におりて水をすくって、


例文 また手にむすびてぞ水も飲みける。(徒然)

訳 また手ですくって水も飲んだ。


ほか、今昔物語に、そのまま「水をむすびあげて」という語句もあります。「水をすくいあげて」という意味です。


例文 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、(方丈)

訳 (川の)よどみに浮かんでいる泡は、一方では消え、一方ではできて(/自然に生じて)

数研(自然に生じて)・桐原(できて)・文英堂(できて)


三省堂・河合・駿台に「むすぶ」なし。


やをら

「そっと」の意味です。

コジツケかもしれませんが、「柔らかいものは、音がしづらい」ことと、「そっとすると、音がしづらい」の両方を、連想させましょう。


例文 やをら引き上げ入るは、さらに鳴らず。(枕・二六)

訳 (すだれを)そっと押し上げて出入りするときは、音がしない。


たてまつる(奉る)


「与える」give 的な「さしあげる」の意味があります。


「花たてまつる」で、「花をさしあげる」です(駿台・数研)。

謙譲の補助動詞として、動詞のあとについて「~申し上げる」の意味もあります。


「お召しになる」(尊敬語)の意味があります。

例文 壺なる御薬(みくすり)たてまつれ(竹取・かぐや姫の昇天)

訳 壺にある御薬を召し上がれ。

現代語の「お召しになる」は、食べ物以外にも、衣服にも使います。同様、たてまつるも、衣服に使います。


例文 宮は、白き御衣(おんぞ)どもに紅ぼ唐綾をぞ上にたてまつりたる。

訳 中宮様は、白いお着物に、赤い唐綾を上にお召しになっている。

文英堂・河合


そのほか、牛車などの車に「お乗りになる」という意味もある。

例文 御車に奉る。(平治)

訳 御車にお乗りになる。

数研


さらなり(更なり)

要注意です。まず、例文で意味を確認しましょう

例文 夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、蛍の多く飛びちがひたる。

訳 夏は夜が良い。 月のあるころは言うまでも無い。闇夜ですらも、蛍の多く飛び立っているのが見れて良い。


単語集では現代語の「今さら(今更)」に名残があると、よく紹介されます(数研・三省堂)。

だが考えて欲しい。よくよく考えると、現代語の「今さら」の意味は、多義語であり、「もう遅い」という意味があります。「今更もう遅い」とか使いますし。

現代語の「今さら」にも、「言うまでもない」の意味はありますが、「今さら言うまでもないことだが」のように使いますが、まずそちらを覚えないといけません。

なお、本当は言う必要があるから言っているのです。「あなた達の大半は分かっているだろうけど、知らない人も少しながらいるので、知ってる人にとっては繰り返しになるが、説明しますと」のような意味が本音です。


現代語を覚えるのは遠回りのように見えても、記憶が確実に定着しますので、なるべく現代語のほうも覚えに行きましょう。


さて、「もう遅い」の意味の現代語「今さら」のほうは、「今となっては」というフレーズが類義語です。


さて、古語に戻ります。

「言うまでもない」の意味である古語「さらなり」は、連語の「言えばさらなり」「いふもさらなり」でもよく使われます(桐原に「いふもさらなり」あり)。この連語を覚えましょう。

例文 つらつき、まみの香れるほどなど、言えばさらなり。(源氏・薄雲)

訳 つらつき、目もとの美しい様子は、言うまでもない。

三省堂・文英堂

「言えば繰り返しになるので、言うまでもない」といった感じでしょうか(桐原)。


ちぎり(契り・契)


「約束」の意味です。一般的な約束から(徒然草にある例)(三省堂)、夫婦の縁、師弟関係など、色々な意味に使います。

「前世からの宿縁」の意味もありますが、古文中に「前の世の」(源氏)とか「昔の」(竹取)とかありますので、そこから前世の話だと分かります。


例文 昔の契ありけるによりてなむ、この世界にはまうで来たりける。(竹取)

訳 前世からの約束(宿縁)があったことによって(あったために)、この世界にやって参った(参りました)。

数研・三省堂

前世で夫婦だったという用例の例が今昔物語にありますが(数研)、入試でそこまで区別は問われないでしょう。


師弟関係の例は、無名抄になります。

例文 「(あなたは必ず後の世の歌仙になるので)かやうのちぎりをなさるれば、申し侍る(はべる)なり」(無名抄)

訳 「このような(子弟の)約束をなさるので、申し上げるのです。」


はかなし(果無し)

1. はかない 2.頼りない 3.ちょっとした

語源としては、現代語でいう、仕事が「はかどる」の「はか」が無い、という意味です。

しかし、意味的には現代語の「はかない」です。「はかない命」とかいうときの「はかない」。

まず、仕事がはかどらない人は、「頼りない」。または、はかないものをアテにするのは、「頼りない」、などコジツケましょう。


なお、「はか」は、「成果」や「仕事の進み具合」です(桐原・数研・文英堂)。


例文 梨の花、(中略、)はかなき文(ふめ)つけなどせず。(枕・木の花は)

訳 梨の花は、ちょっとした手紙をつけることさえない。

当時、木に手紙をつける流行があったらしいが、梨の花は好まれていなかったらしい(桐原)。


はかばかし

「しっかりした」の意味です。よく、親代わりの後見人や乳母(うば)などが、この後に来ます。「しっかりした後ろ盾(となるような経済力のある育ての親)」のような部脈で。


意味 1.しっかりした・頼もしい 2. はっきりしている


イメージ 現代語の「仕事がはかどる」などの「はかどる」の「はか」と同じ語源だと考えられています。

現代語でいう「着々と」に近いだろう。「仕事っぷりがシッカリしている」→「仕事が着々としている」。「仕事がシッカリしている人ならば、経済力や人柄などもシッカリしているだろう」。


「はかなし」の対義語です。

はかなし ⇔ はかばかし


例文 (父親を亡くした桐壺の更衣は)取り立てて(/とりたてて)、はかばかしき後見(うしろみ)しなければ、(源氏)

訳 特に、しっかりした後見人(/後ろ盾)がいないので

文英堂(取り立てて、後ろ盾)・桐原(とりたてて、後ろだて)・河合(後ろ縦)


なお、「はかばかしう」「はかばかしき」は、文末や文節末に、打消しをともなう事が多い(桐原)。

「頼もしい〇〇が無い」とか「はっきりとは〇〇せず」のような使われ方をする事が多い。


「はかばかし」のように、同じ語をかさねて形容詞にした語は、他にもいくつもある。「つきづきし」「さうざうし」「すきずきし」「ことごとし」「おどろおどろし」など。これらはいずれもシク活用である(三省堂)。


ねたし(妬し)


嫉妬で憎むの意味はない。

だが、「ねたむほど素晴らしい」という意味がある。

ほか、単に「しゃくにさわる」の意味もある。人間以外の事故などでも、しゃくにさわれば、「ねだし」という。


例文 これはあくまで弾き澄まし(ひきすまし)、心憎くねたき者ぞ勝れる。(源氏・明かし)

訳 この人(=明石の↑)はどこまでも(完璧に)琴を弾き、奥ゆかしく、すばらしい音がまさっている。

数研・河合・文英堂


三省堂「はずかし」脚注おくり。

駿台なし。


めざまし

「すばらしい」(現代語とほぼ同じ)の意味のほか、「気に食わない」の意味があります。


「目覚まし時計が、うるさくて、気に食わない」みたいに覚えましょう(数研。三省堂)。


駿台・桐原に、目覚まし時計な無い


例文 はじめより我はと思ひ上がり給へる御方々、めざましきものにおとしめそねみ給ふ。(源氏・桐壺)

訳 初めから自分こそはと思いあがっていた方々は、((帝の寵愛を受ける)桐壺の更衣を)気に食わないものと、さげすみ、憎みなさる。

桐原・三省堂・文英堂・河合


例文 なほ和歌はめざましきことなりかしとおぼえ侍りしか。(大鏡)

訳 やはり和歌はすばらしいものだよと思われました。

数研・河合


なつかし

「なつかし」は、「心惹かれる」「親しみやすい」の意味であり、動詞「なつく」が語源です。

意味を覚えるより先に、語源を覚えましょう。古語の「なつく」は現代語のなつくとは意味がやや違いますが、子供やネコなどは親しみやすい相手になつくので、まあ「なつかし」の意味が「親しみやすい」になるのは当然です。

昔をなつかしむ用法は、鎌倉時代から(桐原書店)。

なお、古語「しのぶ」に、昔を「懐かしむ」意味があります。

唱歌の「浜辺の歌」の一節「昔のことぞしのばるる 」は、むかしを懐かしむ という意味でしょう。


しのぶ(忍ぶ・偲ぶ)

「しのぶ」には2種類あり、現代語の「耐え忍ぶ」「人目を忍ぶ」と同じような意味です。もうひとつには、懐かしむという意味であり、「偲ぶ」という漢字が近いです。

唱歌の「浜辺の歌」の一節「昔のことぞしのばるる 」は、むかしを懐かしむ という意味でしょう。

もともと別の動詞であり、活用も違っていましたが(四段活用と上二段活用)、平安時代から混同されるようになりました。


意味 1. 我慢する 2.人目につかないようにする 3. 懐かしむ・思い慕う


例文 ねたく心憂く思ふを、しのぶるになむありける。(大和物語)

訳 ねたましくつらいと思っているのを、がまんするのであった。

桐原・河合


例文 浅茅(あさぢ)が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。(徒然・一三七)

訳 チガヤが生い茂っているような荒れ果てた宿で昔を懐かしむのは、恋愛の情趣を理解していると言えよう。

文英堂・数研


はらから(同胞)

同じ母親の腹から出てきたということで、兄弟姉妹の意味です。


例文 その里に、いとなまめいたる女はらからすみけり。(伊勢物語)

訳 その里に、たいそう優美な女姉妹が住んでいた。


異母兄弟にも使う事がありますが、もともとは同じ母親の兄弟姉妹の意味です。


三省堂に「腹から」が無い。


むべ ・ うべ


「なるほど」「いかにも」の意味。心からの納得や、そういった納得の上での賛同のさいの、感嘆の句。

古い形は「うべ」。


駿台と文英堂に「むべ」は無い。

言い切りで「むべ、」「うべ、」と助動詞がつかない形で使う場合も多い。

助動詞がついて「むべなりけり」などの形の場合もある(数研)。


例文 女御(にようご)の御かたち、いとうつくしくめでたくおはしますければ、「むべ、時めくこそありけれ」と御覧ずるに、(大鏡・師輔(もろすけ))

訳 (妃が壁に穴をあけて覗いて見た)女御のご容貌が、とても美しくすばらしかったので、「なるほど、(こんなに美しいので)ご寵愛を受けるのだなあ」とご覧になり、

三省堂・桐原


例文 うべ、かぐや姫好もしがり給ふにこそありけれ。(竹取・火鼠の皮衣)

訳 なるほど、(この品物は)かぐや姫がお望みになりそうな(/欲しがりなさりそうな)ものだなあ。

数研(欲しがりなさりそうな)


「欲しがりなさりそう」って、文法としては正しいけれど、読みづらい。「欲しがりなさそう」(「なさ」の次の「り」が無い)と読み違えそう。


ずちなし , すべなし(術なし)


「どうしようもない」「方法が無い」の意味です。

「ずちなし」の「ずち」は「術」です。「術」は「方法」「手段」の意味です(三省堂・文英堂「手段」あり)。

現代語の「術(すべ)がない」とほぼ同じ意味です。

現代語の「すべがない」とは、「する方法が無い」「どうしようもない」という意味です。

「ずつなし」「じゆつなし」の読みの場合もあります(河合・文英堂)


例文 清水(きよみづ)の観音(くわんおん)を念じてたてもつりても、すべなく思ひまどふ。(源氏)

訳 清水の観音をお祈り申し上げても、どうしようもなく思い悩む(途方に暮れる)

三省堂「思い悩む」・文英堂「文英堂」


例文 「妹のあり所申せ申せ」と責めらるるに、ずちなし。(枕・里にまかでたるに)

訳 妹のいるところ(居所)を申せ、申せと(中将が)責めなさるので(お責めになるので)、どうしようもない。

文英堂「お責めになる」・桐原「責めなさる」

類義語

かひなし、せむかたなし、せんなし、ちからなし

かひなし

「かひなし」は「どうしようもない」の意味の他にも「無駄だ」の意味もあります。

「かひなし」の「かひ」とは、交換の意味の古語「かひ」です。無駄な物は「交換する価値が無い」、だから「かいなし」→「無駄だ」の意味になります。

交換の必要なし、を古語風に言ったら「かひなし」


例文 足ずりをして泣けどもかひなし。 (伊勢・芥川)

訳 (男は)地だんだを踏んで泣いたが、どうしようもない。

高等学校国語総合/伊勢物語

貴族の男が、夜這いをして連れ出した高貴な女が、女の兄たちに取り返されて、地団駄をふんだ話です。


「かひなくなる」で「死ぬ」の婉曲表現になる。

「いたづらになる」も「死ぬ」の婉曲表現になる。


「いふかひなくなる」も「死ぬ」の婉曲表現になる。


さかし(賢し)


「さかし」は現代語で言う「賢い」の意味です。

現代語の「こざかしい(小賢しい)」に、名残があります。古語「さかし」では、マイナスの意味だけでなく、よい意味でも悪い意味でも使われます。

悪い意味の場合、「こざかしい」と言う意味の場合もありますが(数研・文英堂・桐原)、ほかにも「利口ぶっている」「利口ぶる」と言う意味の場合もあり(文英堂・三省堂・桐原)、現代語とはニュアンスがやや違う場合もある。

良い意味の場合、「賢明だ」の意味のほかにも、「優れている」「巧みだ」「しっかりしている」「気丈だ」などの意味がある。

例文 異(こと)人々のもありけれど、さかしきもなかるべし。(土佐)

訳 他の人々の(和歌)もあったが(あったけれど)、優れているものはないようだ(ないに違いない)。

桐原「ないようだ」・文英堂「ないに違いない」・河合「ないだろう」


かしこし(畏し、賢し)


「おそれ多い」の意味です。

現代語の「かしこまる(畏まる)」のような意味が、本来の意味です。

派生して、「賢い」となる場合もあります。

「優れている」「利口だ」(文英堂・数研)


例文 (桐壺の更衣(キリツボのコウイ)は)かたじけなき御心(みこころ)ばへのたぐひなきをたのみにて、交じらひ給ふ。(源氏・桐壺)

訳 恐れ多い帝の庇護(ひご)を頼りに(頼み)申し上げながら

三省堂「頼み」・桐原「頼りに」


例文 北山になむ、なにがし寺といふ所に、かしこき生ひ人侍る(はべる)。(源氏・若紫)

訳 北山に(北山の)、何々寺というところに(所に)、優れた(すぐれた)行者がおります。

桐原。文英堂


ほか、連用形「かしこく」の形で、程度が「はなはだしい」の意味もあります。

例文 昔、男女、いとかしこく思いかはして、(伊勢モノがtリ)

訳 昔、男と女が、とても激しく愛し合って

数研・駿台


あぢきなし

「つまらない」の意味です。「不快だ」「むなしい」の意味もあります(数研「不快」、河合「むなしい」)。

語源的には、「どうにもならない」ことに対して抱く感情らしいですが、しかし古語の意味と離れています。

なので、現代語の「味気ない」と関連させて覚えましょう。河合出版は、現代語「味気ない」の古形だと考えています。


三省堂・数研が紹介。

文英堂・桐原では「あいなし」の派生語おくりで、「つまらない」の意味としている。


「道理に外れている」の意味もありますが(河合出版)、河合出版の単語集でしか紹介していません。源氏物語で、「道理に外れている」の意味の「あぢけなき」があります。まあ、主人公の光源氏が、不倫とかの不道徳なことばかりしているダメ人間ですので。

駿台出版では紹介せず。


さうなし(左右なし、双なし)


「左右」の場合、右か左かとあれこれ考えることです。

「左右なし」の場合、さらに意味が2つに分かれます。


あれこれ考えずに、「ためらわない」という意味の場合と、

あれこれ考えて、「決まらない」という意味の場合があります。


「ためらわない」の意味を覚えるため、「右」か「左」かを、「やる」か「やらないか」と考えましょう。やるかやらないかを、あれこれ考えない、「ためらわずにやる」という風になります。

「さうなし」→漢字に変換して「左右なし」→「やる・やらないが無い」→「ためらわない」

と連想していきます。


例文 しやつが頸、左右なく斬るな。(平家)

訳 あいつの首、簡単に斬るな。

単語集 河合・駿台


「双なし」の場合、褒める意味で(数研)、「並ぶものがない」「比べるものがない」ほど素晴らしい、という意味です。

例文 園(その)の別当入道(べっとうにゅうどう)はさうなき包丁者なり。(徒然)

訳 園の別当入道は、並ぶものなき(比べるもののないほど素晴らしい)料理人である。(徒然)

単語集 桐原・文英堂・数研


らうらうじ(労労じ)


古語の「労」には、長い経験・教養の意味があります。

よって「巧みだ」「洗練されている」「上品だ」「教養がある」などの意味になります。


例文 いとをかしげにらうらうじくかきたまへり。(源氏)

訳 たいそう趣深く、巧みにお書きになっている。

単語集 桐原・文英堂


例文 夜深くうち出でたる声の、らうらうじく愛敬(あいぎょう)づきたる、(枕・鳥は)

訳 ホトトギスの夜中に泣き出した声が、上品でかわいらしいのは、

単語集 文英堂・桐原・駿台


三省堂には無い。


関連語「らうあり」も、「らうらうじ」と同じ意味です。

らうあり(労あり)


例文 玉縁(たまぶち)はいとらうありて、歌などいとよく詠み(よみ)、(大鏡)

訳 玉縁はとても洗練されていて、歌などをとても上手に詠み、

単語集 駿台・数研


て(手)

基本的には現代語の手と同じハンドの意味ですが、ほかにも、文字や演奏など、手をつかう物事の意味があります。

「手習い」はもともと「習字」という意味です。

「男手」は「漢字」、「女手」は「平仮名」の意味です。


例文 書きて奉られたる本をこそは、男手も女手も習ひたまふめれ。(宇津保・国護上)

訳 書いてさしあげなさった手本を(手本ばかりを)、漢字も平仮名も練習なさっているようだ。


訳 桐原(お手本ばかりを)・文英堂(手本を)


ほか、「傷」「負傷」の意味がありますが、ほとんどの単語集に例文がありません。(数研など一部に掲載あり)

現代語でも「手負い」といって負傷を意味します。古語でも、「手負ふ」で「負傷している」の意味があります(数研)。

平家物語など、合戦の作品の場合、「手」には負傷の意味の可能性も考えましょう。


例文 雨の降るやうに射けれども、鎧よければ裏かかず、あき間を射ねば手も負はず。 (平家・木曾の最後)

訳 (敵が)雨が降るように射たけれど、(射られた兼平(かねひら)の)鎧(よろい)が良いので裏まで矢が通らず、(敵の矢は)よろいの隙間を射ないので(兼平は)傷も負わない。

高等学校国語総合/平家物語


あたらし(惜し)


「もったいない」「惜しい」の意味です。

例文 (宮内卿が)若くて失せ(うせ)にし、いといとほしくあたらしくなん。(増鏡)

訳 若くして亡くなってしまったのは(亡くなったのは)、とてもかわしそうで惜しいことだ。


なお、「新しい」の意味の語は、古語では「あらたし」です。


あたら(惜)

「もったいないことに」「惜しいことに」という意味の副詞です(桐原、数研)。連体詞の意味もあります。

意味 1. (連体詞)惜しむべき 2.(副詞)惜しくも、もったいない事に

例文 いかが要なき楽しみを述べて、あたら時を過ぐさむ。(方丈記)

訳 どうして要のない楽しみを語って、惜しいと感じてこの時間を過ごしていられるだろうか(いられないだろう)。

※ 訳の要出典。一般的な単語集に「あたら」は無い。


あらまほし

「理想的だ」「望ましい」「~であってほしい」「~であることが望ましい」の意味です。

動詞「あり」に願望・希望の助動詞「まほし」がついた形だというのが有力説です。なお「まほし」は、桐原・数研・河合では「願望」の助動詞、三省堂では「希望」の助動詞です。このように日本語訳の意味は、微妙に違う。

「有らまほし」→「あってほしい」→「理想的だ」という説があります(数研・漢字「有り」、三省堂「あり」)。

文英堂に「あらまほし」は無い。


例文 少しのことにも先達はあらまほしけれ

訳 ちょっとしたことにも、先導役(案内役)はあってほしいものだ(ものである)。

単語集 三省堂・数研


例文 人はかたち、ありさまのすぐれたらむこそ、あらまほしかるべけれ。(徒然・一段)

訳 人は、容貌や様子の(様子が)すぐれているのが、理想的だろう(望ましいに違いない)。

駿台「かたち」→「顔立ち」・河合・桐原「要望」「望ましいに違いない」


「かたち」には、「顔立ち」「容貌」の意味があります(数研)。

発音の似ている「顔立ち」の意味を先に覚えて、そこから同じ意味の現代語の「容貌」の訳も覚えれば充分でしょう。


おぼゆ(覚ゆ) 「思われる」が基本の意味です。派生的に「似る」という意味もあります。

意味 1. 思われる 2. 似る 3. 思い出す

「似ている」は英語で resemble(リゼンブル) , 「思い出す」は remember (リメンバー)。こっちで覚えましょう。「おぼゆ はresemble , remember 」

イメージ 「思ふ」+奈良時代の助動詞「ゆ」で、「おもほゆ」が変化した形です。「ゆ」は自発を意味する助動詞です。


例文 ことざまの優におぼえて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、(徒然・三二)

訳 (住んでいる人の)様子が優雅に感じられて、物陰からしばらく隠れてみていたところ、


例文 尼君の見上げたるに、少しおぼえたるところあれば、子なめりと見給ふ。(源氏)

訳 尼君の見上げている顔に、少し似ているところがあるので、(その少女は尼君の)子であるようだと御覧になる。


おぼえ

イメージ 動詞「おぼゆ」の名詞形だという定説です。世間からの評判と、帝や上司からの評判からの両方の意味がありますが、上司などからの評判の場合は「御おぼえ」と「御」がついている場合も多くあります。

「評判がいいので、偉い人に名前を憶えてもらえる」とでも覚えましょうか。


意味 1.評判・人望 2.寵愛

例文 いとまばゆき、人の御おぼえなり。(源氏・桐壺)

訳 見ていられないほどの、この人の(=帝の)ご寵愛である。


他にも、「きこえ」という古語も、「評判」の意味です。評判がいいと、色々な人に名前が知られる。知名度的な。


さはる(眺む・詠む)(障る)

イメージ 現代語の「差し障りがある」と同じです。

意味 差し支え(さしつかえ)がある。

例文 さはるところありて(花見に)まからで、(徒然)

差し支えがあるので、(花見に)行けませんので、


まかる(罷る)

「まかる」は、「出かける」「行く」「退出する」の意味です。

次の和歌を覚えると良いでしょう。

例文 憶良(おくら)らは 今はまからむ 子泣くらむ それその母も 我(わ)を待つらむそ

訳 憶良めはもう退出しましょう。 (我が家では)子が泣いているでしょう。 そして、その子の母も(父である)私を待っているでしょうよ

駿台


ながむ(眺む・詠む)

イメージ 現代語の「眺める」の語源だろうと考えられていますが、しかし古語の「ながみ」はどちらかというと、「物思いにふける」という文脈で使われます。物思いにふけっている人は、まるで近場にいる相手を見てないで遠くを見ているように見えるので、こういう風に意味が変わっていったのだろう。

また、詩歌を「吟詠する」(詩歌を詠むこと)の意味でも使われることもあります。

意味 1. 物思いにふける 2. 吟詠する 3 眺める・ぼんやり見る


例文 夕月夜のをかしきほどに出だしたてさせたまひて、やがてながめおはします。(源氏)

訳 (桐壺帝は)夕方の美しいころに、使者をさしむけなさって、(帝は)そのままもの思いにふけっていらっしゃる。


例文 「こぼれてにほふ花桜かな」とながめければ、その声を院聞こしめさせたまひて、(今昔)

訳 「こぼれてにほふ花桜かな」(=咲きこぼれて美しい花桜よ)と吟じたので、その声を院(=この場面では高貴な女性)がお聞きになって、


ゐる

「ゐる」は2種類あります。※ 入試では、現代語で近い意味の漢字を選ばせる問題もよくあるようです。

ゐる(居る)

「居る(いる)」は、「座っている」、「じっとしている」などの意味です。


ゐる(率る)

「率る(いる)」は現代語の「ひきいる」(率いる)などに名残がありますが(河合出版・三省堂)、軍隊などを統率(とうそつ)しているわけではなく、単に誰かや何かを連れていたり、伴っていたりする程度の意味です。

※ このほか、弓矢などを「射る」(いる)など現代語では同じ発音の動詞もありますが、説明を省略します。


例文 三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。(竹取・かぐや姫の生ひ立ち)

訳 三寸(=約9センチ)くらいの人が、とてもかわいらしく、座っていた

三省堂・文英堂・桐原

座っているほうは「居る」です。


例文 やうやう夜も明けゆくに、見れば率て(いて)来し女もなし。(伊勢物語・六段)

訳 だんだん夜も明けてきて、見ると、連れてきた女もいない。


連れてくるほうは「率る」です。


数研に「ゐる」なし(「ぐす」の脚注)。

単語05

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つつむ(慎む、包む)

「遠慮する」の意味です。おそらく現代語の「慎む(つつしむ)」の語源。

「心を丁寧に包んで隠す」→「遠慮する」→「つつしむ」

のように覚えましょう。

数研に「包む」の当て字あり。

三省堂・駿台に「つつむ」なし。


例文 かぐや姫、(中略)人目も今はつつみたまはず泣きたまふ。(竹取・かぐや姫の昇天)

訳 かぐや姫は、今もう、人目も遠慮せずにお泣きになる

数研・文英堂


「本音を隠す」という意味の用法もあります。

源氏物語で、皇妃の藤壺への恋心を隠す光源氏が、恋心を「つつみ」ています(文英堂)。


うつくし


「いつく」が語源です。「いつく」とは、「大切にする」の意味です。「いつく」の意味が覚えられないなら、コジツケかもしれませんが、現代語の「いつくしむ」から覚えましょう。「親が子をいつくしむ」とか、「王が民をいつくしむ」とか。

「うつくし」は、「(子供などが)いとしい」「かわいい」の意味と、もう一つ「立派だ」の意味があります。

いとしい相手は大切にするので、「いとしい」は当然の意味です。

子供はかわいいので、「かわいい」の意味も当然です。


もし、現代の美少女アイドルみたいな連想で「かわいい」「いとしい」を覚えてしまうと、「立派だ」の意味が頭に入りません。

「立派なものは、大切にする(= いつく)」ので、これで「立派だ」の意味を覚えましょう。

美少女ではなく、語源の「いつく」からの派生で覚えるようにしましょう。


わぶ(侘ぶ)

イメージ 自分が困難などに遭遇し、自分の境遇をつらく思う感じです。それとは別の用法としては「~しかねる」の意味もあります。

※ 「おわびをする」のような意味は無い。(※ 文英堂の単語集より)

意味 1. つらく思う 2. ~しかねる。


例文 限りなく遠くも来にけるかな、とわび合へるに、(伊勢物語)

訳 「この上なく遠くに来てしまったなあ」と嘆きあっていると、


例文 京にありわびて東(あづま)に行きけるに、(伊勢物語)

訳 京都に住みかねて、東国へ行ったところ、


例文 念じわびつつ、様々の財物かたはしより捨つるが如くすれども、(方丈記)

がまんしかねて、様々な財物を片っ端から捨てるように(=安く売る)するが、

※ 方丈記の訳の出典は 桐原単語集 と 三省堂新明解古典『大鏡 方丈記』


古語の形容詞「わびし」(意味は「つらい」「こまる」)は、上記の動詞「わぶ」が形容詞化したものに過ぎない。


いたし

イメージ: 痛いほどに程度がはなはだしいさまです。よい場合にもわるい場合にも使います。ただし、漢字を当てる場合、(「痛し」とは限らず)「甚し」の場合もあります。


意味 1.ひどい 2.すばらしい 3.(連用形「いたく」で)たいそう~・とても~

例文 かぐや姫いといたく泣き給ふ。(竹取)

訳 かぐや姫はたいそうひどくお泣きになる。


例文 造れるさま木深く、いたき所まさりて見所ある住まひなり。(源氏・明石)

訳(家の)造っている様子は(辺りに)木が深く、見所ある住まいである。


めづ(愛づ)

イメージ: 漢字のとおり、対象を愛する感じです。対象をよいと思っています。

意味: ほめる。かわいがる。

例文: 人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。(堤中納言・虫めづる姫君)

訳1: (世間の)人々が、花や蝶を愛するのは、あさはかで奇妙だ。(三省堂の単語集の訳)

訳2: (世間の)人々が、花や蝶をかわいがるのは、あさはかで奇妙だ。(文英堂の単語集の訳)

※ このように、単語集によって訳がやや異なる。なので、あまり細部まで多義語の意味の違いを暗記する必要はない。


「はかなくなる」は死の婉曲表現としてm使われるが、しかし上記のように「はかなく」は必ずしも死とは限らない。


関連語: めでたし、めづらし

「めづらし」も「めでたし」も、「めづ」が語源になっている単語です。


めづらし

「めづらし」は、現代語では「めったにない」の意味ですが、古語では「すばらしい」の意味です。

「めづ」(愛づ)=「愛する・ほめる」の形容詞化です。

すばらしい物を、人は愛したり褒めたりするので、当然の意味です。

すばらしいものは、なかなか起きないので、「めったにない」の意味が生じました。

源氏物語の時代でも、「めったにない」の意味でも「めづらし」を使っています(河合)。けっして、江戸時代とかからの用法だと早合点しないように、


めでたし

ほめることを意味する動詞「めづ(愛づ)」が語源となっている、形容詞です。

「めづ」に形容詞「いたし」(はなはだしい、という意味)がついたものと考えている単語集(三省堂、文英堂)もあります。


意味 すばらしい。立派だ。

例文: 丹波に出雲(いづも)という所あり。大社(おほやしろ)をうつして、めでたく造れり。(徒然草)

訳: 丹波に出雲という所がある。出雲大社を移して、立派に造っていた。

関連語 めづ(動詞)、めづらし


ののしる

イメージ 現代語では「非難する」の意味ですが、古語では「大声で騒ぐ」が原義です。派生的に、みんなが騒ぐほどに「有名だ。評判が高い」のような意味にもなります。


(※ 範囲外: )現代語の非難・罵倒の意味の動詞は、古語では「のる」である。(※ 河合出版「春つぐる頻出古文単語480」、P10)


意味 大声で騒ぐ。評判が高い。


例文) この世にののしり給ふ光源氏、かかるついでに見奉り給はんや。(源氏・若紫)


訳: 世間で評判になっている光源氏を、このような機会に拝見なさいませんか。


きこゆ(聞こゆ)

現代語の「聞こえる」とほぼ同じの意味が原義で、そこからいくつかの意味が派生した。

次の2種類の動詞があるが、活用は同じ(ヤ行下二段)である。単語集では、2つの項目にて分割して紹介している場合も多い(解説が長くなるからだろう)。(河合出版だけ、一緒に紹介している。)

謙譲の「申し上げる」の意味は、目下の言った事が、貴人の立場では聞くことになることから、そういう用法が定着していったと考えられる。必ずしも噂などの評判とは限らず、対面で直接に言う場合もある。


意味 1. 聞こえる 2.評判になる 3.わかる・理解する

意味 1. 申し上げる(謙譲) 2.謙譲の補助動詞。

敬語でないほうと、敬語なほうがある。


なお、「お聞きになる」と敬語で言いたい場合は「きこしめす」である。

本ページでは、下記に、わけて紹介する。


きこゆ

(敬語でないほう)


意味 1. 聞こえる 2.評判になる・うわさになる 3.わかる・理解する


まず、虫や鳥などの動物の声が聞こえる場合の例文です。これは「聞こえる」と訳すのが自然でしょう。

例文 さすがに虫の声など、きこえたり。(枕)

訳 やはり虫の声などが聞こえている。

駿台


例文 鶴(つる、たづ)は、いとこちたきさまなれど、鳴く声雲居(くもい)にまで聞こゆる、いとめでたし。(枕)

訳 鶴は、とても(たいそう)仰々しい(「ぎょうぎょうしい」と読む)けれど、鳴く声が雲居(宮中にある場所の一つ)にまで聞こえるのは(聞こえるのが)、とても(たいそう)すばらしい。

上記の単語集 文英堂・駿台・数研(※ 見出し語「雲居」)


これを評判と訳してしまうと、マイブーム的な、素晴らしいと私の中では評判だとい解釈になってしまいますが、さすがにそういうマイブーム用法が平安時代に流行したという話を聞きません。


名詞「きこえ」があり、「評判」の意味です。

「きこえあり」「聞こえもあり」などの形で使います。

「聞こえあり」は「評判があって」の意味です。沙石集に例あり(数研)

「聞こえもあり」は「評判もあって」の意味です。徒然草に例あり(三省堂「おぼゆ」・文英堂)。


例文 天下のものの上手といへども、始めは不堪(ふかん)の聞こえもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。

訳 世の(/天下の)その道の名人といっても、最初は未熟だ(.下手だ)という評判(/うわさ)もあり、

文英堂(世に一流の達人、下手だといううわさ)、三省堂「おぼゆ」(天下のその道の名人、未熟だという評判)


桐原は例文なし。河合はなし。


なお、「聞こえぬ」は、聞こえない、分からない、等の意味(桐原)。

「聞こえたまふ」も、動詞「聞こゆ」の活用変化に敬語の「たまふ」がついた形。

「聞こえし〇〇」も、動詞「きこゆ」が活用変化に助動詞がついただけ。


他にも「きこえたり」とか「きこえたる」とか「きこえながら」とか「きこえける」や「え聞こえたまはず」とかあるが(駿台)、どれも単に動詞「きこゆ」の活用形に、補助的な単語がついただけ。


例文 これ、昔、名高く聞こえたる所なり。

訳 これは、昔、有名で評判になった所である。

文英堂(名高く評判になった所である)・駿台(名高く評判になった所である) ※ 2社とも同じ


なので、基本的には、

「きこえあり」「聞こえもあり」が、評判があるの意味だとだけ、覚えればいい。


「理解する」の意味の例文は下記。下記は、よっぱらいが何かを言っていて、理解できない話です。

コジツケですが、「わからない事は、言葉を聞いても理解できない」とでも覚えましょう。


例文 きこえぬ事ども言ひつつ、よろめきたる、いとかはゆし。(徒然)

訳 (よっぱらいが)理解できないことども言ひつつ、よろめきたる、いとかはゆし。

桐原・文英堂


三省堂にない。数研では、敬語のほうに、脚注で紹介しているだけ。


きこゆ

(敬語なほう)

きこえさす

敬語としての「きこゆ」も「きこえさす」も、意味は同じです。市販の単語集でも、同じ項目でまとめて紹介しています(文英堂・桐原)。 河合と駿台では例文なし)

意味 1. 申し上げる(謙譲・本動詞) 2.謙譲の補助動詞。

※ 数研では、別々に紹介。三省堂は未紹介。


なお、「きこえさす」のほうが「きこゆ」よも敬意が強いです(文英堂・桐原)。


謙譲の「申し上げる」の意味は、目下の言った事が、貴人の立場では聞くことになることから、そういう用法が定着していったと考えられる。必ずしも噂などの評判とは限らず、対面で直接に言う場合もある。

荻窪物語に、対面そのままの用例があります。

訳を覚えるのではなく、まずは、例文をもとに、本当に対面の申し上げの意味があるかを検証しよう。


例文 対面に聞ゆべきことなむつもりぞ。(荻窪)

訳 お会いして申し上げたいことがたくさんあって

河合


源氏物語にも、似たような用法があります。

例文 いで、御消息(せうそこ)きこえむ。(源氏)

訳 さあ、ご挨拶、申し上げよう。

駿台


対面のほか、「返事」関係でも、使われる場合もあります。

例文 いらへも、え聞こえ給はず。(源氏)

返事も、申し上げなさらない。(数研・河合)


もっとも、「いらへ」自体に、「返事を言うこと」のような動詞的な意味があるので、これを補助動詞的に考えることも可能かもしれません。

日本語は、英語と違って、そんなにハッキリとは文法が別れていないので、そこまで深入りする必要はないでしょう。


「返事を言う事を申し上げる」だと、動詞のような「言う」と「申し上げる」が2つあつのではと思うかもしれないが、

英語だって sing a song 「歌を歌う」とか言うワケで、まあ、どこの国も言語とはそういうものである。


次は純然たる補助動詞としての用例を見ていこう。下記は謙譲の補助動詞としての用法です。


例文 「いかようにかある」と問ひ聞こえさせ給はば、(枕)

訳 「どのようなものであるのか」とお尋ね申し上げなさると、

三省堂


上記の場合、直前の本動詞が、「問ひ」なので、まさに格下の側の発言です。格下の発言が、貴人の立場だと聞くことになる、説の一例になっています。

他にも枕草子には、「言う」系の動詞のあとに「聞こえる」系が続く用例があり、ますます確証が得られます。

例文 (中宮に)ありつることを語り聞こえさせば、(枕・送る都市の二月)

訳 (中宮に)さきほどのことを(私が)語り申し上げると、


上の2つとも、枕草子の例文です。どうも枕草子の清少納言は、こういう使い方が好きらしい。


ただし、ほかの著作者の古文を見れば、必ずしも、言う系の動詞が本動詞でなくとも構いません。


竹取物語という、枕草子なんかよりも古い作品で、そういう例があります。

例文 竹の中より、見つけ聞こえたりしかど、

訳 竹の中から、(かぐや姫を)見つけ申し上げたのだが、

桐原

「しかど」はおそらく現代語「だけど」の語源のひとつでしょうが、しかし「だけど」は現代語では口語なので、上記の文脈に合わない。上記の例文は、謙譲の表現なので、「だが」と訳すほうが自然。

ここで、「見る」「聞く」「言う」の3つがそろった。

江戸時代の日光東照宮のサル3匹の「見ざる・言わざる・聞かざる」は、当然ながら平安時代には作られてないので、この平安時代では「見る」に「言う」の意味はありえない。


桐原

例文 一の御子は右大臣の女御の御腹にて、よせ重く、「うたがいなきまうけの君。」と、世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには、ならび給ふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、わたくし物におぼしかしづき給ふこと限りなし。

訳 第一皇子は、右大臣の娘の女御からお生まれになった方で、後ろ盾がしっかりしていて、「疑いなく、皇太子であろう」と、非常に大切にお育て申し上げたが、(桐壺の子の)美しさには、対抗なさることはできなかったので、第一皇子に対しては、(帝は)普通一般の御寵愛ぶりで、一方源氏の君を、特別に思い大事になさる事限りなかった。


ただし、「評判になる」の意味でも通じてしまいそうです。「大切に育てられたと評判になっている」でも通じてしまう(その場合だと、補助動詞でありながら、「評判になる」という意味をもつ例外的な用例になる)。入試では、そこまでの区別は問われないでしょう。河合出版のように、同じ動詞として紹介している単語集もありますし。(分割するのは、他社の編集上の都合にすぎない。)


「まうけ」は「準備する」の意味ですが、「まうけの君(きみ)」で、次の王になる準備が出来ている人のことで皇太子の意味です。くわしくは「まうけ」の単元で解説します。

きこえ


きこしめす(聞こし召す)

「お聞きになる」、食べ物を「召し上がる」の2つの意味があります。


現代語でも、食べ物を「召し上がる」とか言うので、それと関連させて覚えましょう。


古語では、「物もきこしめさず」で、「食べ物も召し上がらない」という意味で、何かで悩んでいたたり落ち込んでいたりなどする表現です。実際には食事はとっているでしょうが。


例文 ひろげて御覧じて、いとあはれがらせたまひて、物もきこしめさず。(竹取・かぐや姫の昇天)

訳 (帝はかぐや姫の手紙を)広げて御覧になって、たいそうしみじみとなって、何も(食べ物を)召し上がらない。

文英堂


例文 夜昼、(尼君を)恋ひ聞こえ給ふに、(姫君は)はかなき物もきこしめさず。(源氏・若紫)

訳 夜も昼も、(姫君を)恋しく思い申し上げなさるので、(姫君は)ちょっとした食べ物もお召し上がりにならない。

桐原


「きこしめす」と「きこえさす」の区別を覚えるよりも、食べ物が出てきたたら、「召し上がる」の意味を予想しましょう。

「物もきこしめさず」と出てきたら、ほぼ確実に、食べ物を、食べないことです。


にほふ

「美しく映える」「香る」の意味です。


語源とは違いますが、花のイメージで覚えれば、「花の美しさが映える」、「花が香る」のように、どちらの意味にも通じます。

なお、花だけでなく、人間の美しさにも使います。

「美しく照り輝く」と訳す場合もあります(数研、河合)。、

イメージ 現代語では嗅覚にかかわる語ですが、古語の「にほふ」は語源としては視覚的な意味です。「にほふ」の「に」は赤色を意味する「丹」(に)が由来していることから、「にほふ」は赤色のような鮮やかなものが映える様子をあらわしています。なお「にほふ」の「ほ」は、「穂」または「秀」(河合出版、桐原)の説があります。

しかし、源氏物語の時代から、花などの「香りがする」の意味もあります(数研・河合出版)。


例文) ※ 未記述


おどろく

古語の「おどろく」は、「はッとする」のような意味です。

寝ていた状況では、「目が覚める」の意味もあります。「おどろかす」という他動詞形もあり、「おどろかす」は「起こす。はっと気づかせる」の意味です。


意味 目が覚める。はっとする。※ このほか、現代語の「驚く」と同じ意味の用法もある。


例文 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(古今和歌集)

訳 秋が来たと、目にははっきりとは見えないが、風の音で(※「風の音を聞いて」のような意味)はっと気づいたことだ


例文 物におそはるる心地しておどろき給へれば、(源氏物語)

訳 物の怪におそわれる気がして目覚めなさったところ


ときめく(時めく)

イメージ 「よいタイミングにめぐりあわせる」のようなイメージで、古語では「時流に乗る」や「寵愛を受ける」のような意味になります。

なお、「ときめかす」で「寵愛する」です。

※ 三省堂に「ときめかす」無し。

ただ、そう覚えなくても、男性(帝など)が主語なら「寵愛する」、女性が主語なら「寵愛される」、と覚えましょう。

例文 いとやんごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。(源氏物語)

訳 それほど高貴な身分ではない方で、とりわけ(帝(みかど)の)寵愛を受けておられる方がいた。

文英堂・駿台


帝以外の男性が「ときめく」の主語の場合、「時流に乗って栄える」の意味の場合もあります。戦国武将と違って、帝は同性愛者ではないので。

ただし、恋愛でなくても「ときめく」を使って、部下などを重用するという場合もあります。

後一条天皇の側近の中納言・源 顕基(みなもと の あきもと)が、重用されることを、「十訓抄」では「ときめかし」で、文英堂は「寵愛しなさって」で訳しています。

帝が主語の場合、とりあえず、相手が男だろうが女だろうが、「寵愛する」で訳しても良いでしょう。文句のある人は、文英堂でつぶしましょう。


例文 世の中にときめき給ふ雲客、桂より遊びて帰り給ふ。(古今著聞集)

訳 世の中で、時流に乗って栄えている天殿人(てんじょうびと)が、桂から遊んでお帰りになる。


きは(際)


現代語でも「瀬戸際」とかいうように、古語でも「きは」には何かの限界ちかくの意味もありますが、しかし入試では「身分」の意味が重要です。

意味 1.身分 2.時 3. 端・限度・

例文 いとやんごとなき際(きは)にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。(源氏物語)

訳 それほど高貴な身分ではない方で、とりわけ(帝(みかど)の)寵愛を受けておられる方がいた。

文英堂・駿台


源氏物語の冒頭文ちかくにある「いとやんごとなき際」の言い回しごと覚えましょう。現代語でも「やんごとなき」は「家柄が良い」のような意味ですから、古語の「際」は「身分」の意味であると、暗記しやすくなります。

というか、この源氏物語の例文を知らないと、意味を覚えるのは難しいと思います。

もし読者が、源氏物語の冒頭ちかくの文章をまだ読んでなければ、先にそちらを読みましょう。(源氏物語の全文は膨大なので、全文は読む必要は無いです。)


「きは」には「時」の意味もあります。これを覚えるには、漢字「際」を覚えましょう。

現代語でも「~する際(さい)に」という言い回しには、「~をするときには」のような意味があります。こう考えれば、現代語「際(さい)」から思い出せます。


「端」の意味は、現代語の「瀬戸際」などから連想しましょう。

「限度」の意味は、現代語の「際限」の意味から覚えましょう。「際限なく」、終わりなく長々と続くことを意味する、マイナスの意味の言葉です。つまり、際限がある場合は、終わるわけです。


河合出版に「きは」は無い。


しな


「身分」・「品格」「品性」の意味です。

「品格」や「品性」の字でも覚えられますが、次を覚えると良いでしょう。


一説には。地名の「信濃」(しなの)、「山科」(やましな)のような山がちの地形のことを「しな」という説があり、山地のように「しな」が高低差の意味をもち、それが地理以外にも身分の上下差にも使われると考えると、覚えやすい。語源かどうかは知りません。

ただし古語では、「身分の高低差」の意味ではなく、「身分」そのものの意味で使います。あるいは、その身分に相当する「品位」「品性」の意味です。


例文 人のしな高く生まれぬれば、人にもてかしづかれて、(源氏・帚木)

訳 人が身分高く生まれてしまうと(生まれたことによって)、人に大切にされて

桐原「きは」、


めやすし(目安し)

イメージ 「見た目が安らかだ」のようなイメージ

意味 感じが良い


例文 (女房は)髪ゆるるかにいと長く、めやすき人なめり。(源氏)

訳 (女房は)髪がゆったりとしてとても長く、感じが良い人だ。



こちたし

「大げさだ」「うるさい」の意味です。「大げさだ」は、「事(こと)いたし」が語源だという説があります(河合)。

この説の場合、「事甚し」と当てます。

「大げさな事を言う」の「言う」の「言」もコトと読めますので、「言甚し」と当てる場合もあります(駿台)。

「甚し」ではなく「痛し」の場合もあります。「事痛し」「言痛し」など当てます(三省堂)。

「うるさい」の意味は、言(コト)が多いの意味。「言痛し」「言甚し」などと当てる。


例文 人言(ひとごと)はまことこちたくなりぬともそこに障らむ(さわらむ)我にあらなくに(万葉・二八八六)

訳 人のうわさが本当にうるさくなってしまうとしても(なったとしても)、それに邪魔される(妨げられる)私でないのに

上記の単語集 桐原「なったとしても」「妨げられる」、文英堂「なってしまうとしても」「邪魔される」


例文 鶴(つる、たづ)は、いとこちたきさまなれど、鳴く声雲居(くもい)にまで聞こゆる、いとめでたし。(枕)

訳 鶴は、とても(たいそう)仰々しい(「ぎょうぎょうしい」と読む)けれど、鳴く声が雲居(宮中にある場所の一つ)にまで聞こえるのは(聞こえるのが)、とても(たいそう)すばらしい。

上記の単語集 文英堂・駿台・数研(※ 見出し語「雲居」)


数研出版では、「雲居」を「天」と訳している。

雲居には2つの意味があり、雲という字のとおりに「天」の意味と、天高いというが、階級の高い場所である「宮中」の意味という、2つの意味があります。

さらに和歌などでは、この2つの意味が掛けられることもあります。


類義語で「ことごとし」=「大げさだ」があります。


発音の似ている別単語

こち「な」し (骨なし)

意味 無骨だ・無作法だ・

発音の似ている「こちなし」は、「無骨だ」「無作法(ぶさほう)だ」「作法がなっていない」と言う意味です。

漢字も、「骨なし」と当てられて、意味が違います。批判的に使うのが普通ですが、「美的でない」くらいの意味合いでも使います(三省堂)。


さて、「こちたし」(言+いたし の短縮形)に戻ります。

「こちたし」は、類義語の「ことごとし」にも同様「大げさだ」「はなはだし」の意味があり、批判的に使うのが普通であり、美的でないものにも使います(三省堂)。

正確ではないかもしれませんが、現代語では「大げさ」は誇張の意味ですが、古語では現代と違って、誇張の意味の大げさと、程度が大きい事を区別する用法が、未発達と考えたほうが分かりやすいでしょう。


次の「らうたし」も一緒に覚えましょう。

らうたし(労甚し)

意味 かわいらしい。いじらしい。

「労」+「甚し(いたし)」と考えれらており、子供などを労をいとわず世話をしたいと思う気持ちだと考えられています。

本当かよと、思われそうですが、古語には他にも「こちらし」とか「おぢなし」という「〇〇ぃなし」という語がありますので、そういう周辺の状況証拠から、「労いたし」の可能性は高そうである。


例文 (赤ん坊が)かいつきて寝たる、いとらうたし。(枕草子)

訳 (赤ん坊が)抱きついて寝ているのは、とてもかわいらしい。



ことごとし

「大げさだ」の意味です。

「事」を2回重ねて、大げさな事を言う、と語源でしょう。

「こちなし」と同様、程度が「はなはだしい」という用法もあります。批判的に使うのが普通です(三省堂)。

おどろおどろし

「大げさだ」の意味があります。

文字だけ見ればあたかも「驚く」を2回続けていて強調しているかのようですが、しかし意味は単なる強調とは微妙に違います。単語集では色々とこじつけていますが、覚えるしかないでしょう。用例としては、何かを叩く音や、雨の激しく降る様子などに使われる事例が多い(※ 河合出版の単語集『春つぐる 頻出 古文単語480 PLUS』)。現代語でも、「気味が悪い」の意味は使われます。よって入試対策としては、現代語にはない「おおげさだ」の意味のほうを覚えることになります。

意味 1. おおげさだ・騒々しい 2.気味が悪い


例文 夜いたく更けて(ふけて)、門をいたうおどろおどろしうたたけば、(『枕草子』)

訳 夜もたいそうふけて、門(かど)をいたうおどろおどろしうたたけば、


例文 いとおどろおどろしくかきたれ雨の降る夜、(『大鏡』)

訳 とても気味悪く、一面に雨の降る夜。


かなし

イメージ 現代語の「切ない(せつない)」の意味に近いです。あるいは「いとしい」(愛しい)のイメージです。覚えやすいほうで覚えましょう。

派生的に、「悲しい」の意味もありますが、まずは愛しさと切なさとで覚えましょう。


意味 1. いとしい 2. 悲しい

上記の2つの意味とも、現代語の「切ない」で対応できます。「いとしい人の事を考えると、せつなくなる」みたいな。ただし、和訳の都合で「いとしい」のほうが適切な場合もあります。段階的に訳を変換していきましょう。

例文 (男は妻を)かぎりなくかなしと思ひて、河内(かふち)へも行かずなりにけり。(伊勢・二三)

訳 (男は妻を)この上なくいとしいと思い、河内(かわち)(の国にいる別の女)のもとへも行かなくなった。


例文 かなしき妻子(めこ)の顔をも見で、死ぬべきこと。(源氏)

訳 かわいい妻子の顔をも見ないで、死なねばならないことよ。


例文 ひとつ子さへありければ、いとかなしうし給ひけり。(伊勢・さらぬ別れ)

訳 (母は子を)一人っ子でさえあったので、たいへんかわいがっていらっしゃった。

高等学校国語総合/伊勢物語


さらぬわかれ

「死別」の意味です。

「さらぬ」は「避けられない」という意味。

誰もが避けられない別れ、死別の事です(数研・三省堂)。


例文 世の中にさらぬわかれのなくもがな千代もと祈る人の子のため(伊勢・八四)

訳 世の中に死別がなければいいのになあ、千年も(長生きしてほしいと)祈る人の子のため。

三省堂


文英堂・桐原に「さらぬわかれ」無し。


さればこそ


「やっぱりだ」「思った通りだ」の意味と、「だからこそ」の意味がある(河合)。


「だからこそ」の意味は、「さ+あれば+こそ」→「そうあればこそ」と語源どおりに分解すれば当然である。


せちなり(切なり)

現代語でも、「切実」「大切」「痛切」などというように、心につよく迫る感情です。ほか、連用形「せちに」は、「切実に」「大切に」のほか、「しきりに」と解釈する説もあります。

現代語の「せつない」とは、無関係の意味です(語源的にどうか知りません)。「『せつない』ではなく『切実』のほう」と覚えましょう。

形容動詞ですので「せちに」とも活用して、副詞のようにも使われます。この形でも、よく使われます。

文法的には「せちに」は形容動詞「せちなり」の変化形の一種ですが、そう覚えるよりも、まるで派生の副詞のようなものとして「せちに」覚えましょう。これなら、現代語の「切実に」「大切に」と発音も近く、覚えやすい。

そうすれば、この副詞のような「せちに」から逆算して、形容動詞「せちなり」の意味も覚えやすくなる。

つまり、「せちなり」は副詞のような「せちに」(大切に)を形容動詞にしたものだから、「大切なり」「切実なり」のような意味だな、・・・と思い出せる。

意味 1.切実な 2.大切な



例文 (かぐや姫は)七月十五日の月に出てゐて、せちに物思へる気色なり。(竹取)

訳 (かぐや姫は)七月十五日の満月に(縁側に)出て座り、切実に物思いをしている様子である。

※「せちに」を「しきりに」と訳す説もあるので、単語集によっては後半部を「しきりに物思いをしている様子である」と訳す説もある。(文英堂など)


例文 大納言、宰相もろともに忍びものへ給へ。せちなること聞こえむ。(うつほ)

訳 大納言、宰相といっしょに、こっそりと、お越しください(いらっしゃい)。大切なことを申し上げよう。


いかで(如何で)

疑問の「如何」(いかん)を想像しましょう。

基本は、疑問の意味「どうして」「どのように」です。

ただし、反語として{どうして~だろうか。いや~ない}という意味もあります。

意味 1. どうして・どのように・どう  2.<反語>どうして~だろうか(、いや~ない) 3 なんとかして

まず疑問の例。

例文 心細げなる有様、いかで過ぐすらんと、いと心苦し。(徒然・一〇四)

訳 (女の住まいが)頼りなげな(/心細そうな)様子は(/ありさまで)、どのようにして(どのように)過ごしているのだろうかと思うと、たいそう気掛かりだ(心苦しい)

文英堂(心細そうな・心苦しい)・桐原(頼りなげなありさまで・どのように・気がかりだ)


反語の例。

例文 「いかで月を見ではあらむ」(竹取)

訳 (かぐや姫が)「どうして月を見ないでいられましょうか」(いや、見ずにはいられない)

桐原・駿台

「なんとかして」の例文。また竹取物語。

例文 いかでこのかぐや姫を得てしがな、見てしがな。(竹取。かぐや姫の生ひ立ち)

訳 なんとかしてこのかぐや姫を手に入れたいものだ(/得たいなあ)、結婚したいものだ(/見たいなあ/妻にしたいものだ)。

文英堂「結婚したい」・駿台「得たいなあ・見たいなあ」・桐原・数研(妻にしたいものだ)

なお、「てしがな」は願望の終助詞です(文英堂)。


例文 …。ただ今、おのれ、見すてたてまつらば、いかで、世におはせむとすらむ。」(源氏・若紫)

訳 …。今、私がお見捨て申したら、どうやってこの世界で暮らしていくのでしょうか。」


ゆかし

イメージ 語源はおそらく「行く」の形容詞化「行かし」と思われていますが、移動したいことだけでなく「見たい」「聞きたい」「心ひかれる」などの意味もあります。

まず語源の「行かし」とその直訳「行きたい」を覚えましょう。

派生して「見たい」「聞きたい」「知りたい」の意味も生じます。見たい場所には行く必要があります。「見聞きする」というように、「聞きたい」も自然に派生します。見たり聞いたりすれば知る事ができますので「知りたい」も派生します。「心ひかれる」ものは、知りたくなるので、「行かし」から「心ひかれる」の意味も生じます。


意味 1. 見たい。聞きたい。知りたい。 2. 心ひかれる

例文 山路来て何やらゆかしすみれ草。(野ざらし)

訳 山路を来て(歩いてきて)、なんとなく心引かれるすみれ草があることよ。

数研だと「歩いてきて」の訳。「すみれの花だよ」。このように単語集によって訳は微妙に違う。


例文 まゐりたる人ごとに山へ登りしは、何ごとかありけん、ゆかしかりしかど。(徒然草)

訳 参詣している人が山へ登っているのは、何事があったのか、知りたかったけれど。


まゐらす(参らす)

「まゐる」とは意味が全く異なります。


「まゐらす」は、英語でいう give のような敬語の「さしあげる」の意味、もしくは、「やってあげる」的な意味の敬語の「さしあげる」です。

漢字では「参らす」と参上や参詣のような字があてられますが、しかし、 visit 的な意味は皆無です。


例文 薬の壺(つぼ)に御文そへて参らす。(竹取・かぐや姫の昇天)

訳 薬の壺にお手紙を添えて(帝に)差し上げる。

数研・文英堂(帝に)・河合・駿台


下記は、水車づくりの話です。地元の職人さんスゴイ、世の中、貴族だけが偉いんじゃねーんだよ的な話。

例文 宇治(うぢ)の里人(さとびと)を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて参らせたりけるが、

訳 宇治(うぢ)の地元の住民をお呼びになって、(水車を)お造らせになると、容易に組み上げてさしあげて、、

三省堂・高等学校国語総合/徒然草


謙譲の補助動詞として「~申し上げる」という意味の用例もあります。


「まゐる」(参る)にも、give 的な「さしあげる」の意味がある。他にも「まゐる」には、「参上する」「参詣する」「召し上がる」の意味や、補助動詞の意味がある。


このため「まゐらす」は、「まゐる」の一部の意味だけが謙譲語になったものと思われる(河合」)。


まゐる(参る)

意味 「さしあげる」(= give)、「参上する」、「参詣する」、「召し上がる」  謙譲の補助動詞「~してさしあげる」・「~申し上げる」


下記例文で、give の用法を確認しよう。

例文 親王(みこ)に、馬の頭(むまのかみ)、大御酒(おほみき)まゐる。(伊勢・八二段)

訳 親王に、馬の頭(= 在原業平)が、お酒を差し上げる、

三省堂・河合・桐原(在原業平)・文英堂


参上・参詣の意味もあります。


例文 宮に初めて参りたるころ、もののはづかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々まゐりて(枕)

訳 (わたし清少納言が)御所(/中宮)に初めて参上したころ、恥ずかしい事も数多くあり、涙も落ちれば、毎晩参上して、

桐原(中宮)・三省堂(御所)

もしかして、現代語の「枕を濡らす」の元ネタは、上記なのでは。つまり「枕を濡らす」は、枕草子の枕だったというオチ(本当かどうかは知らない)。


例文 神へ参るこそ本意なれど思ひて、山までは見ず。(徒然)

訳 神へ参るのが本来の目的だと思って、山までは見ていない。

駿台「まゐる」、 ほか「本意」側で例文あり


下記は「召し上がる」の意味の例文。

例文 心地もまことに苦しければ、物もつゆばかりまゐらず。(源氏)

訳 気分も本当に悪いので、食べ物もほんの少しも召し上がらない。

駿台(「ほんの」あり)、三省堂(「ほんの」無し)


「御格子(みかうし)まゐる」で、「格子を上げる・下げる」の意味があります(文英堂・桐原)。文脈に合わせて判断し、朝の明るくなるころなら「格子をお上げする」、夕方暗くなるころなら「格子をお下げする」、等の意味になるのが普通です。


みそかなり

イメージ 現代語の「ひそか」とほぼ同じです。「密かに」の字で覚えてしまいましょう。

意味 ひそかに。こっそりと。

例文 あさましく候ひしことは、(花山院は)人にも知らせさせ給はで、みそかに花山寺におはしまして、御出家入道させ給へりこそ。

訳 驚きあきれましたことには、(花山院は)誰にもお知らせにならないで、こっそりと花山寺にいらっしゃって、ご出家入道なさってしまったのですよ。


「あさましくなる」は死の婉曲表現としても用いられるが、しかし「あさましく」と出てきたからといって、必ずしも死ぬわけではない。


いぎたなし(寝汚し)

イメージ 寝ていることを「汚し」と批判されているように、寝坊などを非難する気持ちがあります。

意味 寝坊だ


例文 起こしにより来て、いきたなしと思ひ顔にひきゆがしたる、いと憎し。(枕草子)

訳 起こしにやってきて、寝坊だと思っているような顔つきで(私を)ゆすっているのは、とても腹立たしい(/憎い)。

桐原・河合


例文 夜鳴かぬもいぎたなき心地すれども、今はいかがはせむ。(枕・鳥は)

訳 (ウグイスが)夜鳴かないのは寝坊な(/寝込んでいる)感じがするけれども、今はどうしようもない。

文英堂(寝坊な)


※ 参考

古語の「きたなし」(汚し)は、現代語の汚いと同じような意味もある。

『竹取物語』で「いざ、かぐや姫。きたなきところに、いかでか久しくおはせむ。」とある。「汚いところに(=下界)、どうして長い間、いらしたのですか。」のような意味。


駿台は巻末で「寝坊だ」しかない。


ゆくりなし

「突然に」「思いがけない」です。

語源とは無関係のコジツケですが(三省堂)、「ゆっくりではない」ので「突然だ」とでも覚えましょう。


例文 ゆくりなく風吹きて、漕げども(こげども)漕げども、後(しり)へ退きに(しりぞきに)退きて、(土佐・二月五日)

訳 突然に風が吹いて、(船を)漕いでも漕いでも、後ろへ下がりに下がって、

数研・文英堂・三省堂


やむごとなし(止む事なし)

イメージ 「そのまま(=止む)にはしておけない」のような感じです。

身分が高い相手や、学識などの豊かな相手などに用います。


意味 1.高貴だ 2.格別だ

例文 やむごとなき人のかくれ給へる(たまえる)も、あまた聞こゆ。(方丈記)

訳 高貴な人がお亡くなりになったということも、たくさん聞こえてくる。


上記の説明に反しまずが、

例文 万(よろづ)に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。(徒然草・亀山殿の御池に)

訳 何事につけても、その(専門の)道に詳しい者は、貴重なものである。

高等学校国語総合/徒然草


あてなり(貴なり)

イメージ 漢字「貴なり」でお覚えましょう。「高貴な」という意味です。階級だけでなく、立ち居振る舞いが優美で上品なことも言います。

「あてやかなり」「あてはかなり」という形で使われる場合もあります。「やか」は「様子」の意味の接尾辞です。現代語でも「きらびやか」で使われています。


意味 1. 高貴だ。 2.上品だ。

例文 (尼君は)四十余(よそぢよ)ばかりにて、いと白うあてに、やせたれど、(源氏・若紫)

訳(尼君は)四十歳過ぎくらいで、たいそう色が白く、やせているけれど、


例文 世界の男(おのこ)、あてなるも賎しきも、いかでこのかぐや姫を得てしがな見てしがなと、音に聞きめでてまどふ。(竹取)

訳 世の中の男は、身分の高いものも低いものも、なんとかしてこのかぐや姫を自分の妻にしたい、見てみたいと、噂に聞いて夢中になる。


類義語の「やむごとなし」は、高貴さの最高評価です。一方、「あてなり」は、それほどではありません。


上記の「音に聞きめでてまどふ。」のついでに


まどふ(惑ふ)

イメージ 現代語の「戸惑う」にも名残があります。古語の「まどふ」は途方に暮れるとか思い悩むとかの意味です。ただし、他の動詞の連用形につくと「ひどく~」の意味になります。

意味 1.迷う・心が乱れる 2.ひどく~する

例文 道知れる人なくて、まどひ行きけり。(伊勢)

訳 道を知っている人もいなくて、迷いながら行った。


例文 目・眉(まゆ)・額(ひたひ)なども腫れまどひて(徒然・四二)

訳 目・眉(まゆ)・額(ひたひ)などもひどく腫れて


例文 世界の男(おのこ)、あてなるも賎しきも、いかでこのかぐや姫を得てしがな見てしがなと、音に聞きめでてまどふ。(竹取)

訳 世の中の男は、身分の高いものも低いものも、なんとかしてこのかぐや姫を自分の妻にしたい、見てみたいと、噂に聞いて夢中になる。



いうなり(優うなり)

イメージ 「いうなり」の表記から言うを連想しないように。漢語の「優」から、優雅や優美を連想しましょう。


意味 1.すぐれている・立派だ 2.優美だ・上品で美しい


例文(花山院(かざんいん)が)あそばしたる和歌は、いづれも人の口にのらぬなく、いうにこそうけたまはれな。(大鏡・伊尹)

訳 (花山院(かざんいん)が)お読みになった和歌は、どれも人が口にしないものはなく、すぐれているとお聞きします。


うけたまはる(承る)


「受ける」の謙譲の意味「お受けする」のほか、「聞く」の謙譲の意味「お聞きする」もあります。

意味 1.お受けする 2.お聞きする


なお、「たまはる」単独では、謙譲の意味です。(鎌倉時代以降は尊敬の用法も生まれたが、この節では省略。くわしくは「たまはる」の項目で説明)


例文 かしこき仰せ言(おほせごと)をたびたびうけたまわりはながら(源氏・桐壺)

訳 帝のおそれおおいお言葉をたびたび(/何度も)お受け(/お聞き)しながら

桐原・三省堂・河合


えんなり(艶なり)

「優雅だ」の意味ですが、花の美しさや、自然物のうつくしさ、若い女性の美しさのことを言う場合に使います。

意味よりも、対象の花や自然物のほうを覚えましょう。

現代語の「優艶」だと、なんだかセクシーダイナマイトのような場合にも使いますが、そっちに気を取られて「若い女性」の意味のほうを覚えてしまうと、「自然物の美しさ」の用法まで到達できないので、まずは、花の美しさで覚えましょう。

河合出版は「好色だ」の意味を紹介していますが、しかし河合以外は紹介していない用法です。

花で覚えれば、女性を花にたとえる用法は、現代や近代でも存在していますので、そこから若い女性に到達しやすいと思います。

「若い」女性という若者限定の件ですが、花の命は短いと言いますし、花は長生きしないので(その前に花びらが散る)、花びらの部分は若いのです。


で、あとは、花でも自然物でも女性でも、それが「優雅だ」と言いたいときに使う、とさえ覚えればいい。


例文 女は、なほいと艶に恨みかくるを、(源氏・紅葉賀)

訳 女は、やはりたいそう優雅に(/なまめかしく)恨み言を言うので、

三省堂・文英堂(なまめかしく)・河合(思わせぶりに)


現代では、あまり優雅の意味で「なまめかしい」とは言わず、たとえば巨乳女性タレントみたいにエロスを感じることに「なまめかしい」とか言ったりします。

桐原に「えんなり」はない。


なやむ(悩む)

イメージ 語呂合わせですが、「なやむ」の「やむ」を「病む」とゴロ合わせで覚えてしまいましょう。

「病気になる」「苦労する」の意味です。

古語では、肉体的な苦痛のニュアンスです。

語呂合わせですが、現代語の「病む」で覚えると良いでしょう。


意味 病気になる。

例文 身にやむごとなく思ふ人のなやむを聞きて、(枕・うれしきもの)

訳 自分にとって大切に思う人が病気になったのを聞いて

文英堂・三省堂・駿台

対義語は「おこたる」です(三省堂・桐原)。セットで覚えましょう。

精神的な苦悩は「わぶ」などで表す(河合)。


いたはる


現代語とは、まったく意味が違います。

「病気になる」・「苦労する」・「大切にする(=現代語と同じ)」


例文 折ふしいたはる事候ひて、うけたまはらず候ふ。(平家・一〇・千手前)

訳 ちょうどその時病気をすることがございまして、お聞きしておりません。

文英堂


例文 日ごろいたはるところ侍りて、(宇津保)

訳 ここ数日、病気で苦しんでおりまして

桐原(数日来病気をすることがございまして)


例文 年頃いたはるところありて、(宇津保)

訳 長年病気で苦しむところがあって、

数研


数研にあり。

文英堂・桐原は「なやむ」脚注。

三省堂に無し。


おこたる(怠る)

現代語と同じ「なまける」の意味もありますが、古語ではさらに「病気が治る」の意味もあります。

コジツケですが、病気の原因であると考えられていた悪霊が「なまけて」、病気が治る、と考えましょう(数研・文英堂)。古代や中世では、病気の原因は悪霊だと考えられていました。

オカルト要素を排除した覚え方をするなら、「なまける」を「進行が遅くなる」くらいの意味でとらえて、病気の進行が滞って、病気が治る意味、とでも考えられるでしょうか(実際の語源とは違うかもしれません)。

意味 1.病気が直る 2.なまける


例文 少将、病にいたうわづらひて、すこしおこたりて内にまゐりたりけり。(大和物語)

訳 少将は、病気でたいそう患って(わずらって)、少し治って内裏に参上(参内)した

駿台・文英堂。

なお、「参内」(さんだい)は「サンダイ」と読む。

対義語の「なやむ」とセットで覚えましょう。


名詞「おこたり」は、「怠慢」「謝罪」「過失」の意味です(文英堂・三省堂・数研)。

現代語でも、あまり使いませんが「過怠」(かたい)といって、あやまち や 過失 などをまとめて言います。

現代語にはない「謝罪」の意味がある事を覚えましょう。

おそらく、過ちやマチガイを認めて謝罪する、という意味が発生したのでしょうか。


名詞「おこたり」を紹介していない単語集も多い(桐原・駿台)。あまり教育的な意味を感じられてないのだろう。


例文 われ悪しく(あしく)心得たりけるぞ、怠り申しにまうでたるなり。(無名)

訳 私が間違って理解していたのだなあと、謝罪を申し上げに参上したのです。

数研「おこたり」・文英堂「おこたる」脚注


「おこたりたる」や「おこたりて」の「おこたり」は連用形ですので、こちらは「病気がなおって」の意味です。


わづらふ(煩ふ)


「悩み」「病気になる」の意味があります。現代語でも、「恋(こい)わずらい」に、「悩む」の意味の名残があります(河合)。

「苦しむ」のようなイメージで考えるとよく、体が苦しむのは「病気になる」、心が苦しむのは「悩む」のように考えると、辻褄が合うでしょう。

「苦しむ」と訳す場合もあります。ほか、悩みのほうは、行動しづらい悩みの場合には「~しかねる」などで訳す場合もあります。


例文 勢多(せた)の橋みな崩れて、渡りわづらふ。(更級)

訳1 勢多の橋はみな崩れて、(川を)渡るのに困る(「苦労する」でも良い)。 (文英堂・河合)

文英堂は「橋は」・「困る」、

河合は「橋が」・「苦労する」、


このように、訳が微妙に違っても良い。


例文 少将、病にいたうわづらひて、すこしおこたりて、(大和物語)

訳 少将は、病気でたいそう患って(わずらって)、少し治って、


桐原書店は「わづらふ」を扱っていない。



つきづきし(付き付きし)

現代語の「似つかわしい」の「つか」と発音が似ているので、そこからコジツケて覚えましょう。


意味 似つかわしい・ふさわしい

例文 いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持て渡るも、いとつきづきし。(枕)

訳 とても寒いときに、火(炭火)を急いでおこして、炭を持っていくのも、たいそう(冬の朝に)似つかわしい。


なので、「つきなし」は、「似つかわしくない」の意味です。



こころづきなし(心づきなし)

意味 気が進まない、面白くない。


心がついていかない、という意味合い。

上記の「つきづきし」と関連付けて覚えましょう。

例文 …、「例の、心なしの、かかるわざをして、さいなまるるこそ、いと心づきなけれ。…(源氏・若紫)

訳 、…「いつものように、心得の悪い子が、このような事をして、怒られるのも、とても困ったことで面白くないわね。…


こころにくし(心にくし・心憎し)


「奥ゆかしい」「立派だ」「上品だ」の意味です。

現代語でも、昭和の古い言い回しですが「にくいね~」なんていう言い回しに、名残がありました。

憎悪の気持ちは含まれません(三省堂)


嫉妬心を抱くくらいに、相手が優れている、というような意味合いだと考えられています(桐原・三省堂)。

英語で言う envy エンビーみたいな。


例文 木立、前栽(せんざい)など、なべての所に似ず、いとのどかに心にくく住みなし給へり、(源氏)

訳 (六条御息所(みやすんどころ)邸は)木立や、植え込みなど、普通の家とは違って、たいそうゆったりと奥ゆかしくお住まいでいらっしゃる。

数研・文英堂


例文 うちある調度品も昔覚えてやすらかんるこそ、心にくしと見ゆれ。(徒然・十段)

訳 ちょっと(置いて)ある調度品も昔が思い出されて(=古風で)落ち着いた感じがするのが、奥ゆかしいと見える。

桐原・駿台


こころもとなし(心もとなし、心許無し)

イメージ 心が落ち着かない様子です。

意味 1. じれったい・待ち遠しい。 2.気がかりだ・心配だ 3. ぼんやりしている


例文 心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。(奥の細道)

訳 落ち着かない日々が重なるうちに、白河の関にさしかかり、旅の覚悟が決まった。


例文 (梨の)花びらの端に、をかしき匂ひこそ、心もとなうつきためれ。(枕・木の花は)

訳 (梨の)花びらの端に、趣き深い色つやが、ぼんやりとついているようだ。


おぼつかなし(朧つか甚し、覚束なし)


まず、現代語の「おぼろ月夜」などを覚えましょう。

現代語でも「おぼろげ」というように、「おぼろ」とは、はっきりしない、ぼんやりとした感じです。


意味 1.ぼんやりとした 2.不安だ 3.待ち遠しい


「不安」と「待ち遠しい」の関係は、なんだか「こころもとなし」と似ていますので、関連させて覚えましょう。

語源的には無関係ですが、思考回路が似ているので、関連させましょう

見た目の類似性だけではなく、数学みたいに思考回路の類似性に注目しましょう。


では、なぜ「ぼんやり」から、「こころもとなし」のような落ち着きのない感じになるのかを考えましょう。

現代語でも、「こんな(悪い)成績じゃあ、合格もおぼつかないよ」とか言うように、成功や安全の可能性が低いと、不安になります。

河合出版では、安全などの可能性がはっきりしないと不安になるのが「気がかりだ」「心配だ」の意味の由来だと言っています(河合)。


ともかく、これで不安を覚えられた。

「不安」だと、現代だと「失敗をおそれている」の意味ですが、字だけを見ると、単に「安定・安住していない」という直訳になります。

ウキウキ・ワクワクで落ち着かない場合でも、安定していないので、これで「こころもとなし」のように成ります。

以上をまとめると、

「おぼろ」→「ぼんやり」→「成功の可能性も、ぼんやりで不安」→「安定していない」→「落ち着かない。不安・待ち遠しい。こころもとなし」

と考えると、「ぼんやり」「不安」「待ち遠しい」の3つの意味があります。

「ぼんやり」を「はっきりしない」に書き換えて、これで完成

「おぼつかなし」意味を再掲すると、

意味 1.ぼんやりとした 2.不安だ 3.待ち遠しい


文英堂では「おぼつかなし」「こころもとなし」を同一のページで紹介しています。


事実上の類義語です。文英堂は明言していませんが。

数研も、「おぼつかなし」の脚注に「こころもとなし」「うしろめたし」があります。


桐原・三省堂に「おぼつかなし」は無い。


おぼろけなり

「波一通りだ」の意味と、まったく逆の「並々でない」「波一通りでない」の意味があります。


どちらの意味になるかは、文脈から判断します。

「おぼろ月夜」とは関係ありません。文英堂・桐原はむりやり関連づけていますが、しかし他社はその説を採用していません。


打消しの形の「おぼろけならず」という別の形容動詞があります。

「おぼろけならず」=「波一通りではない」「格別だ」「並々でない」の意味だけです(文英堂)。


まず、意味のはっきりしている「おぼろけならず」を覚えましょう。


そこから派生して、肯定形の「おぼろけなり」は例外的に、「波一通りだ」「波一通りではない」の両方の意味があると覚えましょう。

「おぼろけの」の形もあります(数研・河合)。


例文 おぼろけの願(ぐわん)によりてやあらむ、風も吹かず、よき日出で(いで)来て、漕ぎ(こぎ)行く。(文英堂)

訳 並々ではない願(/祈願(きがん))によってであろうか、風も吹かず、よい太陽も出てきて(よい日和となって)、(船を)漕いでいく。

文英堂(すばらしい太陽・舟)・桐原(よい日和・船)・数研(よい日和・船)


例文 「何事ぞ」と問ふに、泣くさまおぼろけならず。(宇治・巻九・三話)

訳 「どうしたのか」と聞くと(/尋ねるが)、(女の)泣く様子は、波一通りではない(/並々ではない)。

文英堂(尋ねるが・女の・並々ではない)・桐原(聞くと、波ひととおりではない)


単語集では、「何事ぞ」の「ぞ」の後ろに句読点の丸「。」 は無い。

小学校の国語では、たとえ分節中であっても、よく会話文の最後に句読点の丸を入れるが、しかし単語集ではそれを採用していない。


例文 おぼろけの紙はえ張るまじければ、もとめはべるなり。(枕・中納言まゐりたまひて)

訳 (すばらしい骨組みの扇に)普通の紙は貼る事が出来ないので。


駿台は巻末おくり。


類義語として「なのめなり」があります。


なのめなり(斜めなり)

「なのめ」は、「斜め」の意味だろうと考えられています。斜めはまっすぐではないので中途半端なので、そこから「普通だ」「ありきたりだ」とか「いいかげんだ」といった意味になったのでしょうか。


意味 1並ひととおりだ・普通だ・ありきたりだ 2.いいかげんだ 3.(鎌倉時代以降)並ひととおりではない・格別だ

文英堂に「ありきたりだ」の意味あり。


これも、打消し形の「なのめならず」で「格別だ」「並ひとおりではない」の意味があります。「なのめならず」はプラスの意味の「格別だ」に使います。そこが、「おぼろけなり」との違いです。

「なのめなり」では、反しあう「普通だ」「格別だ」の意味があり、さらに「なのめなり」独自の意味として「いいかげんだ」の意味があります。


おそらく、元々は「いいかげんだ」のようなマイナスの意味が、本来の意味でしょう。

そこから派生的に「普通だ」「格別だ」の意味が生じて、さらに派生的に、「おぼろけならず」と同様のメカニズムで「なのめならず」にも「格別だ」の意味が生じたのだと思います。


鎌倉時代以降は、打消しをともなわずに「なのめなり」で「格別だ」「並々だ」の意味を持つようになりました(文英堂)。


例文 なのめならむ人に見せむは惜しげなる。(源氏・東屋)

訳 (娘を)普通である(/波ひととおりの /並ひととおりである)男(/人)と結婚させるのは惜しい様子(惜しいよう)である。

文英堂(惜しい様子で)・桐原(惜しいようで)・河合(並ひととおりである・人)


例文 主(あるじ)なのめに喜びて、またなき者と思ひける。(文正)

訳 主人は格別に(/並ひととおりではなく)喜んで、またとない(/並ぶ者のない)優れた者だと思った。

数研(河合)・桐原(並ひととおりではなく)・河合(格別に)


例文 世をなのめに書きながしたることばの憎きこそ。(枕)

訳 世の中を(/世間を)いいかげんに書き流している言葉がいやだ(/憎いのである)。

文英堂(世の中を・いやだ)・河合(世間を・憎いのである)


こころざし(志、心ざし)


現代語の「志望」などの「こころざし」のように、「意向」などの意味があります。

ほか、「男女の愛情」の意味がある。


例文 「心ざしのまさらむにこそあはめ」と思うに、(大和・一四七段)

訳 (プロポーズしてきた2人の男のうち)(自分への)愛情が勝っているほう(の男性)と結婚しようと思い、

桐原「男性と」・文英堂「男の方と」


それとは別に、お礼・贈り物・謝礼、などの意味もあります(数研・文英堂)。


例文 いとはつらく見ゆれど、こころざしはせむとす。(土佐・二月一六日)

訳 たいそう(隣人の仕打ちが)薄情だと(白状に)思われるけど、お礼はしようと思う。

文英堂・数研・桐原

土佐日記の作者は、仕事の転勤で留守のあいだ、隣人に家の管理を任せてたが、隣人は荒れるに任せていた。


三省堂に、「こころざし」無し。


すさまじ(凄まじ、す冷まじ)

イメージ 現代語では「激しい」を意味しますが、入試ではその意味で使われることはめったにありません。ただし、鎌倉時代くらいから「ものすごい。激しい」の意味でも使われています。入試では平安時代のものが多く出るので、平安文学からの出題の場合は、「激しい」の選択肢は誤答です。

一節には、「冷」の字を当てていたという字があります(文英堂)。その説が本当か分かりませんが、暗記には便利なので、「す冷まじ」の表記で覚えましょう。冷めるイメージから、意味の「興ざめ」、「殺風景」のどちらとも導けます。


意味 1. 興ざめだ。 2. 殺風景だ。


例文 すさまじきもの。昼ほゆる犬、春の網代(あじろ)。(枕・すさまじき物)

訳 興ざめなもの。昼ほえる犬。春の網代。


例文 冬の夜の月は昔よりすさまじきものの例(ためし)にひかれて、 (更級日記)

訳 冬の夜の月は、昔から興ざめ(「殺風景な」でも良い)ものの例とあげられて、

※ 更級の「すさまじき」は単語集によって訳が違う。桐原は「興ざめ」、河合出版は「殺風景な」。


例文 影すさまじき暁月夜に、雪はやうやう降り積む。(源氏物語)

訳 光が明け方の月夜に、雪はだんだん降り積もっていく。


いみじ(忌みじ)

イメージ 程度のはなはだしい事を言う形容詞。善悪どちらにも使う。一説には、忌むほどに程度の並外れている「忌みじ」が語源だといわれています(三省堂、桐原の見解)。

意味 1.とても良い・すばらしい 2.とても悪い・ひどい 3. (連用形「いみじく」で)とても~・はなはだしく~


例文: 清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。(紫式部日記)

訳: 清少納言は、したり顔で、非常に困った人ですね。


例文 世は定めなきこそ、いみじけれ。(徒然)

訳 世は無常だからこそ、、すばらしい。


例文 あないみじ。犬を蔵人(くらうど)二人して打ち給ふ。死ぬべし。(枕)

訳 ああひどい。犬を蔵人が二人でお打ちになっている。死ぬだろう。


「あな」は感動を表す語で、「ああ・・・だなあ」の意味です。

あなかま

「あなかま」で、「ああ、うるさい」「しっ、静かに」の意味です(数研・桐原)。

このように、「あな+語幹」の形で用います。

形容詞「かまし」は、「やかましい」「うるさい」の意味です。


「あなかま」は「あな、かまし」の省略形で、「ああ、うるさい」が原義だ思われています。そこから、「静かに」の意味になったのだろう。


例文 あなかま、人に聞かすな(更級(桐原)、源氏物語・手習(河合))

訳 しっ静かに、人に聞かせるな。

桐原・三省堂。


「あな」には他にも「あなかしこ」で、「ああ、おそれ多い。(~するな)」と続けて禁止の表現をもつ用法もある(数研)。

この事と合わせて、「あなかま」は「うるさくするな」「やかましくするな」という禁止の意味合いもあるのでしょうか。



まめなりまめまめし


暗記的には「真実」「実用」のイメージ(マドンナ古文)だと、覚えやすい。真実・実用の両方とも「実」(ジツ・ミ)の字がある。「まめ」の「め」は、「実」のミの音と関連があるだろうという説がある。

「真実である」→ ※ 真実を「しんじつ」ではなくマミと読む →「マジメ(真面目)な人は、うそをつかずに真実を伝える」→「マジメだ」のように連想すれば覚えやすい。

あとは、真実の「実」の字から、実用の実を連想すればよい。


1.まじめだ 2. 実用的だ


例文 何をか奉らむ。まめまめしきものはまさかりなむ。(更級日記)

訳 何をさしあげようか。実用的なものは(あなたには)好ましくないでしょう。

※ このあと、親戚の叔母さんから、幼少時代の更級日記の作者が、『源氏物語』を受け取る。


例文 「思ふ人の、人にほめらるるは、いみじうれしき」など、まめまめしうのたまふもをかし。(枕草子)

訳 「思いを寄せている人が、他の人からほめられるのは、とてもうれしい」などとまじめにおっしゃるのもおもしろい。


例文 (少将起きて、)小舎人(こねどり)童(わらは)を走らせて、すなはち車にて、まめなるもの、さまざまにもて来たり。(大和)

訳 (少将は起きて、)小舎人童(=召使いの少年)を走らせて、すぐに、車(=牛車)で実用的なものを、いろいろと持ってきた。


なお、古語の「じちよう」(実用)は、「実直」の意味です。

伊勢物語に「まめでじちよう」で、浮気もしない男の話があります(数研・文英堂「まめなり」、三省堂「あだなり」)。

古語「実用」(じちよう)は「まじめで実直」という意味です。


例文 いとまめにじちようにて、あだなる心なかりせり。(伊勢・一〇三)

訳 (男は)たいそう真面目で実直で、浮気な心(/浮ついた心)はなかった、

数研(浮気な心)・文英堂(浮ついた)・三省堂「あだなり」(浮気な心)

ついでに「あだなり」も覚えましょう。


あだなり(徒なり)

イメージ 実質がない、スカスカのようなイメージです。また、「まめなり」の対義語のような感じもあります。実質がないので不まじめ。

例文 昔、女の、あだなる男の形見とておきたる物どもを見て、 (伊勢物語)

訳 昔、女が、浮気な男が形見として残した物などを見て


「はかない」の意味もあります。

例文 逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、(徒然)

訳 契らないで終わってしまったつらさを思い、はかない約束をなげき、

文英堂「かこつ」・数件「かこつ」


「あだなるもの」で「はかないもの」の意味です。

命とかが、「あだなる」なら、「はかない命」みたいな意味です。

また、比喩として、よく「露」が、そういう「はかないもの」の象徴として使われます。

つまり、命や露は、「あだなるもの」として語られる事があります(三省堂・桐原)。

露のほか、川などの水面にうかぶ泡(古語では「うたかた」)でも良い(文英堂)。


かこつ(託つ)

「他のせいにする ・ かこつける)」「不平を言う」 の意味。

「他のせいにする」の用法は、現代語の「かこつける」と同じような意味(数研・河合)。

暗記としては、不満・不平を言うときも、理由を他人のせいなど他のせいにする事から派生したと考えれば暗記しやすい。のが普通なので、まずは「他のせいにする」を覚えましょう。


名詞「かこと」があって、意味は「言い訳」「恨み言」である。一説には「かこと」の語源は「仮言(かりごと)」だと(桐原)。


例文 酔ひにかこちて、苦しげにもてなして。(源氏・藤裏葉)

訳 酔いにかこつけて、苦しそうに振る舞って。

数研・河合


例文 逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、(徒然)

訳 契らないで終わってしまったつらさを思い、はかない約束をなげき、

文英堂・数研


例文 虫の音(ね)かこがましく、遣水(やりみづ)の音のどかなり。

訳 虫の声が嘆いているようで(/恨みがましく)、遣り水(/庭の引き水)の音ものどかである。

桐原(嘆いているようで・遣り水)・文英堂(恨みがましく・庭の引き水)


「かことがまし」で、「恨みがましい・嘆いているようだ」の意味(桐原)。

駿台になし


かごと(託言)

「不平」「ぐち」「恨み言」および「言い訳」です。

おそらく、「かこつ」+「こと」で、「かこつける言葉」→「(不平不満などを)他人のせいにする言葉」のような経緯で、不平・恨み言、のような意味になったと考えられます。

ただし、それだと「言い訳」「口実」の意味が覚えられません。「べっ別に私の意志じゃないんだからね。〇〇だから仕方なくしたんだからねッ」みたいなのが「かごと」の「言い訳」「口実」でしょうか。

三国志の劉備とか曹操だって、天下取りをしたいだけなのに、黄巾党の反乱の鎮圧とかの口実の「かごと」が必要だったんだし、英雄には大義名分は必要なのだ。おまえが欲しいのは口実だろ。


数研・文英堂(「かごと」脚注)・桐原(「かごと」脚注)にあり。


三省堂になし。


かごとがまし

で「恨みがましい」の意味です。


例文 虫の音かごとがましく、(徒然・四四)

訳 虫の鳴き声が恨みがましく

文英堂・河合。


「かごとばかり」は、「申し訳程度に」(「形ばかり」のようなニュアンス)の意味です(数研)。

「愚痴ばかり」の意味は無いです。

これもやはり、「べっ別に私の意志じゃないんだからね。〇〇だから仕方なくしたんだからねッ」みたいなののようです。


かる

「かる」は「離れる」の意味です。

ですが暗記としては、発音の似ている「わかれる」で覚えましょう。「別れる」→「人が離れる」と連想できます。

特に男女の縁が「疎遠になる」ときに用いられる。これも「男女が別れる」との連想で、覚えられます。

なお、「枯れる」の意味の「枯る」(かる)との掛詞(かけことば)になる事も多い。


意味 離れる


例文 あひ思はでかれぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消え果てぬめる(伊勢)

訳 互いに思うことなく、離れてしまった人を引き止められず、わが身は今にも消えてしまいそうです。


※ 古今和歌集の(山里は~)「人目も草もかれぬと思へば」は掛詞なので、やや特殊。なお、「人の訪れも絶えるし、草も枯れると思うと」の意味。


あくがる

「さまよい歩く」の意味です。

「がる」は古語「かる」が語源と考えられており、「かる」は「離れる」の意味です。


「本来いる場所から離れて、さまよい歩く」という感じでしょうか。

霊魂(生霊(いきりょう)も含む)に使う場合もあり、足がありませんので、その場合は「さまよい出る」と訳します。

例文 物思ふ人の魂(たま)は、げにあくがるるものになむありける。(源氏・葵)

訳 物思いをする人の魂は、本当にさまよい出るものである。

桐原(さまよい出る)・三省(さまよう)


「あこがれる」の意味は無いです。よく入試で、誤答の選択肢で「あこがれる」があります(文英堂)。

「うわの空になる」の意味もあります。


「心がひかれる」の意味もあります。

心が引かれたので、自分のもとに心が無い、心が離れている、と考えれば、当然です。

例文 いみじうあくがれ、せむかたなし。(枕)

訳 とても心ひかれて、どうしようもない。

三省堂・数研

単語10

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うつろふ(移ろふ)


イメージ 移動する、移り変わるの意味もありますが、古語では「色あせる」「植物が枯れる」意味もあります。諸行無常のようなイメージを考えると「色あせる」「枯れる」も覚えやすいでしょう。「無常」の字をよく見てください。「無常」ではなく「無常」です。変化していくという意味です。時代の変化とは、古い者の死を意味するのです。古い人が死んだり引退したりして、新しい時代が起きるのです。


例文 桜ははかなきものにて、かくほどなくうつろひて候ふなり。(宇治)

訳 桜ははかないものなので、このようにすぐに(間もなく)散るのです。

数研「間もなく」、河合「すぐに」


花が「うつろふ」場合、花が「色あせる」意味なのか、それとも「散る」の意味なのか、2通りあります。

しかし桜が「うつろふ」場合、古文では「散る」の意味です。なぜなら、そういう表現が、古代・中世の貴族たちの流行だからです。


例文 例よりかはひきつくろひて書きて、うつろひたる菊にさしたり。(蜻蛉・上巻)

訳 いつもよりかは整えて(手紙を)書いて、色あせた菊にさした。

※ 貴族の妻が、他の女性に浮気している夫に手紙を書くシーン。

これは、夫の心移りの意味の「うつろふ」と、花の「色あせる」意味の「うつろふ」とを、重ねています(数研)。

これを知っていると、「うつろふ」の2つの意味を覚えられるので、この例文には目を通しましょう。


例文 菊の花のうつろへるを折りて、男のもとへやる。(伊勢・十八)

訳 菊の花の色あせたのを折って、男のもとへやる。

文英堂・河合


「心移りする」の意味もあります。

例文 (桐壺(きりつぼ)帝は)おのづから(藤壺(ふじつぼ)に)御心うつろひて、こよなうお思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。(源氏)

訳 (桐壺(きりつぼ)帝は)自然と(藤壺(ふじつぼ)に)心移りして、この上なくお気持ちが慰められるようであるのも、しみじみと感じられる。

三省堂・文英堂


やる

「送る」とか「人を送る」とかの意味です。現代でも「使いをやる」とか言います。


例文 人のがり いふべき事ありて、文をやるとて、(徒然。二三段)

訳 ある人の所へ言う必要あることがあって、手紙を送るって、

桐原・河合


例文 菊の花のうつろへるを折りて、男のもとへやる。(伊勢・十八)

訳 菊の花の色あせたのを折って、男のもとへやる。

文英堂・河合 (※ うつろふ)


同音異義語で古語「やらず」で。「~しきれずに」の意味があります。

例文 言ひもやらず、むせかへりたまふほどに、夜も更けぬ。(源氏・桐壺)

訳 言いきれずに(/ 言い終わりもせず/ 言うことも無く、(涙で)むせかえっているうちに(/むせび泣いているうちに)、夜も更けてしまった。

三省堂・河合・文英堂


あからさま

語源に諸説あります。

「あから」が、「まばたきをする一瞬」の意味である古語「あかる」であるとする説(桐原)。

これで覚えましょう。

意味 かりそめに。一時的に。ほんのちょっと。

古語の「あからさま」はほんの一瞬の間のことを表します。

現代語の「はっきりとした」とは違います。なので、選択問題で「露骨だ」「はっきりした」とあれば誤答です(文英堂)。


古語では「あからさまに」という連用形で用いる事が多い。

※ 現代語での意味は、近世から。(河合出版『春つぐる古文単語480改訂版』)

もう一つの説で、「離れる」を意味する「かる」とする説がありますが(数研)、理解しづらい。「あかる」を「離れる」という意味の「かる」の別表記とする説もあります(文英堂)。


例文 おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思いしかども、今すでに、五年(いつとせ)を経たり。(方丈記)

訳 だいたい、ここに住みはじめた時は、ほんの一時的な事と思っていたが、もうすでに、5年たっている。


類義語 「かりそめなり」:意味 ほんの一時的に。ちょっと。


「あからさま」は単語集では、「ほんのちょっと」「ちょっとの間」の意味ばかり紹介されますが(桐原・数研「ちょっとの間」)、しかし「急に」の意味もあります(三省堂)。

語源から考えれば分かるように、普通、時間的な「ちょっと」のことを言います。なので、「ちょっとの間」「少しの間」のような、時間の意味を感じさせる訳で覚えると良いかと思います。


「ちょっとの間」も「急に」も、短期間のあいだの出来事を言っているという共通点があります


おろかなり(疎かなり)

イメージ まず現代語の「おろそか」で覚えましょう。そこから派生して、「愚か」の意味も生まれましたが、愚かの意味は鎌倉時代からです(出典: 文英堂の単語集より)。※ 入試では、「愚か」の意味はあまり狙われない。


意味 1. おろそか。いい加減だ。 2. 言い尽くせない。


例文 帝(みかど)の御使いを、いかでかおろかにせむ。(竹取・御狩のみゆき)

訳 帝からの使者を、どうしておろそかに(いい加減に)もてなすでしょうか。(※ 「いや、いい加減にはもてなさない」という意味の反語)


例文 わずかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はや(徒然・九二)

訳 たった二本の矢しかないのに、どうして師の前で一本をおろそかに(いい加減に)しようと思うだろうか。


訳 帝からの使者を、どうしておろそかに(いい加減に)もてなすでしょうか。(※ 「いや、いい加減にはもてなさない」という意味の反語)


例文 恐ろしなんどもおろかなり。(平家)

訳 恐ろしいなどという言葉では言い尽くせない。


とみなり(頓なり)

現代では滅多に使わない表現ですが、急死のことを「頓死」(とんし)ともいうように、名詞「頓」には「急だ」「突然だ」の意味もあります。

また、「とみの」で「急な」「急の」の意味になる連語です(河合・三省堂)。「とみ」に格助詞「の」がついた形だが、だからといって複数の品詞の合成された慣用句のようなものとしてみるよりも、「とみの」で一個の単語のような形容詞のようなものとして覚えるほうが早いだろう。というか、そもそもそういう、文法的には複数の品詞からなる合成語だが、事実上はまるで一つの単語のように扱われる語句のまとまりの事を「連語」という。

連用形「とみに」も副詞化して「急に」「すぐに」の意味で使われます(文英堂・桐原)。文英堂も桐原も、けっして「副詞のような働き」ではなく、堂々と「とみに」は副詞だと明言しています。


意味 急だ。突然だ。

例文 十二月(しはす)ばかりに、とみのことで、御文あり。(伊勢・八四)

訳 十二月ごろに、急なことで、(母から)お手紙がある。


駿台に「とみなり」は無い。


「とみにも ~ず(動詞の打消し)」または「とみには ~ず」で、「すぐには~しない」「急には~しない」の意味です(三省堂・文英堂)。「とみにも」「とみには」の和訳は、「すぐには」でも「急には」でも、どちらでも良い(桐原)。


類義語として、「ゆくりなし」「うちつけなり」「にはかなり」があり、すべて「突然だ」の意味を持ちます。


うちつけなり

動詞「打ち付く」から生じたと考えられています。単語集では、「釘打ちのように、何かを打ち付けるように突然なさまを表しています」などと言われる。だが、なぜ打ち付けるのが突然なのか意味不明です。

現代語「ぶしつけ」は名残だろうか。なお、現代語「ぶしつけ」は「無礼・無作法」という意味。「うちつけ」とは意味が異なる。


意味 1.突然だ 2.軽率だ

例文 うちつけに海は鏡の面のごとなりぬれば、(土佐日記・二月五日)

訳 突然に、海は鏡の面のように(静かに)なったので、

文英堂・数研

例文 ものや言ひ寄らましと思(おぼ)せど、うちつけに思さむと、心恥づかしくて、やすらひたまう。(源氏・末摘花)

訳 (源氏は姫君に)何か言って近づこうと思うが、軽率だとお思うになるだろうと、気が引けて、ためらいなさる。


あやにくなり


現代語「あいにく」の語源です。「都合が悪い」「不都合だ」の意味があります。

現代語でも「あいにくの雨」とか言いますが、その元になった語です(桐原)。

しかし、古語では、「あやにくなり」には、「不都合だ」の他にも「ひどい」「意地が悪い」の意味があります。


感嘆詞「あや」に、「憎い」(=ここでは「ひどい、意地悪」の意味)がついた形だろうと思われています。


例文 さらに知らぬ由を申ししに、あやにくに強ひ給ひしことなど言ひて、(枕)

訳 (清少納言の場所を)まったく知らない旨を申し上げたが、意地悪く(/ひどく)強要しなさった(無理強い(むりじい)なさった)ことなどを話して(言って)、


文英堂・数研(意地悪く、無理強い、言って)


例文 時雨(しぐれ)といふばかりにもあらず、あやにくにあるに、なほ出でむとす。(蜻蛉・上巻)

訳 時雨というほどでも(/程度でも)ないが(/なく)、不都合にも(/あいにく)雨が降るのだが(/振ってきたのだが)、(夫は)やはり出かけようと(/出て行こうと)する。

文英堂(程度でもなく)・桐原(ほどでも・あいにく)

「あやにくにあるに」には雨が書かれていませんが、前の文に「時雨」とあるので、単語集の訳では意訳をして「雨が降るのだが」とか「振ってきたのだが」などと訳されています。


なめし

語源については諸説ありますが、現代語でも相手を見下すことを「なめる」と動詞で言いますが、この現代語「なめる」と似たような意味で、「なめし」は「無礼だ」の意味の形容詞です。

冗談と思えそうな現代語とのコジツケですが、どの単語集にも、このコジツケが書いてあります(文英堂・桐原・三省堂・河合・数研・駿台)。


意味 無礼だ・無作法だ

例文 文(ふみ)言葉(ことば)なめき人こそ、いと憎けれ。(枕草子)

訳 手紙の言葉の無礼な(無作法な)人は、たいそう感じが悪い。

数研「無礼」、河合「無作法」 

桐原・三省堂ともに「無礼」を採用。

河合・文英堂が「無作法」を紹介。


かしづく

イメージ 一説には「頭(かしら)づく」が変化した語とも言われており、頭を地につけるほど大切に育てるという意味になったと言われています。

古文では普通、親が子を大切に育てる場面で使われます(三省堂、河合)。

実の親だけでなく乳母(めのと)などが育てる場合にも使えます(桐原)。父親が娘を育てることに使われる場合もあり、その場合は、経済的な後見人のような意味合いの場合もあります(文英堂)。


意味 大切に育てる。大切に世話をする。

例文 親たちかしづき給ふことかぎりなし。(堤中納言・虫めづる姫君)

訳 親たちが(姫君を)大切に育てること、この上ない。

文英堂・桐原


例文 この少将をばよき婿(むこ)とてかしづき(宇治・巻2・8話)

訳 この少将を、よい婿として、大切に育て

河合「良い」・桐原「よい」


かづく

イメージ かぶるの意味もありますが、別の意味として、貴人が服を脱いで褒美として与えるという意味でもよく使われます。「水に潜る」という意味もあります。水をかぶることから派生したのでしょう。


例文 足鼎(あしがなへ)を取りて、頭(かしら)にかづきたれば、(徒然・五三)

訳 足つきの鼎(かなえ)を取って、頭にかぶったところ、

例文 (中納言は)御衣(おほんぞ)脱ぎてかげつ給うつ。(竹取)

訳 (中納言は)御衣を脱いで(褒美として)与えなさった。


例文 大将の君、御衣(おんぞ)ぬぎてかづけたまふ。(源氏)

訳 大将の君は、御衣を脱いで(褒美として)与えなさった。


例文 (左大臣から)大将も物かづき、忠岑(ただみね)も禄(ろく)たまはりなどしけり。(大和)

訳 (左大臣から)大将も物をいただき、忠岑も録をいただくなどした。


例文 録に大袿(おほうちき)かづきて、(大和物語)

訳 褒美に大袿をいただいて、

※ 「大袿」は服の一種。


例文 ののしりて郎等(らうたふ)までにものかづけたり。(土佐日記)

訳 大騒ぎして、郎等(ろうとう)にまで褒美を与えた。


例文 かづけどもかづけども、月おぼろにて見えざりけり。(平家物語)

訳 (身投げした小宰相(こざいしょう)を探しに)もぐっても、もぐっても、月がぼんやりして見えなかった。



ことわる

動詞

イメージ 現代語の「理」(ことわり)のように、「判断する」「説明する」の意味です。事を割るので、筋道をはっきりさせること。

意味 1. 判断する理解する。 2. 説明する。

例文 これはいかに。とくことわれ。(枕草子)

訳 これはどういうことか。説明せよ。


例文: それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりゐたらむは、いでやさまでこころは得じ。(紫式部日記)

訳:それほどの歌人でも、人が詠んだ歌を、非難し批評していたようだが、どうだろう、そこまで歌の心は持っていないだろう。


ことわり(理)

名詞

イメージ 現代語でいう「道理」のこと。

意味 道理。

例文 我を知らずして、外を知るといふことわりあるべからず。(徒然草)

訳 自分を知らないで、他人を知るという道理があるはずがない。


例文 沙羅双樹(しやらさうじゅ)の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

訳 沙羅双樹の花の色は、盛れる者も必ず衰えるという道理を表している。


わりなし(理なし)

わり、は、理(ことわり)でしょう。

意味 1 道理に合わない、どうにもならない。無理だ。 2 つらい


「道理に合わない」、「無理」は、「理なし」の字を見れば、納得できます。

無理なことは「つらい」、として、2つ目の意味も覚えましょう。

例文 ほど経ば、すこしうちまぎるることもやと、待ち過ぐす月日にそえて、いと忍びがたきは、わりなきわざになむ。(源氏)

訳 時間が経てば、すこしは気が紛れる事もあるだろうと、待っているのだが、とても辛くて我慢できない気持ちになって、どうにもならない困った状態だ。


おきつ(掟つ)

イメージ 語源は「おき」(「置き」のような意味)+「つ」だと考えられています。前もって、「計画する」「きめておく」という意味が、本来の意味だろうと考えられています(数研・三省堂)。

そこから派生的に「指図する」「命令する」などの意味が生まれたと考えられています。現代語の「 掟 」(おきて)の語源だろうと考えられています。


意味 1.決めておく。2. 指図する・命令する。

例文 高名(かうみやう)の木登りといひし男、人をおきてて、高き木に登せて(のぼせて)、梢(こずえ)を切らせしに、(徒然草)

訳 高名の木登りと言った男が、人を指図して、高い木に登らせて、梢を切らせた時に、


おくる(後る・遅る)

イメージ 送ることではありません。「遅れる」ことです。古語の「おくる」には「遅れる」という意味もありますが、死に遅れる、先に死なれる、先立たれるという意味もあります。入試では、よく先立たれる意味のほうが狙わるようです。

何故か、古語では親の死にも、「おくる」を使います。荻窪で使っています(数研)。源氏物語でも使っています(三省堂)。

高齢夫婦や戦友の死でもないのに、子が親の死に「死に遅れる」というと、なんかヘンなので、親の死には「先立たれる」と訳しましょう。


意味 1. 先立たれる・死に遅れる。 2. 遅れる。後に残る。


例文 故姫君は、十ばかりにて殿におくれ給ひしほど、(源氏・若紫)

訳 なくなった姫君は、十歳ばかりで父君に先立たれなさったとき、


例文 遅れて咲く桜二本ぞいとおもしろき。 (源氏)

訳 遅れて咲く桜が二本、とても趣きぶかい。


例文 童(わらは)などもおくれて。(源氏物語・東屋)

訳 童女などもあとに残って。


いそぎ

イメージ 現代語の「急ぐ」の名詞形と同じ意味もありますが、古語では「準備」の意味もあります。文脈に合わせて選びましょう。

※ 「必要になったら、急いで事を起こせるように、今から準備する」というように、関連付けて覚えよう。

意味 1. 準備。 2.急ぎ。


例文 (十二月には)公事(くじ)どもしげく、春の急ぎにとり重ねて催し(もよおし)行はるるさまぞ、いみじきや。(徒然・十九)

訳 (十二月は)宮中の行事も頻繁で、新春の準備とも重なって、催しが行われる有様は、たいそうなものだ。


おこなふ(行ふ)

イメージ 仏道修行の意味でも「おこなう」が使われることもありますが、仏道や修行とは無関係になにかを行う場合にも「おこなう」が使われることもあります。

※ 現代語の漢字の勉強ですが、「修行」をあやまって学業などの「修業」と書き間違える不注意ミスがよくあるようです。気をつけましょう。

修行や勤行(ごんぎょう)に「行」(おこなウ)の字があるので、覚えやすいと思います。


意味 1. 仏道修行する。 2. なにかを行う

例文 ただこの西面(にしおもて)にしも、持仏(どうつ)据ゑ奉りておこなふ人は尼なりけり。(『源氏物語』)

訳 ちょうどこの西向きの部屋で、持仏を据え申しあげて勤行をする人は尼であった。

※ 「勤行をする人」と訳さずに単に「仏道修行する人」のように訳してもいい。三省堂の単語集がそうである。つまり、(~前略)「仏道修行する人は尼であった」のように訳してもいいということ。


例文 左右の大臣に世の政をおこなうべきよし、(大鏡)

訳 左右の大臣(左大臣と右大臣)に、政治を行いなさいと、


関連して「法」(ほう)を覚えましょう。

「法をおこなう」みたいな文章が出た場合、ここでいう法は、法律ではなく、仏教のことです。現代語でも、死者のなくなったあとの数日後~数か月後に親族のあつまっておこなう儀式を「法事」と言います。

仏教の文脈での「法」では、法事だけでなく、仏教に関することの全般ですので、「仏事」「仏教」とでも訳しましょう。新共通テストなら選択肢が与えられているので、細かく考える必要はありません。


ならふ(慣らふ、馴らふ)

現代語の「学ぶ」の意味の場合もありますが、「慣れる」の場合もあります。

「学習」というように、「学ぶ」と「習う」の関連で、「学ぶ」の意味の方を覚えましょう。

意味 1.慣れる。 2. 学ぶ。


例文 ならはぬひなの住まひこそ、かねて思ふもかひなしけれ。(平家物語)

訳 慣れない田舎の暮らしを、あらかじめ想像するのは悲しい。

数研・駿台


例文 男も、(船旅に)ならはぬは、いとも心細し。(土佐日記)

訳 男も、船旅に慣れていない者は、たいそう心細い。

駿台・ほか


例文 法華経五の巻、とくならへ。 (更級)

訳 法華経の五巻を早く習いなさい。

数研


名詞「ならひ」=「習慣・ならわし」


なお、漢字の「習」の語源は、「羽」の字があるように、鳥が飛ぶために はばたきつづける様子のことで、「くりかえし」を意味します。


まもる(守る)

イメージ 目の毛を「まつげ」というように、「ま」には目の意味があります。

意味 見つめる


例文 奏したまふに、おもてのみまもらせまうて、ものものたまはず。(大和・一五二)

訳 申し上げなさると、(帝は大納言の)顔ばかりを見つめて、ものもおっしゃらない。

(帝の自慢の鷹が逃げてしまったという報告を受けた帝の反応です。)


奏す(そうす)

「奏す」(そうす)は、天皇・上皇に「申し上げる」ことを言う、最高敬語の謙譲語です。


例文 中将、人々引き具して帰り参り(まゐり)て、かぐや姫をえ戦ひ留めずなりぬる事を細々(こまごま)と奏す。(竹取・かぐや姫の昇天)

訳 中将は、人々(=兵士など)を引きつれ(宮中に/帝の御前に)帰り参上した。かぐや姫を引き留めるために戦うことが出来なかった事を、こまかく(帝に)申し上げた。

文英堂(帝の御前に)・中学校国語 古文/竹取物語(宮中に)


啓す

なお、皇后・中宮・皇太子に「申し上げる」には、「啓す」(けいす)という敬語の謙譲語になります。

例文 「よきに奏したまへ、啓したまへ」 枕

訳 「よろしく帝に申し上げてください。皇后さま・中宮さまにも申し上げてください。」

三省堂・河合・駿台


例文 御前に参りて、ありつるやう啓すれば、(枕・大進生昌が家に)

訳 御前に参上して、さきほどの様子を中宮に申し上げれば、

駿台・桐原


うつつ(現)

イメージ 現代語でも古風ですが「うつつ」という表現があり、「現実」を意味します。それとは別に古語では「うつつ」で「正気」を意味する用法もあります。

まず、「現実」の意味を覚えましょう。正気でない人は、現実が見えてない人なので、裏を返せば現実が見えている人は正気、という類推で、正気のほうも覚えられる。

なお、正気でないことを古語では「うつつなし」と言います。こんなところにも現代語の「正気でない」の語源がありそうです。正気は、有り無しで考えるという古語と現代語の共通点。

「うつつ」の対義語は「夢」です。

「現実」の意味を「夢」の対義語と考えれば、「現実」と「正気」の両方には、意識のある状態という共通点があります。


意味 1.現実 2.正気


例文 夢かうつつか寝てかさめてか(伊勢物語・六九)

訳 夢か現実か、寝ていたのか目覚めていたのか。


例文 うつつの人の乗りたるとなむ、さらに見えぬ。(枕草子)

訳 (たくさんの花が飾り立てられた牛車に対して)正気の人が乗ってるとは、とても思えない。


よばふ(呼ばふ)

イメージ 「~ふ」には、「~しつづける」という意味の反復・継続を表す助動詞で、奈良時代の助動詞です。よって「よばふ」とは、「呼び続ける」というのが元の意味です。同様、「語らふ」は「語りつづける」だし、「住まふ」は「住み続ける」の意味です。「呼ばふ」は求婚などにも用いられます。しかし、単に呼び続けている場合もありますので、文脈から判断してください。

意味 1.求婚する 2.呼び続ける

例文 (かわいい女性だったので)よばふ人もいと多かりけれど、返りごともせざりけり。(大和・一四二)

訳 求婚する人もとても多かったけれど、(女は)返事もしなかった。


例文 後ろよりよばひて、馬を馳せて来る者あり。(宇治)

訳 後ろから呼び続けて、馬を走らせて来る者がいる。


かたらふ(語らふ)

「語り続ける」がもとの意味ですが、それから派生した意味として、「親しくつきあう」や「説得する」など幾つかの意味があります。

例文 女どちも、契り深くてかたらふ人の、末まで仲よき人かたし。(枕草子)

訳 女どうしでも、約束が深くて親しくしている人で、最後まで仲のよい人はめったにいない。


かたし(難し) 河合出版だと、「かたし」(難し)のほうで、上記の「契り深くて」の例文がある。「かたし」は、「めったにない」「難しい」の意味。

「かたし」は、「ありがたし」のように「連用形」+「かたし(がたし)」の場合もある(数研・河合)。

イメージとしては、「滅多にない事は、実現するのが難しい」ので、「難しい」「めったにない」の意味があると覚えれば良いだろう。


「かたし」のある単語集は少なく、三省堂・数研・河合しか扱っていない。


古語「ありがたし」も、「めったにない」の意味です(三省堂)。


ありがたし(有り難し)

例文 ありがたきもの。舅(しうと)に褒めらるる婿。(枕・ありがたき物)

訳 めったにないもの。舅に褒められる婿(むこ)。

三省堂・河合・桐原


舅(現代語では「しゅうと」と読む)とは、夫婦において、結婚相手の父で、自分とは血のつながってないほうの義理の父親のこと。つまり、妻の父(数研・桐原)。

桐原・文英堂は、現代語の「しゅうと」の読みも紹介。常識として覚えておけよ、という見解か。


「ありがたし」の感謝の意味は、江戸時代から(文英堂)。

古文の入試では、平安など古い時代の文章が多いので、そのような時代の文の場合は、選択問題にある感謝の意味の選択肢は誤りとなる。ただし、江戸時代の文が出ることもある。


あさまし

イメージ 「驚きあきれる」ような意味ですが、文脈によっては派生的に「嘆かわしい」のような意味の場合もあります。必ずしも批判的に見ているとはかぎらず、感心している場合でも使われます。


例文 物のあはれも知らずなり行くなんあさましき。(徒然草・七)

訳 ものの情趣も分からなくなっていくが、情けない。

なお、「あはれ」の語源は、「ああ、はれ」という感嘆です。しみじみとした感動を表す感嘆が「ああ、はれ」でした。それが縮んで名詞化して「あはれ」になりました。


例文 このいたる犬のふるひわななきて、涙をただおとしにおとすに、いとあさまし。(枕草子・上にさぶらふ御猫は)

訳 この座っていた犬がぶるぶると震えて、涙をただ落としに落とすので、たいそう驚いた。


例文 あさましう犬などもかかる心あるものなりけり。(枕草子・上にさぶらふ御猫は)

訳 (前述の犬が震えて涙を落とす話を聞いて、帝が言うには、)意外に、犬なども、このような心があるものだなあ。


例文 あさましきそらごとにてありければ、はよ返したまへ。(竹取・蓬莱の玉の枝)

訳 あきれるほどの嘘であったので、早く返してください。

※ かぐや姫の求婚の条件として庫持(くらもち)の皇子が渡した蓬莱(ほうらい)の玉の枝が、偽物であった場面。

単語15

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ものす(物す)

イメージ 英語の do のようなものです。「何かをする」のような意味です。文脈から何をするのかを判断します。いろいろな動詞の代わりに使われます。日本語文法的には代動詞とも言います。


例文 さる御文をだにものせさせ給へ。(落窪物語)

訳 そのようなお手紙だけでもお書きください(または「お出しください」など)。


例文 中将はいづこよりものしつるぞ。(源氏物語)

訳 中将はどこから来たのか。


だに


意味は、「~さえ」「せめて~だけでも」「~だけでも」などの意味の副助詞。


語源としては、もともとは「せめて~だけでも」という最小限の希望・願望・命令の意味だったが(数研、コトバンク)、時代が経つにつれて「~さえ」など類推の追加されていった。

類推の「~さえ」は、和訳の都合で「さえ」とだけあるが、実際は「~さえ無いのだから、ましてそれ以上のものは、もっとない」のような内容である。意味的には「小さい結果しか得られないので、それよりも大きい前提を必要とする仮説は成り立たず、よってありえないだろう」式の類推。

ほかの用法で、限定「~だけでも」の意味もある。


例文 光やあると見るに、蛍ばかりの光だになし(竹取・仏の御石の鉢)

訳 (かぐや姫が)光があるかと(思って)見るに、蛍ほどの光さえない。 (まして、月の光や灯などはもっとない)

河合・駿台・数研「だに」コラム・文英堂巻末


例文 仏だによくかきたてまつらば、百千の家もいできなむ。

訳 、仏だけでも(仏さえ)上手に描き申し上げれば、百や千の家も建てられる。

河合(仏だけでも・上手く)・高等学校国語総合/宇治拾遺物語(仏さえ)


ここの和訳の「仏だけでも」「仏さえ」は仮定である。

「だに」には、仮定の意味もある(数研・河合)。

まず、現代語の「さえ」に、上記のような仮定の意味がある事に気づこう。現代語の「さえ」には、類推の意味のほかにも、仮定の意味がある。

まず、この現代語「さえ」の2つの意味に気づかなければいけない。

なお、古語の助詞「さえ」というのもある。

「だに」に戻る。

例文 さる御文をだにものせさせ給へ。(落窪物語)

訳 そのようなお手紙だけでもお書きください(または「お出しください」など)。

和訳の文章だけ見ると「だけでも」がアリで、「せめて」はない。だが、内容が要望である。


ところせし(所狭し)

「窮屈だ」の意味です。

平仮名だけでは分かりづらいですが、当てた漢字の通り、「場所が狭い」が本来の意味です。そこから派生して心理状態をあらわす「窮屈だ」の意味が生じました(三省堂・河合)。

また、「大げさだ」の意味もあり、おそらく、大きすぎて あたりを狭く感じさせてしまう、といった由来でしょうか。


例文 ただ近き所なれば、車はところせし。(堤中納言物語・はいずみ)

訳 (行先は)すぐ近い所なので、車はおおげさだ(大げさだ)

数研「ほんの近所なので」「おおげさだ(※ 平仮名)」、三省堂「すぐ近い所なので」「大げさだ」、文英堂「ひたすら近い所なので」「牛車は」

このように、細かい訳は違っても良い。

類義語として、

こちたし、 ことごとし

おどろおどろし、

などがあります。


おどろおどろし

「驚く」「驚く」と驚くを2回重ねた語で、「大げさだ」の意味です。

「気味が悪い」の意味もあります。


例文 夜いたくふけて、門(かど)をいたうおどろおどろしくたたけば、(枕)

訳 夜がひどく(たいそう)ふけて、門をひどく(とても)大げさに叩くので

文英堂・数研・桐原


夜とか雨とかが「おどろおどろし」の場合、「気味が悪い」の意味の可能性が高いだろう。

例文 いとおどろおどろしくかき垂れ雨の降る夜(よ)、(大鏡)

訳 たいそう気味が悪く、激しく雨の降る夜

三省堂・河合 両方とも一致「たいそう気味が悪く、激しく雨の降る夜」


いはけなし

イメージ 「いはけ」は幼少という意味です。「いはけなし」でも幼少の意味です。ここでの「なし」は否定ではなく、「はなはだしい」を意味する古語です。「いとけなし」も同様に幼少の意味です。

「こちたし」の「たし」が強調の意味であるのと同様です。

ただし、古文単語の「〇〇なし」すべてが必ずしも強調とは限らず、否定・打消しの場合もあります。「つれなし」の「なし」は否定えす。

※ べつの説もあって、「なし」を否定の「なし」だとして、「悪気が無い」の意味から「幼少」という意味が生じたのだろうと主張する論者もいる(マドンナ古文の主張)。

意味 子供っぽい・あどけない


例文 (若紫が)いはけなくかいやりたる額(ひたい)つき、髪ざし、いみじううつくし。(源氏・若紫)

訳 (若紫が)子供っぽく(髪を)かきあげた額のようす、髪の生え際のあたりが、とてもかわいい。


つれなし(連れ無し)

イメージ 冷淡だとか平然とかの意味です。一説には「つれ」(連れ)とは周囲のもののことで、「つれなし」で周囲に感情が動かされないので、冷淡とか平然とかの意味になるのだろうと言われています。冷淡の意味は、現代語の「つれない」に近いかもしれません(数研出版の見解)。

また、変化がないことにも使われます。


意味 1. 冷淡だ・平然としている 2/ 変化が無い


冷淡な人は、良い反応が無いですが、「反応が無い」→「変化が無い」 とコジツケましょう。

人間以外でも、雪山などで変化が無い時にも使います。

例文 雪の山、つれなくて年も返りぬ。(枕)

訳 雪の山は、変化がないまま、(十二月から一月になり)年も改まった。

数研・文英堂

なお、駿台に「変化がない」の用法が無い。


冷淡な人は、反応がないと、単語集にはよく描かれますが、実際には、冷酷無慈悲な人は、なんの反応も無いとは限りませんので、イマイチな説明です。世界の暴虐君主が、なんの変化もせずにボーとしてくれていたら、どんなに世界は平和なものか。


例文 昔、男、つれなかりける女にいひやりける。(伊勢)

訳 昔、ある男が、(自分に)冷淡だった女に(歌を)詠んでおくった。

三省堂・文英堂・桐原


例文 左の中将のいとつれなく知らず顔にてゐまたまりしを、(枕草子)

訳 左の中将が、まったく平然とそ知らぬ顔で座っていらっしゃったのを、

文英堂・三省堂


おづ

「怖がる」の意味です。現代語の「おじけづく」です。

をぢなし

「なし」は強調の「なし」です。「こちたし」の「たし」が「いたし」が短縮したものなのと同じです。

「をぢ」の後が「たし」ではなく「なし」なのは、おそらく、なまった影響でしょう。

英語でも、 I want が I wanna となまったりします。ビートルズの歌でも、そういう歌があります。 「I Want To Hold Your Hand 」の歌で、want to の部分が。ウォントトゥではなくワナと略しています。

つまり、

「をぢなし」→「をぢたし」→「をぢ いたし」 と、ルートをさかのぼって覚えましょう。

さらに、そもそも語源は「をづ」ですから「をづ いたし」に到着すべきであり、上記のルートを修正しましょう。

「をぢなし」→「をづ いたし」→(want to みたいに、なまって)「をづ いなし」→(短縮して)「をづいなし」→「をぢなし」

とサイクルになり、元に戻ります。

「をづなし」をローマ字表記っぽく書くと、Wodzu itasi ですが、これをビートルズ流アイワナ式に「ウォヅィナシ」と短縮して読むのです。


「をじなし」で、直訳すると「とても怖がり」となりますが、訳は単に「こわがりだ」で十分です。


桐原・文英堂・三省堂・駿台に「おづ」「をぢなし」は無い。

扱っていない単語集のほうが多い。

数研・河合には、「おづ」がある。「をぢなし」があるのは数研だけ。


とし


「早い」の意味の形容詞ですl。現代語の口語の「とっとと」の語源とされている(文英堂)。

「とく」で副詞で「早く」の意味です。

古語「とくとくと」→現代語「とっとと」のように変化しました。


唱歌『仰げば尊し』の歌詞「思えばいととし」の「とし」も、この「とし」であり、「思えば早いものだ」の意味。


「すでに」「もう」という完了の意味もあります(文英堂)。

「時期の早いことは、すでに終わっている」という感じで覚えるのが事前でしょう。

現代語の「とっくに」と合わせて覚えるのも良いかも。


もともと上代には刃物などが「鋭い」の意味だった。それが鋭敏、機敏の意味になり、そして、中古以降は時間や速度の「早さ」「速さ」の意味になった(河合、数研)。

だから「刃物を研ぐ」の語源(数研)。現代語の「鋭敏」にも名残が見られる。



ありく

イメージ 「あちこち移動して回る」感じです。足で歩くとはかぎらず、舟や牛車での移動の場合もあります。さらには「飛びありく」の形で虫などが飛び回る場合もあります。このように、ほかの同士のあとについて「~して回る」「~し続ける」の意味の場合もあります。なお、足であるく場合は「あゆむ」です。

意味 1. 出歩く 2. ~しまわる 3. ~し続ける

例文 菰(こも)積みたる舟のありくこそ、いみじうおかしかりしか。(枕)

訳 海草を積んだ舟が動き回るのは、とても趣きぶかい。


例文 もし歩く(ありく)べきことあれば、自ら歩む(あゆむ)。(方丈記)

訳 もし、歩かなければならないことがあれば、自分の足で歩く(ことにする)。


例文 蛍のとびありきけるを(大和・四○段)

訳 蛍が飛び回っていたのを


例文 蚊の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。(枕草子)

訳 蚊が細い声で心細そうに鳴いているのも(=羽音を立てている)、顔のあたりを飛び回る(のも、気に食わない)。


例文 後ろ見ありき給ふめる。(源氏・東屋)

訳 世話をし続けてなさっているようだ。


おもしろし(面白し)


「趣(おもむき)深い」の意味です。

ですが、暗記法としては、ひとまず「美しい」の意味で覚えましょう(数研の語義、三省堂の例文訳に、「美しい」あり)。

まず、「面白」という字から、目の前がパッと開けるイメージを連想してください。単語集でも、それが説明されます。


目の前の話をしているのですから、視覚的な美しさの意味もあります。

例文 その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。(伊勢物語)

訳 その沢に、かきつばたが、たいそう美しく咲いていた。

三省堂「美しく」「咲いていた」、文英堂「すばらしく」「咲いている」

三省堂のように、「おもしろく」を美しくの意味と考える解釈もある。


現代語と同じ「楽しい」という意味もあります。源氏物語などの時代から既に使われています(文英堂)。


「白」という漢字から、雪の風情に使われる事もあります。

例文 雪のおもしろう降りたりし朝(あした)。(徒然)

訳 雪の趣深く降った翌朝。

河合出版


例文 おもしろき雪かな。いづかたへか向かふべき。(著聞集(ちょもんしゅう))

訳 趣深い雪だなあ。どこへ向かうのだろう。

数研 「趣がある雪」


「趣深い」の意味の場合、自然の美について使う事が多い(数研)。雪のほか、花の「かきつばた」も自然の美である。


なさけ

風流心の意味です。

現代語の「風情」(ふぜい)の字に、名残が見られます。

語源は動詞「なす」(何かを「する」の意味)+「け」(気配)ですが、しかし語源と意味が離れていますので、この場合の暗記テクニックでは、風情の字のほうを覚えましょう。


わたる(渡る)

現代語でいう「行く」(いく)の意味です。それとは別に、動詞の後に続いて、「~し続ける」や「一面に~」の意味もあります。

意味 1. 行く 2. ~し続ける 3.一面に~する


例文 船に乗るべき所へ渡る。(土佐日記)

訳 船に乗るはずの場所へ行く。


例文 女の、え得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、(伊勢物語)

訳 女で、手に入れられそうになかったのを(=妻にできそうで出来なかった女を)、(男は)何年ものあいだ求婚しつづけていたが、


例文 夕霧たちわたりて、いみじうをかしければ、(更級日記)

訳 夕霧が一面に立ちこめて、とても趣きがあるので、


さる

イメージ この「さる」は連体詞です。それを意味する代名詞「さ」に「あり」の連体形がつづいて、なまったものと考える場合もあります。

※ 単語集によっては、代名詞「さ」または動詞「さり」で掲載されている場合もあります。


意味 1.そのような 2.立派な・しかるべき


例文 さびしきけしき、さること侍りけむ。(徒然草)

訳 寂しい光景は、そのようなことでございましょう。


例文 頼政卿さる人にて、馬よりおり甲をぬいで、神輿を拝したてまつる。(平家物語)

訳 頼政卿は立派な人で、馬から降り甲をぬぎ、神輿を拝み申し上げる。


さるは

イメージ 古語「さるは」だけは「さる」や「さ」と違って、やや特殊です。色々な意味があります。


意味 1. そうとはいっても。そうではあるが。2. その上 3.それというのも実は


「そうではあるが」・「そうはいっても」の用法の場合、逆説的な内容が続きます。

「その上」の用法の場合、付加的な内容が続きます。


例文 うちとくまじきもの、えせ者。さるは、よしと人に言はるる人よりも、うらなくぞ見ゆる。(枕)

訳 心を許せない者、身分のひくい者、そうではあるが、立派だと言われる人よりも心の隔てがないように見える。

数研(油断できないもの、いやしい身分の者。)


身分が低くて立派でないと言われる人でも、心の隔てがないので、油断できない、と言った意味でしょうか。枕草子の著者ではないので、よく分かりません。

なお、原典では、このあと、この庶民の人々をほめるような内容が続きます。

どうも、現代語の「打ち解けない」とは、ややニュアンスが違うようです。

ネットで調べたところ、解釈に複数説があるらしい。

清少納言が、この文章の庶民を嫌っている説と、この文章の庶民をほめている説との、両方がある。なので、どちらの説かは、入試には出ないだろう。


さはれ

「どうにでもなれ」の意味の感嘆詞です。

「さばれ」の形の場合もあります(文英堂・桐原)。

「さはあれ」がつまった形の単語だとされています(三省堂・桐原)。

なお、ここでの「さ」(然)は「そう」の意味の副詞(三省堂・文英堂)。「は」は係助詞。それに動詞「あり」がついたもの。

語源は動詞ですが、「さはれ」は活用せずに感嘆詞として使います。


例文 げに遅うさへあらむは、いと取りどころなければ、さはれとて(枕)

訳 本当に(/確かに)(返歌が)遅くまでもあるようでは、たいして(/たいそう)取り柄が無いので。どうにでもなれと思って。

三省堂・文英堂


駿台は巻末おくり。


けしき(気色)

イメージ 現代語でいう「様子」のような意味があり、目で見てわかる様子の意味ですが、さらに「顔色」の意味もあります。

顔色の「色」の漢字と、気色の色の漢字との共通点で、「顔色」の意味も覚えましょう。


意味 1.様子 2.表情・顔色

例文 新大納言けしきかはりて、さっとたたれけるが、(平家物語)

訳 新大納言は顔色が変わって、(席を)さっとお立ちになったが、


例文 楫取り(かぢとり)「今日、風雲のけしきはなはだ悪し(あし)。」と言ひて、船出ださずなりぬ。(土佐日記)

訳 楫取りは「今日は、風や雲の様子がたいそう悪い」と言って、船を出さなかった。


けしきばむ

「それらしい様子が現れる」の意味(数研・桐原)。

現代語「汗ばむ」の「ばむ」と同じように、「ばむ」は何かが出てきたという意味。

けしきだつ

「けしきだつ」は「けしきばむ」と同じ。


うし(憂し)

語源は、現代語「うんざりする」の意味をもつ動詞「倦む(うむ)」とされています(数研、河合)。

イメージ 物事が思い通りにならず、憂鬱でつらい気持ちを表します。それとは別に、他の言葉の後ろについて「〜しづらい」を意味する用法もあります。

意味 1.つらい 2. 〜しづらい・〜したくない


例文 風いと涼しくて、帰りうく若き人々は思ひたり。(源氏)

訳 風がとても(たいそう)涼しくて、帰りたくない(帰るのが嫌だ)と若い人々は思っている。

単語集 数研


「ものうし」「こころうし(心うし)」など、接頭辞がついた形で出ることもあり、意味は「つらい」です。

文英堂は、「心うし」は、自分が情けなくてつらい時に使うと言っているが(文英堂)、しかし桐原書店の例文に反例があり(桐原)、矛盾している。

単に、語調をととのえる接頭辞つきの言葉として「心うし」などを覚えればよいだろう。


古語「うさ」は「つらさ」の意味です(数研)。

なお、古語「つらし」もあります。

数研出版だと、「うし」のページの脚注に「心うし」があるが、目次には無い。


つらし(辛し)

「薄情だ」「つらい」の意味です。

「つらい」の意味での類義語として古語「わびし」があります。


わびし(侘びし)

単語集では茶道には触れてないですが、茶道の「わびさび」は、「質素」のような意味です。

古語「わびし」には、「貧しい」のような意味もあります。

「貧乏でつらい」イメージが「わびし」とでも覚えると良いでしょう。そこから派生的に、茶道の「わびさび」の語も生まれたと考えると、覚えやすいでしょう。

「貧乏なので、物が無いし、飾りもない」みたいな不満のイメージから転じて「余計な飾りもないが、質実のともなっている」プラスのイメージの「わびさび」に転じたとでも考えれば、覚えやすいでしょうか。ただし、実際の茶道「わびさび」の語源がそうかは知りません。あくまで暗記のための説明です。

現代語にも一応は「わびしい」が残っており、貧しくて物足りない、のような意味です。


ぐす(具す)

現代語でも「具備」(ぐび)という言葉があり(河合出版)、それは、「備わっている(そなわっている)」という意味です。

ただ、備わっているだと、物のような感じですが、古語の「ぐす」は、人に「ついていく」の意味もあります。物が「備わっている」、物を「添える」の意味もあります。

カタコトですが、そえた対象が人なら、「つれていく」「ついていく」、そえた対象が物なら「備わる」「備える」「添える」のようになるでしょうか。


イメージ 「一緒に行く」のイメージです。「従う」の意味なら、従者は一緒に行く事が多いので。「連れていく」場合も、一緒に行きます。「持っていく」も同様。なお、漢語の「具」は、「そなわる」「そなわる」の意味です。

意味 1.従う・ついていく 2.連れていく・持っていく

例文 この僧に具して、山寺などへいなんと思ふ心つきぬ。

訳 この僧についていって、山寺などへ行こうという気持ちが出てきた。


物を「添える」の意味もあります。竹取物語の例文にあります。かぐや姫や月に帰る前の正気のときに残した手紙が、薬壺に添えてありました。

例文 かの奉る不死の薬壺(くすりつぼ)に文(ふみ)具して、御使(おほんつかひ)に賜はす(たまはす)

訳 あの(かぐや姫が)差し上げた不死の薬の角に手紙を添えて、お使いにお与えになる。

桐原

なお「ふみ」は手紙の意味の古文単語です。ほか、「消息」(せうそこ)という語も、手紙の意味です。


竹取物語には、他にも、道具を「備える」の意味の「具す」があります。

例文 飛ぶ車一つ具したり。(竹取・かぐや姫の昇天)

訳 (天人たちは)空飛ぶ車を一台備えている。


現代語の「具備」を覚えることが、暗記の近道でしょう。


せうそこ(消息)

「ショウソコ」と読む。

現代語とはやや意味が違います。

まず、「消息」の「消」は「死」、「息」は「生きる」です。

これだけだと安否のような構成ですし、語源も元々は「安否」の意味でしたが(数研・桐原)、しかし、すでに平安時代の「源氏物語」当たりの時代からもう意味はそうではなくなり、「手紙」「伝言」という意味に変わっています。

意味 1.手紙・伝言 2. ありさま

江戸時代になると、現代語の意味の「ありさま」の意味の消息も出てきます(数研)。卯月物語。


すまふ(争ふ・辞ふ)

イメージ 国技の「相撲」(すもう)の語源です。すもうは二人の男が抵抗しあう、とでも覚えましょう。

「つっぱねる」イメージです(文英堂)。相撲の技に、「つっぱり」があります。「辞退する」「断る」の意味も、現代語の「要求をつっぱねる」で理解できます。


意味 1.抵抗する 2.辞退する・断る

例文 女も卑しければ、すまふ力もなし。(伊勢・四○)

訳 女も卑しいので、(男の親に)抵抗する力もない。

例文 もとより歌の事は知らざりければ、すまひけれど、(伊勢・一○一)

訳 もとより歌のことは知らなかったので、辞退したけれど、


まねぶ(学ぶ)


名詞「まね」に「ぶ」がついて動詞になったものです。

現代語「学ぶ」の語源だろうと考えられています(文英堂)。源氏物語に、楽器を「習得する」という意味で「まねぶ」があるので(数研)、学ぶの語源だというのも妥当です。


意味 1.真似する 2.伝える・書き記す 3. 学ぶ・習得する


「伝える」の意味は、伝言ゲームを連想してください。余計な解釈を加えず、伝えるように頼まれた内容をそのまま「真似して」連絡してほしいので、だから「まねぶ」が伝えるの意味になったのでしょう(文英堂)。


例文 (オウムは)人の言ふらむことをまねぶらむよ。(枕)

訳 オウムは人の言うことを真似するらしいよ。


伝言だけでなく、事実報告にも使うようです(下記の例文)。

例文 かの御車の所争ひをまねびきこゆる人ありければ、(源氏)

訳 あのお車の場所争いを(光源氏に)伝えもうしあげる人がいたので、


伝言にも使います。(前後の文脈で、伝言だと分かる内容)

例文 かかることなまねびたまひそ。かたはなり(荻窪)

訳 このようなことを、(私の耳に)取次しないでください。見苦しい。


ねぶ


例文 にびたまふままに、ゆゆしきまでなりまさりたまふ御有様かな。(源氏・紅葉賀)

訳 (皇子(みこ)は)年を取りなさるにつれて(/成長しなさるにつれて)、恐ろしいほどまで美しくおなりになるご様子かな。

文英堂(成長しなさるにつれて)・桐原


例文 御年(おんとし)のほどよりはるかにねびさせ給ひて(平家・巻十一)

訳 お年の程度よりはるかに大人びていらっしゃって

桐原・河合


あく(飽く)

イメージ 十分に多いことに対する感想です。現代語ではマイナスの意味しかありませんが、古語ではプラスとマイナスの両方の意味がありますので文脈から判断します。


意味 1.満足する 2.嫌になる

例文 飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ)を過ぐすとも、一夜(ひとよ)の夢の心地こそせめ。(徒然草)

訳 満足せず、心残りだと思うならば、千年を過ごしたとしても、一夜の夢のような心地がするであろう。


例文 魚(いを)は水に飽かず、魚にあらざればその心を知らず。(方丈記)

訳 魚は水がいやにならないが、魚でないのでその心はわからない。


例文 大夫殿、いまだ芋粥(いもがゆ)にあかせ給はずや。(宇治)

訳 大夫殿は、まだ芋粥に満足しなさってないのか。



あいなし

イメージ 語源は不明で、諸説あります。「つまらない」の意味です。受験勉強としては「愛無し」または「会い無し」(「合わない」の意味)という暗記法で「つまらない」と覚える手法がありますが、それが語源かどうかは不明です。


意味 つまらない

例文 世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くはみな虚言(そらごと)なり。

訳 世間で語り告がれていることが、本当はつまらないのか、多くはうそである。

単語20

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ねんず(念ず)


意味 1.がまんする 2. いのる

コジツケですが、「念力を使うには精神集中するのでガマンをする必要がある」とで覚えましょう。「お祈りで願いが叶うのは、念力が通じたからだ」とか覚えましょう。念力主義。

イメージ 強く思うことです。なにかを我慢する場合と、何かをいのる場合に使います。

入試では「がまんする」の意味が問われやすいですが、寺社や加持祈祷の場面では「いのる」の意味の場合もあるので、最終的には文脈から判断です。


例文 「いま一声呼ばれていらへん」と念じて寝たるほどに、(宇治)

訳 「もう一声呼ばれてから返事をしよう」と我慢して寝ているうちに


例文 清水(きよみづ)の観音を念じ奉りても、すべなく思ひ惑ふ。

訳 清水寺の観音をお祈り申し上げても、どうしようもなく途方に暮れる。


例文 ただ一人、ねぶたきをねんじてさぶらふに(枕・大納言殿まゐりたまひて)

訳 たった(自分)一人、眠たいのをがまんしてお仕えしていると、


つかまつる(仕まつる)

名詞のあとについて「~して差し上げる」の意味があります。文脈に合わせて訳します。

例文 笛つかまつりたまふ、いとおもしろし。(源氏・)

訳 笛を吹いてさしあげるのは、たいそう趣深い。

文英堂・数研


例文 箏(せう)の琴(こと)つかまつりたまふ。(源氏・花宴)

訳 (光源氏は)箏の琴をお引き申し上げる。

数研・桐原


「宮仕え(みやづかえ)つかうまつる」という表現もあります(桐原・三省堂)。「宮仕え」で一つの名詞です。

例文 宮仕へつかうまつらずなりぬるも、(竹取)

訳 宮仕えをして差し上げずに終わってしまうのも


かまへて

副詞「かまへて」の場合と、動詞「かまふ」の格変化の場合があり、意味が微妙に違います。

この項目では、副詞「かまへて」を紹介します。


「用心して」「準備して」の意味です。

現代語の「身構える」に名残があるので、それで覚えましょう。

武道などの「構え」も、戦闘準備による用心です。


動詞「かまふ」が語源です。

意志の内容で「必ず」「きっと」の意味もあります。

意志を達成するためには、用心を続ける必要があるので、まあ、理解しやすいかと。

「決して~するな」の意味もあります。

「~しないように用心しろ」とでも覚えればよい。


例文 (盗人が)この馬を見て、きはめて欲しく思ひければ、かまへて盗まむと思ひて、(今昔・二五の一二)

訳 この馬を見て、どうしても(/とても)欲しく思ったので、必ず(/なんとかして)盗もうと思って

文英堂(必ず)・桐原(なんとかして)・三省堂(とても)


「かまへて」と「決して」が両方とも「て」で終わっているし字数が4字なので、それでコジツケて覚えましょう

例文 かようの物をば、かまへて調ずまじきなり。

訳 (キツネの話を聞いて)こういうものを、決して こらしめてはならないのだ。

三省堂・文英堂


「調ず」で「こらしめる」は分かりづらいかもしれないが、現代語でも「調伏」(ちょうぶく)という語があり、仏敵や悪人などを(こらしめるなどして)降伏させることである。

単語集には、「調ず」までは見出し語は無いので、深入りしなくて良いだろう。


かまふ

「噛み合ふ」が語源です。「組み立てる」の意味ですが(数研)、「準備する」の意味もあります(数研・桐原)。

「準備するためには、計画を組み立てる」と考えれば良いでしょう。

動詞「かまふ」が変化して「かまえて」となっている文の場合、「組み立てて」の意味ですl


わづらふ(煩ふ)

イメージ 「病気になる」の意味ですが、動詞のあとについて「~に苦労する」の意味もあります。共通するのは、なにかで苦しむことです。

1.病気になる 2.~に苦労する

例文 わづらふことあるには、七日(なぬか)、二七日(ふたなぬか)など、療治(れうぢ)とてこもりゐて、(徒然・六○)

訳 病気になることがあるときには、七日、十四日などの間、治療といって引きこもっていて、


例文 勢多(せた)の橋みな崩れて、渡りわづらふ。(更級日記)

訳 勢田の橋は、みな崩れており、渡るのに苦労する。



いたづらなり

イメージ 現代語でも「徒労に終わる」とか「いたづらに時をすごす」とか言いますが、それに近い感じです。

意味 1.無駄だ・役に立たない 2.退屈だ・ひまだ


例文 とかく直しけれども、つひに回らで、いたづらに立てりけり。(徒然草・亀山殿の御池に)

訳 (壊れていた水車を)あれこれ直したけれど、とうとう回らないで、無駄に立っていた。

高等学校国語総合/徒然草


例文 船も出ださでいたづらなれば、ある人の読める。(土佐日記)

訳 船も出さないで退屈なので、ある人が詠んだ。


「いたづらになりにけり」で「死ぬ」の意味もあります。

高等学校国語総合/伊勢物語


とかく

イメージ 現代語の「とにかく」とは違います。

意味 1.あれこれと 2.なんにせよ


例文 日しきりにとかくしつつ、ののしるうちに夜ふけぬ。(土佐日記)

訳 一日中あれこれしながら、騒いでいるうちに夜が更けて(ふけて)しまった。


例文 『おのれ死にはべりぬとも、とかく例のやうにはせ給ふな。』(大鏡・太政大臣伊尹)

訳 『私が死にましたとしても、なんにせよ(葬式を)いつものようにはしなさるな。

※ 「とかく」の訳、河合出版は「なんにせよ」だが三省堂新明解の大鏡では「あれこれと」。


例文 直垂(ひれたれ)のなくてとかくせしほどに、また使い来たりて、(徒然草・二○五段)

訳 直垂がなくてあれことしているうちに、また使者が来て、


うち

「内側」や「最中」の意味もありますが、「宮中」「内裏(だいり)」の意味もあります。

例文 日しきりにとかくしつつ、ののしるうちに夜ふけぬ。(土佐日記)

訳 一日中あれこれしながら、騒いでいるうちに夜が更けて(ふけて)しまった。


桐原のコラム(P142)によると、宮中でない場所なのに、機械的に「宮中」と当てはめるミスもよくあるとの事。

現代語の意味のほうも覚えようとのこと。


をこなり(痴なり・烏滸なり・尾籠なり)

「愚か」の意味です。

イメージ 現代語の「おこがましい」に名残があります。なお、「をこ」は愚かという意味です。「をこなり」を単語集や古語辞典でしらべる際は「お」ではなく「を」で探さないと見つかりません。

意味 愚かだ

なお「尾籠なり」の尾籠は、現代語の無礼の語源です。尾籠を「びろう」と読むことがあり、それから「無礼」が発生しました。


例文 君達(きむだち)は元輔がこの馬から落ちて、冠(かむり)落としたるをばをこなりとや思ひ給ふ。(今昔物語集)

訳 あなた達は、元輔がこの馬から落ちて、冠を落としたのは愚かだと思いなさるのか。


例文 をこなりと見てかく笑ひまするが、はづかし。(枕・関白殿)

訳 愚かだと思って、(私のことを)このように笑っていらっしゃるのが恥ずかしい。


関連

をこがまし

意味 愚かだ・馬鹿馬鹿しい

例文 世俗の虚言をねんごろに信じたるもをこがましく。(徒然草・七三)

訳 世俗のうそを熱心に信じるのも愚かである。


あながちなり(強ちなり)


「あ」とは我・自分の事です。現代の漢字でも、自分・話し手を意味する「吾」(あ・ご)を、「あ」と読みます。

「強引」の意味があるので、「強ち」(あながち)で覚えたくなりますが、現代語の「あながち」とは意味が違います。

まず、「あ」=自分・我 という意味を覚えてください。そのあと、「我田引水」(物事を自分の都合のいいように言ったり解釈する事)というマイナスの意味の4字熟語がありますが、そこから、「無理やり」だとか「強引」とかのイメージを連想しましょう。

「一途」(いちず)の意味は、上記の連想では覚えられないので、コジツケで覚えましょう。なお、ここで言う「一途」は、「他を顧みない」「一生懸命に」という意味です。


イメージ 自分の意志を押し通す感じです。それを好意的に見れば「一途だ」となりますし、批判的にみれば「無理矢理だ」となります。

意味 1.一途だ・熱心だ 2.無理矢理だ・強引だ


現代語の「必ずしも」の意味に近い用法もあります(数研)。浮世草子で見られます。

「あながちに」で「むやみに」「強引に」の意味です。竹取物語などで「むやみに」の意味の「あながちに」があります(数研)。

例文 今は昔、たよりなかりける女の、清水にあながちに参るありけり。(宇治拾遺物語)

訳 今となっては昔のことだが、頼るあてのない女で(頼りどころのない女で)、清水寺に一生懸命にお参りする女がいた。

数研の章末問題(「よるべのない女で」、「一生懸命に」) 、文英堂(「頼りどころのない女で」「一途に」)  


このように、章末問題が、ほかの単語集の例文になっている事もあるので、あまり章末問題では長々と考えずに、答案をサッサと見るか、ほかの単語集を見るほうが早い。

例文 桜の散らむは、あながちにいかがはせむ。(宇治)

訳 桜の散ることは、強引に(無理矢理に)どうにかはできない。


例文 便りなかりける女の、清水(きよみづ)にあながちに参るありけり。(宇治・一一の七)

訳 頼るあてのなかった女で、清水に熱心にお参りする女がいた。


例文 人のあながちに欲心あるは、つたなきことなり。(今昔)

訳 人がむやみに強欲に振舞うのは、愚かなことである。


あれかにもあらず(我かにも非ず)

「茫然自失」の意味です。

「あれ」は、「吾」または「我」の意味だと思われます。

漢字表記は、数研にあり。

自分が分からない、という構成の語だろうと、単語集では言われています。

「あれか」の「か」は、係助詞です。(「かれ」(彼)などの意味ではない。)なお、「にもあらず」の「も」も係助詞です。


例文 粟田(あはた)殿、御色真青にならせ給ひて、あれかにもあらぬ御気色なり。(大鏡・道兼)

訳 粟田殿は、お顔色が真っ青になりなさって、茫然自失の御様子である。

河合・数研・文英堂・駿台


古語では、「吾」「吾」は、「われ」とも「あれ」とも読む(駿台)。


むつかし

イメージ 現代語で幼児の機嫌が悪いときに「むずがる」と言う表現に、名残があります。古語で幼児にかぎらず不快に思ったり機嫌を悪くすること等を「むつかる」といい、それの形容詞化したものが「むつかし」です。「難しい」ではないので注意。

意味 1. うっとうしい・不快だ 2. 面倒だ 3.気味が悪い・恐ろしい

例文 女君(=紫の上)は、暑くむつかしとて、御髪(みぐし)すまして、(源氏・若紫下)

訳 女君(=紫の上)は、「暑く、うっとうしい」と言って、髪を洗って、


例文 奥の方(かた)は、暗うものむつかしさと、女は思ひたれば、

(光源氏が夕顔を、ある荒れ果てて院に連れて行った場面)


訳 奥のほうは暗くてなんとなく気味が悪いと、女が思っているので、


びんなし(便なし)


現代語の「不便」(ふべん)とほぼ同じ。なお、古語にも「不便(ふびん)」がある。

「便」は都合のこと。現代語でも、「便宜」(べんぎ)と言う表現があります。「びんなし」で、都合がないので「都合が悪い」の意味になります。


例文 月見るとて上げたる格子おろすは何者のするぞ。いと便なし。(大鏡)

訳 月を見ると言って、上げている格子をおろすのは何者がすことか。とても困った。(または「とてもけしからん」。)

※ 単語集によって訳が違う。文英堂は「困った」、桐原は「けしからん」。このように単語集で訳が違うので、細かい意味の違いは覚えなくてよい。


例文 いとびんなければ、許しやりぬ。(落柿舎)

訳 たいへん気の毒なので、許してやった(返金した)。

三省堂

上記の文は、商人が柿の木を売ったら、買った人が、翌日に嵐が来て、すべて柿が起きてしまったので、返金してほしいと頼んできた話。最終的に、商人は返金した。


類義語

不便(ふびん)なり

意味 1. 都合が悪い・具合が悪い 2.気の毒だ

「気の毒だ」の意味は、江戸時代に、現代で言う「不憫だ」の意味になったと文英堂は言っているが、しかしコトバンクが源氏物語に「ふびん」が気の毒の意味であると主張しており、時代が矛盾している。[1]

    [初出の実例]「涙もろにものし給へば、いとふびんにこそ侍れ」(出典:源氏物語(1001‐14頃)野分)
   「忠義の為とはいひながら、科なきおことを無代に殺せし、不便(フビン)さよ」(出典:読本・昔話稲妻表紙(1806)一)


過去には、フビンではなくフベンの詠みで、気の毒の意味を表すこともあったらしく、ここら辺の事情があるので、まあ、入試には、あまり問われないというか、問う私大はバカ大学あつかいで良いかと。

かわいそうなこと。かわいいと思うこと。また、そのさま。ふびん。
   [初出の実例]「不便 フヘン 悼意」(出典:黒本本節用集(室町))

けし(怪し、異し)

「異様だ」、「変だ」の意味です。批判的な意味で使います。

聞きなれないかもしれませんが、「怪し」の字で覚えると良いでしょう。

現代語でも、妖怪とか化け物のことを「怪異」と言います。

「奇々怪々」(ききかいかい)とか「奇怪」の現代語と関連づけて覚えるのも良いでしょう。


例文 内にはいつしかけしかるもの住みつきて(増鏡・十五)

訳 宮中には、いつの間にか異様なものが住みついて

数研・桐原


「けしからず」は、現代語の「けしからん」とほぼ同じ意味ですが、文法的には本来なら「けし」(変)の否定なので「変ではない」になるはずですが、しかし「けしからず」は「変だ」「異様な」の意味です。

現代語では「けしからん」は「倫理的でない」の意味ですが、古語では「けしからず」は、「異様だ」とか、健康状態などが「よくない」にも使います(桐原)。

まあ現代語でも「変じゃない」は、「変ではない」の意味のほかにも、「変でしょ?」という反語的な呼びかけだったりするのと、似たような現象でしょうか。


例文 木霊(こだま)などいふけしからぬかたちもあらはるものなり。(徒然草)

訳 木霊(木の精霊)などという、異様な(/異常な) 姿も(/形をしたものも)、現れるものである。

三省堂「けやけし」側(異様な、形をしたものも)、 文英堂(木の精霊、異常な、姿も)


なお、「けしうはあらず」で、「悪くは無い」の意味です。伊勢物語の時代からあります。「〇〇ではない」式は、すでに平安時代の伊勢物語からある古い表現法。


例文 昔、若き男、けしうはあらぬ女を思ひけり。(伊勢・四〇)

訳 昔、男が、悪くは無い女を(愛しく)思った。

数研・三省堂

なお、「けしうはあらず」は、古語「よろし」と、ほぼ同じ意味「わるくはない」です(三省堂)。


なお、「けしからず」は、「けし」の強調だという説もあります(三省堂・巻末、桐原)。


けやけし(異やけし)

「はっきりしている」「異様だ」の意味です。良い意味でも悪い意味でも使います。(「けし」だと悪い意味でしか使わない。)

数研・三省堂・河合しか紹介していない。

文英堂では、「すごし」の派生語おくり。桐原では「しげし」の派生語おくり。数研では未紹介。


えうなし

イメージ 要(えう)なし、或いは用(よう)なし、でしょう。役なしの音便だとするとやうなしになってしまうので不適との指摘がある出典にある。

意味 必要がない。役に立たない。

例文 その男、身をえうなきものに思いなして、京にはあらじあづまの方に、住むべき国求めにとて行きけり。(伊勢物語)

訳 その男、自分自身が下らないものだと思って悲嘆して、京都ではなく東国のほうに、住むことができる場所を探しに行こうと出ていった。


ゆゆし(忌忌し、斎斎し)

まず、現代語の「ゆゆしい」(由々しい)には、「由緒正しい」の意味は無いことを覚えましょう。なお現代語の「ゆゆしい」の意味は、「放っておくと大変なことになりそうな様子」の意味です。これは現代語の話なので、まずこれを覚えてください。そもそも古語と現代語で、当てる漢字が違っています。まず、漢字がちがうことを、覚えてください。

なので、入試の選択問題で「理由のある」とか「由緒正しい」とか出たら、誤答です。由緒正しいは関係ないので、「身分の高い」とかそういうのも誤答です。


古語「ゆゆし」は、現代語の「ゆゆしい」とは意味が違います。古語の「ゆゆし」は、もとは神聖なもの、あるいは不吉なものなど、なにか霊的なものを感じる様子のことです。「斎」(ゆ)または「忌」(ゆ)が語源だろうと思われています。

現代でも、葬式で、「忌引き」(きびき)(= 親族の葬式のための臨時の休日)とか「斎場」(さいじょう)(= 葬儀場のこと)とか使いますので、そういう社会常識といっしょに覚えましょう。

「ゆゆし」に派生的に、「はなはだしい」「すばらしい」「ひどい」などの意味も生まれました。プラスの意味でもマイナスの意味でも、どちらでも使います。

「すばらしい」⇔「ひどい」 や 「神聖な」⇔「不吉な」 のように、逆の意味をもちますので、文脈から意味を判断する単語です。


意味 1.忌まわしい・不吉だ・恐ろしい 2.神聖 3.立派だ・優れている 4.たいそう~・はなはだしく~


例文 海はなほ、いとゆゆしと思ふ。(枕)

訳 海はやはり、とても恐ろしいと思う


例文 おのおの拝みて、ゆゆしく信、起こしたり。(徒然)

訳 それぞれが拝んで、はなはだしく信心をおこした。

数研


なほ

イメージ 基本的な意味は「やはり」の意味です。ただし、どういう文脈で「やはり」と思ってるのかによって意味がやや変わり、前後の時間の経過にもかかわらず状況が変わらずに「依然としてやはり」と思ってるのか、それとも予想にもとづいて「なんといってもやはり」と思ってるのか、訳が変わります。そのほか、「さらに」の意味があります。


意味 1.依然として、 2.なんといってもやはり・そうはいってもやはり 3.さらに

例文 風波やまねば、なほ同じところにあり。(土佐日記・一月五日)

訳 風や波がやまないので、(舟は)依然として同じところにいる。


例文 東路(あづまぢ)の道のはてよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、(更級)

訳 東国の道の果てよりも、さらに奥のほうで育った人、


なめし

イメージ 偶然かどうかわかりませんが、現代語で相手に無礼な態度をとるときの「なめる」の俗語に、意味が近いです。なので、一説では無礼を意味する現代語の「なめる」は 古語の「なめし」に由来するという説を紹介している単語集もあります(桐原など)。

意味 1.無礼だ 2.失礼だ

例文 文言葉なめき人こそ、いとにくけれ。(枕)

訳 手紙の言葉づかいの無礼な人は、たいそう気に食わない。


なまめかし

現代語の「なまめかしい」には色っぽいという意味がありますが、古語では違います。古語の「なまめかし」は、若々しいとか上品だとか、そういう意味です。

「新鮮」のイメージで覚えましょう。

新鮮なので、「若々しい」。新鮮なものは、生ビールとか生ジュースのように高品質であり(腐ってない(昔は冷蔵庫が無い))、なので高品質であり、高品質なものは「上品だ」。あるいは、上品な人は、衣服もキレイで新鮮だ、とか何でもいいですが、コジツケられます。

古語の「なま」は、若くて未熟という意味です。たとえるなら現代語の生ビールとかの生ジュースとかが新鮮なビールやジュースをあらわすのと似たような感覚でしょうか(数研出版の見解)。あるいは、古語「なま」は外来語のフレッシュに近いかもしれません(文英堂の見解)。古語の「なまめかし」の意味は、実際に若い場合の意味と、もうひとつ、優美・上品の意味があります。


意味 1.若々しい 2.優美だ・上品だ

例文 なまめかしきもの、ほそやかに清げなる君達(きんだち)の直衣(なほし)姿。(枕)

訳 優美なもの、ほっそりとしていてきれいな貴公子たちの直衣姿。

動詞「なまめく」が語源です。この動詞が形容詞になったのが「なまめかし」です。

「なまめく」は、「若々しい」「優美だ」「上品だ」の意味です。古語「なまめかし」と同じ意味です。


うるはし

現代語の「うるわしい」と似た意味で、古語「うるはし」は整った美しさを表しますが、しかし古語「うるはし」にはさらに「親密」の意味の場合もあります。

意味 1.端正だ。きちんとしている。 2.親密だ

例文 昔、男、いとうるはしき友ありけり。(伊勢)

訳 昔、男には、とても仲のいい友達がいた。


むげなり(無下なり)

イメージ 「むげなり」は「無下なり」で「それより下がない」の意味で、「最低だ」「ひどい」の意味です。

意味 最低だ・ひどい


例文 いかに、殿ばら、殊勝のことはご覧じとがめずや。むげなり。(徒然)

訳 なんと、皆様、(この獅子の)格別なことは、ご覧になってお気にならないのですか。ひどいです。

文英堂・河合


むげに

連用形「むげに」で、「むやみに」「やたらに」および「ひどく」といった副詞的な意味になります(数研)。

「むやみに」と「むげに」の発音が似ているので、これで覚えると良いでしょう。

「ひどく」のほうは、そもそも「むげなり」の意味が「ひどい」ですので、それの連用形でしかありません。


例文 むげに思ひしをれて、心細かりければ、(源氏・帚木)

訳 ひどく気落ちして、心細かったので、

桐原・数研


さらに「むげに +打消し」で、「まったく~ない」の意味になります(文英堂)。


例文 法師の、むげに能なきは、檀那(だんな)すさまじく思ふべし。(徒然草・一八八)

訳 法師が、まったく芸がないのは、檀家(だんか)の人が興ざめに思うに違いないと思ったので、(早歌を習った)

文英堂・河合


これは、そもそも「無下なり」の「それより下がない」から考えれば当然で、「むげに +打消し」ならば「それ以上の下がないほどに、~ない」つまり短く言えば「まったく~ない」です。


どちらにせよ(「むやみに」でも「ひどく」でも「まったく」でも)、「むげに」は否定的な意味合いで用いられることが多い(文英堂)。

なお、否定的であっても、必ずしも批判的な使われ方ではない。


まかづ(罷づ)

罷り出づ、の約

意味 1. 退出する(謙譲) 2. (尊い所から卑しい所へ)行く・来る(謙譲)

例文 命婦、かしこにまかで着きて、門ひき入るるより気配あはれなり。(源氏)

訳 命婦(女官)、更衣の里に行きついて、門に入るとその雰囲気は荒れ果てて寂しかった。


さうざうし

イメージ 現在の「騒々しい」とは違います。古語「さうざうし」は「索々し」(さくざくし)または「寂び寂びし(さびさびし)」のことであり、「あるはずのものがない」という元の意味から、「物足りない」という意味になります。

意味 1.物足りない 2.寂しい

現代語の「騒々しい」=「うるさい」の意味は無いです。

むしろ「さうざうし」の意味は、「騒々しい」の逆です(数研)。


暗記としては、漢字「寂び寂びし(さびさびし)」から、「さびしい」の意味を覚えましょう、現代語の漢字のままの意味です。

これをもとに「うるさい」の意味がないのを覚えましょう。

「騒々しい」の逆と覚えても忘れます。「〇〇の逆」方式のような覚え方は、なにかを否定する方式の覚え方は、それ単独では、基本的に忘れやすい。

なぜなら、否定方式は、実物的なイメージが無いので、忘れやすいのです。

「寂び寂びし」なら対応する漢字の「寂」がありますが、しかし「〇〇の逆」方式だと漢字がありません。


そして、もう一つの当て字があった事を思い出しましょう。「索索し」です。現代語でも「検索」とか「捜索」とか言うように、なにかが足りなくて探したい感じと考えれば「物足りない」を思い出せます。


例文 帝、さうざうしと思し召しからけむ、殿上(てんじやう)に出でてさせおはしまして(大鏡・道長)

訳 帝は、物足りないとお思いになったのだろうか、殿上(てんじょう)の間に出ていらっしゃって、


「騒々しい」の意味はないので、選択肢で「うるさい」「騒々しい」があったら、誤答です(文英堂)。


あやし

イメージ 「不思議だ」の意味と、「身分が低い」の意味という、2つの意味があります。一説には、貴族には身分の低い者の考えは理解しづらいので、もとの「不思議だ」の意味から派生して「身分が低い」の意味が生じたのだろう、とする説もあります。

「あやしき下郎(げろう)」(「身分の低い者」という意味)とか、そういう組合せ(英語学ではコロケーションと言います)で覚えましょう。

「あやしの庵(いおり)」(粗末な小屋)という語もあります(浜松中納言物語)。

「あやしき家」(粗末な家、みすぼらしい家)という語もあります(枕草子・鳥は)。(文英堂)


感動詞「あや」が変化したものが語源だという説があります(桐原書店の見解)。ほか、「不都合だ」の意味もあります。不都合なものは、変だと思うということでしょう。

意味 1. 不思議だ・変だ 2.身分が低い 3.不都合だ。


例文 あやしき下﨟(げらふ)なれども、聖人(しやうにん)の戒めにかなへり。(徒然草)

訳 身分の低い者であるが、聖人の教えに合致している。


次の例文、戸があって家だからといって、粗末な家だと早合点しないように。

例文 遣戸(やりど)を荒く立て開くるも、いとあやし。(枕草子)

訳 引き戸を荒く開けるのも、たいそう、不都合だ。



やさし

イメージ 現代語の「やさしい」とは全く違います。古語の「やさし」は「やせる」が元の意味で、それから「やせるほどつらい」→「やせるほど恥ずかしい」の意味から「恥ずかしい」の意味になりました。


意味 1.恥ずかしい

例文 昨日今日、帝ののたまはむことにつかむ、人聞きやさし。(竹取)

訳 昨日や今日、帝がおっしゃることに従うのは(=求婚)、外見が恥ずかしい。

※ かぐや姫が帝からの求婚をことわるための言い訳です。


例文 いくさの陣へ笛もつ人はよもあらじ。上臈(じやうらふ)は猶(なほ)はやさしかりけり。(平家)

訳 戦陣に笛を持ってくる人はまさかいないだろう。身分が高い人はやはり優美だなあ。

※ 熊谷直実(くまがいなおざね)が、文化人として有名だった武士の平敦盛を捕らえた時、笛を持っているのに気づいてのことです。その「まさか」の人がいたという、逆説的に優美さを強調する表現でしょう。


よも・・・打消推量

「よも・・・打消推量」で、「まさか~ないだろう」の意味です。

普通、打消し推量は「じ」ですので、

「よも ~ じ」の形で覚えましょう。

例文 いくさの陣へ笛もつ人はよもあらじ。上臈(じやうらふ)は猶(なほ)はやさしかりけり。(平家)

訳 戦陣に笛を持ってくる人はまさかいないだろう。身分が高い人はやはり優美だなあ。


のたまふ

「おっしゃる」の意味です。

例文 今井四郎(いまゐのしらう)、木曾殿(きそどの)、主従二騎になつて、のたまひけるは、(平家・木曽)

訳 今井四郎と木曾殿は、(ついに)主従二騎になって、(木曾殿が)おっしゃったことには、

三省堂・高等学校国語総合/平家物語


例文 昨日今日、帝ののたまはむことにつかむ、人聞きやさし。(竹取)

訳 昨日や今日、帝がおっしゃることに従うのは(=求婚)、外見が恥ずかしい。

※ かぐや姫が帝からの求婚をことわるための言い訳です。

おほとのごもる(大殿籠る)

「おやすみになる」の意味です。「寝」(い)・「寝ぬ」(いぬ)の尊敬語。

「大殿」(おおとの)は、貴族の邸宅にあえう寝室のこと、寝殿。


親王(みこ)おほとのごもらで明かしたまうてけり。

親王は、おやすみならない(まま)で、夜をあかしなさった。

文英堂・三省堂・三省堂


くまなし

意味 1.暗いところがない 2.何でも知っている


「くま」は見えない物陰の意味です。「曇りがない」ので「明るい」という意味です。

「くまなき月」のように、よく、明るい満月に使います。


例文 花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。(徒然草)

訳 花は満開を、月はくもりのない(=満月)のだけを見るのがよいものなのか。(いやそうではない(反語) )

※ 終わりの「かは」葉よく反語表現で使われます。ついでに覚えてしまいましょう。


「くまなき月」とは晴れた夜の満月のことでしょう。

月には、満月の他にも、三日月とか「上弦の月」とか色々あります。くもっていたり雨でも月が見えませんから、全体としては、晴れた日の夜の満月のことでしょう。


派生的に、ある話題について「隠し事がない」とか「何でも知っている」の意味もあります。


現代語の「くまなく」とは意味がやや違いますが、まず現代語を足掛かりにして覚えましょう。

現代語で「くまなく探す」とか言います。これは、これから知識や探し物を見つけるという、知識ゲットが(英文法でいう)未来自制な状態です。

古語の「くまなし」は、すでに(英文法でいう)完了形の状態で、もうすでに知識ゲットしている物知り博士な状態です。


例文 くまなきもの言ひも、定めかねて、いたくうち嘆く。(源氏・ハハキ木)

訳 (女がらみのことは)何でも知っている論客(=左馬頭(さまのかみ))も、(結論を)決めかねて、ひどくため息をつく。


こころぐるし


現代語の「心苦しい」は相手に対して「申し訳ない」の意味ですが、古語「こころぐるし」は同情や心配の意味です。

意味 気の毒だ、心配だ


例文 思はむ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ。(枕)

訳 かわいがっている子を法師にするのは、気の毒だ。


かたはらいたし(傍ら痛し)

イメージ 現代語とは意味が違います。まず、古語の「かたはら」は。人の「そば」の意味です。古語の「かたはらいたし」は「傍ら(かたわら)で見ていて心がきつい」の意味です。同情的な意味だけでなく批判的な意味(「見苦しい」など)にも使うので、文脈から判断します。現代語の「片腹痛し」は当て字にすぎません。また、受身的な用法で、そばで見られるのがきつい場合なら、「きまりが悪い」「恥ずかしい」(=そばで見られると、きまりが悪い、恥ずかしい)といった場合にも使います。

意味 1.気の毒だ 2.見苦しい・聞き苦しい 3.恥ずかしい

例文 すのこはかたはらいたければ、南のひさしに入れ奉る。(源氏・朝顔)

訳 すのこ(=縁側)は気の毒なので、南の庇(ひさし)の間(ま)に(源氏を)をお入れ申し上げる。


例文 御前にて申すは、かたはらいたきことにはさぶらへども、(今昔)

訳 (大臣の)御前で申し上げるのは、きまり悪いことではありますが、


まうす(申す)

本動詞「申し上げる」と、謙譲の補助動詞の「~し申し上げる」があります。

本動詞としての例。

例文 今井四郎申しけるは、「御身(おんみ)もいまだ疲れさせ給わず。御馬(おんま)も弱り候はず。」

訳 今井四郎が申し上げたことには、「お体もまだお疲れになっていらっしゃいません。お馬も弱っていません。」

三省堂・高等学校国語総合/平家物語


下記は、謙譲の補助動詞としての例。

例文 「物そのもので候はねども、武藏(むさし)の国(くに)の住人、熊谷(くまげへの)次郎(じらう)直実(なほざね)。」と名のり申す。

訳 「物の数に入るほどの者では(/たいした者では)ございませんが、武蔵野の国の住人、熊谷次郎直実。」と名乗り申し上げる。

文英堂(たいした者では)・中学校国語_古文/平家物語

単語25

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うしろめたし

イメージ 「後ろ目痛し」「後ろ辺痛し」が語源だと言われています。背後だけでなく、将来など目に見えないものを心配する場合もあります。古語でも、現代語の「うしろめたい」と同様の「良心がとがめる」「やましい」気持ちで心配な場合でも「うしろめたし」を使う用法もあります。

意味 1.気がかりだ・心配だ 2.やましい・

例文 いとはかなうものし給ふこそ、あはれにうしろめたけれ。(源氏)

訳 (若紫が)たいそう(幼くて)頼りなくいらっしゃるのが、とても気がかりだ。


対義語として、

うしろやすし」(後ろ安し) = 安心だ、

があります。

古語の「うしろ」には、上記のように「将来」の意味があります。


コジツケですが、後ろ盾とか後見人がいると、将来が安心です。そこから「うしろめたし」「うしろやすし」も、将来の不安や安心のことだと覚えましょう。


こころやすし(心安し)

「安心だ」の意味です。現代語の「安心だ」の語源です。


こころもとなし(心もとなし)

「不安だ」の意味があります。この意味は現代語「心もとない」とほぼ同じ。

例文 心もとなく日数(ひかず)重なるままに、白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。(奥の細道・白河の関)

訳 不安な日々が重なるうちに、白河の関にさしかかって、旅する心(覚悟)が定まった、

桐原・数研・文英堂


例文 花びらの端に、をかしきにほひこそ、こころもと0なうつきためれ。(枕・木の花は)

訳 花びらの端に、趣深い色が、かすかについているようだ。

桐原(美しい色が・かすかに)・数研(趣深い色つやが・ぼにゃりと)・文英堂(趣深い色つや・かすかに)・駿台(美しい色合いが・ほんのりと)


古語の「におひ」は、「丹(に)おひ」であり、形や色などの意味もある。


「じれったい」「待ち遠しい」の意味もあります。両方とも、何かが欲しい事が共通しています。英語でいう wish の仮定法と直接法みたいな。

何かが待ち遠しい場合、その事ばかり考えて、目の前のことに集中してない事もよくあるので、「心がこの場所にない」→「こころ、ここにあらず」→「こころもとなし」というコジツケで、まあ覚えましょう。


例文 歌の返しとくすべきを、えよみ得ぬほども心もとなし。(枕)

訳 返歌を早くしなければいけないのに、読むことが出来ないとき(あいだ)は(も)、じれったい

駿台・河合


ほいなし

イメージ 「本意なし」で不本意だという意味です。「残念だ」の意味もあります。

意味 不本意だ・残念だ

例文 過ぎ別れぬること、かへすがへす本意なくこそおぼえ侍れ。(竹取)

訳 (私が去って)別れてしまうことは、つくづく残念に思われます。


例文 人の語り出でたる歌物語の、歌のわろきこそ本意なけれ。(徒然・五七)

訳 人の語りだした歌物語で、歌のよくないものは残念だ。(桐原)

歌物語、歌が見どころなのに、いくらストーリーが良くても肝心の歌が良くない作品は、残念である、という意味。


ほい(本意)

意味 本来の意志、本来の目的

例文 神へ参るこそ本意なれど思ひて、山までは見ず。(徒然)

訳 神へ参るのが本来の目的だと思って、山までは見ていない。


「ほい」が「出家」の意味の場合も多くありますが(三省堂・桐原)、しかし上記の例のように出家以外の意味の場合もありますので、早合点しないように。


例文 つひに本意(ほい)のごとくあひにけり。 (伊勢・筒井筒)

訳 (男女が)ついに本来の望みどおりに結婚をした。

この時代、結婚の直前まで、男女は会えませんでした。

高等学校国語総合/伊勢物語


竹取物語の「ほいなく」も、出家とは関係ありません。

例文 過ぎ別れぬること、かへすがへす本意なくこそおぼえ侍れ。(竹取)

訳 (私が去って)別れてしまうことは、つくづく残念に思われます。


なお、鎌倉時代の「沙石集」(しゃせいしゅう)では、出家の意志について、そのまま古文中でも「出家のこころざし」と言っている(数研「こころざし」)。


やがて

イメージ 現代語とは意味が違います。古語では「やがて」はニュアンス的に「前後の動作が離れてない」=「ほぼ同じ」ような感じがあり、よって「そのまま」や「すぐに」の意味になります。なお、現代語の「そのうち」のような用法は江戸時代以降のものです(文英堂の見解)。

意味 そのまま・すぐに

例文 薬も食はず。やがて起きもあがらで、病み臥せり。(竹取)

訳 (翁は)薬も飲まない。そのまま起き上がりもしないで、病気になってしまった。


例文 名を聞くより、やがて面影(おもかげ)は推しはからるる心地するを、(徒然・七一)

訳 名前を聞くや否や、すぐに面影が推測される気持ちがするのに、


かげ

古語の「かげ」は、「面影」や「人の姿」の意味がありますが、「光」の意味もあります。

「かぐや姫」の「かぐ」は、「光り輝く」という意味です。

この用法は、現代でも「月影」(つきかげ)に残っています。月の光、月光の意味です。

古語でも、「月の影」などで使います。


さて、光があれば、人の形も分かります。

逆に、人の形が見えなくなる夕方は、誰だか分からないので、「たそがれ」時(どき)、誰そ彼(たそがれ)、「誰ですか、あの人は」というのです。「たそがれ」が古語かどうか知りませんが。



わざと

イメージ 現代語とはニュアンスが違います。うまい暗記法は特になく、下記の意味を覚えるしかありません(桐原書店の見解。単語集では解説をあきらめて、さっさと意味を紹介するスタンスである)。

意味 1. わざわざ 2. 格別に 3.正式な

例文 わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音(ね)にも、(源氏・桐壷)

訳 正式な御学問は当然のこと、琴や笛の音色でも、


あきらむ

「明らかにする」の意味です。

現代語の「あきらめる」の語源です。現代語の意味になるのは、江戸時代からです(桐原)。

理由が明らかになると、納得し、(欲しいものなどを)あきらめることができるという意味で、現代語の用法が生まれた(数研)。


例文 なげかしき心のうちもあきらむばかり。(源氏)

訳 嘆きがちな(/悲嘆に暮れている)心の中も明るくする(晴れやかにする)ぐらいに

河合(嘆きがちな、明るくする)・三省堂(悲嘆に暮れている、晴れやかにする)


なべて

「並べる」の意味の動詞「なぶ」が語源だと考えられています(数研・河合)。「なべて」で、「一般に」「普通に」「」という意味です。現代語でいう「おしなべて」と同じ。

並べる行為では、複数のものが存在しますが(一個だと「並び」にならない)、「一般に」の意味では、そういう、ほとんどの場合が〇〇だ、みたいな使い方をします。

ただし、「普通の」「普通に」の意味の場合、必ずしも複数とは限りません。

「なべてならず」=「普通ではない」 という語が頻出です(数研)。


意味 一般に・普通に

例文 なべてならぬ法ども行はるれど、さらにそのしるしなし。(方丈)

訳 普通でない修行の数々が行われるが、まったくその効き目がない。

数研・三省堂

三省堂では出典に「平家物語」とあるけど、おそらく誤植。


例文 なべて、心やはらかに、情けあるゆゑに、 (徒然草)

訳 (都の人は)一般に、心が柔和で、人情があるので、

三省堂「(都の人は)一般に、心が穏やかで、」・三省堂「一般に、(都の人は)心が柔和で、人情があるために」


ほか、景色などが「一面に」の意味の用法を数研が紹介していますが、数研しか紹介していない。


こうず(困ず)

イメージ 「こうず」は「困ず」で「困って」の意味です。肉体的に「疲れる」の意味もあります。

意味 1.困る 2.疲れる


例文 いかにいかにと日々に責め立てられこうじて、(源氏)

訳 どうなのかどうなのかと毎日責め立てられ困って、


すずろなり(漫ろなり)

イメージ 漫然(まんぜん)のイメージです。

鎌倉時代以降は「そぞろなり」という場合もあります(数研)。

意味 1.わけもなく・なんということもなく 2.むやみやたらに


連用形「すずろに」の形で、副詞的に「むやみに」や「あてもなく」「なんということもなく」の意味で使われる事もあります。


例文 昔、男、すずろに陸奥(みち)の国までまどひにけり。(伊勢)

訳 昔、男が、あてもなく(/なんということもなく)陸奥の国までさまよい出かけた。

桐原(あてもなく)・数研(なんということもなく)・文英堂(あてもなく)


「あてもなく」でも訳は正しいですが、ただ、「頼るあてがない」みたいな別の意味でも使うので、数研が「なんということもなく」と訳した気持ちも、分からないこともない。だが字数が多い。


まったく違う意味で、「意外だ」の意味もあります。

例文 すずろなる目いをみることと思ふに、修行者あひたり。(伊勢・九段)

訳 思いがけない目にあう事だと思うと、

文英堂・桐原


「自分の意志とは無関係に、物事が進むさま」が「すずろ」です(文英堂・桐原・三省堂)。


例文 すずろに(酒を)飲ませつれば、うるはしき人もたちまちに狂人となりてをこがましく、(徒然)

訳 むやみやたらに(酒を)飲ませてしまうと、礼儀のきちんとした人も、たちまち狂人となって馬鹿げた振る舞いをし、

数研・文英堂


上記の例文は、徒然草の例文です。

つれづれ

退屈の意味です。「つれづれ」は「連れ連れ」という時がよく当てられます。

あまり仕事もなく、同じような日々が続き(= 連続する)、退屈、というようなニュアンスでしょう。

「連れ」を2回続けることで、連続を表していると考えられます。


さて、徒然の漢字「徒」について。

「徒」には「いたずら」という読みもあります。「無駄に」という意味です。

現代語でも「いたずらに時をすごす」と使います。無駄に時間を過ごす、という意味です。

また、つれづれの退屈を感じるのはヒマなときですが、「いたずら」には「ひまだ」の意味の用法もあります。

例文 船も出ださばいたづらなれば、ある人の詠める(土佐)

訳 船も出さないのでひまなので、ある人が詠んだ(歌)


「いたづらになる」で「無駄になる」「死ぬ」の意味があります。

単語集には、「死ぬ」の例文があまりないので、まあ、出ないでしょう。出たら諦めましょう。


はづかし


現代語の「恥ずかしい」の意味もありますが、こちらが恥ずかしくなるほどに相手が「立派だ」という褒め言葉の用法もあります(桐原、数研、文英堂、三省堂)。

訳語では、単に「立派だ」となっても、普通は相手や他人が立派な場合に使います。基本的に、自分のことを立派という場合には使わない。


1.恥ずかしい・きまりが悪い 2.立派だ

例文 はづかしき人の、歌の本末(もとすゑ)問ひたるに、ふとおぼえたる、我ながらうれし。(枕・うれしきもの・二七六)

訳 立派な人が、歌の上の句や下の句を尋ねたときに、すぐに思い出したのは、我ながらうれしい。


桐原・文英堂・三省堂

「恥ずかしい」「決まりが悪い」の意味も、徒然草や大和物語で使われています(数研で大和物語、文英堂で徒然草)。

入試では「立派だ」の意味のほうが良く出ますが(文英堂)、しかし「恥ずかしい」の意味も平安時代(大和物語は西暦950年代)の古くから使われているので、てっきり江戸時代の用法かと早合点しないように。

桐原も、コラム(p142)で、現代語の「恥ずかしい」と同じ用法もあると、忠告している。


ついで

イメージ「継ぎて」が「ついで」になってと考えられている。

意味 1順序 2.機会

例文四季はなほ定まれるついであり。(徒然)

訳 四季にはやはり定まった順序がある。


なかなか

現代語では随分、とか、かなり、という意味の副詞になるが、古語では少し意味が違う。一説には「中途半端」のイメージだという。中途半端なら、しないほうがマシなので、下記のように「むしろ」「かえって」の意味になるという説がある(マドンナ古文)。

意味 なまじっか、かえって、むしろ

例文 …、はかばかしう,後見思ふ人なきまじらひは、なかなかなるべきことと、思う給へながら、…(源氏・桐壷)

訳 …、しっかりと、後見して下さる方のいない宮廷生活は、むしろかえって辛い事であるだろうとは、存じてはいたのですが、…


すさぶ(荒ぶ・遊ぶ・進ぶ)

イメ-ジ 自然と湧いてくる勢いに任せて、何かをすることです。

意味 1. 気の向くままに~する、興じる 2. 激しくなる


例文 笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知る。(徒然)

訳 笛を言いようもなく吹き興じているのを、趣き深いと聞き分ける。

桐原・河合

「風すさぶ」で、「風が激しくなる」という意味があります。

例文 外山(とやま)の秋は風すさぶらむ。(新古今)

訳 人里に近い山の秋は、風が激しくなっているだろう。

河合・数研

現代語でも、「風が吹きすさぶ」とか言うので(文英堂・数研)、関連させましょう。


「すさび」「すさびごと」は、「気まぐれ」「気晴らし」などの意味(桐原・数研)。


ゆめ

イメージ 下に禁止・打ち消しを伴って「けっして~するな」の意味の副詞です。


例文 ゆめこの雪落とすな。(大和物語)

訳 けっしてこの雪を落とすな。


例文 この山に我ありといふことを、ゆめゆめ人に語るべからず。(宇治)

訳 この山に私がいるということを、けっして人に語ってはならない。


げに(実に)

イメージ 現実や直前の発言などを受けて、「なるほど」とか納得したり、あるいは納得のいくことに感動する思うような感じです。「現(げん)に」が由来だという説があります。ただし、漢字を当てる場合には「実に」と当てる慣習です。

意味 なるほど・実に・本当に

例文 (かぐや姫は)げにただ人にはあらざりけりと思して、(竹取)

訳 なるほど(かぐや姫は)普通の人ではなかったのだなあとお思いになって、


すなはち(即ち、則ち、乃ち)

現代語と同じ意味もありますが、古語では「すぐに」「ただちに」の意味が大事です。

「即ち」の字を当てる場合もありますが、現代語の「即時」「即座」などと関連づければ、覚えやすいでしょう。「すぐにただちに」を早口で言えば「すなわち」に聞こえるかも・・・とコジツケて覚えましょう。

意味 1. すぐに・ただちに 2. そこで

「そこで」の意味は、いい覚え方が無いので、方丈記の例文ごと覚えましょう。

例文 立てこめたる所の戸、すなはちただ開きに開きぬ。(竹取物語)

訳 (かぐや姫を)閉じ込めていた場所の戸が、すぐにただもう開いてしまった。

文英堂・駿台・三省堂


例文 おのづから短き運を悟りぬ。すなはち、五十(いそじ)の春を迎へて(むかへて)、家を出で(いで)世を背けり(そむけり)。(方丈)

訳 自然と運のうすい人生を悟った。そこで五十歳の春を迎えたところ、出家をして俗世から離れた。

※ 末尾「世を背けり」の訳、数研出版では「俗世から離れた」、文英堂では「遁世(とんせい)した」。

文英堂・桐原


三省堂・駿台は「つまり」の意味もあるとしている。


やうやう

一説には「やうやく」のウ音便だと思われていますが(※ 数研、文英堂の単語集)、しかし現代語の「ようやく」とは意味が違います。もともと古語「やうやう」は、時間の経過とともに少しずつ変化していくさまを表していました。なので現代語でいう「しだいに」「だんだん」の意味に対応します。「やっと」とか「かろうじて」の意味がついたのは鎌倉時代からです。平安時代には「しだいに」「だんだん」の意味だけです(※ 桐原の見解)。

意味 1. しだいに・だんだん 2. やっと・かろうじて


例文 黄金(こがね)ある竹を見つくること重なりぬ。かくて翁やうやう豊かになりゆく。(竹取)

訳 黄金の入っている竹を見つけることが重なった。こうして翁はしだいに豊かになっていった。

※ 出典は文英堂の単語集、および三省堂 新明解古典『竹取物語 土佐日記』。「やうやう」の訳はどちらとも「だんだん」。なお三省堂では「重なりぬ」の訳が「たび重なった」となっている。

※ このほかの例文としては、枕草子の春は「あけぼの。やうやう」もある多くの単語集に照会されているが、本wikiでは小学校や中学校ですでに説明済みなので省略する。


類義語 「やや

意味 しだいに・だんだん

例文 仮の庵(いほ)もややふるさとになりて、軒に朽ち葉ふかく、土居ぬ苔むせり。

訳 仮の庵(いおり)もしだいに住み慣れた場所になって、軒に朽ち葉も多く、土台には苔が生えている。

※ 「やや」の訳、文英堂の単語集では「だんだん」、三省堂 新明解古典『大鏡 方丈記』では「しだいに」



さすがに

イメージ 現代語の意味とは違います。「さすがに」の「さ」は、「そう」を意味する指示語の古語「さ」だと考えられます(※ 数研の見解)。

意味 そうはいってもやはり

例文 閼伽棚(あかだな)に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。 (徒然)

訳 閼伽棚(あかだな)に菊・紅葉など折り散らしているのは、やはり住む人がいるからなのだろう。

※ 前半部の「折り散らしたる」の訳は駿台文庫の単語集、三省堂新明解古典『徒然草』では「折り散らしているのは」とほぼ直訳。三省堂の(新明解古典ではなく)単語集のみ「無造作に折ってある、」と意訳している。
※ 後半部の「あればなるべし」の訳、新明解のみ「いるから」で、三省堂および駿台の単語集では「あるから」と直訳


例文 祇王(ぎおう)もとより思ひまうけたる道なれども、さすがに昨日(きのふ)今日とは思ひよらず。(平家)

訳 祇王(ぎおう、※人名、平家側の女性)はもとから覚悟していた道だけど、そうはいうもののやはり昨日今日のこととは思えない。

※ 桐原と駿台の単語集に書いてある。駿台のは出典(平家)が書いてないので見つけるのが難しい。「思ひ」の訳を駿台は「覚悟」、桐原は「予想」。
※ なお、祇王が平家を去ることになった理由は単に、清盛が寵愛する女性が別の女性(「仏御前」(ほとけごぜん)という女性)に変わったから。源平合戦での平家の敗退は無関係。

ここら

イメージ 「たくさん」の意味です。現代語のここらへんの意味はないです。

例文 ここらの国を過ぎぬるに、駿河(するが)の清見(きよみ)が関と逢坂(あふさか)の関とばかりはなかりけり。(更級)

訳 たくさんの国を通り過ぎてきたが、駿河の清美が関と逢坂の関ほど心ひかれた場所はなかった。


あふ(会ふ、合ふ)

人が「出会う」の意味のほか、結婚するの意味もあります。

当てた漢字の「合う」をみましょう。

コジツケですが、結婚する男女は、合体している。

なお、本当の語源は、通い婚の風習です。結婚のための夜這いをするまで、男女は会う事が出来ませんでした。

もっとも、通い婚のさいに男女が契るので、「契る」とは肉体関係の事ですので、まあ合体ではある。


例文 親のあはすれども聞かでありける。(伊勢・二三)

訳 親が(娘に、よその男と)結婚させようとしても(娘は)聞かないでいた。

三省堂・文英堂


例文 この世の人は、男は女にあふことをす。(竹取・貴公子)

訳 この世の人は、男は女と結婚することをする。


かたみに(互に、片身に)

「互いに(たがいに)」の意味です。

一節では、「片身に」が語源だと言われますが(河合・数研)、そう考えれば分裂していた片割れが合体して元の一体に戻るとも覚えやすいですが、しかし合体といっても別に男女以外でも使いますので、恋愛関係も関係ないので、単に「互いに」の意味です。


入試では、よく選択肢で引っ掛けで「形見に」がありますが、誤答です(文英堂)。

なお、漢文訓読では「互」は普通に「たがいに」と読みます。


あまた

「あまた」=「たくさん」と直接覚えても良いが、「数が多くて余った」のように覚えるのも良い。

意味 たくさん・大勢・多く

例文 いづれの御時(おほんとき)にか、女御(にようご)、更衣(かうい)あまた候ひ給ひける中に、(源氏)

訳 どの帝の時代だったか、女御や更衣がたくさんお仕えなさっていた中、


例文 士(つはもの)どもあまた具して山へのぼりけるよりなむ、その山を「ふじの山」とは名づけるる。(竹取)

訳 兵士たちをたくさん連れて山へ登ったことによって、その山を「富士(ふじ)の山」と名づけた。


あまたたび

「何度も」の意味です。「数多度」と字を当てます(文英堂)。「度」は「たび」とも読む。現代語の「たびたび」は「度々」と書きます。

数研・文英堂


類義語「そこばく

三省堂・桐原


など

文頭の「など」は「なぜ・どうして」の意味です。疑問の場合と反語の場合とがあり、文脈から判断します。

意味 どうして・なぜ


例文 「などいらへもせぬ」と言へば、「涙のこぼるるに目も見えず、ものもいはれず」といふ(伊勢)

訳 「どうして返事もしないのか」と言えば、(女は)「涙がこぼれるので目も見えず、ものも言うことができない」と言う。


例文 などかく疎ましきものにしもおぼすべき。(源氏・帚木)

訳 どうしてこのように疎ましい者とお思いになってよいだろうか(いや、よくない)。


しるし

はっきりしているという意味の形容詞。著し(いちじるし)、も同系統の語。ただし著し(しるし)と、漢字で書く場合もある。印とか、知る、という言葉とも関係あるように思える。

意味 際立っている、はっきりしている。

例文 いといたうやつれ給へれど、しるき御様なれば、(源氏・若紫)

訳 (光源氏は)たいそう(服装が)質素だが、(高貴であることが)はっきりと分かるので、


しるし

同音異義語で、

「しるし」(験、兆、効)= 効果、効き目、 

がある。

現代語でも、「霊験(れいげん)あらたか」とかある。「霊験あらたか」とは、ご利益(ごりやく)があるという意味。「れいけん」と発音する場合もある。

文英堂では「霊験」と訳されています。三省堂では「効験(こうけん)」と訳されています。このように単語集によって、訳は微妙に違います。


例文 人々ひねもすに祈るしるしありて、風波立てず。(土佐・二月五日)

訳 人々が一日中 祈る(いのる)効き目(「ご利益」でも良い)があって、風や波も立たない。


文英堂だと、「ご利益」「風や波も」

河合塾だと、「ききめ(効き目)」「風や波が」

このように、多少の訳の差はあっても良い。


例文 なべてならぬ法ども行はるれど、さらにそのしるしなし。(方丈)

訳 普通でない修行の数々が行われるが、まったくその効き目がない。


古文中で「御しるし」「御験」などと書かれる場合もあり、訳は「ご利益」「御加護」「御効験」など文脈に合わせた訳で良いでしょう。



さらに

イメージ 現代語とは違い、古語「さらに」では打ち消し・禁止をともなって、「まったく~でない」「少しも~ない」の意味があります。全否定です(数研)。英語でいう not at all や never とほぼ同じです(数研)。

現代語でも、「そんな気、さらさらない」というときの「さらさら」に名残があります(三省堂)。


意味 まったく~ない・少しも~ない・決して~ない

例文 さらにまだ見ぬ骨のさまなり。(枕)

※ 「見ぬ」の「ぬ」が打ち消しの助動詞「ず」の連体形です。

まったくまだ見たことのない(扇の)骨のようすだ。


例文 なべてならぬ法ども行はるれど、さらにそのしるしなし。(方丈)

訳 普通でない修行の数々が行われるが、まったくその効き目がない。


をさをさ

部品否定ですが(数研)、しかし英語の部分否定とは少し違い、90%近い否定です(文英堂・桐原)。「ほとんど~ない」「めったに~ない」です。

「をさをさ ・・・ 打消し」で、「ほとんど ~ ない」です。

完全否定の「さらに」と、セットで覚えましょう。

完全否定「さらに」
90%否定「をさをさ」

単語集の索引で「をさをさ」を探す場合は、「お」でなく「を」で探さないと見つかりません。


単語として暗記するのではなく、文法として理解しましょう。よって、既存の参考書が間違っています(文法として教育できていないので)。


例文 冬枯れの気色こそ秋にはをさをさ劣るまじけれ。(徒然・十九段)

訳 冬枯れの景色(様子)は、空きにはほとんど劣ることはないだろう。

桐原(様子・劣らないだろう)・三省堂(景色・劣る事はないだろう)


しる(知る・治る・領る)

「知る」「理解する」の意味のほか、「領有する」「(政治を)治める」の意味もあります。現代語の「知事」に名残があります。


「しる所」は、現代語「知るところ」では「知っていたら」のような意味ですが、しかし古語では「領有している場所」の意味が普通でしょう。徒然草・伊勢物語に、領有地の意味での「しる所」があります(数研・三省堂)。

理解は支配につながる。


例文 奈良の京、春日(かすが)の里に知るよしして、狩りに往にけり。(伊勢)

訳 奈良の都、春日の土地に、領有する縁があって、狩(鷹狩り)に出かけた

河合・文英堂(鷹狩り)


ほか、「知る」の派生の意味として、「親しい」があります。

「親しい人は、良く知っている」と覚えましょう。

男女の場合、さらに恋愛関係の場合もありますが、しかし別に恋愛関係でなくても使います。土佐日記にそういう例があります(河合出版)。


めざまし

イメージ 元の意味は、目が覚めるほどに程度のすごい様子をいいますが、古語では特に、「癪(しゃく)に触る」、「気に食わない」という意味でも使うことが重要です。一方、ほめる場合にも使うことがありますが、ただし上位の者が下位の者を見る目線の場合が多いです(文英堂および桐原の見解)。

意味 1.気に食わない 2.素晴らしい

例文 はじめより我はと思ひあがりたまへる御方々、めざましきものにおとしめそねみたまふ。(源氏・桐壺)

訳 はじめから我こそはと思いあがっていた方々は、(帝の寵愛を受ける桐壺の更衣を)気に食わない者としてさげすみ、ねたみなさる。


例文 気高きさまして、めざましうもありけるかなと、見捨てがたく口惜しうおぼさる。(源氏・明石)

訳 気高い様子で、すばらしいなあと、見捨てがたく残念にお思いなさる。


例文 なほ和歌はめざましきことなりかしとおぼえ侍りしか。(大鏡)

訳 やはり和歌はすばらしいものだよと思われました。


すごし

イメージ 背筋が「ぞっとする」感じです。転じて、ぞっとするほどに素晴らしいものをほめる場合にも使います。

意味 1.(ぞっとするほど)気味が悪い 2.ものさびしい 3.(ぞっとするほど)素晴らしい


例文 日の入りぎはの、いとすごく霧りわたりたるに、(更級)

訳 日の入り際の(=日没間近の)、とてもものさびしく霧が一面に立ちこめているときに、


例文 (舞楽は)なまめかしくすごいうおもしろく、(源氏・若紫下)

訳 (舞楽は、)優雅で、すばらしく風流で、


例文 霰(あられ)降り荒れてすごき夜のさまなり。(源氏・若紫)

訳 霰が降り荒れて、君の悪い夜である。

単語30

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はしたなし

イメージ もとの意味は「端(はした)なき」から中途半端という意味ですが、「きまりが悪い」のようなマイナスの意味でよく使われます。

意味 1. きまりが悪い 2.そっけない・無愛想だ 3.(程度が)はなはだしい・激しい 4.中途半端だ・どっちつかずだ


例文 はしたなきもの。異人(これひと)を呼ぶに、我ぞとさし出でたる。(枕・はしたなきもの)

訳 きまりが悪いもの。違う人を呼んだのに、「私」と言って出てくること。


例文 ある夜野分(のわき)はしたなう吹いて、紅葉(こうえふ)みな吹き散らし、(平家)

訳 ある夜、暴風(=季節的に「台風」)がひどく吹いて、紅葉をみな吹き散らし、


ほど

現代語でも「見のほど」と言いますように、身分のような意味合いは覚えやすいでしょう。現代語は身分以外にも能力などの格にも使いますが。

「程度・様子」の意味は、現代語でも「程」を「ホド」と読めるので、そのまま訓読みで覚えましょう。

現代語の「ほど」は、近似値のような意味ですが、しかし古語の「ほど」は区間の意味であり、ややニュアンスが違います。

区間の意味なので、「距離」の意味もあります。メートル的な距離の他にも、時間的な「間」(あいだ)の意味もあります。


意味 1.時間・ころ 2.距離・広さ 3.身分・年齢 4.程度・様子


例文 ほど狭し(せばし)といへども、夜臥す床あり、昼ゐる座あり。(方丈)

訳 (部屋の)広さは狭いといっても、夜寝る床はあり、昼座る場所もある。

桐原・文英堂

例文 (桐壺の更衣と)同じほど、それより下﨟(げらふ)の更衣たちは、まして安からず。(源氏・桐壺)

訳 (桐壺の更衣と)同じ身分、それよ低い身分の更衣たちは、まして心穏やかではない。

桐原「まして」・文英堂「なおさら」


例文 髪は風に吹きまよはされて、すこしうちふくみだるが、肩にかかれるほど、まことにめでたし。(枕・風は)

訳 髪が風に吹き乱されて、少しふくらんでいるのが、肩にかかっている様子は、ほんとうに魅力的だ。


三省堂は、見出し語では「ほど」を紹介していない。


ひごろ(日ごろ)


現代語で近似値の「ほど」に古語では区間の意味があるように、「ごろ」にも古語では区間のような意味があります。

古語の「日ごろ」は「ここ数日」、古語の「つきごろ」は「ここ数ヶ月」の意味です。

「日ごろ」には派生して「普段」という意味もあります。


としごろ(年頃、年比、年来)

上記の「日ごろ」から派生して考えましょう。

日ごろ → ここ数日
年ごろ → ここ数年

です。

また、「日ごろ」に「普段」の意味があるように、「年ごろ」にも「ここ数年」という意味があります。

結果をまとめると、古語の「年ごろ」は、「長年」「ここ数年」の意味です。古語では、適齢期の意味はありません。


下記の例文は、土佐日記の、冒頭の出発シーンの門出(かどで)です。

例文 年ごろ、よくくらべつる人々なむ、別れ難く思ひて、日しきりにとかくしつつ、(土佐日記・門出)

訳 長年、親しく交際してきた人が、ことさら別れがつらく思って、一日中、あれこれと世話をして、

高等学校国語総合/土佐日記


いとど

イメージ 「ますます」の意味です。語源的には強調の古語「いと」を2回続けたものと考えられていますが、しかし意味がやや違いますので、覚えるしかありません。入試では「いと」につられて「とても」(×)など強調の意味で訳すと誤答だとみなされるかもしれません(桐原の見解)。


例文 散ればこそ、いとど桜はめでたけれ。憂き世になにか久しかるべき。(伊勢)

訳 (もとから桜は美しいが)散ってしまうからこそ、ますます桜は美しい。このつらい世の中に、なにか長く続くものはあるだろうか。(いや、ありはしない)


例文 いとどしき朝霧にいづこともなく惑う心地し給ふ。(源氏・夕顔)

訳 ますますはなはだしく朝霧に、(光源氏は)どことも知れない道に迷うお気持ちになる。


みる(見る)

イメージ 現代語と同じ「目で見る」のが本来の意味ですが、古語ではさらに「会う」の意味で使われることもあり、結婚の意味で使われることもあります。

平安の当時、貴族の女性は、結婚するまで男の前には現れなかったので、

女性が男性に姿を見られる → 結婚

を意味することになりました。

例文 「かかる道は、いかでかいまする」と言ふをみれば、みし人なり。(伊勢)

訳 「このような道に、どうしておいでですか」と言う人を見ると、(以前に都で)会った人であった。


例文 さようならむ人をこそ見め。(源氏・桐壺)

訳 そういう人と結婚しよう。


例文 うち語らひて、心のままに教へ生ほし立ててみばや。(源氏)

訳 親しく交際して、自分の思い通りに、教え育て上げて結婚したい。


みゆ(見ゆ)

イメージ 「見る」+「ゆ(受身・自発・可能)」です。

文字通り、「見る」の意味もありますが、「結婚する」の意味もあります。

平安の当時、貴族の女性は、結婚するまで男の前には現れなかったので、

女性が男性に姿を見られる → 結婚

を意味することになりました。


ほか、現代語で、「見たところ、~と思われる」という用法がありますが、古語「みゆ」にも「思われる」という意味があります(文英堂)。

意味 1.見られる(受身)、見せる(可能) 2.結婚する 3.思われる

例文 かかる異様(ことやう)のもの、人に見ゆべきにもあらず。(徒然)

訳 このような変わり者は、結婚しないほうがよい。

※末尾の「あらず」の訳、数研が「結婚しないほうがよい」、三省堂は「結婚してはならない」。


例文 いかならむ人にもみえて、身をも助け、幼き者どもをはぐくみ給ふべし。(平家・七・維盛都落)

訳 (相手が)どのような男であっても、(あなた自身の)身を助けるために、幼い子供たちを(大切に)育ててください。


ねんごろなり(懇ろなり)

現代語では「ねんごろ」は男女の友人関係を超えたことの婉曲表現(=いわゆる「肉体関係」)でもあるが(出典は三省堂新明快国語辞典 第八版など他)、古語ではそういう意味はない。

古語「ねんごろなり」は、「念がこもっている」→「熱心だ」「親切だ」の意味。現代語でも「ねんごろ」は漢字で「懇ろ」と書き、これは懇切丁寧(こんせつていねい)の「こん」の字であるので、古語の意味と通じる部分もある。

意味 1.心がこもっている・熱心だ・丁寧だ・一生懸命だ 2.親密だ・仲がよい


例文 狩(かり)はねんごろにもせで、酒をのみ飲みつつ、やまと歌にかかれけり(伊勢・八二)

訳 鷹狩り(たかがり)はそれほど熱心にしないで、酒ばかり飲みつつ、和歌を詠んでいた。


例文 ねんごろに語らふ人の、かうて後おとづれぬに、(更級日記)

訳 親密に交際していた人が、それから後は、たよりも無いので、


例文 思ひわびて、ねんごろにあひ語らひける友だちのもとに、(伊勢・一六)

訳 思い悩んで、親密に交際していた友人のところに、


ざえ(才)

「生まれつきの才能」のことではありません。平安時代の「才」とは漢学のことです。平安時代の男性貴族が習得すべき学問が漢学だったことに由来します。ただし、和歌や音楽などの事も「才」と言います。

意味 1.(漢学・漢詩文の)学問・学才 2.(音楽などの)技能・才能


例文 なほ、ざえをもととしてこそ、大和魂(やまとだましひ)の世に用ゐらるる方も強うはべらめ。(源氏)

訳 やはり、学問を基本としてこそ、実務の能力が世間で重んじられるということも強くありましょう。

※例文中の「大和魂」とは、漢学に対して、日本人が本来持っている実務能力や実践的な知恵のことです(数研および文英堂の見解)。


例文 琴(きん)弾かせたまふことなん一のざえにて、次には横笛、琵琶(びは)、筝(さう)の琴をなむ、次々に習ひたまへる。(源氏・絵合)

訳 琴をお引きになるのが第一の才能で、次には横笛、琵琶、筝(そう)の琴を、次々にお習いになった。


まうく(設く)

現代語の「設ける」とは少しニュアンスが違います。「準備する」の意味です。

設置するためには、準備が必要です。


「まうけの君(きみ)」は、君主になる準備のできている者、つまり「皇太子」のことです。

ほか、名詞「まうけ」で、「ごちそう」「食物」「準備」の意味があります。

「接待の場を設ける」→「ごちそう」 とでも覚えましょうか。


意味 準備する・用意する

例文 汝(なんぢ)、供養せむと思はば、まさに財宝をまうくべし。(今昔)

訳 お前は、(仏を)供養しようと思うなら、さしあたって財宝を準備しなさい。

文英堂・三省堂


ほか、「手に入れる」という意味の用法もありますが、数研出版しか紹介していない。


あるじまうけ

その字の通り、主がもてなす、「もてなし」の意味です。

古語では、「あるじ」をする、みたいな言い方で、「もてなし」をする、のような意味です。


あるじ

「あるじ」だけでも、「もてなし」の意味があります。単語集には、「もてなし」・「饗応」(きょうおう)などと書かれていたりします。

ただし、「あるじ」は、文字通り、「主人」の意味もあります(桐原・文英堂)。

例文 この人の家、喜べるやうにて、あるじしたり (土佐・二月一五日)

訳 この人の家では、喜んでいる様子で、もてなしをした

文英堂・桐原

三省堂に「あるじ」なし。


例文 方違へに行きたるにあるじせぬ所。(枕・すさまじきもの)

訳 方違え(かたたがえ)に行ったのに、もてなしをしない所

桐原・駿台

上記は、「すさまじき」(興ざめ)ものの一例です。


ためらふ

平安時代では「気を静める」「落ち着く」の意味です。現代語と同じ「躊躇する」の意味は鎌倉時代からです。

意味 1.気を静める・(心を)落ち着かせる 2.躊躇(ちゅうちょ)する 3.静養する・養生する

なお、「タメラウ」または「タメロウ」と発音する。「ラ」のまま発音しても良い。


例文 「風邪起こりて、ためらひはべるほどにて」とあれば、(源氏・真木柱)

訳 「風邪をひいて、静養しております間(/折 /時分)なので」という事なので、

河合(時分であって)・文英堂(折)・三省堂(間)


※なお、現代語の「躊躇する」の意味でよく使われる古語は「やすらふ」です。


例文 心乱れて、久しくためらひ給はず。(源氏・柏木)

訳 心が乱れて、長い間、気持ちを落ち着かせることができない。

河合

数研に「ためらふ」の独立項目なし。「やすらふ」の脚注あつかい。


関連語

やすらふ(休らふ)

意味 1. 躊躇(ちゅうちょ)する・ためらう 2. 立ち止まる・休む

上記の意味の共通点は、なにかの行動を停止するイメージです(文英堂・)。

なお、「ヤスラウ」または「ヤスロウ」と発音する。「ラ」のまま発音しても良い。


例文 やすらはで寝なましものをさ夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな。(後拾遺)

訳 (あなたに会えないのだったら待たずに)ためらわないで寝てしまえばよかったのに。(実際は夜明けまであなたを待ったので)夜が更けて西に沈もうとする月を見てしまったよ。

文英堂・駿台


しげし(繁し)

イメージ 現代語では草木が多いときに「しげる」と言いますが、古語では草木以外でも使います。なお現代語でも、商売繁盛のハンの字のように草木以外でも使うことがあります。「足(あし)しげく通う(かよう)」とか(マドンナ古文)。

例文 されど人目しげければ、え逢はず。

訳 しかし、人目が多いので、あうことができない。


※ 桐原、文英堂の単語集で「しげし」を紹介。紹介している単語集が少ない。


ありし

意味 以前の・過去の・昔の

例文 大人になりたまひて後は、ありしやうに御簾(みす)の内にも入れやまはず。(源氏・桐壺)

訳 (光源氏が)大人になってから後は、以前のようには(藤壺の女御の)御簾の中にもお入れにならない。



(然)

意味 そのように・そう


例文 まことにさにこそ候ひけれ。(徒然草・四一)

訳 ほんとうにそのようでございましたなあ。



さながら

文法的には副詞「さ」+助詞「ながら」です。意味については、一説には、「そのまま」が原義で、「数量がそのまま」→「全部」というように意味が広がっていったという説もある(河合・桐原・数研)。


意味 1.そのまま 2.全部

例文 七珍万宝さながら灰燼(くわいじん)になりにき。(方丈)

訳 (火事で)多くの財宝がすべて灰になってしまった。

数研・河合・駿台

例文 取りたる(/取りける)物ども、さながら返し置きて、帰りにけり。(十訓抄・六)

訳 (強盗は)取ったものを、そのまま(/すべて)返し置いて、帰ってしまった。

桐原(取りける・すべて)・駿台(取りたる・そのまま)

文英堂に「さながら」無し。


とふ

「問う」「弔う(とむらう)」の2つの意味があります。

なお、別の節で述べますが、「とぶらふ」という古語もあり、意味は「弔う」です。


とぶらふ(訪ふ、弔ふ)

現代語の「弔う」(とむらう)の祖先に当たる語ですが、しかし古語「とぶらふ」の基本的な意味は「訪れる」「訪問する」の意味です。「弔問(ちょうもん)する」の意味もありましう。

「とふ」(問ふ、弔ふ)とも関連させて、覚えましょう。

なお、現代語の「たずねる」には、「質問する」「訪問する」の意味があり、なんだか「とふ」「とぶらふ」の意味が混ざったような意味になっています。


さて、「とぶらふ」について、平安時代の時点では、病人へのお見舞いをする意味もありました。(現代語の「とむらう」には見舞いの意味は無い) また、平安時代の時点で、(現代語と同様の意味で)死者やその遺族への弔問(ちょうもん)・供養(くよう)をすることも「とぶらふ」というように意味が広がっていました。お見舞いをするにも訪問するし、弔問するにも訪問するからでしょう。現代に漢字を当てる場合、訪問の意味なら「訪ふ」を、弔問の意味なら「弔ふ」を当てるのが通例です。一説には、「とふ」(問ふ)の派生だという説もありますが(駿台と文英堂で紹介している)、不明です。


意味 1.訪問する・訪れる 2.見舞う 3.弔う(弔問・供養)


例文 能因島に舟を寄せて、三年(みとせ)幽居(いうきよ)のあとをとぶらふ。(奥の細道)

訳 能因島に舟を寄せて、三年間、(能因法師が)静かに隠れ住んでいた住居の跡を訪問する


例文 国の司までとぶらふにも、え起き上がり給はで、舟底(ふなぞこ)に伏し給へり。(竹取・龍の頸の玉)

訳 国司が参上して見舞うときにも、(大納言は)起き上がることがおできにならないので、舟底で横になっていらっしゃる。


例文 胸をいみじう病めば、友だちの女房など、数々来つつとぶらひ、(枕)

訳 胸をひどく患ったので、友達の女房などが数々来ては見舞い


例文 後のわざなどにも、こまかにとぶらはせたまはふ。(源氏・桐壺)

訳 (※桐原の単語集に掲載してある。他の単語集で見つからないので保留。平安時代の弔問での用法の例。)


誰かが死んだ文なら、「とぶらふ」は「弔う」「供養する」などの意味でしょう。

例文 父母の後世をとぶらひ給ふを哀れ(あはれ)なる。(平家)

訳 父母の後世を供養なさるのが気の毒だ。

単語35

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あらぬ

「別の」「意外な」

訳が単語集の著者によって異なる。


例文 今日はその事をなさんと思へど、あらぬ急ぎまづ出で(いで)来て、(徒然・一八九)

訳 今日はその事をしようと思っていても(思うけれども)、意外な(/違う)急ぎの用事がまず出てきて、

文英堂・駿台・河合


例文 「説孝(/則隆)(のりたか)なめり」とて見やりたれば、あらぬ顔なり。(枕・職の御曹司の西面の)

訳 「説孝(/則隆)であるようだ」と思って見てみると(見たところ)、違う(/別の)顔である。

文英堂・駿台・河合


ありし

動詞「あり」に完了の助動詞「し」がついた形。(形容詞ではない。)

「以前の」「昔の」「生前の」である。

語源は助動詞「し」だろうが、活用はせずに「ありし」の形のままで連体詞として使う。

というか、そういう活用のない連体修飾語の単語のことを「連体詞」という。また、連体詞は、その名の通り、体現のみを修飾します。


遠い過去に「ありし」をつかう事が多い。

現代語の「在りし日の思い出」とかの「ありし」と同じ。まあ、今どき小説やマンガ以外で、こんな表現は日常では使わないかもしれないが。

比較的近い過去を言う場合は「ありつる」になる(数研・文英堂)。

例文 大人になりたまひてのちは、ありしやうに御簾(みす)の内にも入れたまはず。(源氏・桐壺)

訳 (光源氏が)大人におなりになった後は(/元服しなさった後は)、(帝は)以前のように(藤壺の)御簾の中にもお入れにならない。

文英堂・三省堂

副詞のように使いたい場合は、「ありしやうに」のように「やうに」をつける。

「ありつる文(ふみ)」「あえいつる御文(おふみ)」で、「先ほどの手紙」や「例の手紙」のような意味になります。

「ありつること」で「先ほどのこと」です。


古語の連体詞には、

ありし - 昔の、以前の、生前の
ありつる - 以前の、 先ほどのの、 例の、前述の
あらぬ - 違った、 意外な
なでふ - なんという。どのような 
させる - 大した、これというほどの (数研・河合)
さしたる - 大した、格別な (数研)

などがあります。


「あらぬもの」で「別のもの」です(三省堂・桐原)。


例文 あらぬ急ぎまづ出で来て。(徒然・一八九)

訳 (今日はそのことをしようと思ったのに)思いがけない急用がまず出てきて


「さしたる」は、指示副詞「さ」 + サ変動詞「す」連用形(=「し」) + 存続の助動詞「たり」連用形(「たる」)

「さして」という副詞(「て」は連用形)もありますが、

未然形や終止形、仮定形がないので、活用とは考えず、それぞれ「さしたる」「さして」で、別個の単語として扱います。


「さしたる」「させる」は、下に打消しの語を伴います(桐原など)。


例文 させる能もおはせねば、(宇治拾遺・巻三・六話)

訳 大した(/これといった)才能もおありではないので

河合(これというほどの)・桐原(たいした)

三省堂・文英堂に、「さしたる」「させる」は無し。


「なでふこと」で、「なんということ」・「どれほどのこと」の意味。ほか、「なでふ」には副詞で「どうして」の意味の用法もある。

慣用句「なでふことかあらむ」で、「何ほどのことがあろうか(いや、あるまい)」(文英堂)・「たいしたことはない」(数研)の意味になる連語である。


ここら ・ そこら

「たくさん」とか「たいそう」のような数量や程度の大きい・多いさま のことです。

現代語の「そんなにも」に近いでしょうか(文英堂)。実際、文英堂では「そんなにも」を、「ここらの」意味の一つとしています。

「そこらへんの草」のような用法は無い(文英堂に現代語「そこらへん」)。


例文 ここらの国々を過ぎぬるに、駿河(するが)の清見(きよみ)が関と、逢坂(あふさか)の関とばかりなかりけり。(更級)

訳 たくさんの国々を通り過ぎたが、駿河の清美が関と逢坂の関ほどは、(心に残る場所)なかった。

三省堂・文英堂


うたて

「いやだ・不快だ」の意味。


例文 篳篥(ひちりき)はいとかしがましく、(ちゅりゃく)うたてけぢかく聞かまほしからず。(枕)

訳 ひちりきはたいそうやかましく、(中略)不快で(いやで)近くでは聞きたくない。

数研・文英堂


例文 (悪夢を見て起きた光源氏は)うたておぼさるれは、太刀を引き抜きて、(源氏・夕顔)

訳 (悪夢を見て起きた光源氏は)気味が悪く思ったので、太刀を引き抜いて、

桐原


「うたてあり」「うたてし」などの派生語もあり、同じく「いやだ・不快だ」の意味です。

「うたてし」は形容詞です。


あらまし


「計画」「予定」「予想」の意味です。名詞です。

現代語では「概要」か「概略」の意味ですが、古語では、意味が違います。


「まし」は反実仮想の助動詞「まし」だと考えられています。

「あら」は「あり」でしょう。

よって、「あら」+「まし」 = 「こうあってほしい」という意味からか、古語では「あらまし」は「計画」「予測」の意味です。

「だいたいのこと」の意味で用いるのは近世以降から(河合)。


「あらましごと」で、「将来のこと」(文英堂)、「予期する事柄」「願望する事柄」(数研)の意味。


例文 かねてのあらまし、みな違ひ(たがひ)ゆくかと思ふに、おのづから違はぬこともあれば、いよいよ物は定め難し。(徒然)

訳 以前からの計画は(/が)、すべて外れてしまうのかと思うと、偶然に(/たまたま)外れないこともあるので、ますます物事は予定しにくい。

数研・文英堂


おもておこし(面起こし)


「面目を施す(ほどこす)こと」です。なお、「面目」は「メンボク」または「メンモク」と読みます。

とはいえ、多くの人は「面目を施すこと」という現代語を知らないと思います。

対義語は、「面目が立たないこと」ですが、「面目をつぶす」と言ったら分かりやすいでしょうか。、

この逆が「面目を起こすこと」です。


「おもておこし」の対義語は、「おもてふせ」であり、「不名誉」「面目が立たない事」の意味です。


数研 あり。

桐原・三省堂・文英堂 には無し



たづき(方便)

「手付き」で「手がかり」の意味です(数研)。

しかし「方便」の字を当てます。

本気と書いてマジと読むとかの類でしょうか。古い日本人の考えることはよくワカラン。


「方法」「手段」の意味ですが、よく「生活の手段」の意味でも使われます。

「世に減るたづき」とか「世渡るたづき」で、「生計を立てる手段」のような意味です。

なお、現代語の「生計を立てる手段」とは、収入源となる仕事などのことであり、お金を稼ぐ手段のことです。

「たづき知らず」で「頼れるものがない」の意味です(河合)。


例文 「学問して因果(いんぐわ)の理(ことわり)をも知り、説教(/説経)などの世渡るたづきともせよ。」(徒然・一八鉢)

訳 「学問をして(=修めて)因果応報の道理をも理解し、説教などをして生計を立てる手段(/生活する手段)にせよ。」

数研(説教・生計を立てる手段)・文英堂(説経・生活する手段)・駿台(説経・生計を立てる手段)・河合(説教・生活する手段)


こころばへ(心ばへ)

1.気立て・性質 2.心づかい・気配り 3.趣・情趣


「心延へ」の字を当てることもあります。

外部に心が現れた様子だと言われます。あまり日常では聞かない語ですが、論理学や言語学や数学などの用語で「外延」(がいえん)という言葉があります。なお、対義語は「内包」(ないほう)です。

外延 ⇔ 内包

心の外延、「心延へ」。

「外延」という語は分かったが、肝心の「こころばへ」がよくワカランと思います。なんで心が外に現れると気配りになるのか意味不明。


例文 春の心ばへある歌奉らせ給ふ。(伊勢)

訳 春の趣(/情趣)のある歌を差し出させなさる。

桐原・文英堂

河合に無し。駿台は巻末おくり。

三省堂では、「こころ」脚注。


こころばせ

「気立て・性質・心づかい」の意味。

数研のみ、独立項目。

桐原・文英堂では、「こころばえ」脚注。

三省堂に無し。


こころづくし(心尽くし)


「気をもむこと」「物思いをすることが多いこと」「物思いの限りをつくすこと

例文を見る限り、ここでの「物思い」は、なにか郷愁を感じたりとか、そういう感じな事のようです。


例文 木の間(このま)より漏り来る(もりくる)月の影見れば心づくしの秋は来にけり。(古今・一八四)

訳 木の間から漏れてくる月の光を見ると、物思い(/もの思い)をすることの多い秋が来たことだなあ(/ことであるよ)。

桐原・数研


三省堂・文英堂・駿台・河合に無し。


ものがたり ・ 物語


「雑談」・「世間話」という意味の名詞です。

ですが、story の意味でも使われます。『竹取物語』や『源氏物語』の物語と同じ。こちらstory の意味では、現代語とほぼ同じです。


例文 同じ心なる人ニ三人ばかり、火桶(ひをけ)を中に据ゑて、物語などするほどに、(枕・雪のいと高うはあらで)

訳 気の合う(気の合った)人が二、三人くらい、火桶を中に(/真ん中に)置いて、雑談(/世間話)などをするうちに、

桐原・文英堂


例文 世の中に物語といふものあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ (更級)

訳 世の中に(源氏物語などの)物語というものがあるそうだが、どうにかして(/なんとかして)見たいと(/読みたいと)思いながら

桐原・文英堂


河合・駿台に物語なし。


ほだし(絆)


「妨げ(さまたげ)」「障害」の意味です。

ですが、多くの場合、入試古文では「出家の妨げになるもの」の事を言います。

さらに、多くの場合、入試古文では、出家の妨げになるものは、妻子です。


例文 この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残(なごり)のみぞ惜しき(をしき)。(徒然)

訳 この世になんのしがらみ(=おそらく肉親)(/自由を束縛するもの)を持ってない身に、ただ、空の名残だけが惜しい(/空の風情だけが名残惜しい)。

駿台(自由を束縛するもの・空の風情だけが名残惜しい)

徒然草の作者・兼好法師はおそらく独身、もしくは出家済みで、親族との縁を断っている。父母も寿命でとうの昔に亡くしているのだろう。


まほなり(真秀なり・真穂なり)


「まほなり」=「完全だ」

現代語でも「真っ白」というときの「まっ」に名残があると考えられています(桐原)。

「真っ白」は英語にすると pure white 「純白」で、英語の perfect とは若干、ニュアンスが違います。

対義語は、

かたほなり(片秀なり・偏なり)」=「不完全だ」

です。

対義語とセットで(/ペアで)覚えましょう(数研「セットで」・三省堂「ペアで」)。

まほなり ⇔ かたほなり

「かたほなり」の漢字「片秀なり・偏なり」は、三省堂にある。


例文 いまだ堅固(けんご)かたほなるより、上手の中に混じりて、(徒然)

訳 まだまったく不完全なころから(/未熟なうちから)、上手な人の中にまじって(/交じって)、

文英堂・数研


例文 かたほなるをだに、乳母(めのと)やうの思ふべき人は、あさましうまほに見なすものを、

訳 不完全な(/不完全である)子さえ、乳母のような(※「に」ではなく「な」)かわいがるのが当然な(/の)人は、あきれるほど完全に見なすものであるが、

桐原・三省堂


あやめ(文目)

「物事の道理・分別・筋道」の意味です。

「文目」(あやめ)とは、織物(おりもの)の模様の意味です。

規則正しく織られていることから、「道理」の意味になったと感がられています。


あやめも知らぬ」「あやめも知らず」で、「道理も分からない」という意味の慣用表現です(駿台)。


例文 ほととぎす鳴くや五月(さつき)のあやめ草(ぐさ)あやめも知らぬ恋もするかな。(古今和歌集・四六九)

訳 ほととぎすが無く五月のあやめ草、そのあやめ草ではないが、(私は)道理も知らない恋もするものだ。

駿台・桐原


例文 何のあやめも知らぬ賤(しづ)の男も、(源氏・胡蝶)

訳 なんの道理も分からない(/分別もつかない)身分の低い男も、

文英堂(道理も分からない)・駿台(分別もつかない)


「あやなし」は、「わけがわからない」「筋道が通らない」「道理に合わない」「むなしい」という意味です(文英堂「むなしい」あり・数研)。


むくつけし

例文 いとあさましく、むくつけきことを聞くわざかな。(堤)

訳 とてもあきれる、気味が悪いことを聞くものだなあ。

駿台・数研


三省堂に無い。

桐原は「おどろおどろし」脚注。


おほけなし


2つの意味があり、マイナスの「身の程知らずな」「分不相応だ」という意味と、プラスの「(立派で)おそれ多い」という意味があります。

意味 1. 身の程しらず 2.おそれ多い


一説には「負う気なし」が語源だと思われます。「身の程知らず」の意味の場合は本来なら引け目を感じるべきなのに、その引け目を感じてなくて、身の程知らずだ、のようなニュアンスでしょうか。

「立派でおそれ多い」の場合、そもそも立派で偉いので、引け目を感じる必要がなく、「おそれ多い」という感じでしょうか。


例文 なほいとわが心ながらもおほけなく、いかで立ちいでしにかと汗あえていみじきには、(枕・宮にはじめてまゐりたるころ(一八四))

訳 やはりまったく(/本当に)自分で決めたとはいえ身の程知らずで、どうして(宮仕えに)出てしまったのかと(/出仕してしまったのかと)冷や汗が流れて苦しいときに

桐原・三省堂


いそぐ(急ぐ)


「準備する」「急ぐ(現代語と同じ)」の意味があります。


例文 公事(くじ)どもしげく、春のいそぎに取り重ねて催し(もよほし)行はるるさまぞ、いみじきや。

訳 (十二月は)宮中の行事が頻繁で、新春の準備と重複して、催し行われる有様は、たいそうなものだ。

文英堂・桐原


いそぎ(急ぎ)

名詞「いそぎ(急ぎ)」=「準備」「急ぎ・急用(現代語と同じ)」


はべり


「あり」「をり」「仕ふ」の敬語の用法があります。

「仕ふ」の謙譲語。「あり」「をり」の丁寧語です。


例文 御前の方に向かひて、うしろざまに、「誰々かはべる」と問ふこそをかしけれ。(枕・)

訳 (蔵人が)(帝の)御前の方に向かって、(相手には)後ろ向きに、「誰々はお仕えしているか」と尋ねるのはおもしろい。

文英堂

上記は、宿直するものを点検する儀式です(文英堂)。


丁寧語の補助動詞の用法があります。

例文 「(あなたは必ず後の世の歌仙になるので)かやうのちぎりをなさるれば、申し侍る(はべる)なり」(無名抄)

訳 「このような(子弟の)約束をなさるので、申し上げるのです。」


おほす(仰す)

「命令する」「おっしゃる」の意味。

意味を2つ分けているが、まずは「おっしゃる」を先に覚えておいて、そこから、偉い人の命令してくるので「命令する」の意味もあると覚えれば済む。


例文 亀山殿(かめやまどの)の御池(みいけ)に、大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車(みづぐるま)を造らせられけり。

訳 (上皇は)亀山殿(かめやまどの)の御池(みいけ)に、大井川(オオイガワ)の水を引き入れようとして、大井の住民にお命じになって、水車(みづぐるま)を造らせなさった。

三省堂・ 高等学校国語総合/徒然草


例文 「少納言よ、香炉峰(かうろほう)の雪いかならむ。」と仰せらるれば、

訳 「少納言よ、香炉峰(かうろほう)の雪は、どうなってるかね。」と(中宮様が)おっしゃるので、

三省堂・ 高等学校国語総合/枕草子


例文 火をつけて燃やすべきよし仰せたまふ。

訳 (手紙と不死の薬を、)火をつけて燃やすようにと、(帝は)ご命令になった。

桐原・中学校国語 古文/竹取物語


かし

「かし」は念押しの助詞である。

「~ね」とか「~よ」の意味。

願望の意味はない。


古代ローマの格言「健全なる魂は健全なる肉体に宿る」は、本当は「健全なる魂が健全なる肉体に宿ってほしいものだ」のような意味なのだが、これがある翻訳では「健全なる魂は健全なる肉体に宿れかし」と訳された。

このためか、現代日本では「かし」を願望と誤解する人がいるが、誤用である。


たまふ (給ふ、賜ふ)

尊敬や謙譲の補助動詞の意味のほかにも、尊敬語で「お与えになる」という意味があります(数研「尊敬語」。三省堂「尊敬語」)。

「尊敬語」と覚えるよりも、「お与えになる」という訳語ごと覚えましょう。

たまはる」=「いただく」とセットで覚えましょう。(河合「たまはる」。数研「たまはす」)


普通、「たまはる」で受け取る側は、身分が下です。つまり、身分の高い人がプレゼントして、身分の低い側が受け取ります。

なので、「受け取る」を丁寧に言うので、「いただく」になります。

文法的には、「たまはる」は謙譲語です。ただ、それだけを覚えるよりも、身分の低い側が受け取る事を覚えて、「いただく」と覚えれば、そこから謙譲語だと連想でき、記憶が強固になります。


補助動詞としては、尊敬語・謙譲語の両方ともある(三省堂・河合)。要するに、敬語全般だと覚えましょう。


例文 「娘を我にたべ。」(竹取)

訳 娘さんを私に下さい。

文英堂・数研

現代だと、「娘さんを私に下さい」は、すでに恋愛が成就しているカップルの男性が、女性側の父親(男から見れば義父になる予定)に報告するときの定型の慣用句だが、

しかし竹取物語の時代は、これから求婚するときの、親に交際の許可を申し込むときの挨拶である。


たまはる


例文 禄(ろく)、いまだたまはらず。(竹取)

訳 褒美を、まだいただいていない。

駿台


古文の「禄」は、褒美の意味です(駿台・河合・三省堂)。


例文 親王(みこ)たち上達部(かんだちめ)連ねて、禄ども品々に賜はり給ふ。(源氏・桐壺)

訳 親王たちや上達部たちが並んで、褒美を身分に応じて、いただきなさる

文英堂・桐原


「品」は身分の意味。信濃(「しな」の)が山地の高低差なので、高低差 → 身分格差 → 身分 と覚える。


たまはす」(賜はす、給はす) と 「たまはる」(賜はる、給はる) は、意味が違います。


「たまはす」は、「お与えになる」という尊敬語であり、「たまふ」よりも高い敬意がある(数研)。


「たまはむ」=「あ与えになろう」 というのもあるので(三省堂)、混同しないように注意。


実際には、鎌倉時代以降、混同により、(「る」のほうの)「たまはる」にも「くださる」というプレゼントの尊敬の意味の用法も生まれている(文英堂・河合・桐原)。

このような混同の歴史があるので、新共通テストあたりでは、区別の問題は問われづらいだろう。出願されたら諦めよう。


おとなふ

「訪問する」「手紙を送る」の意味があります。

現代語の「音信不通」に名残があります。

音信不通とは、連絡などが無くて消息が分からない事です。

携帯電話もない時代、手紙が連絡手段です。

または、実際に訪問することでも、相手との連絡を取れます。


桐原・文英堂に、例文なし。「とぶらふ」の関連語としての紹介のみ。

例文 古りにたるあたりにとて、おとなひきこゆる人もなかりけるを。(源氏物語)

訳 古びたところだとして、訪問し申し上げる人もいなかったが

数研・三省堂

河合出版に「おとなふ」なし。


「音を立てる」の用法もある(数研)。

徒然草の「つゆおとなふものなし」

は、「まったく音をたてるものがない」という意味。なお、前後の文脈で、「露」(つゆ)と掛けている。


ひがこと

イメージ 「ひが」は「間違った・ひねくれた」という意味の接頭辞です。現代語でも、動詞「ひがむ」は、物事を正しく受け取らずに自分が不利にあつかわれていると間違って解釈する事を言います。古語では、見間違いを「ひが目」、聞き間違いを「ひが耳」と言います。

意味 間違い

そらごと

意味 うそ

例文 あさましきそらごとにてありければ、はよ返したまへ。(竹取・蓬莱の玉の枝)

訳 あきれるほどの嘘であったので、早く返してください。

※ かぐや姫の求婚の条件として庫持(くらもち)の皇子が渡した蓬莱(ほうらい)の玉の枝が、偽物であった場面。


例文 世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くはみな虚言(そらごと)なり。

訳 世間で語り告がれていることが、本当はつまらないのか、多くはうそである。


かちより(徒歩より)

意味 徒歩で

例文 ただ一人、かちより詣で(まうで)けり。(徒然)

訳 たった一人、徒歩で参詣した。


さた(沙汰)

イメージ 現代語で「裁判」のような意味ですが、古語でも似たような意味があります。古語でのもともとの意味は、沙汰の「沙」とは砂金などのことで、「汰」は淘汰のことで、砂金などをふるいわけて良と不良のものを選別することです。選別から判定や評定のような意味が生まれ、そして「裁判」のような意味になりました。裁判は権力が行うわけですので、上司などからの命令も沙汰ということになります。裁判や評定も、何かの解決のための処置や始末として行うので、「処置」や「始末」という意味になったと考えれば覚えやすいでしょう。裁判ではあれこれ議論することから、転じて「噂」の意味にもなったと考えれば覚えやすいでしょう。


意味 1.評定・評議・裁判 2.処置・始末 3.命令 4.噂・評判


例文 いかがはせんと、沙汰ありけるに。(徒然)

訳 どうしようかと、評議があったときに。


例文 人の遅く沙汰せしことどもをも、すなはち疾く(とく)沙汰して、(今昔・一七七段)

訳 人が遅く処置したことを(=なかなか処置しなかったことを)、即座に早く処置して、


例文 「風邪起こりたり」と云ひて(いいて)、沙汰の庭に出でざり(いでざり)ければ、(今昔・三一巻)

訳 「風邪を引いた」と言って、裁判の場に出なかったので、


例文 この歌の故にやと、時の人沙汰しけるとぞ。(著聞・和歌)

訳 この歌のためかと、当時の人はしたという。


よし

「よし」は絶対評価で「良い」という意味。


よろし

「よろし」は相対評価で「良い」という意味。「わるくない」と訳したほうが自然な場合もある。

また、「悪くない」から転じてか、「普通だ」の意味もあるので、要注意。


あし

絶対評価で「よくない」という意味。現代語でも「あしき前例」などというのに、名残がある(数研)。


わろし

相対評価で「悪い」という意味。「悪い」と訳さず、良くないと訳したほうが自然になる場合が多い。


応用問題です。

ひとわろし(人わろし)


「ひとわろし」は「みっともない」の意味です。


「わろし」は「良くない」でした。

「よくない」、「みっともない」、と両方とも「ない」の字が共通しているので、これで覚えましょう。

ついでに「ひと」=「みっと」で覚えましょう。「みっと」って何だよ・・・、と思うかもしれませんが、発音が両方とも「と」で終わってるので、覚えやすいので、覚えよう。

「ひとわろし」=「体裁(ていさい)が悪い」という訳もありますが、上記の「わろし」から応用しづらいので、まず「みっともない」で覚えましょう。


例文 烏帽子(えぼし)のさまなどぞ、すこしひとわろき。(枕・一一九)

訳 烏帽子の様子などは(などが)、少しみっともない。

桐原(などは)・文英堂(などが)


なお、「見ともうもない」が「みっともない」本当の語源らしいです。

「ひとわろし」には「人柄が悪い」という意味はなく、試験の選択肢でそれがあれば、誤答です(三省堂)。


三省堂には無い。

河合出版いわく、「人聞きが悪い」で覚えるべきだと。古語ですでに、外聞という意味の「人聞き」があるとの事です(河合)。

だから河合出版は、「ひとわろし」=「人聞きが悪い」で導入をしています。

発音も近いし、覚えやすいでしょう。河合方式の教育法も、よさそうです。

ただ当wikiでは、「わろし」の応用問題としての「ひとわろし」の紹介なので、河合のこの説による導入は採用しませんでした。


よもすがら(夜もすがら)

「夜もすがら」で覚えましょう。「一晩中」の意味です。「よすがら」も同じ意味です。「すがら」は「〜の間中」の意味ですので、たとえば「道すがら」なら「道中」の意味です。

対義語は、「ひねもす」「ひぐらし」です。


例文 雨風やまず。日一日(ひ ひとひ)、よもすがら、神仏(かみほとけ)をいのる。

訳 雨風がやまない。一日中、一晩中、神や仏に祈る。


ひぐらし(日暮らし)

意味 一日中


当てた漢字の「日暮らし」を覚えましょう。日暮れだけでなく夜も含んでの一日中ですが。


ひねもす(終日)

意味 一日中

例文 雪こぼすがごと降りて、ひねもすにやまず。(伊勢・八五)

訳 雪がこぼすように降って、一日中やまない

数研・河合

「ひねもす「」には「終日」の漢字を当てますが(文英堂・桐原)、しかし、「本気と書いてマジと読む」と同レベルの当て字なので、記憶に役立ちません。


仕方ないので、まず「日暮らし」のほうを先に覚えて、発音の似ている「ひねもす」も同じ意味だと連想しましょう。

駿台では、「ひぐらし」巻末、「ひねもす」無し。


かつ(且つ)


累加の意味での「その上」の意味は、江戸時代から生じました。「奥の細道・松島」などに「かつ」の例がある。

数学で言う積集合(あるいはブール代数 and )の「かつ」とは意味が違うので注意。


古語では、2つの事が並行して起きることを示す副詞であり、下記のように使います。

例文 恋のごとわりなきものはなかりけりかつ睦れつつかつぞ恋しき(御饌・五八三)

訳 恋のように理屈に合わないものは無いものだ。、一方では親しく接しながら(接しながらも)一方では恋しい

桐原・文英堂


方丈記の冒頭ちかくにある有名な一説にも、「かつ」がある

例文 よどみに浮かぶ(うかぶ)うたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

訳 よどみに浮かぶ水の泡は、一方では消え、一方では出来て、長い間とどまっている例はない。

三省堂


「一方では」という並行の意味の他にも、「すぐに」という、連鎖的な即座の反応のような意味もあります。


例文 かつあらはるるをも顧みず、口に任せて言ひ散らすのは、やがて浮きたることと聞こゆ。(徒然草・七三段)

訳 すぐに露見するのも(/ばれてしまうのも)かまわず(/考えないで)、口に任せて(/口から出まかせに)言い散らすのは、すぐに根拠のないことと(/根拠のないことだと)分かる。

三省堂・桐原


「その上」の意味の「かつ」は、江戸時代からです(文英堂)。


上記のどの用法でも、必ず「 A かつ B 」のように、前後に A と B の両方が存在します。


はた

意味「(累加の意味の)また」「ひょっとすると」

発音の似ている「また」で覚えましょう。

「はたまた」というし。


or の意味の「また」ではないので注意。

ブール代数の逆。ブール代数を知らない人は、情報Iを参照。


せめて

入試では、「無理に」「しいて」の意味です。

現代語では「最低限これだけは」という最低限の要望のことですが、実は古語でもこの用法があります。コトバンク

最小限これだけは実現してほしかった、実現してほしい、という話し手の気持を表わす。これだけでも。少なくとも。

    [初出の実例]「ぜひなく位を押し取られ給て、せめて廿年の御宝算をだにも保たせ給はず」(出典:金刀比羅本保元(1220頃か)上)
    「跡に留(とど)めし妻子共も如何成りぬらんと責(せめ)て其の行末を聞て後心安く討死をもせばや」(出典:太平記(14C後)一一)

最低限の要望も、鎌倉時代からある用法です。ただし入試では、軍記物などは出ないので、この用法は出づらいと思います。

別に「大学が左翼だから出さない」とかじゃなくて、歴史学的に軍記モノは信ぴょう性に疑問がもたれていますので、まあ出ないでしょう。


「無理に」「しいて」の意味では、現代語の「迫って」(せまって)にニュアンスが近い。

コトバンクが分かりやすいので、そのまま引用

 ( 動詞「せむ(迫)」「せめる(責)」の連用形に「て」が付いてできたもの。対象に間隔を置かず、さしせまって、逼迫(ひっぱく)して、の意から )
1 ( 他にせまり他をせめる意から ) しいて。むりに。たって。つとめて。

    [初出の実例]「せめて対面にと言ひければ」(出典:平中物語(965頃)二七)
    「いとどいみじき物思ひさへまさる心地して、恥づかしくいみじけれど、せめてのたまへば」(出典:宇津保物語(970‐999頃)俊蔭)

2 ( 自分にせまり自分をせめる意から ) 切実に。しきりに。熱心に。

    [初出の実例]「時をいつとはわかねどもせめてわびしき夕暮れはむなしき空を眺めつつ」(出典:平中物語(965頃)三)
    「人やあるともおぼしたらで、せめて弾き給を、きこしめせば」(出典:大鏡(12C前)六)

3 非常に。ひどく。たまらなく。はなはだしく。

    [初出の実例]「せめておそろしきもの、夜鳴る神」(出典:枕草子(10C終)二六四)
    「せめてさうざうしき時は、かやうにただ大方にうちほのめき給ふ折々もあり」(出典:源氏物語(1001‐14頃)幻)

4 ( ①から⑤へ移る過程的な意味で ) むりにがまんすれば。しいていえば。

    [初出の実例]「是はせめて俗人なれば言ふに足らず。彼の文観僧正の振舞を伝(つたへ)聞こそ不思議なれ」(出典:太平記(14C後)一二)

5 最小限これだけは実現してほしかった、実現してほしい、という話し手の気持を表わす。これだけでも。少なくとも。

    [初出の実例]「ぜひなく位を押し取られ給て、せめて廿年の御宝算をだにも保たせ給はず」(出典:金刀比羅本保元(1220頃か)上)
    「跡に留(とど)めし妻子共も如何成りぬらんと責(せめ)て其の行末を聞て後心安く討死をもせばや」(出典:太平記(14C後)一一)


例文 せめておそろしきもの、夜鳴る神」(枕)

訳 ひどく(非常に)恐ろしいもの、夜鳴る雷

文英堂(ひどく)・数研(非常に)・桐原(ひどく)

河合に「せめて」なし。駿台に「せめて」はあるが、上記とは別の例文。

ほか、

[初出の実例]「せめて対面にと言ひければ」(出典:平中物語(965頃)二七)

平安時代から「対面」という語はある。意外。


など ※副詞

文頭に「など」で、「なぜ」・「どうして」の意味がある。

英語の why と同様、理由をたずねる言葉です。


例文 「など答へ(いらへ)もせぬ」と言えば、 (伊勢・六二段)

訳 「どうして答え(/返事)もしないのか(/なさらないのか)」と言うと、

桐原・文英堂・数研(返事もなさらないのか)


例文 などかく疎ましきものにしもおぼすべき。(源氏・帚木)

訳 どうしてこのように疎ましいと(/いやな者だと)お思いになっていいものだろうか(/よいものだろうか)

三省堂・河合(いやな者だと)


係助詞「か」のついた「などか」もあり、同じく「なぜ」「どうして」の意味(文英堂・数研)。


なでふ(読み:ナジョウ) ・ なんでふ(読み:ナンジョウ)

意味は、

疑問の副詞「どうして」
反語の副詞「どうして~か、いや~ない」
連体詞「なんという」「どんな」

連体詞の「どんな」の意味は、三省堂と河合が紹介。

おそらく、元々は「なにといふ」(何と言ふ)という言葉だったと考えられている(桐原 巻末 ・文英堂・河合)。

「何条」と漢字をあてることもある(桐原)。桐原しか何条を紹介していない。


例文 なでふ、かかるすき歩きをして、かくわびしきめを見るらむと、(大和・一〇三)

訳 どうして、このような道楽歩きをして、このようなつらい目を見るのだろうと、

文英堂・三省堂


例文 なんでふ物の憑くべきぞ。 (宇治・三の六)

訳 どうして私に物の怪のとりつくはずだろうか、いやとりつくはずがない。

数研・文英堂


例文 こは、なでふ事をのたまふぞ。(竹取・かぐや姫の昇天)

訳 これは、なんという事をおっしゃるのか。

桐原「こは」・文英堂「こは」・河合「こは」・駿台(例文「これは」)


例文 なでふ女が真名書は読む。(紫式部日記)

訳 どうして(/どのような)女が漢籍を読むのか。

桐原


はやく ・ はやう

三省堂・桐原に「はやく」無し。

意味

以前から
なんとまあ
すでに
もともと(河合が紹介)

うまい覚え方は無い。

入試に出たら、諦めましょう。満点でなくても他教科が出来れば合格できます。


れいの(例の)

「いつもの」「いつものように」の意味の連語です。

現代語にない用法として、用言を修飾する事ができます。用言を修飾する場合、「いつものように」と訳します。

「れいの」の「の」は格助詞「の」である(数研)。


例文 日暮るるほどに、例の集まりぬ。(竹取・貴公子たちの求婚)

訳 日が暮れるころ、いつものように(求婚者たちが)集まった。

数研(暮れる頃)・三省堂


河合は「れい」(例)で調べるとある。

駿台にある。 文英堂に無い。


対義語は「れいならず」


「れいならず」は、「いつもと違う」・「病気だ」の意味である(数研・三省堂)。

連語・慣用句

[編集]

音に聞く(おとにきく)

意味 うわさに聞く

例文 音に聞きし猫また(徒然)

訳 うわさに聞く猫また


例文 音に聞くと見る時とは、何ごとも変はるものなり。(徒然)

訳 うわさに聞く時と(実際に)見る時とでは、何事も違うものだ。


音を泣く(ねをなく)

意味 声を上げて泣く

例文 音を泣きたまふさまの、心深くいとほしければ、(源氏・夕顔)

訳 声を上げて泣きなさる様子が、情が深く気の毒なので、


人となる(ひととなる)

意味 1.一人前になる 2.正気に戻る

例文 二人の子、やうやう人となりて後、(発心・六の四)

訳 二人の子が、しだいに一人前になって、


例文 やうやう生き出でて(いでて)、ひととなり給へりけれど、(源氏・夢浮橋)

訳 (浮舟は)しだい元気が出てきて、正気に戻りなさったけれども、


人やりならぬ(ひとやりならぬ)

意味 ※ 自分の意志で決めたことに使う。「自分のせいで」という意味の場合もある。文脈に合うように上手く訳せ。ここでの「人」は他人のこと。


「人やり」とは、「他人から強制されてすること」です(数研・三省堂)。

例文 人やりならぬ道なれば、行き憂しとしてとどまるべきにもあらで、(十六夜)

訳 自分の意志でする道(=この文脈では「旅」)なので、行くのがいやだと言って留まるわけにもいかないので、

文英堂・三省堂


例文 人やりならず、心づくしに思し(おぼし)乱るることどもありて、(源氏)

訳 自分のせいで、心づくしに思い乱れることもあって、


ただならず

イメージ 「普通でない」が本来の意味ですが、女性が妊娠すると普通の体ではなくなるので「妊娠する」の意味もあると覚えましょう。

意味 1.普通でない 2. 妊娠する


例文 実方(さねかた)の中将、寄りてつくろふに、ただならず。

訳 実方の中将が、近寄って(女房の赤ひもを)結びなおすが、(彼の様子が)普通でない。


例文 男、夜な夜な(よなよな)通うほどに、年月も重なるほどに、身もただならずなりぬ。(平家・八・緒環)

訳 男が毎晩通ううちに、年月も重なるころ、(女の)身も妊娠した。


数ならず(かずならず)

ここでいう「数」とは、数える価値あるものの数です。それがないと言っているのですから、数える価値のない、つまり「取るに足らない」の意味になります。自己卑下で使う場合もあります。

意味 取るに足らない

例文 数ならず身はえ聞き候はず。(徒然・一〇七)

訳 取るに足らない身(の私)では、聞くことができません。

桐原(身では聞くことが)


「身分が低い者」というニュアンスで「数ならぬ」「数ならず」などが使われる事もよくあります。


名に負ふ(なにおう)

「名にし思ふ」という場合もあります。「し」は強意の副助詞です。

意味 1.名前をもつ 2.有名である


例文 名にし負はばいざ言(こと)問はん都鳥わが思ふ人はありやなしかと(伊勢・九)

訳 (都鳥という)名前を持つならば、さあ(お前に)尋ねてみよう、私の愛する人は元気でいるかと。


例文 花橘(はなたちばな)は名にこそおへれ、なほ梅のにほひにぞ、いにしへの亊も立ちかへり恋しう思ひ出でらるる。(徒然・一九)

花橘は有名であるが、やはり梅のにおいのほうが、昔のことも立ち返って思い出される。


いとしもなし

「いと、しも、なし」という構造です。

「いと」=「とても」、「し」は強意の副助詞、「も」は強意の係助詞(※桐原の単語集)、それが「無し」で打ち消される。「しも」でひとつの強意の副助詞とみなす解釈もあります(※三省堂や文英堂)。「愛しも」ではないので注意しましょう。


意味 大したことのない

例文 才(ざえ)はきわめてめでたけれど、みめはいとしもなし。(古本説話集・四)

訳 漢学の素養はこの上なく立派だけど、外見は大したことでもない。


さがなし


「さがなし」は、「意地が悪い」「意地悪だ」または「いたずらだ」の意味です。

「性無し(さがなし)」が語源だろうと考えられています。暗記としては、現代語の「性格が悪い」を連想しましょう。

「性」のことを「さが」と読みます。「生まれつきの性質」のような意味です。

「人間の(悲しい)さが」とか「男のさが」とか、そんな風に使います。「変えようと思っても変えられない」的なニュアンス。

1980年代ごろのマンガやゲームで、よく「サガ」という名前が出てきましたので(セイント星矢の双子座のサガ(人名)。 ゲームのRPGの「サガ」シリーズ、など)、関連づけて覚えましょう。


「意地が悪い」の例文。

例文 東宮の女御のいとさがなくて、(源氏・桐壺)

訳 皇太子の(母の)女御がとても(/たいそう)維持が悪くて、

桐原・文英堂


「いたずら」の意味の例文。

例文 さがなき童(わらは)べどものつかまつりける、奇怪(きくわい)に候ふことなり。(徒然・二三六)

訳 いたづらな子供たちがしでかしたことで(/いたしましたことで)、けしからん(/けしからぬ)ことでございます。

数研・三省堂・文英堂・河合・高等学校国語総合/徒然草

上記は、子供たちが、神社の獅子(しし)と狛犬(こまいぬ)を動かして、背中合わせにした事についての話です。


いぶせし


「気が晴れない」「心が晴れない」「気がかりだ」という意味と、「不愉快だ」「うっとうしい」の意味があります。


コジツケですが、現代語で「煙でいぶす」とか言いますが、なにか煙で景色が見えない感じを想像すると、覚えやすいかもしれません(三省堂も、この方式をコジツケを採用)。

現代語の「いぶかしがる」が、ニュアンスが近いです。

古語では「いぶかし」や「いぶかる」の「いぶ」と語源が同じです(桐原)。おそらく、「せし」は「狭し(せし)」でしょうか(文英堂・河合)。


例文 いかなる事、といぶせく思ひわたりし年ごろよりも、(源氏・椎本)

訳 どのような事かと(/どういうことかと /どうなることかと)、気がかりに思い続けてきたここ数年(/数年間 ・ /長年)よりも

桐原(どういうことか・長年よりも)・河合(どうなることかと ・ 数年間)


河合出版の紹介する説では、「いぶせし」にもともと「気がかりだ」の意味は無く、下記の「いぶかし」との混同により、「気がかりだ」の意味が「いぶせし」にも生じたとの説です。

ですが、高校生は、そこまで深入りする必要はありません。


例文 一日二日(ひとひふつか)たまさかに隔つる折だに、あやしういぶせき心地するものを。(源氏・須磨)

訳 一日二日たまに(/わずかに)離れる時でさえ、不思議に気が晴れない(/気がかりな)気持ち(/心地)がするのに。

三省堂・文英堂


いぶかし

「気がかりだ」、「気になるので知りたい」(桐原・文英堂)の意味です。


単語集では、「いぶせし」の脚注に、「いぶかし」のある場合が多いです。


まさなし(正無し)


「正しくない」「よくない」の意味。どう良くないのかは、文脈による。

「都合が悪い」とか「見苦しい」とか、文脈にあわせて判断する。


例文 (かぐや姫が竹取の翁に言った。)「声高になのたまひそ。屋の上に居る人どもの聞くに、いとまさなし。」(竹取・かぐや姫の昇天)

訳 声高におっしゃらないでください。屋根の上にいる人たちに聞くと、とてもよくない(/みっともない。)。

三省堂・桐原・文英堂(みっともない)


上記の文では、天人を迎撃しようとする警備のために、屋根の上に帝の部下たちの兵士がいます。


例文 何をか奉らむ、まめまめしきものはまさかりなむ。(更級)

訳 何をさしあげましょうか。実用的なものはきっとよくないでしょう。

文英堂・桐原「まめまめし」・高等学校古典B/更級日記


更級日記の作者の幼少時代の話で、この会話のあと、作者は、当時の文学(『伊勢物語』や『源氏物語』など)の書物をもらいます。


こころをやる(心を遣る)

「気を晴らす」「思いをはせる」「得意になる・満足する」の意味の連語。

桐原・数研にある。

河合は「こころやる」・

三省堂は「やる」脚注。

駿台に無し。

掲載単語集の少ないマニアック単語

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検索用フレーズ 「マニアック単語」。「マニアック古文単単語」 「少ない単語」


そでをしぼる(袖を絞る) ・ そでをぬらす(袖を濡らす)


「涙を流す」の意味です。


文英堂「しほたる」脚注に「袖を濡らす」あり。

数研・河合は独自項目で「そでをしぼる。」河合はさらに類語として「そでをぬらす」も紹介。


桐原・三省堂・駿台なし。

なお、「しほたる」は しほたる(潮垂る)

直訳すると「海水が垂れる」ですが、「涙を流す」意味です。

涙はしょっぱいので。


例文 いと悲しうて、人知れずしほたれけり。(源氏)

訳 たいそう(/本当に)悲しくて、人知れず涙を流したのであった(/涙で袖を濡らしたのことだ)。

桐原・三省堂


桐原・文英堂に「しほたる」あり。

三省堂は「かきくらす」脚注だが、「しほたる」例文あり。

数研は「そでをしぼる」脚注。


さるべき

数研と桐原にある。


「しかるべき」・「相当な」・「立派な」の意味と、「そうなるはずの」の意味がある。

このうち現代語「しかるべき」の意味に近い、「相当な」「立派な」は、これで覚えればよいだろう。「そうなるはずの」は、語源どおりの意味である。

「さ+ある+べき」→ 「そのようになるはずの(=べき)」

助動詞「べし」には、義務の意味の他にも、予定とか当然の意味がある。こっちは、当然・予定のほうの「べし」。

駿台・文英堂・三省堂・河合は無し。


こころのやみ

数研いわく、「(子を愛するがゆえの親の)心の迷い」の意味。


数研にある。

桐原・文英堂・三省堂・河合・駿台には無い。


いまはかぎり(今は限り)


「もはやこれまで」「臨終」の意味の慣用句です。

コジツケですが、時代劇で悪代官とかが「(悪事が権力者にバレて)もはやこれまで」とか言って刀で抵抗したあとに(「上様を殺してしまえばバレない」的なセリフが前後にあったりする)、副将軍とか奉行所の密偵とかに成敗されて、最後には裁判で死刑になってご臨終ですので、それでコジツケましょう


数研で独自項目にある。

桐原は、「いま」脚注。

文英堂・三省堂・駿台・河合に無し。


おのがじし


「それぞれ」「おのおの」の意味。

現代語の「おのおの」の語源だと考えられています(数研)。

現代語「おのおの」「めいめい」の意味と、ほとんど同じです(数研「めいめい」あり・河合)。


例文 遣り水のほとりの草むら、おのがじし色づきわたり。(紫式部日記)

訳 遣り水(やりみず)のほとりの草むらが、それぞれ一面に(みな)色づいて、

河合(みな色づいて)


桐原・三省堂・文英堂・駿台・には無い。


ふりはへて

数研あり。

文英堂・駿台・桐原・三省堂・河合なし。



いで

「さあ・・・しよう」の意味。

実際には、「まあ」や「いや(否定の意味)」など、「さあ」以外の意味の「いで」もある。

数研にしかない。

三省堂・桐原・河合・駿台・文英堂には無い。


いざ

「いざ」は、「さあ・・・しよう」の意味の感動詞であり、相手に呼びかける表現です(河合)。

例文 いざ事問はなむ都鳥(みやこどり)

訳 さあ尋ねよう、都鳥よ

高等学校国語総合/伊勢物語


例文 いざ、かいもちせん。

訳 さあ、ぼたもちを作ろう。

高等学校国語総合/宇治拾遺物語


いざたまへ(いざ給へ)

「いざ給へ(たまへ)で慣用句になっており、「さあ行きましょう」「さあ、いらっしゃい」の意味の連語です。(数研・桐原・三省堂・)。「いざ」は上述のとおり、感動詞です。なお、「給へ」は、ここでは尊敬語の補助動詞「たまふ」の命令形です(文英堂・三省堂・数研)。「たまへ」が尊敬表現なので、「いざたまへ」もまた尊敬表現です(文英堂)。

英語の「レッツゴー」と似たような意味です(三省堂)。日本の古文の場合、「行こう」の意味のほかにも「来て」の意味もありますが、まあ往来とか言いますし、行くのと来るのはセットで対(つい)。


「いざ給へ(たまへ)、出雲拝みに。掻餅(かいもちひ)召させん。」

「さあ、行きましょう(/いらっしゃい)。出雲の神社を参拝に。ぼた餅(ぼたもち)をごちそうしましょう。」

文英堂(いらっしゃい)・高等学校国語総合/徒然草・駿台(いらっしゃい)・数研(いらっしゃい)


余談ですが、上記の「出雲」は、島根県の出雲大社ではなく、京都府亀岡市の出雲大神宮です(数研)。

駿台に無い


かつがつ(克つ克つ・且つ且つ)


「とりあえず」「ひとまず」の意味と、「やっとのことで、」「どうにしかして」の意味がある。

動詞「かつ」が語源とされ(河合・数研)、「かつ」は「こらえる」「もちこたえる」の意味で、そこから成ったのが「かつがつ」とされる。

「何とかもちこたえて、やっとのことで/どうにかして」のように意味が発生していったのだろうか。

おそらく、そのあと、やっとの事で達成したものは、不十分な完成度の事が多いので、「とりあえず」「ひとまず」という一時しのぎの意味がさらに発生していったのだろうか。


単語集によって、同じ例文でも、下記のように訳の意味で、どちらの意味にするかが違っていたりする。

例文 思ふことかつがつかなひぬる心地して。(源氏・明石)

訳 (明石入道は)願っていた事が(/念願が)、やっとのことで(/ともかくも)かなった気がして。

数研(やっとのことで)・河合(ともかくも)


下記の「式神」(しきがみ /しきじん)は、原典の前の文脈から、「とりあえず」の意味だと分かっている。式神というのは、「陰陽師」(おんみょうじ)という術者が従える妖怪変化みたいなヤツ。

例文 かつがつ式神(しきがみ /しきじん)内裏(だいり)へ参れ。(大鏡)

訳 とりあえず式神一人、宮中に参上せよ。

数研(しきがみ)・河合(しきじん)


数研・河合あり。

三省堂・桐原・文英堂に無い。


ひな(鄙)


「田舎」の意味です。


現代語でも、あまり使わないですが、「ひなびた」で「田舎っぽい」場所などの形用の意味です。

古語では、「田舎っぽい」どころか。「田舎」や「地方」そのものの意味です。


数研にある。

三省堂・文英堂・桐原・河合・駿台には無い。


はつかなり(僅かなり)

意味は、「ほんの少しだ」です。

「はつ」は「初」です。物事を始めたばかりなので、ほんの少ししか進んでいない、という状態です。

「はつかに」と連用形で「ほんの少し」の意味として副詞のようにも用いられます(数研)。

暗記としては、発音と意味の似ている現代語「わずか」で覚えましょう。

なお、古語にも「わずかなり」があり、「ほんの少しだ」の意味です(数研「はつかなり」脚注)。


数研にあり。

桐原・文英堂・三省堂・駿台・河合になし。


かたくななり(頑ななり)


「道理や情趣がわからない」「風流を解しない」という意味です。

コジツケかもしれませんが、一説には「片方しかない」とか、あるいは風のような柔軟性が無くて堅いから風流でないとか(数研)、そういう説があります。

平安時代あたりは、風流でない人は、不完全な人間あつかいなようです。

検定教科書にもある語だが、単語集では少ない。


例文 ことにかたくななる人ぞ、「この枝かの枝、散りにけり。今は見どころなし。」などは言ふめる。

訳 特に情趣のわからない人は、「この枝も、あの枝も、散ってしまった。今は見どころが無い。」などと言うようだ。

数研(情趣を理解しない)・高等学校国語総合/徒然草


下記のような文脈です。

歌の詞書(ことばがき)にも、「花見に参ったところ、とっくに散り去ってしまったので。」とか、「都合の悪いことがあってまいりませんで。」などと書いてあるのは、「花を見て。」と言ってるのに(比べて)劣っていることだろうか。(いや、そうではない。) 花が散り、月が傾くのを慕う風習は当然なことだけど、(しかし、)特に情趣の無い人は、「この枝も、あの枝も、散ってしまった。今は見どころが無い。」などと言うようだ。

なるほど、思考の柔軟性がある。「柔軟性に欠ける人は真の風流人ではないのだ」というコジツケで覚えよう。


数研にしかない。

桐原・文英堂・三省堂・河合・駿台には無い。


うるせし


「賢明だ」「立派だ」とか、「上手だ」「巧みだ」の意味です。

現代語の「うるせえ」とは全く違います。


現代語の騒音の意味に近いのは、「うるさし」です。

「うるさし」に、「わざとらしい」「嫌味だ」の意味があります。


ですが、両者が混同してか、「うるさき」で「立派な」の意味もあります(文英堂「うるせし」)。

三省堂では、「むつかし」の関連語おくりで、「うるさし」=「不快だ」としています。


桐原書店では、「うるさし」「うるせし」とも、同じ意味で、両者とも「立派だ」「煩わしい」の意味があると教えるべきだという見解です。

桐原の方式で行きましょう。

細かい使い分けなど、高校生には不適切です。マニアックな使い分けは、大学の文学部で勝手にヤレ。高校生は、理系科目とかで忙しいのです。

使い分けを入試に出してくる大学があれば、桐原の単語集も知らないバカ大学扱いでいい。


数研・文英堂にあり、

駿台・三省堂・河合に「うるせし」ない。


ゐざる(居去る)


数研にしかない。

「座ったまま膝で移動する」


いなぶ(否ぶ)


「断る・辞退する」の意味です。「否定」の「否」を「イナ」と読みますので、関連づけて覚えましょう。


例文 親ののたまふことを、ひたぶるにいなび申さむことのいとほしさに (竹取・蓬莱の玉の枝)

訳 親がおっしゃることをひたすらにお断り申し上げるようなことの気の毒さに


かぐや姫が、親の「早く結婚しろ」という要望を断りつづけるのが(親に心配をかけるので)気の毒だったので、仕方なく、無理難題の伝説の物品を見つけろと条件を求婚者たち貴公子に提示したのに、貴公子の一人(クラモチのミコ)が条件である「蓬莱(ほうらい)の玉の枝」を持ってきてしまった時の話。


文英堂・「すまぶ」脚注。 数研あり。


あつし(篤し)

「あつし」は「病気が重い」「病気がちになる」の意味です。


現代語の「危篤」(きとく)に名残があります。なお、現代語の危篤は、寿命や病気などで「死にそう」という意味です。


電報とかで「チチ キトク、スグ カエレ」(父・危篤、すぐ帰れ)など(「父親が危篤です。今すぐ実家に帰ってきなさい」の意味)。まあ、今どき電報は使わないかもしれませんが。


なお、「信仰に篤い」とか、「勉学に篤い」とか熱心なことを言います。なぜ、このような「危篤」の字と、熱心の字が同じなのか不明ですが、しかし中世から「危篤」の語もあります。

[ https://kotobank.jp/word/%E5%8D%B1%E7%AF%A4-474986#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 コトバンク]

 ( 形動 ) 病気が重くて死にそうなこと。また、そのさま。

    [初出の実例]「凡官人父母。病患危篤者。不レ得レ差二宛遠使一」(出典:令義解(718)公式)
    「外祖母が危篤に瀕して居る」(出典:林泉集(1916)〈中村憲吉〉巻末小記)

現代語とは違い、信仰心などに熱心な意味はないので、注意。


例文 恨みを負ふつもりにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、(源氏・桐壺)

訳 恨みを負うのが重なったのだろうか(/買っていたのだろうか)、(桐壺の更衣は)たいそう病気がちになっていき、なんとなく心細そうに実家にこもりがちになるのを、

文英堂(「かっていたのだろうか」・「なんとなく」無し)


古語「なやむ」も、「病気になる」の意味です。

なので、「悩みて」の直後に「あつく」なれば、病気にかかって、病気がちになった事を意味します。

中世は病気の原因は悪霊(物の怪(もののけ))だと考えられていました。こういう語が前後にあれば、病気の意味です。


別に、悪魔を信仰しているわけではない。


くちをし(口惜し)


例文 自分ではどうする事もできない(= 自分以外の)外的要因によって希望が崩れ去った時の感情が「口惜し」です(数研、文英堂)。

訳 三省堂・桐原・河合は、外的要因の条件を採用せず、単に「残念だ」の意味としている(三省堂・河合)。


「悔しい」の意味は無い。よく入試の誤答でねらわれる(数研)。ただし、実際には中世以降、「くちをし」を「くやしい」の意味で用いた例もある(河合)。

なお、現代語の「口惜しい」とは、意味が違います。現代語の「口惜しい」は、「くやしい」の意味で用いられています。


例文 忘れがたくくちおしきこと多かれド(土佐)

訳 忘れられず(/忘れがたく)、残念なことが多いが、書き尽くすことができない。

河合(忘れがたく)・三省堂(忘れがたく)。駿台(忘れられず)


「忘れがたくこの程度なら、現代語でも「忘れがたく」というので、現代語訳でも用いて良い。


例文 弓矢とる身ほどくちをしかりけるものはなし。(平家)

訳 弓矢を取る身の上(=武士)ほどなかけないものはない。

河合・数研


らうがはし(乱がはし)


「乱がはし」の乱の字の通り、「乱雑だ」と覚えると良いでしょう。


例文 らうがはしき大路(おほぢ)に、立ちおはしまして。(源氏)

訳 (光源氏が)乱雑な大通りに立っていらっしゃって。

河合

「騒がしい」「やかましい」の意味もあります。


例文 みな同じく笑ひののしる、いとらうがはし。(徒然・五六段)

訳 みな同じように笑って大騒ぎをするが、たいへんやかましい。

河合・


これを紹介しているのは少ない。


徒然の五六段の内容は、あまり教育的ではなく、単なる著者・兼好法師の偏見である。


内容は、長く会ってなかった人と、久しぶりにあったら、相手が自分の身にあった事を、語り続けるのが不快、という、しょーもない兼好法師の感想である。クソ野郎でしかない。

まあ、クソ野郎のクソな感想にも、表現の自由があるのだろう。いや当時は、日本国憲法は、なかったけどさ。

そしてやはり、日本の文芸なぞよりも漢学が必要だという名家の教養も分かる。こりゃクソだわ。

古代の戦争を生き抜いた時代の(春秋戦国時代などの)、思想家の漢文のほうが、そりゃ得るものは大きい。

まあ、そんだけ鎌倉時代の兼好法師の生きた時代が平和だったという史料にはなるが。

まあ、徒然草はそもそも、著者の兼好法師が未整理の思考をなんとなく書きつづっているだけなので、(法師ではなく)入試問題を出す側が、使える知見と使えない知見を分別して持ち帰る必要がある。

桐原・文英堂では「ののしる」脚注おくり

駿台は巻末。

さらに数研・河合の脚注で「みだりがはし」(乱りがはし)があり、意味は「乱雑だ」である。


かどかどし


プラスの意味「機転がきく」と、悪い意味「とげとげしい」がある。

プラスの意味は、コジツケとしては「シャープで頭がキレる」的な意味(数研)である。なお、「機転が利く」のほうの「かどかどし」の漢字は「才才し」と字を当てる。

いまどきシャープというのか。家電メーカーのシャープのCMでさ、「目のつけどころが、シャープでしょ」というのがあったんだよ、昭和と平成の時代はさあ。


名詞「かど」に「才能」「才気」という意味がある(数研)。


マイナスの意味は、現代でも、「角が取れて丸くなる」というのに名残が見られる。現代語でも「とげとげしい」というのと同じで、カドがとんがっているから、とげとげしい。

とげとげしいの「かどかどし」の漢字は、「角角し」である。


例文 さしもあるまじき事にかどかどしく癖をつけ(源氏・若葉・上)

訳 それほどでもあるはずのない事に(/それほどでもないことに)、とげとげしく難癖をつけ


三省堂・桐原・数研・文英堂・駿台・には無い。

数研にあり。


こちごちし

数研にしかない。

「無骨だ」という意味。

コジツケとしては、「骨骨し」と考え、「骨ばっている」ので硬くて、風流やら優美やらがなく、無骨という感じ。

「骨骨」で「無骨」というのも変だが。


すだく(集だく)


「集まる」の意味です。鳥や虫が「集まる」場合によく用いられ、また、それらの鳥や虫が「鳴く」という意味もあります。

本来は「集まる」の意味でしたが、鳥や虫などの「集まる」に使われているうちにか、次第に「鳴く」が生まれました(数研)。鳥や虫は鳴きますので。

なお、人が集まる場合には「つどふ」を使う。


例文 ただ秋の虫の叢(くさむら)にすだくばかりの声もなし。(雨月)

訳 ただ秋の虫が草むらで鳴くほどの声もない。

数研


読解にて、「すだく」の意味が、「集まる」か、「鳴く」かは、文脈にあわせて判断する。

蛍(ほたる)が「すだく」場合、蛍は鳴かないので、「集まる」の意味。


数研のみに「すだく」あり。

桐原・三省堂・文英堂・河合・駿台は「すだく」なし。


ものし(物し)


「不気味だ」「不愉快だ」「不快だ」「見苦しい」の意味。

数研にあり。

三省堂・河合になし。

文英堂・桐原では「ものす」脚注。

駿台は巻末おくり。


「ものす」=「行く。手紙を出す」とは別物。


うらなし


「心の隔て(へだて)がない」

数研のみ。


くんず(屈ず)


数研にしかない。


こうず(困ず)

精神的に「困る」、肉体的に「疲れる」の意味です。

困る事を、精神的な「疲れ」だと考えれば、覚えやすいかと思います。


例文 「いかにいかに」と、日々に責められ困じて (源氏・若菜下)

訳 「どうなのか、どうなのか」と毎日(子侍従は柏木に)責められ困って 

三省堂・文英堂・河合


例文 物の怪にあづかりてこうじにけるにや(枕・にくきもの)

訳 物の怪にかかわって疲れてしまったのだろうか

駿台・桐原


いさよう

数研、あり

桐原。三省堂・文英堂・河合・駿台 なし


もだす

数研、あり

桐原。三省堂・文英堂・河合・駿台 なし


およすく

1 「成長する」「大人びる」 2 地味に見える

数研と河合は独自項目でアリ。


例文 昼はことそぎ、およすげたる姿にてもありなん。(徒然)

訳 昼は簡略で、地味に見えている姿でも良いだろう。


桐原は「ねぶ」脚。

文英堂は「ねぶ」脚。

三省堂は同様

駿台なし。


よすが(縁、便)


数研と駿台(巻末)にしかない。

「縁者」や「手段」の意味。

三省堂・桐原・文英堂・河合には無い。


さへ

副助「さへ」は数研・文英堂しかない。

文英堂だと、目次には無いが、巻末の副助詞の項目にある。


例文 その夜、雨風、岩も動くばかり降りふぶきて、雷(かみ)(/神)さへ鳴りてとどろくに、

訳 その夜。雨風が、岩も動くほどに吹き荒れ、雷までも鳴って響き渡る↑に、

数研(降り拭いて・鳴って響きわたるときに)・文英堂(吹き荒れ・鳴り響く上に)



終助「てしがな」は数研と駿台にしかない。


例文 いかでこのかぐや姫を得てしがな、見てしがな。(竹取)

訳 何とかしてこのかぐや姫を手に入れたい、見てみたいものだ。

駿台


例文 いかで、この玉を得てしがな。(十訓抄)

訳 何とかして、この宝玉を手に入れたいものだ。

数研


接助詞・終助詞の「ものを」は数研しかない。


なづさふ

数研にあり。

駿台・三省堂・文英堂・桐・河合には無し


よそふ


「よそふ」は、現代でいう「装う」と「寄せる」の2つにつながる意味がありk、活用も違います。

「装そふ」は ハ四 (活用)であり、意味は「準備する」です。

「寄そふ」は ハ下二 (活用)であり、意味は「なぞらえる」「たとえる」です。


なお、食事のごはんの準備にも「よそふ」を使いますが、活用は ハ四 です。なので意味も、おそらくそれでしょう。

桐原・駿台・文英堂に「よそふ」無し。

巻末付録

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死の婉曲表現

「~になる」系


はかなくなる

いたづらになる 、

むなしくなる

あさましくなる

いかにもなる

ともかくもなる

かひなくなる

いふかひなくなる


「あさまし」は「あきれるほどだ・とんでもない」の意味。

「いたづらなり」は「無駄である」の意味。

「はかなし」は「むなしい」の意味。


例文 ついにいとあさましくならせ給ひぬ。(増鏡・春の別れ・十四巻)

訳 (春宮(とうぐう)は)とうとう(/ついに)お亡くなりになってしまった。

桐原(ついに)・文英堂(とうとう)


単独の動詞形

隠る(かくる)

身罷る(みまかる)

失す(うす)

果つ

絶ゆ(たゆ)

消え入る

消ゆ(きゆ)


数研・桐原・文英堂


「消ゆ」は、さらに「露(つゆ)と消ゆ」で、「露のように消える」のように使われる事もある。ここでは、「露」は、「はかない命」のたとえ。

ほか、「露」は、涙のたとえに使われる事も古語では多い。


なお、副詞の「つゆ」は、打消しとともに使って{まったく~ない}の意味。

なので、「つゆと消ゆ」の「つゆ」は副詞ではなく(文法的には)、単なる名詞「露」(つゆ)である。念のため三省堂・文英堂の単語集も確認してみた。


「つゆの命」で、そのまま「はかない命」という意味の用法もある(文英堂)。


出家の婉曲表現


「俗世と離れる」系

世を背く(よをそむく) ・ 世を逃る(のがる) ・ 世を捨つ(すつ) ・ 世を厭ふ(いとう) ・ 世を離る(はなる)

家を出づ(いえをいづ)


例文 五十(いそぢ)の春を迎へて(むかへて)、家を出で(いで)世を背けり(そむけり)。(方丈)

訳 自然と運のうすい人生を悟った。そこで五十歳の春を迎えたところ、出家をして俗世から離れた。

※ 末尾「世を背けり」の訳、数研出版では「俗世から離れた」、文英堂では「遁世(とんせい)した」。

「家を出で、世を背けり」を、もしそのまま機械的に「出家をして、出家をした」と当てはめると、おかしくなるので、このような場合は、うまく片方を意訳しても良い。


「衣服を変える」系

やつす・ 身をやつす

形(かたち)を変ふ(かふ) ・ 姿(すがた)を変ふ(かふ) ・ 様(さま)を変ふ(かふ)


例文 いかがはん、形をかへて、世を思ひはなるやと、心みん。(蜻蛉)

訳 どうしようか(/どうしようもない)、出家をして、世の思いを断ち切れるか、試してみよう。

文英堂(どうしようか・ 「出家をして、執着を断ち切れるかと、ためしてみよう」)・桐原(どうしようもない・、「かへて」まで)


「髪の毛を切る」系

御髪下ろす(みぐしおろす)・ 頭(かしら)おろす

もとどりきる

出家をするときは、剃髪(ていはつ)します。髪の毛をそろ落として坊主頭にする事です。

例文 思ひのほかに、御髪下ろしたまうてけり。(伊勢・八二段)

訳 思いがけず(思いもよらないことに)、出家しなさってしまった。、


編集用テンプレート

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使い方は

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脚注

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