「トーク:大学生活ガイド/理系」の版間の差分

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出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
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そもそも他人の編集を「繰り言」と公開するのは、マナー的に、問題行為でしょう。記事は、60.132.33.186個人のスペースではないですよ。私の編集内容に不満があるなら、議論ページで、私
他人の編集を単に「繰り言」とするのも、実質的な対話の拒否ですよね。たとえ繰り言で動機が私怨や愚痴でも、少なくとも内容が正しければ、それは単純に記事内容を公開すべきだし、
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そもそも他人の編集を「繰り言」と公開するのは、マナー的に、問題行為でしょう。記事は、60.132.33.186個人のスペースではないですよ。私の編集内容に不満があるなら、議論ページで、私に「あなたの編集は繰り言だ。なぜならば〜〜」とか言えばいいのであって、記事本文で他編集者を批判するべきではないでしょう。--[[利用者:すじにくシチュー|すじにくシチュー]] ([[利用者・トーク:すじにくシチュー|トーク]]) 2017年9月24日 (日) 03:02 (UTC)
そもそも他人の編集を「繰り言」と公開するのは、マナー的に、問題行為でしょう。記事は、60.132.33.186個人のスペースではないですよ。私の編集内容に不満があるなら、議論ページで、私に「あなたの編集は繰り言だ。なぜならば〜〜」とか言えばいいのであって、記事本文で他編集者を批判するべきではないでしょう。--[[利用者:すじにくシチュー|すじにくシチュー]] ([[利用者・トーク:すじにくシチュー|トーク]]) 2017年9月24日 (日) 03:02 (UTC)

他人の編集を単に「繰り言」とするのも、実質的な対話の拒否ですよね。たとえ繰り言で動機が私怨や愚痴でも、少なくとも内容が正しければ、それは単純に記事内容を公開すべきだし、もし内容が正しくなければ、単に公開すべきではないだけです。結局、このIP氏の編集は、自分の趣味であるウィキペディアスタイルの最低限の記述で簡潔な(しかし欠点として初心者には分かりづらいという難点もある)編集をして、他編集者から異論が出ても、「整理」などと表面的に対話をよそおって、対話の拒否を取り繕ってるだけなんですよね。--[[利用者:すじにくシチュー|すじにくシチュー]] ([[利用者・トーク:すじにくシチュー|トーク]]) 2017年9月24日 (日) 03:09 (UTC)

2017年9月24日 (日) 03:09時点における版

試験難度と第三者評価の関係について

大学の試験問題が難問を出題されるかについて

教官はたびたび「試験問題は簡単にはできない。 第3者評価があるので。」っとおしゃっています。 なので、あまり簡単な問題は作れないと。 しかし、wikibooksによると、教官の言うことは嘘ですよね。 どちらが正しいか判断して下さい。

それと別件で、大学の単位の外部認定のページを作って下さい。—以上の署名の無いコメントは、Mieroperuoxidase会話履歴)さんが 2015年3月11日 (水) 02:49‎ (UTC) に投稿したものです(かげろん (トーク)による附記)。[返信]

(返答)まずトークページでの投稿には署名を書いてください。あなたの投稿時の編集ぺージでは「トークページに投稿するときは、文末に署名をお願いします。」というようなメッセージが表示されていないのでしょうか。今回は私が代わりに、あなたの記事の末尾に、あなたの投稿者名を追加しておきました。トークページでは複数の人が会話をするので、よって発言者ごとに署名が必要なのです。あなたの投稿日時については、履歴から判断して追加しておきました。また、話題にタイトルをつけてください。ひとまず仮のタイトルを私がつけました。トークページは、これからも他の話題で他の人々が利用する可能性があるので、話題ごとにタイトルをつける必要があるのです。ひとまず、先にこの署名およびタイトルの件を、このトークページにてアナタに連絡しておきます。--すじにくシチュー (トーク) 2015年3月11日 (水) 03:20 (UTC)[返信]
【返答:命題を明示してください】 まず、具体的に記事内のドコの文を間違った記述であると思ってるのかを明示してください。そして、どう書き換えるべき、と思ってるのかを例文で書いてください。
もし「定期試験では難問が、たびたび出る」というような内容の命題が間違いだとしたら、つまり反対の命題「定期試験では難問が出ない」という命題が正解になってしまいます。おそらく、あなたの意見とは、この反対命題「定期試験では難問が出ない」とは違うでしょうです。--すじにくシチュー (トーク) 2015年3月11日 (水) 04:07 (UTC)[返信]
(すじにくシチューさんへ)署名の補記は,テンプレート:Unsigned2を使うと楽ですよ(今回はUnsigned2で手直ししておきました)。それと,Mieroperuoxidaseさんはアカウント作成からまだ1日と少しほどしか経っていませんので,丁寧な対応をお願いする次第です。初心者さんには,Wikibooksの作法・マナーとかはまだまだ分からないことだらけだと思いますので。--かげろん (トーク) 2015年3月11日 (水) 04:17 (UTC)[返信]
(Mieroperuoxidaseさんへ)署名は編集している時に左上部の方に鉛筆とサインのマークがあると思います。それをクリックしていただければ,署名ができますので,次から署名を行うようにお願いいたします。--かげろん (トーク) 2015年3月11日 (水) 04:17 (UTC)[返信]

段落 「必修科目の定期テストで難問・奇問ばかりを出す教員に遭遇したら」 この1文が間違っているってのはないが、段落全体が間違っています。 難問・奇問ばかりを出す教員は第3者評価で淘汰されているはずです。 —以上の署名の無いコメントは、Mieroperuoxidase会話履歴)さんが 2015年3月11日 (水) 04:30 (UTC) に投稿したものです(かげろん (トーク)による附記)。[返信]

(すじにくシチューの返答)個人的に該当の記述は残しても削除しても、私には、どっちでも構いませんが、第三者が今後も似たような記述を書いて再度の議論になる可能性もあるかもしれませんので、今、議論しておこうと思います。私が思いつく反論は、以下のような反論です。勘違いしてもらいたくないですが、別に以下の自説にもとづき当記事を書きたいわけではありません。単に、こういう反論が、今後も予想されるので、今ここで反論を例示して、今後の執筆者に役立ててもらいたいだけです。だから、以下の反論を検証するつもりは、ありません。
  • 【市場「淘汰」があっても失業もあれば不景気もある】 さて、「淘汰されているはず」からと言って、不適切な難度のテストが出現しない事にはならないと思います。たとえば経済学の市場淘汰やら生物学の自然淘汰などを考えても、劣った参加者が将来的に淘汰されるからといって、けっして生まれてこない事にはなりません。資本主義では市場淘汰があるから、不景気も出現しなければ、失業も出現しない、なんて理屈は、けっして成立しないでしょう。
ただし、大学の第三者評価で淘汰されるはずだから、そんなに不適切出題が多くはならないだろう、という意見なら、私は議論が可能だと思います。
  • 【安全神話】 また、第三者が審査して対策を取ってるからといって、失敗が起きないことにもなりません。たとえば2011年の福島県での原発事故では、事前に原発の安全対策が第三者機関も交えて取られていましたが、しかし放射能漏れの事故が起こりました。「安全神話」とか「多重防護」などの用語もメディアに出てきました。
  • 【第三者が実際には、自分でテストを解くという検証をしてないと思われる】 個人的には、あまり大学の第三者評価(おそらく学内の他科目教員による評価)が機能してないと思います。偏見ですが。まず、教員は皆、自分の担当する科目で忙しいでしょう。あまり他教員の科目の内容やテスト問題を精査してないだろうと思います。せいぜい、出題範囲を確認するとか、そんなぐらいだと思います。おそらくテスト問題を解く時の時間の見積もりすら、まともに精査・検証してないと思います。教員は、自分の担当科目のテスト作成だけでも忙しいのに、さらに他科目の教員のテスト問題を解くのに要する時間を、たとえばストップウォッチなどを使って測定してる時間があるのでしょうかね? そんな「大学教員のストップウォッチ測定」の話を、まったく聞いたことがありません。さらに出題する教員によっては、テスト問題を内容を毎年、コロコロと変える人もいますよね。テストが大幅に変わるたびごとに、毎回、第三者がストップウォッチを使って実際に測りながらテスト問題を解いてみて検証してるのでしょうかね?
  • 【第三者評価自体への不信】 また、第三者自体の検証の質すらも怪しいと思います。入学試験などとは違って、定期テストは一般に外部公開はされていません。第三者の評価が適切どうかを、外部が知る機会がありません。
また、タテマエ上は大学の成績評価方法は絶対評価ですが、それも実態が怪しいと思います。おそらく実態は、教員がとりあえず、ほぼ例年どおりにテストを出題してみて(ときどき出題問題を変えたり、問題数を増減したりするので、落第者が増減する)、あまりにも落第者が多かったら、追試を行って調節して、追試成績上位者は救済するとか、そういう実質的には相対評価じゃないですかね。つまり、ロクな評価能力が教員に無いと思います。
  • 【大学教員はカリキュラムをまともに検証してないと思われる】 さらに例年通りに教員がテスト出題しようとしても、その「例年」自体が無い場合もあります。大学改革やら何やらで、カリキュラムがコロコロと変わります。カリキュラムを変更する前に事前に検証をした、などと言う話も、あまり聞きません。偏見ですが、企業での製造業などの検証実験などの水準と比べたら、大学の教育の第三者評価(←自称)は、すさまじく低レベルな状態だと思います。
80年代の教養部の解体でカリキュラムが大幅に変わりましたが、解体に関して事前の十分な検証を行ったという話もまったく聞きませんし、教養部の解体による数学などの基礎学力の低下などが議論になっても、事後に各大学が教養課程の基礎科目を重視するような解体前にちかいカリキュラムに戻したという話も、東京大学など一部の大学を除いて、あまり聞きません。
  • 【あまり難しくするのも基準違反】 あまり簡単にすると基準違反になる、などと教授が言ったとアナタは言いましたが、あまり難しくしすぎるのも基準違反です。文部省の定める単位設定の基準があります。それより大幅に簡単でも、あるいは大幅に難しくても、基準違反です。
  • 【文部省の単位基準自体が過労死の水準でオカシイ】 もっとも、この文部省の定める基準の、たしか「授業時間の2倍程度の予習復習で単位を修得できるレベル」自体が、オカシイとも思いますが。実際に計算すると、大学の授業は朝9時から晩4時くらいまでありますから、さしひき7時間。昼休みを1時間ぶん引いても6時間。この2倍の予習復習だと6×2=12時間。合計で6+12=18時間になり、サラリーマンの1日の労働時間8時間を大幅に超えている水準です。寝ている時間以外はひたすら勉強するということになり、過労死の恐れがあります。おそらく、この基準は守られていませんし、また、過労死を防ぐという安全面からも守れません。このような過労死に相当する水準が撤回されず放置されている事自体、各大学の第三者評価がデタラメだという事の厳然たる証拠だと思います。
最期に再度に言いますが、べつに当記事の議論部分を残したいわけではありません。以上の反論を検証するつもりは、ありません。議論の結果によっては、議論部分を消しても良いと思います。今後の議論に、私が参加するかどうかも分かりません。反論として思いつく事を、このトークページで書いただけです。--すじにくシチュー (トーク) 2015年3月12日 (木) 03:49 (UTC)[返信]
議論に該当の段落の記述を消します。議論をするのが私はメンドウです。議論の時間があったら、べつの事をしたいのです。--すじにくシチュー (トーク) 2015年3月12日 (木) 09:18 (UTC)[返信]
(報告)疑義に該当の節を、節ごと消しました。--すじにくシチュー (トーク) 2015年3月12日 (木) 09:23 (UTC)[返信]

(コメント)Mieroperuoxidaseさんのご自身の発言を白紙化された編集については差し戻しておきました。議論が終わったからといって自分の発言を白紙化することはやってはいけません。明らかな暴言を除去するなどの誰から見ても適切な理由があるのであれば別です。どのような議論があって合意が形成されたのか,されなかったのかを記録しておくことも議論ページの大切な役割です(時期が古くなれば,いずれ過去ログページに送られることになるでしょう)。--かげろん (トーク) 2015年3月15日 (日) 04:55 (UTC)[返信]

単位互換制度について

—以上の署名の無いコメントは、Mieroperuoxidase会話履歴)さんが 2015年3月20日 (金) 05:03 に投稿したものです(すじにくシチュー (トーク)による附記)。

Mieroperuoxidaseさん、もし議論ページで新規の話題を立てるなら、けっして立てっぱなしで放置するのではなく、きちんと責任を持って持論を展開してください。ウィキブックスは、けっして、あなた一人の個人サイトではないのですから、責任を持って行動してください。--すじにくシチュー (トーク) 2015年4月29日 (水) 19:15 (UTC)[返信]

IPユーザー 60.132.33.186 の問題行動

IPユーザー 60.132.33.186 がたびたび、「整理」などの名目で、私の投稿を消す編集をします。異論があるなら、その異論を議論で提示するべきです。この人 60.132.33.186 は、根拠をろくに示さずに、「整理」の一言で、他人の編集を、掲載の価値がないと判定して消す編集を、たびたびしてるわけですから、実質的な「対話の拒否」です。

私の記事で不要だと思う部分があるなら、不要であると証明できる論拠を、議論ページなどで提示して、第三者に賛同を得れば済むだけです。

また、この人は、他の記事で議論が提起されても、最低限の発言だけをして、まともに論拠を示しません。そのため、読み手に負担を与えます。形式的には返答をしてますが、実質的な「対話の拒否」です。

しかも、この人は、記事も議論でも、具体例などをなかなか示さず、そのため検証可能性に大きな負担を与え、読み手に負担を与えます。

この人の態度は、すべて、自己中心です。

管理者への提言ですが、この人の行動に改善が見られない場合、ブロックするべきです。この人にも教科の専門知識があるようですが、しかしwikibooksは学校の試験ではありません。共同作業によってコンテンツを作り上げていく場所です。対話の拒否と、検証可能性の乏しさと、それを指摘されても改善しない態度は、ブロックに値するでしょう。--すじにくシチュー (トーク) 2017年9月23日 (土) 22:55 (UTC)[返信]

そもそも要約欄に「整理」としか書かないのは、実質的に、要約欄に何も書いてないのと同じです。そのため、読み手は、編集内容のすべてを読まなければならず、読み手に多大な負担を与えます。他人の編集を消して「整理」としか書かないのは、マナー違反でしょう。異論があるなら、要約欄に、論拠を書くべきでしょう。--すじにくシチュー (トーク) 2017年9月23日 (土) 23:25 (UTC)[返信]

図書館とかで大学教育についての本を得た人の場合、その本の知識が、教養部解体の前だったりする場合もありますからね。教養部解体前と後とで、カリキュラムがだいぶ違う事は、優先的に教えておくべきだと思うんですがね。親御さんが高卒だと、90年代以降の大学教育の変遷を知らない場合もありますし。教養部解体以降について書かれた書籍を読んでても、文科系の大学のことばかり書かれている書籍が大半ですし。--すじにくシチュー (トーク) 2017年9月23日 (土) 23:41 (UTC)[返信]


「整理」「整理」などと、ひとつ覚えに言う IPユーザー 60.132.33.186 がいますが、どんな人も、「自分こそが他人よりも論理的であり、だから、自分の主張に合わせた論理展開こそが『整理』された論理だ」って思ってるんですよね。子供じゃないんだから、具体的に論拠を言ってほしいものです。この人のいう『整理』は、単に「私は正しい」を言い換えただけです。「私は正しい、よって、私の編集内容は正しい。よって、私の意見と違うものは削除すべき。」という言葉が、この人のいう整理の意味です。なんの証明にもなってません。単なる循環論法です。具体的に、彼の主張のどこが、どういう客観根拠にもとづいて正しいのか、具体的に言ってほしいものです。--すじにくシチュー (トーク) 2017年9月24日 (日) 00:11 (UTC)[返信]

また変なことを言われると困るので、わかりやすいように先にはっきりと言っておきます。私のこのコメントでは、私の版の方がよりよいという主張は一切しません。そのような反論めいた主張をする必要があるような批判がまだなされていないからです。したがってただちに再リバートしてもルール上は問題ないわけですが、せっかくなのでまずはお付き合いします。
すじにくシチューさんのいつもの悪い癖なのですが、今日もまた、自分でも何を主張したいかわからなくなっていらっしゃいます。私の行動が問題だと言いたいのであれば、主張すべき場所はここではありません。私の編集した結果の版が問題だと言いたいならば、私の行動様式のようなどうでもいいことには触れず、版の内容について批判していただくべきです。版の内容に対する批判があり、その批判が正当なものだと確認できれば、記事は編集されて違う内容になることでしょう。しかし、その判断をする際に、私の行動様式がどうであるか、あなたの行動様式がどうであるかは、判断の根拠にはなりません。そのあたりの問題の切り分けができないのであれば、議論は不可能です。まずは、私の版が具体的にどう悪いのか、ちゃんと批判してください。あなたが私の編集内容をまったく批判してくださらないので、私はいつも大変困っています。お願いですから、私の編集した記事の内容を、ちゃんと批判してください。--60.132.33.186 2017年9月24日 (日) 00:42 (UTC)[返信]

そもそも他人の編集を「繰り言」と公開するのは、マナー的に、問題行為でしょう。記事は、60.132.33.186個人のスペースではないですよ。私の編集内容に不満があるなら、議論ページで、私に「あなたの編集は繰り言だ。なぜならば〜〜」とか言えばいいのであって、記事本文で他編集者を批判するべきではないでしょう。--すじにくシチュー (トーク) 2017年9月24日 (日) 03:02 (UTC)[返信]

他人の編集を単に「繰り言」とするのも、実質的な対話の拒否ですよね。たとえ繰り言で動機が私怨や愚痴でも、少なくとも内容が正しければ、それは単純に記事内容を公開すべきだし、もし内容が正しくなければ、単に公開すべきではないだけです。結局、このIP氏の編集は、自分の趣味であるウィキペディアスタイルの最低限の記述で簡潔な(しかし欠点として初心者には分かりづらいという難点もある)編集をして、他編集者から異論が出ても、「整理」などと表面的に対話をよそおって、対話の拒否を取り繕ってるだけなんですよね。--すじにくシチュー (トーク) 2017年9月24日 (日) 03:09 (UTC)[返信]