ラテン文学の作家と著作/黄金期/アッティクス

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
T・POMPONIVS・ATTICVS

ティトゥス・ポンポーニウス・アッティクスTitus Pomponius Atticus:前110/109[1]-32)は、ローマ共和制期の富豪・文芸愛好家・作家。#キケローの親友としてよく知られる。

騎士身分の富裕な家に生まれ、キケローとは幼少期から生涯にわたって親交があった。前80年代にローマの内乱状態を避けてイタリアを去り、ギリシアのアッティカ地方のアテーナイに移住して、エピクロス哲学を学ぶなどして、前88-65年まで20年以上も滞在した。スッラによる追放処分を免れ、彼自身は閥族派寄りでありながらも、すべての有力者と親しくして、内乱時代を生き抜いた。アッティカ(アテーナイ)に永くいたため、アッティクス(Atticus)[2]という添え名(コグノーメン)で呼ばれるようになった。

前65年ごろにローマに帰ったが、その後は政治家や公職を志すこともなく、父や叔父から相続した多額の遺産をもとに購入したギリシアのエペイロス地方の広大な所領において、エピクロス主義的な快楽主義に徹した別荘生活を送った。しかし、蓄財や商売に携わり、金融業や出版業を営んで富を築いた。出版業では、大勢の筆写専門の奴隷を使って書物を筆写させ、親交のあったキケローの著作の出版にも尽力した。ギリシアの学芸にも造詣が深く、自らの邸宅で文芸サロンを主宰した。

キケローとの交流

キケローが前68年~前44年に彼に宛てた426通の手紙を、アッティクス自身がすべて公開し、これは『アッティクス宛書簡集』(Epistulae ad Atticum)として知られる。だが、アッティクスがキケローに宛てた手紙は失われた。キケローの『大カトー(老年について)』(Cato maior de senectute)や『ラエリウス(友情について)』(Laelius de amicitia)は、文通の友であるアッティクスに献呈された作品であり、冒頭に彼宛の「献辞」が述べられている。

コルネリウス・ネポースとの交流

伝記作家#コルネリウス・ネポースとも親交があり、彼の有名な『著名な人物たちについて』はアッティクスの依頼により書かれた伝記である。ネポースはアッティクスの伝記も残している。

アッティクスの著作や業績

アッティクス自身の著作は、ローマの氏族の系譜についての論考や、キケローの執政官時代を記した書、肖像集などがあり、それらはほぼ散逸した。ただし、ローマ史に年代的な枠組みを与え、ローマの政治史や文学史を扱った『年代記』(Liber annalis)1巻のみが伝存する。ローマに伝わる互いに異なる伝承を秩序づけようと試み、ローマの各氏族や家系の起源を探り当てようとし、年代記の正確な年次を定めることにも努めている。

脚 注[編集]

  1. ^ 文献によって生年が前110年または前109年となっている。ユリウス暦以前の年月をキリスト紀元に正確に換算するのは難しい。
  2. ^ Atticus といラテン語は、「アッティカ人」または「アテーナイ人」という意味を持つ。

参考文献[編集]

関連図書[編集]

  • 『老年について』キケロー著、中務哲郎訳、岩波書店(岩波文庫)
  • 『友情について』キケロー著、中務哲郎訳、岩波書店(岩波文庫)

関連記事[編集]

Wikipedia
ウィキペディアティトゥス・ポンポニウス・アッティクスの記事があります。
Wikisource
ウィキソースネポースの『アッティクス伝』仏訳があります。


関連項目[編集]

外部リンク[編集]