第一次世界大戦

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第一次世界大戦は1914年から1918年にかけて行われた史上初の世界大戦である。当初はヨーロッパのみが戦場だったが、徐々に拡大していった。

陣営[編集]

主要な国家を掲載する。

連合国

中央同盟国

経過[編集]

1914年6月28日、オーストリア皇位継承者フランツ・フェルディナント大公とその妻ゾフィーがサラエボでセルビア人の民族主義者ガヴリロ・プリンツィプに暗殺された。 これを、サラエボ事件という。 当時、オーストリア=ハンガリーと同盟関係にあったドイツ帝国は参戦を決意。また、セルビアと同じスラブ民族のロシア帝国はセルビア側、いわゆる連合国側について参戦し、そのロシア帝国と協商、もしくは同盟関係にあったフランス、イギリスも参戦した。

当初、ドイツ帝国はシュリーフェン・プランをもとに破竹の勢いで進軍していったが、中立国のベルギーを通過したことにより、イギリスが本格参戦し、戦線は膠着した。 戦線が膠着すると、両軍ともに塹壕を掘り始め(最初に掘り始めたのはドイツ軍)、北は北海、南は中立国スイスまで達した。

しかし、1917年、ドイツ軍による無制限潜水艦作戦の再開や、ドイツがメキシコと同盟しアメリカの背後を突こうとしたツィンメルマン電報事件の発覚などにより、アメリカ世論は一気に開戦に傾き、時の大統領ウッドロー・ウィルソンは参戦を決意した。

また、同年、ロシアでレーニン主導の下、ボリシェヴィキ政府が誕生。ドイツはボリシェビキ政府とブレスト・リトフスク条約を結び、講和し、東部戦線の軍隊を西部に向けられるようになった。それにより、ドイツ軍は大規模な攻勢が可能となり、それを基に1918年春季攻勢が行われたが、アメリカの本格参戦とともに徐々に勢力を失っていき、最終的に、ドイツ、オーストリア=ハンガリー両国で革命が発生し、帝政が廃止された。こうして生まれたのがヴァイマル共和国(ワイマール共和国)である。

ベルサイユ条約と戦後[編集]

1919年1月18日より、パリに世界各国の代表が集結し、パリ講和会議が開かれた。 しかし、議論は紛糾し、結局、6月28日に対ドイツとしてベルサイユ条約が、9月10日に対オーストリアとしてサン=ジェルマン条約が、対ブルガリア講和条約であるヌイイ条約に至っては11月27日に締結された。

しかし、アメリカは国内で国際連盟に対する反対により、ヌイイ条約以外の批准ができず、対ドイツには1921年8月11日に米独平和条約、対オーストリアには同年8月24日に米墺平和条約を、同年同月29日に対ハンガリーで米洪平和条約をそれぞれ個別に締結した。

なお、ハンガリーに対してはトリアノン条約が締結された。

年表[編集]

1914年6月 サラエボ事件発生。

1914年8月 タンネンベルクの戦い

1914年9月 マルヌ会戦

1915年5月 ルシタニア号事件

1916年2月 ヴェルダンの戦い

1916年6月 ソンムの戦い

1917年3月 ロシア二月革命(当時のロシアはユリウス暦を使用していたため、ずれが生じている。)

1917年4月 アメリカ参戦

1917年11月 ロシア十月革命

1918年11月3日 キール軍港で水兵の反乱が発生。ドイツ革命の始まり。

1918年11月10日 ヴィルヘルム二世退位。

1918年11月11日 ドイツ休戦協定。フランスのコンピエーニュの森で締結され、第一次世界大戦を終了させた。

1919年1月 パリ講和会議開会。

1919年6月 ベルサイユ条約調印。

関連項目[編集]

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