「日本史/近代/戦前」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
移動など。 タグ: 2017年版ソースエディター |
日本史Bの一部をこつらへ。高校生よりも一般向けだろう。 |
||
28 行 | 28 行 | ||
* 天皇は「大元帥」として軍の総司令官であり、戦争の開始と終了は天皇が宣言した。開戦と終戦に際しては、天皇・総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣などが集まる御前会議を開いて、最終的に天皇が決定した。 |
* 天皇は「大元帥」として軍の総司令官であり、戦争の開始と終了は天皇が宣言した。開戦と終戦に際しては、天皇・総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣などが集まる御前会議を開いて、最終的に天皇が決定した。 |
||
* 現役武官が陸軍大臣や海軍大臣に就く「軍部大臣現役武官制」が布かれており、陸軍首脳や海軍首脳は「天皇は陸海軍を統帥す(第11条)」「天皇は陸海軍の常備兵額を定む(第12条)」と明記した大日本帝国憲法を盾に政治力を行使した。 |
* 現役武官が陸軍大臣や海軍大臣に就く「軍部大臣現役武官制」が布かれており、陸軍首脳や海軍首脳は「天皇は陸海軍を統帥す(第11条)」「天皇は陸海軍の常備兵額を定む(第12条)」と明記した大日本帝国憲法を盾に政治力を行使した。 |
||
=== 対外戦争 === |
|||
日清戦争は日本vs清国の戦争だが、代理戦争としてみると、イギリスvsドイツとの代理戦争のような様相もある。清国の軍制改革をしたお雇い外国人のドイツ出身軍人コンスタンチン・フォン・ハンネケン (Constantin von Hannecken)は、日清戦争中でも李鴻章の側近である<ref>[http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/66505.pdf 『日清戦争と中国近代海軍』、立命館経済学、546 ]</ref>。当時の清国の保有する最新式の大型軍艦である定遠(ていえん)と鎮遠(ちんえん)も、ドイツ製である。さらに、この軍艦・定遠(ていえん)にすら、日清戦争における黄海回線中、ハンネケンは定遠(ていえん)に乗り込んでいる[http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/66505.pdf 『日清戦争と中国近代海軍』、立命館経済学 ]。 |
|||
== 帝国主義 == |
== 帝国主義 == |
||
54 行 | 57 行 | ||
== 第二次世界大戦 == |
== 第二次世界大戦 == |
||
1937年、北京郊外の[[w:盧溝橋|盧溝橋]]において日中の軍事衝突である[[w:盧溝橋事件|盧溝橋事件]]が発生する。日本の[[w:近衛文麿|近衛文麿]][[w:近衛内閣|内閣]]は派兵を決定。[[w:日中戦争|日中戦争]]へと発展する。約2カ月後、国民党と共産党は[[w:抗日民族統一戦線|抗日民族統一戦線]]を形成し、日中戦争は泥沼化を始める。日本の軍部では、拡大派が不拡大派を抑えて戦線は拡大の一途をたどることとなる。そして、この頃から、当時首都であった南京への爆撃が本格化し、のちの南京事件への一歩を踏み出す。 |
1937年、北京郊外の[[w:盧溝橋|盧溝橋]]において日中の軍事衝突である[[w:盧溝橋事件|盧溝橋事件]]が発生する。日本の[[w:近衛文麿|近衛文麿]][[w:近衛内閣|内閣]]は派兵を決定。[[w:日中戦争|日中戦争]]へと発展する。約2カ月後、国民党と共産党は[[w:抗日民族統一戦線|抗日民族統一戦線]]を形成し、日中戦争は泥沼化を始める。日本の軍部では、拡大派が不拡大派を抑えて戦線は拡大の一途をたどることとなる。そして、この頃から、当時首都であった南京への爆撃が本格化し、のちの南京事件への一歩を踏み出す。 |
||
== 註 == |
|||
<references/> |
|||
[[category:日本の歴史|せんせん]] |
[[category:日本の歴史|せんせん]] |
2020年4月18日 (土) 10:19時点における版
第二次世界大戦前の時代。通常は、明治維新(江戸城明け渡し。1868年5月3日)を始まりとして、第二次世界大戦終結(ポツダム宣言調印。1945年9月2日)までを含める。
政治
- 大日本帝国憲法
- 国家名は「大日本帝国」。
- 大日本帝国憲法により、天皇が最高権力者として統治権を一手に掌握した。
- 帝国主義の政治と外交。帝国時代。
- 主要政治家
- 天皇
- 総理大臣
- 各大臣
- 元老
- 枢密院議長
- 帝国議会議員(貴族院と衆議院)
中央集権型行政
- 地方行政は、土着・世襲の藩主ではなく、中央から派遣される内務官僚が担った。
- 官僚の登用は、西洋の最新学問を科す高等文官試験によって実施された。
軍事
※「大日本帝国空軍」は設置されなかった。
- 軍首脳と政治
- 天皇は「大元帥」として軍の総司令官であり、戦争の開始と終了は天皇が宣言した。開戦と終戦に際しては、天皇・総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣などが集まる御前会議を開いて、最終的に天皇が決定した。
- 現役武官が陸軍大臣や海軍大臣に就く「軍部大臣現役武官制」が布かれており、陸軍首脳や海軍首脳は「天皇は陸海軍を統帥す(第11条)」「天皇は陸海軍の常備兵額を定む(第12条)」と明記した大日本帝国憲法を盾に政治力を行使した。
対外戦争
日清戦争は日本vs清国の戦争だが、代理戦争としてみると、イギリスvsドイツとの代理戦争のような様相もある。清国の軍制改革をしたお雇い外国人のドイツ出身軍人コンスタンチン・フォン・ハンネケン (Constantin von Hannecken)は、日清戦争中でも李鴻章の側近である[1]。当時の清国の保有する最新式の大型軍艦である定遠(ていえん)と鎮遠(ちんえん)も、ドイツ製である。さらに、この軍艦・定遠(ていえん)にすら、日清戦争における黄海回線中、ハンネケンは定遠(ていえん)に乗り込んでいる『日清戦争と中国近代海軍』、立命館経済学 。
帝国主義
- 外地
- :世界は欧米列強による帝国主義と植民地主義の時代。日本も欧米列強を模倣して、琉球と蝦夷を併合し、次いで台湾と朝鮮半島を植民地に入れた。戦前日本の植民地を「外地」という。
- :* 台湾の歴史# 日本統治時代(1895年~1945年)
- :* 朝鮮の歴史# 日本統治時代(1910年~1945年)
- :* 南洋諸島(1918年~1945年)
- 立て続けの戦争
- :10年に1度は戦争が起こった。
経済
- 絹糸が外貨獲得産業となり、内陸部を中心に製糸工場が立ち並んだ。
- 地方の産業構造は、軽工業、鉱工業、農業が三本柱。炭田の時代でもあり、筑豊炭田や常磐炭田などの炭田がその地方の経済を支えていた。
- 経済指標は軍艦の保有台数。(※江戸時代だと石高に、戦後だとGNPやGDPに該当する。)
- 西洋と同じく、産業革命 → 景気沈滞(日露戦争不況) → バブル景気(大戦景気)→ 労働争議、の時代に変わって行った。又、10年周期で好景気と不景気が循環した。
第二次世界大戦
1937年、北京郊外の盧溝橋において日中の軍事衝突である盧溝橋事件が発生する。日本の近衛文麿内閣は派兵を決定。日中戦争へと発展する。約2カ月後、国民党と共産党は抗日民族統一戦線を形成し、日中戦争は泥沼化を始める。日本の軍部では、拡大派が不拡大派を抑えて戦線は拡大の一途をたどることとなる。そして、この頃から、当時首都であった南京への爆撃が本格化し、のちの南京事件への一歩を踏み出す。