将棋/▲2六歩
飛車先の歩を突く出だし。
△8四歩と後手も飛車先の歩を突く手と、△3四歩と角道を開ける手が考えられる。
先手は相居飛車戦では相掛かり・将棋/横歩取り戦を志向している。 なお『トップ棋士頭脳勝負―イメージと読みの将棋観3』(日本将棋連盟、2014年)で、渡辺明は自分が先手で後手が振り飛車党であれば、下記の#△3二飛封じの意味もあり、初手は必ず▲2六歩としているという。
- 初手/2六歩 の誕生
もともとの相掛かりも先手の初手は▲7六歩から開始しており、大正時代から昭和の初めにかけては、5筋を突き合わせてお互いが▲5七△5三に銀を構える相掛かりが流行。そして先手が▲4六銀から3五歩とする早繰り銀戦術に後手が対抗するため、後手が右の金を6一のままにして△6四銀から7五歩という先に先行する戦術を編み出す。
その後1928年の金易二郎対花田長太郎戦で、先手の▲6六角の反撃を未然に防いでおくため、後手が飛車を8二へと引き飛車に構えて6四銀と出るスタイルにたどりついている。この引き飛車と6一金型はバランスが良く、二段目の飛車は受けにも利く、5二飛と中央に展開させることもできる。この考えが先手にも波及する。
1930年に木村義雄が兄弟子の金易二郎を相手に、後手の△2三歩に対して、▲3四飛と取る。当時の常識は、「横歩三年のわずらい」という格言があり、つまり横歩は取ってはいけないとなっていたのであるが、木村はこれを取り、その将棋に勝利する。この一局によって横歩は取ってはいけないではなく、取ったほうがよいという認識に変化する。
ところがそうなると、今度は先手が初手▲7六歩であると、以下△8四歩▲2六歩△8五歩▲2五歩△3二金であると、今度は先手で引き飛車であると、後手の横歩取り7六飛もあるかもしれないということも、考慮する必要があった。
そこで、初手を▲2六歩から相掛かりにすれば、先手も引き飛車に構えることができると、当時にあって序盤巧者の金子金五郎はこの初手を1929年頃から一人指し始めていた。他の棋士も指して見れば、これなら横歩を取られて形勢を損じる心配もなく、つまりは最初にわざわざ角道を開けて指すことによっての必要もなかったと気づくことになる。こうして、先手が引き飛車に構えるための初手2六歩で始める指し方が流行しはじめていく。
△8四歩
[編集]- 詳細は「/△8四歩」を参照
▲2五歩△8五歩と飛車先の歩を伸ばし合う相掛かりの展開、または△8四歩/▲7六歩からの角換わりや横歩取りの展開も考えられる。
△3四歩
[編集]- 詳細は「/△3四歩」を参照
▲2五歩に△3三角の受けを用意している。
▲7六歩と突くと、初手から▲7六歩△3四歩▲2六歩の局面に合流する。
△3二金
[編集]- 詳細は「/△3二金」を参照
居飛車将棋としては、飛車先を早く突かないことで、他の手を早く指す作戦。
先手がw:陽動振り飛車などにしなければ、w:相掛かりなどの定跡に合流する。
△3二銀
[編集]「2手目△3二銀システム」[1]ならば、2手目は△3二銀。
△6二銀
[編集]w:英春流は2手目は△6二銀。ただしw:村田システムなど、その他の戦法も考えられる。
1994年のNHK杯戦・畠山鎮 対 羽生善治 戦で、先手・畠山の初手▲2六歩に対して羽生は2手目に△6二銀と指した。そして、10手目で△3四歩とするまで羽生の歩が1つも動かないという、極めて珍しい出だしとなった。
その後の羽生も、佐藤天彦に挑戦した2018年の名人戦第6局でも、佐藤の初手▲2六歩に対して指している。
△4二銀
[編集]w:嬉野流は2手目は△4二銀。ただしw:村田システムなど、その他の戦法も考えられる。
△1四歩
[編集]- 詳細は「/△1四歩」を参照
▲2五歩に△1三角の受けを用意したもの。
△3二飛
[編集]悪手。すぐに▲2五歩と突かれ、▲2四歩からの攻めで後手が早くも劣勢となってしまう。
以下△3四歩は▲2四歩△同歩▲同飛で、△3三飛と上がって▲2三飛成を防いでも▲2三歩がある。△1四歩は▲2四歩△同歩▲同飛△1三角▲2一飛成△5七角成▲1一竜で、後手は桂損と引き換えに馬を作ったものの、駒損のほうが大きく後手劣勢となっている。
初手▲7六歩に対しては2手目△3二飛が成立するが、初手▲2六歩に対しては成立しない。
△5二飛
[編集]△3二飛以外の振り飛車は、以下▲2五歩△3四歩▲2四歩△同歩▲同飛と飛車先の歩を交換に、△3二金で▲2三飛成は受けられる。
初手▲7六歩に対しても2手目△5二飛は成立する。
脚注
[編集]- ^ 二歩千金『2手目△3二銀システム』 マイナビ将棋BOOKS、2024年