コンテンツにスキップ

数と人間

出典: フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』

高等学校数学基礎 > 数と人間


本稿は高等学校数学基礎の「数と人間」の解説である。ここでは数や数字について歴史などを交えながら解説することにする。

はじめに

[編集]

人間はいつから数や数字を使っているのだろうか。ユーラシア大陸で最も古い文明とされるメソポタミア文明の遺跡では既にくさび形文字という文字の中に数字が登場している。このことから文字の誕生と共に数字も登場したといっても過言ではないだろう。

さて、イギリスの数理哲学者ラッセルは次のように言っている。「2日の2と2匹のキジの2が同じ2であることに気付くまでには限りない年月が必要だった」と。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、現代の人間の子どもも数の概念をあらかじめ身につけているわけではないことが心理学者のピアジェの実験などからわかっている。また、1から100までの数字を言える子どもが100個のものを数えられるわけではないこともよく知られている。学校で習う数字(文法的には数詞ともいう)を覚えることと実際にものを数えたりすることができることから始まって数の規則・法則などを理解すること、すなわち数の概念を理解することとは異なるのだ。

大きなケタの数字・小さなケタの数字

[編集]

小学校では万、億、兆という数の単位があることを習った。しかし、大きな数を表すことばはこれだけではない。日本で江戸時代に広く親しまれた数学書には、さらに京(けい)、垓(がい)、𥝱(じょ)、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)、恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)という数の単位があげられている。一無量大数は69ケタ(1の後に0が68個も並ぶ)というとんでもなくケタ数の多い数である。

また、1より小さな数を表すことばとして、分(ぶ)、厘(りん)、毛(もう)、糸(し)、忽(こつ)、微(び)、繊(せん)、沙(しゃ)、塵(じん)、埃(あい)とある。文献によっては、ここからさらに、渺(びょう)、漠(ばく)、模糊(もこ)、逡巡(しゅんじゅん)、須臾(しゅゆ)、瞬息(しゅんそく)、弾指(だんし)、刹那(せつな)、六徳(りっとく)、虚空(こくう)、清浄(せいじょう)と続けるものもあった。

さて、このようにことばで表される数は多くあるが、しかしこれらよりさらに大きい数や小さい数を考えることも可能だし(1無量大数×1無量大数=?)、また実際に自然科学において登場することもある。たとえば、物質を構成する小さな粒子である陽子の質量は一埃グラムよりもはるかに小さく、一埃グラムの一埃倍の一糸倍程度だが、電子はさらに小さく、陽子の1800分の1程度の質量しか持たない。そして宇宙には、これら粒子が無量大数の一兆倍から無量大数の一京倍程度の個数存在すると予想されている。

このような数は、漢字を使った言葉で表そうとすると表しにくい。いま「無量大数の一京倍」と書いたが、これではこれがどの程度の大きさのものなのかよくわからないだろう。また、大数と小数が別々の規則で名付けられているがゆえに、たとえば「一兆分の一」を小数の名では何と呼ぶかといったことを即座に考えることができない(答えは一漠であるが)。これを解決する安直な方法は数字を使って通常通りに表すことだが、これも便利とは言い難い。一無量大数を数字で表すと100000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000、一埃を同じように表すと0.0000000001であり、とてもこのようなものを読み書きしたり、ましてこれを使って計算する気にはならない。

このような数をきれいに扱う方法として便利なのが、指数による表示である。102=100,103=1000などというように、10nは1の後に0がn個つく数となる。これを使うことによって大きい数の表記を簡潔にすることができる。たとえば1無量大数は1068と表すことができる。数をこのように表記して計算する際に重要になってくるのが、次にあげる指数法則である。これらが成り立つことは、指数の意味を考えることで容易に確かめることができる。

指数の拡張と指数法則

m > nが自然数のとき

大きい数を表記することができたので、次は当然小さい数を表すこともできないか考えたい。そのためには、指数法則が成り立つように、指数の意味を拡張してみる。ここで次のように約束すると、上にあげた指数法則がすべての整数m, nについて成り立つことが分かる。

このようにして指数を拡張すると、小さい数も指数で表すことができる。たとえば0.1=10-1、0.01=10-2などと表すことができる。先ほど触れた陽子の質量は1.7×10-24グラムと表される。このようにして、大きい数や小さい数は指数によって簡潔に表記することができるのである。

指数に関するこれ以上に詳しい内容は数学IIに譲る。また、指数同様に計算を簡潔にする道具として役に立つ対数という概念もあるが、これも数学IIで扱う。興味のある人はそちらも見てほしい。

数の概念

[編集]

1, 2, 3,…という数は古くから知られてきた。また、1/2という分数や0.123といった小数も人類の歴史の中で早くから使われてきた。このことは古代エジプトのパピルス(『リンド・パピルス』)にも分数の計算がのっていることからもわかる。これらの数は感覚的にもとらえることが可能であるからこそ、人類が文明を築き上げた頃にはもうこれらの数を使っていたのだろう。ところが、さまざまな計算などを考えていくと感覚や直感ではつかみきれない数が登場する。その最初のものは 負の数 と 0 である。

自然数

[編集]

自然数の例として、直感的に1, 2, 3,…という数字をあげることは難しくない。古代ギリシアより読み継がれてきているユークリッド『原論』(げんろん)でも、(自然数以外の分数なども含めた)数は「無定義用語」という特に説明もされないものとして扱われている。しかし、いざ「自然数とは何か」ということを規定するとなるととたんに難しくなる。これは高校生には難しいのでここでは詳しく触れない。

なお、0は自然数に含める立場と含めない立場がある。日本の小中高においては0を自然数には含めないことが多いが、0を含める流儀もあり、どちらが正しいというものではない。ここでは0は含めないものとして取り扱う。

さて、少し自然数の性質を挙げる。まず、自然数はすべて 1+1+1+… と分解できる。つまり、どのような自然数も、いくつもの1の和で作れるということである。第二に、自然数はすべてその数自身が素数(そすう)か、あるいは素数同士の積に分解できる。 1とその数自身でしか割り切れない、2以上の数を素数(そすう)という。

たとえば 2 は、その数自身が素数である。
たとえば 4 は、 4=2×2 というふうに、素数である2の積に分解できる。
たとえば 3 は、その数自身が素数である。

このことについては後で再び紹介する。第三に自然数同士を足し算・掛け算しても自然数にしかならないが、引き算・割り算では自然数以外の有理数になることもある(が、無理数にはならない)。これらの性質をわざわざ述べることにばかばかしさを感じるかもしれないが、このことは「自然数とは何か」を深く考える上で非常に大切なことなのである。

整数

[編集]

自然数に加えて0や自然数の符号を負とした数を合わせたものを整数(せいすう)という。

0(ゼロ)

[編集]

自然数は数字の登場と同じくらい歴史の古いものである。しかし、0という数字が登場すること、そしてそれが数の一つとして理解されるのには時間がかかった。まず、「~がない」というのは理解できても「ないもの」を書き表す数字が必要なのかという問題があった。実際、古代エジプトでは0の存在は知られていたが0を表す数字は発明されなかった。

さらに、0の計算は自然数同士にはない独特の規則があることが0を数として認めることへの抵抗につながった。0の計算規則を見てみよう。

  • 加法: a + 0 = 0 + a = a.
  • 減法: a − 0 = a . 0 − a = −a.
  • 乗法: a · 0 = 0 · a = 0.
  • 除法: 0 ÷ a = 0 . a ÷ 0 は不可.

足し算と掛け算の交換法則は成り立つのだが、いくら足し算をしても変化せず、どんな数をかけても0になる0の性質はなかなか理解しにくいものであった。特にヨーロッパの言語では「足す」や「掛ける」は「増える」に近い言葉である(現代英語の例だが「足す」はaddだが、これにtoをつけると「増す・大きくする」になり、「掛ける」のmultiplyは単独で「増える」の意味を持つ)から、なおさら足し算しても変わらず、掛け算をすると減る0は扱いにくいものであった。さらにゼロで割り算をする「ゼロ除算」ができないことも0の特殊な性格の一つである。

さて、ここで0で割ることができない理由を考えてみよう。まず、ウィキペディアの「W:ゼロ除算」にあるものを紹介する。

以下を前提とする。

このとき、次が成り立つ。

両辺をゼロで割り算すると、次のようになる。

これを簡約化すると次のようになる。

このように1 = 2という自然数の前提をぶち壊す結果になる。種明かしをすると、先の計算では0/0 = 1としたのが誤りの理由であった。では0/0 = 1としなければよさそうに見えるが、これもうまくいかない。なぜなら、

この両辺をゼロで割り算すると、

となり、都合がよさそうに見えるが、

に同じ操作を行うと

になる。つまり、0/0はなんでもいい数となってしまう。このように、ゼロによる割り算は数学的矛盾なく定義不能であり計算することもできない。

負の整数

[編集]

自然数の符号を負とした数を負の整数(ふのせいすう)といい、自然数に-(マイナス)をつけて表す、負の整数は0より小さい数として扱われる。いまでは天気予報の気温でもよく耳にするし、中学校では負の整数の計算も学ぶ。

負の整数は中国では紀元前100年ごろの数学書『九章算術』で扱われていた。また、インドでは7世紀ごろには負の整数が使われていたという。しかし、ヨーロッパでは負の整数が数の一部として認められるのにはかなり時間がかかった。このことを示すものとしてよく話題に上るものは、17世紀の数学者であるパスカルの著書『パンセ』の中にある「私は0から4を引けば0であることのわからぬ人を知っている」という言葉である(ただし、パスカルが本当に負の整数を理解していなかったのかはわからない)。

さて、ヨーロッパに負の整数が紹介されたとき負の整数は「借金」として紹介された。例えば、0-1000=-1000だが、これは「無一文の状態で1000円借りた」ことになる。さらに-1000+1000=0なら「1000円の借金があるところで1000円の収入があったので返済したら借金も財産もない状態に戻った」ことになる。このように、負の整数を「借金」、正の数を「財産」として理解するのは足し算や引き算では都合のよいことであった。

しかし、掛け算(および割り算)では「借金」というとらえ方では不都合が起きる。-1000×2=-2000ならまだよい。「1000円の借金を2回行うと借金が2000円になる」とも解釈できるからだ。ところが-1000×-2はどう理解すればよいのだろうか。インドの数学者バースカラ2世は「財産と財産の積、借金と借金の積は共に財産であり、財産と借金の積は借金である」と述べた。これは確かに負の整数の計算規則に沿ってはいるが、これで説明されてもよくわからないだろう。借金に借金をかけても(日常的には)財産になるわけがないと感じられるからである。このため、負の整数の掛け算はヨーロッパでは長い間議論されてきたのである。

では、負の整数同士の掛け算はなぜ正の数になるのかを考えてみよう。実は数直線を使うとわかりやすい。

今、原点0に毎秒-1ずつ進む点があるとする。このとき3秒後(+3秒後)にはどこに行くかというと(-1)×(+3)=-3の点である。では、3秒前(-3秒後)ならどうかといえば、-の反対方向、すなわち+の方向であり、原点0から+3のところである。これを式にあらわせば(-1)×(-3)=+3となる。

実は自然現象(正確には物理現象)にも正負の掛け算と似た法則が見られる。まず、押す力(斥力)を+、引く力(引力)を-とする。中学校の理科1分野高等学校理科総合Aでも習ったように、イオンになった原子などは電気を持っている。それらが帯びている電気(の量)を電荷というが、これは+と-の電気をおび、二つの電荷は力を及ぼしあう。それらの関係は以下のようになっている。

電荷1 電荷2
+ + +
- - +
- + -
+ - -

なお、このような二つの電荷と力の関係を表したものがクーロンの法則と呼ばれるものであるが、ここでの公式の紹介や解説は省略する。

分数

[編集]

分数の書き方は分母と分子の数の間に括線という線を引けばよい[1]。だから、小学校でならう書き方という書き方のほかに、既にこのページでも何度か使っているように1/2という書き方もある。特に後者は小学校で習った書き方ではスペースが狭い場合にも使うこともあるが、時速を表す単位「km/時」のようにある単位を表す場合にも使われている(なお、このページではスタイルマニュアルに従い、なるべくa/bの表記を行う)。

分数には3つの意味がある。3/5で考えてみよう。まず3/5=3÷5のように割り算を表現したものである。次に3/5は5等分したものを3つ集めたものという意味もある。そして、3/5は3:5という比の意味もあり、この場合、基準となるもので測ると一方は3、もう一方は5になる関係である[2]

小数

[編集]

分数と同様に整数と整数の「あいだ」の数のが小数(しょうすう)である。分数が早くから登場したのに対して小数が登場するのは少し遅い。正確に言えば、古代メソポタミア文明の粘土板には小数も登場していたし、先に紹介した小さな数の単位も小数の仲間といえる(理由は後述)ので、東洋では早くから小数が使われていたといわれる。しかし、ヨーロッパで小数が定着したのは17世紀にジョン・ネイピアが、今使われている整数部分と小数部分の間に小数点[3]を書く方法を紹介してからのことであった。

ヨーロッパで小数が定着するのが遅かった理由は10進法が定着しておらず、12進法や60進法もよく使われていたからである。小数を書くには、何進法を使うのかひとつに定まっていないと難しい。中国やインド、日本のようないわゆる東洋圏では古くから10進法ばかりが使われていたために小数(の考え方)が使われていた。

有限小数

[編集]

0.5や0.12のように有限の桁の小数を有限小数(ゆうげん しょうすう)という。有限小数は必ず分数にできる。

無限小数

[編集]

1÷3を分数を使わずに計算すると0.3333…となり、いつまでも割りきれない。このような小数を無限小数という。無限小数にも同じ数を繰り返す循環小数とそうでない非循環小数がある。非循環小数には0.101001000100001…のようなものもあるが、代表的なものは2の平方根である1.41421356…や円周率がある。

循環小数の書き方は

のように繰り返しのはじめと終わりに点を打てばよい。0.1234234…のように途中から循環する場合には

とする。0.33…のように同じ数が繰り返す場合は

と、点を一つ打てばよい(ただし、スタイルマニュアルにしたがい、ウィキペディアの書き方0.{123}、0.{3}を以降は用いる)。

さて、無限小数は分数にできるのだろうか。循環小数は分数にすることができる。その方法を見てみよう。

まず、0.{123}=xとする。この式の両辺に1000をかけると123.{123}=1000xとなる。後の式から最初の式を引くと、123.{123}-0.{123}=1000x-xであり、循環部分が消えて123=999xになる。あとは両辺を999で割るとx=123/999、約分して41/333になる。

では非循環小数はどうだろうか。実は、非循環小数は分数にはできない。なぜなら、分数で表されている数を小数に直そうとすればかならず循環小数になるからである。

無理数

[編集]

整数は分数で表すことができるし、有限小数や循環小数はやはり分数で表すことができる。これらを有理数(ゆうりすう)という。それに対して、分数であらわすことができない数がある。それを無理数という。無理数には円周率(えんしゅうりつ)や、のような平方根(へいほうこん)などがある。無理数は分数や循環小数などで表すことができないので、円周率はπ、平方根は√(ルート)に自然数や正の分数・小数を入れるなど、固有の記号を用いて書き表す。

さて、ここでが分数であらわせないことを証明しよう。これは数学Aの背理法という方法を用いる。

とする。なお、分数b/aはこれ以上約分できないものとする。

これを2乗して整理すると

2a2 = b2

このことからbは偶数であることがわかる[4]。だから、b=2cとできるので、

2a2 = 4c2とすることができる。

この両辺を2で割ると、

a2 = 2c2

このことからaも偶数であることがわかる。よって、a=2dとできる。したがって、

となる。

しかし、これは2c/2dが約分できるので「分数b/aはこれ以上約分できないものとする」としたことと矛盾する。よって、

としたことは誤りであった。

ゆえには分数にできない無理数である。(証明終わり)

この無理数と有理数を合わせて実数(じっすう)という。実数は2乗すると正の数になる。

虚数・複素数

[編集]

16世紀のイタリアの数学者、カルダーノ三次方程式の解の公式を公表したとき、二乗するとマイナスになる「奇妙な」数が登場してきた。これが虚数(きょすう)である。そんな数があるのかと思うかもしれない が、x2+2=0という二次方程式を解いてみればわかる。これを解くとになり、2乗するとマイナスになる数が存在することがわかる。

この数の存在は当時の数学者にとって、当時負の数すらなかなか認められなかった中で、さらに奇妙なものに見えたが、これを使わなければ(x-1)(x-2)(x-3)=0のように因数分解できるもの以外の三次方程式は解けなかった。また、この数を使えば二次方程式もすべて解くことができる。そのため虚数は数学者たちに「しぶしぶ」認められた。ここで「しぶしぶ」といったのはこの奇妙な数の命名に見られる。この数はデカルトによってnombre imaginaire(英語に直せばimaginary number)と名付けられた。つまり、「計算上存在する想像上の数」というわけである。

さて、虚数であることを示すには実数の後に i (言うまでもなくimaginaryの頭文字から)という記号をつければよい。例えば先ほどのと書く。また、二次方程式や三次方程式を解くと大抵はa+biのように実数の部分と虚数の部分に分かれる(ただしa, b共に実数)。このように実数と虚数の和で表す数を複素数(ふくそすう)という。複素数の計算は普通の文字式と同じように扱えばよい。ただし、i 2 =-1であることに気をつけるべきである。

複素数の計算規則

a, b, c, d を実数、 z, v, w を複素数とする。

  • (和の交換法則)
  • (積の交換法則)
  • (分配法則)

なお、複素数は本来数学IIで学ぶ。また、1994~2002年度入学、および2012年以降入学予定の高校生は数学Bにおいて複素数を図形(幾何)的に扱う複素数平面というものも扱う。興味があれば、少し難しいがウィキペディアの複素数の記事も参照していただきたい。

なぜ、数を拡大してきたか

[編集]

さて、これまで自然数から始まって複素数まで紹介してきた。なぜ、このように数の概念を拡大してきたのだろうか。それは数の概念を拡大すればさまざまなことが表現できるし、計算を解くことができるからである。例えば、負の数を認めなければx+4=0というごく簡単な一次方程式すら「解なし」となってしまうし、実際にそう扱われてきた(余談だが、小学校で方程式が出てこないのは、小学校では負の数を学ばないのが理由の一つである)。すべての二次方程式や三次方程式を解くには虚数や複素数が必要なことは先ほど述べたとおりである。数の範囲を狭くすればするほど解くことのできる方程式は少なくなる。

数の概念を拡張すればさまざまなものを表現できることも見てみよう。基準を0として、それより小さい数を負の数と定義すれば自然や社会のさまざまな物事を表現できる。経済成長率の「ゼロ成長」「マイナス成長」や気温の「-5度」などはその良い例である。平方根や円周率は図形の面積や辺の長さなどを測るのに不可欠であるから、設計や建築では当然のように登場する。「想像上の数」とされた虚数(正確には複素数)も飛行機の設計や電気工学などでは欠かせないものになっている。

特別な性質の数

[編集]

自然数の中にはさまざまな性質を持った数がある。ここではそれらを見てみよう。

素数

[編集]

1とその数自身でしか割り切れない、2以上の数を素数(そすう)という。

さて、素数について学び始めるとよく話題になるのは「1はなぜ素数ではないのか」という疑問ではないだろうか。なぜ1を素数とすることはできないのだろうか。その理由は1を素数とすると不具合がおきるからである。まず、自然数には一つの特徴がある。それは自然数はその数自身か素数同士の積であらわせるという性質である。

たとえば 2 は、その数自身が素数である。
たとえば 4 は、 4=2×2 というふうに、素数である2の積に分解できる。
たとえば 3 は、その数自身が素数である。

まず、「その数自身」で表せるのが1と素数である(0も自然数に含める場合には0も)。それ以外の自然数は必ず素数同士の積に分解できる。この分解の方法が素因数分解(そいんすう ぶんかい)である。さらに素因数分解は一通りにしかできない(難しく言うと「素因数分解の一意性」。なお、素因数分解の順序は問わない)。例えば、175は5×5×7としか分解できない。しかし、1を素数とすると1×5×5×7とも1×1×5×5×7とも書けてしまい、素因数分解の一意性に反することになってしまう。これが1を素数としない理由である。

また、素数が無限に存在することは古代ギリシャの頃から知られていた。このことを証明する方法もあるが、ここではそれをごくごく簡略化して紹介する(ただし、具体的な数を使うため証明にはなっていないことを断っておく)。やはり背理法を使う。

素数が無限でないとすれば最大の素数が存在する。ここで仮に13を最大の素数とする。そうすると、2×3×5×7×11×13+1も2、3、5、7、11、13のいずれかで割り切れることになる。しかし、これらで割ってもあまりが出る。となると、これは素数であるか、または13より大きい素数同士の積である[5]。しかしこれは「13を最大の素数とする」としたことと矛盾する。よって、13は最大の素数とした仮定は誤りである。同様の仮定をさらに大きな素数としても同じ結果になるので最大の素数を考えることはできない。(証明終わり)

完全数

[編集]

古代ギリシアの哲学者であり、数学者であり、「ピタゴラス教団」と呼ばれる宗教結社的な学派を創設したピタゴラスは「万物の根源は数である」と述べた。ここでは詳細には立ち入らないが、この思想を持っていたために彼は数に特別な意味があると考えていた。その一例を挙げると、1は神、2は女性、3は男性をあらわすという。そして、5は2+3で結婚、6は1+2+3なので神と人間が調和した完全な数だという。ここで、6の約数(6は含まない)を考えると、面白いことがわかる。6の約数も1、2、3であり、つまり、6は6自身を除いたすべての約数の和であらわすことができる。このような性質を持つ数のことを完全数(かんぜんすう)という。

完全数には6のほかにも28、496、8128、33550336、8589869056などがある。ピタゴラス以来、2500年以上完全数についての研究が続いているが、「偶数の完全数は無限に存在するのか」「奇数の完全数は存在するのか」などといった問題は現在も解決されていない。

三角数

[編集]

N進法

[編集]

位取り

[編集]

N進法の計算

[編集]

代数

[編集]

なぜ文字式を使うのか

[編集]

代数の難しさ

[編集]

[編集]
  1. ^ 小学校では分子と分母は自然数のみを使い、中学校ではさらに整数と無理数を使うが、実は分子と分母はどんな数でもよい(ただし、先に述べたように原則として分母は0にできない)。だから、や分数式といわれる、さらに連分数というものもある。これらについては数学II数学IIIを参照のこと。
  2. ^ ちなみに、2009年度入学の中学校1年生から復活したものとして比例式(ひれいしき)というものもある。これは先ほどの三番目の意味を利用したものである。
  3. ^ 日本ではピリオド(ドット)だが、国によってはコンマを使うところもある。
  4. ^ 2乗して偶数になる整数は偶数しかない。
  5. ^ しばしば勘違いしやすいことであるが、このようにして作った数は素数になるとは限らない。たとえば2×3×5×7×11×13+1=59×509である。
このページ「数と人間」は、まだ書きかけです。加筆・訂正など、協力いただける皆様の編集を心からお待ちしております。また、ご意見などがありましたら、お気軽にトークページへどうぞ。